夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2024年 2月24日(土)「リング?」

2024年02月24日 22時16分00秒 | 「思うこと」
工事が遅れていて金をふんだんに使う大阪万博で巨大リングを作っているそうです。
350億円を使い世界最大の木造建築物だそうですが、高い金を出して天然資源を使い、、、、、
バラマキ。
海外の国がつくるパビリオンはまだ5つしかできていないそうですが、リングが完成すると中の工事もままならないそうで、資材や重機を入れてリングが完成したら工事現場の展示でしょうか。
東京オリンピックもひどい大会でしたし金のバラマキでしかなかった。大阪万博も金のバラマキで終わるでしょう。そのばらまかれる先は企業でもありますが、他にどこに行くのか。
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池に浮かぶ月2169【2月24日】

2024年02月24日 19時56分08秒 | 「池に浮かぶ月」
汚染水は垂れ流し。汚染土は全国にばらまく。
去年、福島原発事故での汚染土を東京では新宿御苑の花壇に使うと。
全国的に道路工事などで使われたりコンクリートにも。
政府は「事業に住民同意が必要とは想定していない」と。。。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 2月24日(金)「福島原発事故汚染土の利用」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「2月24日という日」

2024年02月24日 08時06分38秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
工事が遅れていて金をふんだんに使う大阪万博で巨大リングを作っているそうです。
350億円を使い世界最大の木造建築物だそうですが、高い金を出して天然資源を使い、、、、、
バラマキ。
海外の国がつくるパビリオンはまだ5つしかできていないそうですが、リングが完成すると中の工事もままならないそうで、資材や重機を入れてリングが完成したら工事現場の展示でしょうか。
東京オリンピックもひどい大会でしたし金のバラマキでしかなかった。大阪万博も金のバラマキで終わるでしょう。そのばらまかれる先は企業でもありますが、他にどこに行くのか。

≪過去の記事≫

【2004年】
仕事が遅くなり外食でした。
帰りの電車すいていました。バブルの頃は11時過ぎまでラッシュのようでしたが、今は残業も接待も仲間同士の飲み会も減っているのかもしれません。
いいのか悪いのか?というよりもどちらも悪いと言うのか、もちろん男の過程回帰自体はいいのですが、そのために収入が減ってきている。世の中変です。

【2005年】
寒さが戻りました。
職場は、インフルエンザだ風邪だとにぎやかです(笑)
大江健三郎。。。。おもしろいけどやはり難しいです。読み終わるにはそうとう時間がかかりそうです。どこか深刻そうな話ですが、どこかユーモアというのか皮肉というのか。。。。独特な世界があります。

【2006年】
小川洋子さんの「博士の愛した数式」の解説を書いていたら読んでいたら数学者の藤原さんの本(を読みたくなり)「国家の品格」を読んでいる。
経済や教育など様々な今ある矛盾を指摘をし、西洋の合理主義を批判し、日本の武士道の教えによる国家論を語っているようだ。その言葉は痛快といえば痛快だが、その論理展開は数学者らしく1か0かであるような批判に満ちているのではないか?その中にあって武士道というある意味精神世界に結論を持っていくところにこの本の特徴があるのか?
ゆっくり読みたいと思う。
「博士の愛した数式」の感想は、今書きはじめています。
ここのところいろいろ忙しくてなかなか感想文も進まない。梨木さんの「春になったら苺を摘みに」も読み終わってしまったし。。。。そして藤原さんの本。。。。
僕の頭の中は、この3冊の本の引き出しを開けたり閉めたりしてます。頭の中にしまっておけるのは3冊が限界?
また寒くなりました。もしかしたら夕方から雪が舞い落ちるかも?
ベランダに出した正月用の梅の寄せ植えは元気そうです。新しい枝も出はじめてもうジキ葉も出ると思います。たしか枝が伸びはじめたら芽を3つぐらい残して切るとあったようなぁ。。。?そろそろ切り時か?もう一度ネットのページを開いて読んで見ます。この前、油粕をいれておきました。
出窓の羽衣ジャスミンは、暖かい日にベランダに出して太陽光をあてています。夕方からはまた出窓に戻して花の香を楽しんでいます。だいぶ花が多く着きました。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
今までガソリンスタンドのメンバーカードというものは作ったことがなかったのですが、こうもガソリンが値上げされると1円でも安くしたいと思いメンバーカードを作りました。8円から10円安くなります。今日は140円を切っていました。セルフのスタンドでも145円というところもありますからだいぶお徳です。
家から近いのですが、行くと入れ終ってから国道をぐるっと回らなければならないので少し面倒ですが、買い物ついでに行くようにしています。スタンドのオヤジさんも愛想がいいし。。。。気分的なものか?ここのガソリンを入れると車の走りもいいように感じます。ガソリンも車との愛称があるんでしょうか?それとも車もオヤジさんの愛想にご機嫌になるのかな?
若い店員さんの窓拭きは雑だけど。。。(笑)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
夏生さんの「続々ばらとおむつ しげちゃん田んぼに立つ」(角川文庫)が明日発売ですが、もしや今日本屋さんに入っているかもと思いいってみました。やはり出てなかった(笑)明日あらためて買いに行きます。でも、。今芥川賞策を読んでいる最中でして。。。。。

去年だったか、観葉植物の寄せ植えを買ってきたのですが、だいぶ生長して小さな鉢では狭苦しくなったので植え替えました。もう大きくなると寄せ植えというわけにもいきませんから1本づつ鉢に移しました。そのうち1本はよく見ると瀕死状態。。。。生き延びるかな。

今年は黒が流行っていたのでしょうか?
やたらと黒い服を着た女性を見かけました。もちろん喪服ではありません。一人の女性は髪を上げた眼鏡美人。黒というのは顔を引き締めてきりっとした顔立ちになりますね。ドキッとします。そういえば喪服美人というのをよく聞きますが、喪服の似合わないというのはないようで。。。。。

今夜はまた石焼ビビンバにしました。

【2012年】ツイッターつぶやき
新聞を開くと目に留まる記事にどんよりとしてしまう。
「復興予算の半分は手つかず  インフラは8割未執行」「日本4兆円をIMFに拠出検討」「増税案先行提出へ  社会保障法案を分離」「公務員給与7.8%引き下げ  国会議員秘書は対象外」「できなかった放射能拡散測定」「増税に身を切ります ねじれ国会だから定数削減は高いハードル」「橋下氏職員アンケート  不労委が中止勧告  不当労働行為の恐れ」「増税なら政界再編 小沢元代表  維新の八策に同感」。。。。。
税と社会保障の一体改革として進められた消費増税だが、消費増税そのものに反対や疑問が出ている中、この増税を社会保障改革から切り離して先行して決めると。一体改革はなし崩し的に。本来は社会法相の未来図をはっきり決めてからの消費増税の話になるわけだがそれもやらずに今度は社会保障から切り離して消費増税だろうか。
「決められない」二大政党制の矛盾は民主主義があるから決められないのではなくて民主主義が生かされないから決められないわけです。この「決められない」政治を批判して橋下市長の政治が現れたわけですが、その強権さは執拗なまでの公務員切り崩しとなり不当労働行為の恐れがあるとされる。この強権が国政に向けられるのだろうか。小沢元代表がある側面では橋下市長の八策に同感すると。そして選挙がうわさされる中に「選挙に強い小沢」がまた出てくるのだろう。
国民生活のための政治。。。。。ここからのドロップアウトが。
すでに政治が国民生活のためのものというものに収まりにくくなるほどにその矛盾は吹き出ているのだろう。

【2013年】
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
安倍総理が国会で「民主党時代は賃金が下がったじゃないですか」と反論をしたという。
しかし賃下げは自民党政権化において急激に進められたものであり、民主党政権の発足時から下がり方が減り横這い傾向を示していたのではないか?民主党政権は自民党から財界すら離れてしまった中に国民生活を第一に考える政権として生まれた。その政策においては自民党政権にはないものがあった。
賃下げの抑制もあったのかもしれませんし格差の是正の解決への糸口も、年金問題の解決の姿勢、そしてなんと言っても自民党政権下で行われていた原発の安全神話の中での原発事故の対応。。。。さまざまな自民党政権のの矛盾が吹き出た中での政権交代ですから、早い話が自民党政治の尻拭いをしたといってよいでしょう。
そのような政権に対して今の安倍内閣が「民主党時代は賃金が下がったじゃないですか」などと言えたものではないのではないか。
確かに安倍政権は賃上げを言っていますが、それはまだ国民に期待感を持たせる以上のものではなくて、現実には消費増税という増税とそれに関連した物価の上昇そして円高誘導による輸入品の値上がりからの物価上昇により賃金は相対的に下げられるという方向で現実の政策は進んでいる。
そして労働の規制緩和ではさらに派遣労働者を増加させる傾向が見え、最低賃金は低いままに抑えられて先進国としては相当低い賃金に抑えられている。賃上げは一部労働者のものとなりその賃上げは波及するかどうかの保証はない。
次の自民党内閣もそうですがどこの当が政権を担ってもまた安倍政権の尻拭いからしなければならなくなるのではないでしょうか。尻拭いをしない安倍政権より強力な反国民生活の政権は論外ですが。。。。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
駅で妻と待ち合わせをしていたら、旅行などのパンフレットのケースに「Kはなぜ死んだのか」という文字が書かれたパンフレット(講演会)があった。夏目漱石「こころ」に登場するKである。
ここでは「こころ」のあらすじ等は書きませんが、kの自殺と先生の自殺という二つの自殺をどのようにとらえるかでこの作品の重さの解釈が違ってくると思います。
三角関係で敗れたkが自殺をし、「Kを追い込んで自殺させてしまった」先生も自殺をしてしまうという一見単純な小説なのですが、この二つの自殺がなぜ起きてしまったかの解釈は十人十色のようです。
読む者によっていろいろと考えさせられる作品というのはやはり傑作なのでしょう。世代を超えて読んだ者が考えさせられるのですから。
パンフレットの講演会は残念ながらすでに終わっていましたのですが、パンフレットだけはいただいて帰りました。そして考え込みました。
「こころ」との出会いは高校生の国語の時間でした。
「こころ」の授業が終わりになった時、その国語の先生が、「先生がなぜ自殺したと思いますか?これは僕からの皆さんへの宿題です。一生懸命に考えてみてください。」という言葉を残して授業は終わりになりました。
今、思うと大きな宿題を残してくれた素敵な先生だったと思います。
その後文庫で読んだり全集で読んだりして、国語の先生の宿題を思い出しました。
先生の自殺がなぜか、同時にKの自殺はなぜかを考えたとき、先生の自殺がなぜかを理解したときにKの自殺の作品上の位置づけとしてわかるのではないかと思います。そして先生は弟子である「私」にどのような宿題を残したのかも理解できるのではないかと思います。
先生の自殺は、Kを自殺に追い込んだ自分を責めて自殺したのでしょうが、それだけではなくて、先生は遺書に「明治の世に殉死する」と書いています。ただ悔いてつい言自殺するのではないことが分かりますし、「私」にどのような宿題を残したのかがわかります。
漱石の明治批判は文学者として痛烈です。
明治天皇の崩御により明治という時代は終わる。その明治という時代に先生は殉死する。
「私」が父親の死去によって帰郷をして遺産問題について先生の手紙を出す。先生は金というものは人を変えてしまうものだと「私」に忠告する。明治は貨幣経済が急速に発達をした金の社会になっていました。
金と同じく恋は人を変えてしまう。その変わっていく自分を遺書に書きます。
明治は人を大きく変えてしまった社会です。こころが替わってしまった社会です。
その明治が終わるならば、先生は自分という人間も消えなければならないと考えたのでしょう。
これが先生の自殺の真意とすれば、Kの自殺はどうでしょうか?
Kという人間は封建的とは言いませんが古い社会の思考などを残した人間ではないかと思います。古い時代の良い面を残した人間です。
しかし明治はその古い社会を一変させました。
先ほども書いたように金が中心となった社会にもなりましたが、西洋をあらゆる進歩的な思想も入ってきました。その中でKは自身の思考方法の中でこの新しい明治がもたらした思想にも入りきれなくなったのかもしれません。明治の社会に取り残された自分を常に見ていたのかもしれません。そしてこの社会に自分はいらないものと考えていたのかもしれません。その意味で常に自殺を考えていたのでしょう。その自殺のきっかけを作ってくれたのが、「お嬢さん」を好きでいた自分だが、自由恋愛として自分を表現できなかったことで「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と自分を責めての自殺だったのではないでしょうか?
こうしてみると、古い社会である徳川幕府時代が否定をされて、さらに新たな社会である明治も否定をされた。ということになります。
ですから先生は弟子である「私」に明治の後の社会を託すわけです。
漱石の思想にはイギリスで猛勉強する中での西洋思想が強く表れています。
しかしそれはのちに西洋をもう一度否定をして日本人を考えます。しかしその日本人は徳川幕府時代の日本寺院人ではない。
ここには否定の否定から更に発展した社会を考えます。
漱石には弁証法が多く垣間見られます。岩波文庫でも小説以外の講演や短文などを集めたものを読むとわかると思います。ちなみに漱石の戦争観も大切です。漱石と子規の違い・・・・・
明治の後に対象が来て発展しあ太社会に日本は向かいました。しかしそれが否定をされて戦時国家に。またこれが否定をされて平和主義の自由と民主主義の社会に。しかしまたこの社会が否定されはじめています。
戦時国家を否定をして平和な民主的国家がまた否定をされる。ここにも否定の否定があるのですが、これがまた戦時国家に戻ることでは日本の発展はありません。戦後国家も否定されなくてはならない時代です。金まみれで力のある者による何でもあり国家そしてそこからの経済矛盾の拡大。ここを否定しなければなりませんが、先にも書いたようにこの否定は戦時国家ではありません。平和と民主主義をさらに生かした経済的平等社会への発展が必要なのです。
この中で人の「こころ」も変わっていくでしょう。

プレミアム・フライデーで仕事を早く終わり遊ぶ人が出る。
しかしその遊ぶ人のためには忙しく働く人が出る。
外国人労働者やブルカーラー層が忙しく働くことになる。
プレミアム・フライデーはある意味時短です。
しかしよく働くようになった人の時短は?
時給労働者は時短をすれば言及になる。
経済効果だけを考えるとこんな矛盾が出る。

【2018年】ツイッターつぶやき
昨日書いた「遺産としての俳句」の続きです。
上野「遺産としての俳句」に次のように書きました。
「この過去の時間の流れは俳句界にとってはもちろん日本文化にとっても「遺産」です。
しかし俳句の歴史において発展をした過程が遺産だからと言ってそれが「俳句は遺産だ」とはならにでしょう。
俳句自体は遺産ではなくて生きていて未来に向かって発展をするものですから。
俳句自体を遺産としてしまうと伝統的な過去の俳句の歴史がそして過去の俳句自体が俳句であると定義をされてしまう危険性があります。それは俳句を壊してしまう結果となります。」
俳句自体が遺産ではなく、俳句が進化しながら今に至った歴史自体が遺産であるという事です。ですから俳句の歴史自体の遺産をどう引き継ぎ発展させるかが伝統を引き継ぐという事になります。俳句をユネスコ無形文化遺産に残すならば、俳句自体を遺産とすることなく俳句の発展自体そして何を作り上げたかを遺産とすべきなんです。
では、この意味でこの遺産から現代の俳句界は何を伝統として学び、どう発展させるかがその責任となります。
これについて考える一つのための論文があります。先の「遺産としての俳句」でも紹介させていただいた福田若之さんが「有馬朗人氏に反対する 俳句の無形文化遺産登録へ向けた動きをめぐって」を書いています。この論文は、有馬朗人さんのインタビュー記事「そこが聞きたい:世界のHIKU」への批判です。
有馬さんはインタビューにおいて
「豊かな自然あってこその俳句です。学校で子供たちが俳句を学ぶ目的の一つが自然の大切さを知ること。さらには自然を保護する心を養うこと」(引用)
と語り、また俳句の「ユネスコ無形文化遺産登録に向けて」で俳句で世界平和をとか俳句の平和性を書いていますが、これは俳句の歴史からの普遍的な遺産でも伝統でもないでしょう。
自然破壊からの季語の乱れはあるでしょうが、季語の問題からすれば居住する地域の差などからその差をどうするのかを考えてきた過去概算なわけで、自然の脅威を詠むのもまた俳句でしょう。平和をつくるというよりも戦争時にも俳句が読まれ、時には戦争養護のような句もあったかもしれませんし、戦時中にも日常と自然を詠んだものもあったはずです。
つづく

【2019年】ツイッターつぶやき
「「反対」の票は条例で、知事が結果を尊重し、総理大臣とアメリカの大統領に通知することになっている有権者の4分の1を超える勢いとなっています。」(NHK
反対票が多数だったというだけではなくて有権者総数の4分の1を超えたというのが県民の総意となる。
しかしすでに政府はこの県民投票には縛られないことを表明しています。今後世論の大きさ(マスコミのとらえ方)で今後は決まるでしょう。同時に沖縄の新聞は中国語や英語で伝えていますが、アメリカ世論にどのように思いを伝えられるでしょうか。
国内でも軟弱地盤の問題やサンゴの保護への総理発言が問題となっています。
すぐに中止を求めたいと思います。

2019年 2月19日(火)「アベノミクスの成果とは印象操作に等しい」" href="https://blog.goo.ne.jp/yuura2/e/fa1b36f32284976677c7b9a0656d5977" target="_blank">2019年 2月19日(火)「アベノミクスの成果とは印象操作に等しい」
この記事の関連です。

共産党の志位さんがツイッターで書いていましたが、景気回復を実感していないという国民は
「NHK」66%
「朝日」78%
「毎日」74%
「日経」78%
となっているようです。
ほぼ4分の3の人々が実感をしていないことになる。
戦後最長の好景気といわれていますが、国民生活から見れば何のこと?という状態でしょう。
景気回復はアベノミクスの成果ともいわれています。またこの成果を賃上げなどとして配分ともいわれていました。
しかし現実は企業利益と株式での利益など以外の国民生活に良い結果は見当たりません。
戦後最長の好景気という分析には、今問題となっている不正統計や下駄をはかせた統計により導かれている部分がある。このいい加減さのある景気判断から10月の消費増税10%が実施される。
国民は騙されつつ踏んだり蹴ったりの生活になる。

【2020年】ツイッターつぶやき
最近はヘルシーな肉として鶏むね肉が見直されているようですね。そして値段も安くていいのですが、どうも火を通すとパサパサした感じがありますね。
でも食いなれるとそのパサパサの中にも風味はありおいしいです。
昨夜はこの鶏むねに気を使って梅紫蘇揚げにしてみました。せっかくのヘルシーな肉も上げてしまってはヘルシーではないかも。でも植物性の油ですからまぁいいかなと。。。。。
鶏むね肉を薄くそぎ切りにして青じそと梅干を挟みます。それを天ぷらのように揚げるだけです。
油で揚げたせいかしっとりしているような?梅干しや青じその水分の効果か?
肉があっさりしていますからいくつでも食べられます。
揚げたては塩で日本酒のつまみ、おかずとしては醤油で食いました。

【2021年】ツイッターつぶやき
麻生さんが
「国債発行が巨額となっている現状について、財政運営への信認が失われて国債・円の信認も消失し、インフレを含めて国民生活に多大な影響が及ぶことを懸念」
と、国家財政の赤字化の懸念と国債発行増への懸念を示したが、反面
「緩やかなインフレが期待されているのであり、政府の基礎的財政収支の黒字化のみを切り取って指摘するのは適切ではない」
と、財政支出の赤字を黙認するかのような発言もしている。
(以上引用はロイター
財政赤字の中、国債の発行がさらに進めば国の信認が揺らぐ。ここから増税が浮上するでしょう。
すでに消費増税15%もうわさされはじめている。
そして「政府の基礎的財政収支の黒字化のみを切り取って指摘するのは適切ではない」ということからさらに公共事業などへの支出増が言われているものと思われる。
消費増税と公共投資のセットはすでに安倍政権での消費増税と企業へのバラマキで見えていた。
アベノミクスの失敗からのこっそり隠れてのアベノミクスの死語化。財政赤字の改善は消費増税でというアベノミクスの変質。
コロナ後の経済の混乱と国民生活の低下はこのままだと避けられませんね。

【2022年】ツイッターつぶやき
ロシアがウクライナに軍事侵攻を行ったというニュースが流れました。
アメリカバイデン大統領がロシアによるいくら否ウクライナに対する軍事行動が近いと言っていました。
ロシアプーチン大統領は軍事侵攻はないと言っていました。
現象面を見るとバイデンさんの主張が現実になったと思われますが、そうは単純なものではなさそうです。
以下ハフィントンポストを参照しました。
ウクライナ東部で紛争が続いて中、停戦合意がロシア、ウクライナ、ドイツ、フランスの4か国で行われました。これをミンスク合意と言われるものです。
ドネツク、ルガンスクの2州もウクライナ領とされましたが、一方ではこの二つの州には「特別な地位」が保証されそれはロシアとしては自治権でこの中には外交権があり、2州がNATOに入らないとすればウクライナ自体もNATOに入れないという解釈です。
そしてプーチンさんはウクライナは停戦合意を守っていないとして2州の独立を承認した。
ロシアはこの新たな独立国のために軍を派遣したという論理となる。
ウクライナが停戦合意を守らなかったという中身はNATOに参加をするということでもあり、2州に対するウクライナの何かしらの行動があったものと思われる。
こう見ると単純な軍事侵攻として片づけることができなくなるというのがプーチンさんの計算かもしれない。
安保理も開かれましたが各国の声明も出はじめています。
日本は
ロシアが独立を承認した地域への制裁措置として
1.関係者のビザの発給停止と資産凍結
2.この地域への輸出入の禁止
3.ロシアに対してはロシアの国債などの日本での発行・流通を禁止する
としました。(NHK)
ロシアが独立を承認した地域への制裁のとどまっていますが今後巻き込まれていくでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
イエール大学の成田さんという方が高齢者は集団自決しろと発言したことがネットでも問題化している。
以下ツイッターより
高齢者は集団自決なんてする気は全くないよ。
どうする?
でも政治やこの人たちのような人が個々人を自決せざるを得ないようにするけどね。
この人たちのバカげた言葉に乗っかって世代間を分断しようとする若い人も多いと思う。
でもねぇ、自分たちが高齢者になった時を考えてみればいい。今の高齢者よりも悲惨だよ。
悲惨というのはまさに「集団自決」させられる社会がやってくるということ。もっと若いうちにね。。。。。。
「集団自決白」なんて言葉を使う若い人がいなかった健全な昔でも、高齢者がいるから賃金が上がらないとヒステリックな言葉に乗っかって、高齢者を「窓際族」と揶揄して排除しようとした。
でも、結局は若い人の賃上げもなく今では賃下げになっている。
能力主義や成果主義という言葉に騙されて。。。
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2024年 2月23日(金)「政治倫理審査会非公開」

2024年02月23日 22時07分08秒 | 「政治・経済」
パティ収入の横流しと申告もせず脱税をする。自民党は、政治倫理審査会には60数名の議員のうち6人しか出席をさせず、その内容は非公開だとする。
政治倫理審査会は原則傍聴は禁止されているそうですが、これは国民に知らせることそのために報道関係者が入ることを意味するのではないでしょう。国民も報道関係者も傍聴人ではない。報道で知る国民は傍聴人ではないでしょう。
国民の知る権利を傍聴はさせないで切り捨てる論理は間違いです。
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池に浮かぶ月2168【2月23日】

2024年02月23日 20時30分19秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は国債残高について。
1200兆円ほどの国債が発行されていますが、それは「国民」の財産であり、(国民)の借金でもあります。
この場合の「国民」と(国民)に違いがありますね。「国民」とはいえ、それは企業などもあるでしょうし富裕層でマります。(国民)は国債などを持たない国民です。仕組みとしては国を媒体として(国民)が「国民」に返済させられているということです。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 2月23日(木)「国の借金」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「2月23日という日」

2024年02月23日 08時08分02秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
パティ収入の横流しと申告もせず脱税をする。自民党は、政治倫理審査会には60数名の議員のうち6人しか出席をさせず、その内容は非公開だとする。
政治倫理審査会は原則傍聴は禁止されているそうですが、これは国民に知らせることそのために報道関係者が入ることを意味するのではないでしょう。国民も報道関係者も傍聴人ではない。報道で知る国民は傍聴人ではないでしょう。
国民の知る権利を傍聴はさせないで切り捨てる論理は間違いです。

≪過去の記事

【2004年】
このところすごい風です。昨夜は台風みたいな雨風でした。
今日も強い風が吹いて、洗濯物が飛ばされそうです。
川上さんの「椰子・椰子」を読み終わった。なんだかなぁ・・・・
今は唯川さんの「病む月」を読んでいる。どよ~ん・・・・・
4月は、夏生さんの新刊「雨は見ている川は知っている」!!楽しみです。

【2005年】
風が強いです。
でも、この風は春の風。。。。
娘も携帯を持つようになりました。しかし携帯が普及してきた我が家も通信費(インターネットも含め)は、昔に比べて倍以上になった気がします。家族みんな節約をして使っているのですが、それでも基本料だけでも高いです。
こう通信費が増えると、おのずから他の出費を削るようになります。僕は着るものかなぁ。。。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
昨日の日記に関係したかいさんの掲示板への書き込みのお返事。。。
「北朝鮮のミサイルが日本に向けられているというのもある意味事実かもしれませんが、日本といってもアメリカ軍基地なのかもしれません。だからアメリカが脅威を感じる。
テロの脅威も、アメリカでさえ間違いだったというイラク戦争に日本が参戦したからこそ脅威が高まったのかもしれない。
テロと北朝鮮の脅威という常識にも裏を返せばいろいろな見方ができます。このいろいろな見方のある「事実」を「そりゃそうだ」と安易に考えた改憲という常識。。。。。

今や「福祉社会」という言葉が死語になりつつあります。
福祉社会というのは、社会システムにおいて福祉を充実させるという考え方だと思うのですが、年金も含めて個人による解決になりつつありますね。貧乏人が貧乏人同士で相互扶助をするというのでは福祉はみすぼらしくなります。」
この前のような冷たい雨ではなくて、今日の雨は春の雨。。。。。
一雨ごとに暖かくなるでしょう。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
ぼうっとしていると不意に頭の中にある「思い」がよぎる。
そう、思いでありそれは感情?
心が複雑な動きをしていきます。
この瞬間では思いは思いだけであって外からのさまざまな刺激が心に波となって打ち寄せただけです。この波を受け取っているのですがそれはざぶんとかぶったような感じです。
そこで人はそれを言語化します。はじめは五感で感じるものだけであったり、心の言い知れぬ感情の喜怒哀楽であったりがぽつんと言語となって心に現れる。まぁ、独り言は別にしてもこの段階ではまだ言語化の初期で何も生まれていない。
そこで考えたりさまざまな外界からの波を言い表す。「はるだなぁ」というものから何が春を感じさせているのかとか。それをもっと複雑な言語にしていく。心にまとまったものが言語化されて考えていきます。
しかしこれはまだ表現ではない。表現となるには言語化された心の中のものを口から具体的に発せられなければならない。あるいは体の動きとしても。そして文章として発せられなくてはならない。ここで始めて表現の芽生えに達する。
しかしこれはまだ表現の初期である。心の中で言語化されたものはまとまりのあるものでもなくある意味言葉の羅列である。これを理路整然とした話や文章になってそれは表現となる。
心の中でいろいろと考えている段階は知っていることにはならない。
詩は、案外この初期段階の心に浮かぶ言葉そのままなのかもしれない。考えることというものを省略した言語か。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
大阪橋本市長の職員へのアンケートがその中身によっては不当労働行為に当たるとした中止勧告が出た。
アンケートの趣旨は、労働組合や選挙活動への関与を問うアンケートという位置づけだが、朝日新聞37面で報道されるアンケートの中身を見れば不当労働行為の面は否定できないだろう。
国家公務員の政治活動については明確な規定があるが地方公務員についてはどうなのだろう。また市の職員であると同時に労働組合の組合員であるわけで、労働組合が認められる中で労働組合員としての政治活動はある程度は認められるべきだろう。
職員の立場を利用した(たとえば福祉関係の職員がその福祉を使って市民に投票依頼をしたというような)政治活動はもちろん否定をされねばならないが、一人の人間としてその政治立場を明らかにした政治活動は認められるべきだろう。公務員の地位を利用した政治活動、公務員の身分のままの立候補、属する地域での政治活動。。。。これ以上のものを禁止したり罰則を与えることはどうなのだろうか。

【2013年】ツイッターつぶやき
今のデフレを賃上げで脱却できるか?
答えはアベノミクスではデフレ自体あるいはデフレ圧力からは脱却できないのではないかと思う。
政府も賃上げを言うが、財界は企業業績が上がって景気が回復したら賃上げは無理だがボーナスで何とか。。。という感じである。テレビでやっていましたが企業の業績アップが目に見えるようになる(円安による業績アップではない景気の回復からの)は半年一年かかるというように賃上げは空手形にもなるかもしれません。世界中で景気の足を引っ張る材料がごろごろしているわけですから。
そもそもデフレからの脱却がイコールインフレではないのである。だからインフレ目標2%とはいえ実態は円安による物価の高騰だけである。物価の高騰は確かに商品の値下げ傾向をストップさせるが、これは景気の上昇による経済的インフレとは全く別物なのである。ですからここに賃上げがされたとしても物価高騰分を埋められればいいほうで、消費の拡大は望めずにデフレ傾向は続くでしょう。アゴラの記事に「賃上げでデフレ脱却は可能か?」という文章があるが、たしかに労働者の将来不安からの貯蓄志向は減らないし賃上げも貯蓄に回ることもあるが、円安誘導での物価の高騰があればまずはその物価の高騰により賃上げは帳消しになり、貯蓄の増加とは言っていられないでしょう。ですから貯蓄がどうのという事ではないのです。
また、賃上げはデフレからの脱却が目的ではなくてその間には景気の回復があるわけで、賃上げは景気の回復につながるという事です。その景気の回復による消費の拡大がデフレを脱却できるし、この消費が加熱するとインフレになります。デフレも困るがインフレも困るわけです。健全な経済活動においては。
日銀関係者が言うように2%のインフレ目標には4%の賃上げが必要だという分析が正しいでしょう。もちろん物価高騰ですから4%で足りるとは限りませんが。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
毎朝、朝の連続ドラマを観ています。
連続ドラマには必ずと言っていいほど戦争時代が出てきます。戦争の悲惨さや社会の荒廃がある程度表現をされて戦争は嫌だ、悲惨だ、怖い、人を変えてしまう、、、などと考えさせられる面もあると思います。
しかしそのあとに戦後の復興がはじまり「豊かな暮らし」へと進みます。
ここでもまた平和が良いと感じさせられるでしょう。
でも、視聴者はドラマの画面に向かって、戦争はあと1年で終わるよ、頑張ってという気持ちにもなる。戦後日本は平和になるからと。これは歴史を知っているから言えることで、同時にヒロインは死なずに戦後を迎えられると知っています。ここでなぜか戦争の悲惨さも忘れてしまうのではないかと思います。
戦争があっても日には平和な社会になる。。。。。
こういった気持ちが戦争に対する感じ方を変えてしまうのかもしれません。
これからの社会は戦争に向かう危険性が大きいでしょう。
しかし次の戦争が同じように平和で豊かな国を作り上げ保証は何もないわけです。もしかしたら核兵器で国民が多く死に、占領される時代が長く続くこともあり得る。経済は停滞をして豊かさが失われるかもしれない。
そこにいる自分はいつ戦争が終わるかもわからず、戦争が終わるまで生きているかはわからない。
連続ドラマのような感覚ではいられないでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
霧雨の中を歩いた
そしたら、霧雨ほどの雨粒が
どんどん傘に積もってしまった
重い。。。。
   (旧ブログから)
寒が戻り寒い日が続いています
昨日はちらちらと淡雪が。。。。
今日は朝から霧雨です
足取りも重くビニール傘をさして歩きました

2017年2月に「俳句を世界文化遺産に?」を書き、今年2月には「俳句のユネスコ無形文化遺産登録」を書きました。
そして「俳句のユネスコ無形文化遺産登録」の最後に
「それでは俳句文学を作り上げている方がどう思っているのか?ここも大切で、一部の俳人が世界文化遺産に動くことは片手落ちです。時間があればこの点も。。。。。」
と書きました。
ユネスコの世界遺産自体についても様々な意見があるでしょう。そうならば俳句の世界遺産化についてはさらに多くの視点からの意見が出て当たり前です。世界遺産化に向けては俳句4団体そして議員や自治体も動き出しています。これらの集まりであるユネスコ無形文化遺産登録推進協議会は俳句文化の中では多数派となり一定の力もあるでしょう。これに対して疑問や反対意見は少数派となります。政治の世界をはじめ社会の隅々において多数派の力が圧倒的な力を持ちますから世界遺産への動きも多数派の中で進められるでしょう。しかし俳句というものは文学なのですから一つの形にはめてはいけないことです。少数派の意見も十分考慮しなければなりません。
とはいっても俳句というものは文学ですからユネスコ無形文化遺産登録推進協議会の動きに関係なく発展はしていくでしょう。同時に、俳句がユネスコ無形文化遺産になれば俳句が一つの定義の中に抑え込まれる危険性があり、上記した「俳句のユネスコ無形文化遺産登録」に引用もしたようなうわべだけの俳句論が広まってしまう危険性もあります。そして政治的な利用としては、今「日本はすごい」といった宣伝がたくさんなされている中で俳句が世界に認められているといった過剰な宣伝にも使われること危険性も。
一つ言えるのは、外国人が日本文化全体あるいは俳句に理解を示していることは外国人が日本文化をよく見ているという事です。そうならば日本人は排外主義を克服して外国文化の理解に努める重要性を子供たちにも伝えるべきでしょう。そうすることにより俳句を通して「日本はすごい」だけではなくて世界の文学にはすごいものがたくさんあることを理解させることができるでしょう。
さて、それでは「俳句のユネスコ無形文化遺産登録推進協議会」に対して疑問がどのように少数派から出ているかをみましょう。
まず俳句は遺産かという疑問があります。
これについては「週刊俳句」のサイトに
俳句を「遺産」として扱うことについて
ベンヤミンのテクストとその翻訳を手掛かりに
福田若之
というものがあります。
ここではこの論文の中身について検討するというよりも感想を含めて自分の考え方を書きたいと思います。もちろん感想ですからこの論文の中身に沿いますが、解釈は僕の独断ですのでこの論文には責任はありません。
俳句は文化遺産か?
「遺産」というと過去のものというイメージが強くなります。
遺産を受け継ぐ。。。現代の人々が過去のものを受け継ぐこと。
たしかに俳句には古くからの歴史もありますからその過去のものを受け継ぐという意味では俳句も遺産という事になります。発句は31文字から17文字が独立されたはずですからそこには飛躍があった。松尾芭蕉が元禄俳句を広めて庶民化させたことは飛躍があった。明治になり正岡子規が月並み俳句を排して詩の世界としての俳句を広めたことは飛躍があった。飛躍とは進歩という事で、俳句は進歩そして発展をしながら現代にいたっているわけです。この過去の時間の流れは俳句界にとってはもちろん日本文化にとっても「遺産」です。
しかし俳句の歴史において発展をした過程が遺産だからと言ってそれが「俳句は遺産だ」とはならにでしょう。
俳句自体は遺産ではなくて生きていて未来に向かって発展をするものですから。
俳句自体を遺産としてしまうと伝統的な過去の俳句の歴史がそして過去の俳句自体が俳句であると定義をされてしまう危険性があります。それは俳句を壊してしまう結果となります。
過去の伝統だけに縛らた俳句の定義は死んだ俳句も同然です。ここに俳人の少数派としての批判や疑問が出るのも当然でしょう。
しかし俳句の発展とは何かが問題になります。
過去の伝統をまるで無視をした俳句は発展とよべるのか。。。。。
発展とは過去からの発展ですから、過去の俳句嫌俳句の考え方そして伝統を残しながらでなければ発展はありません。過去の俳句に発展性が見えないという矛盾を解決するという事は、その過去の俳句からどう発展させるかです。月並み俳句という矛盾をどう発展させるかはその俳句すべてを否定することではなくて月並み俳句もそれ以前の俳句からの発展にあるわけですから、月並み俳句からの発展は、否定の否定です。一度否定をされて新たな俳句が生まれたがそこに矛盾が出たらさらに否定をされなければならない。しかしその否定はそれ以前の俳句に戻ることではない。新たな俳句が生まれるのです。
これが発展です。
次は俳句の伝統とは何かという事になりますが、これは次回とします。
最後に福田若之さんの「俳句を「遺産」として扱うことについて」の最後の言葉を引用しておきます。
「まずは現在に対する感覚を研ぎ澄ませることだ。そして、その現在に対する研ぎ澄まされた感覚によって、過去の出来事の名残りが今日的なものにまで響きわたろうとするその機会を捉えることだ。ほかならぬ過去こそが、そのつどいまここにおいて、そうした聞き分けを要求しているのである。」

【2019年】ツイッターつぶやき
最近は出かけても和式のトイレは少なくなりましたね。
ドライブに行くとサービスエリアの女性トイレは行列を作っていますが、妻の話では和式トイレは空いているので早めにトイレに入れるそうです。
和式トイレは敬遠されているのでしょう。僕も和式と様式療法両方があれば様式洋式に入りますが。
お年寄りや妊婦の方は和式では苦労すると思います。
最近和式トイレを使ったことがないというお子さんが増えているそうです。
学校ではまだ半分以上が和式だそうですが、洋式トイレが開いていないと我慢をしてしまうそうです。就学前に練習も必要のようです。
10代の若い方はどうなんでしょ?和式で用を足せないという人もいるかもしれませんね。
ドライブで地方の方へ行くとたまにボットントイレもあります。さすがに入るのを躊躇することもあります。
子供のころは東京とはいえ汲み取りのトイレが多かったです。肥桶で集めていたのをうっすらと覚えています。畑には肥料として便をまいていました。すぐにバキュームカーが来るようになりましたが。。。。。。。
ボットントイレは別としても、東京でもトイレがきれいになったというのはそうは昔ではありません。便所からトイレットへ。。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
隔離(7)の続きです。
クルーズ船の乗客で下船後陽性となってしまった方が出てしまいましたね。
アメリカやオーストラリアの上極も多くの陽性反応が出ていますので、この日本の方も必然的とみてよいのかもしれません。今後陽性が出ないよう祈るばかりです。
そもそも下船された方23人がウイルス検査さえ忘れられています。
船内で働いた医師や看護師は経過観察もされないというニュースもありました。
厚労省でしたっけ、調査に入った職員はそのまま下船後仕事についているという。
このような実態の中で、今後罹病者が増加しなければいいのですが、それ以上に日本社会に不安が広がったりパニックになったりすることが拡大しなければいいと思います。そしてこの不安やパニックが経済活動にも影響して物不足などが生じればさらに社会が混乱するでしょう。
政府の専門家会議もどんよりするような実態。。。。。
大臣もほかの用事で欠席してしまうし安倍総理もグルメ三昧のようなニュースも。
それでも政府が暢気にしていられるのは、数の力という決められる政治が続けられるからです。
官僚は内閣に人事権を握られ、マスコミも忖度。三権分立もどうなんでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
日本でもコロナウイルスワクチンが医療従事者から始められた。
しかし行の担当大臣の発言によれば接種の日程がどうなるか今だはっきりせず一説では国民すべてに摂取するには秋にずれ込むのではないかと言われている。注射針からして6回接種のところ5回までしか接種できないことから今になって注射針を作りはじめている。
自民党内では2回接種のところ1回にするということが検討されはじめているとも。
NEWSWEEKによると、早くからワクチン接種を行っているイギリスにおいてもロックダウンを急げばまた新規感染者や死亡者が増加するとも言われている。また接種を1回にすれば若い医療従事者でも再感染の防止効果が70%であり、高齢者に至っては57%に減るそうです。まだワクチンを接種しながら効果を確認している状態のようです。もちろん副反応についても調べている団塊でしょう。
またオリパラでの入国者にワクチン接種を条件にすることもなくなるようである。
日本国内でも接種のスピードが遅れ、海外からは接種しない人たちが入国をする。もちろん水際作戦は日本が不得意とするところである。
ワクチン一つ見てもオリパラの開催は無理のように思える。
たしか、3月に入ると開催の最終決定があるはずです。IOCも日本政府も開催中止を全く考えていない発言が続いていますが、現実にはどうなんでしょうか。
ワクチンへの信頼(安全性と副作用)についても政府からは説明がないままです。
この中でワクチンに頼るオリパラ開催なのですが、そのワクチンに摂取にしてもちぐはぐな状態です。

【2022年】ツイッターつぶやき
コロナの専門家ってなんでしょ?
最近はオミクロンの減少傾向が出てきたので「出口」が検討されはじめているようです。
しかし新規感染者数が増加傾向を示しさらに増加が顕著になった時にまん延防止を出し、新規感染者が減少しはじめたらまん延防止を解除する。これは何も専門家でなくてもできることで、僕のようなオヤジでもできるでしょう。
しかしこのような専門家の動きがずっと続いていますね。
現在新規感染者数が減少しはじめた時こそ大規模な検査体制や隔離に必要な医療体制そして自宅療養者への生活支援などを準備すべきなんです。ある程度の下げ止まりが必ずありますから、その感染者数が少ないときに徹底した検査を行い入院等の隔離を行う。下げ止まりを下げ止まりにしないことが大切です。もちろん新規感染者数が増加傾向に移った時も同じです。感染者数が少ないときの検査や隔離は医療体制を守るでしょう。
今回のオミクロンでは尾身さんをはじめとした分科会の動きが当初全く見えませんでしたね。感染拡大に入ってからまん延防止だと急に出てきた。専門家さえオミクロンは風邪のようなものだと考えていたのでしょうか。。。。
専門家政治家に対して対等でなければならない。
同時に分科会などに経済学者などは入れてはいけませんね。

【2023年】ツイッターつぶやき
国の借金が1200兆円ほどでしょうか?
人によっては国民の借金だという人もいれば、金を国に貸しているのだから国民の財産だという人もいる。
どちらも正しいのでしょう。
国債は日本国内で買われているという。
すると国債を買う国民と国債の借金を返す国民が同時にいるわけです。
国民という言葉がまやかしですね。
国債は個人でも買っている人がいるでしょうが、富裕層や企業が買っているのではないでしょうか。
すると同じ国民という言葉を使えば、国民の借金でもあり国民の財産でもあるという変なことが起きます。
財産としている国民と、その借金を返す国民がいるということです。
もちろん今では日銀が買っているのですが、日銀に売ってその金で金融商品を買うのでしょう。
国民という言葉は漠然としたものですから怖いですね。
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2024年 2月22日(木)「世界の亀山は元気だが・・・・」

2024年02月22日 22時15分46秒 | 「思うこと」
我家の世界の亀山テレビは元気ですが、どうもリモコンが壊れたらしい。
どのスイッチを押しても、電池を交換しても、うんともすんともなくなった。。。いきなり・・・・・
我が家はずっとシャープのテレビで、昔のリモコンが埃だらけで見つかりました。
電池を入れたらどうにか動いてくれました。
明日リモコンを買ってこよ。
我家の世界の亀山は、発売が終わっていて量販店に1台だけ残ったものを買ったのですが、もう、何年になるかな?
一度も故障らしきものはないし、画像も音声もきれいです。
来客があると世界の亀山が自慢です。
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池に浮かぶ月2167【2月22日】

2024年02月22日 20時18分24秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は東海第二原発の非常用電源が喪失されました。
運転休止中でしたからまだよかったですが、運転中だったら、福島原発と同じことが起きる可能性があります。
こうしたインシデントは多くあり、住民避難は確立されていません。
また事故は起きないものという神話が。しかし非常用電源が心もとない。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 2月22日(水)「東海第二原発非常用電源喪失」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「2月22日という日」

2024年02月22日 07時57分40秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
我家の世界の亀山テレビは元気ですが、どうもリモコンが壊れたらしい。
どのスイッチを押しても、電池を交換しても、うんともすんともなくなった。。。いきなり・・・・・
我が家はずっとシャープのテレビで、昔のリモコンが埃だらけで見つかりました。
電池を入れたらどうにか動いてくれました。
明日リモコンを買ってこよ。
我家の世界の亀山は、発売が終わっていて量販店に1台だけ残ったものを買ったのですが、もう、何年になるかな?
一度も故障らしきものはないし、画像も音声もきれいです。
来客があると世界の亀山が自慢です。

≪過去の記事≫

【2004年】
風もなく暖かいです。
いつも家族でドライブなどに行きと昼飯でもめる。昨日も娘と二人で出かけたが、昼飯を何にするかでもめてしまった。僕はせっかく海に来たのだから回転寿司にしようといったら、娘はファミリーレストランが言いという。仕方なく僕が折れてファミリーレストランを探したが、探すときはない。結局2時くらいになってどよ~んとした中華やさんに入った。
なんか腹が減ると些細なことから喧嘩になる。。。。。

【2005年】
春一番!?
テレビを見ていたらこんな言葉があったような。。。。
そういえば日中は暖かでした。
角田さんの「対岸の彼女」をまとめ終わりましたが、まとめながら考えているうちにこの作品の良さがわかったような気がします。角田さん。。。。いいなぁ。
さすが直木賞です。

「対岸の彼女」 角田 光代  著
小夜子は結婚後仕事を辞めて専業主婦となり、3歳の女の子あかりを育てている。あかりを見ていると、友達を作るのが下手だ。そんなあかりの姿は自分の姿でもあり、小夜子あかり親子は公園デビューに失敗した。あかりも保育園にでも入れば友だちもできるだろう。。。小夜子は軽い気持ちで働きに出ることにした。
求人折込で見つけたのは小さな旅行会社だった。いろいろなところで面接を受けたが、すべて不採用になり、ここもだめかと思いつつも面接に行く。旅行会社の社長は、小夜子と同じ年の葵。それも同じ大学を卒業していた。そんなことで採用となる。
葵は、大学を出てすぐに学生気分も消えないような小さな旅行会社を作り、未婚のまま今に至っていた。キャリアウーマン・起業家としてちょっとした講演にも出かける。
このように小夜子と葵は、その生活環境としてはまったく違った生き方をしてきたが、そんな違いがあるにしてもだんだんと近づいていく。
この作品は、小夜子の生活と新しく始めた仕事とのかかわりそして葵という一人の女性とかかわりがとつとつ語られていくと同時に、葵の高校生時代の友達ななことの関係が葵の言葉によって語られていく。この小夜子の言葉に現れる心の中と、葵の言葉に現れる心の中、これが交互に何の関係もないように平行して語られていくのである。小夜子は葵との関係が深まるに従い葵の過去を知り、二人がとつとつと語る現在の小夜子の心と過去を背負った葵の心が最後に結びついていくのである。
小夜子は、自分の娘が友だちに溶け込めないことに不安を持つが、それは自分自身の姿でもあり、公園デビューの失敗も小夜子自身の問題だった。子供を保育園に預け働いている小夜子が、専業主婦の集まるお茶に行くが、その中で話されるのは他の人の悪口であり、保育園の子供。。。。という偏見でもあった。途中で抜けた小夜子は思う。自分ガザをはずしたらその後は自分のうわさだろうと。たしかに人の輪の中に入っていけない自分があるが、その人の輪も人と人との関係の希薄さのあるものである。義母の小さい子を保育園に預けるのはかわいそうという見方。
小夜子の仕事は、旅行会社でもあるにかかわらず、新規事業としての留守宅の清掃であったが、夫の「掃除おばさん」という言葉、軽んじられる言葉。ここにもお互いの気持ちが通じ合わない人間関係の希薄さがある。
小夜子自身が溶け込めないという自己嫌悪的なものと、現実の生活の中にあるさまざまな人間関係の希薄さ。ここの対立が見える。
葵は、いじめにあい高校は母親の実家のほうにして家族で引っ越した。高校ではいじめにあわなかったが、その中にはグループができ、その中でのいじめを目にする。そのいじめられるというものはひょんな小さな出来事からはじまり、いつ自分がいじめの対象になるのかわからない状態である。仲良しグループだったものがその中においていじめがはじまる。ここに人間関係の希薄さがある。
葵にはななこという一人の友達ができる。ななこは一人ぽつんと学校で過ごす。友だち関係を「あんなの一番大切なものではない」というようなこと(引用箇所が見つからない)をいう。ななこは、家庭の中でもその環境から一人である。希薄な人間関係。その中でその輪に溶け込めないことの対立。
葵は小夜子に言う。「私たちの世代って、一人ぼっち恐怖症だと思わない?」
いじめにあったり、社会一般の常識の中でつまはじきにあったり、このような人間関係の希薄さの中においても一人でいる不安はある。不安はあるがその輪には溶け込めない。何か本物を見つけようとするがそれがどのようなものかはわからない。逃げてしまっても何の解決にもならないし、何か新しい世界があるわけではない。
人は皆「一人ぼっち恐怖症」なのである。
いじめをしたり偏見で人を見ること。これも一人ぼっち恐怖症の現れである。グループという集団心理の中で生まれる恐怖からの逃げであり、自己満足なのである。
小夜子のぶつかりは大人社会のものである。葵の思い出は思春期のものである。ここに大人も子供も何に違いがあるのか。小夜子は思う「私たちは何のために歳を重ねるのだろう」。大人になっても人の心や行動には大差はないのである。
川を挟んでこちらには自分がいると小夜子は思い描く。川の対岸には葵とななことがいる。今の大人としての小夜子に対して思春期の葵とななこが。。。。対岸の彼女たちに小夜子は駆け寄っていく。葵と二人っきりで再建しようとする会社に葵という一人の女性の中に、葵という女性は一人の女性としての小夜子の中に、何か本物を求めたのかもしれない。人間関係の希薄さの中に生きなければならないが、その中にはきっと本物もあるのかもしれない。もちろんそれがいつか終わりがあるにしても。これが歳を重ねていくというものだろう。

【2006年】
公園の木の下を通り、桜の枝を見上げたら小さな固そうな蕾が見えました。
暖かな一日でした。
どうやらプロバイダーのメンテナンスも終わりホームページも復活!同時に掲示板も見えなくなりましたが、こちらもサービス会社のメンテナンスだったようです。同時に二つのネット会社がメンテナンスだったなんて偶然ですね。両方が見えなくなってしまいあせってしまいました。
まずは、ネット会社のメンテナンス障害情報を確認するのが基本ですなぁ。。。そうしないとパニック状態です。

【2007年】
世の中には「常識だろ!」という言われるような事柄がたくさんある。
しかし、この「常識だろ!」という事柄を発想を変えて180度違う視点から見ることが必要で、その常識の中身は違ってくる
「格差はどこにもあるもんだ」ということもたしかに正しい常識だが、これを発想を変えてみると、「格差はどこにでもあるものだから格差が広がってしまうのもそれは当たり前だ」と見るのか、「格差はあるのは事実だが、この格差を縮めることを考えなくてはならない」ということもある。前者を常識としてみるのか、後者を常識と見るかによって「格差はどこにもあるもんだ」という常識にも考え方の違いによりその常識はまったく違うものになる。
格差の拡大による矛盾が多くなっているとき、事実として格差はかなあらずあるという常識の中、これを当たり前の常識だと片付けるのか、矛盾が出ているのだから格差の是正をするというのが当たり前だという常識を持つのか。
「格差はどこにもあるもんだ」という常識を「そりゃそうだ」とその常識を受け入れるだけではだめだということだ。

【2008年】
昨日、洗濯物を干していたら西よりの少し強い風が吹きました。春一番には少し弱い風でしたが温かくなりました。こうも日中は風もなくて暖かでした。
でも、すぐに春!とはならないようで、もうひと雪ぐらいありそうです。
明日は夏生さんの新刊が出ます!!
勇み足だろうとはわかっているのですが、明日は土曜ということもあるのでもしや今日にも書店へ?と。。。やはり勇み足でした。。。。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
以下、5年ほど前に書いた感想ですが、今、アラブ世界(西アジア)が混沌としています。石油という資源による莫大な資金が集まるがその富は一部の王族や独裁的政権煮に集中する。その石油という利権にアメリカを中心にした先進国や旧ソビエトが介入といっても良い力を及ぼし時にはカイライ政権というような権力ができる。ここには民主主義とかいうようなものでは済まされない経済的なエゴイズムもあるだろう。だから王政だろうが独裁であろうが関係なく利権政治は支持をされ、先進国の利権という国益に西アジアは翻弄される。しかしそれはアラブ・西アジアの主権の問題であり、自国民の民意がどのように反映されるかにある。
同時にその自国民の意識は宗教に大きくかかわる。反キリスト教でもあり、しかし実際に大きな力を見せているのはキリスト教国の力である。
宗教は難しいものがあります。アラブ世界の多くがそしてキリスト教もそうかもしれませんが、一神教の中での絶対的な神ですから、八百万の神々(自然神)の中に無意識にも生きる日本人には理解できにくい宗教観でもあり、その激しさにいたっては理解しづらいものがある。
100年ほど前の明治の世に村田先生はトルコに行く。そこには神がいて日本の神が村田先生についてやってくる。ある意味宗教とは?と問うようなファンタジーではないかと思います。また、日本人の八百万の神々の世界にあるなんともいえないのんびりしたものを感じます。梨木さんの宗教観はわかりませんが、アラブ世界の宗教観を知るといったことではなく、神々と人間を考えるということは今の情勢でも意義あることかと思い感想を転載します。
僕は角川文庫で読みました。関連本としてのこの作品に先立って書かれた「家守綺譚」もすばらしいファンタジーの世界です。


村田エフェンディ滞土録
                 角川文庫
               梨木 香歩  著
エフェンディとは、日本語で言えば「先生」である。
村田先生のトルコ滞在記。。。
「先生」とは、もちろん人々からの尊敬をこめた称号のようなものである。しかし「先生」という言葉の中には、たとえば、夏目漱石の「吾輩は猫である」にある教師クシャミ「先生」といったようなどこか太平の世に生息するのんきさを感じる意味合いもある。クシャミ先生を観察する猫はどうもクシャミ先生より賢そうである。哲学的である。鸚鵡(オウム)が「友よ」「いよいよ革命だ」とわめく。。。エフェンディ村田よりどうもこのオウムのほうが賢そうでもあり哲学的である。「家守綺譚」の綿貫征四郎より賢そうな飼い犬「ゴロウ」のように。
そんなエフェンディ村田の物語。
オスマントルコ帝国といえば、世界史で広大な領土を誇った世界地図をうっすらと思います。そんなオスマントルコは徐々に崩壊をしていく。この辺の歴史については、ウィキペディア「オスマン帝国」「青年トルコ人運動」同「革命」を読ませていただきました。そして参考にさせていただきました。
そんなトルコ(土耳古)に、村田は明治政府を通じて土耳古皇帝の招きで歴史文化研究のために滞在していた。218ページに、村田が帰国後7,8年たった年に「土耳古青年党完全勝利」(1908年の青年トルコ人革命か)との記載があることから、村田がトルコに滞在したのは1900年前後のことだろう。日本は明治の代で明治33年前後ということになる。帰国後の1904(明治37)年には日露戦争が起きているはずである。そして世界は、1914年の第一次世界大戦へと向かっていく。トルコはドイツに近づき、日本は日英同盟の中で参戦する。
この作品には、このようなトルコの中に見る政治的背景があるものと思われ、「青年トルコ人運動」の地下組織が見える。しかし作品自体は、梨木さん特有なファンタジー性の強い作品であり、揺れ動くトルコ社会の中にあって村田は翻弄されながらも不思議な世界を見、日本との違いが大きい風土の中にものを考える。
今を生きる僕にとっては、トルコは遠い地であり、時代は100年も前の遠い過去の時代。村田は考古学をやりにトルコに行っていたが、今の僕にとっては、この作品自体が考古学の中で発掘されて目に見えたもののような物語である。
横道にある敷石は、昔の城壁の石だという。そこにはときよりこの城壁の前に立っていた古の衛兵の影のようなものが現れるという。
僕にとってのこの作品のファンタジー性は、影のような衛兵を見るようなものなのかもしれない。
トルコのスタンブールには体臭に似た町のにおいがあるという。日本の町にないと村田は思うが、自分の体臭はわからないものだと。。。
異文化の中のそれぞれの人々。。。。
しかしその体臭とは何か?
現実の臭いとして香辛料の香りとか独特な臭いを連想できそうだが、同時にそれは、人種の坩堝といわれるような東西の文化や民族が集まりそれぞれが個性的に生きる社会の臭いでもあるのではないか。
多くの民族が集まる中には必ず多様な宗教がある。
キリスト教徒は日曜の礼拝に行く。回教徒は礼拝の時間を持つ。村田は思う。日本人は仏教徒であるのかと。しかし仏教ととはいえ知識もそれ以上に宗教心があるのかと。今の時代の日本人を見ても、生まれてからしばらくは氏神様のお世話になり、結婚式ではキリスト教の牧師のお世話になる。そしてあの世に行くとなれば寺のお坊さんのお世話になる。そして日常は無神論者である。
トルコに生息する村田は心もとない。
この作品は、神々の物語でもあるのである。それがファンタジー性だろう。
この神々は、それぞれにおいてその民族の唯一絶対の神といってもよいだろう。一神教の世界である。
トルコに多くの民族が集まるなら、そこには多くの神々が集まる。村田はこの神々とのかかわりを持つ。そこに日本の狐の神も入ってくる。
村田は、日本人である自分を見つめて、「もっと自分というものを押し出していかねばならぬ」と気炎を吐き、そのことを日本に持ち帰ることを考えるが、「どうも私はその任に適当でないようだ」と心細くなる。(62ページ)
しかし、キリスト教信者も回教徒はもちろんだが、村田をはじめとした日本人にも心にあるものはある。
日本人のそれが何かといえば、八百万の神々というようなある種の自然信仰に近いものではないか?「家守綺譚」にある綿貫征四郎の、あの自然に溶け込むような自然信仰。それは、恐れでもあるが抱かれるような安らぎでもある。仏教もこの日本人特有の自然観に馴染んでいったのではないか。 ヨーロッパやトルコに見る一神教に対する多神教。自然の恵みをそして恐れを見る中での現世利益。日本人が持ってきた狐の神は商売の神であると思うが、そこに日本人の独特な宗教観があり、それは今の時代でいえばエコノミックアニマル的なものをも負の意味合いとして暗示するが。
一神教は、どこか積極性や猛進性を見ることができるが、多神教は、どこかのんびりしたようで自然体である。日本人の宗教観それは人生観や行動を規定するだろうが、それが村田「先生」の心に心細さや心もとないものをわき起こすのではないか?
はじめに漱石の「吾輩は猫である」を紹介しましたが、この日本人の心細さや心もとない心を見つめたのが漱石でもあり、西洋化の中で日本人らしさを見つめたのが漱石です。その日本人らしさは、イギリスで「お前は中国人か」と聞かれ多くの日本人が憤慨をするという変なプライドではなく、「昔からいろいろな文化や思想を教えてくれた中国人に間違われたのは光栄ではないか」(正確な引用ではありません)といったような冷静な目での視点です。
「春になったら苺を摘みに」というエッセイへの感想に、
「梨木さんの作品には、外国人が出てくる。
梨木さんがイギリスに行って外国人として生活をするのとは反対に、外国人が日本という風土と生活様式に入ってきている。
この異文化の中での外国人。。。。
ある意味では、梨木さんが客観的な目で日本というものを見つめているのかもしれない。」
と、書きましたが、梨木さんがどのような視点で日本人をそして日本人である自分を見つめなければならないかを常に葛藤をしている姿を今回の作品や関連する「家守綺譚」においても見ることができるのではないでしょうか?
多分、日本人はこうあるべきだといった断定的な結論はお書きでないと思います。しかし、そこにある平和主義は見ることができるのではないか?
それぞれの民族の神々は、村田の部屋で折り合いが悪いのか騒ぎ出す。しかし村田の一喝で騒ぎも収まる。神々は自分の持分を持つものなのか?神々は落ち着くが、それぞれの神を信仰する人間は第一次世界大戦へと突き進む。トルコでの村田の友人たちは戦火に倒れる。大きな歴史に残る社会の流れの中に個人はいつか忘れ去られるようの死んでいく。神そして国家とは。。。。。
「私は人間だ。およそ人間にかかわることで私に無縁なことはひとつもない」
国家は人が作ったものである。しかしその国家が名もなき者の運命を変えていく。人と人との無限にそして複雑に絡み合う糸は、人をひきつけあう。民族を超えて神を超えてつながらなくてはならない。
多神教でなくてもいい。互いの神外を尊敬しあおう。人はまだ完成されていない。その発展を見よう。民族を超えて、神を超えて。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
1,2度店の従業員がお客に土下座して謝っている様子を見たことがある。
何が原因でこういういきさつになったのかはもちろんわからないが、だいたい店の従業員と客とのトラブルですから土下座までして謝るようなことではないでしょう。この現象は従業員ときゃという関係に置いて現れるもので、もちろん従業員より客の方が立場が強いわけですから、この土下座関係が生じるわけです。
店の従業員が何かしらのミスをして客に迷惑をかけたとはいえそれを基に土下座をして謝らせるのは見苦しいし人権問題にもつながるのではないかと思います。
このような土下座的な人と人との関係は、いろいろな面で出ているのではないでしょうか。
また煙草の話になりますが、合法的な喫煙に対して増税による禁煙を求めたり、全面禁煙にしない病院は診療報酬をカットしたりしようとし、ひどい場合には喫煙者は医者にしないなどという論法もあるようです。また分煙では不十分だと言いつつも煙草の廃止は言わない。このようなものも喫煙者や喫煙者や非喫煙者を保護するために分煙を進めるような人へのある意味の「土下座しろ」なわけです。
こういった土下座の論法が政治の世界までにゆくと強権政治になる。
議論や論理よりも人と人との関係にないにおいての力関係が優先をさせる。もちろん政治はいろいろな勢力の力関係で動くこと自体は否定をしない。しかしその力関係は議論や論理の対等な関係においての力関係でなければならないのです。客と従業員は力関係においては従業員が弱い立場にありそこに議論や論理は働かないで土下座になる。これはもう力関係ではなくなり上下関係に人が落ち込んでいることになる。

【2013年】ツイッターつぶやき
こちらの本の紹介が面白かった。
なぜ仕事がなくなるか?これは雇用の消失という事でもあります。
なぜこのようなことが起きているかについては、「ではいったい仕事はどこへいってしまったのだろう?この問題に対して専門家は、景気循環説、停滯説、雇用の喪失説の3つの説をあげている。」と。
景気循環説と停滞説は経済の循環をどこから見るかという違いで同じ事を言っているにすぎないでしょう。問題なのは雇用の喪失説です。
なぜ生産性が高くなると雇用が減るか? 「社会実験」
労働の生産性が高まれば労働の軽減化がされるし労働時間の短縮にもなる。。。。こういう発想の転換による社会システムが必要でしょう。労働から解放された時間は芸術や趣味やそしてもしかしたら手作りの価値あるものをつくりだすかもしれません。

【2014年】ツイッターつぶやき
輸出産業に有利なように円安誘導(歓迎)を行えば、日本は輸入大国でもありますから輸入品が高くなり輸出産業が不振ならば貿易赤字が拡大する。
国内の消費を伸ばそうとすれば輸入品も増加をするわけですから輸入高が拡大をして、日本国籍の輸出産業の商品を買おうとすればその輸出産業はすでに海外生産を強めているわけですから逆輸入となりやはり輸入が増える。
消費増税は消費を押さえますから輸入品も少なくなり貿易赤字は減る。。。それは国民の貧困化に結びつく。
皮肉な経済運営となっています。
まさにアリ地獄でしょう。
そこでこの実体経済から離れた株・金融市場というものに経済の利益は移行をする。
NISAも始まり国民自体が株や金融商品に手を出せば、その分消費に回る金は少なくなる。もちろん企業も設備投資よりも金融投資に金を集める。しかし日本の株も外国の投資化により売り相場になればすぐに株価もへたる。売り腰は日本の資金が海外に逃げていくということでしょう。日本自体も円安による貨幣量の増加はあるしある程度の物価上昇も出ているわけですが、貨幣量に応じた経済の拡大は望めない。
アリ地獄経済です。。。。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
ごはんがたくさん残っているから弁当を作ってもらった。
昨夜の夕食の残りものかな?
でも、残り物はないはず。。。。。
では、何が入っているんだろ?
手作り弁当のミステリー。。。。。
外食はもちろん、弁当屋さんでもコンビニでも、「唐揚げ弁当!!♪」とか自分の意思でメニューを決めて食うのですが、手作り弁当はミステリーです。
開けてみて「うん?これは一昨日のおかず。。。。冷凍にしてあったかな?」などと心配しながらも口に運ぶ。
まぁ、酸っぱくもないし。。。。などと少し気にしながらのサスペンス。

アベノミクス・日銀量的緩和によるインフレを起こして経済の好循環をつくるという経済対策は失敗に終わった。経済の好循環を通じてそれが過熱した場合にはインフレが起きるが、量的金融緩和でインフレを起こして経済が好循環となるというのは逆立ちをしているわけですから失敗に終わるのは経済の法則性である。
そこでまたシムズ理論なるものが現れた。
金融緩和だけではインフレは起こせなかったから政府の財政支出(これには経済が好転していない中での像是は無理であり、国債の発行は不可欠)によりインフレを起こして経済の好循環を行う。そして財政支出分(国債の更なる発行分)は増税ではなくてインフレにより国の借金を減らすという。
以前から超インフレになれば国の借金は帳消しといった論理もありましたが。
財政支出と言っても今の政府を見れば公共投資と株価維持のためのものでしょう。
これでは国民に墓へはまわってこないでまた企業の内部留保を増やし株価維持により投資家の利益に消えてしまうでしょう。そこでもバブルに近いインフレ傾向が出るかもしれませんが、それはさらなる格差の拡大にしかなりません。そして今現在のアベノミクスの失敗と同じ失敗を繰り返して貨幣価値の落ちた中でのデフレとなるでしょう。このデフレは矛盾がさらに大きくなったものとしてあらわれます。インフレではない悪性の物価高があらわになり、国民生活は壊滅的な打撃を受ける。
国の借金はインフレで帳消しになっても国民生活は奈落の底に落とされる。

【2018年】ツイッターつぶやき
与野党伯仲による決められない政治が安倍政権前には続いていたが、この決められない政治は議員の劣化からのスキャンダル国会に明け暮れなければならなかったという国会倫理と民主主義の欠如からでした。決められない政治にうんざりした中で決められる政治がはじまったが、さらに民主主義は形骸化した。
民主主義は多数決だといわれていますがこれは大きな誤解です。少数意見のどこに間違いがあるから多数意見にするというのならわかるが、この過程には国民に分かりやすい討議が必要です。ここで初めて多数決でも民主主義は機能するという事です。間違いでも多数なら決められるという民主主義は存在しない
間違いでも多数なら決められるという民主主義は存在しない。これを存在させてしまうのが数の力の論理です。社会の隅々にまでこの力による決定がされる。カネを出す客だから何をしてもいいなどという国民が増えていくのは当たり前になる社会です。ヘイトやハラスメントも言論の自由だとなる。恫喝も。
一方ではこの力による政治や社会、民主主義の形骸化した社会は必ず経済面でも矛盾を現す。力による損得勘定がはじまればカネは吹き溜まっていき1%99%社会が当たり前となる。経済的格差の拡大は掲示を混乱させて1%内の内部闘争にも。もちろん中間層は下層に続き没落させられながら。
派遣労働などの不安定雇用や労働の規制緩和の促進は中間層を減少させていくでしょう。もちろんIT化が労働時間の短縮や労働の軽減につながらない力の社会は一方における過度の労働と中間層からの脱落者を産む。
(以上ツイッターから)

【2019年】ツイッターつぶやき
チャイナネットにBBCの記事として日本の高齢者が刑務所に入りたがる理由として刑務所に入れば食うことはできるという理由を紹介している。
こういう高齢者の方は少数なのですが、一つの社会矛盾といえるでしょう。
しかし少数とはいえ高齢者の犯罪件数は増加をしている。一番多いのが万引きだという。ここには貧困がある。特に単身者が多いようだが、年金は単身になると激減する。
犯罪ではないとしても生活保護世帯も大きく増加をしている。
まだ働ける状態ならばよいが、70歳ともなればろくな仕事はない。
高齢者は過去の労働として日本の高度成長を作り上げた。
しかし高齢となれば生活は自己責任に置かれる。
これも一つの労働力の使い捨てである。

【2020年】ツイッターつぶやき
昨日は為替が一時1ドル120円まで円安となりました。
円安の場合は株価は上昇しますが、昨日は-92円でした。
瞬間風速かもしれませんが円安株安を端的に示しました。これによりドル建て日経平均も下げていました。
ロイターに円急落 安全通貨の機能終焉かという記事がありましたが、主要通貨の中で円が独歩安だったようですから、対ドルだけではなくて主要国の通貨の対しても円安を示したと見えます。
日本経済のかじ取りはアベノミクス・日銀緩和というもので進んできた。これは円安を歓迎して(実は円安誘導でしょう)輸出企業の利益(競争力)を守ろうとし、それは株価の上昇を招くものでした。しかし安全通貨としての円が終焉して現在の円安株安傾向が進めば、景気判断の結果次第では「躊躇なく追加緩和を行う」とした日銀の緩和政策が取れなくなるでしょう。そして景気のさらなる交代はアベノミクスの失敗として顕在化してきます。
しかし今だに政府は景気の後退を認めていないのですから日本経済は最悪な方向に向かう恐れがある。
もちろん現在の日本経済は新型肺炎の外的要因によるものだと分析もできますが、10-12月期のGDPは6%も下がりマイナス成長になりました。これは言うまでもなく消費増税によるものです。外的要因が厳しさを増す上にさらに消費増税ですから経済政策の失敗は明らかです。この失敗が新型肺炎という要因はあるものの円安株安という最悪の事態を招いたとみることができるでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
2月13日福島沖から宮城沖で東北地震の6強の余震があった。
これにより福島第一原発から冷却する冷却水が漏れているとの報道があった。
その後どうなっているか。。。。
福島第一原発の震度はどの程度だったか?
朝日新聞によると、去年7月から震度計が故障をしていたがその後修理をされずに放置をされていたという。このため正確な震度はデーターが取れないという。
放置していたというのがすごい話で東京電力の体質が変わっていないことが見える。
それでは原発ではどのようなことが起きているのか?
東京新聞によると
「東京電力は19日、事故収束作業を続けている福島第一原発(福島県大熊町、双葉町)の1、3号機で、原子炉格納容器内の水位が30センチ以上低下し、1日数センチのペースで続いていると発表した」
高濃度汚染水の漏れが出ているようです。
またTBSのニュース動画(ツイッター)によると
「新たな水素爆発を防ぐために原子炉格納容器内には窒素を注入して圧力を一定に保っている」

1号機の圧力が1.2㌔パスカルのところ0.9㌔パスカルまで低下しているようです。
格納容器内の水位の低下とチッソ圧力の低下がどのように結びつきどのような危険性があるのかも分かりませんが、「新たな水素爆発を防ぐため」と報道されていることでは危険なインシデントにあることは間違いないでしょう。
政府からは福島第一原発の現状についてこのまとまった発表はないのか、マスコミが詳しく報道していないのかわかりませんが今後の状況を注視する必要があるでしょう。さらなる余震も否定されていません。
東北の巨大地震での福島原発事故から来月で10年になります。事故は終息するどころかまだ事故事態が続いていると見たほうがいいでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
先日ホームセンターでトイレットペーパーやいろいろなものをまとめ買いしてきました。
花もたくさん売っているホームセンターですのでいつもしばらく花を眺めたりしています。花や野菜の種も豊富で植えたい花がたくさんあります。
まだ少し早いのですが夏の花の種を買ってきました。毎年まだ早いかなと思っているうちに売り切れたりしますので今年は早めに。でも今年は寒さが厳しいですからなぁ。。。どうなんでしょ。
東京は温暖地という地域に入ります。夏の花の種まきはだいたい4月ごろ。
ミニヒマワリ、松葉ボタンそしてアゲラタムという種を買ってきました。アゲラタムというのは初めて買う花なのですが、写真を見るときれいな紫。花の高さが50センチほどだそうですから大き目の鉢に植えたいと思います。ミニヒマワリと松葉ボタンはもう一つぐらい花を買ってきてプランターに一緒に植えられないでしょうか?
種も1袋買ってくるとだいぶたくさん苗をつくれますからたくさん作れたらご近所にでもあげようと思います。直播も面白いですなぁ。。。。発芽は少なくなりますが。
4月が待ち遠しいです。
今週末は暖かくなりそうです。

【2023年】ツイッターつぶやき
「定期確認のため非常用発電機を稼働させていたところ、発電機を冷却するための海水ポンプが自動停止したということです。
原因は分かっていないということです。
この発電機は原発が運転停止中でも非常時に備えて動かせるようにしておく必要がある」
(NHK)
この原発は現在運転休止中ですが、稼働させた場合、原発にアクシデントがあった場合に非常用発電機が作動できない状態になる可能性があるということでしょう。
非常用電源が作動しなければ福島原発事故と同じ危険性があるということです。
福島原発事故時の地震でも非常用発電機を冷やす海水ポンプが使えず危ない状態が続いたそうです。ですから今回の事故は相当危ない事故だったと言えるでしょう。運転停止中でも非常時に備えるために必要な冷却装置です。
原発の死稼働が今後も行われるでしょうが、60年を超える仕様を政府は言い出しています。
火力発電所の老朽化があるようですが、それによる電力不足を補う原発も危ない原発で綱渡りの発電。。。。。。。
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2024年 2月21日(水)「内閣支持率」

2024年02月21日 22時44分50秒 | 「政治・経済」
朝日新聞によると、内閣支持率が21%まで落ちたそうです。
自民党支持率も21%に落ちたそうです。
どこの政党が支持率を上げたか?
無党派層やわからないという人で半数を超えて55%に上がったようです。
自民党支持率が下がったが野党も下げて無党派層が増えている事の怖さ。
内閣支持率が下がっても、政治そのものの指示が下がっているということですから、今の政治が数の力で動く限り大勢は変わらない。
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池に浮かぶ月2166【2月21日】

2024年02月21日 20時50分28秒 | 「池に浮かぶ月」
昔、公園で爺ちゃん婆ちゃんがゲートボールをしていてそばで子供たちが野球やサッカーをしていると邪魔だ危ないと。結局公園では球技禁止になりました。もちろんゲートボールも球技ですが。
こうしたお互い同士のいがみ合いや苦情から、去年板橋のある公園では24もの禁止看板が出たそうです。どこの区だったかは、ついに公園自体がなくなりました。公園内は禁煙というものが出れば、個々人の迷惑意識から球技などすべて禁止になりますね。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 2月21日(火)「公園の禁止事項」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「2月21日という日」

2024年02月21日 08時08分57秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
朝日新聞によると、内閣支持率が21%まで落ちたそうです。
自民党支持率も21%に落ちたそうです。
どこの政党が支持率を上げたか?
無党派層やわからないという人で半数を超えて55%に上がったようです。
自民党支持率が下がったが野党も下げて無党派層が増えている事の怖さ。
内閣支持率が下がっても、政治そのものの指示が下がっているということですから、今の政治が数の力で動く限り大勢は変わらない。

≪過去の記事≫

【2004年】
南房総を一周ドライブしてきました。
千倉から白浜の方のお花畑はたくさんの花がしていました。道路沿いにも菜の花がたくさんありました。
梅か桃か?遠くの木に咲いていました。
もう南房総は春爛漫でした。。。。

【2005年】
久しぶりの友人に会いました。子供の話になり、もうそんなに大きくなったかとお互いにびっくりしました。そういえば、お互いの頭もだいぶ白さが目立ちました。。。。
はじめて大江健三郎を読み始めました。まだ読み始めたばかりでよくわからないのですが、大江健三郎は難しいと聞きますが、僕にとっては女性作家のほうが難しいです。
男の作家の書くものは、難しく書くには書くがあんがい単純で論理的なのかもしれない。女性作家は、情緒や絡まった心おそのままに描く。
久しぶりの男性作家、それも60年代の古い作品を読み新鮮さを感じます。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
あたたかでした。。。。
餅が好きな我が家。
毎年正月が過ぎてもしばらくは餅を食い続ける。もちろん時々は買ってきて餅の巾着などを作るが、正月から継続して日常的に食べ続けるという意味である。
袋に入った餅がなくなりそうになると、もうこれで終わりにしようと思うが、スーパーにいくと思わず手が伸びてしまう。
娘は餅を干して油で揚げたか気持ち。妻は納豆餅。僕は砂糖しょうゆをつけた海苔巻き。息子はきな粉餅。。。。
そういえば僕の親父も持ち好きだった。記憶では50歳ころにも5から7個は一度に食っていた。妻の親父さんもたしか。。。聞いたような覚えが?
しかし、毎年どういうきっかけで餅を買わなくなるのかという記憶がない。
春の暖かさとともに食べなくなるのかな?餅というのは腹持ちがよいので、寒い時期に体を温め続けるという意味ではよいのではないかと思う。
東京も春の感じが強くなってきました。
羽衣ジャスミン、ミニバラの新しい葉の芽がすごくたくさん出てきました。
そろそろ持ちもおしまい。。。。。かな?

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
1月にも書いたあるおいしいステーキやさんからローストビーフがとどきました。1月は高級和牛すき焼き肉でしたが、今月は高級ローストビーフ!
少し甘めのマヨネーズと粒マスタードをベースとした?ソースが絶妙です。
焼き上げるときの表面につける胡椒や香辛料そして塩などのうまみが生きていてもちろんなかはピンク色。こんなうまいローストビーフをたくさん食べられる幸せ。。。。。ボリュームがありました。
ローストビーフですからご飯と味噌汁というわけにもいかないので、ペペロンチーノパスタとアンチョビガーリックトースト、サラダを作りました。まぁ、食べるときは箸でしたが。
このステーキやさんは値段もそうは高くなくておいしいステーキが食べられます。同じぐらいの値段で東京で食べると。。。。ですからこのステーキを食べるとほかのステーキはうまく感じない。
来月はお届け最終の・・・・焼肉!!もちろんタレも入ってます。

古代日本では巨大な古墳を作るために困窮をし疲弊していく民を思い大化の改新後に薄葬令(はくそうれい)が出たという。これはある意味古墳時代の終焉であり新たな律令制国家の始まりの中に必要とされたものではないかと思う。九州北部への防人の廃止もあったと思いますが、これも同じ意味合いがあったと思います。
日本の古墳だけではなくて世界中でもピラミッドのような墓は終焉していく。
ある意味現代も大化の改新が必要で、巨大な古墳を作る時代ではなくなってきているのではないでしょうか?
現代のピラミッドや古墳は、多国籍企業化した巨大企業ではないでしょうか?それは企業自体の規模拡大だけではなくて国の制度を含めて集まる金融市場などに回り、バブル化して肥え太っている。それが世界的規模の競争として行われている。そして強欲資本主義とも言われるような富の集中とセレブを作り出し、その資本という神に仕える神官が恩恵を受け取る。
それを作り出す民は困窮をし疲弊している。
富を再配分しなくてはいけない。労働時間は短縮しなくてはいけない。富(またはエネルギーなどは)は民主的に世界に振り分けなくてはいけない。。。。こんな時代になっている。位や、こうしないと経済そして政治は成り立たなくなっている。
アラブ世界は揺れ、先進国の政治も日本で言えば菅内閣の支持率の低下と政治自体の混迷として現れている。民主化というものがキーワードになってきている。この動きはまさに薄葬令を求めている民の声である。

【2012年】ツイッターつぶやき
大阪橋下市長は9割以上の路線が赤字という理由で市営バスの「倒産」もあり得ると。同時に地下鉄と市営バスの民営化を。
市バスなどの赤字をどのように考えたらよいのだろうか?
鉄道もそうですが車社会がすすむにつれて公共交通の利用は減り続けてきたということです。同時に都市部においてはバスよりも効率的な交通機関として地下鉄の路線が伸びたこともある。たしかに交通の効率化は必要なことであるが、同時に車社会に適応できない子供や学生そしてお年寄り、また渋滞時間のラッシュ時の通勤客等にとっては必要な交通機関であることに違いはない。
こう見ると市営バスというのは、大阪市の交通政策によっても必然的に作られた赤字ではないか。地下鉄の路線を伸ばすことによるバス利用者の減についてはその政策の実行段階からわかっていたということです。ある意味大阪市自体が市バスの赤字化を作り続けたということでしょう。
このように地下鉄と市バスというものは市の交通政策の中において考えなければならないということです。まずは市の交通政策において市バスの在り方の政策がどうだったかの総括が必要でしょう。これは橋下市長の責任というわけではなくて市のこれまでの政策の責任なわけです。
大阪市の交通機関が赤字だとかという前にこのような交通機関があるから市内の交通手段が確保されて人の流れが確保されそれはいろいろな産業や企業活動の基礎ともなっている。そうするとこの市の状態自体が政策の実現ということで、そのためにはこの政策を実現できる税金の使い方というものが赤字というものとなります。税金の使い方で利益を上げるということ自体がおかしな考えなわけです。もちろん事業として利益を得ることができるならそれはそれでよいことなのですが、民間のバス会社も赤字でいるわけですからそこへの補助金もあるでしょう。
地下鉄と市バスというのは府民の財産です。それを民営化する。赤字の市バスとセットとして莫大な税金をこれまで使って建設した地下鉄も民営化する。これは市民にとっては損失でしょう。
やり方次第では市バスの職員はすぐに賃下げとはならないまでも新規採用は民間バス社員として安い賃金として働くようになっていくでしょう。働く人にしわ寄せが出てくる。市民の足を直接保証する人々が。
市バスのような赤字は、その赤字部分は正当な税金の使い方なのです。

【2013年】ツイッターつぶやき
BLOGOSに「世界を揺るがすアベノミクスの波紋 財政ファイナンスは正当化できるか」という衝撃的な記事があった。
日銀が政府の債務を貨幣化して量的緩和を行う。このアベノミクスの危険性である。
この量的緩和を無制限に行うことは毒にもなるが薬にもなるというイギリスのターナー長官という方の言葉を取り上げながらその危険性とともに危険性を回避する手段があるのかという問いかけで、筆者は
「財政が発散すると市場参加者が思い始めれば、長期金利が上昇して、いずれ財政は破綻、通貨が暴落してハイパーインフレーションが起きるが、それがいつ訪れるかは誰にも分からない。」
と結ぶ。
アベノミクスではこの日銀の緩和政策と同時に政府は公共事業を国債に頼り財政赤字を膨らませる。財政破たんの道を走り続ける。政府は円安誘導ではないと対外的には言うが、今は円安で企業利益を増加させると国内的にはそれを経済の再生と位置付ける。政府や経済学専門家の中には小泉政権から安倍政権時に日銀が引き締めに走ったから経済はデフレを強くしたと日銀の「裏切り」という論理が多い。今回がどこまでも突っ走る総裁人事も考えられる。さらに消費増税による財政赤字の緩和をさらに公共事業に回すという論理もくすぶっているわけで、国家財政に健全化には10%の消費増税では足りないとも言われており、結局は財政赤字の拡大の方向に向かう危険性がある。
このように見ると「財政が発散すると市場参加者が思い始めれば、長期金利が上昇して、いずれ財政は破綻、通貨が暴落してハイパーインフレーションが起きるが、それがいつ訪れるかは誰にも分からない。」という危険性は強いのではないか。
日銀が国債を引き受けてそれを現金化をして市場にばらまく。これはある意味国債の流通である。
赤字国債は政府の信用であるが、貨幣の信用と同じように市場で流通すると同じ事ではないか?返す当てもない赤字国債が。そうするとインフレはそうとうな勢いで高まるでしょう。
もちろんこのインフレは経済活動に関係のない為替での人為的インフレですからどこまでも突っ走ることができるし、引き締めを行えば更なる規模での経済の停滞とデフレ圧力(円安での物価騰貴や消費増税によるもの。そして株や不動産バブルによる不労所得の増大に対する勤労所得の低下)をすぐに生み出す。
国債の流通は避けるべきです。
ただ一つだけ有効なのは、消費税を賃金(労働力の消費)にも書けて一部を労働者の益税や零細企業への還付にして同時に国家財政を改善するというやり方です。これは企業に眠るダブついた資金を国内消費と国家財源に還流するという事です。そこからの景気回復と緩やかなインフレでのデフレからの脱却です。
この賃金消費税を国債で支払う。労働者の所得税の一定部分を国債で企業は帳消しをして労働者には減税効果(益税効果)を与える。「賃金に消費税と国債の流通」
この中での国内消費の拡大と国家財政の改善というためでの国債の流通は効果があるのではないでしょうか?

【2014年】ツイッターつぶやき
今日の連続ツイートです。
円安での物価上昇そして4月からは価格への転嫁を強制するような法での消費増税での物価上昇。これをデフレからの脱却といえるのだろうか?単なる悪性の物価高である。デフレを表面的な物価の下落としてみる誤りから変な経済学が出来上がる。デフレからの脱却ではなくて更なるデフレのリスク増大です。
デフレで商品価格が下落するというのは、売れないから下落するわけです。同時にその中で商品の相対的な過剰が生じるからです。ですから本来商品価格がデフレの目安ではなくて商品の流通量と回転そしてその中での貨幣量なわけです。
商品量とその回転が減少するデフレであるからこそ貨幣は過剰気味になるのです。もちろん絶対的な貨幣量の過剰であると同時に一般国民への貨幣量が減少して企業や富裕層あるいは株など金融市場に貨幣量が過剰となるという相対的な貨幣量の過剰でもあります。
この中でアベノミクスそして日銀の量的緩和は貨幣量を増加させていますが、結局は結果として一般国民への貨幣量が減少して企業や富裕層あるいは株など金融市場に貨幣量が過剰となるという相対的な貨幣量の過剰が生じる。この貨幣量の過剰がバブルに結びつく。
もちろんこのバブルは商品市場においてのバブルではなくて株・金融バブルとなる。一般国民は実感なき景気回復にあえぎ、そしてまたこの株・金融バブルの尻拭いを行わされる。国民の生活破綻と懐にある金が尽きればバブルの尻拭いは当然できないわけですからそれは恐慌に向かう。
日本株の下落傾向を世界的な商品市場の需要不足あるいは中国の成長の伸びの鈍化に求めるのは他力本願名わけです。それでは日本の需要(内需)はどうなのか。。。。むしろこれこそが世界経済の問題点でもあるのかもしれない。
国民生活の犠牲(賃下げや消費増税などなど)においての競争力の確保という日本の持病の中に日本経済という下部構造が出来上がってしまったが、その下部構造は上部構造への作用(この間の法改悪)を及ぼす。その上部構造がまた下部構造に反作用をしていく。悪性の物価上昇。。。デフレ
中国経済の不安定あるいは成長の鈍化そしてアメリカ経済の脆弱さを言うが、中国はそれでも7%前後の成長持続され、アメリカは経済の中心としてその役割を保とうとしている。世界経済の不安定性は増大しているが、その中での日本経済の位置づけを世界が見つめているわけです。
しかし日本は経済(国民生活の犠牲)と政治(法改悪)とにおいて世界に期待ではなくて疑問視をされはじめている。日本は自由主義陣営であり続けられるか。。。。日本は中国に今後も自由化を求められるのか、中国を軟化させる役割を果たせるのか。。。。
ここにアメリカが求める同盟関係と日本が求める同盟関係にずれが生じるのである。
もちろん下部構造・上部構造の矛盾はアメリカをはじめとした先進国にも中国にもあり、それを指摘しあえばきりがないほどである。しかしこの中で理念(自由主義あるいは社会民主主義的社会主義)だけは持ち続けて国民やマスコミからの批判を含めて発展させようとしている。
理念は建てまではあるがこの建前を崩しているのが政府要人やNHK内部のこの間の発言でありそこに集中した批判が各国のマスコミなどから出始めている。世界の国民やマスコミは理念・建前を現実世界に築くことをあきらめてはいない。
麻生財務相、G20各国の国際協調を呼びかけ | Reuters http://jp.reuters.com/article/topNew/idJPTYEA1K01320140221… 国際協調の前進に向けた日本政府の役割とは何か。それを果たせるか。。。。 震災そして原発事故後「備忘録3-<148>(地震から2年と49週)」のような形としてツイッターでの発言をまとめた形で書いて来ましたが、最近はツイート量も増えて来ましたし震災・事故後としても3年を迎えます。
これを区切りとして一応この間のような形での記事は終了したいと思います。
カテゴリーはそのまま残しますし今後は時々ツイッターに連続して書くときがありますのでそれだけをこちらに載せたいと思います。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
gooブログで、お題に参加というものがありましたのでどんなものか参加してみました。
お題は「寝台列車に乗ったことある?」です。
若いころ、毎年京都や奈良に行っていました。
一度寝台列車に乗ったような記憶はあるのですが、どうも判然としない。というのもよく利用したのは新宿から京都までの夜行高速バスで、乗車するときの排気ガスのにおいが強烈に記憶に残り寝台列車の記憶がどこかへ行ってしまったのだと思います。
そういえば、夜行普通列車にも何度か乗り疲れた記憶が印象に残っています。そして向かいに座った女性と話したことなど。。。。東京に通勤する酔っ払いとかも。。。。
というわけで、はっきり残っている昔の記憶では、上野から金沢まで乗車した『出雲』(だったかな?)。
上越線を経由するのですが、水上駅で停車時間がありホームに降りて温泉宿の風呂の灯りなどを眺めた記憶があります。水上を発車するとちょうど眠くなる時間なのですが、B寝台と言いましたっけ?向かい合わせの二段ベッドでした。上段に寝たのですが、どうも寝返りを打つにも下の人に気を使いました。気を使っていると寝れなくなるのですが、そのうちに下の段の方が心地よいいびきを。。。。。いびきを聞いているほうはそうは心地よいものではありませんが、寝たのを確認したら気を遣うこともなくなりすう~っと寝付いていました。
どこかの駅で停車をして記憶では進行方向が変わったような?(よく覚えていません)それで目が覚めてしまいベッドでじっとしていました。外が明るくなってきて、通路に出てぼうっと景色を眺めていたのを記憶しています。
寝台列車というのは横になれるだけ楽ですが、そうは乗りたいと思ったことはその後なかったです。
そうこうしているうちに年月は過ぎて北海道に行ったついでにカシオペアに乗ろうと思いつきやっとの思いで個室をゲット。
若いころに乗った『出雲』とカシオペアの違い。年月が過ぎた分寝台列車の進化に驚きました。そういえば北斗星も乗りましたが、北斗星に比べてもカシオペアは格段の差がありますね。イスとテーブルがあり、夜景を楽しめますし、トイレまで。ベッドも横幅が広くていびきの音もしない。周りに気を遣う必要もない。
朝食もまるでレストランのような食堂車で。。。。
九州のななつ星はもっとすごいのでしょうね。
さて未来の寝台列車は。。。。。?
そうかぁ、もう寝台列車もなくなっていくんですよね。新幹線でびゅ~んと。
旅行も快適になっていくことはうれしいですが、疲れてどんよりして移動するのも旅行の楽しみだったような気がします。
そういえば、寝台新幹線で北海道までというのは無理かな?

【2018年】ツイッターつぶやき
安倍内閣は発足当時から消去法による「期待」だけの内閣だった。
その期待から議席数は小選挙区制により安定多数を得て公明党がそれに同調した。
日銀への圧力(日銀法改正)と人事による異次元(先の見えない)緩和とアベノミクスを高らかに立ち上げ、経済の好転が労働者の賃上げにも結び付くとされた。また8%への消費増税はすべて社会保障費へと期待を持たせながら経済の好転のないままに増税は行われた。
結果は円安誘導による輸出産業を中心とした株価の高騰と企業の内部留保の増大だけが目立つ結果となり、社会保障が生活保護へのバッシングからはじまり、小泉政権時100年は大丈夫と言われたものの年金法改悪でしかなかったことが露呈されて若い人たちへの負担増と年金支給額切り下げと今後の更なる年金支給年齢の引き上げが。そして年金積立金は株価などの安定のために高齢化社会に役立たないものとなってしまった。賃上げは経済の好転もなくそして企業の内部留保を還元することもなく、口先だけの経済の好転と矛盾する結果となっている。さらに労働の規制緩和(働き方改革)は企業利益のためのものという事がはっきりされつつある。政府・官僚は最近では裁量労働制の方が労働時間が短いなどという間違ったデーターを国会での総理答弁に使い、働き方改革とは労働者のためなのかが揺らいでいる。
沖縄では米軍機の墜落事故が多発をし、最近でも青森県の基地から飛び立った戦闘機が燃料タンクを湖に投下させた。住民の安全と環境保全が心配されている。しかし事故の度に防衛大臣は紋切り型の声明を発表して米軍に強く抗議するとしたが、1週間もしないうちに何お事故の再発防止も見えず訓練は継続されている。もちろん地位協定はまったく手を付けるものではない。
日米安保は日米軍事同盟に強化をされたが、地位協定をはじめアメリカの圧倒的支配により同盟関係ではなくアメリカのアジア軍事政策の協力国となった。同盟関係は平等性においてしか存在はしない。
この同盟関係と日本内部の軍事力強化の動きの延長線上に憲法改悪がある。
このように経済と軍事面を見ても国民にとっては安倍政権とは危うさでしかなくなりリスクとなりつつある。
安定多数は、数の力の行使となっている。
モリカケ問題も国民には納得のいく説明がなされず、数の力という決められる政治から民主主義が問われはじめており、この民主主義の在り方からしても安倍政権の危うさが現れはじめ国民にとってのリスクとなっている。

【2019年】ツイッターつぶやき
昼飯はけんちん蕎麦にしました。
そして茹で方はとうじ蕎麦風。
冷蔵庫の中にニンジンやダイコン等の野菜そして油揚げがありましたのでけんちん蕎麦にしました。
だしの素と昆布干しシイタケでだし汁を作り砂糖、みりん醤油で味付け。
そこにニンジン、大根、白菜、油揚げを入れて火が通ったら最後に長ネギを斜にスライスしたものを入れます。
蕎麦ですが、蒸しそばを使います。
味噌コシ網の中身そばを入れて上の汁を沸騰させながら茹でます。これがとうじ蕎麦風。。。。。
ゆでたそばをどんぶりに入れてあとは野菜を乗せて汁をたっぷり。
とうじ蕎麦というのは信州の名物でして、土鍋にスープを作り、一口ぐらいのそばが入る竹の籠に茹でたそばを入れて土鍋のスープでしゃぶしゃぶしてお椀の中へ。塩っ気のない酸味だけの野沢菜のような漬物(すんき)を入れて食べます。
今日はもちろん”すんき”はありませんのでなし。
蒸し面を茹でて食べるのととうじ風で食べるのとでは蕎麦の風味が違います。

【2020年】ツイッターつぶやき
「隔離(6)」の続きです。
これまで陰性のクルーズ船の乗客を今日ですべて下船させ、残る要は陽性の方や乗組員だけとなったららしい。
これで「乗客の陽性発生者」というのはゼロになるでしょう。もちろん自宅に帰った方が発症すればカウントされるのでしょうが、しかし陽性になった場合は感染が拡大する要因になるでしょう。
政府はクルーズ船内で隔離は十分していたといいますが、船内では発生者自体は減少傾向にありますがゼロになったということでの下船はない。これは船内で新型肺炎が終焉したというわけではない。この中での全員下船ですが、さらに2週間の経過観察は行われなかった。
テレビ―ニュースを見ていると、下船された方は自宅で自ら隔離した生活をしている方がいる。下船させるというものがさらに感染を防ぐことでは下船された方の自己責任になっている。
政府は様々なイベントを開催するよう言っている。ただし消毒液の活用や発熱などがあった場合は参加させてはならないと。消毒液も不足しているし空港のように発熱を探知するような機械もない。するとイベントを開催するかは主催者の自己責任となる。自己責任ですから感染が広がった場合主催者の責任とされるでしょう。
しかしこの自己責任も厚労省職員が防護服も着ないで感染してしまっているのですから、自己責任というものがどこまで感染予防には無力かがわかる。

【2021年】ツイッターつぶやき
東京は暖かでした。
夜になっても室温は19.6度。
もちろん暖房は炬燵だけです。
日中も日差しが出てコンビニ帰りの背中が暖かでした。
今年は桜の開花も早いという予想です。
3月中旬ぐらいには開花してしまうかもしれない。
ベランダの花も今年は早そうです。
フリージアの花芽が急に伸びてきてつぼみが膨らんできました。
ネメシアも寒い時期は花が落ちましたが今はまたたくさん花をつけはじめました。
オステオもたくさんの花が付きつぼみがたくさん膨らんでいます。
去年放棄草の種を採った覚えがあります。
種の入った袋にたくさん種があったのですがそれをポットにまいたら。。。
ほうき草にしては種が違うと思ったら、一昨年しまい忘れていた松葉ボタンでした。
たくさんの芽が発芽しました。
紅いスイートピーもだいぶ伸びてきました。
春寒。。。。。
こうも暖かな夜ですが、ベランダに出ると寒さは感じます。柔らかい寒さ。。。。
でも風呂上りにはベランダの気温も身持ち良く感じました。
また来週は寒くなるそうです。

【2022年】ツイッターつぶやき
福島原発事故から10年が過ぎまた3月がやってきます。
汚染水問題も国際問題になっていますが、汚染された水をどう処分するかは非常に難しいものなんでしょう。薄めて海に拡散させるか、蒸発させて大気に拡散するか、長い年月貯蔵をするか。さらに原発事故事態は終わっていないのですから今後も汚染水は発生をする。
この汚染水と共に
除染を行った汚染土の処分が問題になっているようです。
8000ベクレル以上の汚染土は福島伊賀の刺し州福島以外の最終処分場に移し、以下のものは全国の道路工事に使用して拡散するようです。しかしその方向性で実現するかは今のところわからないようです。
原発の安全神話は崩れ、事故時の経済の損失は安い電力という神話も崩しました。それ以上に人間が放射能の汚染に巻き込まれます。
事故の処置には気が遠くなる年月がかかります。

【2023年】ツイッターつぶやき
東京都板橋区のある公園で苦情のたびに禁止事項を書いた看板が24枚になってしまったそうです。
個人がある事柄で苦情を言えば禁止事項になる。またある方が苦情を言えばそれがまた禁止事項になる。
公演を利用する人の目的は十人十色です。しかしその利用目的に対して苦情を言うのも十人十色です。
以前、こうした苦情から公園がなくなってしまったというニュースもありますが、苦情が多くそれをすべて取り上げていたら公園の損害価値がなくなります。しかし公園を必要とする方も存在する。
僕は喫煙者で公園の禁止事項といえば喫煙禁止を思い浮かべます。
なぜ禁止かと聞くと受動喫煙があるからだと。それの苦情で禁止事項となる。しかしだれもいないような公園で喫煙しても受動喫煙は発生しない。ですから喫煙を禁止するのではなくて人がいるときはやめましょうでいいはずです。
これと同じようにある苦情が出たとしてもその禁止事項で抑えるのではなく、こういったときはやめましょうでよいはずです。
またまなーんー問題があれば俺を理由にして禁止とされますが、この社会ある程度のマナー違反で出来上がっているのです。なにもマナー違反しない人間はいないはずですが、人のマナー違反となると反発をして許せないから禁止と。
こういう社会は成り立たないはずです。
変に100%正義を言う人がいますね。。。。。
しかしその正義のために自ら正義ではない言動をする。
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2024年 2月20日(火)「室温21℃」

2024年02月20日 22時19分51秒 | 「思うこと」
春がどこかへ行って今日は初夏のような気候。
冬の上着を着て歩いていたら汗ばみました。24度ぐらいまで上がったそうですから、冬の上着ではね。
小学生がTシャツ1枚で歩いていました。
昨日が雨水でしたが、雪国でも雨に変わり道路が雪解け水でいっぱいになったそうです。
海水温度も上がっていて北海道の昆布が危ないそうです。フグが北上して北海道に行ってしまい、北海道では砂漠職人がいないので困っているそうです。サンマはとうの昔にいなくなった。
自然は微妙な温暖化でもその環境の変化で大きく変化するようですね。
去年の猛暑でベランダのゼラニウムが枯れました。植物も機構のわずかな変化でも変わっていくのでしょう。

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池に浮かぶ月1265【2月20日】

2024年02月20日 20時20分35秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は、千葉県大多喜方面にドライブに出かけました。
途中立ち寄った笠森観音は、清水の舞台をぎゅっと小さくしたようなお堂でした。
ドライブの楽しみの一つは道の駅。
加茂菜という東京では見かけない野菜を買ってきたのですが、菜花でした。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 2月20日(月)「加茂菜」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「2月20日という日」

2024年02月20日 07時47分34秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
春がどこかへ行って今日は初夏のような気候。
冬の上着を着て歩いていたら汗ばみました。24度ぐらいまで上がったそうですから、冬の上着ではね。
小学生がTシャツ1枚で歩いていました。
昨日が雨水でしたが、雪国でも雨に変わり道路が雪解け水でいっぱいになったそうです。
海水温度も上がっていて北海道の昆布が危ないそうです。フグが北上して北海道に行ってしまい、北海道では砂漠職人がいないので困っているそうです。サンマはとうの昔にいなくなった。
自然は微妙な温暖化でもその環境の変化で大きく変化するようですね。
去年の猛暑でベランダのゼラニウムが枯れました。植物も機構のわずかな変化でも変わっていくのでしょう。

≪過去の記事≫

【2004年】
今日は暖かくなるという予報だったけど、暖かかったかな?
それほど暖かいという感じはありませんでした。
しかし日差しはもう春という感じですね。乾燥していることもありますが洗濯物が好く乾くようになりました。日も伸びてきたし、うきうきしてきます。

「哀しい予感」
角川文庫
吉本 ばなな  著
吉本ばなな(改名され よしもとばなな)さんの初期の本らしいです。
ばななさんのあとがきや解説を読むと、この作品は単行本と出版され、文庫版を発行するときにかなりの部分を直したそうで、加筆されたところもあれば、無駄なところは削除したところもあるそうです。単行本との違いがどこにあるかはよくわかりませんが、このためか読みすすむと少しつながりが不自然に感じるところがあります。
しかしこの不自然さも中身のおもしろさには影響は出ていません。
主人公の弥生は19歳。幸せすぎるような家庭と思われるような家庭が描かれ、その家庭の中に、またすばらしい両親と弟の哲生の4人で暮らす。
女の第6感は怖いと昔から言われているが、弥生にはこの人にはないような感を持っている。作品は、この弥生が「確信する」中での行動によって自身の過去を知り思い出していく。
ばななさんの作品は、「ハードボイルド・ハードラック」しか読んだことがないが、霊的な意思というのか、霊感というのか、不思議な力によって支配あるいは救われるというものが根本にあるのか?この作品にもないはずのアヒルのおもちゃが風呂場に現れる。弥生の感もそのような霊的なものを感じる。先にも書いたが、この作品は弥生の「確信」が多く現れるが、ばななさん自身があとがきに「この小説は私の中のある方向性の卵だ」と書かれているように、この作品が作家としてのばななさんの「確信」だったのではないかと感じる。
血のつながりはないものの、弥生と哲生という近親相姦的なものや、弥生の叔母(実は姉であった)と教え子の恋。ばななさんの描く恋は、多くの作家が描く不倫というような恋に比べても危なすぎるものだと思う。レ敵名物、危なすぎる濃い、そして社会の日のあたらないような影にあるような不幸、これがばななさんの作品の特徴なのでしょうか?
しかし、ばななさんの作品のよさは、このような独特な暗さといってもよい雰囲気だけで終わらず、ひとつの時間の流れにピリオドをうって新たに生きていこうとするものがあり、それが読者を勇気づけるのではないかと思う。
作品に「血族」という言葉が出てきます。この言葉もこの作品のキーワードでしょう。
ばななさんの最近出版された日記を読むと、家族の絆を強く感じます。家庭や家族という言葉に比べて、「血族」という言葉にはすごい響きがある。やはりばななさんの内面では、この血族も大きいのかと連想した。
日記では、身内(家族だけではなく周りを取り囲む人々)意識も強く感じます。
血族、身内・・・・・ものすごい行動力と対人関係、ばななさんって寂しがりやかな?


【2005年】
何だかライブドアの堀江さんも大変だなぁ。。。
新球団を始めるのに失敗をしたので、次の手を急ぎすぎているのではないかと思ってしまう。しかし一般庶民としては応援した気持ちが強いのではないかと思う。
フジテレビとの確執が大きくなり、いろいろな方面から批判が強まっているけど、自由競争というのはこんなもので、変な倫理観のようなもので堀江さんを批判するというのも的外れだろう。
都合のよいときだけは自由競争で、下克上のような今まで力を持つものが困り始めたら倫理観を出すというものおもしろいものだ。
この現象は、一つのITバブルなんだろう。。。。。
景気が回復しないうちにIT関連の金余りも出たりする。。。。ますます経済は混迷するだろう。

『落花する夕方』
                     角川文庫
              江國 香織  著
華子がバニーガールのような耳をつけて恋人の健吾の前に現れた。
健吾は不思議な格好の華子に引き寄せられ、心のすべてを急速に吸い取られた。
こんな健吾が一人で引越しをするという。
8年間健吾と同棲していた梨果は、こんな健吾に未練を残しながらも別れざるを得なかった。
出て行った健吾、華子への思いだけに出て行った健吾だったが、どういうわけかその恋の当人である華子が梨果の部屋の転がり込んでくる。「部屋の家賃が大変でしょ」という理由で。梨果は、出て行った健吾との唯一のつながりとなった華子を受け入れる。
梨果は、健吾との思い出と唯一の健吾とのつながりである華子との1年半という時間の生活を語っていく。
作品は、梨果がまるで日記を書くように1年半の時間の流れを断片的に語っていく。生活は、仕事と部屋で過ごす姿だけであり、同じ繰り返しの中に時間が止まっているようである。止まった時間の中での日常の中に梨果の心の変化だけが流れる。理解しがたい華子の行動と心。しかしどこかこんな華子に引かれていく梨果と、健吾への思いの薄らぎ。
キューピットは人の心に暖かい恋というものを運んでくる。華子のもつその容姿と不思議な魅力は、天使そのものと言ってもよいものがある。しかしその天使のような華子は、キューピットのように恋を運ぶのではなく、人の心の中にある恋や愛そしていとしさというものを華子自身が吸い取っていくといってもよい。
健吾の梨果への恋や愛も、健吾の友人の男も華子を巡って離婚をする。これは男だけではない。子供の心さえとらえられていく。そして梨果という女性の心も。天使ではなく、小悪魔的というのだろうか。。。。
小悪魔的という言葉が適当かどうかわからないが、すべての人間の心をひきつけていくから誰からも恨まれはしない。恨まれるどころか恨むべき人間もひきつけられていく。こんな意味での小悪魔的である。
梨果の部屋に転がり込んできた華子は、小さな鞄と歯ブラシ、糸瓜コロンそして退屈なラジオ番組を聴くだけの小さならじをだけをもって来ただけである。梨果は不思議な感覚にとらわれる。さっき転がり込んできたのに、ずっと一緒に暮らしてきたような気持ちになり、その生活がごく自然なのである。人にも物にも執着することなく自然そのままという心地よさ。この心地よさにすべての人間はひきつけられてしまうのかもしれない。
このような華子と接することにより、接する人の心からも執着心が消えうせてしまうのかもしれない。最も重要な恋や愛、いとしさというような執着心をも。このことが健吾が一人引っ越すという行動にもなったのだろう。そして1年半という時間をかけて梨果の心の中からも健吾への思いを消し去ったのかもしれない。
しかし。。。
梨果が健吾になぜ華子に引き寄せられたのかを聞くと、健吾は一言「執着」という。
華子はすべての人間の心の中にある執着を一身に受けていたのではないか。血のつながった弟からの愛という執着も。。。。
華子は執着もせずにいたが苦しんでいたのだろう。自身の執着する心がないにもかかわらずすべての人の心の中にある執着心を受けていた。こんな華子は。。。。悲しい最後です。
健吾は華子という存在がなくなったことにほっとするところもでてくる。梨果は執着心をなくす怖さ、自分の心の中から人を愛する心が消し去られることにおびえたようになる。
恋や愛、この執着するものを消し去ったときの心地よさ。しかしその反面では恋や愛という執着するものがなくなったときの怖さ。こんな矛盾をしたものが人の心の中にそのままに存在するのでしょう。
江國さんは「あとがき」に書きます。「これは、すれちがう魂の物語です。すれちがう魂の、その一瞬の物語。」と書きます。一方には執着する心が消え去り、一方には残る。このすれちがいに男女の心が現れるときがあるのでしょう。これは絶望的です。


【2006年】
ホームページが表示されない。。。。?

【2007年】
「夜かかる虹」 角田 光代  著
1998年「夜かかる虹」と「草の巣」の2編を「草の巣」として講談社から出版され、文庫化にあたって「夜かかる虹」と改題されて出版されました(文庫版最後のページより)。
角田さんの作品に「幸福な遊戯」という短編集がある。
表題作「幸福な遊戯」では、実の家族を嫌う主人公が、男二人とひとつの部屋で暮らす。それは男女関係というものを抜きにし、それぞれがお互いを束縛せずに暮らすというひとつの人のつながりの中の幸福さである。自由さといってもよいのかもしれない。主人公は家族というものを嫌うが、人のぬくもりのようなものを求めているのだろう。
家族から逃げるように人とのぬくもりを求めていくことは、成人になったときに巣立ちをしていく若者にとっては自然な成長過程にあるはずだが、角田さんの作品に表れる若者は、家族関係から逃げるようなそんな心が見えている。これが巣立ちをしていく過程の心の葛藤(家族とはいたいが自分の世界も作りたい)というもの以上の強さのある心の動きである。
角田さんの作品の主題には、この「家族とは」というものを追い求めるものがあるのではないか。
「夜かかる虹」「草の巣」もこの家族あるいは家庭というものに向き合うあるいはそこから逃げる若者を表現している。
若い人が家族から巣立ちをするときには、自分自身で食べていくという必要最低限の条件が必要で、その条件を満たしたときに巣立ちといえる。もちろん食べていけるという堅実なものを求めるのではなく、束縛もされない自由を求めることもまた巣立ちである。しかしこの巣立ちというものが、ただ家族から逃げるというだけなら、そこには経済的にも心の成長にも裏づけられないただ漂うような生活が待つばかりでありそこに不幸があるだろう。「幸福な遊戯」の中に収められている「無愁天使」という短編にみるような家族の崩壊という不幸もあるだろう。そこに逃げるというやるせないものも出てくる。角田さんの作品の根っこには何があるのかはわからないが、家庭というものに苦しいほどに向き合う作家を見ることができるのではないか。
また、巣立ちという場合には、家族関係もそのままに素直に残り意識できる。しかし逃げるという場合には、消せない家族関係の思い出や現実に残存する家族の血からも常に逃げなくてはならない。
角田さんの「夜かかる虹」「草の巣」という二つの作品に表れる主人公の姿は暗闇に落ちていく。
「夜かかる虹」には、フキコ、リカコという3歳違いの姉妹が出てくる。もちろん同じ両親を持ち、同じ家庭の中に育った。
しかしこの姉妹二人からみた家庭や家族自体は同じものなのだろうが、しまいそれぞれにおいて違うもののように写るのかもしれない。
姉と妹、兄と弟。。。。。
血がつながり幼い頃から一緒に育ったとはいえその性格は違ってくる。
親というのはどちらにも同じ愛情を注いでいるようだが、「この洋服、お姉ちゃんには小さくなったからあなたが着てね」とか、逆に喧嘩でもしようものなら「あなたはおねえちゃんでしょ!」と、その違いはあるもので、子にしてみればこの違いを複雑に受け止める。周りの大人も、同じものをお下がりとしてきていても姉が着ていたときよりも「可愛いわね♪」と妹の可愛さを言うこともあり、日常においての姉妹の心に及ぼすものは大きいのかもしれない。フキコはリカコに嫉妬したようにじめる。リカコはフキコの持つものをほしがり、それがまたフキコにとっては「取られた」という意識を生む。この確執を成人した今も持っていたとするなら。。。。
ここでは姉妹としてだが、一つの家庭というものを描いている。
リカコは小さな頃の思い出をフキコに話す。二人で小さな赤い傘を広げて立てかけて「おうち」を作ったこと。。。その狭い空間には幼い姉妹がいるわけで、結局はいろいろな確執があるにしても家族というものからは離れられないのである。
「草の巣」は、ある日、主人公の「私」が同棲する仲野のために大家に支払う家賃7万円を持ち、ビーフストロガノフを作るための買い物に出るが、バイト先の飲み屋で知り合った不気味な男村田の車に乗り付いて行ってしまうことから始まる。
村田は、家を作っているという。しかし付いていってみると、山の中にごみ同然に捨てられている壊れた家具が野原に置いてあるばかりの家だった。村田は町の中で廃屋となった家から家具を取ってきてはそこに並べる。草の巣。。。。家。
廃屋は、家具がそのまま朽ち果てるように残る。しかしその家具一つ一つにはそこに住んでいたであろう人々の生活のにおいがする。主人子も村田と一緒にその廃屋に入りその家具を見ることにより自分の家族を思い出す。村田は甥っ子の写真を大切に持つ。草の巣に持ち運ばれる家具に人のあるいは家庭のぬくもりを感じ、甥っ子のしてもその小さな子にやはり家庭のぬくもりを感じていたのか。主人公は、家庭の中にあった家具一つひとつを思い出すが、そこにはいつもテレビなどを解体して壊してしまう父親の姿があった。家自体も家具一つひとつも家族という人々を集めさせるために存在する。それを壊してしまう父親は主人公にとっては崩壊の象徴なのかもしれない。そして廃屋は何かしらの理由によるひとつの家族の崩壊を物語っている。
村田の仕事先で知り合った若い男に「あんたは男から逃げているんでしょ?」と的外れなことを言われるが、「逃げている」という言葉を引きずる。男から逃げているというのはまったくの的外れにしろ、主人公は何から逃げているのかを考える。
やはりそれは家族あるいは家庭ではないだろうか?
しかし、人は人とのかかわりの中で、家族あるいは家族のようなものを持つというのも自然であり、村田といるときでさえ、主人公はビーフストロガノフの材料のメモと家賃のための7万円を引きずるのである。村田の草の巣で、二人は缶詰の缶を開けて食べる。主人公は考える。。。。橋の下でも家具があるなら家族というものは集まるのだろう。。。。
今、このままどこへも行ける。
地図でぱっと探したところにも住めればいい。車のガソリンがなくなったときにそこに住めばいい。。。。
自由はそこにある。
しかしこの自由は、何もかも捨ててしまったときにあるのであり、物などに執着したときに自由は消えうせる。
自由な女。。。。
村田は自由だろうか?
主人公はその男に何を見るのか?
自由は孤独。自由は平凡。。。。。
草の巣にすめるようになったらそこから仕事へ行くと村田は言う。
しかし。。。
「ある日行かなくなる。だれも気づかない。おれはいなくなる。ど、どこにもいなくなる。」
と。
この言葉は、主人公にとっては怖い言葉なのだろう。
やはり人はどこに逃げても家庭にこだわらざるを得ずに、最後はその中で朽ち果てていくという怖さ。
主人公の心は揺れ動く。そこに心の解決はない。
逃げたい。。。。でも、村田に追いかけてもらいたい。。。。
主人公はどこに行こうとしているのか?それは主人公にもわからないのであり、この暗闇に落ちた主人公に読者の心も暗闇に入り込むだろう。
しかし、この個人と家族あるいは家庭というものは誰でもが背負うものであり、主人公が特別ではない。特に若い人たちが心に持つ心の成長過程にある不安のひとつであることは間違いないだろう。

【2008年】
ベランダの花たちがもぞもぞと動き出したよう。
まだ寒いですが天気のよい日の日差しは春です。
ミニバラの枝からは新しい枝の芽が急激に伸びてきました。
今年は、小さい鉢にいくつか分けてあるアマリリスを一つの大きな鉢に植えようかと思い、先日ホームセンターに鉢や土を買いに行きました。
ホームセンターには春の花がたくさん売られていてどれも買いたくなるのですが、もうこれ以上鉢を増やすわけにも行かないし、どうもずぼらな僕としてはうまく育てられそうもないので買うのはやめ。。。。
スーパーに行ったら、BSE検査済みの牛肉というのがありました。少しは安心かなと思い買ってきたのですが、どうも疑い深い僕としては、たとえば遺伝子組み換えをしていない大豆を使った豆腐と聞いた場合、この遺伝子組み換えをしていないという業者の言葉をそのままに受け取り、加工する業者は遺伝子組み換えではないとするのかも?というような疑念が湧くのです。どうなんだろ?「中国餃子」として報道された一連の事件もそうですが、売るほうは検査を仕切れていないようですから。ですからBSE検査をした牛肉といっても100%安心とまでは行かない。
もちろんこれは、僕のゲスの勘ぐりなのでしょうから話半分に読んでください。でも、食の安全が崩れている今、僕のようなもう一つ安心できないというものが湧いてくるというのは確かとは思うのですが。。。。
牛肉を焼肉のタレで焼き、サラダをつけました。
ところが何を勘違いしたのか、フルーツサラダの材料をそろえながらも、惣菜コーナーでもポテトサラダを買ってしまったのです。どうしようかなと思ったのですが、ポテトサラダをベースにして、他のフルーツも混ぜて見ました。そこにフレンチドレッシングを少しとマヨネーズであえてみました。
それが。。。。
うまかったのです!!
また作ろう。。。。とはいえ、ジャガイモを自分で入れればいいんですよねぇ。

「夜かかる虹」  角田 光代  著
1998年「夜かかる虹」と「草の巣」の2編を「草の巣」として講談社から出版され、文庫化にあたって「夜かかる虹」と改題されて出版されました(文庫版最後のページより)。
角田さんの作品に「幸福な遊戯」という短編集がある。
表題作「幸福な遊戯」では、実の家族を嫌う主人公が、男二人とひとつの部屋で暮らす。それは男女関係というものを抜きにし、それぞれがお互いを束縛せずに暮らすというひとつの人のつながりの中の幸福さである。自由さといってもよいのかもしれない。主人公は家族というものを嫌うが、人のぬくもりのようなものを求めているのだろう。
家族から逃げるように人とのぬくもりを求めていくことは、成人になったときに巣立ちをしていく若者にとっては自然な成長過程にあるはずだが、角田さんの作品に表れる若者は、家族関係から逃げるようなそんな心が見えている。これが巣立ちをしていく過程の心の葛藤(家族とはいたいが自分の世界も作りたい)というもの以上の強さのある心の動きである。
角田さんの作品の主題には、この「家族とは」というものを追い求めるものがあるのではないか。
「夜かかる虹」「草の巣」もこの家族あるいは家庭というものに向き合うあるいはそこから逃げる若者を表現している。
若い人が家族から巣立ちをするときには、自分自身で食べていくという必要最低限の条件が必要で、その条件を満たしたときに巣立ちといえる。もちろん食べていけるという堅実なものを求めるのではなく、束縛もされない自由を求めることもまた巣立ちである。しかしこの巣立ちというものが、ただ家族から逃げるというだけなら、そこには経済的にも心の成長にも裏づけられないただ漂うような生活が待つばかりでありそこに不幸があるだろう。「幸福な遊戯」の中に収められている「無愁天使」という短編にみるような家族の崩壊という不幸もあるだろう。そこに逃げるというやるせないものも出てくる。角田さんの作品の根っこには何があるのかはわからないが、家庭というものに苦しいほどに向き合う作家を見ることができるのではないか。
また、巣立ちという場合には、家族関係もそのままに素直に残り意識できる。しかし逃げるという場合には、消せない家族関係の思い出や現実に残存する家族の血からも常に逃げなくてはならない。
角田さんの「夜かかる虹」「草の巣」という二つの作品に表れる主人公の姿は暗闇に落ちていく。
「夜かかる虹」には、フキコ、リカコという3歳違いの姉妹が出てくる。もちろん同じ両親を持ち、同じ家庭の中に育った。
しかしこの姉妹二人からみた家庭や家族自体は同じものなのだろうが、しまいそれぞれにおいて違うもののように写るのかもしれない。
姉と妹、兄と弟。。。。。
血がつながり幼い頃から一緒に育ったとはいえその性格は違ってくる。
親というのはどちらにも同じ愛情を注いでいるようだが、「この洋服、お姉ちゃんには小さくなったからあなたが着てね」とか、逆に喧嘩でもしようものなら「あなたはおねえちゃんでしょ!」と、その違いはあるもので、子にしてみればこの違いを複雑に受け止める。周りの大人も、同じものをお下がりとしてきていても姉が着ていたときよりも「可愛いわね♪」と妹の可愛さを言うこともあり、日常においての姉妹の心に及ぼすものは大きいのかもしれない。フキコはリカコに嫉妬したようにじめる。リカコはフキコの持つものをほしがり、それがまたフキコにとっては「取られた」という意識を生む。この確執を成人した今も持っていたとするなら。。。。
ここでは姉妹としてだが、一つの家庭というものを描いている。
リカコは小さな頃の思い出をフキコに話す。二人で小さな赤い傘を広げて立てかけて「おうち」を作ったこと。。。その狭い空間には幼い姉妹がいるわけで、結局はいろいろな確執があるにしても家族というものからは離れられないのである。
「草の巣」は、ある日、主人公の「私」が同棲する仲野のために大家に支払う家賃7万円を持ち、ビーフストロガノフを作るための買い物に出るが、バイト先の飲み屋で知り合った不気味な男村田の車に乗り付いて行ってしまうことから始まる。
村田は、家を作っているという。しかし付いていってみると、山の中にごみ同然に捨てられている壊れた家具が野原に置いてあるばかりの家だった。村田は町の中で廃屋となった家から家具を取ってきてはそこに並べる。草の巣。。。。家。
廃屋は、家具がそのまま朽ち果てるように残る。しかしその家具一つ一つにはそこに住んでいたであろう人々の生活のにおいがする。主人子も村田と一緒にその廃屋に入りその家具を見ることにより自分の家族を思い出す。村田は甥っ子の写真を大切に持つ。草の巣に持ち運ばれる家具に人のあるいは家庭のぬくもりを感じ、甥っ子のしてもその小さな子にやはり家庭のぬくもりを感じていたのか。主人公は、家庭の中にあった家具一つひとつを思い出すが、そこにはいつもテレビなどを解体して壊してしまう父親の姿があった。家自体も家具一つひとつも家族という人々を集めさせるために存在する。それを壊してしまう父親は主人公にとっては崩壊の象徴なのかもしれない。そして廃屋は何かしらの理由によるひとつの家族の崩壊を物語っている。
村田の仕事先で知り合った若い男に「あんたは男から逃げているんでしょ?」と的外れなことを言われるが、「逃げている」という言葉を引きずる。男から逃げているというのはまったくの的外れにしろ、主人公は何から逃げているのかを考える。
やはりそれは家族あるいは家庭ではないだろうか?
しかし、人は人とのかかわりの中で、家族あるいは家族のようなものを持つというのも自然であり、村田といるときでさえ、主人公はビーフストロガノフの材料のメモと家賃のための7万円を引きずるのである。村田の草の巣で、二人は缶詰の缶を開けて食べる。主人公は考える。。。。橋の下でも家具があるなら家族というものは集まるのだろう。。。。
今、このままどこへも行ける。
地図でぱっと探したところにも住めればいい。車のガソリンがなくなったときにそこに住めばいい。。。。
自由はそこにある。
しかしこの自由は、何もかも捨ててしまったときにあるのであり、物などに執着したときに自由は消えうせる。
自由な女。。。。
村田は自由だろうか?
主人公はその男に何を見るのか?
自由は孤独。自由は平凡。。。。。
草の巣にすめるようになったらそこから仕事へ行くと村田は言う。
しかし。。。
「ある日行かなくなる。だれも気づかない。おれはいなくなる。ど、どこにもいなくなる。」
と。
この言葉は、主人公にとっては怖い言葉なのだろう。
やはり人はどこに逃げても家庭にこだわらざるを得ずに、最後はその中で朽ち果てていくという怖さ。
主人公の心は揺れ動く。そこに心の解決はない。
逃げたい。。。。でも、村田に追いかけてもらいたい。。。。
主人公はどこに行こうとしているのか?それは主人公にもわからないのであり、この暗闇に落ちた主人公に読者の心も暗闇に入り込むだろう。
しかし、この個人と家族あるいは家庭というものは誰でもが背負うものであり、主人公が特別ではない。特に若い人たちが心に持つ心の成長過程にある不安のひとつであることは間違いないだろう。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
二大政党制の矛盾が出ている。その矛盾は同じような政策を持ちながら国会内の主導権争いに混沌としたものがどんよりと流れていく。政策で、子供手当てがバラマキだという政策的な論争があるにはあるが、民主党のバラマキ政策は自民党時代のバラマキ政策の二番煎じであり、自民党は野党となってそのバラマキを攻撃する。どちらも基本政策は企業生き残り策のデフレ下の個人消費拡大策で、そのために税金を国民にばら撒き財政の赤字は消費税で補う。それもバラマキの財源はあるが年金や社会保障費はないという論理で大衆課税を行うというもので、結局はどう企業利益を確保するかで消費税は存在をする。
しかしその企業が社会的にどのような役割をするかといえば、国内の雇用情勢は変わらず、今、春闘があるわけだがかたくなに賃上げは拒む(追記:連合は企業防衛に中に自己防衛を見る)。すべて国外生産と株や金融そして国債に消えて息国民生活には企業利益は結びつく理念がない。
二大政党制は、徹底された民主主義の中にしか存在はありえない。駆け引きだけでは拮抗する勢力の中で常に「ねじれ」が出る。ねじれは国民生活抜きの勢力争いとなり結局は政治の混迷である。国民生活に青磁はあるということは、国民生活が低下していけばそれは国力が下がるということで、国民生活をどうするかを議論してその議論が二大政党制の民主主義につながる。しかし今はそれは絶望的であり政治的民主主義は縮小する。
同時に二大政党制がその基本的政策が同じであることから大連立的なものになるとそれは一党独裁的な政治的民主主義がなくなる。国民生活を考えた中の政策的一致ならばまだ良いが、国民生活を無視した格差社会の拡大につながるならばそれは独裁となる。国民生活を議論する。。。。そうするとさまざまな階層について検証しなければならないわけで、もちろん企業のことも考えるわけで、必然的にその議論は民主主義を強化していく。
なかなか二大政党制による民主主義は現在は難しいだろう。ではどうするか?社会民主主義勢力をどう形成するかである。今の国会内でも小さな社民党の勢力でも二大政党制での政策に影響を及ぼすことができる条件があった。国民生活をいろいろと考える中での第三の勢力としての社会民主主義勢力をどうにか形成しなければならない。
ネットが世界を動かすというものが出てきましたが、グーグルにも見つからない見つけにくいような細々とした国民生活を考える(追記:声の)勢力をつなげなければならないでしょう。
もちろんそれは政策を考えていく中で今の二大政党制を考えるものでなければならないことはいうまでもありません。

   「銀色夏生です。ツイッター、はじめます。」(幻冬舎文庫)
去年3月に夏生さんがホームページを再開され(ずっと以前に「小さな窓からこんにちは」(だったか?というホームページがあったようです)びっくりするとともに飛び上がるような喜びを感じました。そしてまたツイッターまではじめられたと!!
ツイッターを読ませていただくとまるで「生つれづれノート」では!とうれしかったです。そしてツイッターを通じてお話ができるのかなと思い、僕も遅ればせながらツイッターをつくりました。そして今回ツイッターをはじめられたときからの夏生さんとファン・読者との「会話」が本になりました。
以前、「おしゃべり本シリーズ」として「つれづれノート」に登場する方などとお話しをされたものを本にされていましたが、そのときの感想として、おしゃべり本はファンや読者とのおしゃべりで完結するのではとかいた覚えがありますが、まさにファンや読者とのおしゃべりですね。。。。その前段としては、「へなちょこ探検隊2」(幻冬舎文庫)の発売と幻冬舎の創立記念?とあわせて行われたサイン会にファンなどとのふれあいがはじまりましたし、その後はさまざまなファンとにつながるように前に出てきていらっしゃいました。そしてこのツイッター本の発売と先日行われたCDの発売に際してのミニコンサートとサイン会に。
作家というのは案外孤独だと思います。もちろんファンレターや(そういえば、「つれづれ」の中でファンレターをまたお読みになるようになったともお書きになっていましたね)ほんの発行部数で読者やファンとつながりを見ることがあるのでしょうが、生のファンや読者の声そして反応とはなかなか接することができないものがあると思います。もちろん、夏生さんの基本は今もその孤独の中から浮かび上がる思いを本にするというものに変わりはありませんし、その意味で孤独は今もおありだと思います。そしてその孤独をぐっと自分の心の中に沈ませる。その中においての生の読者やファンとのおしゃべりですね。
この本は、そう、この「本」は「作品」としてではなくてツイッター本です。一人の作家とそこに集まるファンや読者。。。それをそのままに本にしたものです。ですから多くは読者やファンの「返信」としての言葉です。ツイッターをしている方ならその自身の「ホーム」にあたるページをそのままにという本です。夏生さんからは読者やファンの方へのフォローはありませんから、その「ホーム」は、ご自身がツイートされたものと「返信」とその夏生さんからの再返信という価値になっています。
僕はまるでツイッターに集まる声を読むように次から次へと早いペースで読みました。そのように読むのがこの本の中身を見ることができるのではないかと思います。そしてぐっと来る言葉にリツイートしたり返信ができない代わりにページに折り目を入れました。
作家というある意味「有名人ツイッター」ですから、一つの世界が生まれます。それが「銀色なみな」(銀色な皆さん)世界でしょうね。
長い間ファンであった方の声。。。。それは「つれづれ」やしに勇気付けられながら生きていたという声です。そして夏生さんの行動力とぐっと来る言葉にひきつけられ、そして同じ一日を生きているんだという一体感が出ています。それは夏生さんご自身の感じるものでしょう。ファンと一緒に同じ一日を生きている。それが「銀色なみな」という一体感です。その世界が染み出るように現れた本ですね。
ツイッターという世界がどんな世界を作り出せるか?ツイッターをしている方これからはじめたいと思う方にも、夏生さんのファンでもなくても面白く読める本だと思います。
でも、反面ツイッターだけではありませんがネット上のつながりはより広いつながりを作りますが、その中に入らない(入れない)ファンも多くいるということで、ある意味夏生さんとファンとがこじんまりと固まってしまうことにもなります。その意味では、後書きに次のツイッター本は、自分のツイートを中心にしたものにしたいとお書きになっていますが、その中でツイッター本は一つの「作品」となるでしょうし、多数の読者への問いかけとなると思います。
夏生さんという一人の作家、女性の生のつぶやき。。。。
それを楽しみにしています。
ネット世界は作家も読者もない。一人の人間として入っている。夏生さんも読者やファンがその個人のホームでどのように他の方とつながっているかに興味をお持ちだと思います。それは膨大な世界になるでしょう。でも、そこでいえることは、一人ひとりの読者やファンはその生活を送っているということです。その中にさまざまな喜怒哀楽があって、というよりもだからこそ夏生さんの言葉に励まされる。「おはよう!」というツイートに励まされる。同じ一日を過ごすために。悲しいけど苦しいけど、そして楽しいことがあったよ!!と。

【2012年】ツイッターつぶやき
まず昨日のツイッターから転載。
「昔、春闘が華々しいころ大幅賃上げが行われたが、その賃上げを抑える論理の一つして賃上げをすると物価も上がりインフレになると。賃上げすると企業も値上げをしていくということでしょう。今、政策インフレが議論になっていますが、ある意味内需型の経済政策が良いということになるのでしょうか。」
「内需を伴わないインフレがどのような結果を引き起こすでしょうか。。。。インフレを起こすのではなくてデフレを抑えること、この意味においての内需型の経済政策が必要でしょう。」
「内需を伴わないインフレがどのような結果を引き起こすでしょうか。。。。」ツイッターでは書けませんでしたが、今でも吹きたまっている金がさらに吹きだまっていくということです。この吹き溜まりが国債や株に回り、金融商品に回り、穀物や不動産への投機に回るなど、国民生活に直接働きかける金としては機能しないということで、その結果はインフレ化のバブル状態が引き起こされてその後はじけて矛盾が拡大するということです。バブル化にはならないまでも国民の消費は減り続けて商品価格の下落は進み、デフレがさらに広がる。一方では株や不動産の価格が上がりインフレ傾向になる。スタグフレーションというのはこのようなものと考えてもいいと思います。
そもそもデフレの状態であるのにそこに政策的なインフレを導入しようというのが乱暴すぎるのではないでしょうか。国内消費が上がっての自然な形のインフレならばそれはデフレを脱却させる一つの現れとなりますが、政策的なインフレですから今の国の考え方とすれば国内消費(国民生活の安定からの内需拡大)は考えないわけで、上に書いたようなスタグフレーションそしてその結果としてのバブルとして終わるのではないでしょうか。
デフレからの脱却と政策インフレとは違うものでしょう。政策インフレはどちらかと言えば過熱しそうなインフレを抑えて一定のインフレ率にするということでは機能するでしょうが、デフレ脱却の方法としてはその機能は生かされないで矛盾を広げるだけでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
「外債を購入するには、円を売って外貨に換える必要があり、円売りの為替介入に相当する効果がある。」 (時事ドットコム)
昨夜のテレビで政府が公共事業費を大幅にアップするという事から「予算のぶんどり合戦」がはじまっているという。さっそく族議員が活躍をし始めたりするのでしょう。そして地元に予算を「ぶんどる」「力のある政治か」がまた注目をされるのでしょう。
上に書いた外債購入は180度がらっと変わって購入しないようになるようですが、借金大国が景気が悪いと嘆く企業が多い中アメリカ国債を大量に持っているのにさらに概査を買うという発想を持ったことに国民生活軽視が現れます。
先の「ぶんどり合戦」も何を分捕るのかといえば予算ですが、その予算は税金です。
生活保護費の切り下げなど社会保障の行方が暗くなっている中そして消費増税が迫っているなどういう発想なのでしょうか。公務員給与も下げられますがこれも気にも汗をかくとか痛みを分かち持つといことでした。そして公務員給与が下げれば国民生活が楽になるといった幻想を持った人も多い中、民間賃金の行方も混沌として円安誘導政策が物価を押し上げていきます。
だんだんとアベノミクスの正体が現れてきていますね。
しかし儲け話があるわけですから国民の中にもそれに便乗しようとします。
マネーゲームでの不労所得の増加と勤労所得の低下が同時に発生をする。様々な面でまた格差は拡大するでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
あと1ヶ月ほどで消費税が8%になりその後10%へと検討されはじめている。
住宅や自動車など高額の商品につおいて購入を予定している人やこの際買っておこうという富裕層の駆け込み需要があったのでしょうが、さらに10%になる前に買っておこうという人がどのくらいいるか?また百貨店での高額商品の売り上げも同じでしょう。しかし一般国民の日常においての消費は、タバコ消費税が上がるときにまとめ買いといったものがありましたがそれと同じ程度のまとめ買いぐらいでしょう。しかしここにきてこの駆け込み需要も本当だったかという疑問も出始めているようです。残念ながら会員ではないので前文読めないのですが「駆け込みでの高成長はウソ?増税前夜の消費を読む」という記事がありました。記事から好景気といわれたこと自体に誤りがないのかあるのかはわかりませんが、どうも駆け込み需要の気体も薄いのではないかというものを感じます。
前回の小泉景気といわれたころ国民には実感なき景気だったわけで、今回言われている好景気も実感なき好景気です。この実感なき好景気は消費を伸ばすことにはつながらないという意味を含むものでしょう。
経済の土台が不安定の中の消費増税ですが、それを97年冬至と比較した「消費増税相場の足音97年に学ぶリスクシナリオ」という記事があります。
「つまり消費増税は景気(個人消費)を悪化させ、巨額の景気対策を打つ羽目になりました。税収を増やすどころか、国の借金を大きく膨らませる結果となったことはこれらの数字から明らかです。」(上記リンクページより引用)
97年当時と今とを比べれば世界の動きには違いはあるでしょう。しかし今日も日本株は大幅に下落をしてその原因を世界的な消費の原則と日本の貿易赤字と見ているようですが、今の日本の経済状況は97年当時よりも悪化をしている状態と見るべきで、そこでの消費増税となります。労働者の賃金は下がり続けてきましたしその中での景気(個人消費)は悪化をするでしょう。
ひとつ違いがあるとすれば政府が賃上げの必要性を認めている点です。消費増税と共に春闘の妥結もありますから一部輸出産業は賃上げをするかもしれません。しかしこの賃上げがどこまで波及するかとなれば平均賃金を大幅に引き上げることにはつながらないでしょう。やはり「期待感」の域を出ないと思います。
問題なのは株価へのリスクだけではなくて国家そのものの先行きへのリスクにまで拡大する危険性と国民生活の壊滅的なリスクです。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
去年3鉢100円で買ってきたアリッサムがたくさんきれいに咲きはじめました。
3鉢100円ですからもうだめかと思われる状態でしたが、どうにか去年の夏を日陰に避難させ、この冬の寒さは日当たりのよいところに出しておきました。
多年草だそうですが、夏の暑さや冬の冷たい風は苦手なようです。
いまは2株のビオラの間で赤い小さな花を咲かせて地面に広がっています。ビオラだけでは寂しいのですが、アリッサムの赤がアクセントになってきれいです。
今年の夏を大切にして育てたいと思います。
そういえば、ブルーサルビアも無事冬を越して葉の芽がたくさん出てきました。小さな紫色の花をたくさん咲かせますが、ほのかな甘い香りがそよ風に乗って漂います。これもビオラを横に植えておきましたが、花の時期は一緒ではないですね。ビオラが終わったら、ブルーサルビアの横にトリニアを植える予定です。トリニアの種まきはそろそろかな?今度調べてみよう。。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
2月12日に「働き方改革は誰のため?」というものを書いた。働き方改革も労働者のために行われるのではなくて企業利益のために行われるものではないかと書いた。
ここにきて安倍総理の裁量労働制の方が労働時間が少ないというデーターもあるというのが間違いであり安倍総理が謝罪した。
能力のある労働者がある一定の成果を上げれば早く帰れるといったようなもので、その場合労働者の裁量に企業はゆだねるといったものでしょう。しかし馬車馬のように働いで成果を上げても早く帰れるどころかかえって労働時間が伸びてしまう。逆に考えれば、ある成果が達成できなければさらに長時間働くことにもつながっているでしょう。無理なノルマがある限り裁量労働制は労働時間を長くするという事です。
同時に弾力的労働時間も同じでしょう。
時間外労働面では、残業をするのも個人の裁量となってしまう危うさがあります。企業の解釈次第となります。
間違ったデーターを3年間も平気で利用しての法案の根拠の一つですから働き方改革はいい加減なものと言えるでしょう。これから100時間という残業をやらせることが法的なお墨付きが出るわけですし、労働時間が長くなるという事は労働者が健康で働く条件が少なくなるという事です。産業医の規制するといっても産業医は産業医です。健康の不安どころか過労死の問題も出てくるでしょう。
いい加減なデータを用いて法案化をしたならそれは内閣のでき忍です。完了官僚が悪いというトカゲのしっぽ切りでは済まされません。内閣の意図的だったかどうかも徹底して国会の場で明らかにしなければなりません。

【2019年】ツイッターつぶやき
東京も暖かくなってきました。
日中は19度まで上がりました。夜になっても暖かです。
夕方ベランダに出て外を眺めていてふとかねのなる木に目を移したら、白い星のような小さな花が3つほど咲いていました。
今日の暖かさで一気に咲いたのでしょう。
花は触ると少しべたべたします。たぶん蜜が多いのかも?
毎年小さな蜂が飛んできて蜜を集めています。
啓蟄まではまだだいぶありますが、このまま暖かさが続けば今年はこの小さな蜂も早いかもしれません。
霞始靆(かすみはじめてたなびく)2月23日頃
きょう東京に春霞が出たようです。この春2回目です。
やっと春らしくなってきましたなぁ。。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
毎日ウォーキングをしています。
1日平均は6500歩ほどですが毎日少し歩くことはよいのかなと思っています。
買い物や家の中でも歩きますから8000歩ぐらいでしょうか。
この1か月を見ると体重も体脂肪もいろいろと変化はないのですが、数値を見れば「やや高め」を維持しています。
体重もそうですがやや高めがいいのかなと思います。
痩せると体に悪いし、太っても体に悪い。
とは言っても理想な体系を維持することは無理ですから、やや高めでちょうど良いのかもしれません。
しかし。。。。。。
ウォーキングをすると、腹が減ってついついおやつを食ってしまう。
いかん、いかん。。。。。
とは思うのですが、おやつを食っても少し高めを維持できるというのはウォーキングの効果ではないかと思います。
あとは血中コルステロールなどがどうなっているかですね。。。。。
体年齢がマイナス14歳というのは案外良い数値かも。
15年前に比べて4歳も若返っている!!
≪データー≫
体重
05年      6〇.3㎏
14年      6〇.3㎏
20年1月22日 6〇.3㎏
   2月20日 6〇.1㎏ 
〇の部分はナイショ(笑)でも、2キロぐらいの差です。
体脂肪率
05年      16.9%
14年      19.8%
20年1月22日 21.9%
   2月20日 22.4%
内臓脂肪率
05年       8.0%
14年      12.5%
20年1月22日 10.0%
   2月20日 10.0%
骨格筋力
05年      33.9%
14年        ?
20年1月22日 34.0%
   2月20日 33.7%
基礎代謝
05年      1569
14年      1475
20年1月22日 1564
   2月20日 1551
BMI 
05年      22.7
14年      23.4
20年1月22日 23.1
   2月20日 22.9
体年齢
05年      -10歳
14年      -13歳
20年1月22日 -14歳
   2月20日 -14歳

【2021年】ツイッターつぶやき
テレビコマーシャルで高速道路で車が勝手に追い越しをしてくれるシーンが流れている。これも一つの自動運転システムでしょう。でも、追い越しなら毎日行っているわけですからそうは必要性を感じませんね。ただ、一定の条件で車が安全を確かめて追い越しするなら安全面では良いのかもしれません。しかし毎日一般道でも緊張しながら追い越しをしているわけですから実用面というよりもこういっては失礼かもしれないが遊び程度にしか利用しないかもしれない。
事故防止の安全アシストですね。
この事故防止システムでは障害物や前方の車や人にぶつからないというものも出ている。すでに大衆車でもこのような安全装置は義務化されているように標準装備になっている。たしかにちょっとした不注意や高齢での注意力低下での事故防止には必要なのかもしれない。ただしこの安全装置が作動するのは限られた条件の実のようですが。
追い越しのサポートや安全装置の進化これは自動運転へ向けて欠かせない技術力なのでしょうが、まだ僕たち一般人が思い描く自動運転とはだいぶかけ離れたものでしょう。
ホンダやレクサスで世界に先駆けてレベル3の自動運転車が発売されそうです。
レベル3になると事故が起きた時の責任はすべてメーカー側になるそうです。しかしメーカー側の責任になるのですからその安全を保障する条件はやはり限られます。高速道路など自動車専用道路での渋滞時時速30キロ以下が条件のようです。高速道路の渋滞で前の車にぶつけるという事故は多いでしょうから安全面では良いですね。そしてスマホをいじっていても勝手に車は動いてくれるのですからイライラや疲れも解消されるでしょう。ただし眠くなりますなぁ。
こう見るとレベル3でも自動運転としてはかなり制限されたものです。
レベル4、レベル5に到達するには間がかなり時間が必要らしいです。
日本の込み合った一般道でも自動運転ができるようになればいいですね。家族で夜中に出かけてみんなで寝ながら目的地へ。自動運転のイメージとしてはここまで来ないと。。。。。
最近5Gのスマホが登場したばかりですが、世界は6Gの実用化に向けてすでに動いているようです。中国やアメリカそしてヨーロッパではしのぎを削っているようです。この面で日本の遅れはどうなんでしょ?世界は電気自動車に向かい複雑なエンジン技術もいらなくなり、6Gでも後れをつるなら日本の自動車メーカーはただの箱モノを作るだけになってしまいます。
この6Gという情報処理速度が自動運転の必須のようです。
インターネットを眺めていると、この6Gが実現し終わり2040年ぐらいには完全な実用ていきな自動運転が実用化されるようです。
どうにか生き延びて自動運転を見てみたいものです。
アメリカが火星探査の車の着陸に成功したそうです。
自動運転も様々な科学技術の発展の中の一つですから2040年ごろはどんな社会になっているか。。。。
でも。人間の科学技術に対して人間の社会システムがうまく適応できるのかが心配です。今のままではせっかくの科学技術の進歩も人間にとって幸福を実現する道具にはならないでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
新規感染者数の下がり具合が緩やかになりそうですね。
緩やかと言ってもオミクロン株は感染の広がりが急激でしたのである程度抑えることができればやはり急激に減少すると思うのですが、どうもほかの国に比べて緩やかだということです。
この緩やかというのは下げ止まりあるいは高止まり減少ということになります。
陽性率が40%ですからこれが5%程度にならないと急激な現象減少とはならないでしょう。市中感染者が多く市中にいる。すると感染防止策が行われてもなかなか感染を抑えきれないことが起きているかもしれません。
来週の新規感染者数と陽性率の数値がどのくらい前の週を下回るか。

【2023年】ツイッターつぶやき
南関東は暖かでした。東京も朝から晴れて気持ちがよいので房総半島1周のドライブに行ってきました。
房総半島は未知の駅道の駅が多くていつもいくつかに立ち寄ります。
今日は大多喜町あたりの道の駅に立ち寄ったのですが、いろいろ見慣れない野菜がありました。ドングリを大きくしたような形のイモや加茂菜という野菜がありました。イモはどうやって食うのかわからないので加茂菜だけを買いました。
見た目はなんとな菜花ですが、葉っぱはそうはしわくちゃではない。菜花に比べて葉っぱが硬そうです。
帰ってきて茹でたのですが、香りが菜花に似ていました。花が一つ出ていたのですがやはり菜花です。
東京のスーパーでは見たことのないその地方独特な野菜なんでしょうね。
道の駅に行く前にテレビ番組で見た笠森観音に行きました。

こじんまりとした二月堂のよう。。。。。。
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