夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2024年 2月19日(月)「納豆豚キムチ炒め」

2024年02月19日 21時40分40秒 | 「男の料理」
我が家は豚キムチ炒めが好きなので、今夜も作ろうと思い材料を買ってきました。
しかし時々であってもいつもの味だと開きますね。
以前からキムチ納豆が好きで食べていましたが、キムチと納豆は相性がいいですね。
キムチが残ったらキムチ納豆にしようと考えながら作っていたら、豚キムチにも納豆が合うのではと思いました。
しかし納豆を熱い炒め物に入れるのは冒険ですなぁ。
家族に今日は納豆キムチ炒めだぞと事前に知らせて作りました。
さて大きなブーイングが出るか心配でしたが。。。
普通に豚肉と玉ねぎを炒め、火が通ったらキムチと納豆を投入。さらに炒めます。
少し粘り気が出たので火を止めた。
皿に盛り付けて、さて、夕食。。。。。。
いやぁ。。。。
これがうまかった。家族も納豆を入れたほうがおいしいと。
大成功でした。
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池に浮かぶ月2164【2月19日】

2024年02月19日 20時41分20秒 | 「池に浮かぶ月」
去年、どこの国だったか?LGBTの方が女性シャワールームに入った。他の女性は抗議をしたら、逆に差別主義者とされてしまった。
性を考える場合、やはり肉体的な差を無視できませんね。
風呂に心は女性というLGBTだという方が入ってきたら大変ですよね。
逆に男風呂には心は男だという人はそうは入ってこないでしょう。
づしても女性の風呂やトイレが問題となる。これはやはり制というものは体を基準にしないとだめですね。
スポーツでも問題になっている。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 2月19日(日)「LGBT」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「2月19日という日」

2024年02月19日 08時06分06秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
我が家は豚キムチ炒めが好きなので、今夜も作ろうと思い材料を買ってきました。
しかし時々であってもいつもの味だと開きますね。
以前からキムチ納豆が好きで食べていましたが、キムチと納豆は相性がいいですね。
キムチが残ったらキムチ納豆にしようと考えながら作っていたら、豚キムチにも納豆が合うのではと思いました。
しかし納豆を熱い炒め物に入れるのは冒険ですなぁ。
家族に今日は納豆キムチ炒めだぞと事前に知らせて作りました。
さて大きなブーイングが出るか心配でしたが。。。
普通に豚肉と玉ねぎを炒め、火が通ったらキムチと納豆を投入。さらに炒めます。
少し粘り気が出たので火を止めた。
皿に盛り付けて、さて、夕食。。。。。。
いやぁ。。。。
これがうまかった。家族も納豆を入れたほうがおいしいと。
大成功でした。

≪過去の記事≫

【2004年】
コーヒーショップの中には10人ほど腰掛けられる丸い大きなテーブルがあります。そのひとつのいすに座りコーヒーを飲んでいたら、おばちゃんたち4人のグループが入ってきて、店内が混んでいたので僕を挟んで座ってきた。僕も一応気を使って席をずらしましょうかと聞いたのですが、「いや、すぐに出ますからいいですよ」と。
しかし・・・・
僕を挟んで叔母ちゃんたちはしゃべりはじめた。ハハハ・・・・うるさかった。。。。

『泣かない子供』
角川文庫
江國 香織  著

江國さんのエッセイ集です。
5つの章からなり、恋・家族・少女期・読書日記など、幅広いエッセイをまとめたものです。
江國さんの作品を読むと(とはいってもまだ数冊しか読んでいないのですが)、優しくサラサラと流れるような文章で、小説の終わり方も何か余韻というのかこれから先はどうなるんだろと思ってしまうようなものを感じますが、エッセイを読むと、小説と同じように優しく流れる時間を感じるとともに江國さんのはきっとした芯の強さを感じます。
江國さん、江戸っ子だったのですね。。。。。
小説のどこまでがフィクションで、どこまでがノンフィクションかという質問に、こんな質問をされるたびに「こいつ、頭悪いな」と思うという箇所がありますが、核心から外れたものにびしっと書いているところなどは手厳しいです。僕がエッセイを読もうと思ったのも、小説の中にどこまで江國さん自身が描かれているのかという疑問もありましたので、ガツンと頭をたたかれたような思いです。
どこまでがフィクションで、どこまでがノンフィクションか。「小説というのはまるごとフィクションである、と私は信じているし、それでいてどんな嘘八百をならべても、書くという行為自体、作家の内部通過の時点で内的ノンフィクションになることはまぬがれない」本を読むというのは、このような作家の内面と読んだものの内面の会話ですね。このエッセイ集には江國さんの書く姿勢や、読書日記からどのような小説を評価するかがちろばめられています。
小説中に出てくる場面、それがどれだけ作家の実体験かというような詮索はともかく、このようなエッセイで作家が生い立ち・家族・読書傾向などさまざまな自分自身を描くとすれば、読者がそれを読み、小説を解釈していくうえでエッセイの影響を受けることもまぬがれない。内面を描いているとはいえ、その内面は、それまでの作家の実際的な経験から出来上がっているのだから。作家が内面を表現しようとし、読者はその内面を読み取り自己の内面と作家の内面は会話されるが、それは作家という人間を見ることになる。読者がその作家を好きであれば好きなほど人間を知りたくなるのも仕方ないだろう。
「スイカの匂い」に出てくる少し厳しいような父親、やはりその父親を描く中に江國さんは父親のある一面を思うことになるだろうと、エッセイ集を読むとそこに描かれている実際の少し厳しいところのある父親をダブらせてしまう。
これは、作品を読み続けていくうえでイメージを作り上げてしまう意味でマイナス面もあるが、作家や作品をより深く理解するうえでは欠かせないものになる。
難しいです。
このエッセイ集に書かれている江國さんのご家族、素敵ですね。。。。



【2005年】
(記事なし)

【2006年】
昨日は寒かったです。
その分今日は暖かく感じました。晴れると寒いし天気が崩れると暖かくなる。どちらを選べばいいのか。。。究極の選択を季節の変わり目という気候に突きつけられているような気がします。
日が長くなってきたのもうれしいです。もう、5時になっても明るくなりました。公園で見かける子供達も5時まで遊ぶようになりました。
春のおとづれはいいですなぁ。。。。
しかし、もうスギ花粉が飛び始めたようです。このニュースを聞いただけで花がむずむずしてクシャミが出ました。いつもながら暗示にかかりやすい性格です。
一昨日の新聞だったか?今日本は好景気らしい?景気の継続が記録を抜くのではないかと?
なんだかなぁ。。。。
それにしてもデフレ傾向は相変わらずだという。そしてデフレからの脱却が望まれているようである。このデフレからの脱却は、インフレを言うのだろうか?
今の景気のよさといわれているのは、設備投資とアメリカ中国の経済発展に支えられているのか?以前から言われている個人消費はどうか?個人消費がまだ回復していないか伸びが危ういかであるなら、少しのインフレでも個人消費は落ち込むのでは?
設備投資はいつか大衆消費財の生産と販売により減価償却されなくてはならないが、それがあんがい危うくて、アメリカの経済の不安もあり、日中の関係も危うい。。。。
まだまだ本格的な景気回復は先のような気がする。
なんて書いたが、要するに我が家の家計には景気回復は見られないということがいいたいのである。

【2007年】
晴れてはいましたがそれにしても寒い。。。
まぁ、まだ2月ですからね。これが普通でしょう。
東京では昨日、市民マラソンがあった。でも、どうも僕は冷めた目で見てしまった。
何でだろ?もともとがお祭り騒ぎが嫌いな性格もあるが、ニュースで市民マラソンを見ていたら、ドライブでよく立ち寄る地方の自治体が作った博物館や美術館と重ねみてしまった。
建物はすごく立派で自慢できるものだが、中身がついてこないような博物館や美術館を。もちろん市民マラソンは立派でした。でもその市民マラソンを企画した動機が世界に東京をアピールするといったものが目立ったように感じた。東京はオリンピック誘致にこれから動くのだからこういう催しも必要だろうが、経済的にも政治外交的にもぱっとしない日本を健在だとアピールするような動機はいただけない。どのくらい金を使ったかわからないけど。。。。
北朝鮮や一昔前の中国で行われていたマスゲームのようなものかも?とさえ思えた。官製のお祭り。
今なぜ東京都民のための市民マラソンか?というその意義がどうも薄いのではないか?東京にカジノという提案もあるそうな。。。ううう

【2008年】
ここんとこ、夕飯を食べてごろんとコタツのなかで横になると眠ってしまう。
この日記は寝る前にチョコっと書いているのですが、妻から「お父さん!お風呂!!」とおこされると10時を回っていたりして、日記を書くどころではなくなる。やはり酒がよくないのかなぁ?それともコタツが。。。。という事で、今日は昼間に書いています。
そういえば、リンクさせていただいている方のサイトが見えなくなったり、一時お休みをされる方がいらっしゃいます。このホームページも5年目にはいっていますし、古くからリンクしていただいている方も含め、5年という月日にはいろいろとおありなのだと思います。また復活をされるようお待ち申し上げます。
いろいろとあれば継続がどうしてもできない事もあるけど、細く長くというのがいいのかなと自分のホームページを見ながら自己満足的に考えたりもしています。ブログもだいぶ形になってきましたし、両立させるにはたいへんな面がありますが、自分の中に「書きたい!」というものがあれば続けられるかなと思っています。
無理をしないで細く長く。。。。。。
長くやっていれば何かが見えてくるだろう。。。。。

「乳と卵」 川上 未映子  著
2008年春の芥川賞作品です。
子供から見ると、親というものはその昔にさかのぼるほど霧の中に霞んでいく。親から聞いた昔の話をぼんやりとその景色として描いていく。
親は、自分の子供時代のように自分自身の昔にさかのぼると、やはり霧の中に霞んでいく。
葉子から見た草子への目。草子から見た葉子への目。お互いに心配をしながら、思いやりながらも時間の中で違うボートに乗っていく。
                       (江國香織「神様のボート」感想より)
別れてしまった夫(父親)を霧の中に捜し求めるような、この葉子と少女から思春期に向かう草子の母娘関係に見るような関係を巻子と緑子にも見ることができると思います。
夫と離婚をして下町らしいスナックに勤める巻子は小学6年生の思春期を迎えようとしている娘緑子と大阪に住んでいる。そんな二人が東京に住む「私」のところに遊びに来る。しかし遊びに来るといっても観光に来るわけではなく、巻子の豊胸手術という目的である。「私」は、東京駅に二人を迎えに行く。
「卵子というのは卵細胞って名前で呼ぶのがほんとうで、ならばなぜ子、という字がつくのか、っていうのは、精子、という言葉にあわせて子、をつけてるだけなのです。」
「乳と卵」(ちちとらん)は、緑子の日記のようなものからはじまる。
6年生といえば、もう胸も膨らみはじめ生理もやってくる。緑子の友達の中には膨らむ胸を自慢する女の子もいる。緑子自身もこの体の変化を感じつつ戸惑いをも感じる。そんな中母である巻子が豊胸手術に夢中になっている。なぜ母親が豊胸手術に夢中になるのか緑子は理解できない。江國さんの「神様のボート」もそうだったが、母親は母親なのだが、一人の「女」でもあるわけで、娘から見たこの母親に「女」を見る複雑さは大きいだろう。葉子と草子という母娘関係も巻子と緑子という母娘関係も、その互いの親子関係にもかかわらず母も娘も別々のボートに乗ってきりの中を進んでいるのである。
そんな中で、緑子は、日記を書くと同時に巻子と一切話をしなくなり、返事はノートに文字を書いて見せるだけ。東京に出てきても「私」への返事も文字に書くだけである。
このようにこの作品は、母親と娘の確執を表現したものと受け止める事ができるだろうが、ただそれを表現しただけだろうかといえば、またはその確執の根底にあるものが何かという点ではそう単純な作品ではないだろう。
緑子は、すでに生まれる前の母親のおなかの中にいるときから、女と性別が決まればすでに卵巣には卵子が存在してしまっている事に驚き愕然とする。少女から女になっていく自分を呪うようでもある。ここには性としての「女」が表現をされ、母親巻子は40歳を過ぎて肉体の美的衰えを感じて豊胸手術を考える。ここにも性としての「女」がある。「私」は生理となりその処置をするが、祖祖をしてしまった事を緑子に話し、「血は水で洗うもの。お湯では駄目だからよく覚えておくように」と話す。緑子はうなづく。ここの表現に読者は性としての「女」を感じ取るだろう。巻子と緑子の確執のようなものは、この性としての「女」の中にあるのではないか。思春期そして盛りを過ぎた40歳代へという体の変化。「私」の子を産めるかという事への思い。この作品にはこの性としての「女」がストレートに表現をされているのである。
この作品を男性読者が読んだら性の意識が(人それぞれにもよるだろうが)変わるほどに心うたれるだろう。
女性作家の作品には男女間の性を女性の視点から表現したものはたくさんあるだろうと思うし、読者はその描写に性を感じ取るだろう。
しかし女性の性は、この男女間の性に現れない本来の性があるのである。
巻子の離婚をした男は、緑子が生まれるのは「誰かの意図および作為であるわけがないのだし、孕むというのは人為ではないよ。」(378ページ上段)とわけのわからぬ言葉を残す。離婚をするなら「お前が育てろ」という意味だろうか?
子を生むということ。。。。。
それも女性だけの性である。
緑子の巻子への確執は、豊胸手術をするという巻子の「女」の部分への「何で?」というものであり、いつも金に困っているがスナックでは男相手に酒を飲むという「女」を売っているような巻子を見るからだろう。そして自分の体もだんだんと母親と同じ「女」になっていくという戸惑いでもあるだろう。このような意味では、この作品は女が生きることって何かというものを描きながら登場人物の三人の女を描いているのではないか。
ただ単に母娘間の確執を単純に描いたものではない。
作品中にはなぜ巻子が豊胸手術をしようと思うのかは出てこない。出てこないから巻子を読み方によっては「何を考えているのか?母親でしょ!」という批判的な見方で見てしまうかもしれない。そしてなぜ別れた男のところに行き、何を話しなんて答えられたのか、そしてなぜべろんべろんになって帰ってきたのか?そこもわからないから見方によっては馬鹿な女と見える。
しかし、もう少し深読みをするなら、巻子はすでの40歳を超えている。男相手に仕事をするとなれば、もう魅力は若い女にはかなわない。「せめて胸だけでも大きかったら。。。。」まさに巻子にとっては体が資本なのである。それは40歳を越えて生きていく事への不安でもあるのではないか?「私」から見ても、痩せてもう50歳にも見えてしまうという巻子。豊胸手術が現実的でないならば、昔の男に頼るしか。。。。。?
緑子は、その日記に巻子に感謝をし心配をもしている。でも、何で豊胸手術をするの?との想いが湧き出る。
「女」である事の暗い部分が緑子にも見えているのか?
巻子も駄目で馬鹿な女ではない。でも、暗い部分のほんとのことは緑子には言えないだろう。なぜ豊胸手術をするのかなんて。。。
巻子もつらいし緑子もつらいんだろう。。。。でもそのお互いのつらさがわかりすぎるほどお互いにわかってもどうする事も出来ない生きるという現実がそこにはあるわけで、そのつらさがどうすることもできないことが緑子の心をかき乱し、どうすればよいのかわからない中に「お母さん!」と泣き叫ぶ緑子がいる。
母娘の確執であると同時に互いに大切だと思ってもどうする事もできない現実に苛立ちというのかその苛立ちが互いに向けられてしまうというのか。。。。
うまく書けないのですが巻子の気持ちも緑子の気持ちもよくわかるわけでして。。。。。
3泊して巻子と緑子は大阪に帰っていく。
文体は、樋口一葉を思い起こすような「 」もほとんどなく「私」の一人称と緑子の日記だけで表現をされている。文章は粗削りの感じは否めないし、退屈さも感じるかもしれない。しかし、飾り立てた文章のいやらしさや作為というようなひねりもない。この作品には知性も文章上のひねくれた作為がないのである。それが樋口一葉を思い起こすような文体にそうだろう。もちろん川上さんに知性を感じないというのではなく、作品上に知性を感じさせない中に作品が生きてくるという意味ですが。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞社説に「異様な行動に理はない」という記事があった。
小沢系と言われる16人の議員が会派を離脱したことに関してだ。「そんなことしている場合か」という民意が働き政党政治への冷笑という病がさらに重くしかねないと書かれているが、それを16人に押し付けることがどうなんだろ?民意は、国民生活重視と無駄なものはなくすというものの中に衆議院選において民主党を勝たせた。しかし民主党内閣が唐突ともいえるように消費税を打ち出し、それは参議院選において民意は「ノー」と応えた。同時にそれは民主党のマニフェストの変質に見えたことが大きいだろう。そうすると16人がどうのということではなくて民主党自体の問題なのである。もちろん政治における政治的駆け引きだけの政治は国民を不幸にするばかりであるが、政治的政策の定まらないものが上に書いたような民意に沿わないものならばそれも不幸である。
自民党も消費税をいっていたが、少なくと経済の安定の中でというものがあったと記憶する。いくら年金や社会保障人はいえ今のような国民生活に展望が持てない情勢の中でとうとうな消費税論議は生活をなお悪化する中での「異様な行動」であり「理はない」。
バラマキではだめだということでしょうが、エコカー減税はどうなっているのか、新たな高速道路料金での税金負担は、その他住宅関連も?バラマキというのはデフレ下においてどう消費を伸ばし企業利益を安定させるかにばかり税金が使われることである。ついでにわずかな消費にポイントがつきますよといった程度のどこかの量販店のポイントのようなものである。この財源はどうなっていたのかこれからどう支出するのか。このバラマキがどうだったのかの反省とその金があればどのくらい不足するといわれる年金や社会保障費に回せるか?これはある意味出そうとすれば出せる恒久的財源であるのでは?子供手当ても結局は消費拡大のためで子供の将来とかにはそうは今までと変わらないものでしょう。そのためにサラリーマンなどの税制も変わる。
マスコミが自民党から民主党への政権交代をどのように報じていたか、政治評論家は?多くの方が今のような情勢を見越して報道しただろうか?今になってマニフェストの変更と消費税は待ったなしといわれても困るわけです。国民生活重視というマニフェストの基本理念は変更しないでできるものは何かという視点で問題提起されなくてはいけないでしょう。

【2012年】ツイッターつぶやき
親父は去年、介護保険のお世話にならないうちにぽっくり逝ってしまいました。
そしてまたお袋もそろそろというのか遅すぎかもしれませんが介護保険のお世話になりそうです。
病院での治療としての医療保険か、介護保険かは微妙な違いがありますね。親父は入院中に病院より介護保険を使った施設を紹介されましたが、結局は病気でぽっくり逝った。
たしか以前はやたらとお年寄りの入院が多くて医療保険制度も危なくなったというようなことがあったと記憶しています。そのような事情で介護保険制度が作られたのでしょうか。
そうは高くない額ですが介護保険料を納めています。健康保険も納めているわけですので支出は多くなっていると思います。介護保険制度により病院も介護施設を持ったりして受け入れている。
病院への入院は極力避けて介護保険での介護施設利用や在宅サービスが増えたわけですが、どうなんでしょ。以前より良くなったのか悪くなったのか。。。少し勉強しなくてはなりません。。。。

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
以前書いたかもしれませんがもう一度。昼に作りました。
多目のオリーブ油でニンニクのスライスと鷹の爪を炒めます。香ばしさが出たら鷹の爪は取り除きベーコンを入れて炒めます。ベーコンにさっと火が通ったらキャベツを入れて塩・コショウで味付けをします。最後に醤油をひと垂らし。そしてアンチョビを適当な大きさにきったものを入れ(アンチョビの油も)て茹で上がったパスタを入れて炒めます。このとき少しパスタのゆで汁を入れるといいです。火をとめたらオリーブ油をかけてなじませます。
できあがり。。。。。
おいしいですよ!!

アンチョビの塩気もありますが少し恋 濃い味付けがおいしいと思います。塩加減は好みですが。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
若いころ10年間書き込める日記帳を見つけて書いていました。
毎日今でいえばツイッターほどの文字数を書き込んで1年過ぎると次の段に進みます。10段書き込めば10年日記の完成でした。
しかし子育てやらで書き続けることができずに3年ほどでやめてしまいました。今思うと楽しい時期の日記が残っていないことを残念に思います。でも、当時はとても日記どころではない状態ですから、この残念も今でこそ思えることなのでしょう。
その10年日記を今ネット社会で実現しています。
このブログのカテゴリーに「何を思ってた?」がありますが、ここに「〇月✖日という日」として同じ日に血の日記をまとめています。丸一年書けない年がありましたが、どうにか10年も過ぎました。
日記は二十歳のころから書いていましたが、結婚後だったか?終わりにしました。
結婚後しばらくしてワープロが手に入る時代となりギザギザ文字で家庭新聞をつくったりリアル社会で必要な文章を書いていました。
そうこうしている間にパソコンが出てきたのですがだいぶ長い間手を出しませんでした。でもパソコン自体は外部記憶装置のない時代(カセットテープに保存)にゲームなどをつくっていました。もちろん遊びでしたが、コンピューター言語の面白さを知りました。
時代はワープロからパソコンに。仕方ないので導入。しかしその発達した姿にまるで浦島太郎でした。ワープロ機能だけではなくてインターネットにも興味を持ち始めたころ、あるサイトのコミュニティーを知り始めました。これがネット上に日記のような文章を書く始まりまでした。
その後はブログができはじめたり、ホームページをつくったりして日記を続けました。
ブログもサービスの収量もあり2回ほど引っ越しながらこのgooブログにたどり着きました。でも、この間消えてしまった日記は多いです。
やっと落ち着き場所ができましたが。。。そこにツイッターなるものが現れて昔書いていた10年日記のように140文字の日記を書いています。
いろいろと漂流しながら毎日自分が書きたいものを書き、何よりもそうは多くの方ではありませんが読んでいただける喜びを感じています。
「何を思ってた?」。。。案外読み返すと書いたころを覚えているもんですね。思い出しているのでしょう。。。。今は、未来日記なるものがあるようですが、もう年齢もも年齢ですからはるかなる未来はない。まぁ、行き着くところまで書いていければ幸せです。

【2018年】ツイッターつぶやき
2017年2月13日に俳句を世界文化遺産に?というものを書きましたが、すでに俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会というものができているようです。また、早くも俳句のユネスコ無形文化遺産への登録を目指す議員連盟も発足しているようです。
国際俳句交流協会会長 有馬 朗人さんはユネスコ無形文化遺産登録に向けてとして詳しく設立の趣意を書いています。
俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会の設立趣意書でも同議員連盟設立趣意書でも「俳句は人類が保全すべき文化的価値を有するものである」と共通認識においてユネスコ無形文化遺産に登録を進めるという事です。ではこの「俳句は人類が保全すべき文化的価値を有するものである」となるとどのような中身かはわかりません。ただ有馬さんの「ユネスコ無形文化遺産登録に向けて」でその中身がある程度分かるような気がします。
以下、この有馬さんの「ユネスコ無形文化遺産登録に向けて」について感想を書きたいと思います。「 」内は引用です。またユネスコ世界文化遺産についてや日本から登録されている文化遺産にどのようなものがあるかはこちらのサイトを参考にさせていただきました。
なお、わかりやすく解説されているのがNHKの「俳句を世界文化遺産に」かと思います。
まず少し長いですが引用をします。
「俳句の大衆性……短いという俳句の持つ簡潔さゆえに誰もが俳句を簡単に作ることが出来るのです。 当協会の俳句コンテストへの海外からの応募は49か国に及びます。

俳句の普遍性……アメリカの代表的な詩人アレン・ギンスバーグは俳句のように短いしかも自然をテーマにした詩を沢山作りました。 又、ノーベル文学賞を受賞したスウェーデンのトマス・トランストロメルや同じく平和賞をその死後に贈られたスウエーデン人のダグ・ハマーショルド元国連事務総長が俳句詩を詠まれたことはよく知られています。 このように一流の詩人や文人政治家が俳句を詠んでいることは俳句の普遍性を表していると思います。 一方俳句が短いことによって、一般の人々が俳句を作る楽しみを知り始めました。 こうして俳句によって詩人の数が急激に増えつつあると言えます。

俳句の平和性……俳句の主題は自然観察と日々の生活の中にあります。 俳句は瞬間を永遠のものにすることが可能です。 身近な自然を観察することは自然保護の心にも繋がり、人々の相互理解を生み、ひいては世界の平和へと繋がることになるのです。

次世代への教育力……言葉に関する感性を磨くことは表現力を高め、自分の考えを簡潔にまとめる訓練になります。 アメリカでは俳句を授業に取り入れて子ども達の表現力を育んでいるそうです。 俳句がユネスコに登録されれば日本の子どもをはじめ世界の子ども達の国語力の向上にも役立つでしょう。」

和食が去年でしたっけ、世界文化遺産になり世界中で日本食ブームにもなりました。しかし和食って何でしょうか?三ツ星レストランにもなっている日本食店もあれば、地方の郷土料理もある。そして我が家で日常食している和食もある。ここにはプロの料理もあれば大衆料理もある。和食と言っても、刺身一つとってもたしかな食材としての魚も必要でプロでなければうまい刺身はできない。一方では100円の回転寿司でも刺身を楽しめる。ここで和食とは「和食の大衆性」という形で世界文化遺産に登録されたのでしょうか?
「俳句の大衆性……短いという俳句の持つ簡潔さゆえに誰もが俳句を簡単に作ることが出来るのです」では俳句全体を言い表していませんし、「伝統文学」としての俳句を語ってはいません。俳句の大衆性と言いますが、文学としての俳句と同じように文学には初心者が作る小説や詩などもありますから文学全体が大衆性を持ちます。しかし文学となれば一定程度完成されたものでなければなりません。
「俳句が短いことによって、一般の人々が俳句を作る楽しみを知り始めました。 こうして俳句によって詩人の数が急激に増えつつあると言えます。」という「俳句の普遍性」も同じで私人が急速に増えるという事はあり得ないでしょう。
「俳句の大衆性」を世界文化遺産登録のための道具としてはならにでしょう。
僕も俳句も含めて文学の大衆化は良いことと思います。より多くの人々が俳句を詠むこと自体は良いことで、そのうまさや下手さを大目に見ていただきながら底辺を広げることは大切です。しかし、ただこれだけで世界文化遺産に登録させようというのは乱暴だという事です。
「俳句の平和性」と言いますが、俳句を詠んでいても戦争を支持する人々もいるでしょう。同時に俳句だけではなくて文学全体が平和を作り上げる作用があります。俳句=平和という世界遺産登録のためのこじつけもよくない。
俳句を教育に「利用」するのは良くない。俳句は教育にも「役立つ」というだけです。
どうも世界遺産というものが観光開発につながりすぎるという面も気になります。
俳句の世界遺産にしてもいくつかの自治体が動いているようです。議員連盟もそれを後押しするという方もいるかもしれないという懸念があります。
海外旅行に行けば、世界遺産だから見ておくかとなると思いますが、外国の方も日本に来れば世界遺産だからと見に来るかもしれない。しかし、テレビなどを見ていると、ネットで広まって世界遺産ではない日本人が当たり前の世界だと思っている処に人気が集まっている。日本人が知らない歴史や文化を見つけにきている。ここに大衆性がありますね。和食がラーメンであったりおでんであったり。俳句に興味を見つける外国の方が日本人と一緒に能動的に動いて世界文化遺産化は進むでしょう。そのためのおぜん立てを作り上げることはないと思います。
それでは俳句文学を作り上げている方がどう思っているのか?ここも大切で、一部の俳人が世界文化遺産に動くことは片手落ちです。時間があればこの点も。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
日刊ゲンダイに「貯蓄ゼロ世帯」の推移の表があった。
これを見ると単身世帯においては民主党政権時より大きく貯蓄ゼロ世帯が増加をしている。
二人世帯以上においても増加をしている。
しかし2018年度になって民主党政権時の数字に近いものとなった。
これを含めて「アベノミクスの成果」という印象を国民に与えている。
2018年度は預貯金以外の金融資産(学資保険、養老保険、傷害保険なども含まれます)を含めるようにしたことから大幅に数字は落ちている。
たしかに株価の高騰があり、金融緩和により銀行の利息もほぼゼロになっている中で、預金から金融商品へカネは動いたでしょう。しかしこれを持ってアベノミクスの成果とは言えないはずです。ただ民主党時代に戻った数字ですから。民主党時代も株や学資保険、養老保険、傷害保険なども含めれば「貯蓄ゼロ世帯」の数字は小さくなるでしょう。
GDPについても統計の操作があるといいますし、ましてやこれまで明らかになった統計不正もあります。
アベノミクスの成果というのは、国民への印象操作でしかないでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
隔離(5)の続きです。
以下僕のツイッターから転載
クルーズ船の500人の乗客が下船するという。外国人乗客がクルーズ船から「退避」するような形で帰国している中、この500人も「退避」するという位置づけが必要。
アメリカでは帰国後2週間経過観察をするという。
日本は公共交通を使って自宅へ?最悪のタイミングでは?
先のツイートのようなことを書くと、風評被害だというような批判が日本では出てくるでしょう。しかしこの風評被害を出さないために、下船後2週間の経過観察が必要なのです。このことにより陽性反応は出ていないと社会的にも認められて帰宅後も変な目で見られることはないでしょう。
一方では一度陰性反応でも数日後に陽性反応が出る確率がありますから、最悪帰宅後下船の方が陽性反応が出たとなると、社会的にもパニックが起きて風評被害もさらに拡大してしまう。
政府は2週間の経過観察を行うべきかと思います。

【2021年】ツイッターつぶやき
東京は12月末から1月初めをピークに新規感染者数が急激に減少してきた。
現在は500人を割っている。
しかし新規感染者数の減少の仕方を見ると、2月の中旬に入り7日間移動平均が横ばい状態になっている。
昨日今日の新規感染者数は前の同じ曜日を比べると微増している。
このまま400人から500人ほどで推移すると新規感染者数は下げ止まり状態と見たほうが良いかもしれ無し。
検査数は1月の中旬ぐらいまでをピークに徐々に減少している。その減少の状態は新規感染者数の急激な減少に比べると緩やかですから、新規感染者数自体が減少していることは確かでしょう。これは検査数が減少しても陽性率も下がっていることからもわかると思う。
今後陽性率が上昇傾向を示すと新規感染者数は横ばいから上昇傾向を示すことになるでしょう。
しかしここで注意しなければならないのは、1月22日に
「感染経路を追跡する「積極的疫学調査」の対象を同日から縮小することを決め、都内の保健所に通知した。高齢者ら重症化リスクのある感染者への対応を優先する。」(JIJI.com
としました。
これは新規感染者数の急増により保健所の事務が逼迫したためで、積極的疫学検査すなわちクラスターや陽性者との濃厚接触者の後追い検査を高齢者などに絞っているということです。ですから最近は新規陽性者に占める高齢者の割合が高くなっています。
陽性者との濃厚接触を知らせるCOCOAもここ4カ月不具合を示していますし、若い人の無症状者見逃している危険性があるでしょう。
無症状で濃厚接触をしても検査されないのですから東京都の様々な統計発表にカウントされていないことも考えられます。
最近は高齢者施設(病院)でのクラスターが多くなっています。これは若い人たちが無症状ならば検査もされないことが増えてきていることから家庭内感染や施設などでの高齢者んへの感染が上昇しているということかもしれません。
こうみると、現実は新規感染者数の減少はそうは急激に現れておらず隠れ感染者の増加も陽性率には現れていない可能性があります。
こう見ると都の発表は不手際があるにしても減少傾向の下げ止まりは確実ではないでしょうか。下げ止まりがだらだらと続きそのうちに第四の波が訪れるでしょ。
ワクチンもだいぶ遅れるようですし安全性も未知数です。

【2022年】ツイッターつぶやき
白菜が4分の1残っていたので何をつくろうかと思いました。
これという料理に使わない時は味噌汁にするか辛子醤油和えにするのですが、何となく飽きたので何か変わった味付けにしようと思いました。白菜というのは和風のイメージがあるのですが、洋風にしたらどんな味だろと思いオリーブオイルを使うことにしました。
白菜をさっと塩茹でしてそのままざるで冷まします。
ドレッシングというのかタレと言うのか。。。。。
オリーブオイル、粗びきコショウ、塩、砂糖、酢で作りました。
オリーブオイルと言ったらニンニクでしょうと思いましたが、さて白菜に合うかどうか。。。。
でも思い切ってすりおろして入れました。
レモンでも欲しかったのですが、ない・・・
冷蔵庫に半分残っていた柚子を思い出しました。
ニンニクの風味に柚子。。。。。。
まぁ、いいかと思い皮をみじん切りにして入れてみました。
旨いかといえば「うまいっ!!」というほどでもなく、まずいのかと言えばまず苦もなく。
個性的?な味でした。

【2023年】ツイッターつぶやき
江戸時代の銭湯は混浴だったらしいですね。もちろん温泉も混浴。
明治や大正の時代は同ったのでしょ。でも思い出すと若いころ温泉地の露天風呂に行くと混浴でおばちゃんたちと一緒に浸かっていました。まぁ、混浴というわけではないけど銭湯も番台があり見晴らしがよかった。同級生の女の子が座っていたり(笑)
この日本人の性に対する感覚というのはどういうものなんでしょうね。
どこかの国でLGBTの方が女子のシャワールームに入ったらしい。女性は怒ったが逆に差別者扱いにされた。昔の日本のようなら何の問題にもならなかったのでしょう。その意味でも昔はLGBTの人も住みやすい社会だったのかもしれない。男色というのもオープンだったようです。
しかし現代は昔のようにはいきませんね。
LGBTについては、スポーツ界でもトラブルがあるようで、心が女性の肉体が男性が女性の競技に入り優勝をする。
どう見ても性の違いは肉体を抜きに考えられませんね。
トイレやシャワールームの改善が進むでしょう。
しかし肉体的な差異が重要といっても差別はいけません。
同性から告白されたら「私はあなたに魅力を感じません」というしかない。これは仕方がないことで差別ではありません。ですから肉体的差異は仕方ないのです。
肉体的な差異を差別としてはいけないのですが、社会的差別はなくさねばいけません。
同性婚を認めるかが問題になっていますが、婚姻という概念がよくないですね。どうしても性的な異性間の婚姻となってしまっている。婚姻関係ではなく共同生活者という面で見れば性的なものを無くした社会的婚姻関係の権利が保たれます。共同生活者に現在の婚姻関係の自由と権利を与えればいいのです。
現在の婚姻関係も共同生活者同士にありますから。。。。。
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2024年 2月18日(日)「1泊したいところですが。。。」

2024年02月18日 22時18分16秒 | 「思うこと」
3月になったら伊豆方面にドライブに行きたいと思います。
できれば温泉に1泊ぐらいしたいのですが、今は悪性の物価高で、円安によりモノの値段も上がり、そのうえ外国人目当てで昼飯などを食うにもバカ高くなっていそうです。
X(ツイッター)でちらっと見たのですが、豊洲だったか?日本人から見たらなんだこれと思うような海鮮丼が7000円だとか。。。。。伊豆方面も外国人観光客が多いと思いますので昼飯を食うにも考え込んでしまうのかな?
もちろん宿も値上がりしているでしょうね。
日本は金もうけできているようですが、日本人の豊かさは消えていく。
昔バブルのころ日本人の団体海外旅行が流行ったことがありますが、その当時の外国人も金持ち日本人にうんざりしていたのかも。
バブル崩壊からリーマンショックを経て日本は貧しくなりました。この数年間は目まぐるしく。。。。
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池に浮かぶ月2163【2月18日】

2024年02月18日 22時04分28秒 | 「池に浮かぶ月」
去年、コロナに対する社会的規制がなくなり、ノーマスクも増えていましたが、コロナの時期に風邪もひかずインフルエンザも全国的に少なくなっていました。これはマスクの効用でしょう。その中でノーマスクが言われるいろいろな中感染症がまた出てくると思っていました。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 2月18日(土)「マスク」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「2月18日という日」

2024年02月18日 08時05分33秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
3月になったら伊豆方面にドライブに行きたいと思います。
できれば温泉に1泊ぐらいしたいのですが、今は悪性の物価高で、円安によりモノの値段も上がり、そのうえ外国人目当てで昼飯などを食うにもバカ高くなっていそうです。
X(ツイッター)でちらっと見たのですが、豊洲だったか?日本人から見たらなんだこれと思うような海鮮丼が7000円だとか。。。。。伊豆方面も外国人観光客が多いと思いますので昼飯を食うにも考え込んでしまうのかな?
もちろん宿も値上がりしているでしょうね。
日本は金もうけできているようですが、日本人の豊かさは消えていく。
昔バブルのころ日本人の団体海外旅行が流行ったことがありますが、その当時の外国人も金持ち日本人にうんざりしていたのかも。
バブル崩壊からリーマンショックを経て日本は貧しくなりました。この数年間は目まぐるしく。。。。

≪過去の記事≫

【2004年】
民主主義ってなんだろう?
1回きりの選挙で多数になったらそれが民主主義か? 多数決も民主主義に絶対違いない。しかしいつも多数が正しいとは限らない。小数が正しい場合もある。
多数決と言う民主主義は、正しいか正しくないかを判断する基準は何も無い。そこには、正しければ少数の意見に軌道修正できるシステムが無ければ民主主義は完成しない。
国会にはこのシステムがない。多数が正しくなく、少数が正しい場合、少数が多数になるまで間違った政策が続いてしまうということがおき、これは大きな社会的なロスである。非常に効率性が悪い。特に経済というような生き物を判断する場合には、このシステムが不可避である。
本来の民主主義が無いから、誰が悪いという責任追及だけに明け暮れる。これもまた社会的ロスである。

【2005年】
角田さんの「対岸の彼女「を読み終わりました。
素敵な作品でした。しかしどこに焦点を当てて読んだらよいのか、難しいものがあります。明日からは夏生さんの「悲しがる君の瞳」を再読し始めます。25日には新しい詩集も出ますので、またしばらくは夏生さん三昧。。。。。
江國さんの「落花する夕方」の感想もまだだし、少し急がないと。。。。頭の中においておく作品は3つぐらいだからなぁ。。。
CO2の削減→手っ取り早くは省エネ→手っ取り早い省エネには値上げ→庶民泣かせ。。。。今の経済の建て直しのためには庶民生活の犠牲という構図からして、京都議定書も庶民泣かせになるのかな?もちろんCO2削減は必要かと思いますが、こんな不安があります。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
昨日、床屋さんへ行ってきました。
おやじさんとお客の会話に、今の時代、町内会の活動に若い人や子供、新しくマンションなどに越してきた人の町内会離れが多くなってきていると。。。。
そういえば、僕も町内会の行事には参加したことがない。
どうもお年寄りの集まりというものになっているのかな?
個人と町会。。。。
このバランスが大切ですなぁ。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
当時の銀色夏生と今の銀色夏生の生活は違いますか?
その生活に違いがなければ詩自体の変化ということでしょうか?銀色夏生も50代に入りました。20代半ばから30代の銀色夏生とはその詩にも変化が出ることは否めません。でもそうは大きな変化ではないでしょう。詩人銀色夏生を見るとき、継続された作品群を通して読者は見ます。ツイッター本を読むと、昔の詩に感動した方がたくさんいらっしゃる。母娘二代に渡って読み継がれている。そして現在の銀色夏生を見つめているのです。その変化を見ながらたくさんの読者が存在する。これが事実です。
その銀色夏生の変化は、「つれづれ」を通した生活や生き方の変化でもあります。その生き方と詩というものをリンクして考えた場合、金子みすずのような苦しんだ生活を表現したらそれが優れた詩であり、現代の男尊女卑がいくらか緩和された中で一人の女性として銀色夏生が自由に生きようとしている姿を金子みすず風に苦しさを表現していないから優れていないというように見ることは誤りです。一人の女性がどのように内面的にも苦しんだり悩んだりしながらも生きているかという時代に沿ったものを念頭にいれて素直に詩を読まなければならないのです。
何も金子みすずと銀色夏生を一緒にするといっているのではないのです。その時代に生きた一人の女性の心がどう表れているかなのです。苦しみぬいて亡くなった金子みすず、しかし現代では同じ苦しみを持っても自立して生きられるものが前向きになって表現される銀色夏生。その違いを含めながら今の女性を見ることができるでしょう。
もちろん皆が銀色夏生のようには生きられないわけです。そこを見て銀色夏生を批判してもしかたないでしょう。金子みすずとどうかして自分を見つめるのも一つだと思いますし、銀色夏生を見つめて前向きさを少しでも持とうとすることも一つだと思います。
金子みすずの生涯を軸に同じではないというものは何の意味もない。金子みすずのような生き方をしろともいえない。
自分という人間が今という社会に子別個別な条件の中にいる。自分を見つめることです。それが詩という世界です。」
(以上僕の掲示板より転載)
夏生さんの発売した「アイスコーヒ」という曲に、愛しているからといって君のものに僕はなれないよ。というような歌詞があります。今までの歌にもあなたのものには私はなれないといった歌詞があったと思いますが、それは女性から男にいう言葉としてあったと思います。この言葉を男がつぶやくようにいう。まぁ、草食系男子的とも見えますが、銀色夏生の中性的な側面が出ています。
自由というものが銀色夏生の世界の中心の一つですが、その意味でも「アイスコーヒー」は自由というものを感じます。銀色夏生批判の一つにこの自由をどう見るかに同性の女性たちからもいろいろな考えが出ると思います。
また、今は女性が社会に出て働くことは当たり前になっているわけですが、結婚そして子育ての中に多くの働き続ける困難や気持ちの整理が必要とされます。それを語りかけたのが銀色夏生でいえば表現者(アーティスト)でありたいということでしょう。上に転載した金子みすずも表現者でいたいと願いますがそれは実現できないものでした。女は(今の時代もそうでしょうが)かくあるべきといった中に銀色夏生の生きかたを保守的に女性が見つめるならたくさんの批判が出ます。しかし同時に社会の発展の中に女性は前向きに自己を形成できる条件ができました。この前向きというものは進歩なわけです。
そのなかで男もとうぜん変化をしている。
ある意味男も女も中性的になっていくわけです。その中に新しい恋愛観や結婚観が生まれる。保守的なものを残しながらも少しづつ変化をしていきます。読者は銀色夏生のすべての作品の中に手探りで自分を見つめるでしょう。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
今の社会保障制度について国家財政の問題が大きく取り上げられている。こういった議論になると社会保障制度も行革の対象となってくるのでしょうか。行革には民間活力の導入という民営化がついになりますが、保険会社などは大きな利益につながりますからね。アメリカが突き付けるTPPにも関連するのかもしれません。もちろん民営化時には赤字部門ともいうべき最低保障年金は国に残りもちろん消費税という国民負担が残るでしょう。
国鉄民営化時に民間JRは借金から切り離されて利益の上がる民営企業になったが、国鉄の借金は国(国民)の借金として残ったようなものを思い出します。

【2013年】ツイッターつぶやき
今朝のツイートのまとめです。
子供の頃、とんちクイズがあって、「大阪城を立てたのは誰でしょうか?」というのがあった。秀吉と答えると「ブッブー。。。正解は大工さんでした」と。案外これは真理でとんちではないような気がする。天下国家を考えている間にこれを忘れる。僕たちが学ぶ歴史というのは統治の歴史なわけです。
大阪城を建てたのは確かに秀吉なのですが、実際の労働は大工さんがおこない建てた。何万石という領地を持つのは大名ですが、そこで米を作るのは農民なわけです。このような労働というのは歴史に残らない。しかし時々ピラミッドを作るには延べ何十万人の労働力を必要としたなどと言われる。
歴史は、秀吉の時代の堺の商人の力を教える。江戸時代の商人の力を教える。明治になって商人は実業家となり次第に統治の力を持つようになる。しかし教えられる幕末の歴史も武士による統治の歴史である。そして明治以降の歴史も統治を請け負う政治家による実業家の歴史となる。
資本主義の歴史がはじまるとその統治の歴史の中に労働者を産む。巨大企業というピラミッドを作るためにどのくらいの労働者の労働力を必要としたかは歴史から忘れられる。やはり統治の問題としての政策等の歴史とある。やはり歴史は天下国家という統治に支配される。
こう見ると歴史というのは統治の流れとしてのそれぞれの社会の上部構造を教えてくれるものです。そしてこの統治者の歴史の流れを見ることになる。少なくとも僕たちが学んだりNHKの大河ドラマを繰り返し見る中には。しかし実際は労働の歴史としての経済という下部構造が歴史を規定する。
商人の台頭という明治維新はこの商業という下部構造の中で上部構造を変えて行ったという事でしょう。そうしないと日本社会は維持できなくなり下手をすればアジアの多くの国のように植民地となる。それは軍事だけではなくて軍事も下部構造に規定されます。
商人の歴史としての資本主義は発達をするわけですが、そこに労働者という階層が増えて下部構造に変化が起きる。商人の利益と労働者の利益が相対するようになると労働者の貧困化は下部構造をゆがめるようになる。これが資本主義の上部構造としての歴史の中においての歴史から見えない下部構造の流れに。
しかし次第の下部構造の変化は上部構造の変化にとあらわれてくる。下部構造が崩れ始める。上部構造は統治の問題なわけですからこの統治のやり方に変化を求めるようになります。多くの場合は殿様が年貢をきつくするというやり方で。今の日本も同じ状態になりつつあるのかもしれません。
しかしこのような上部構造の統治の強化ではうまくいかないことは歴史は証明をしている。武士社会から商人社会になったと同じく。「資本主義の安定と発展」には下部構造の矛盾としての労働者(勤労国民)の生活やそこからの社会的地位の向上という下部構造と上部構造を変化するしかない。
下部構造の矛盾を人の手で変えて行ける民主主義も資本主義が作り出したものです。その資本主義のもう一つとしての上部構造である民主主義と自由を拡大すべきでしょう

プルトニウムといった核というのはもともとは自然界に存在しない放射性元素らしいですからこれは自然エネルギーではない。
E=mC2(二乗です)。。。エネルギーは質量×高速度の二乗というものすごいものですから、以前科学誌で読んだのですが1円玉1個の質量で1万人規模の都市の消費エネルギーを持つそうです。まだまだ人類は自然エネルギーの活用を燃やすことや危険性の高い使い方で原始的な状態にあるのかもしれません。
原発の技術を脱原発で捨ててはならないと言われますが、人工的な放射性物質でその危険性を制御できないものにこだわる必要はそうはないはずなのです。現実に今の日本は脱原発状態にある。しかし火力発電が増えてその影響が懸念されますが、これを自然エネルギーに置き換えていくことは可能でしょう。
昨日のニュースで「紙の太陽電池」という記事がありました。
「今回は材質上、環境に優しいことが特徴。製造コストも従来の10万分の1に抑えられるという。厚さ1ミリ以下で折りたたむことができ、災害時に被災地で使うなどの用途が考えられる。」
まだ効率性においては課題が多いようですがすぐに実用化ができるようです。
太陽光発電や太陽電池も市場に活かせば格段と発達することでしょう。
このような紙の太陽電池が効率的なものになれば家庭などでも活かされるでしょう。
僕はハイブリッドの車に乗っていますが、やはり真夏や真冬のエアコン使用時の燃費が相当悪くなります。アイドリングストップもそうは活かされません。この中にハイブリッドと同時に紙の太陽光電池が使用できれば。。。。また車の運動エネルギーは風圧(風)でもありますからこれによる風力発電ができれば相当エネルギーの節約になりますね。このように見るとまだまだ自然エネルギーの利用は発展途上で原始的なのかもしれません。
昨日、ある方のツイートに
「先ほど平均全国で太陽光発電が毎月1000件ずつ増えたら、と書きましたが、経産省発表の固定価格買取制度認定数によれば、毎月2万件ずつ増加しているとのことです 。因みに昨年4月〜10月に太陽光だけで115万kw増加し、その91%が家庭用。軽く原発1基分を超えてます。」
ともありました。
自然エネルギーの効率性に最大限の力を注ぐべきですね。

【2014年】ツイッターつぶやき
今朝のツイッターからの転載です。
東北の大地震や津波も原発事故も想定外。今回の大雪も想定外。。。。この想定とは案外金の都合で動くものかもしれない。浜岡原発再稼動(だけではないが)も想定外を残したまま進むのだろう。そこにはどうしても安全神話が必要なのです。
今回の大雪被害に対しては法的な改善をしていくといった動きが出ていますが、この法的改善もまた安全神話に属するものかもしれない。災害時の法整備自体は大切なのですが、結局はその時々の法がどのくらい最大限に生かされているかが問題なわけです。
その法をどう生かして活用して対処するかは国や自治体の仕事となりますが、法の整備が悪かったでは心もとないわけです。どうも都心の被害も前回に比べてもそうでもないだろうといった安心感が出たりしていて、結果は予想の積雪量が大きくなり対処が遅くなる。状況把握も遅くなる。
都心の雪もずっと土曜・日曜にありましたから交通への被害もそうは気にならない。金曜日あたりから振り出してもそうは積雪も多くないし雪が降れば出かける人も少ない。まぁ都心はこんな感じですが人の労働は土日にもあり、人の生活の営みもあるわけです。それは都心から離れた地域にも
東京に住んでいれば日常の生活にそうは影響も出ていないわけですから総理大臣も天ぷらを食っていてもそうは不思議ではありませんしどでもいいのですが、なぜそれへの反感が強まるかといえば、国会では「私が最高責任者だ」と大見得を切った発言をしていて国家主義的な言動とのギャップ
国会では国民・国家統治のための言動ばかりに力が入り、経済は期待から失望へといった見方が増えている。外交も安倍路線でよいのかといった見方も。国民のための政治を安倍政権が行っているのか、行おうとしているのかに疑問が出ている。こういった状況にやはり天ぷらはないだろうと。
強い日本の強い(数の力ですが)総理大臣を国民は望んでいた面がありますが、しかしその強さとは何だったのだろうかという疑問が出てきているはずです。円安誘導で輸出産業は株も上がり好調さを言い、株などでもうけた金での高級品が売れ、どうも景気はよくなるらしいと踊らされる国民
でも貿易収支や経常収支すら赤字化に向かい、輸出産業も多国籍かも含めてそうは経済を引っ張る力が弱い。春闘の賃上げ要求は3000円から4000円。非正規雇用には波及をしない。消費増税。労働の規制緩和。NHKのとんでも発言と仲良し権力。財界は武器を売らせてくれ。。。
どう見ても国民に夢を持てということは不可能な状態。どちらかといえば国民は国家・企業のために文句を言わずに奉仕しろと受け取れるような雰囲気。国家は国民統治に力を入れる。
こういった国民の感情や実態からやはりやはり天ぷらはないだろうとという素朴な批判が出てもおかしくないわけです。
連続ツイートの中身はマスコミにも共通するのでしょうか?ツイッタも含めてネットは国民目線が見えます。
そうかぁ。。。。。これも、キーワードは「公助から自助(共助)へ」だ!

今日の先に書いた「総理と天ぷら」は今の国民感情からツイートのまとめとして書きました。その後政府が今日になり「豪雪非常災害対策本部」の初会合を首相官邸で開いたという報道がありました。今日になり「豪雪非常災害対策本部」が設置され毎日新聞の報道によれば
「(1)今後、孤立による凍死など犠牲者を一人も出さない(2)自衛隊の人員と装備を大幅に強化し警察、消防など関係機関が連携して、次の降雪にも備えて除雪を加速させる(3)ライフラインの復旧や道路の通行確保に努める−−よう指示した。」(引用)
と安倍総理が指示を出したという。
この「豪雪非常災害対策本部」というのが今回の雪の被害に対処する最高組織なのでしょうが、そうするとやはり書道の対策が遅れていたというのは否定できないのではないでしょうか。「今後、孤立による凍死など犠牲者を一人も出さない」という言葉にもすでに機能まで投資などでなくなられた方が多数いたわけですし、除雪を加速させるといっても午後あたりからすでに道路の通行止め解除が報道され始めていた。
こういった政府の動きの遅さがどこから来ていたのかはわからないが、やはりその中で総理の天ぷらは国民の視線を浴びてしまうでしょう。「総理と天ぷら」が動きの遅い政府の象徴となってしまったのではないでしょうか?

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
これまでアベノミクスを支えてきた「経済理論」の一つに企業利益が拡大をしていけば賃金が増加するというものだった。
しかし安倍内閣が完成賃上げを行わなければ賃上げはなかったろう。ちろん官製賃上げは実質賃金を押し上げることはできなかった。
政府は緩やかの景気は回復しているといっていたが、その証は株価の高騰と企業利益の拡大だった。しかしそこに経済理論からの大幅な賃上げは起こらなかった。結局は企業利益が拡大すれば賃上げが起きるという経済理論は全くの観念的で科学性のないものであったことがわかる。
これで思い出すのが赤字国債を拡大させながら行われた公共事業事業である。
景気が悪い時は政府が赤字国債を出しても企業の活性化をするために公共事業を増やさなければならない。企業が立ち直り好景気になれば企業は利益を拡大して税金となって国の赤字は減らせるといったケインズ的な経済理論である。
しかしこの経済理論も観念的な非科学性の理論であった。今の安倍政権で企業利益を隠し切れないほどになり税金を支払うようになったと持ったら法人減税を行うという。
結局今も昔も自民党の経済理論は空虚な観念的なものでしかなかったということである。
企業利益が拡大すれば労働者の賃金も上がり国も赤字も減るという国民への期待を植え付けるだけのようなものでしかなかったのである。
経済理論は必然性がなければならない。

【2017年】ツイッターつぶやき
暖かい出窓に小さな鉢で松葉ボタンの種を撒いておいたら芽が出てだいぶ大きくなりました。
小さな鉢ではもう限界なので植え替えてみました。
暖かい出窓とはいえまだ寒さがが続きますので植え替えも心配だったのですが、小さな鉢のままで枯れてしまったら大変ですから。。。。
3月になると長早咲きの松葉ボタンが楽しめるかもしれません。
5月になったら大きな鉢に植え替えてあげます。
去年たくさん種が取れて、まだその種がたくさんありますのでやはり5月ごろに蒔いてみようと思いす。
トリニアの種も案外あるので種まき。。。。。
年を越したニチニチソウは元気です。5月になったら大きな鉢に植え替えます。
小さな苗で冬を越しそうなニチニチソウやトリニアもあります。
大きな鉢には去年大きくなったニチニチソウを冬越しさせています。さてうまく目が出てくれるか。。。。。
初夏が楽しみです。

自然界は本格的な春に向かいますが、日本社会はどうなるんでしょ?なんでもありの力の社会になっていきますね。でも、社会も自然と同じように法則性を持ちます。進化論は強いものが生き残ったのではなくて法則に適応したから生き残った。社会も長いスタンスでこの法則性に適応する社会が生き残ります。
今の何でもありの力の社会は、うまくいっているように見えますが、やはり法則として政治の腐敗が進み、官僚の一部にも腐敗が進む。利益を得ようとした企業が脱落している。銀行は利潤率低下に右往左往する。国民生活は衰退する。この流れを変えて法則に正しく適応することが大切。
社会の法則性は下部構造である経済が土台です。なんでもありの力の社会は上部構造である政治を基本としていきます。その上部構造としての政治が国民をないがしろにして、国民は国に奉仕をして自分の生活は自分で守れとなれば、経済法則はその上部構造に反発をします。国家は衰退をする
それでは国民は踏んだり蹴ったりですから、自由とは何か、民主主義とは何かを考えながら議会制民主主義を取り戻していくでしょう。それでやっと本来の社会法則は生き返る。その中心になれる政治家や経済学者そして知識人はだれか?国民がそれを産む。
なんでもありの力による政治は、内政においての矛盾です。その政策は同時にアメリカの何でもありの力の政治になすすべを持たない政治としてあらわれます。いじめっ子に頭をぶたれたから、より弱き子の頭をぶつというものに似ている。または家に帰って家族に鬱憤を晴らすおやじに似てる
実は、これが、強い日本、美しい日本、国を愛することなどであり、なんでもありの力の社会をつくっていくことなんです。

【2018年】ツイッターつぶやき
安倍内閣になり国民に期待を持たせる言葉が矢継ぎ早に出された。企業利益が騰がれば経済が発展して賃金も上がるとか、消費増税はすべて社会保障にとか、経済面を見ても結局は期待を持たせるための言葉で終わり、現実は半数近くの労働者が不安定雇用になりとどめは労働の規制緩和により雇止めが多発する環境ができる。賃金も円安誘導による悪性の物価高と税や社会保障費の増加により実質賃金は上がらない。社会保障は安定をしなく、生活保護に対するバッシングが。そしてわけのわからない統計いじりで経済は好転したとして10%への消費増税でしょうし、オリンピックに向けて煙草増税が検討される。
国民に期待を持たせるだけの言葉の中に「輝く」とか「活躍」という言葉がある。
女性が輝く社会と、女性や高齢者が活躍する社会とか。。。。。。
結局輝く女性は立ち消えになり、いまだに待機児童問題は解決しない。結局女性が輝いて括約などができる条件はこの社会には存在しなかったのです。ですから輝くという言葉はただのきれいな言葉でしかなかったという事で、自己解決の中に女性はおかれている。
活躍という言葉も単に公助はなくなり自助や家族間での共助あるいは低所得層同志での共助になっただけで、苦しかったら働けという意味にすぎませんでした。
そして昨日の朝日新聞1面に、「高齢者の就業促進 協調」という記事がありましたが、厚生年金部分が段階的に65歳支給に繰り上げられてそれが完了するかと思ったら70歳支給に引き上げる道筋ができるような中身です。70歳まで高齢者は活躍をして働くことを求めています。小泉伸次郎さんが「人生100年」などとぶち上げてこれに沿うように年金支給年齢の見直しとさらなる高齢まで働けという事でしょう。これが「活躍」の中身です。
”輝く”とか”活躍”とか、言葉だけはいいが、政治は勤労国民の生活の不安定化を企業利益のために促進しながら、女性や高齢者は低賃金に置かれていますので、搾取や収奪が輝くように進むという事です。その中で活躍をしろという事ですが、結局は苦しかったら働けという自助社会の促進です。だから現役世代は副業してもいいからさらに余計に働いて私的年金を考えろという提起です。副業というが、本業では月に100時間残業をして活躍しろいう流れですからね。。。。
高齢化社会が問題になっていますが、なぜ団塊の世代が生まれてしまったか。。。。。
先の戦争でたくさんの若い男女が死んでいった。戦後は労働力が足りないので「産めよ増やせよ」と。そして中学校を出れば集団就職。これを輝き活躍した世代という言葉でかたずけられないでしょう。少なくと政府はこのような言葉を使ってはいけないんです。平気で使うことができるのは国家が国家主義の考え方になっているという事です。

【2019年】ツイッターつぶやき
日銀前副総裁岩田さんが
デフレ脱却には、10月に予定されている消費税率引き上げを撤回するとともに、国債発行を財源として若い世代に所得分配する財政拡大が不可欠と訴えた
そうです。
しかしすでにデフレからの脱却として日銀は量的緩和を7年間行ってきたわけですがその成果といわれるものは企業の利益拡大と株高でしかありませんでした。
今後も国は国債を発行して、それを銀行が買い、また日銀が買う。。。その日銀の金を若い世代に流す。
これができるくらいならばとっくに政府は行っていたでしょう。結果は先にも書いたように企業利益と株価(投資家)に金が流れただけです。
消費増税を見送ったとしても現在の状態が継続するだけでしょう。
手品のような経済政策は空想的です。
今後も金融緩和を継続することは、逆に経済を混乱に導くことになります。
このまま国債の買い入れを行えば金利が急上昇するという意見があります。
金利が高まれば債券価格を安くする。安くしないと売れない状態になるともいわれています。また債券価格が下がれば金利が上がるとも。
この状態になるのが日銀緩和のハードランディングとなります。
まだ60%日銀が国債を買う余地があるといいますが、これも空想的な考え方です。
住宅ブームがありましたが、低金利で借金をしましたが、変動金利ならば金利の急上昇により借金の返済も困難になるでしょう。同じような状態が地方自治体や体力のない企業にも現れてくる。
デフレからの脱却どころか経済は一気にしぼむでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
隔離(4)の続きです。
クルーズ船での新型肺炎罹病者(陽性)が今日も88人となった。
罹病(陽性)者は増えてきているでしょう。
本来の狙いは乗船者を各部屋に入れて感染を防ぎ14日以上経過した時点で陽性になる人をなくして下船させるというもののよう見えた。しかし結果は上記したように罹病者(陽性)は増え続ける一方です。罹病して初めて下船できるというのは皮肉です。日本政府の隔離の失敗でしょう。
この日本政府の失敗を受けてアメリカをはじめ乗客の母国が動き出してまさに避難(退避)を急ぎだしました。
各国が武漢から自国国民を対比させたと同じようなことが日本でもクルーズ船という限られた空間ですが起きているということで、クルーズ船は第二の武漢化している。
しかしこの新型肺炎の広がりは、今ではクルーズ船内にとどまらず日本国中がその危険性にさらされつつある。
水際作戦に失敗をして新たな段階に入ったわけですが、日本は検査を強めることと陽性になったらどう医療機関に入れるかぐらいの対策しか見えない。もちろんこれも大切なのですが、どう感染の広がりを抑えるかが見えない。鼻水が出てだるさが出て37度五分の熱が続いたら医療機関へ行けだけです。そして会社や学校を休みなさいと。
全く自己責任に任せていますね。労働者や学生に休みなさといっても休めるような環境は日本にはない。企業も在宅勤務を始めてきましたが、これだけでは感染を抑えきれないでしょう。
政府は企業に対して休ませなさいとは言えない状態でしょう。
するとクルーズ船が第二の武漢になったと同じように日本自体が第二の武漢になる危険性が高いです。

【2021年】ツイッターつぶやき
以下ツイッターから
何かルール違反などを見つけた時、それを注意する場合、言葉遣いや相手に土下座をさせるような謝罪を求めることはやめたほうがいい。
ひどい言葉も土下座させることも一つの暴力です。
善や正義のようなものだと思っているかもしれないけど、実は相手を傷つける嫌悪だけということがありますね。
込み合ったスーパーの棚の通路の真ん中にカートを置いて品選びの人が良くいます。邪魔であっても普通の人は「すみません、通ります」で対応するのですが、中には大きな声で「邪魔なんだよ」とたしなめる人がいます
相手は「すみません」では済まなくなり「なんだその言い方は」と。すると逆ギレかよと
最近この「邪魔なんだよ」と叫ぶ人が増えてきているように感じます。人のたくさんいるところでの「邪魔なんだよ」は時にはその相手をサラすことにもなり辱める行為になります。
こうしたことからサラすことや辱めることを目的としてやたらと少しの事で邪魔だよ的な汚い言葉を吐き続ける人となっていく
すると、このじゃまだ的な汚い言葉を吐き散らすことを正義と勘違いをしてしまうようになる。
相手をサラすことや辱めることが正義になると、その正義はゆがんだ正義となる。迷惑ですね。
人にはいろいろな笑顔がありますが、ゆがんだ正義の人の笑顔は最も見にくい笑顔になってします。
おわり・・・・

【2022年】ツイッターつぶやき
所得に占める税金や社会保障費の割合である国民負担率が2021年度は48%になり過去最高になったようです。
これは勤労国民だけではなく企業などすべての所得に対する割合ですから勤労国民の負担率ではないでしょう。
消費税を見てみると、最終納税者は消費者で勤労国民の負担は大きいでしょう。一方では法人税収が増加したとはいえ法人税率自体は消費税率に反比例して減少しています。また勤労国民の中でも消費税は低所得層の負担が大きいと言われていますから国民負担率の生活への影響は大きいでしょう。
負担率だけではなく負担感も見ないとだめですね。
社会保障は勤労国民にとって大切な税の使い道ですから社会保障として受け取っているだろうという論理もありますが、しかし社会保障をおさえながら公共事業に税をばらまいて企業に回っています。それが賃上げには結びついていない。やはり企業へ税は多く回っているのです。
賃上げと社会保障に金を回さないと消費の伸びはありませんし、そこからの設備投資にも金が動かないでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
今年はインフルエンザが流行すると言われていましたがどうなんでしょ。学校の学級閉鎖というニュースも聞きませんでした。コロナからマスクの着用や手洗いや消毒が一般化されていました。これがインフルエンザの流行をも抑えているのではないでしょうか。
コロナが流行り出してから風邪をひかなくなりました。もちろんインフルエンザにも罹りません。
インフルエンザが流行ればマスクをする人も増えていくわけですが、コロナではマスクはしない方向に動いています。子供たちの卒業式にカメラが入りマスクをしないで卒業式に出席した生徒は〇%ぐらいだと報道されています。
国が社会的規制をなくすことにより、マスクなど感染防止は自己判断になります。そして感染すれば自己責任です。マスクをするかしないかの話ばかりが目立ちますが、結局国民に自己判断自己責任を植え付けるのが目的でしょう。
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2024年 2月17日(土)「チキンラーメン」

2024年02月17日 22時23分08秒 | 「思うこと」
スーパーに買い物に行きチキンラーメンを買ってきました。
時々食べたくなるのですが、最近テレビコマーシャルで出てくるので食べたくなります。
最近のチキンラーメンは卵を落とす穴ができたそうですが、基本は変わらないですなぁ。
なぜか、初めてチキンラーメンを食べた記憶が鮮明に残っています。
子どものころたぶんテレビのコマーシャルもはじまっていた時期かと思いますが、お袋がチキンラーメンを買ってきた。袋の作り方を何度も読みながら、お湯を注いだ時の匂いが記憶にあります。
皿を蓋にして3分待つ間そわそわしていました。
出来上がって一口食べたあのおいしさ。。。。。
お袋が一口食べさせてと、にこにこしながらすすっていました。
そういえば本物のラーメンもそうは食いに行った記憶がないですから、チキンラーメンもおいしく感じたのでしょうね。そういえばカップヌードルを初めて食べた時もおいしく感じました。
だいぶ前に朝ドラでマンペイさんが出ていましたが、マンペイさんすごい!
明日の昼飯はチキンラーメンと焼きおにぎり。。。。
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池に浮かぶ月2162【2月17日】

2024年02月17日 19時46分45秒 | 「池に浮かぶ月」
去年はコロナも第5類になるということから、マスクをするかしないかの話ばかりとなりました。
第5類になり何が改悪されるかの話が隠れてマスクの話ばかりになりました。
現在コロナがまた流行りだしているといわれますが、報道は、インフルエンザ以下の扱いです。
若い人たちは特にワクチンも検査も有料となります。スーパーによっては手の消毒液が一時消えました。
コロナの実態が第5類になってわからなくなっています。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 2月17日(金)「何度マスクばかりの話なんでしょ?」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「2月17日という日」

2024年02月17日 08時19分09秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
スーパーに買い物に行きチキンラーメンを買ってきました。
時々食べたくなるのですが、最近テレビコマーシャルで出てくるので食べたくなります。
最近のチキンラーメンは卵を落とす穴ができたそうですが、基本は変わらないですなぁ。
なぜか、初めてチキンラーメンを食べた記憶が鮮明に残っています。
子どものころたぶんテレビのコマーシャルもはじまっていた時期かと思いますが、お袋がチキンラーメンを買ってきた。袋の作り方を何度も読みながら、お湯を注いだ時の匂いが記憶にあります。
皿を蓋にして3分待つ間そわそわしていました。
出来上がって一口食べたあのおいしさ。。。。。
お袋が一口食べさせてと、にこにこしながらすすっていました。
そういえば本物のラーメンもそうは食いに行った記憶がないですから、チキンラーメンもおいしく感じたのでしょうね。そういえばカップヌードルを初めて食べた時もおいしく感じました。
だいぶ前に朝ドラでマンペイさんが出ていましたが、マンペイさんすごい!
明日の昼飯はチキンラーメンと焼きおにぎり。。。。

≪過去の記事≫

【2004年】
歩道も無く、車の案外多い道をとぼとぼ歩いていたら、目の前に駐車禁止の標識のポールが。。。。よけて行こうとしたら、後ろから来た車のドアミラーにぶつかりそうになった。道路標識は安全のためにあるのだろうが、どう見てもこの標識のポールは歩行者にとっては危ない物でしかなく、むしろ歩くには危険なものになっている。
お年寄りや車椅子の方をよく見る。バリアフリーなんてどこの政治かもいうが、こんな標識のポールに目を向ける人はいないようである。

【2005年】
日中は暖かでした。ちょっぴり春が顔を出した感じです。
今夜はすき焼き。。。。一応牛です。
肉といえば、最近羊を食っていない。我が家は僕のほか、羊が嫌いだからなあ。あまり売っていないし。美味いジンギスカンを食いたいです。
風邪薬は今夜飲んで終わりにします。
花粉症はマスクをして我慢あるのみ!!

【2006年】
昨日、熱帯魚の水槽を掃除しましたが、底に徘徊していた魚がもう寿命で死んでいました。底に徘徊している魚は、水槽の底に沈んだ餌などを食べて水槽をきれいにしてくれるのでまた買ってきました。
いつものとは違う魚がいいので、今回は馬面何とかという体が細い魚を買いました。この魚がすごいのです。底に沈んだ餌ばかりではなく、沈殿物をも全て食べてしまいます。沈殿物は時々スポイトで吸い上げて捨てるのですが、この魚がいればだいじょうぶ!心強い魚です。しかし、昨日清掃したときに、この沈殿物をほとんど捨ててしまったので、この魚の餌がなくなったのではと少し心配しています。餌を多めにいれて餌が底まで届くようにしたいと思います。
目がきょろきょろ動き、顔はまさに馬面。。。愛嬌のある魚で楽しいです。
また2人のお子さんが殺されてしまいました。
同じ幼稚園の友だちのお母さん?が犯人らしいですが(よくニュースをよく見ていなかったのであやふやですが)、以前にも同じ事件がありました。こういう事件は複雑ですなぁ。。。。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】
民主党から16人でしたっけ?議員が会派を離脱したと。
もちろん小沢元幹事長の党活動を禁止した処置からのものでしょうが、しかし今までの政権をとってからの民主党変質とも見える政策の変更に対しての抗議としての離脱というものが表面に出てきたという一面もあり、それを理由として「小沢待望論」が強い中、国民生活重視を高く掲げることは国民に対して大きなインパクトがあるでしょう。統一地方選も考えれば、地方議員の中には民主党では戦えないという空気も強くあると思います。そうすると民主党に会派が二つできたわけですから地方選挙も離脱会派を支持するということでどうにか逆風を和らげることができるでしょう。
このような動きは自民党時代にもあったもので、離脱をして新党を作り自民党批判をしながら保守勢力は温存させる。小泉内閣の頃の改革に対する抵抗勢力でしたっけ?(言葉が出てきません)自民党をぶっ潰すという勢いの中に自民党が伸びるという現象もありました。
政治は駆け引きが多いと思うのですが、駆け引きで終わると国民は不幸です。
なんだか日本の国がぐちゃぐちゃになっていくような気がします。それは自民党政権末期から引きずるもので何も民主党だけが悪いわけではない。アメリカ式のというのでしょうか、国民に自己責任というものをせまる自由主義が社会の隅々にまで浸透してきて、国による福祉や社会保障という議論も結局は一般庶民が一般庶民同士で助け合えという消費税議論で終わっている。これは結局若い人は老人を世話をして、金を持っている老人は金を若い人に使えということを国のシステム化として作る。
国民生活重視もそうは簡単に具体化するわけではないですが、その意義を捨てて引けないわけです。100できなくても10でいいわけです。国民が見えるものが大切なわけです。こういう状況ですから国民生活重視、国民に嘘はいけないというものがやはり大きなインパクトがあります。これを民主党の離脱グループに求めるのではなくて民主党が思い出さないと日本は動きません。

【2012年】ツイッターつぶやき
G20ではアベノミクスへの評価が分かれたのだろう。デフレ脱却による経済の立て直しなのか、単なる円安誘導なのかと。日本側は一定の理解を得られたと評価していますが、名指しこそしないが円安への懸念が表明された。今回のアベノミクスによる円安には一応通貨安競争は避けるべきだというある意味において日本への忠告と世界経済への問いかけたにすぎない。
理解された安心するどころか日本の今後の責任が大きくなったという事だろう。
アベノミクスが単なる円安誘導で日本企業が有利になるだけというものが目立つようになれば日本への批判は高まるでしょう。
G20声明では、
「金融政策は国内での物価の安定や景気回復に向けられるべきだ」と強調し、通貨安を招く政策を戒めた。(朝日新聞1面より)
とされ、こくないの景気回復がどのように進められるかが注目されるでしょう。
このままアベノミクスが進めば政府や財界は、物価の安定とは国民の消費が伸びてインフレ傾向に経済が進むのではなくて、国民生活の不安定性(絶対的にも相対的にも進む貧困化や格差拡大)の中に輸入大国でもある日本で円安による物価の高騰が起きることを物価の安定と評価をし、景気回復は円安による輸出産業中心の株価の騰貴や公共事業にも関連する?投資目的の不動産の騰貴を景気回復ととらえられるだろう。この景気回復の解釈により消費増税が行われる。
これではG20の「金融政策は国内での物価の安定や景気回復に向けられるべきだ」というものから乖離したものとなるでしょう。物価が上昇した中での新たなデフレは必然的ではないでしょうか。国民生活の切り捨てによるそして円安誘導そして消費増税による名目的な経済の回復は物価がこうした中でさらにひどいデフレとなるのではないか。そして「インフレ傾向」が進まずデフレ圧力が高まれば日銀はさらに金融政策を進めるという政府との約束の中にいる。さらなる円安誘導を行い続けるという事である。
これでは日本の今後への責任は世界に対して果たせなくなる。
日本経済は世界経済の中で大きな役割を果たしているわけですからこの影響は大きいでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
国道16号線を柏から八千代方面に走っていた。
腹も減ったのでラーメン屋へ入る。このチェーン店のラーメン屋さんの酢豚が好きなので短だ。。。。
しばらくするとその酢豚が出てきたがなんだか変だ。とんかつ用肉を唐揚にしてその上に黒酢のタレがかかっているだけ。
なんだかいつも行っているそのチェーン店とはだいぶづれている。
その変な酢豚を食い終わり車に乗る前にトイレを済ませておこうと思い、店員さんに「トイレはどちらですか?」と聞いたら、「あちらですよ」と教えてくれた。
行ってみたらトイレらしきものは見つからない。通路にはでかい「バッド・マン」が立っていて壁には本棚があるだけ。「何でバッド・マンなんだよと思いつつ戻ってもう一度「トイレはどちらですか?」訊くとやはり「あちらですよ」と。仕方ないので「バッド・マンが立っているだけだよ」というとてんいんさっが「それではご案内します」と。
二人で行ってみたがやはり仁王立ちのバッド・マンと本棚があるだけ。。。。。
するとその店員さんが本棚の中のある1冊の本を押した。
すると本棚が開いてその奥にトイレが。。。。。隠れ部屋トイレ。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
南側に干してある洗濯物が大きく揺れています。時々突風のような風が。
たぶん東京は春一番でしょう。
気温も高くなって暖かです。
「春一番!!」
ニコニコしながら、心の中でこう叫んでは見たものの昔から春の突風は嫌いでした。本格的な春は待ち遠しいのですが、風には辟易します。
なぜか春の突風が吹くと胃が痛くなります。
洗濯物が飛ばないか、、、、
ヘックシュン!
花粉が飛ばないか。。。。。
また反動で寒い日が来る・・・・・
あまりいいことはない。

ツイッターからの断片

基本的な論理的欠如としてインフレをどう作るかの論理がない。現在のように経済の好転によるインフレと、円安誘導による悪性の物価高が。公共事業はだめ
アメリカ経済学とか、ノーベル賞受賞の経済学とか。。。。わけのわからない状態になっている。日本でそれを真に受けた経済学も流行りだからでは訳が分からなくなる。
インフレと悪性の物価高の区別もしないで、デフレは物価が下がること、インフレは物価が上がることという単純化により、悪性ンの物価高でもいいから物価が騰がることは好景気だなどと逆立ちをする。インフレで国の借金帳消しとか。庶民生活どうなるの?結局経済は収縮していくばかり。
昔からブルジョア経済学というのがあるとされていましたが、このブルジョア経済学が破たんする中で先進国の経済も破たんしていく。
「政府が中央銀行に国債を引き受けさせて、その資金を国民の預金口座に振り込めば」(引用)夢のような仮説です。現実はこの貨幣の回転が鈍い。
2%インフレ目標の持続的な達成が視野に入るまでは、増税は行わず(引用)インフレは貨幣量だけで国民生活を豊かにしない。インフレ後の増税はできない

これまでのアベノミクスにおいても、経済の好循環の過程において賃金は自然に上がっていくという理論があった。しかし自然に賃金が上がるどころか管制賃上げでもままならない状態。同時にまだ賃上げがあった労働者はいいが、その「恩恵」が及ばない国民が多数です。
新たにシムズ理論といったものが出始めていますが、これも同じで、インフレを達成したら増税と、国民に資金を回すといった空論が流行る。
これまでと同じように貨幣量の増加によるインフレを言うだけである。
経済の好転とは、貨幣の回転速度の問題です。
貨幣が経済の過熱により回転を速め、それでも足りないとみて貨幣量を増やしてインフレとなる。
貨幣の回転を上げるには国民生活の隅々にまで貨幣が回転しなくてはならないということです。
金融政策では無理であり、同時に政府のまず企業利益有りでも無理なんです。
貨幣の回転は早まらない。
貨幣の回転には貨幣量も必要ですが、回転速度が鈍い時に貨幣量だけを増やせば、それは格差の拡大にしかならず、貨幣の滞留が発生するでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
寒さ厳しい冬も終わり、春になっても寒さがずっと続きました。
それでも季節が移りゆく中、日も伸びて日中は陽ざしが出ればだいぶ暖かくなりました。
毎日植木の花の生長を楽しみにしてみているのですが、今朝ふとゼラニウムの鉢を見たら、去年植え替えたときに土の中に残っていたフリージアが麦の穂のような花穂を出していました。
たくさんまとめたフリージアの方はまだ出ていませんが近いうちに花穂が出ると思います。
やはり季節は春ですなぁ。。。。
ゼラニウムもたくさん花が付きはじめました。赤、白、ピンク。。。。。3色咲くときれいだと思います。
キンギョソウは大きくなって冬の間たくさんの花を咲かせた花穂は終わりそうです。切り取れば下の花芽が伸びると思います。
ビオラはあの雪が積もってしまい雪帽子の中に埋まってしまいましたが元気にたくさんの花をつけています。
今日は暖かなのでずっと部屋の中で育てていたインパチェンスを外に出してあげました。少し日光浴したらまた部屋に入れます。
もうすぐ夏の花の種まき。。。。楽しみです。

【2019年】ツイッターつぶやき
法人減税は段階的に引き下げられている。
2014年には消費増税があり大幅な消費税収増となりました。一方では法人税は引き下げられています。
アベノミクスの成果が言われていますが企業の利益は上がっているが法人税は横ばいに近い。
日本は法人税率が高いといわれていますが、利益から様々な名目で課税対象額は30%強ともいわれています。また法人減税による賃上げなども言われていますが、管制賃上げでの賃上げは在りましたが今年度の春闘は早くも企業は賃上げに消極的になっています。
昨年から企業の内部留保が問題となっていますが、法人減税をしながら内部留保を高めていく構図が見えます。
一方では名目賃金の上昇といっても消費増税や社会保障負担増などにより実質賃金は下がっています。
今後さらに法人減税と消費増税10%に向けて動いていくでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
内閣府が2019年10月から12月のGDP速報値を出した。
実質で前期比1.6%、年率で6.3%の減となりました。
そして経済成長はマイナス成長になりました。
東京新聞の表を見ますと、個人消費、住宅投資、設備投資も軒並み大きなマイナスとなっています。笑ってしまうのは景気対策としての公共投資だけがプラスです。公共投資や消費増税での消費落ち込みを防ぐポイント制度やきゃっすれすの費用を湯水のごとく支出したのですが、個人消費、住宅投資、設備投資も落ち込んでいる。完全に税制・経済政策の過ちでしょう。というよりも、そもそもアベノミクスが失敗だったのですが。
政府は米中の経済摩擦を理由にしていますが、国外の要因であったことに間違いはないでしょうが、内政面においては消費増税での個人消費の落ち込みがGDPの減そしてマイナス成長の原因でしょう。そして消費増税により個人消費が落ち込めば国内産業の設備投資もままならなくなります。それでも中国人の爆買いに頼ってどうにか国内消費を維持しようとしたのですが、新型肺炎により1-3月期のGDPもさらに落ち込むでしょう。
個人消費が伸びないと設備投資も伸びず、GDPもプラスには向かわないでしょう。
内需型の経済を作り出さねばなりません。それが企業も活性化するでしょう。ですから企業は賃下げを考えるのではなくて個人消費増を見据えた賃上げを行うべきです。

【2021年】ツイッターつぶやき
「20年平均の完全失業者数は191万人と前年に比べて29万人増加。こちらも11年ぶりに増加した。
休業者数は256万人と、比較可能な1968年以降で過去最多。前年に比べて80万人増加し、増加幅は1969年以降で過去最大となった。昨年の緊急事態宣言の影響が表れたという。」
ロイター
失業者はハローワークに求人の要望を伝えている人ですから実態はもっと多数の失業した人たちがいると思います。高校生や大学生は今の格差社会ではバイトをしなければ通学できないでしょう。また就労していた高齢者もお同じで、こうした人々が失業者に含まれるのではないか。すでに経済的理由だけではないでしょうが1367人の大学生が中退しています。
このような中で菅総理は生活できなければ生活保護があると済ました顔で答弁していますが、2年前ほど前から生活保護申請は難しくなっているという報道もありました。地方自治体の厳しすぎる審査の壁ができています。また今の国会でも議論になった親族の収入調査も入りますから(これは緩和しそうですが)かなり難しくなっているでしょう。また社会的な偏見もありますから生活保護を躊躇する方はかなりの人数だと思います。
このような現在の政治の中で国民健康保険を納められない人も増加しているようです。
「政府は「我々(政府)は支払い猶予の特例を使うよう市区町村にお願いする立場。適用するかは市区町村の判断だ」(総務省企画課)としている。
 では、町田市はどうか。取材に「個人情報なので答えられない」とした上で、「市は丁寧に対応しているが、もしかすると、やりとりの中でそう受け止められてしまったことはあるかもしれない」と回答」
毎日新聞
東京町田市で起きた例ですが、コロナによる失業で企業の保険から国民健康保に移り保険料を支払えなくなった方の例です。
国は自治体の仕事、自治体はその対応からここでも大きな壁になっている。
国や自治体などコロナ対策は様々な形でありますが、いざ救済を受けようとしても受けられずに「見放された」状態に。
コロナでの経済対策で飲食店の保証がありましたが、それもいろいろな書類整備やその不備から書き直しとかありましたね。また政府はさらに10万円の生活支援を求める声を無視し続けています。この10万円が出れば国民健康保険も支払えて医療を受けることができるはずです。
政府のコロナ経済対策は企業優先で国民の生活にはなかなか直結しません。

【2022年】ツイッターつぶやき
東京新聞に気になるニュースがありました。
為替ですと対ドルに対する円の二国間の実力ですが、実質実効為替レートは主要国全体に対する円の実力だそうです。
国際社会の中での円の購買力の低下を示します。
基軸通貨の対ドルに対しても円安が進んでいましたから輸入物価は高くなります。しかし貿易で円建てやドル以外の通貨を用いても円の力が弱いのですから輸入品はさらに高くなっていくでしょう。
実質実効為替レートが1970年代(50年前)にまで戻ったようです。
1970年代はまだ経済も成長していた時代ですから経済の力により円の力も大きくなっていったのでしょうが、今は30年間もデフレ不況が続いていますから厳しいですね。
逆に外国から見れば日本の製品は安く感じるでしょう。日本人にとっては国内の物価が高いと感じているが外国からすれば物価が安い国と?
かといって日本製品が国際競争に勝つとは限らない。
これは国家自体の貧困化の表れ現れかもしれません。

【2023年】ツイッターつぶやき
コロナウィルスも5月から5類になるそうですが、その過程の話としてマスクをはずすかどうかの話ばかりですね。なんでマスクの話ばかりなのでしょ?
マスクを着用する義務がなくなるというと、マスクが苦手な人や反マスト言われる人は喜びます。すると、社会的な規制がなくなるということも一緒に認めてしまうことになります。
コロナ感染が収束したから社会的規制をなくすのではないです。今後も大きな波が来て亡くなる方が出るかもしれません。むしろこの波は必ずやってくる。この時に社会的規制がないのですから何の対策もできないでしょう。学校で言えば感染が拡大したからと学級閉鎖ぐらいになるでしょう。
マスクも自由ですから感染力の高いコロナは勢いよく広がるでしょう。
そこでワクチンがまた流行る。
しかし感染力が高い場合、ワクチンで死亡者数を少なくするといっても感染者数自体が多いのですから必ず死亡者数も増える。
コロナによる入院や検査薬も有料となるでしょう。保険的売要はあるかもしれませんが。
今、マスクばかりにこだわって議論を進めていくのは危険ですね。
マスクをつけるつけないの裏には、大きな社会的規制と保証がなくなるということが潜んでいるのです。
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2024年 2月16日(金)「トイレ1カ所1億円?」

2024年02月16日 22時20分19秒 | 「思うこと」
大阪万博も湯水のごとく金を使いオリンピックのようになっています。オリンピックも万博も同金をばらまくかを考えているしかないのかと勘ぐってしまいます。
込んでは、トイレ1カ所に1億円使うそうです。
個室が10コあったとしてもひとつ1000万ですからなぁ。。。。。手を洗う場所に純金でも使うのでしょうか。
ロシアはソビエト時代から地下鉄など大衆が使う施設は豪華な内装にしていましたが、万博はどうなんでしょ。
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池に浮かぶ月2161【2月16日】

2024年02月16日 21時44分58秒 | 「池に浮かぶ月」
去年、国産のバターを買おうと表示を見たら、原材料がバターでした。
輸入品を国内で加工して国産でしょうか?
原材料の乳製品輸入が生乳換算で17万、国内では20万トンが廃棄されようとしていました。
今思えば、TPPも関係するのでしょうか。工業製品を売って食品は輸入すると。。。。。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 2月16日(木)「生乳廃棄」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「2月16日という日」

2024年02月16日 08時00分31秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
大阪万博も湯水のごとく金を使いオリンピックのようになっています。オリンピックも万博も同金をばらまくかを考えているしかないのかと勘ぐってしまいます。
込んでは、トイレ1カ所に1億円使うそうです。
個室が10コあったとしてもひとつ1000万ですからなぁ。。。。。手を洗う場所に純金でも使うのでしょうか。
ロシアはソビエト時代から地下鉄など大衆が使う施設は豪華な内装にしていましたが、万博はどうなんでしょ。

≪過去の記事≫

【2004年】
強い風です。気温も下がってきていますからこの風は春の風ではないかもしれません。洗濯物が大きく揺れています。また飛ばされないように気をつけなくっちゃ。
携帯の電池がすぐになくなってしまうようになりました。もう電池の寿命なのでしょうか?電池パックって高いらしいですね?あまり高いようなら、新しい形態を買ったほうが得だと友人が言っていました。こうして機種変更が強制されるのか?(笑)
そういえばPCもそうですからね。。。。そう、そう。。。。テレビもあと数年で強制的に買わされそうです。デジタル放送。今見ているテレビをぎりぎりまで使うつもりです。

【2005年】
体のだるさは薬を飲んでなくなったのですが、くしゃみと鼻水がすごい。どうも風邪と花粉症が合体してしまったようです。
ぼうっと本を読んだりパソコンに向っていると、鼻水がツーっと流れる。
苦しいです。
マスクをしていると楽なので、家にいるときもずっとしています。
寒い雨です。

【2006年】
予報ではだいぶ寒くなるとの事でしたが、そうは冷え込まずに過ごしやすかったです。それでも朝は寒いので、コタツのスイッチを入れ、電気ポットに水をたし、つけっぱなしになっていたテレビを横目にパソコンのスイッチを入れ、電気ストーブのスイッチを入れた瞬間。。。。居間のブレーカーが飛んでしまいました。もちろんパソコンもプッツン。。。
冬はよくブレーカーを飛ばしてしまいます。我が家のパソコン、だいじょうぶかな。。。。?
この前行った南房総で買ってきた羽衣ジャスミンの花が一輪咲きました。
蕾はピンク色なのですが、咲くと真っ白な花になります。すごく香のよい花ですのでたくさん咲くのが楽しみです。繁殖力がよいようで次から次へと芽が出てきてその先端には幾つもの蕾が出ます。だいぶ楽しめそうです。温室育ちでしょうから気をつけていますが、昨日までのように暖かい日差しが出ているときにベランダに出しています。
羽衣ジャスミンとい名は、妻が駅前の花屋さんで同じものを見たという事から知りました。僕は南房総で450円で買ってきたのですが、東京の花屋さんになると一鉢同じ大きさで1500円から2000円だそうです。
正月用に買った梅の寄せ植えは、花も終わったのでベランダの日当たりの良いところにだしてあります。葉の蕾が出てきてもう時期葉も出ると思います。一応油粕を入れておいたのですがどうなることか。。。。
忘れていたアマリリスの鉢にも油粕を入れて水をたくさんやりました。芽が出るかな?
これから熱帯魚の水槽の掃除です。
生き物は大変ですなぁ。。。。
今夜は女子フィギアー?
オリンピックはそうも興味はないのですが、女子フィギアーは興味があります。昼間のニュースでミキティーの練習風景が映し出されていたけど、女らしくなっちゃったというのか、少し重みを感じる。。。。4回転だいじょうぶかな?
なんとなく、ミキティーだけではなく日本人代表は悲壮感がある。表面上は明るいのだが。。。。

「此処彼処」
       日本経済新聞社
       川上 弘美  著
「場所について」書かれたエッセイ集です。
人それぞれに思い出の地というものがあると思いますが、川上さんが描く「場所」は、ふと思い出したような日常の中にあるようなそんな場所です。
もちろん「場所」というものは、その過ごした時々の思い出につながるものであり、この作品でもお子さんの頃のアメリカの町や若い頃の学生生活やボーイフレンドのこと、ご主人との新婚旅行でのマダガスカルと、その時々の思い出につながる「場所」です。しかしよくある思い出の場所を描き紹介をするというようなエッセイではありません。その意味では川上さんらしいというのか、特別な日を描くのではなく、日常という中の「場所」です。ですから読者が同じ「場所」を思い出の中に川上さんと共有しているからといってその場所を懐かしく読めるような作品ではありません。あくまでも川上さんの日常の中にあった思い出であり「場所」なのです。
川上さんは、「あとがき」に次のように書いています。
「固有名詞を多用すると、そのように現れたいくつもの輪郭のはっきりしたイメージが、自分の書いた文章に、知らないうちにどんどんぶらさがっていって、なにやら、文章自体が重みをもつようになってしまうような気がしてならなかったのだ。」
(中略)
「でも、それは、(たぶん)ちがう。」
(中略)
「はっきりしたイメージの中からも、曖昧な感じはたちのぼってくる。曖昧な未知の中から、いやにくっきりした知り合いの面影が突然あらわれることもある。」
僕の記憶にある長野県「妻籠宿」「馬籠宿」という具体的な固有名詞を書いた思い出でも、「馬籠宿の町並み」という特別なテーマがない限り、僕の中には息子との二人旅で見つけた蛇のこととなる。僕の中では、馬籠宿や妻籠宿という固有名詞の輪郭はぼやけているのです。川上さんの書きたいことはこういうことではないかと思う。
あんがい人の記憶というものはこのようなものではないかと思います。友だちといった旅行でも、「あの時はよく飲んだなぁ。。。お前が説教好きとは知らなかった」とか、ここでは旅行先の固有名詞や風景は曖昧になってきます。
このような旅行先とは限らず、毎日の積み重ねの中での記憶というのは、固有名詞は薄れゆき、曖昧なものだけが強く記憶にとどまるのではないかと思う。「あの店の蕎麦はうまかったなぁ。あの店は何という店だっけ?どこの駅を降りたところだっけ?」とか。。。。
「馬籠宿の町並み」という記憶をたどるときは、脳で論理的に記憶をたどるが、「息子との二人旅・蛇」というのは心の記憶です。まったくといっては語弊もあるかと思いますが、固有名詞からはなれたところの面影に心の記憶が残るというのも心の不思議であり、だからこそ「曖昧な感じがたちのぼってくる」のではないかと思います。
このように僕は、このエッセイ集の中に川上さんの心の不確かさや動きを見るのだと思います。出てくる地名は、僕も知っている場所もあればまったく知らない場所もある。でも、どちらにしても同じような感じ方で読み続けられます。僕という読者も「場所」から離れた川上さんの心を見るわけです。
「具体的な場所の名を示す、ということは、つまり、私個人のことをはっきりと書くことなのだということを、この仕事によって教わった。そしてまた、私個人のことを書いたつもりでも、結局は何も書けていないのだ、ということも。」
            (「あとがき」より引用)
たしかに、このエッセイ集には、ご主人や息子さんも登場し、教師だった頃やご実家の話も出てくるし、「センセイの鞄」の取材についてもの書かれています。その意味では、実際の川上さんの姿を見ることができそうです。でも、これらのこともやはり川上さんの心の記憶なのです。論理的に考えた記憶ではない。。。
ですから川上さんのことを読んでいるようで、じつは川上さんの内面というのか心の中を読んでいるというそういう作品に思えてくるのです。川上さんの実際の私生活がわかるわけではない、でも、川上さんという人を感じ取れるといってよいのかもしれません。そんなエッセイ集です。
エッセイ集「此処彼処」は、「彼処」からはじまり「此処」で終わっている。「彼処」は、「すわりどころ」と川上さんが名づける玉川上水沿いという場所にある朽ちたベンチのある敷地です。
もうここで読者は「はっきりしたイメージの中からも、曖昧な感じはたちのぼってくる。」のです。そして僕は、その敷地にある松の木から飛び降りて「どん、という鈍い音がした。更年期、だの、骨粗鬆症、だのという言葉が頭に浮かぶ。」(11頁)という言葉に川上さんを見ることになります。
終わりの「此処」は、「ごちゃごちゃ散らかった」ご自宅です。
川上さんは「自分の場所」と書いています。この自分の場所は、誰でもが長居はできないでやはり自分だけの場所なのです。
「彼処」の「すわりどころ」といい、「此処」の「自分の場所」といい、それは川上さんご自身が持つ心の居所なのでしょう。
そしてそれは日常の中にあるわけです。
此処彼処。。。特別な場所にあるわけではない。。。。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
寒くて嫌だけど床屋に行ってきました。
たった1センチ髪を切るか切らないかによって寒さもだいぶ違います。北風があたると寒いというよりも冷たいと感じてマフラーでほっかぶりでもしたくなりました。
その点髪の長い女性はいいですなぁ。。。。
髪が長くて深い帽子をかぶっている女性を見ましたが見るからに暖かそうでした。

【2009年】
家族旅行あっちこっち
                        幻冬舎文庫
                銀色 夏生  著
2005年ケアンズ、2006年宮崎都井岬、韓国、2007年金沢。3年ほどの間のご家族との旅行記です。
2005年6月発行の「つれづれノート14」で「つれづれノート」も終わりにすると書かれてからの3年間のうちに行かれた旅行のお話ですね。「つれづれノート」は終わりましたが、「ばらとおむつ」や「子供との暮らしと会話」が発行されご家族の様子を知ることができました。たしか、その中において旅行にいくと書かれていた部分もあると思うのですが、どのような旅行かはわかりませんでした。今回の作品は1冊の本にはまとめられなかった小旅行の記録といった作品になると思います。
兄弟や親しい友人宅に行き、いろいろと話しをしているうちに
「そういえばこの前、旅行に行ったんだって?」
「ああ。。。写真があるからみるか?」
「うん、見せてよ」
と、アルバムのページを開き旅行の話しを聞く。
「こっちの写真は?」
「ああ、それは去年の夏休みに出かけたんだ」
「よく家族旅行に行くんだなぁ、どこ?」
「韓国!!今は安くいけるからな」
なんていう会話の記憶を皆さんも持っていることと思います。
今回の作品は、このような親しい人のアルバムを見せてもらいいろいろと旅行のエピソードを聞くという感じで読める作品でした。なんとなく銀色夏生家でお茶でも入れてもらってお話しを聞く感じかな。。。。そんなのんびりというのか、ゆっくりとした時間の流れの中での一時。読者はこんな感じで読めると思います。
ですから写真が主でお話しはとりとめもなく出てくる言葉。
普通の人が普通に、誰でもがするような家族旅行です。
舟での釣りを楽しみにしていたら天候が悪くてだめだったとか、もし銀色夏生というプロの詩人が取材で旅行をしたら、天候のよくなったときのものを記事にするでしょうが、普通の人の普通の旅行ですからどんよりとあきらめます。ホテルは工事中だった。雑誌の取材なら前もって調べておくでしょう。でも、銀色夏生家はそんな中に旅行を楽しみます。
こういう意味でも、やはり親しい友人の普通の家族旅行の話しを聞くような本なのです。
ですから、詩人の旅行記!という楽しみ方はできませんね。夏生さんの家族旅行記は皆こういう感じです。(中には心の中が現れるような旅行記もありますが)
でも、どうでしょう?
普通の人が普通の旅行をした思い出とは?
雑誌に出ているような素敵な旅行ではなく、何かしらのアクシデントがあったり、見たい場所が休みだったり、食べたいものが見つからなかったり、子供が病気をしたり怪我をしたり、失敗をしたり。。。。。。。こんなことが「家族旅行」の思い出として残るのではないでしょうか?旅行中の風景などは覚えていないけど失敗はいつまでも残っている。そのときのことを写真を見ながら思い出してみんなで笑うとか。。。。
これが「家族旅行」ですよね♪
こういう視点でこの作品を読むと、写真を見ると楽しいんじゃないかな。
ケアンズに行かれたときは、母「しげちゃん」はお元気だったのですね。今は脳溢血で長い旅はできない。。。。。ひとつの家族の中に流れていく時間。。。。それも皆が持つ時間の流れです。



【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
日本から企業が出て行ってしまうと法人税の減税をやるというが、日本から企業が出て行くというのは、税金が高いというのもあるだろう(もちろんここには諸外国との法人関連の税制全般の比較が必要だが)が、本質的には日本に需要力が少なくなっているということである。それは国民生活が低下をしているということであり、その需要を低下させている要因はもちろんデフレにあり商品価格が低下をしているにもかかわらず国民にそれを消費するだけの生活力がなくなっているということであり、早い話が人口問題ではなくて貧困化しているということである。この中での需要の低下が企業が多くの需要を求めて国外に出て行き投資をすることにつながっているわけである。
金を出して企業に思いとどまってもらうというの勘違いである。逆さまな発想である。
同じようにデフレ対策といわれるが、市場にはこの消費力の低下から設備投資や資本投資のうまみがなくなり金(資金あるいは資本)は過剰なのである。この過剰なものをより多く海外に持っていくことが企業が諸外国に逃げるという現象である。
国内の需要を伸ばすには?答えはわかりきっているが、誰も泥をかぶりたくないという競争原理が働く。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
民主党は原子力安全・保安院が大飯原発3・4号機のストレステストを「妥当」とすることを受けて再稼働を進めることを容認したという。
ストレステストの結果を妥当とすることには一部の委員から再稼働に慎重な意見も出たという。福島原発の事故という重大な事故があったばかりなので再稼働に慎重な意見を少数意見として尊重すべきでしょう。慎重な意見が出たということはストレステストの結果に不安が残るということではないでしょうか?この少数意見を公表すべきでしょう。少数意見を大切にしないということはまた「想定外」を産むことになるのではないか。
昨年11月にストレステストに着手してもう結果を出す。
「班目(まだらめ)春樹委員長は審査書を確認するため、安全委員5人と、原子力工学などが専門の外部の有識者6人で構成する検討会を設けることを明らかにした。安全委は4月発足の原子力規制庁に統合されるため、3月中に結論を出すという。」(上記リンクのページより引用)
民主党は批判が強い原子力安全・保安院に替えて原子力規制庁を作るとしたが、福島原発事故時の当事者からなる結論をなぜ急ぎ採用するのか。これでは原子力規制庁を作る意味が薄れるだろう。ストレステスト自体を含めて新たな原子力規制庁の責任において答えを出すべきで、党としてもそれを尊重すべきでしょう。これは最低限の再稼働への責任でしょう。
原子力規制庁の発足前に結論を出したいという無理な急ぎ方に加えて、なぜ再稼働に民主党が動いたかは財界からの再稼働の要請があったからだともいう(朝日新聞1面)。この民主党が答えを出した経過を見ればストレステストのからの安全性よりも財界に動かされたことが否めないのではないか。今夏は原発再稼働なしには電力の不足が生じるかもしれないという理由はあるが、これを理由に「再稼働を容認せざるを得ない」(同)とも。
原発は定期点検のために泊まっているものもあるが、事故等も多い中再稼働ができない状況です。原発への不安は拭い去れない中でストレステストの妥当性があるのだろうか?ストレステストが妥当とするものが単なる新たな「安全神話」づくりでしかないのではないか。
ストレステストには何を想定外としたのだろうか。
今起きている被害と混乱を見てその解決の糸口さえままならない状況でしょう。
今現在起きていることを解決できないということは、これも原発事故のリスクなわけです。このリスクの回避も原発再稼働の条件ともなるでしょう。
もう一度西日本で事故が起きれば日本は壊滅でしょう。このリスクも考えないで今夏の電力不足という論理はないでしょう。まだどのくらい足りなくなるかという試算も聴いたことがない。
原発に変わる火力発電は燃料代のコストが大きいから値上げをするという。東電のコストが上がっているのは燃料代ではなくて賠償問題でしょう。燃料代が高いから値上げするぞ、それが嫌なら原発再稼働しかない。という論理でしょう。これに財界も呼応する中に再稼働の要請である。
安全問題や国民生活や健康には関係なく再稼働は進められるのか。。。。

【2013年】ツイッターつぶやき
BLOGOSに「何故アベノミクスは成功する可能性が高いのか」という記事がある。
これまでも書いてきたが、政府をはじめ経済学の中でもアベノミクスを成功させるには賃上げが必要だというのは多数意見になっている。
今回の記事でも「円安と資産価格高で企業採算が向上し、正常な賃金上昇が復活すればデフレは終わる。」と賃上げの必要性を書いている。「何故アベノミクスは成功する可能性が高いか」という可能性の実現に賃上げは不可欠であることが語られているのだろう。
しかし賃下げの理由が株・不動産の過剰値下がりの中でのデフレが賃金を下げてきたとする分析が正しいか。またこの論理から賃上げは円高の中で「日本の労働者の賃金はいわばその犠牲となり、長期にわたって低下し日本にデフレをもたらしてきたと言える。」と。
そしてこの円高を抑えて「円安になれば日本の貿易財産業の賃金は国際水準に比して上昇し、その結果国内での賃上げ圧力が生まれる。そうした貿易財産業での賃上げは、非貿易財産業の賃金上昇に波及する、と言う経路でインフレに至る」と結論する。
デフレが賃金を下げ続けてきたというのは一部正しいが、デフレの最初の一撃は勤労者の賃下げによる企業防衛にあるわけです。そしてそのデフレの兆候を無視して消費の低迷とそこからの企業の国内設備投資の意欲減退そして経済のグローバル化においての資本輸出による途上国の低賃金労働力の活用により国内の経済は落ち込みデフレが顕在化し加速をしてきたとみるべきでしょう。同時に円高はなぜ進んだかは、本来ならばバブル崩壊で経済が落ち込めば円安となるはずですが、失われた20年の中でも政府は企業防衛に資金を供給してほとんどつぶれる銀行や大企業はなかった。そしてその中で賃下げを行う政策により企業の賃金コスト論に依拠してコストとされる賃金を下げてきた。政策として。この中で企業は生き延びてさらに競争力をつけたのですから円は高くなるでしょう。失われた20年の労働者の悲惨さは政府も認識しているでしょう。今では生活保護が政府への圧力となっている。
こうしてみると、単純にアベノミクスを前進させる原動力を賃上げという面で見ても「円安になれば日本の貿易財産業の賃金は国際水準に比して上昇し、その結果国内での賃上げ圧力が生まれる。」といった根拠のない賃上げ論そして株価・不動産の値上がり(インフレ)が賃金を上げるという論理は逆立ちをしているわけで、賃金が上がればデフレも脱却をして企業業績も改善されて物価も安定すると見た方がいいでしょう。日銀の一部も2%のインフレ目標のためには2%の賃上げではだめで4%は必要というような発言がありましたが、2%の賃上げではデフレは現状維持という事でしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
朝起きてタバコをすいながら外の風景を見る。排水溝に雪解けの水の流れる音が聞こえる。家々の屋根には雪がまだ残り道路の脇に除かれた雪の塊が黒く穢れていた。
風がだいぶ強くなっていた。
朝食を食いながら連続ドラマを見る。コーヒーのお変わりを飲みながらオリンピックの結果を見る。羽入さんの金メダル。日本が意識される。そして東北の大震災に悩みつつ練習に励んだことが映し出される。チャンネルを変えるとまたやっている。大震災とアスリートについていろいろ考えた。日本の国民は頑張っているんですよね。何も有名な人ばかりではなくて一人ひとりの名もなき人も。
そういえば北関東や甲信地方の雪はどうなったんだろ?とチャンネルを変える。東京の雪のニュースやそのあとのにぎやかなワイドショー。。。。
パソコンのスイッチを入れてツイッターを開く。
ぼうーっと眺めていたら山梨の情報がたくさん目に入った。
なくなった方や雪に閉じ込められている方の状態が写真にもある。鉄道の復旧のために雪かきをするJR職員や度往路の復旧のために働く高速道路の職員。まだまだツイッターでさえ捕らえきれない人々がたくさん働いていたのでしょう。時間がたつにつれてツイッター上でも雪の災害のツイートが増えていく。自治体の動きも見えてくる。
午後からやっと国が動き出す。夕方過ぎにマスコミも動き出す。
「よく考えたらマスコミも現地にはいけないのかな?ツイッターは現地特派員がたくさんいる。」(ツイッターより)
特派員などとは不謹慎かなとも思いましたが、現地で大変な状況の中にいる方がツイートすると言うことは心の中のひとつの灯火だったはずです。その灯火を共有しつつツイッターの原点は「今、世界で何が起こっているか」を思い出しました。僕たちがニューヨークの大寒波の報道で(すみません僕は英語がだめですからニュースなどでですが)見ているように、そしてたぶんツイッターにはニューヨークの市民の方のツイートもたくさんあったはずですから、今のおおy期の状態を世界の方が見ていると思うのです。ですから日本からの発信です。。。。。そこに特派員という言葉もそうは失礼ではないと思っています。
今、世界で何が起きているか。。。。。それは災害や事故や事件だけではありません。人の営みすべてでしょう。そしてそこには政治や経済があり、それぞれの国民が専門家や報道陣のようにはうまくまとめることはできなくて実体や考えていることをツイートしています。この政治経済に対する国民の意識性もまた「世界で何が起きているか」なのです。
ですから日本発のツイートで差別や民主主義に反するようなものもやはり今、日本で何が起きているかなのです。同時に心温まるツイートももちろん今、日本で何が起きているかなのです。もちろんそれらに対する政治の動きも。
確かにガセネタや間違いも多いのかもしれませんが、それ以上に真実を作り上げていることも間違いないでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
ツイッターから
禁煙薬の副作用を調べたら、やはり薬は薬だから副作用があるし、その副作用も無視できないと感じた。禁煙運動に懐疑的な僕は、こうした薬とかにはなお懐疑的になって調べます。
日本の禁煙運動は先進国内でも最低と言われる報道もありますが、それは、反面分煙先進国でもあるということです。
今政治家の中でも意見が分かれているようですが、オリンピックに向けて懐疑的な禁煙運動を強めるか、分煙文化を広めるか。。。。
禁煙運動も全く否定するわけではないのですが、たばこの税金をあげて低所得層から禁煙に追い込む兵糧攻めは即刻辞めたほうがいいです。所得格差を利用した兵糧攻め禁煙運動が世界標準だなんてばかげています。その他過激な禁煙運動も含めて喫煙者を社会から抹殺する危険な思考です。

大分県のセリがありましたあ。
先日はもう新玉ねぎが。
ということで今夜は新玉ねぎと牡蠣のポン酢和えとセリを入れた豚肉のすき焼き風。
新玉ねぎはスライスして水に漬けておきます。牡蠣は良く塩で洗って片栗粉をまんべんなく薄くまぶして茹でて水に漬けて冷やします。新玉ねぎは良く水分を切って、冷やした牡蠣はペーパータオルで片栗粉がとれるほど水分を取ります。あとは青ねぎを散らして盛り付けて食べる時にポン酢を書けます。かきは片栗粉で茹でても縮みません。小ぶりの牡蠣がうまいと思います。どことなく生ガキ風です。
豚のバラ肉をさっと炒めたら酒、砂糖、みりん、醤油を入れて長めに切った青ネギを入れて豚に火が通ったら出来上がり。盛り付けたら刻んだセリをたくさん乗せます。
セリの風味とすき焼き味の肉が抜群に合います。

【2018年】ツイッターつぶやき
朝起きて一服しようとしたらライターが点かない。ガスがなくなっていました。
仕方ないので依然使っていてガスが少なくなったライターがない者かと探したのですがない。すると引き出しの隅っこにマッチがありました。たしかお袋から仏壇で使うからと買っておくように頼まれて置いたものだと思います。ひと箱だけ残っていました。
久しぶりです。煙草にマッチで火をつけるのも。
昔は喫茶店に行ったりするとマッチをもらったりもしましたが、今はほとんど見当たりませんね。
マッチの燃える匂いを嗅ぎながら昔を思い出しながら煙草に火をつけるのもまた楽しかったです。
マッチなんて今はどこで作っているのかと思いマッチ箱をしげしげと見ました。すると横の方に「うきわかもめ」という文字が。。。。。うきわかもめ、どういう意味だろ?そのうきわかもめの文字の下には湿気を帯びるようなところには置かないことなどと書いた注意書きがありましたから、「注意書き」のようなものかなと思いました。
しかしうきわかもめ・・・・・
意味が分からないとどうも気になって仕方ありません。午前中、ずっと「うきわかもめ」と考え口ずさみながら過ごしました。何かの呪文のように。
スマホがないので調べることもできませんでした。
さっき、昼飯も食い終わりネットで調べてみたら、大和産業というマッチの会社の商品名のようでした。マッチ箱の表面にもローマ字で書かれていました。
一応納得はしたのですが、商品名にしろその意味が分からない。。。。。
もやもやが消えません。
うううう・・・・・と考え続けて出た答えが!!「浮輪カモメ」
マッチ箱の絵は浮輪の中にカモメが飛んでいました。。。。。
答えは正しいかどうかはわかりませんが、一応すっきりしました。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
今回は。。。。「きらめきとときめき。」
うん。。。。きらめきとときめきどう違うんでしょ?
人と人との間ならば、相手にきらめきがあって自分がときめきを感じる。あるいは互いの関係性の進展自体の空気の中にきらめきとときめきが同時に発生する。
あくまでも僕の主観ですが、ということか?
猫が夜中に布団から出ていく感触。
これを猫がテレポーションすると感じ取ったり表現したりすれば心ににきらめきがである。
いや、その感じ取ったものはときめきだろう。。。。。
川上さんもどちらがいいのか言い表せなかったようです。
しかし川上さんはちゃんと答えを持っていますね。
きらめきとかときめきは日常から離れた素敵な政界だけにあるのではない。
川上さんは飲み会で深夜に帰る。駅前のスーパーで買い物。知人となんともない話をして別れる。
でも、ここにきらめきとときめきを感じたのでしょうね。
お母様の天皇と同じ年だがそれを言えるのも今年が最後というのもまた同じようなものでしょう。
長年連れ添った夫婦間にときめきがなくなるのはなぜかというものが言われていますが、若いころは夫(妻)が夜中に水を飲みにいた。夫(妻)が時々寝床からテレポーションする!🎵というきらめきやときめきとなるでしょうが。老夫婦となれば、また今夜もトイレに起きたのかぁ。大丈夫か?が形を変えたきらめきやときめきとなるのでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
マネーストック・マネタリーベース・信用乗数
この関係は、
マネーストック=マネタリーベース×信用乗数
という式で表すことができるそうです。
マネーストックというのは企業や家計が保有する現金や預金ですが、日銀がマネタリーベースを増加させても信用乗数が下がればマネーストックは増えない。結局経済の好転はないということになります。
しかし信用乗数が減少していくというのは
信用乗数=マネーストック÷マネタリーベース
という式になりますから、マネーストックが経済がデフレ不況で増加をしないで一定とすれば、日銀がマネタリーベースをいくら増やしてもそれは信用乗数を低下させることでしかなくなります。そして信用乗数が低下すればマネーストックも低下する。
なんか、デフレ不況の負のスパイラルを感じます。
しかし企業の塩漬けになった内部留保は爆発的に増えているわけですから、マネーストックが一定ならば、金は企業に集まり家計には少ないという状態が現れます。するとここから経済を動かし消費の源になるマネーストックは事実上減少をしている状態になります。するとマネタリーベースは資金の過剰という側面を見せるのではないでしょうか。となればデフレは資金の過剰によりデフレ不況に移行していくでしょう。
しかし過剰資金は株式などのマネーゲームに流れる。
経済実態から離れた株価はバブル化して経済の好転のように見えながらも実態は冷たいバブルとなり、この冷たいバブルも必然的にはじける。

【2021年】ツイッターつぶやき
プラスチックごみの減量のためにレジ袋の有料化がされました。
また、飲食店やテークアウトできるような店あるいはコンビニコーヒーもストローがなくなりました。しかしこのレジ袋やストローの量というのは全プラスチックごみ量全体に占める割合はそうは多くないでしょう。ペットボトルなどの容器などが多いと思います。また農家のビニールハウスのビニールとかも多いようです。しかし、生活の中のあらゆるものはプラスチックが使われていますね。紙おむつだと思っていたら実はプラスチックオムツだったり・・・・・
日本はペットボトル名では資源ごみとして回収されるようになっていますが、海に流れるプラスチックごみもそうとうな量になっているようです。
日本は年間6万トンのプラウチックが陸から海へ流れているそうです。これは世界では30位だそうです。こう見ると日本のゴミの回収や再利用は進んでいるように見ますが、世界1位2位の中国やインドネシアに日本からプラスチックごみが輸出されているのです。日本人のプラスチック廃棄量は世界第2位だそうですから、ほとんどは海外に輸出されそのごみが海洋に流れているということです。(1からわかるプラスチックごみ問題)
東京は以前東京湾の埋め立てにゴミを入れていました。しかし埋め立ても限界にきて海外に輸出するか燃やすしかなくなっています。もちろんリサイクルもありますがどのくらいの割合になるのか?都内の清掃工場では超高温で燃やすことにより廃棄も改善されるとしてほとんどのゴミを燃やしています。ですから以前は分別していたレジ袋などもゴミ袋として再利用されている一面があります。街からはゴミの減量としてゴミ箱がなくなり持ち帰るようになっています。しかし例えばコンビニで飲料などを買いレジ袋を買わないと持ち帰るにしても困ります。案外こういうことからポイ捨ても多くなっているのではないでしょうか。
プラスチックごみを減らすとすることがポイ捨ても多くなり海に流れるプラスチックも減らない。
レジ袋を使わないストローもマイストローにというのもおしゃれ感覚で行われていますが、なかなか根本的な解決には結びつかないですね。

【2022年】ツイッターつぶやき
このブログでも何度か書いていますが、オミクロン株は重症化しないと言われていましたが、コロナ感染者数に比べて重症化する人数の比が小さいだけで、絶対数としては重症化しないとは言い切れないです。これは死亡者数においても現れています。全国的には死亡者数が第四波に匹敵していますし、今後新規感染者数が減少傾向を示した問しても死亡者数が増加していきますから第五波を上回るかもしれません。これは東京や特に大阪のような大都市圏で増加していくでしょう。
オミクロン株は重症化しない死亡者数も少なかったという間違った分析から「風邪のようなもんだ」とか第5類にすべきだという間違った分析がされていましたがとんでもないことでしょう。
政府は早くも規制を緩和する方向に動き始めています。
新規感染者数は減少傾向を示していますが、3連休でしたし東京都も雪のため在宅勤務を呼び掛けたりしていました。また検査数も少なくなっていましたから現在の減少傾向が本物なのかはわかりません。前週比での減少幅は縮小しています。
検査もせず(できず)医療崩壊も起きている。机上のベッド数などあてにならないことが見えています。
2月いっぱいでどうなるか。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
日本では生乳が20万トン廃棄されているそうです。
コロナで学校給食も不安定になっていましたし、生乳を原料とする商品も売り上げが落ちたでしょうからこの影響もあるのかと思いますが、一方では生乳換算で17万トンが輸入されているそうです。
過剰生産でも消費減の影響でもなさそうですね。
輸入品は牛乳を加工した原料なのでしょう。円安が進んだとはいえまだ外国産の乳製品原料の方が安いのでしょうか。しかしそれよりも国家的に輸入品を輸入することを止められないということもあるそうです。
経済的矛盾(競争)よりも政治的矛盾が大きいのかもしれません。
先日スーパーでバターを買おうと思い国産のものを手に取り原材料を見たら、その中に「バター」とありました。バターの原料がバター?と首をかしげてしまいました。乳製品も値上がりしていますが、輸入品のバターを原料に企業は使っているのでしょうか。
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2024年2月15日(木)「気候は春一番だが・・・・」

2024年02月15日 21時32分17秒 | 「政治・経済」
東京は春一番が吹きました。去年に比べると2週間早いそうです。
季節は加速度的に春に向かっています。
しかし懐のぐあいはというと寒いですなぁ。
10-12月四半期では、GDPはマイナス成長だったようです。2期連続です。
為替の影響もありますが、GDPはドイツに抜かれたそうです。
円安は輸出を助けるとされますが、輸入物価が上がっていますからそうは安く売れない。この輸入物価は内需関連の企業などに影響する。観光では観光客が増えていますから黒字ですが、円安の影響で日本は安いからだとされてあまり喜べない状況です。そのうえ日本人は海外に旅行に行くのもきつくなっています。
日銀が賃上げがある中で2%目標もあるとしていますが、岸田内閣は、この賃上げで増税と社会負担を高めるとします。
日本は政治と金でボロボロになる。
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池に浮かぶ月2160【2月15日】

2024年02月15日 20時27分25秒 | 「池に浮かぶ月」
少し暖かさを感じるとドライブに行きたくなります。去年は暖かい南房総にでもと計画をしていました。
テレビの旅番組を見ていると、昔と違って、有名な観光地ではない観光スポットやB級グルメの紹介が多くなっています。外国人旅行者もネット上で広がった日本人でもあまり知らない観光地に行きますが、こういった影響が日本人にも受け入れられているのでしょうか。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 2月15日(水)「房総半島」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「2月15日という日」

2024年02月15日 13時42分45秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
東京は春一番が吹きました。去年に比べると2週間早いそうです。
季節は加速度的に春に向かっています。
しかし懐のぐあいはというと寒いですなぁ。
10-12月四半期では、GDPはマイナス成長だったようです。2期連続です。
為替の影響もありますが、GDPはドイツに抜かれたそうです。
円安は輸出を助けるとされますが、輸入物価が上がっていますからそうは安く売れない。この輸入物価は内需関連の企業などに影響する。観光では観光客が増えていますから黒字ですが、円安の影響で日本は安いからだとされてあまり喜べない状況です。そのうえ日本人は海外に旅行に行くのもきつくなっています。
日銀が賃上げがある中で2%目標もあるとしていますが、岸田内閣は、この賃上げで増税と社会負担を高めるとします。
日本は政治と金でボロボロになる。

≪過去の記事≫

【2004年】
暖かい一日でした。部屋の中は20度!!
気のせいか公園の木々のつぼみも大きくなったように感じます。
スーパーに行ったら、ケーキがひつ96円!消費税込みで100円でした。かって帰ったのですが、やはり100円ケーキらしいものでした。クリームが少なくてほとんどスポンジの土台だけ。。。ハハハ
今夜はカレーとポテトサラダです。
トマトピューレを入れた夕螺特性カレーです。

【2005年】
医者に行ってきました。インフルエンザではないようで安心しました。しかしすごい患者数です。熱でぐったりした小さな子供が長い間待たされ、なんか僕もインフルエンザでも移されそうで心配になりました。
これから目医者です。。。。医者のハシゴ・・・・ハハハ

【2006年】
娘が冷シャブを食べたいというので今夜は冷シャブです。
冷シャブにしては早すぎるだろうと思ったのですが、今日は20度近くにも気温が上がり、たしかに冷シャブでもよい気候でした。しかしまた明日は一挙に10度ほど気温が下がるそうです。。。。
スーパーに冷シャブのタレがまだ売ってなかった。。。。あハハハ
胡麻ドレッシングで作ります。
梨木香歩さんのエッセイ「春になったら苺を摘みに」を読んでいます。
その中に、「クウェーカー」という言葉がたくさん出てきます。読むなかで感じるのは、このクウェーカーというのはキリスト教の中の一つの宗派のようなものだというぐらいはわかるのですが、どのようなものかがわからなかったです。
少し調べたら、神の福音は、教会やイエス像を祈ることにあるのではなく、内なる自分に神を感じるといったようなものだそうです。それはまた、実際の暮らしの中に求めるものであるようで、ある意味実践的なものです。その実践は、良心的兵役拒否にもあるそうです。
このように変わった宗派ですから迫害もあったよう。。。。
梨木さんが、キリスト教徒かどうかは、今読んだ中ではわかりませんが、イギリスでの暮らしは、このようなクウェーカー(震える者)の人々の中にあったようです。
梨木さんの「裏庭」は、僕の感想としては心の中の葛藤を描いたのではないかと思ったのですが、キリスト教の表の顔と裏の顔の葛藤というべきものも含めた梨木さんの内面を知ることができるエッセイだと思います。
続きを読むのが楽しみです。引き続きクウェーカーを調べながら読み進めたいと思います。

【2007年】
昼間と夜の気温さ。。。何度ぐらいだろ?
昼間は5月上旬のような日差しと暖かさでしたが、夜になったら北風も強くなり一気に冷え込みました。
風邪が流行っているようで、急な高熱が出るようです。
寒暖の差が大きくなりますから気をつけねば。
そういえば、朝の電車の中で、なんとなくだるいと思ったらくしゃみ一発。。。。
「今、風邪ひいた・・・・」と思った。
困ったなと思ったら、体のだるさは寝不足のためなようで、くしゃみは暖かい風に飛んできた花粉だったようです。
花粉症でよかった。。。。。
夜は遅くなり外食でした。
そういえば、吉○家の牛丼が復活し、時々食べています。久しぶりの牛丼。。。。おいしいです。やはり生卵をかけないと!!

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
昨日、スーパーに行ったら「しもつかれ」がビニールパンクにされ置いてあった。どこかで聞いたような名前ですが食べたことがないので買ってみました。
ネットで調べてみたら、北菅等の方で初牛の頃に食べられる郷土料理だそうです。大根とにんじんそして鮭の頭をぐちゃぐちゃになるほどたぶん酒粕も入っていると思うのですが煮詰めたような料理です。
ビニールパックから搾り出すように器に入れてレンジで暖めてみました。
味は。。。。なんというのか味も薄くて鮭の頭と酒粕の風味が利いていて。。。。食感は柔らかい水分の多すぎるオカラ煮。
食べていて思ったのですが。。。。胃の中に入った食い物はこんな状態で消化されているのかな?でした(笑)
なんか、こんなことを思ったらもう箸が動きませんでした。
食い物の好き嫌いはないのですが、どうも箸が進まない食い物の一つになりました。どもども・・・・すみません。
スーパーで買うときに食品売り場にいたオヤジさんやおばちゃんに食い方を聞いたのですが、そのときにオヤジさんとおばちゃんが顔を見合わせて「人に寄って好き嫌いがあるからな。。。」と話していたことを思い出しました。ネットでも好き嫌いがはっきり出るとも。。。。
機会がありましたら一度お試しを。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
すみません。今夜はツイッターからの転載です。
日銀がデフレ脱却のために1%のインフレ目標を設定したという。インフレ目標といっても今の0金利を続けるということ金融機関から資金を買い入れて日銀が国債を買うということ。0金利で銀行などに資金を流し同時に金融機関からだぶついた資金を買い入れて日銀の国債保有を増加する。国の国債発行増加
結局は国債の発行をやりやすくしてその資金で国が災害復興や公共事業に税金をじゃぶじゃぶ使いそれがインフレにつながるような段階まで行うということでしょうか?もちろんその国債の償還は国民負担の増税で行われるわけです。民間資金も国内の設備投資には回らずに0金利も砂漠に水だった。
今、世界はこの国債の信用不安が高まっているわけですが、だぶついた民間資金を買い入れて日銀が国債購入に回すというのはある意味禁じ手とも言われていたものではないでしょうか?日銀が紙幣をいっぱいするようになればたしかにそれもインフレ目標。インフレ目標は政策的なインフレです。
政策インフレこれは危険ではないでしょうか?自然な経済の発展の過程におこるインフレ傾向とはまるで違うものでしょう。過熱した経済を鎮めるための金融政策でのソフトランディングが難しかったように、デフレ脱却の政策インフレというソフトランディングも難しいでしょう。
0金利といっても国民は貯金の利息が微々たるものになり低金利とはいえ銀行から金を借りれば莫大な差額の金利を支払う。住宅や車などの借金と貯蓄を考えれば企業の経理で言えば赤字続きでしょう。直接には日銀の0金利と国民生活はつながらない。
日銀が銀行を窓口にして0金利で直接住宅や車などのローンを国民に貸し付けるようにならなければ個人消費は伸びずに結局はデフレからの脱却にはつながらないでしょう。同時にだぶついた企業の資産を賃金にも消費税を支払うという形で行い一部を労働者の益税にすることをやらないとだめでは?
デフレとはたしかに市場に出回る資金が少ないという表面上の現象が現れますが、それは国民生活の中に資金が出回らないということでして、どこかに資金がだぶついているということです。国債は日本国内で引き受けられている。日銀が0金利で金を流しても今の矛盾が高まるだけです。
年金積立金を高齢化社会の年金に活用し、国民も老後などの心配がいらない社会保障制度の確立等で金を使い、銀行などの金融機関それは企業の資金ですがそれを賃金や雇用に配分していたなら国債などという資金のだぶつきはなかったはずなのです。結局は今後、今までの逆をやればいいわけです。
(橋本市長からのリツイート)今の複雑怪奇な補助制度、助成制度、社会保障制度は社会の仕組みの成熟に合わせてきた結果。もう限界です。これによって行政組織もどんどん肥大化してくる。それだったら国民に一定程度の現金を先に配布する。それによってバサーッと色んな制度がなくなり、公の組織がなくなるのではないか。
先にリツイートしましたが、これまで書いてきましたことから、どうも橋下市長の政策には疑問が出ます。
繰り返しますが、国債とはだぶついた民間資金(銀行や企業が国民に配分すべき資金)を国が税金で引き受けたものなのです。

【2013年】ツイッターつぶやき
BLOGOSの記事に書評でしょうか?何冊かの本を紹介するような形で書かれています。
どの本も僕はよんでいないので本の内容自体についてはどうのといえませんが商標あるいは本から学んだものとしてのまとめについて書かれた記事への感想という事でお読みください。
その中に「インフレ目標、金融緩和と公共事業は日本の不景気を救うか」と題された部分があります。
「需要(消費)を増加させるために労働者の給与所得をあげることが必要です。」
「左派は、アベノミクスを批判して、「労働者の給与や所得をあげることが必要だ」と非難します。でもどうやってか。その方法論がありません(最低賃金アップくらいか)。」
「計画経済の共産主義国家であれば、政府が賃金あげろと企業に命令できるでしょうが、資本主義国家では、財政政策や経済政策を通じて行うしかないでしょう。」
「その方法論としては、インフレ目標と政府支出(公共事業)を増加させるしかないように思います。」
「労働組合が、ストライキをくんで賃上げを要求しなければなりません。」
「それもしないで、アベノミクスを非難する労働組合って、どうでしょうか?」
ここにはどうも論理のすり替えがあるのではないでしょうか?
賃上げの必要性は確認されています。これについてはもう否定することのできない共通意見として政府から労働者まで一致するものです。
しかしこの賃上げをどのような方法により行うかは、左派にはその方法論がないとする。そして共産主義なら政府が企業に命令をするが日本は財政政策や経済政策を通じて行うと。だからインフレ目標や政府支出(公共事業)を増加するしかないとアベノミクスを前進させろという事でしょう。
日本は共産主義ではないから企業に賃上げを「命令」できないという提起には、だれもが持つ意識として政府が財界や企業トップを呼びつけて10%賃上げしろと命令するといったようなイメージが出来上がります。誰もがこのイメージからそんなことは日本で行ってはならないと思うでしょう。実際行ってはならない。それではこういった「命令」を否定するとき、賃上げを促進するには「財政政策や経済政策を通じて行う」とするがここには労働政策などが吹く慣れていない。この労働政策などを含めない中にアベノミクスの政党制に結び付けるという論理ではないでしょうか?この論理的な飛躍は時にして論理的なすり替えという危険性が出る。
共産主義的というイメージでの「命令」を排除してそれに対置させる「財政政策や経済政策を通じて行うと」という結論。そうではなくて、「命令」ではなくて労働政策という政策によって政府の方針は労働者の賃金を大きく作用してきたことを忘れている。一番わかりやすいのが派遣法でしょう。「小泉改革以後、一貫して、労働者全体の給与取得は減少しています。企業の収益や内部留保、株式配当は急増してきました。」という事でもありますね。そうならば賃上げに対しては「命令」を否定しながら政府の労働政策などの経済政策だけではない広い意味の「政策」を対置する必要があるでしょう。
上に派遣法が一番わかりやすいと書きましたが、賃上げには派遣法を廃止することによってはできないでしょうか?派遣社員の正社員化です。パートやバイトに対しては同一労働同一賃金を徹底させる。賃金の格差は労働時間の身で決まるというように。(ただし若い独身者と高校や大学に通学する子を持つ年配者の賃金額の差を同一労働同一賃金に置き換えてはいけません)男女間格差も。そのほかの格差の是正も労働者の賃上げです。
そして労働時間と賃金額は切っても切れないものですから、法定労働時間の短縮も単位時間当たりの賃上げですし、雇用の増大はもちろん賃上げです。
これらを背景に中間層の組織である連合の春闘も盛り上がるでしょうし、車の両輪として労働者の条件はよくなるでしょう。
こういった政策面はずっと左派でなくてもずっと言ってきたことです。
僕個人としては、消費増税が行われるなら労働者の賃金部分(労働力を買って消費すること)にも消費税を新設(仮に「賃金消費税」とする)すべきだと思います。そして一定割合を労働者への益税にする。あるいは零細企業にはそれを原資に賃金消費税部分の負担を軽減させるために還付してもよい。もちろん消費税部分は国や地方の税収増となる。
こんなことをしたら企業負担が大きいと言われが、そもそも消費増税は景気がよくなり労働者の賃金もその負担増に耐えられるという条件としての景気回復が条件です。そうならこの時点で企業も景気回復で潤っているわけですから賃金消費税を負担する力はあるでしょう。
すぐに企業には命令できないからアベノミクスによる景気回復d賃上げなどという結論は出すべきではなくて、労働政策全般を見る中での賃上げにつながるものを政策として実行すべきなのです。

【2014年】ツイッターつぶやき
ここで言う労働者というのは「賃金労働者」だけではなくて労働する人々すべてです。
誰でもがこの社会は人の労働なしでは維持発展できないことは知っているはずです。ですから労働者が社会の主人公なんです。働く人々のために社会は存在すると言ってもいいでしょう。
ツイッター上でも大雪で普通になった線路の除雪をしている人々が映し出されています。東電も今雪のために停電が出ているようですが、その復旧のために働いている方がいる。先の大地震や原発事故でもその現場で働いている方(ボランティアも含めて)がいた。公務員も自分自身が被災者でありながら職務上とはいえ市民のために働いていた。こうした災害や事故時にも人の労働の重要さがわかると思います。
日常生活においても人の労働の成果(日用品や娯楽そしてサービスや食料品などなど)ぬきには考えられないでしょう。
しかしこのことを忘れてしまうことがある。
今は金が介在して労働を行う人よりも消費をする人々が大切にされる。そして時には主従関係にも似た扱いを働く人々が受ける。もちろんそれを要求するのも働く人々なのですが、意識性において逆立ちをしてしまっているのです。金が介在するから。。。。。
もちろん労働者だけではこの社会は維持できません。その人の労働は組織性を持たねばならないし統一性がなければなりません。労働を指揮する人々が必要なのです。それが政治家であったり企業の役員だったりするわけですが、この人々が時には鬼軍曹や悪徳代官となって労働者を搾り取ることしか考えなくなります。労働者は統治する対象となります。これがひどくなると国民には主権などないとなります。民主主義はいらないとなります。
労働の軽視が始まります。労働の浪費と使い捨てが始まります。労働が社会を維持して発展させるということが忘れ去られます。労働者が社会の主人公であるというのを忘れ去ります。この社会の仕組みから労働者自身が主人公であることを忘れてしまいます。主人公にはなれないとあきらめてしまいます。
これを打破するにはどうしたらよいのでしょうか?
(以下ツイッターから)
原発事故と再稼動の問題。格差と貧困のも大。中間層の低賃金化と没落の問題。商店主や零細企業主の倒産や廃業の問題。そして社会保障の切り下げの問題などなど。。。。これは日本経済の底流に流れる矛盾です。そしてそれは経済システムの中で共通するものです。社会的な民主主義の問題です。
ならば、一つ一つの問題において個々の国民が持つ問題意識の重点とすべきものはあるでしょうが、すべてを民主主義の問題として互いに理解をしあう必要があるでしょう。たとえば脱原発だが生活は豊かだといった方もいらっしゃると思いますが、原発問題も格差や貧困問題につながる。
脱原発は経済問題でもあるということを見つめないと具体化はしない。沖縄の基地問題などもそうでしょう。今の日本の経済政策からの矛盾がさまざまなところに現れていることを幅広くとらえていかないと国民のための政治は作り上げられません。そのような政党も生まれないし強化されない
個々の国民が持つ問題意識の重点とすべきものを統一したとらえ方を作り上げることそれが統一戦線です。統一戦線とは言葉は穏やかではありませんが、早い話が不平不満そして苦しみや憤りなどを国民レベルで統一するということです。そこにはどうしても政治勢力の中心となる政党が必要。
この国民レベルの統一を阻止しようというのが反国民主権といった言動であり、差別や分断です。そして日常の中にある競争や官民格差や世代間格差などという言葉上の表現です。やはり根底にあるのは民主主義の問題でしょう。統一しようとする国民は自らが民主的でなければならない。
個々の国民が持つ問題意識の重点とすべきものを個々が大切にしながら他の問題についても理解しあう意識性から民主主義を作り上げましょう。

労働者は労働者がその労働をして作り出した物やサービスを互いに提供したり受け取ったりしている。
労働者同士は互いに有機的に結びついているのです。
この有機的結びつきを互いに確認することから見直していきましょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
先日妻と買い物に行ったとき、今夜何つくろうか話していたら、
「たしか冷蔵庫にこの前の小松菜があったよね」
「うん、そういえばあったね」
と。
しかし帰ってきて小松菜を探したがないい。
互いに使った覚えがないと。。。。。
それから1日置いて
「たしか冷蔵庫にこの前の小松菜があったよね」
「うん、そういえばあったね」
と。
もちろん小松菜はあろうはずがない。。。。。
そして今日、一人で今夜何つくろうかとぼんやり考えていたら、確か小松菜があったよなぁ。。。。と。
どこに消えたのか、伝説の小松菜。

夜が明けようとする街を歩いていた
商店のシャッターは閉じられ
歩道は夜の世界にけがされたままに
無残に汚れていた
静まりかえった静寂は
空気をも微動だにしない
歩き移動する僕の肉体は
微動だにしない空気の中を
まるで細胞一つひとつがネオンサインのように
空気の一粒の上を移動しているようだった
僕が風なのか。。。。。
信号の赤の光だけが暖かかった
白いワンピース姿のあなたが
横断歩道の向かいにいた
何でこんな季節にワンピース。。。。?
青白い顔のあなたはふんわりと立つ
あなたも風のよう
ふと信号の変化を見上げたら
あなたもうそこにはいなかった
僕はとぼとぼと歩きはじめた
すると、100メートルほど先の電信柱に
あなたは寄りかかるように立ち笑う
声は聞こえないが「あハハハ。。。。」という笑い声は
僕の頭の中にやさしく響いた
「あハハハ。。。。。」「あハハハ。。。。。」
白いワンピースの裾をかすかになびかせながら
ビルの陰や看板の横に
あなたはたたずむ
僕の心を翻弄するのは誰なんだ。。。。
白みはじめた空には白い月が冷たく昇っていた
「あハハハ。。。。」「あハハハ。。。。」
僕は白い月に吸い込まれた
そして夜がすっかり明けたとき
僕は白い月とともに消えた。。。。

ツイッターからの転載です。

安保(軍事同盟色)だけを表面に出した経済政策は限界がある。軍事面での国民の統制は、日本が侵略されたら。。。の論理だが、その安保・軍事力優先により国民が疲弊をしてしまったら国力は落ちる。国力は軍事よりも経済である。経済を無視した軍事力強化は国力を落としていく。すでに少子化と言う矛盾
少子化と言うのは、次世代の労働力が再生産されないという矛盾である。それを補うために移民や外国人労働力を必要とし、労働力を必要としない構造改革(これは一人の労働者の労働強化あるいは賃下げでも行われる)この状態はさらに少子化を拡大していくでしょう。
国家は生産力に支店を向ける。しかしその生産力を担うのは労働者であり、その労働者は生産すると同時に消費をす。労働力の再生産はこの消費自体である。よって労働力の再生産が弱れば、国民は疲弊すると同時に、消費を減らさざるを得ない。これがさらに国民を疲弊させる。
国民の疲弊と消費の縮小は負のスパイラルとなって社会に現れる。アベノミクスが経済の好循環を生み出せないのもこのためでもある。企業はその利益を国内消費から海外の消費に依拠するようになる。最悪の場合は外国に資本を移していく。国内はデフレ。全体的に見ればスタグフレーション
この中での経済的国の衰退により、国は国民からの収奪(税金など)を強める。しかしその金はまた公共事業あるいはひも付きの海外援助などによって、企業に還流する。社会保障や社会資本の保守は国民の自助により国民負担となる。発展した近代都市にペンペン草が生い茂るだろう。
武器購入「米国の雇用にも貢献」 安倍首相が答弁」(朝日新聞)
結局黒いつながりの強化です。「防衛費を今後も増やし、防衛力の強化」(引用)とも。

【2018年】ツイッターつぶやき
今日は外出。
外出先は室内禁煙で喫煙所もない。仕方なく外に出て車の排気ガスを吸い込みながら一服。
一服吸いながら煙草の煙が有害とは言うがこの排気ガスはどうなんだろと。。。。受動喫煙は厳しいが車の排気ガスや車が通るたびに舞い上がる埃などはあまり問題にもならないようです。
こんなことを考えながらぼーっとしながら一服し終わろうとした時、目の前に10円玉が一つ乗った掌が急に現れた。
びっくりしながら掌から上、そして方から顔の目を移した。
そこには頭がぼさぼさで無精ひげの生えた親父の顔があった。すると「タバコ売ってくれよ」と。
さうぐそこすぐそこにはコンビニがあるのになぁ。。。。と思いながらその親父の姿を見ると、ホームレスの方ではなさそうであるがどう見ても裕福そうには見えない。
以前にもなぜか駅のホーム上で同じような親父が僕の目の前に大根を1本出しながら「あんちゃん、これやるんだろ?」と煙草を吸う真似をしてきた。大根がほしいわけではなかったが煙草を1本上げた。それを思い出した。10円でたばこ1本売れという事らしい。
今は1本20円ですからなぁ。。。。。アハハハ
仕方ないので10円は受け取らずに煙草を1本上げて火をつけてやった。その顔の笑顔は幸福そうであった。
禁煙蘊奥も体への害を宣伝するだけならまだ勝手だが、煙草増税をしながらまるで兵糧攻めのように強制禁煙を行うのはひどい話である。禁煙運動家は禁煙を勧められ、増税を決める政治家は税収が減らないなら良しとし、喫煙かの政治家は煙草銭で苦労はしないだろう。
ひどい目に合うのは低所得層や中間層です。こうもたばこ増税が進むとサラリーマンも一日のこずかいから煙草銭を出すことができなくなるでしょう。
コンビニで爺ちゃんが”わかば”【安い煙草】を買いながら大切に吸う。。。。。
こういった社会は禁煙運動の理不尽さが様々なところに現れるようになります。
煙草増税で強制禁煙を進めるというのは暴力です。
政治の国民に対しての権力は国民による国の統治より優先され、何でも有りの社会になります。ヘイトやハラスメントなどの言葉の暴力はもう普通になっています。

【2019年】ツイッターつぶやき
(以下、ツイッターから)
不適切動画、この言葉自体が適切なのか疑問だが、毎日のようにテレビで動画が公開されている。アルバイト定員から「被害」を受けた企業は賠償も含めて徹底的に処罰するようです。たしかにバイト定員のしたことは犯罪に近い。しかし処罰だけで企業責任を免れるか?
今の時代正社員をおかずに派遣やアルバイトそしてパートなどの労働者が増えている。この中で企業利益は上がっていたり少なくとも維持をしているでしょう。企業全体を見れば内部留保はものすごい額です。そして経営者のセレブ生活も報道されている。ここに企業責任の欠如も生まれるのではないか?
時給1000円程度のバイトに責任を持たせてクレーマーのような客や何をするかわからないような人々の接客まで。そして在庫管理なども行うこともあるでしょう。多くのバイトの方はその中でも一生懸命に働いている。ここに企業が胡坐をかいているということではないか?
胡坐をかきつつ不適切動画のようなものが出てくると慌ててバイトの人格を表に出して厳罰を科してそれを企業責任とする。バイトの労務管理は行うのでしょうが、去年あたりはブラック企業という言葉が表に出ていた。
こういう社会ですから不適切な店員も出れば、不適切な客も多くなる。
社会矛盾ですなぁ
低賃金でこき使っておいて自分は億単位の生活をする。こういう企業・起業はすでに成り立たなくなっています。また企業経営にに対して株主優先あるいは企業経営に関係をしない株価の利ザヤで利益を得るというのも成り立たなくなるでしょう。
人の労働に寄生をする形は今の日本の経済をゆがめている。

【2020年】ツイッターつぶやき
2月13日に書いた隔離(3)の続きです。そこでは冒頭
「クルーズ船での隔離の過酷さが見えてきました。船内で健康の方が罹病するのを待っているようにも見えてします。一方では表現は悪いですが穴のあいたはバケツをふさぎきれていない」
と書きましたが、やはり穴の開いたバケツのように水はダダ洩れのような事態になりつつあるのかもしれません。
フェーズが変わった
中国からの感染を阻止しようとする水際作戦は失敗をし、穴の開いたバケツから漏れた水が広がりを見せ始めた。中国からの感染防止だけではなくて日本国内内部の感染が心配される事態ですからフェーズ(段階)が変わり新たな危険な段階に入ったという認識が強まっています。
13日の記事でも書いたように、海外からすでに日本の対応のまずさが指摘され、ついに台湾は日本への渡航に対して注意を促し始めています。そしてアメリカはクルーズ船内のアメリカ人350人ほどをチャーター機でアメリカに返す動きを示しています。この国外の対応を見ると、日本が中国への渡航に注意を促したり、チャーター機で日本人を国内に返したというものと同じ動きが日本に対して行われはじめた。
どのような感染経路で罹病する人の広がりが出てきたかがつかめない状態は、非常に厄介ですね。陽性にならないうちに多くの人に感染していく。1人から2人そして4人、8人、16人。。。。。に感染していく危険性が。
日本社会は体の調子が悪くて休みたくても休めない企業体質と社会の常識が作られています。こうした日本社会がさらに感染者数を増加させる危険性をはらんでいます。すでに医師が感染している。医療体制もどうなんでしょ?厚生省職員は防護服を着ないのが決まりとして当たり前とか。。。。。
相当しっかりとした対策を取らないと。。。。。
あとは自然環境の変化でどうウイルスに影響があり静まるのか。。。。。または加速するのか。

【2021年】ツイッターつぶやき
去年は芸能人などの自殺が報道されていた。また失業の増加などにより若い人の自殺特に女性の自殺者が増加していた。
この自殺の増加は児童や生徒にも及び前年比140人増、率にして41.3%増となったという。(毎日新聞)
原因としてはコロナ禍の影響にもより学業不振や進路の悩みが多かったようです。また家庭内の親子間の不和もあったようです。
文科省は強硬的に入試制度を変更しましたし、特に英語では民間試験の導入で混乱しました。高校生の負担は大きかったでしょう。また入試だけではなく学校の休校がいきなり始まったりもしましたし学校生活の混乱もあったでしょう。またタブレットなどの学習などもはじまったりしました。
子供たちも政治の混乱の中で学校生活や授業環境の変化で家庭環境も含めた自己責任が問われたでしょう。
高校生はバイトをしていましたからそれができなくなり(これも失業問題)、子供の貧困がすでに広がっていましたからバイトができない状態は生徒の生活の中身を変えたでしょう。
政治の不安定性の中で国民生活が大きく変化をし安定が見えなくなりました。ここに子供たちも例外なく巻き込まれます。

【2022年】ツイッターつぶやき
カテゴリーが男の料理となっていますが焼き芋は料理ではないですなぁ。。。。
最近はまっています。
サツマイモをさっと水洗いしてアルミホイルで包みます。このとき少し水分を多くして。
魚焼きグリルで約30分、美味しく焼けます。
サツマイモは茹でたり蒸したりするよりも焼いたほうが甘いような。。。。。
焼くことによりなんか変化が起きるのでしょうか?
サツマイモは安いものを買いますが、ヤニが出て黒くなっている見た目は汚い芋の方が甘いようです。
今日も3時のおやつに食べましたが、まさにスイーツのようなおいしさ。
最近東京では焼き芋がはやっています。
スーパーに行くと必ずと言っていいほど入り口にサツマイモ焼き機があり美味しそうな匂いがします。
我が町にも小さな焼き芋の店ができました。
焼き芋の黄金期は僕が子供の頃の屋台の石焼き芋屋さんでしょうか。
い~し や~きいも~ おいも
お袋が夕螺、買ってきてというので寒い夜空の下石焼き芋屋を探す。
声はすれどどこの道にいるやら。。。。。
探しているうちに薪が燃える匂いが。。。。
ドラム缶の中で薪の炎が暖かそうでした。
昔は案が高くて何本も変えなかったので家族で分け合って食っていました。
しばらく寒い間はわが家でのブームが続きそうです。

【2023年】ツイッターつぶやき
来週はまた暖かくなりそうです。
近いうちに房総半島にドライブに行きたいと思います。
これまでも何回も言った行ったのですが、時々旅番組などで房総半島が紹介されていて案外言って行っていないところが多い。
年々新しい観光スポットができているんですね。
同時に今までの旅番組は観光ガイドに乗っているようなところしかやっていませんでしたが、最近は美味しいものでもB級グルメとかも多くなっていたり、観光スポットも有名な観光地から離れた口コミで広がった場所なども紹介されています。
テレビを見ているときは行ってみよと思うのですが、数日過ぎると忘れてしまう。
スマホなどで調べてお気に入りに入れておかないとだめですなぁ。。。。。
コメント
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