夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「9月20日という日」

2024年09月20日 12時40分24秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
新しいパソコンを購入しセットアップをしていました。
いつもながらセットアップは苦手でして悪戦苦闘の日々でした。
そんなわけで日記も久しぶりです。
また続けて生きたいと思いますのでよろしくお願いします。
台風が近づいています。

【2004年】
東北に旅行に行ってきました。
紅葉にはまだ早く、残暑にしては遅い中途半端な時期ですが、それもまたよいもので道路も観光地もすいていました。
五色沼は雨で見ることができず、仕方なく山寺立石寺に行きました。だいぶ距離がありましたが楽しいドライブでした。しかし磐梯スカイライン?だったか、だいぶ霧が出てスリルがありました。風景どころではなかったです。
立石寺は、初めてでした。
東北には何度か旅行しているのですが、何だかいつも見る機会を逸していたので行ってみました。有名な舞台は山の上にありました。往復1時間をかけて石段を登りました。ながめは最高でした。
山道を車で走っていると栗の実がたくさん落ちていました。山栗は今が旬なようでした。宿ではキノコ汁も出ました。初秋の匂いのする東北でしたよ。
この日記も23日の秋分から秋になります。

【2005年】
6者協議がひとまずは合意されよかったです。
北朝鮮が核兵器の開発を断念し、アメリカ・ロシア・中国が極東においての核兵器使用を行わないこと、韓国も核兵器開発を行わないこと、アメリカは日本への核兵器を持ち込まないことと、日本がアメリカの核兵器の持込を許さないことを明確にすること。
このような中身に発展していけばと思います。
しかし、イスラエルとパレスチナの中にも平和交渉は進展しつつも直後に関係が悪化した経緯もありますし予断は許しません。
日本が二度と核の攻撃を受けないことと、現在ではそれは極東全体のものでもあると思います。
現在は、脱原発の動きがヨーロッパにありますが、日本も過去からの政策によって原発に頼らざるを得ない実態にあります。これは北朝鮮も同じでしょう。技術的な原発管理に差はあると思いますが、日本人は自国の原発にも危機を感じています。極東という狭い範囲を見れば、風向きによってはどこの国の原発の深刻的な事故の影響は避けれない状況です。
核というものは、誰がそれを使うか、誰がその被害を受けるかなんて単純なものではなくて人類そのものが滅びるということです。
「黄泉がえり」をテレビで見ています。
映画をあまり見ない僕ですが劇場でも見ました。
ラストの柴崎コウの歌が印象的でした。
しかし最近、柳さんの「雨と夢のあとに」をはじめ、同じような作品が多いですね。あと死を見つめた涙なくして見れない作品とか。。。人を愛することと決定的な別れという死。だからこそ蘇えりをを求める心。その中に人の心の暖かさを求めているのかもしれません。
守銭奴的な社会。。。。力の社会。。。
この中に愛などという心を失う怖さもあるのかもしれません。
僕の「ちんまりと」も同じかな?

【2006年】
強い陽射しでした。
風は秋の風ですけど。。。
14日の日記に飲酒運転について
「 酒を飲んだら乗るな!
これは、都会に住んでいるから気楽にいえるわけで、地方のように交通手段が赤字だからと削減されたり本数が少なくて車無しでは生活できない所ではね。。。」
と書いたが、都会のほうでも同じだという見方もあるようだ。
でも、毎日通勤地獄という電車に乗って通勤しているサラリーマンは、終電を気にしながら飲んでいるわけで、都会の中での飲酒運転とは無縁ではないか?むしろベッドタウンといわれる自宅に帰ったときに、駅から遠くて車を使っているというような例があるのでは?それは地方のほうなのである。
車や酒自体はいいのだが、それが結びつくと飲酒運転になって悪いということもいわれているが、便利さやコミュニケーション、ストレス解消には良いという面はあるが、車や酒自体すべて良いというには矛盾がある。交通事故や酒による健康破壊や精神は会を考えればそうは良いものとはいえない。タバコをやめろというものは、それを生産している企業が限られているから気楽にいうだけで、車や酒をやめろとはあまりにも巨大な企業が絡むのでいえないだろう。
どうも安倍政権ができそうです。
美しい国日本かぁ。。。どう見たらよいのか。。。

「ものを作るということ」 銀色 夏生・木﨑賢治  著
おしゃべり本第4弾
夏生さんと音楽プロデゥーサー「キーちゃん」こと木﨑賢治とのおしゃべりをまとめた本です。
夏生さんと「キーちゃん」とのお付き合いは長いらしく、夏生さんが大学を卒業した後の22歳からのお付き合いとか。。。(6頁「前書き」)
夏生さんの日記エッセイ「つれづれノート」によると、ノートに100曲ぐらいの作詞をした詞を持って音楽関連の会社に持っていったら、すぐに採用されたそう(正確な引用からではありません)ですが、その中に「キーちゃん」もいらしたのだと思います。僕は、作詞家時代の夏生さんとなるとまるで記憶がないのですが、「作詞 銀色夏生」の曲は、80年代の多くのアイドルたちにも歌われたようです。その頃の思い出が「つれづれノート①」45ページには、たくさんのアイドルたちや「キーちゃん」そしてこの「ものを。。。」にも登場する「小林くん」もイラストとして描かれています。
「うん。待ち合わせには遅れるけどね(笑)」(キーちゃんへの夏生さんの言葉)(212頁)
初期の作品「黄昏国」104ページには、「あたろうの悲しみ」という作品があり、「キーちゃん」が待ち合わせていたのに来ないから「あたろうちゃんはもうきーちゃんはきらいでした」という文がありますが、こんなお二人の中のエピソードも想像することもできます。
ファンとして「つれづれノート」や詩集を読み続けていると、「ものを作るということ」という作品全体からこのようなお二人の古い「仲間」そして友人という関係の雰囲気が流れています。
また、最後のページには夏生さんのイラストがあるのですが、そこに「竹林の七賢○」(最後の1文字は判読できません。たぶん「国」または「図」と誤って書いて消したもので、「人」だと思います)という言葉があり、これは「無辺世界」146ページの「竹林のナピスコ」のお話にあるものと同じものを感じます。
「つれづれノート」も14巻で終わり、これからの夏生さんがどのような作品を書くのかに興味がありましたが、「メール交換」そして9月の「うらない」を含めた「おしゃべり本」4冊が出され、ひとつの区切りが見えます。それが「つれづれノート」以前の夏生さんに戻るものなのかどうか?この点もファンとしてはいろいろと考えさせられる作品でした。
132ページから133ページに、「おしゃべり本」シリーズの話しになり、夏生さんが昔のお話しをしたかもということに対して「キーちゃん」が「集大成だから」と言います。読者も同じものを感じるのではないでしょうか。また、これは深読みしすぎかもしれませんが、子供のことを話すことへの嫌悪感や本職からはなれて本を出版することについての「キーちゃん」「小林くん」夏生さんのお話もありますが、作詞家から詩人へと変わっていき、「つれづれノート」を出版するという夏生さんへのちくりとした言葉も感じます。ここにも昔の「仲間」としての雰囲気を感じます。
僕もどこかでおしゃべり本シリーズは「つれづれノート番外編」あるいは「つれづれノート別冊」というような印象を書きましたが、一つの区切りを感じますね。。。。
最後の「うらない」の中で夏生さんは人生をどのようにお話しをするんでしょか?楽しみです。
「前書き」に夏生さんの写真があります。
夏生さんの写真は多くは見ることができませんが、このような表情の夏生さんは見たことがありません。「つれづれノート」での結婚生活あるいは家庭生活の中での心の動きという世界や、詩集の世界にある恋を中心にした内面的な心の動きでの夏生さんとも違う。やはり初期の河出書房新社時代の夏生さんというものを感じます。言い方を変えれば、「つれづれノート」の世界や恋の世界というのは、ある意味ご自身の生き方の具体的な表れであり、この具体的な表れの根底にあるのが、夏生さんの人生観や価値観にあるわけで、そんな内面を見ることができるのが河出書房新社の「黄昏国」であり「無辺世界」ではないかと思います。そして今回の「ものを作るということ」のおしゃべりの中にも表れていると思います。もちろん「メール交換」から前作の「女っておもしろい」や「タトゥーへの旅」も夏生さんの人生観や価値観がでているのですが、今回の作品は、「さすが心の友キ-ちゃん」と思われるように夏生さんとのからみが良い。
お二人の中に、初めの部分には「タトゥーへの旅」での「エイジくん」が少し加わり、後半ではやはり昔の仲間である「小林くん」が加わってお話が弾みます。
本の題名が「ものを作るということ」ですから、仕事の話からお話しも広がりますが、116ページには大リーガーのイチロウを評して「孤高の人」という言葉があります。また、111ページには「自分流」という言葉が出てきます。そして、どこのページか探せないのですが、夏生さんが娘さんになぜ勉強をするのかをいうときに「勉強することによって自由が広がる」というようなことをいいます。「孤高の人」「自分流」「自由」。。。
これらの言葉にお二人のお話が集約できるのではと思います
作家そして音楽プロデゥーサーという「もの」を作る仕事。やはり業界というものがあると思うのですが、その業界の中での自分流を語ります。それは時には孤高の人にもなるし、それを恐れない中に自由がある。夏生さんの様々な作品を読むとこの生き方をしていることがわかりますが、「キーちゃん」にも同じ人生観・価値観があるようです。
作家や音楽プロデゥーサーという仕事自体、自分の感性やこだわりを生かせる仕事であるというのもあると思いますが、それは様々な美的な職業や職人という職業にもそしてスポーツ選手にも通じるものがあります。お話は進みます。
夏生さんご自身、本の出版ではすべてをご自身でプロデゥースし、作り上げていくということをしているわけですし、それで生きてきたわけですから、「経験してみなければわからない」という言葉に重みがあります。
しかし、「つれづれノート」出版時から、夏生さんへの嫉妬(自分は夏生さんのようには生きられないというような)や、生き方への疑問もありましたし、「タトゥーへの旅」の前書きにある「私たちの会話に興味のある人は、読んでみてください。」という出版姿勢を感じる言葉などに読者はたじろぐこともあります。言い換えれば、夏生さんの「孤高の人」さ、「自分流」、「自由」の前にたじろぐわけです。
そして心の中の片すみに「こういうタイプの作家はあまり好きではない」と思いつつも夏生さんの作品に心がひきつけられる自分にまたたじろぐわけです。
「ものを作るということ」においても、サラリーマン批判的なものを感じますが、「じゃ、サラリーマンはどうすれればいの?」というような置いてきぼりにされたようなものを感じます。独立すればいいといっても、サラリーマン(人に使われて給料を受け取るという意味)がいないと社会は成り立ちませんよということも含めて、今の社会では存在せざるを得ないものです。そしてそのサラリーマンの妻や家族も。。。
「孤高の人」「自分流」「自由」。。。これは、夏生さんの職業は別にして、「つれづれノート」においては一般女性のひとりとしての夏生さんの姿を見ることができて、その日常の中においての様々な庶民的なものの中に「孤高の人」「自分流」「自由」があったわけです。ファン層の厚さはここにあったはずです。この中ならば、みすぼらしくもサラリーマンはサラリーマンの、そしてその妻や家族の「孤高の人」「自分流」「自由」が活かせたわけです。
ものを作るということという仕事を通した人生観や価値観を表現したのが今回の作品ですから、その作品の性格上あのようなお話の中身になっていったのでしょうし、この中に読者はドキッとする言葉をたくさん読めました。でも、最後に学校を作るというお話になり、読んでいると自由人のサロン的なものになりそうです。なんとなく夏生さんが雲の上に行ってしまうのかという不安を感じます。
次の作品は、「学校ができました」でしょうか?(笑)
「つれづれノート」再開は無理にしても、ぐっと庶民が心をつかまされるようの作品を期待したいです。
これは夏生さんの変化なのでしょう。
お子さんたちも成長しましたし、年齢も四捨五入すれば50歳。
でも、50歳なりの「つれづれノート」もあるはず。。。
そんな変化する夏生さんをこれからも見つめたい。

【2007年】
今朝のテレビで、この時期の平均気温は25,6度だそうで、それに比べると10度前後は気温が高いそうです。今日も東京は真夏日でした。
だいぶ前から少しおかしかったのですが、ここ2,3日まるで電話の話し声が聞こえなくなってしまいました。あ、いや。。。。僕の耳の話ではなくて電話機の話です。相手にはこちらの話し声は聞こえているのですが、相手の声がまったくでなくなってしまいました。
この電話機。。。。もう10年以上前に妻が友人のいらなくなったものをもらってきたものですから、(そういえば、この前も空気清浄機をもらってきたっけ。。)もう壊れても仕方ないのですが。。。
おもいきって買ってきました。
ところが電気店に行って気がついた。財布の中に金を入れ忘れてきて14000円しかない。安いのはないかなと見渡したらありました。13800円しかも税込み。レジまでいって他の費用もありかねが足りないと恥ずかしいので、何度もしつこく係りの店員さんに
「これ、税込みで13800円で帰るんですよね!?」と。。。
あとで考えたらそうとう恥ずかしい質問であった。しかし金がないのだから仕方ない(笑)
でも、何か買いに行くときは、あまり金を持たずに行くのが一番よいのかもと思いました。どうも僕はせっかく買うのだから少し良いものをと思いついた買い物を買ってしまうクセがある。金がないなら変えないし、ぎりぎり最小必要限の物で間に合わせる。
200円のお釣りを財布に入れてとぼとぼ帰ってきました。。。
外食でした。。。外食の後に電気店に行ってよかった。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
先日、立山連峰を1週するように旅行してきました。
宇奈月温泉、富山、八尾、五箇山、平湯温泉、上高地、安曇野
あいにくの小雨で立山連峰も雨に霞む風景でしたがそれはそれなりに雲のかかる山々は美しいものでした。
いろいろと思い出に残る風景はたくさんあったのですが、一番印象に残ったのが八尾の町でした。そして越中おわら節。
城下町というのか、宿場町というのか、八尾の町は古い町並みが残っていました。たしか道百選というものに指定されていたと思います。
以前にも古い町並みというのはいくつかいったことがあるのです。関東にも小江戸川越とか土塀の町栃木とかありますが、どこも古い家や店がお土産やさんになっていたりしている町が多かったです。八尾は生活がそのままに残る古い町並みという感じを受けました。観光開発や町おこしがされないままの古い町並みというのは貴重なのかもしれません。時間がなくてゆっくりと探索できなかったのですが、最低でも半日ぐらいかけて歩くと楽しい町ではないかと思います。目に焼きつく町並みの風景でした。
おわら節の会館にも立ち寄ったのですが、「風の盆」という言葉にぐっと来ました。二百十日の風の中にゆったりとしたおわら節と踊りが。。。ビデオを見たのですが、美しい町並みの中に流れる三味線と胡弓の音、そしてゆったりとした踊り。。。9月1日から3日間踊られるそうですが近いうちに必ず行って見たいと思います。ビデオを見てから本物の踊りを見てきたいと思っていたら!!なんと宇奈月温泉で見ることができたのです。雨のために街中ではなくて会館の中でしたがおわら節を保存している方々のおとりがありました。もちろん三味線や胡弓、歌も生でした。この時期1週間だけ行われるイベントだったらしく運が良かったです。
数年前に郡上八幡の郡上踊りのときに行ったのですが、東京にはない風情ある祭りでした。この郡上踊りにも劣らないおわら節ではないかな。。。。。町が観光地化されていない分いいかもしれません。
もう少し観光開発をすれば郡上八幡にも負けないと思うのですが。。。。でも、今のままの方がいいのかもしれません。観光地化されないうちに一度立ち寄っていたほうがいいと思います。

【2011年】ツイッターつぶやき
先日書いたものにコメントをいただきそれへのお返事を書きましたが、その中で市場価値という面で放射能に汚染された農作物について書きました。
政府は農作物や牛肉などについて基準値(500ベクレル)より下回ったとして市場に出すことをつるします。しかし市場を通したその農作物は消費者に向き合います。消費者は基準値もあります(この基準値すら疑心暗鬼)が基準値以下でもなるべく汚染が少ないものを選ぼうとします。この現象を風評被害という言葉でかたずけるのですが、よく考えれば放射能に多く汚染された農作物は、市場に出したときにその市場での価値を下げているわけです。ですから正確には風評被害ではなくて汚染がひどい地域(基準値以上の農作物が出た場合とか)の農作物は市場での価値を下げられているといった方が正確ではないでしょうか。
では、この汚染された農作物はなぜ市場価値が下がって消費者に届きにくくなるのかを見たときにその答えははっきりしているわけです。
消費者が悪いわけではない。消費者が買わないことやその産地を応援しないからということでもない。
今までも一度問題を起こした商品が売れなくなりその後もその企業の信用が落ちたことがあります。また産地偽造や不正な商品への風当たりからのものもありました。この中でその商品が売れなくなったからと言って消費者を批判するような風評被害で済ませたのでしょうか?そうではないと思います。もちろん今回は汚染された農作物を出荷した農家の責任というわけではありません。しかしその商品が売れないということはまた風評被害ではないのです。
商品は市場に出されます。その時に汚染状態はほとんど消費者の元には届かない。この中に判断があいまいになることが起こります。このあいまいさから風評被害といわれることもあるかもしれません。しかし知らされないのもまた消費者の責任ではない。知らない中に自己判断や情報を集めて判断をする。これはやはり市場に出ている、たとえばレタスならなるべく福島原発から遠いものという素人判断も出て並んだレタスの産地は選ばれるでしょう。これもやはり市場価値ということになります。
学校での給食や外食の時の食材などにも敏感になります。国や事業者が検査しないなら手作り弁当をともなります。いろいろな食品を扱う会社にも目が向いていきます。少しでも産地を明らかにした食材を使っている事業者や独自検査をする事業者に手は伸びる現象は出ているでしょう。これもまた市場における競争として出てくるはずです。
このような市場に任せることは決してよいことではありませんが、市場においての消費者の疑心暗鬼というものを排除するには国や東電の責任が明らかになり市場価値を下げられた商品の買取などをするしかないはずです。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
安倍総理が「政労使協議」において賃上げや雇用の拡大を要請したらしい。
「経済はデフレ脱却の方向に向かっている。この動きを企業収益、賃金、雇用の拡大を伴う好循環につなげられるかどうかが勝負どころだ」 (上記リンクページより引用)というこの要請自体には一定の評価をしたい。
今年2月にも安倍総理は財界に対して賃上げの要請をしたことがあったが、財界はボーナスで反映をしたいと答えたが、ボーナスは持続的な賃上げとは異なるし反映されたのは一部の輸出産業などであった。結局はそのボーナスに反映というものでは景気の拡大に向けての消費は伸びなかったことが証明をされてさらに今回も要請をしたということだろう。
上に「一定の評価をしたい」と書きましたが、この評価は景気の循環のためには賃上げや雇用の拡大が必要だという認識事態であり、具体的な政策上のものは今回もまた何もないという要請だけであり、本気で賃上げや雇用の拡大を考えているかとなるとただサラリーマンにまた期待を持たせるだけのリップサービス的な物であろうと思われる。
上のリンクページの記事だけを読めば安倍総理は賃上げや雇用拡大のために企業減税を行うといったとらえ方ができるが、現実には設備投資減税や復興財源による企業減税の中止を先送りでやめるといった減税が先走っており、このような企業減税にさらに減税といったものではないでしょう。ですから米倉会長も『政府が検討中の法人税減税で「官に取られるより企業に残る部分が多くなるので、賃金は増えると思う」』(リンクページより引用)というようにあやふやな答えであり、賃上げの具体性は見えない。もちろん一定の賃上げはあったとしてもやはり輸出産業や銀行・証券などの一部にとどまるでしょう。
賃上げは広く行わなければ景気回復もないし、雇用拡大は今の正社員を減らす中での不安定雇用拡大では景気回復はないでしょう。
やはり以前からこのブログに書いてきたように「賃金消費税」ともいうべき消費税を導入しなくてはならないのではないでしょうか?賃上げがはじまる景気回復まの限定的なものでもいいですから。賃金額に5%程度(消費増税をやらないならこの程度)の消費税(労働力を買ったときにかかる消費税)を導入をして3%程度を労働者の益税にする。あとの2%は経営の苦しい小零細企業などへの賃金消費税の一部還付や年金や生活保護費などに回す。この中で消費の拡大のきっかけをつくる。
また不安定雇用が拡大していますし、その賃金の引き上げも含めて最低賃金の大幅な引き上げが必要でしょう。正社員の賃金額を参考にした時間給の適正化が必要です。それには時間給は1000円から1500円程度に最低限上げるべきです。この中で正社員と不安定雇用の格差を改善すべきで、企業の賃下げ競争もやりにくくなるでしょう。雇用拡大はやはり法定労働時間の短縮です。
このような政策は企業負担の増加になりますが、今のデフレ下においては消費の拡大を通じて企業利益や税に反映されるでしょう。株や金融商品に企業資金を回すよりも明らかに企業利益のためになる投資ではないでしょうか。
ただ要請をすれば財界が「はい、そうですか」とはならないことは明らかです。

【2014年】ツイッターつぶやき
ある商品は価値を持つ。
その価値とはその商品がどのように役立つかといったような使用価値ではなくて、洋服と靴ならその使用価値が違っても共通する価値があるから交換をされる。分業が進んでいるのですからこの洋服と靴は交換をされねばならない。しかしこの交換は使用価値だけの比較では交換はできないのですら何かしらの基本的な基準がなければ交換はできない。その基本的な基準ともいえるのが価値である。この価値はどのくらいの労働力の支出があったか(あるいは一日に洋服なら何着、靴なら何族といった労働時間)で決まる。1日に同じ労働時間で洋服なら1着、靴なら2足作れるとすれば、これを1対1で交換はしないでしょう。洋服1着と靴2足でなければ交換はできない。そうすると洋服は靴の2倍の価値があるということになる。ですから価値とは、洋服を作る労働と靴を作る労働ではその労働のやり方は違うともいえますからここで共通するのは具体的な労働の形態ではなくてどのくらいの労働力を支出したかで決まることになる。
どのくらいの労働力の支出をしたかで決まるその商品の価値は、物々交換のままでは市場は発展しない。洋服がほしいと靴屋が2足靴を持って行っても洋服屋は靴も1足あればいいとなれば、ならば洋服半分を渡すわけにはいかない。そこで貨幣が生まれるわけである。洋服1着の価値が1万円としてその価値が表現されて靴は5千円と表現される。ここで靴屋は洋服屋が2足もいらないというのだから靴2足渡すのではなくて1足分の5千円を渡せばいいわけである。
ここでは貨幣量は価値を表現するだろう。金貨そのものも金貨を作る労働力の支出の割合でもある。
しかしここでとんでもない経済理論が飛び出すことがある。
貨幣が価値を写すのならば、貨幣量を多くすれば価値が高まるのだと。。。。
洋服を2万円にして靴を1万円にすれば両商品の価値が倍になる。国内の商品量すべてが2倍になれば国が生産する商品の価値が2倍になるではないか!と。経済は成長した!!と。
もちろんこんなバカな話はないわけで、経済など成長もしないで価値自体に変化はなくて貨幣量だけが変化しただけなのである。もちろん金貨の金の含有量も2分の1になってしまった粗悪な金貨を用いねばならない。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「シルバーウィークはどう過ごす?」
今は働かざるを得ないお年寄りが増加しているようです。
その意味では連休もありがたいのかとは思うのですが、よく考えてみると大体お年寄りの仕事は時間給や日給ですよね。すると休めばカネにならない。休日に忙しければ仕事も忙しい。同じ時間給で。
シルバーウィークと言っても敬老精神での1週刊ではないですなぁ。。。。。
仕事をしていなければ。。。。
毎日が日曜日。。。。アハハハ
案外お年寄りの周りの人々や企業が興味ある習慣なのかもしれません。
そういえば住んでいる地域に「敬老」の催し物は見なかった。。。。

どうも、所信演説もしないままに解散するようです。
所信演説をして代表質問などをしていると10月10日の告示が間に合わなくなるそうです。でも所信演説と代表質問があり、もし出せるなら内閣不信任案までも出たら内閣への国民の批判は高まってしまうでしょう。
東京新聞によると憲法改正の条文案を公約せずという記事がありましたが、もしかしたら自民党内でもいろいろな意見がありまとまらないのかもしれません。9条に自衛隊を認めるだけの改正、これまで表面化していた自民党案など。まとめきれないで見切り発車でしょうか。この状態にあるならば、ますます国民は〇✖をつけなさいと言われて中身もわからずじまいという事に。自民党が勝てば改正が急速に進むと思いますが、その時になって国民は知らされて、その後はこれまでの国会運営と同じように数の力の強行採決に。
ということは。。。。。。
今度の選挙は、国民からの不信による苦し紛れの選挙という事になります。こうした選挙方法しか取れずにそうでなければ勝てない自民党そして与党の実態が見えてきますね。
民主主義と平和そして国民生活を取り戻すための選挙になりそうです。

【2018年】ツイッターつぶやき
男の手料理という事ではありませんが、秋もだんだんと深まっていきますが葡萄がたくさん出回っていますね。
最近はシャインマスカットという種なしで皮もそのまま食べられる葡萄が出ています。
たしかに皮も柔らかくてそのまま食べてもおいしい葡萄です。しかし高いですねぇ・・・・・・
高くて買うのはあきらめていたのですが、シャインマスカットと同じに種なしで皮も食べられる葡萄というものを最近二種類程食べました。皮は少し硬いですが美味しい葡萄でした。
以前テレビで見たのですが、バナナやパイナップルも皮ごと食えるものがあるそうです。
フルーツも品種改良でいろいろなものが出るようになっています。

【2019年】ツイッターつぶやき
松葉ボタンも終わりです。
去年の今頃、強い風が吹いたら転がってしまいました。根っこが弱くなって浮き上がってきます。
今年も少し触ったらボソッと抜けてしまいました。
種を持った花が転がって次の年はそこに花を咲かせて増えていくのでしょう。
今年は6月の日照不足により育ちが悪かったのですが、やはり花数も少なくて種もあまりとれませんでした。
来年はうまく育ってくれれば。。。。
そういえば、ポーチュラカの種を少し採りました。
松葉ボタンと同じようなのですが、種取が難しいです。
はじけてしまうのでしょうか?

【2020年】ツイッターつぶやき
お彼岸もあり9月のシルバー連休ですね。
この連休だけではなくて日本は連休の多い国です。それが日本の特殊性かもしれません。
日本の労働者は休暇の消化率が極端に悪い。連休が何の気兼ねもなく休める「休暇」となりますね。ですから連休に一斉に動き出す。込み合った交通機関や高速道路を利用しバカ高い宿泊費を支払って出かけざるを得ない。どこの観光地も人が密集をします。
コロナ騒動の中、この連休は薬ともなりますが同時に反面としては毒ともなります。
連休は多くの企業が休みになります。通勤電車の混雑から逃げられますし、会社がらみの飲み会等からも逃げられます。密が避けられます。その中でコロナ対策として自粛をすれば感染拡大に対して薬となるでしょう。しかし政府はGo Toにより人の移動と密を促してしまった。このことにより連休はコロナ対策としては毒となります。
Go Toにより感染拡大は起きていないという説もありますが、現実の数字としては、東京もせっかく新規感染者が一桁になったにもかかわらず急激に今の感染状況を作ってしまった。その中には緊急事態宣言解除もありました。
この連休では人手が多くなっているというニュースもあり感染拡大のリスクも高まるでしょう。都民も県外に出れるようになりましたが、自主的に感染を抑えるためにどのくらい例年に比べて自粛ができるかこれも注目です。
なにも連休で一斉に休まなくてもいいはずです。
Go Toをやるにしても国の対策として人の移動を分散することが必要になっています。
日常的にも、なにも土日に一斉に休まなくてもいいはずです。役所や銀行などなどが非効率的になっています。
一斉に休んで人の移動が起きればそれを支えるために働く人も密となります。
土日と平日で休みも分散すべきですね。
それにより学校なども休みが分散されますから密も少なくなります。一つの家族がみな月曜日火曜日に休んでもいいはずです。
様々な面で人の分散を考えるべきです。そのうえで三密をさらに効果的にすべきです。

【2021年】ツイッターつぶやき
「女性が倒れた時にAEDの使用をためらわないで」。。。
とはいえ・・・・・
(以下ツイッターから)
今の社会、フェミニズムとか言われているが男女間の信頼関係は崩れている。また女性はアレルギーやたばこの拒否反応も多い。
また男としては性的な誤解を持たれると社会的に命とりです。
躊躇する材料が多すぎます。
そういえば、人工呼吸というものもなくなったようですね。これは感染症予防という面もありますが性的な面での拒否反応もあったと思います
男女間の信頼関係が崩れている社会においては男は憶病になります
AEDを服の下から入れても知識のない女性が見ていて胸を触っていたと言われたらそれで男はアウト
僕は喫煙者です。
今の社会は禁煙運動から嫌煙運動になっています。受動喫煙も三次喫煙まで言われるようになりました。
この中でAEDを使ったらその女性が受動喫煙症になったアレルギーが出たと訴えたら喫煙者はアウトです。診断書を書く医師がいますから。
男女間の信頼関係が崩れ、様々な差別的な過敏が正当化される社会です。
AEDそのものが医療行為にあたるもので特別に使用が許可承認されているのでしょう。これ自体がプレッシャーになります。喫煙者の僕でも講習を受けたことがありますが、タバコへの差別が僕を躊躇させるでしょう。
AEDを使用するとき、周りには男女がたくさんいるはず。でも、結局は男が率先して犠牲にならなくてはならない。どうでしょうか?
AEDの講習を受けた男女比がどのくらいかわかりませんが。。。
これは男から女性を蔑視しているわけではない。
ジェンダーだとか言われるが良い面でも男は動いている

【2022年】ツイッターつぶやき
「スクリューフレーションは2010年ごろに米国のヘッジファンドマネージャーが言い始めたものです。一般的な“良いインフレ”は物価上昇と所得増加の好循環から生み出されますが、スクリューフレーションは、世界的に食料・エネルギーの価格が高騰することで収入以上に生活必需品の価格が上昇するため、生活必需品の支出割合が高い中・低所得者層の生活をより圧迫するインフレのことを言うのです」 (デイリー新潮)
日銀のインフレ目標2%は2.5%と達成されたと言われていますが、それに対してエネルギーや食品などの輸入品の値上がりにより生活必需品の値上がりは10%以上でないかと思われる。経済の好循環は起きていないにもかかわらず生活必需品が値上がりしているのですからスクリューフレーションとなるのでしょう。
しかしこのスクリューフレーションとスタグフレーションの違いはどこにあるのでしょうか?
日銀のインフレ目標2%を上回ったとしてもそれは経済の好循環が起きているからではない。やはり輸入品の値上がりによる悪政の物価上昇でしょう。物価は上がるが経済は縮小する状態にあります。
スクリュウーフレーションは、生活必需品に焦点を合わせた悪性の物価高を現すのでしょう。
「このままだと中・低所得者層のみならず“一億総貧困化”が進むことになります。世界を見回しても、日本ほど長期停滞している国はほかにないので、海外で似た事例はありません」(同上)
円の力が弱くなる中での経済の後退。。。。。
本来ならばインフレの激しいアメリカのドルが価値低下を起こすはずですが(今後はどうかはわかりません)、そのドルに対して円がさらに弱くなるのですから国力は落ちます。為替の関係だけならまだよいのですが、円安を活かせないほどに経済は落ち込む。
中国の元も対ドルに対して弱くなっているようですが、中国はある程度経済の成長を保っている。
この日本と中国の差はどこから来るのでしょうか。
中国は国民所得を上げようとしています。貧困をある程度改善しようとしています。そのための経済政策を持っているのでしょう。しかし日本は益々貧困化を深める政策を行っています。
「日本ほど長期停滞している国はほかにないので、海外で似た事例はありません」うなずけます。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
風呂上がりに汗が引きませんでしたが、ベランダに出てみたら少し風がありました。
すーッと吹き抜ける風。部屋の中のエアコンの風のように気持ちがよい。
すーッと、汗が引きました。
彼岸の入りかな?
秋らしくなっていくのでしょう。
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「9月19日という日」

2024年09月19日 08時08分13秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
(2024年)ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
(記事なし)

【2004年】
東北旅行

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
日曜日の日にちが間違っていたので訂正しました。
昨日から夏に後戻りをしたような暑さでした。夜も熱帯夜。
台風も北海道のほうへ行ってしまいましたからまた平年並みの気温に戻るでしょう。でも、一昨日あたりの肌寒さは10月並でしたが。
熱帯魚はもうやめようかと思います。手もかかるし金もかかるし。。。
昔、金魚を飼っていた時がありましたが、また飼いたくなりました。金魚は長生きしますから楽しいです。熱帯魚も長生きする大型の魚もありますが、高いし素人には手におえません。
昔、「金太郎」という名をつけた金魚がいたのですが、すごく大きくなり、45センチ水槽では間にあわなくなってしまいました。今の水槽は60センチ。少しは大きくなっても飼えるのではと思います。もちろん、今飼っている熱帯魚は大切にします。

【2007年】
床屋に行ってきました。
娘は「お父さん、かっこいい!」とおせいじにも気がついてくれたのですが、我が妻はまったく反応がない。。。ううう(笑)
ごろんと寝っこがり、わハハハ・・・と、テレビを見ている。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
電車の中でお二人のお子さんを連れたご家族を見た

女の子は父親似で

男の子は母親に似るというが

こんなに似た親子というのは初めてでした

そんな帰りの電車の中では

まるで姉妹のような

そしてそっくりな母娘を見た

まぁ遺伝子を受け継いだ親子ですから

似ているのは当たり前ですが

ほのぼのとしたものを感じますなぁ

「残念な人々の思考方法」だったかな?

この本が売れているようです(朝日新聞読書ページ)

汗水たらして働くだけではだめなようです。。。。

しかし現実は汗水流して働くだけの人がいるから

世の中は成立しているわけですからなぁ。。。

市場に任せれば・・・・というような新自由主義が流行ったかと思えば

今は政府に地銀日銀の介入が歓迎されている

汗水たらして働くという労働がないがしろにされ

結局個人消費が低くなり経済は混乱をする

汗水たらして働くだけではだめではなくて

汗水たらして働く労働をないがしろにする

社会が変なのではと思う

残念な人が当たり前の世の中にならないと。。。

この本はこれが難しいということを書いたのか?

【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
近代日本や世界の歴史の見方はたくさんあるだろうが、一つのこの歴史認識の基礎として資本主義の歴史とある意味のグローバル化という中での植民地主義はともに並行して発展してきたことをまず抑える必要があるだろう。
資本主義の歴史は産業革命後の爆発的な商品生産とそれを支える原材料などの確保そして商品の市場拡大にある。その中において植民地支配は必然的に広がった。
この植民地支配はアメリカに見るように新たな大地での建国という形をとり、労働力不足は奴隷制度という形で補った。
資本主義の歴史は植民地の獲得でもあったという歴史の流れを見るならば、資本主義国には新たなに発展すした後進国がある。この中に明治維新を日本が植民地にならずに済むように成功させた日本もある。この後進国は国力をつけるとともに植民地の獲得競争に入ってくる。ほとんどの植民地が当時の先進国の物に分割が住んでいた時、後進国は植民地の再分割を求める。明治の日本は日清・日露の戦争に進む。
二つの世界大戦はこの植民地の再配分(当然当時の先進国同士も含めて)というものだという認識でよいのではないか。
資本主義はその思想的背景としては封建制の国民支配に対して国民の自由や平等そしてのちに民主主義をその誇りとした。この資本主義の思想を背景とした生産力の高まりは世界を発展させた。そこに植民地支配も旧封建的な思想では国民の支持は得られない。そこで出てくるのが野蛮(未開)国への文明化を掲げるようになる。しかしそれは結局は武力を持って主権を奪うという植民地という矛盾をつくりだす。
後進国は、この欧米の植民地政策を批判した形での日本で言えば欧米からのアジアの解放というスローガンが生まれるが結局は植民地の再配分という形での矛盾を生んだ。
世界史の中で、植民地という資本主義の一時代の歴史は、たしかに世界の国々を資本主義に接する役割を果たしたが民族独立・主権問題をはらみつつ資本主義を広めた。日本が欧米から朝鮮半島や中国を解放すると言った理想は日本による植民地化にあった。
世界中にこの資本主義の発展段階における植民地主義の傷跡が多く存在するのである。
ですからこの植民地主義を賛美することあるいは正当化することは間違いだろう。一つの歴史の役割は終わったのである。植民地主義の傷跡のカサブタをはがすような宗教や文化そして政策などなどは各国々が自国において一掃しなければならない問題である。それは今の朝鮮半島や中国などとの関係にも言えることです。事実戦後の日本はこれを政治的には行ってきたわけですが、まだ文化面や言動の中にカサブタをはがそうとするものがある。同時にそれは常に朝鮮半島や中国などの国々もカサブタをはがした日本批判となる。
植民地主義の歴史を終わらせたものが戦後の国連の役割だったろうし、日本の憲法9条の理想としての平和主義にあった。そして民族独立はソビエトなどによる支援という形も取った。しかしこの植民地解放運動もまた米ソの冷戦下における代理戦争ともなり、植民地支配が終わったにしろ民族独裁などの独裁体制が広がり、それは資本の支配する半独立の状態をつくった。ここでも結局は戦争という形での民族独立闘争があったわけで、これもまた植民地主義の最後の息の根を止める溜めの歴史の中での悲劇である。
今の時代はまた後進国の台頭に時代となった。
中国をはじめロシアや韓国やインドなどなどが資本主義の先進国に迫る勢いを示し始め、同時にこれまでの先進国の経済的な国力あるいは影響力が後退をし始めており、アメリカさえ他国との協調を行い軍事的な世界支配を失おうとしている。そこに中国のある意味昔ならば植民地の再配分といったようなものが現代の形をとって現れる。ここに日本もそうだが先進国の中国への脅威として現れる。
現実主義なアメリカは日本を利用しながら中国との対等な関係においてアメリカの影響力をアジアに示そうとする。
たしかに後進国の台頭は、一つの秩序(先進国の勝手な秩序であるが)を崩そうとするわけですからまた戦争の危険性が大きくなったともいえるでしょう。
しかし歴史は植民地主義に帰ることは許さないでしょう。
アメリカでさえ軍事力で世界を抑えられなくなっていますし、それは植民地主義に帰れないあかしでもあります。それに代わって中国が植民地主義をとれるかと言えばなおさら非現実的な見方となるでしょう。
しかし楽観視もしていられない。それぞれの国が植民地主義の傷跡に残るカサブタを互いにはがし合うような政治対立と国民意識の中に国家主義(ナショナリズム)が現れています。
もう植民地主義や戦争による解決は非難されるべきものとして、前近代的なものとして現在があります。
昨日も書きましたが、今また武力衝突が懸念されますがそこを強調し合うことではなくて平和主義をどう生かすかが課題なのです。
尖閣諸島問題でも日本の国有化がカサブタをはがし、中国の暴徒的なデモがカサブタをはがす。たがいに「死ね」といったような国民の感情の言動が互いにカサブタをはがす。
一方では、中国でも「理性愛国」といったスローガンが出はじめており、日本では一部の国民や政治家を除き冷静な対応が国民の中の多数となっている。
尖閣諸島問題は深刻さを増しますが、これを平和的に解決し、それはアジア全体の利益につなげねばならないという認識は平和主義からしか生まれません。

【2013年】ツイッターつぶやき
理論と実践というと堅苦しくなりますが、人は考えて実行して実行してからまたそれを考えるという繰り返しではないかと思うんです。また、考えて実行しようとしてもこの実効がなかなか事情でできないとかいうこともあります。こういうところで悩みながら個人も人の歴史自体も進んできたのではないでしょうか?
実行自体も一人あるいはごく少数の人数で行っていたらその実行もなかなか進みません。いくら正しくても。考えも同じでいくら正しくてもそれが広がらなければ人々の多数に理解されないでしょう。
理論と実践というのは難しいものなのです。
理論だけで社会は動かない。実践だけではどこに進んでいくかわからない。理論と実践とは切り離すことができない関係にあります。
あることを成し遂げることが必要だ。。。。という時、その成し遂げる中身がはっきりしないでは空想となります。そこには理論が必要で道筋を大雑把にでも見つけなければならない。そしてその理論は広く社会に受け入れられなければならない。その中で多数の人々の実践を産むでしょう。この多数の人々の運動とは何かの事情で動けにくいという人もその事情の範囲において動くことを容認されてその範囲で力になる。そのような力の総力として多数はある。理論は人の心を引き付けると物理的な力になるということです。この実践から理論そのものの正しさが検証されるでしょう。条件や情勢に柔軟な理論と実践ができてきます。しかしそこに「成し遂げること」の目標は見失ってはいけない。山の頂上は見つめながらルートは柔軟に。
社会を発展させてきた歴史というのは、法則的に間違ったものはいくら強力な実行であってもやがて消え失せる。誤った理論は実践の検証においてやはり消え失せる。右往左往しながらばらばらのような人の行動がある一定の方向で進んできたのが歴史でしょう。ほとんどの国が封建制のような国家太子から資本主義になった。やがてこの資本主義は発展していく。張ってとしての資本主義をつくるのがやはり理論と実践ですね。しかしそれは発展した資本主義に見合う民主的なものとなるでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
株価も上がり今日の終値は16321円だった。しかしこれをドルに換算すると今日は109円まで円が下落しているので149ドルとなる。ここでドルの価値を一定とすると1ドル80円の時としてみると株価は11920円となる。すると安倍政権が誕生したころの為替80円株価1100程度と変わりないということになる。実質的な経済の好転はなかったということになる。この時の株価の差4000円から5000円の差は何か?円の貨幣価値の低下である。ドルから見れば日本の株の価値は同じということになる。
「実際、建値通貨ベースでは、過去1年間の日経平均株価の上昇率は11%と、NYダウの9%をやや上回るが、ドル建てでは前年比横ばいと、全く上昇していない。つまり、過去1年間、日経平均株価が上昇したのは、円の価値が下落したからなのである。」
(ロイター「さらなる円安は日本経済にプラスか」より引用)
アベノミクスを掲げて安倍政権が誕生した時から経済は「期待感」でプラス方向に向かったが、この期待感を除いた実際の実体経済の株価は野田政権時と変わりないのではないか。
しかし貨幣価値から見て経済の置かれている現状に変わりがないとしても、国内的には悪性の物価高は現実にあり、実質賃金の低下も現実であるし個人消費の落ち込みも事実である。そして為替からの貿易赤字とはいえ貿易収支がマイナスとなったこと自体は事実である。
こうして見ると経済そのものは成長もせずにマイナス面ばかりが現実として浮き彫りになったのではないか?
そして「物価が上昇するのはモノの価値が上がるからではなく、通貨の価値が下がっているからだ。」(同ロイター記事より引用)
それに加えて消費増税での価格のへの転嫁が加わるわけだから、経済成長の中からの経済法則としてのインフレではなくて、経済成長もない中での悪性の物価高が進んだだけという見方が正しい。それがデフレからの脱却といわれている。

【2015年】ツイッターつぶやき
人は現実の中から多くを学ぶ。
しかしそれは理論的になったときに大きな力を持つだろう。
なぜ戦争の道を求めるのか。
なぜ貧困があるのか。
なぜ差別があるのか。
なぜ力の社会が求められるのか。    
              。。。。
これらは生きている中に感じ餅実態から知ることができる。
しかし交流の中でそれを感じ取っているのは自分だけではないと知るし、互いに感じ取るものは違うにしても同じく苦しんでいると共通性を感じる。
そして学習する中でいろいろな「なぜ?」を学ぶことができる。
知は力である。
人は知ることにより確信を得るだろう。確信を得れば、長いものには巻かれろや「どうせ・・・・無駄だよ」といったものは消えうせるだろう。
そして短気にならずに楽天的にその知を生かし続けることができるだろう。一喜一憂することなく心静かにしかし熱く心を維持できる。
知るものはなんだろうか?
知識だけではない。知識を総合してそれを一度抽象化する理論から法則性を学ぶことである。
法則性の中にこの社会がどの方向に動いているか?法則に適応しているか間違っているか?
間違いは必ず挫折を生み矛盾を引き起こす。矛盾は実際の社会では消滅せざるを得ない。
矛盾は新たな社会を生むでしょう。
しかしそれは人の力によってです。法則に適応する人の行動によって矛盾は解決されて新たなより発展した社会をつくるでしょう。資本主義はこれからも発展をします。しかしその資本主義はこれまでの矛盾を背負ったものよりはずっとましなものになっていくでしょう。

無数の読書会を開いて互いに学びあいましょう。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
まずツイッターから
「総選挙の争点に「残業代ゼロ」法案が浮上!~真の狙いは裁量労働制の拡大にあり」 。。。他の報道では消費再増税も?「仕事人内閣」と自負する内閣が国会討議しないでいきなり選挙で?議会制民主主義の怠慢。国民軽視。
とってつけたような争点で解散する内閣。。。。重みがないし解散権の私的乱用です。そもそも残業代ゼロや消費再増税を国会で議論もせずに国民が中身もよくわからないうちに争点とすることはひどい議会制民主主義の怠慢です。私的都合による解散権の乱用は国民をないがしろにしています。
特に残業代ゼロ法案については何も解散しなくても今までどおり数の力で強行採決ができるでしょうし、消費再増税も同じでしょう。ましてや国会の討議も経ずに総選挙で国民に問うという事は、判断材料を国会討議を経て得られない状況を作り出します。多額の税金も使います。
8月でしたっけ?内閣改造を行って仕事人内閣という実績の作れる内閣だという印象操作を行い支持率を上げ、一度も国会で答弁もしない大臣たちという仕事人ができてしまう。総理大臣と外務大臣だけが言いたいことを言って終わりとなる内閣。1か月と言えども政治の空白が続き更に総選挙で政治の空白が続く。この間は森友問題などの説明責任は果たせなくてよいことに。
ラジオを聞いていたらうまい表現だなぁと思いました。「民進党のオウンゴールで勝つ自民党」
国民を無視した利己的な勝てる間に総選挙というのはあまりにも政策や国民を無視した解散でしょう。
政治家の政治ではなくて政治屋の政治です。
(ツイッターから追記)
残業代ゼロや消費再増税は数の力によって強行されるでしょう。今までのように。しかし安倍総理や内閣に対する不信はさらに強まるでしょう。この時に総選挙の結果としてさらに与党の数が大きくなっていた場合、「数の力」プラス選挙によって「国民の信を得ている」という言い訳が出てしまう。

【2018年】ツイッターつぶやき
ロイターに「黒田日銀総裁 緩和の永続望まず、物価達成後に政策正常化」という記事がありました。
安倍総理も出口に言及しましたが、黒田さんも2%目標をあきらめている中で2%目標達成後に政策の正常化(出口)を言うことは出口に向かうことを示唆しているとみることができます。
しかしはっきりツ出口を言えばアベノミクスの唯一の成果である株価が暴落する危険性が出ます。
一方ではアベノミクスと日銀緩和の副作用が深刻になっている。出口に向かわざるを得ない受精と言えるでしょう。
長期金利がマイナス金利からゼロ金利に動いているようですが、出口ににおいだけは示している。
どうも安倍政権も日銀も身動きができなくなっているのではないか?しかし出口を言わざるを得ないので口先でのソフトランディングを狙っているのか?

【2019年】ツイッターつぶやき
「この日の会合では、実際にかかってきた電話が4例、紹介された。職員に説明の暇を与えないほどしゃべり続ける女性、巻き舌で「日本国民をなめてる」「お前らバカじゃないか」とまくし立てる男性などの声が再生された。
こうした電凸について、検証委は、SNSで断片的あるいは不正確な情報が流され、電凸マニュアルが拡散し、「抗議」が一種の「娯楽(祭り)」に転換することで起きた「ソフト・テロ」と位置づけた。」(引用)
すみません。少し長い引用になってしまいました。
この引用は「表現の不自由展」何が問題だったのかという検証委員会のニュースからです。
表現の自由については、昔から性描写について猥褻か表現の自由かで論争がありましたが、難しい問題です。
最近でもヘイトの言動を表現の自由だとする意見が出ました。
一方で今回の表現の不自由展での作品の問題が出ています。
性描写についてはテレビなどではだいぶ規制されましたね。自己規制でしょうか。この自己規制がどこから来たのか?またテレビなどの映像から喫煙シーンが消えました。これも自己規制でしょう。この自己規制は禁煙運動にあるたばこの抹殺からでしょう。
ここで上記した文の「ソフト・テロ」という言葉です。
ヘイトの言動は、表現の自由ではなくてそれ自体がソフト・テロでしょう。これはいまだにテレビなどの報道にも現れる「反日」という言葉もあります。
表現の不自由展への抗議電話はネット上での組織的なものとも思われます。
正義のための抗議という建前でのソフトテロ。。。。。
一つの圧力団体にもなる可能性があります。これは今の禁煙運動にも現れているのかもしれません。
力によって圧力をかけての「正義」。。。。
これはアメリカによるずっと続いている正義の戦争やテロ組織の聖戦がありますが、正義のため自由のためとした非正義と不自由さ。。。。。
今の日本に現れている構図と変わりありません。
ソフト・テロもこの延長線上にあります。
言葉による暴力は、子供の中にはいじめとして、大人の中ではあらゆるハラスメントなどに現れ、現実の物理的暴力は子供への虐待をはじめ最近のあおり運転の増加にも現れています。そしてオレオレ詐欺や千葉県の台風の被害の中での火事場泥棒のような詐欺など様々な犯罪に見る弱い立場の方への犯罪。テロは弱い人が犠牲になる。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
アメリカは超経済大国の遺産が残っている。
ヨーロッパは社会民主主義的なものが遺産として残っている。
日本・・・・・
日本は本格的に壊れかけているのかもしれない。
圧倒的な多数による自民党政治が自壊している。
数の力で安定した政治が実は内部で自壊をしている。

【2021年】ツイッターつぶやき
政府はワクチン接種化検査を行った証明があれば行動制限を解除または緩和することを検討しています。
しかしこの行動制限の解除や緩和は仕事を続けるためにも生活を楽しむうえでも様々な生活に必要なところであるようです。政府はワクチン接種を全国民の広げることを目的にもしているのでしょうが、結果ワクチン接種を強制させることにもつながりワクチンは任意であるというものを蔑ろにしてしまいます。また検査にしても多分自費となるでしょう。またワクチン検査証明をアプリなどでマイナンバーとくっつけるというものが見え隠れしています。
またワクチンの効果にしてもすでに2回の接種では感染拡大を防げないということから3回目の接種をはじめようとしています。すでにワクチン効果は感染しないさせないということでは効果が薄くなっていることがわかりはじめています。ただ重症化はしないという面だけが強調されはじめ、重症化しなければ医療の逼迫が起きないから良いとします。しかし中等症などは自宅療養として入院をさせないようにしているだけで自宅療養で亡くなったり苦しんだり家庭内感染が広がる野ですから本来は入院をさせる必要があるにもかかわらず今後も医療逼迫を抑えるために自宅療養が原則と考えているのでしょう。
このような状態で経済の好転を考えることはコロナ対策としては非常に危険なものになるでしょう。すでにイギリスやイスラエルでは再び感染の広がりが出ています。
ワクチン検査証明を得るために3回目4回目の接種というようにワクチン付けになるか高い費用を支出しながらその場しのぎの検査を続けるしかなくなりますね。

【2022年】ツイッターつぶやき
バイデン大統領が、パンデミックは「終わり」と発言して波紋が広がっているようです。
先進国を中心にウィズコロナといわれ、実は放置コロナ策が広がっています。日本でもあらゆる規制を解除して全数検査も行わいとしています。放置コロナ策は、ワクチン接種が前提となっています。
すでにワクチン接種期間を3カ月とする動きが出ています。
年に4回の接種で放置コロナは支えられるということです。ワクチン漬けで死ななければ感染はどうであろうと経済を回すということです。言い換えれば風邪と同じで少しぐらいの症状では仕事は休まないだろという論理で社会がまわっていくということです。
今後検査もおろそかになるでしょうから、変異株もそうは問題化されないでしょう。
強毒性のウイルスが出るかどうかはわかりませんが、出た場合はその対処に相当な遅れが出るでしょう。そのたびに違うワクチンが摂取されていく。
人間の体の方がワクチンでおかしくなりますね。
パンデミックは「終わった」というのは、コロナウィルスに勝ったということではなくて、放置コロナでパンデミックという位置づけは行いませんということでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
アメリカはトランプさんが大統領となりその後民主党のバイデンさんとなったが、この共和党と民主党の対立が今の先進国内の内部矛盾としてわかりやすいのかもしれない。トランプさん指示には白人至上主義のような人々がいる。しかしその内部矛盾は経済にあり、1%と99%とという形で貧富の格差が問題となりその不平不満からポピュリズムとしてトランプさん指示が強くなったのでしょう。
このような現象が先進国内の内政においておきているようです。そしてNATO加盟を決めた東欧諸国にも。
極右政党といわれる政党が国を動かすほどに力をつけている。
しかし極右政党だけではなく左派的な政党も危なくなっている。ドイツの外相が中国習さんを独裁者と呼び捨てしたらしいが、この外相は緑の党だそうで、環境などをうったえてきて大きな死闘になったはずですが、どうもナチス的なポピュリズムの考えが入っていたようです。電気自動車も原発ゼロも苦しくなったドイツの内政矛盾が現れ始めているのかもしれません。
その他の国も移民運動について反動的になっています。
いたりは極右政党の政権ですからすでに動きが出ているようです。
この中での、先進国とロシア中国そして一部途上国も入るとの闘争になっている。
コメント (2)
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「9月18日という日」

2024年09月18日 10時26分47秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
(記事なし)

【2004年】
東北旅行

【2005年】
十五夜
東京は、昼間も雲ひとつない晴天でした。夜6時過ぎ、きれいなまん丸の月が出ました。オレンジ色に輝き大きくてきれいでした。
妻が月見ダンゴを買ってきました。もう飾ったのでこれからつまみます。。。。ハハハ
東京の気温は29度ほどあり日差しもまだきつく暑かったですが風はもう秋です。
朝方寒くて起きてしまいました。もうタオルケットでは寂しいです。夏がけの布団を出しました。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
車で買い物に行ったとき、対向車のある意地悪をされた。すれ違いざまに僕の顔を見てニヤリという笑みを。
こういうことは時々あることで、ある狭い道で時々60前後の親父の車にすれ違うが、必ずセンターラインを少しまたぐようにすごいスピードですれ違っていく。やはりニヤリとした笑みを。
また、あるマンション方向からの道から出てくるまで、歩行者が歩いていても無理やり広い道路にと侵入してくる親父もいる。やはりニヤリとした笑みを。
人はその感情からいろいろな笑みを作るが、人に意地悪をしたり嘘をついてだまそうとしたようなときのニヤリとした笑みほど見苦しいものはない。
でも、不思議なもので、そういう時には僕はどうも怒りが出ない。
年をとってきて喜怒哀楽の感情が薄れたかなと思うときもあるが、どうもそればかりではないようである。今日も怒りが湧かないので少し考えたのだが、怒りが相手に対して湧くというのは、その相手がまともな人間だから湧くのではないだろうか?ニヤリとした醜い笑みの顔を見れば、その顔のときの人間はまともではないと思うのである。
こういうことは、車の運転中だけではなくていろいろな場面にある。その度にその人間はまともではないと思うのだろう。
もちろん僕もニタリとした笑みを浮かべるときがあるだろうから、人のことばかりをいうのではない。気をつけなければなりませんなぁ。。。人の顔の表情は怖いです。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
しばらく旅行に行ってきました。

【2011年】ツイッターつぶやき
風評被害という言葉が多く使われてきた。
しかしこの風評被害というものがどうも曖昧な言葉で、国が暫定基準値と決めてそれ以下ならば野菜などを出荷してもいいわけだが、出荷しても産地によっては売れないし、一度基準値以上の野菜などが市場に出ればなおさら売れなくなる。もちろん同じ県内でも同じ汚染度というわけではないがある県の野菜に基準値以上のものが出れば消費者としてはその県全体の野菜を敬遠する。かといって国などがより多くの食品についての数値を出せば少しは買い控えも少なくなると思うがそのような実態にはない。
このような中での食品に対する消費者の買い控えなどが風評被害という言葉で片付けられているということでしょう。
農家にしてみれば基準値以外の野菜だから出荷をしているから安全という。消費者からすれば食事は野菜だけではなくてあらゆる食材からの合計量が問題となる。そこで野菜という一つの商品を見てもなるべくなら汚染の少ないものを選ぼうとする。そうするとなるべく汚染の少ない産地のものに手が伸びる。どちらの側もその正当性があるわけです。互いに正当性があるから市場に現れる野菜を挟んで対立となる。
しかしこの対立を対立としてみていたら何の解決にもならない。いや、解決どころかこの対立が大きくなればなるほど国民間の問題としての矛盾とされてしまい、国の責任体制は強化されないし、放射能汚染の根本である原発事故と原発の今後もあやふやなものになってしまうのではないか。東電問題もあやふやなうちに国民間の対立の中に消えてしまうだろう。
昔から国の国民統制には必ずと言ってよいほど国民間の対立を持つ。昔も今も民間と公務員の同じ労働者が対立関係におかれたり、今では正社員と派遣(パートやバイト)との対立を作られたりしている。学校では保護者と先生の対立などなど。
今必要なのは反原発もそうだがより広い国民の集結(団結)が必要でしょう。これをもっと意識的に今の社会に現れるさまざまな国民間の対立を結束と団結に向かわせねばならいのである。
それにはいまの現状がなぜ起こっているのか、これを互いに再確認しなければならないだろう。そこにすべての視線を集めながら議論したり行動することが大切である。反(脱)原発と現状容認でこれを批判する対立もあるが、100%の違いなどはないのである。対立のための対立が感情面のものをひきだしていく。これがまた対立を大きなものとして見えてしまう矛盾を作る。
みんな仲良くというようなお友達関係を言うのではありません。意見の違いを対立関係におかないで議論をするということです。もちろん対立関係とならざるを得ない人と人との関係も出てきます。それは広い意味の国民間の対立ではなくて階層(階級)間の対立なのです。

【2012年】ツイッターつぶやき
アメリカのぱねった国防長官が中国に行く途中に日本に立ち寄った。
新聞などは、尖閣諸島問題での日米安保との関連での同盟関係を確認できたと。オスプレイの配備をこの時期に安全性を確認したと伝え、アメリカの戦略の中での対中国という日本の立場がなお鮮明に浮かび上がる。
国防長官は訪中が目的で尖閣諸島問題には安保に関しないところ(アメリカの国益としてのアメリカの安全)では関与はしないと。
当然中国は尖閣諸島では日米安保を承知で、アメリカの関与をさせないことを求める。
米中の協議はもっと世界的な範囲の中にある。
なんとなく日本国民はちんまりと米中協議の中で踊らされているのではないかと思う。対中国のアメリカの優位性のために。
こういう中に日本でもアメリカ批判が出て軍事面での大国化をという声も。
やはり日本が軍事大国にならないために、そしてアメリカの軍事戦略に使われないために、これまでの平和主義をさらに広げる中での国際化が必要ですね。

【2013年】ツイッターつぶやき
時間がないのでツイッターのまとめ。
シリア、最終的には政治的な移行が必要=オバマ米大統領 | Reuters http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE98H00K20130918 … 結局はアメリカは化学兵器がどうの(シリア国民の犠牲)というのは建前であり、本音は政権打倒なのだ。イラクやアフガンやリビアと同じく。中東・アラブ支配。
アメリカが言う戦争の正当性は対テロなどの「正義」の建前の戦争から自国の「国の利益」という本音の戦争に移行した。アメリカ国民はこの国の利益(国民の利益)を求めるのか?そう求めているから国の利益がなければ戦争は許さない。根底にはアメリカの貧困と経済の縮小にある。
アメリカは自由と民主主義を取り戻すべきである
アメリカの理念はなんだったのだろうか?冷戦時には対ソビエト中東を絶対主義と規定をして自らを自由と民主主義の国とした。しかし今のアメリカがこの理念を持ち続けているだろうか?冷戦に勝ったら何でもありでは困る。自由と民主主義を拡大できるわけでありそれが理念の発展だろう。
理念というものは大切なものなのです。たしかに理念は現実ではない。しかし理念を失った現実は社会を無政府的にしていく。日本の理念は9条をはじめとした憲法なのである。
ここ10年から20年の間に日本は古いものをぶち壊すとして社会は動いた。しかしここに新たな理念は存在せずに破壊だけが進んだ。その総仕上げが改憲である。国民生活の発展のための理念はそこには存在しない。だからアベノミクスなどの経済政策にも国民は陰に隠されるわけです。
古いものをぶち壊さねば日本の未来はないという主張は、政治や経済の論理に氾濫をしている。しかし確固たる将来像はなくてその設計図もない。そこで出てくるのが懐古主義という過去の事実に戻ることにつながる。そこにはカビの生えた設計図が残っているから新たなものを考えずに済む。
単純さは国民の感情に入りやすい。

自由と民主主義という理念を産んだのは資本主義の発展の中にあります。しかしそれが不完全であるとしたのが社会主義や共産主義です。資本主義が生み出した自由と民主主義は常に発展をしていこうとします。資本主義的自由と民主主義や社会主義的自由と民主主義が生まれたわけですが、自由と民主主義は政治体制を越えて発展をしようとします。社会主義は資本主義的自由と民主主義を批判する中に独自の自由と民主主義を作り上げることに途中で挫折しました。しかし資本主義もまたその自由と民主主義を拡大できずに後退すらするようになってきました。
自由と民主主義の発展をどう法則的に作り上げるか。今人の社会は求められているわけです。
資本主義の発展は自由と民主主義という理念の現実化の過程にあります。それは政治だけではなくて経済に現れますし国民生活に具体化されます。

【2014年】ツイッターつぶやき
円安とその円安での輸入品の価格で物価が上がっているが、例えば100円の商品が110円になったからと言ってその商品の価値が10円高まったかと言えるだろうか?
アメリカ人から見たら100円だろうが110円だろうがその商品は1ドルで買えるのである。そうするとその商品は価格だけが変化しているだけで価値そのものに変化はないとみることができる。それは国内においても同じで100円という価値の商品が110円という価格に変化しただけなのである。
価格だけの変化なのだから価値に変化はない。価値変化がなければその商品を同じ量だけ生産していても価値の増加はないわけだから経済の成長には結びつかないだろう。
一方で労働力の価値にも変化はないわけで、しかしその価格が上がらなければ(賃上げ)労働者の賃金でその110円に上昇した商品をどのくらい変えるかとなれば10%減るわけである。それは相対的な労働力の価値減少と同じことになる。ここから国内消費は減少するでしょう。
すると110円になった商品の市場での売れる量は減るわけだからその商品の製造自体も減らさねばならない。
商品量を減らさねばならないということは経済の後退につながるということである。
輸出で仮に同じ量を売ったとしても10%の利益が増したことになるかといえばそうはならない。同じ量を売っても商品の価値からすれば同じ価値量の利益にしかならない。やはりアメリカ人からは1ドルしか受けとれないのである。しかし貨幣量は円としては多く受け取るが逆にその商品を生産するのに必要なものを輸入するとすれば円とすれば高い価格で買わざるを得ない。結局商品価格が上がっても受け取る利益には変化はない。すると110円で売ってもそれを生産するための費用が高くなるので100円で売ったことと同じことになるかもしれない。するとその100円をドルに換算すれば0.9ドルとなる。実際は1ドルの利益があるはずなのに0.9ドルしか得られなくなる。結局は経済は成長などしないのである。この中から貿易収支にも影響してくるでしょう。
そもそも実体経済に変化がないのに通貨安が進むということはその国にとっては国力を下げるということになる。通貨安を人為的に進めている間はいいがそれが国力が落ちてきて経済の状態が悪くなるならその通貨安は実体経済を反映したものに落ち着くだろう。するとその円安は人為的なものから離れて経済法則にのっとた通貨安に質的に変化するだろう。

【2015年】ツイッターつぶやき
「中国は過剰投資から消費中心経済への数年にわたる移行過程に」(ロイター「中国に自ら縛られるFRBの愚」より引用)
中国のバブル崩壊がこれまでも心配され、先日の株の暴落はバブルの崩壊であるとも報じられた。しかし同時に中国の株式市場や経済における株式市場の依存度は先進国より低く成長率は下がるにしても先進国に比べれば相当高い成長率を維持するのではないかとも伝えられている。
金融バブルからのソフトランディングには二通りの考え方がある。
一つはさらに通貨安競争を強める量的緩和を持続させるべきというものと、過剰投資から消費中心経済へとシフトさせるべきというものがある。
アメリカも金利を上げるといわれながらも結局は出口に向かえない状況にあることが判明されつつある。日本は輪をかけて皿なkる緩和を行わなければならない状況にもある。そしてアベノミクスに見るように政治的政策の誤りが金融政策の誤りに相乗的に重なった場合国民生活をさらに引き下げていく。そこで出口に必要な経済の安定(インフレ)が損なわれる。
すると金融バブルからのソフトランディングには過剰投資から消費中心経済へ移行せざるを得ないという事になる。
構造改革も言われるが、出口も見えない金融政策と一緒の構造改革は国民の生活の質を下げる者としてしか機能しないでしょう。格差はますます広がる。
国内消費拡大は今でも安倍政権によって官製の賃上げとして行われているほどに経済のかなめである。しかしアベノミクスにおいての官製の賃上げの効果はない。
日本は他国に例の内容な賃下げを行ってきたのだからそれを取り戻すような賃上げは大幅なものでなければならないだろう。
インフレ目標より物価を下げていくことに向かわなければならない。物価が下がることはすぐにはデフレ不況とはならない。その中での相対的な賃上げを行う必要があるでしょう。そして企業は利益を税という形でも賃金などという形において社会に還元をしなければならない。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「敬老の日のプレゼントは?」
敬老の日にプレゼントを贈る年齢でもないし、もらうにしては早い年齢。
混んでいる電車で若い人から座席を譲られるとショックを受けますから、まだもらわない方がいいと思っています。
でも、親が生きている間は何歳になっても子供で、親があの世へ旅立ったらやっと子供でなくなる。そのころはいい年になっているわけで、やっと大人になったばかりですから敬老の対象にもなりたくない。
国からはいっぱいプレゼントをもらっていますし、更にこれからも敬老のプレゼントをたくさんもらえることでしょう。年金支給年齢は引き上げられて、これからもお元気で働きなさいと励ましてももらえる。なんだか老人は早く死ねと言われているような気がする。この国の姿勢を見習った若い人からツイッターなどで「早く死ね」ともいわれたことがあります。
敬老の日は敬ってもらうとかプレゼントをもらうとか、家族は別にしても、そういう希望は捨てたほうが良いのかもしれません。敬老の日は年寄り同士で励まし合って「早く死ね」に打ち勝って長生きする方法を語り合う日にした方が良いのかもしれません。
なんだかへそが曲がった言葉になってしまいましたが、なんだか国や社会がねじ曲がっているのかもしれません。素直に長生きできることを語り合いながらどうにか若い人が安心して生きられる社会づくりに貢献しなければなりませんなぁ。。。。

ツイッターから
「安倍首相、早ければ今月28日に衆院解散の可能性」 。。。これ程北朝鮮の危機を国民に行っておきながら解散はない。これまで十分な説明を明言していた事案についてもこのままでは国民は納得しないでしょう。勝てる時に選挙という打算です。
しかし勝てる選挙と見て解散するとしても、支持率の一定の回復は北朝鮮のミサイルもあるでしょうが、民主党の混乱という棚ぼたからでもある。一方日本ファーストの動きもある。こう見ると案外苦し紛れの選挙になるかもしれない。十分な説明のない選挙での森友加計問題からの不信は致命的でしょう。
もちろん経済問題では良い材料がない。そのうえ消費再増税や年金支給年齢の引き上げや意味のない人生100年という聞こえの良い言葉だけの政策。政治は北朝鮮との危機を煽り、憲法改正に向けた動きに集約化。安倍政権を支持する人々の主張の先鋭化。案外選挙に向けての争点ははっきりしているのかも。
「東京新聞:「国民をバカにしてると思われる」 山本元沖縄担当相、冒頭解散に懸念」 。。。たしかにそうですね。しかも『仕事人内閣』と言っていましたが何か仕事は?結局内閣改造も小手先で、都合次第で選挙というほどさ。
苦し紛れの内閣改造で仕事人内閣をつくって政策を進めるはずでしたし、森友・加計問題などを十分国民に説明するはずでした。しかし政権は改憲一本で進もうとして解散する。とすると、解散と改憲論議は国民を置き去りにしたものと言わざるを得ません。もう道半ばでごまかせない経済をどうするんでしょ?

【2018年】ツイッターつぶやき
最近は検索をしていても個人で作ったホームページというものが少なくなりましたね。
ホームページからブログへ、ブログからツイッターなどに。
それぞれに特徴があって良さがあると思うのですが、手軽さという点ではホームページは面倒な部分も。しかし表現としてはホームページには面白みが。
以前、ブログもホームページのように使えないものかを考えたことがありますが、やはりブログはブログで機能面での限界が出てしまいますね。
ブログにもトップページがあればだいぶホームページに近いものができるのではないかな?自己紹介やカテゴリなどが表示されて広告もおしゃれに。もちろんトップページには最新の記事や写真等の窓をつけたり。トップページ用のテンプレートがあれば便利ですね。好きな写真などを張り付けたり。
そういえば、ブログや増してツイッターとなれば言葉は悪いですがかき捨てのようになってしまいます。
優れたホームページになると、書いたものが蓄積されて積みあがっていきますね。もちろんそこにはテーマがはっきりしていなければいけないのですが。
この先どう変化し進化していくのでしょうか?やはりスマホに適したものになっていくのでしょうね。

【2019年】ツイッターつぶやき
IAEA総会において福島事故原発の汚染水について日韓での応酬が出ているようです。(朝日新聞4面)
韓国は汚染水を海洋投棄すれば、もはや日本の国内問題ではなく深刻な国際問題であるとしてIAEAの積極的関与を求めているそうです。
一方日本は
「韓国代表の発言は海洋放水を前提としている」(引用)と反発をしている。
放射性物質は除染をされているといわれているが、トリチウムはどうにもならないそうです。
その中で9月11にちのBBC日本語版によれば
「日本の原田義昭環境相兼原子力防災担当相は10日、東京電力福島第一原発から出た汚染水を、海に放流する必要があるかもしれないと述べた。汚染水のタンクが2022年に一杯になることを理由に挙げた。」(引用)
として「海に放出するしかない」状態だそうです。
日本は正式に海洋投棄を決めているわけであはないというのは正しいでしょうが、現実は韓国代表が懸念する海洋投棄は大きな選択肢であることには変わらない。
IAEAは海洋投棄を認めていくのかもしれないが、周辺国では日本産の食品を輸入規制している状態で海洋投棄による汚染拡大を糾弾するでしょう。
汚染水は完全にアンダーコントロールをされているというのが総理大臣の言葉でありオリンピックが開催される。
いかに福島原発事故がひどい状態を未来の日本に残すことになるのか。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
菅内閣が国民のための政治を打ち出した。
支持率は66%を超えている。
しかし国民のための政治の「国民」とは何でしょうか?
国民とは1億人以上の日本に国籍のある人すべてである。
この国民総体がこの社会を作っているわけですが、それぞれに政治では支持政党が違い無党派と言えども政治に流されて生活をしている。
ですから自民党菅内閣の描く「国民」と野党が描く「国民」と毎日日常生活を送っている一般国民と、企業などを中心として生きている「国民」等などが描く「国民」には違いがあるわけです。
極端に言えば、安倍内閣が描く国民とはお友達や企業人そして富裕層を対象にしているわけです。
ですから菅内閣が自民党であり安倍路線を引き継ぐという政治もやはりその思い描く「国民」は同じ草を言うわけでその一部の「国民」のための政治を行うということなんです。
一般国民は単純ですから、自分たちが描く国民のための政治は自分たちの生活を安定させてくれると勝手に思い描いてしまいます。それが66%を超える指示となる。でも、安倍内閣でどの国民を大切にされて、どの国民がないがしろにされたかを8年間で見せつけられてきたわけです。
また、期待を持たされながら生活の不安定さが増加していきます。

【2021年】ツイッターつぶやき
健康のため吸いすぎに注意しましょうと言ったたばこの害を宣伝した禁煙運動は、受動喫煙防止という形で嫌煙運動に変化した。これを受け社会全体に分煙が行われ受動喫煙の軽減が行われた。多くの建物内には喫煙所が整備され屋外には喫煙所も整備されていった。しかし嫌煙運動は受動喫煙はゼロではないとして喫煙自体を排除するようになってきた。もともとの嫌煙運動は喫煙自体を排除するものではなかったが、現在はたばこの存在自体を否定しはじめている。ここまでくると合法的な喫煙というものを力づくで否定をする過激な運動に変化をしてそれは嫌煙運動自体を堕落させてしまった。
2014年国際的な禁煙デーではたばこ増税により低所得層の禁煙を促すことになった。世界的に格差拡大そして貧困問題がある中で、国際的な嫌煙運動も非人道的なものに堕落をした。

【2022年】ツイッターつぶやき
毎日新聞の世論調査によると、内閣支持率が29%に下がったようです。前回36%。
不支持は54%から64%に。
30%を切るというのは政権の末期症状ですね。
円安による悪政の物価高に対しても日銀黒田さんとの会談でも内閣としての考え方は〆だれずに日銀の金融政策に頼るだけ。
旧統一教会の問題についても何の指導力もない。
国葬は民主主義に反したごり押し。
10月にはほぼ全商品ともいえるような値上げがあります。
社会保障関係の負担増がはじまります。
さらに支持率は低下するでしょう。
あとは岸田さんの後を引き受ける手がいつ上がるかですね。

【2023年】ツイッターつぶやき
ウクライナのゼレンスキーさんがウクライナが負ければ世界大戦となると世界を相手に恫喝を行った。
ウクライナ軍は多くの兵士の血が流れている。
色々な国でウクライナから出てきた人が問題を起こしているようですが、先進国の代理戦争を行っているという意識はウクライナ人の中にもあるでしょう。先進国のための英雄的戦争という位置づけがあるのかもしれない。
ウクライナが負ければロシアが周辺国に攻めてくるといった論法は何の根拠もない。
ウクライナがクリミアに迫っているというニュースがたくさんあるが、武器も兵士も足りない状況でしょう。その中で先に書いたような恫喝が必要なのかもしれない。
コメント
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「9月17日という日」

2024年09月17日 08時03分19秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
(記事なし)

【2004年】
(記事なし)

【2005年】
朝晩は涼しくなりました。風邪に注意したいと思います。ヘソを出して寝ていると大変です。東の空に大きな月が出ていました。明日は中秋ですなぁ。。。
テレビ番組「笑っていいとも」の中で、おもしろ携帯メールを紹介するコーナーがありましたが、今日のテレビでも携帯メールでしょうが、ちらっと「誤変換大賞」というようなものをやっていました。「地区陸上大会」を「チクリ苦情大会」とか。。。。
思わず笑ってしまいましたが、しかし笑い事ではない。。。。
僕のHPや掲示板での書き込みもそうとうなもんで誤変換はもちろん、誤字や打ち込み間違いの意味不明なものが相当数ある。数においては「誤変換大賞」がとれそうです。どうもキーボードをたたくときは一括変換をしないと文章が続かなくなります。そのへんでも誤字等が多いのかもしれませんがどうもそそっかしいですし、漢字を知らな過ぎる。。。
たぶん見当違いなことも書いたりしていることでしょう。
恥をネットで撒き散らしているようなもんです。
でもまぁ、こういう状態が今の僕なので仕方ないです。

【2006年】
おもしろいサイトを見つけた。
      「WEB 本の雑誌」
本の情報も多いし、本屋さんの店員の方や一般のいろいろな方の感想も読める。まだ新しいサイト?
本を検索していると、本屋さんのサイトが必ずあり、そこでも本の感想を読める。こういう有名なサイトすぐに検索から出てくるが、今回のサイトは初めてだった。時々のぞいてみようと思います。
そういえば、ブログというのはすごいものですね。。。検索をしていてもホームページよりもブログのサイトのほうが多いように感じてしまいます。

【2007年】
気温34度。。。
真夏の暑さでした。
敬老の日。。。。
昔懐かしい歌手がゲストで来るというので親父は敬老の日の集まりに言ったらしい。ところが、お袋から電話があり、役所の職員から変な電話があったと僕のところへ電話が来た。どこが変なのかと聞いたら、耳が遠くて何を言っているのかわからないから変な電話だということらしい(笑)
僕も変な電話というので振り込め詐欺のようなものかと心配しました。
とりあえず親父が帰るまでは何も出来ないので待つことにしたのですが、夕方親父から電話がありました。
敬老の日に集まりに行ったらお土産の袋をもらったそうで、その中においしいお茶のようなボトルがあり、それを口にしてしまったそうです。役所の職員は青い顔をして自宅に電話をしたらしい。
一時は大騒ぎなったようですが、親父本人は、口をゆすいだら泡がでてきたよぅ。。。と、いたってのんきである。
まぁ、笑い話で終わってよかった。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
朝日新聞朝刊の14,15面に鉢呂前大臣の「死の町」「放射能をつけちゃうぞ」発言をどう見るかを掘り下げた記事が3氏によって書かれている。大臣が辞任をする程の発言であったとされる報道があったわけですが、大臣が辞めたで終わるのではなくて政治家の言葉の重みそして福島県民の方の思いを総括しながらの記事は評価されるべきでしょう。
死の町とは、あの大きな地震でも多くの建物は崩壊しなかったのに原発事故による放射能のために人が住むには適さない環境におかれた町のことである。人がその町に一人もいない。建物は事故前の状態を残したっているし人工の町はそこに存在をする。死の町と言って何ら失言ではない。その町に早く帰りたいという福島の方の心にある悲しみと死の町と化した街が相対をしている。福島の方の悲しみがあるからこそ死の町は象徴的なのである。
単なる言葉の失言かどうかだけを評論するのではなく、死の町の存在と言葉、そこに心が残る県民の方の悲しみこれを対立的にとらえていけば単に言葉には気をつけようというものになっていまう。死の町を作りだし県民の方の悲しみを作りだしたものが何かをはっきりとさせるべきでしょう。朝日新聞の記事にはこの視点がないような気がします。死の町の実態と県民の悲しみは、原発への反省をそして怒りを見つめることに集約をしなければ次が見えてこないでしょう。
次が見えてこない中に言葉の一人歩きがある。多くの場合は言葉は現在を破壊するだけのものになってしまう。小泉政権での「ぶっ壊す」「個人責任」はその典型でしょう。また民主党の官僚の排除の言葉も同じものだったでしょう。この意味において言葉の危うさがあり失言ではないように見えても実は社会に大きな影響を及ぼす言葉がある。この言葉のもつ本質的なものを「考えずに」インパクト性だけをとらえて騒ぐことは愚の骨頂で、ナショナリズムにもつながる。言葉の本質を見ないと感情面から見た言葉の失言性には敏感になるが、本質的な社会への影響のある大きな失言に気が付かないことになる。
朝日新聞の総括的な記事はいろいろと考えさせてくれるものがあると思います。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
ここに洋服と鍋があり物々交換をしようとする者同士がそれを交換しようとしている。この時洋服と鍋という両商品は「使用価値」が違うもの同士である。そして洋服1着と鍋1個の交換はできないでしょう。使用価値が全く違うもの同士がなぜ物々交換において交換しうるのか。そこには交換するための「価値」が存在をして洋服の価値と鍋の価値の交換となるから物々交換は成立しうるのである。たとえば洋服1着と鍋5個が価値として一致するなら交換がされるのである。
資本主義は複雑な分業の中において物々交換をしている暇はない。そこには通貨が介在する。洋服1着が1万円なら2千円の鍋なら5個と。複雑な市場の中においても基本は価値と価値との交換なのです。
そこでこの価値はどのようにして決められるか?
洋服をつくる人は1日に1着つくれるとする。鍋をつくる人は1日に5個作れるとする。もちろんその1日とはある一定の同じ労働時間とする。それを8時間とすれば、洋服1着=8時間の労働量=鍋5個という式が成り立つ。もちろんあらゆる商品の有用性は人の労働で製造されるわけですから商品の中に含まれる一致する価値の属性は労働しかないわけです。
もちろんその一定時間の労働には密度などがあります。怠け者の裁縫職人が2日(20時間)かけて1着洋服をつくるからと言ってその洋服の価値が2倍になるということはありません。裁縫職人は市場の中にたくさんいるわけですからその労働密度はその平均値となるでしょう。怠け者の裁縫職人は2日かけて洋服1着をつくっても鍋5個とでしか交換できないわけです。
ですから価値はあらゆる労働生産物の商品の交換価値となります。
一方では商品には交換価値と同時に有用性があるわけで、洋服なら着ることにより体を温めるとかおしゃれになるとかという有用性があり、鍋には煮炊きするための有用性がある。それが使用価値となります。使用価値には人の欲望を満足させる作用があるわけですからその交換は価値から離れることがある。価値は価値同士で交換されるのですが、使用価値での交換は価値から乖離して貨幣経済においては価格を形成します。そこに需給関係においての価格の変動が現れます。商品の価格は需要と供給によって決まるというのもそうでしょう。
需要が多い(有用性が高い)ならば価格は上がり、同時にそこには供給が少ないという条件が加わります。供給が多いならば価格は下がり、そこに需要が少ないという条件も加わります。この調整を行うのが市場でしょう。市場のこの調整により商品の価格は一定の価格となりその価格は価値に引きつけられて価格=価値となるでしょう。もちろん複雑な商品市場ですから価格=価値に落ち着くことがないほどに商品はあふれ出ます。しかし価格は価値に引きつけられるという法則性そのものは常に働いているといえるわけです。
ある有用性の高い商品が価値を異常に上回るような価格で市場にあったとしても競争相手が同じような有用性のものを市場に供給するでしょう。その中で価格は下がっていく。そして価値に一致するようになる。ここにおいて市場においても労働により生産されたあらゆる商品は価値法則の中にあるということがわかります。
資本主義的競争は、有用性の高い商品が価値を異常に上回るような価格で市場に送ることにあります。しかしその価格も価値に一致するように価格は下がっていきます。あらゆる商品にこのような現象が起きるとき、その市場には活気がなくなり経済の停滞と見える現象が起きます。ものの値段が(物価が)下がり続ける!と。これがある意味デフレの始まりのように映る。
同時に有用性の高い商品が価値を異常に上回るような価格で市場に送ることのもう一つの一面が生産性の向上によりより少ない労働力量でより多くの商品を市場に送るというもう一つの資本主義的競争の側面が現れます。より少ない労働力量でより多くの商品を生産するわけですから上の労働価値説に従えば一つの商品の価値は低下していきます。これが本源的な商品の価値低下なのです。ここでの低下した価値に有用性の高い商品が価値を異常に上回るような価格で市場に送ることによる価格=価値の法則が加わりますから価格の下がり方はそうとう激しいものとなるでしょう。更にものの値段が(物価が)下がり続ける!という実感が強くなる。
この時に特に日本が何を行ったかと言えば、労働賃金コストの節約です。初めは雇用者を減らして(失業の増加)行くという方向でしたが、さらにこの失業者の増加を利用して全体的な賃金の引き下げを行って企業利益や競争力を守ろうとしました。これが何を意味するかと言えば、労働力の価値も商品の価値と同じように決まっているのですが、この価値法則を無視したほどに価値以下に労働力商品の価格を引き下げたのです。ここに需要のバランスは当然狂っていき相対的な意味でも商品過剰が起きます。その相対的な商品過剰は供給を減らします。経済法則を無視した労働力商品の価値低下があらゆる経済法則を狂わせます。
ここにおいて初めてものの値段が(物価が)下がり続ける!というデフレが現れる。
デフレとはものの値段が(物価が)下がり続けるということだけではなくて経済法則そのものが破壊された景気の低迷なのです。価値法則の破壊なのです。

【2014年】ツイッターつぶやき
インフレとは、まず経済成長という発展があるときにそれに付随して起きてしまう一つの経済矛盾です。たしかに経済成長の中でこのインフレが起きてしまうのですが、しかしインフレが起きれば経済成長が起きるかといえば間違いでしょう。この間違いであることから今の悪性の物価高は疑似インフレといってもよいと思う。
アベノミクスや日銀の異次元緩和はインフレをまず起こしてそれが経済成長につながるといった逆立ちをした経済論理で出来上がっている。それはデフレからの脱却だという論理も付随する。
ここにきてインフレは起きるが経済成長はそうも起きていないという分析が多くなってきた。特にこの経済成長のためには消費増税が必要だという論理も加わっている中で経済成長は逆にマイナスに転嫁し始めている。
疑似インフレは経済成長を起こさないのではないか。
政策的な円安は輸入大国でもある日本ですから輸入品の値上がりという形を取らざるを得ない。輸入品の値上がりは国民生活を低下させる。疑似インフレで多少の名目賃上げがあっても実質気には賃下げとなる。企業の設備投資代も疑似インフレの中で値上がりをしていく。輸出する商品も疑似インフレの中で値上がりをする。
アメリカ人にとっては日本の国内の政策的な円安での物価がどうであろうと円高当時の80円という商品が疑似インフレで110円になっても1ドルで買えるわけです。
ここでは日本の輸出産業にとっての競争力に何の変化もない。
輸出が伸びない中で貿易収支が赤字になっているが、輸入品は高くなるが輸出が伸びないというのも、海外生産の増加というだけではなくて、この国内の疑似インフレでのマイナス面が大きくなる中で輸出品も値上げせざるを得ない中での競争力の低下にあるのではないか?これまでも円安の容認できる水準を102円とか105円とか言われていたが、まさにこのボーダーラインは輸出産業の競争力の低下に移る商品価格の国内での値上がりにもあるわけです。
全国の日用品価格を集計した日経・東大日次物価指数が下落基調にあると指摘し、1992年1月のバブル経済崩壊時と似ていると警戒。「2012年に底を打った日本経済は、今年1月にピークを付けた公算が大きい」との見方を示した。(ロイター「株価上昇には金融緩和、500兆円目指せ」より引用)
日本は経済成長もない中での疑似インフレがバブルとして破裂しつつあるのかもしれない。
円安によって国内生産コストが高まり競争力が落ちた時、最近では更なる生産性の向上の必要性が言われはじめている。さきほど「アメリカ人にとっては日本の国内の政策的な円安での物価がどうであろうと円高当時の80円という商品が疑似インフレで110円になっても1ドルで買えるわけです。
」と書いたが110円になった商品価格を生産性の向上により80円にして110円で売ろうということです。しかしこれが何を意味するかといえば、商品価値を下げようということです。価値低下を起こした商品は商品市場において価格の下落傾向となるでしょう。すると国内市場においても80円で売られるようになる。アベノミクス・日銀からすればデフレの再来ではないか。。。。。それもまたその生産性の向上を誤った解釈で賃金コストの節約(賃下げ)を行うならばそのデフレ傾向はさらに加速するでしょう。これまでの疑似インフレはバブルとして破裂するだろう。

【2015年】ツイッターつぶやき
以下、ツイッターからの転載です。
今からでも間に合うんだけど、公明党は今後どうするんだろ?浮草のように漂うのか。。。。与党(自公)という海で。
公明党の綱領を読んでいます。
この綱領と戦後レジームを掲げる安倍政権のこれまでの政策と一致するものなのでしょうか?公明党の中心的哲学である「人間主義=中道」と一致をするのでしょうか?
<生命・生活・生存>を何よりも第一と考えて政策をたて実行するのが人間主義=中道でしょう。これが綱領の柱でしょう。
安倍政権の戦後レジームからの脱却は、アベノミクスという経済政策と積極的平和主義という平和主義にかわる平和を維持することの政策の中身にあります。
アベノミクス問経済政策が国民の<生命・生活・生存>の条件を向上させたものだったのでしょうか?安倍政権発足から国民に期待を持たせたことは確かですが、そのつくられた期待を国民が求めるような実際の経済の動きとなり<生命・生活・生存>を向上させたのでしょうか?
たしかに株価は上がり企業や富裕層の利益を拡大したことは確かです。しかしその株価や利益は貨幣価値の低下からの額面上の変化でしかなく実体経済を改善したものではありません。これらの反作用としての悪性の物価高が国民の<生命・生活・生存>を後退をさせたのではないでしょうか。
「政治の使命は、生きとし生ける人間が、人間らしく生きる権利、つまり人権の保障と拡大のためにこそあります」(綱領からの引用)人権の保障には経済的に安定したものが保障をされなければなりません。その上に立って平等に全国民は文化的な生活を営むことができます。
人権の保障と拡大がこの間の安倍政権の中でどのくらい達成されたのでしょうか?経済面から見ても悪性の物価高が国民の<生命・生活・生存>を後退をさせ人権保障の後退は人間の尊厳の後退にまで貧困層を増加させている。子供の貧困はどうでしょうか。社会保障の貧困化は進んでいます。
派遣法の改悪は今以上に不安定雇用と賃下げを促すでしょう。ブラック企業といわれる企業が普通となり若い方の離職が進み、輝く女性という言葉の裏として女性の継続した雇用は望めずにそれは今後も女性労働者の生涯賃金を上げることはないでしょう。高齢者には賃金は半分で同じ労働が。
人間主義=中道としての公明党の役割が今の安倍政権の中で果たしてきたか、今後も果たせる条件があるのかが問われるのではないでしょうか。ここを見分ける岐路に今公明党はあるのではないでしょうか。国民の<生命・生活・生存>の維持と向上そして保障のために。
「経済力や国際的地位にふさわしい「世界の中の日本」の役割を果たすことが求められています。」(綱領より引用)この国際貢献での平和に対するものが安倍内閣での積極的平和主義なのでしょうか?
積極的平和主義とは、今数の力で成立しようとしている安保法案であり、それはアメリカが行っている戦争を支援氏より積極的に参加をすることです。テロが多くの市民を犠牲にする。しかしアメリカの戦争も多くの市民を犠牲にする。この戦争を認めることが人間主義=中道なのでしょうか。
多くの他国市民も日本の市民も犠牲となりかねない戦争の支援が国民の<生命・生活・生存>の維持と向上そして保障とつながるのでしょうか?集団的自衛権が国民の<生命・生活・生存>の維持と向上そして保障につながるのでしょうか?
安倍内閣のアベノミクスという経済性格や積極的平和主義に、自民党の暴走を食い止める役割が公明党にありそれが与党にいる存在価値と言われますが、そのために人間主義=中道すなわち国民の<生命・生活・生存>の維持と向上そして保障が忘れ去られてはその党の存在価値は薄れてしまう
自公支持者の中も混沌としてくるでしょうね。。。経済問題と安保法案がセットとして国民は突きつけられています。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
法事でした。
お経を聞いていても昔本で読んだお経の本能すら覚えののうすら覚えの教えしかわかりません。亡くなった人の供養や家族親族の安全と繁栄の祈願のところは少しはわかりました。
自分だけなのかもわかりませんが、なんとなく一般人は宗教から離れた宗教行事に身を置くことでの安心感を得ることに意義を見ているのかもしれません。
死ねば仏教、結婚式はキリスト教、初詣は神社。。。
日本人が持つ宗教観には、仏教でもキリスト教でも神道でもこれを含めた八百万の神々を受け入れるものがあるのかもしれません。どのような宗教でもその場にいたら信仰心ではないにしても厳かな気持ちを持つことができる。
同時にどの宗教でも現世利益を求めて祈ることができる。
もちろんその願いには様々な心の段階があるのでしょうが。
極端なまでの宗教の大衆化が日本にはあるのかもしれません。
日本人は多神教だとされます。いろいろな宗教を受け入れるという意味だけではなくて、自然神というのでしょうか、生活や自然の隅々にまでそこには神が存在する。便所に入っても便所の神がいる。
古事記や日本書紀と言えどもこの自然信仰による八百万の神々の誕生がある。
八百万の神々に祈ること、それは五穀豊穣を中心に商売繁盛にまでその祈りはつながる。病気平癒、交通安全、縁結び。。。。
八百万の神々を信仰すること、ここには現世利益が必ず結びつくのかもしれません。
そういえば、日本の宗教は多くの「人」をも神にしますね。仏教でも死ねば仏になるというのもあったと思います。心が人の怨念を和らげるためにも神に祭り建てる。生きる人々にとっての究極の現世利益です。
八百万の神々が存在する裏には八百万の呪いや怨念や妖怪も存在する。
この日本人が持つ八百万の神々への信仰は漠然としていますが、それが良いのか悪いのかと言えば簡単に答えられないものと思います。
しかし日本人の心の奥深くに存在する思考方法にも大きな影響を持たせているのでしょう。
平和主義も、国家主義も。。。。混然としてあらわれる。「和」と非道さが混然と現れる。。。。
それを自然に受け入れてしまう。
あまり考えないほうが良いともなる。。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
技能実習という名目で外国人の労働者が日本で働いてきた。
朝日新聞に残業代は300円 向上工場を逃げ出した外国人実習生という記事がある。
その労働実態は過酷です。
「月曜から日曜までほとんど休みなく、朝8時半から深夜まで、ミシンやアイロンをかけさせられていた。長時間残業しても、残業代は満足に出ない」
「基本給は月6万円。残業代は時給で1年目300円、2年目400円、3年目500円だった。」
(以上リンクサイトより引用)
もちろん外国人労働者も実習生という名目は知っていて日本で稼ぐことを目的ともしているでしょう。もちろん多くの外国人労働者の中には日本の技術も学んでいる方たちも多いとは思いますが。
しかし本国に仕送りをするにも日本で生活をしながらの仕送りですから相当厳しい生活となるでしょう。
これから外国人労働者の受け入れが多くなるようですが、その労働実態や社会保障はどうなるのでしょうか?
このような外国人労働者を見て日本の労働者がどのような認識に立つのか?
労働者は自分よりも条件の悪い労働者を見て、まだ自分の方がいいとか、ヘイト的な視線を向ける人もいるでしょう。
しかし長時間労働低賃金の外国人労働者が増えることにより日本の労働者の労働時間も賃金額もその条件は向上しなくなるでしょう。長時間労働、低賃金労働の競争が始まります。
今労働力人口が減少してきて賃金が上がる情勢となっています。この賃上げ傾向はアベノミクスの成果の分配ではなくて労働力の減少による需給関係です。この賃上げ傾向を抑えるために外国人労働者の受け入れのひとつの意義があるわけです。
日本の労働者は外国人労働者の労働条件を日本人並みにしろという意識が必要です。
かといって外国人労働者排除に走ってはいけないでしょう。すでにヨーロッパでは移民も含めて外国人労働者排除に動く人々が出ています。
外国人労働者を排除することも間違いです。外国人労働者は日本社会において多くの富とサービスを作り出します。それは日本人の生活をその分豊かにします。
労働が富やサービスを作り出すことを見つめながら、働く人々の生活を豊かにしなくてはいけませんね。道徳の問題ではなくて経済の問題でもあり社会の問題です。

【2019年】ツイッターつぶやき
極小ニチニチソウのフェアリースターがだいぶ伸びてしまい、気温も朝夕は涼しくなってきましたので新芽を残して切り簿年切り戻しをしました。
去年の夏に買ってきて冬は出窓で育てましたら冬を越しました。
今年も寒さを感じ始める10月には出窓の移したいと思います。
出窓といっても夜はだいぶ冷え込みますが、このくらいの寒さならどうにか耐えられるようです。
5月まで6か月間、暖かい日には少し日光浴をさせて出窓で冬眠です。
初夏になったら一回り大きな鉢に植え替えてあげようと思います。

【2020年ツイッターつぶやき
以下ツイッターから
菅内閣に期待?
具体的な政策は何もなく、唯一安倍政権の続きだけ。しかしそれも尻拭いという感じです。
マスコミはどうにか話題作りをと思っているのでしょうが、やはりパッとしないですね。
野党は国民の心をつかむ政策をわかりやすく示せば支持は広がるでしょう。
縦割り110番を作るっていうけど、つくるのは簡単でしょうが、現実に横割り行政を実施するのは簡単ではない。
結局できもしない中身なのです。
国民を大切にする政策は、国民が思い描くような国民のなたの政策ではなくて、自民党菅さんが思い描く国民のための政策です。
それが安倍政権の政策の継承です。
国民と言ってもすべての人ですね。そのすべての国民の中で大切にされる国民は安倍政権ではっきり見せていただいています。
その国民を大切にするという中身において、自民党菅内閣の考え方は、防衛人出て敵基地攻撃能力です。
その他国民生活から遊離した国民のための政策(政治)が進められるでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
パソコンの調子が悪い。。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
日本はつい最近までデフレからの脱却をとして「物価の安定」を言ってきた。それが2%のインフレ目標でした。
しかしヨーロッパでは最近のインフレにより物価上昇を抑えるために「物価安定は根本的で最も重要」と言いだしている。
先進国ではどこもインフレ政策を行ってきたはずです。
デフレで物価が下がり続ければ物価の安定が言われ、インフレになればやはり物価の安定が言われる。これは、ほんの数年のうちに起きた変化です。
結局金融政策の失敗か、あるいは金融政策による経済対策が間違いだったのか。
日本は未だにデフレによる物価の安定策が続いているようです。しかし10月からは15%ほどの値上げが続きます。生活必需品の物価上昇を見ないで2%がどうのとみていればいつまでたってもデフレからの物価の安定も言われ続けるでしょう。
先進国は経済の縮小に入っていきます。

【2023年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
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「9月16日という日」

2024年09月16日 07時56分18秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
(記事なし)

【2004年】
新車は絶好調。ドライブに行ってきました。
どこへというあてもなかったのですが適当に高速を飛ばしました。茨城県に入り道の駅へ。昼食を食べ売店に行ってみたら新米をうっていました。秋ですからね。。。。新米を食べたいと思って買おうと思ったのですが、少し高めだったのでやめました。
帰りは霞ヶ浦のきれいな景色を眺めながらほとんど信号のない道を快適に飛ばしました。
今夜は、秋茄子の素揚げに生姜醤油をつけて食べました。おいしかったです。あとは新サンマ。脂がありましたよ。1匹100円!

【2005年】
「光ってみえるもの、あれは」
              中央公論社
              川上 弘美  著
江戸 翠(みどり)高校生、男。
翠は母親(愛子さん)と祖母(匡子さん)との3人家族である。
そして戸籍上には存在しない遺伝子つながりだけの父、大鳥さんがその家族に時々顔を出す。
翠には恋人平山水絵がおり、親友花田がいる。
学校に行けば風変わりな先生北川(キタガー君)がいる。
翠は、平凡な毎日の中において、周りのこれら6人の人間を語っていき、その中においての自分を探していく。
ある意味では青春小説である。が。。。
あまりにも平凡に過ぎ行く毎日であり、そこには心を沸き起こすような青春はない。
愛子さんは言う。「どうして翠はこういう家に育ったのに、そんな普通の子なの」
たしかに翠は「普通の子」である。普通に生活をし、普通に学校に行きバイトをし、普通に恋をして毎日を過ごしている。
そんな「普通の」翠が、毎日の生活の中において風変わりな人間たちと接し、何かを感じながら翠自身の心にも変化が起こる。何も青春小説のように生きる死ぬというような劇的なことは起こらないが、代わり映えのない生活の中において平凡ながらも心に感じ取りながら変化する翠の姿も、また、青春物語なのである。
裕福とはいえないけど、一応は食うに困らず学校にも行き、大モテもしないが好きな彼女ができ、毎日を過ごす。多少の家庭的な複雑さは背負いながらもそこで育つことは子供にとっては当たり前となり、学校に行けば複雑な人間関係もあるがそこそこにいろいろなことを話せる友だちもできる。そういう社会関係の中に子供は育たざるを得ないのであり、その中において「普通」なのである。
少年にとっては、親子関係や周りの大人というものは、自分がもの心ついてからの人間としてしかわからないものであり、その過去となるとその人間の過去に生きていたことは知るが霧の中にある。そしてそこにはさまざまな人生があったのである。動物的な遺伝子を家族から受け継ぐと同時に、人間の過去の生活というそこにある家族関係という遺伝子をも引き継ぎ少年は存在するのである。それがまた少年にとっては「普通」なのである。
このように翠という「普通の子」の青春は、翠一人の特殊な青春ではなく、「なんだかんだとあるが、平凡ながらも普通に育ってきた」というような人間すべての青春物語なのではないだろうか。
その中にこの作品から感じ取れる何かがあるのである。
愛子さんは、マイペースに暮らし佐藤さんという名前からして普通の男と付き合っている。匡子さんは、翠に何も包み隠さずに話しをしやはりマイペースである。
平山水絵は、「いとしい」に出てくるミドリコほどの個性は示さないが、「女」として翠を惑わす。
花田は、「うろうろ生きている」ことを嫌い、セーラー服を着て登校する。それを見たキタガー君は、「うろうろ生きている」ことに疑問を持つ花田に、セーラー服は脱いだほうがいいが、「うろうろ生きる」ことを嫌うことに理解を示す。
大鳥さんは、なぜ翠という子を授かったのに愛子さんと結婚をしなかったのかという問いに、街中に突然現れた馬が怖くて逃げ出したらすべてから怖くて逃げ出すようになってしまったと、禅問答のようなことを言う。自分が駄目な人間ということを悟ってしまったのである。
ここにみる人々の中には、恐れを知らない女と、恐れあるいは不安を持つ男がおり、風変わりさは男の中に現れている。
翠は、「女」としての平山水絵に「私のことがほんとに好きなの?」というような風に詰め寄られる。翠は本気で好きなのかとは何かと悩み、そこには恐れる男、自分の心に不安を持つのであり、そこに恐れる「男」と不安を持つ「男」を見ることができる。
この意味では、この作品が翠という少年の青春物語であると同時に、花田も含め、少年期から大人の男となっていくうえでの物語りでもあり、女性(作家)から見た男というものの風変わりさ、つかみどころのなさを表現した物語であるとも言える。
初期の作品「溺レる」は、初めて読んだ川上作品で、その感想はあまりよくないものであったが、「光って・・・」というこの作品の馬のたとえから大鳥さんの逃げる男を読んだとき、「溺レる」もまたちがったものとして読めるような気がした。「自分が駄目な男」これはある部分では女に恐れを感じる男であるが、わけもなく逃げる男とあっけらかんとついていく女。ここに微妙な男女関係の心が見えてくるような気がする。
大鳥さんは今も逃げている。愛子さんは愛想をつかせながらも捨てきれずにいる。翠は、平山水絵がほんとに好きなのかを悩みその答えから逃げている。答えを聞かせてもらえない平山水絵は、距離を置こうと離れるが翠を捨てきれないのだろう。この微妙さ。。。。
衝撃的な事件や性、恋を描き人間を表現する作品も多いと思うが、「この微妙さ。。。」が、川上さんの魅力だと思う。
作品の後半は、夏休みに男たち4人が九州の五島列島のある島に行く。
4人そろってというわけではないが、大鳥さんはキタガー君に金を借りて友人を訪ねる。大鳥さんの誘いを受けてキタガー君も研修と嘘をついて島に向う。花田の親類がいるということで花田と翠も島に向う。
この作品の後半になると、物語は動きはじめます。
花田と翠は、島でののんきな生活を過ごすが、あるとき離れ小島の神社に向う。翠は骨折をする。
花田と翠は大人の男の友情というのか気持ちを確かめあい、翠と大鳥さんは父子関係を強める。翠が大人のの男である大鳥さんの心を知ったのだろう。
翠は急激に大人の男となる。
「俺と暮らすか。。。」という大鳥さんの言葉に翠は転校をして島で暮らしはじめる。
このような男に対して女はどうか?
愛子さんは自分が翠をほったらかしにしたことに涙する。匡子さんは気丈にも翠を励ますがやはり隠れて涙する。平山水絵は、「翠が他の人を好きになったら怒ります。怒ってもいいよね」と女心を手紙に書く。
翠と大鳥さんは、気楽にもモテルかモテナイかを話する。
ラストはこんな男女関係が書かれる。
この急展開は、「古道具 中野商店」のラストにも見られ、読者にとっては、いつまでも古道具屋の中野さんでいて欲しいと感じる寂しさを感じさせるが、この作品のラストも、特に女性読者にとっては、描かれるラストの男女関係がたしかに現実社会の男女関係をある意味では現すにしても抵抗感を感じるものであるのかもしれない。男の僕にとってもラストの女性たちはいただけない。
しかし老いていく者と成長するものの世代交代上にもいつか来る寂しさなのである。
「光ってみえるもの、あれは」
それは今までの少年期の翠の毎日である。
翠はその光って見えるものに背を向ける。
それは、少年期を過ぎた男になったからなのか。
「戻るか」という大鳥さんの問いに翠は光っているものに背を向けるのである。
翠は少年期にはけして戻れないことは確かである。大人の男としてどう生きるか?
大鳥さんのように逃げて生きるのか?
その逃げとは何か?ドロップアウト。。。
「ドロップアウトって何だかかっこいいですね」と、大鳥さんは老婆の問いに笑って答える。
逃げというのもある場合にはいき方となる。一人の女を幸せにできそうもないとわかったら愛するがゆえ逃げるしかないときもある。
自分の生き方を見つけたときに人は本気になりまじめになるのだろう。
時と場合によってはドロップアウトも仕方ない場合がある。そんな男たちのかっこよさ。。。
こんなかっこよさに惹かれる女性たちをも描かれているのかもしれない。
翠はどんな大人の男になるのか。。。。

【2006年】
昨夜アイスクリームを久しぶりに食べた。小さなカップですごく高いアイスクリーム。ナッツが入っていておいしかったです。
そういえば、今年の夏も1度も食べていない。甘いものが嫌いなわけではないが、なぜか食べたいという気がしなくなっている。年のせいかな?
疲れていると甘いものが食べたくなりますが、ジムもお休み中なので気をつけないと。。。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
東電が原発関連自治体に20年間にわたり400数十億円を寄付していたという。年間平均20億円。
いくら東電という巨大企業が毎年公共料金である電気料金から20億円もの金を寄付していた意図はどこにあるのか。このような巨額の寄付をどのような基準で行っていたのかを説明すべきでしょう。たしかに寄付は善意の金です。しかしこの額と同じくらいの額を原発に関係のない自治他にも行っていたのだろうか?原発関連の自治体だけならばその善意の寄付にも思惑はあるはずです。
何かしら原発ではお世話になっていますというものがあるならそれが意図といえるでしょう。それを受け取る自治体も東電からの善意の寄付ですと済ませるわけにはいかないでしょう。ご祝儀で10万円包まれていたという程度ならば善意の金にもなるが、億単位の金をもらって善意の寄付とは思えないでしょう。原発ではお世話になってますという意図をくみ取ったものとなるのではないか?
その金の使われ方、例えば建物なら関連業者などを一度監査する必要があるのかも。
今後も寄付をやるのでしょうか?やらないやれないとすればまた原発誘致の意識も違ってくるかもしれない。

煙草にかかる税については戦前そして戦後の専売そして現在とその歴史があるようですが、たばこ消費税という消費税の一種でしょうかそれが税の目的を大きく変えたようです。そしてこのたばこ消費税としての税の目的が2010年の鳩山内閣によって煙草税は健康目的のために喫煙者を減らすことにその税の目的の考え方が変わったようです。(以上ウイキペディア参照)
この鳩山内閣でのたばこ税の解釈変更は、嫌煙権やたばこの害といういろいろな組織の考え方が入ったものと僕は思うのですが、この解釈の変更が単なる解釈の変更にとどまらずに税の目的を変えてしまったということです。
煙草税をあげれば喫煙者を減らして禁煙が進む。そしてタバコの害やマナーから禁煙は必要という税の目的が税という国家権力の行使による禁煙目的と懲罰的な税の目的として本来の税の目的から逸脱をしたものとなったと思う。
その上健康を目的と言いながらも国鉄清算事業団の借金返済のための特別煙草税は残し、国や地方自治体の税収を落ち込ませないこと原則とした煙草税のかけ方を残している。健康のためと言いながらも税収は落とせないというこの矛盾したものを残しながら強制的な禁煙と懲罰的な目的を税という形とした。
このような税の目的が色々なものに拡大解釈をされていったらどうなるのだろうか?
酒税もガソリン税もその税の目的が変わっていき、健康のための、環境のための、安全のためのなどという目的にこれらの税が引き上げられるだろう。環境税などは企業も嫌うわけだからできないが、タバコは嫌われ者だからすぐにできる。企業も日本たばこ1社ですし、タバコ農家もありますが、今までの農業切り捨てを見れば大した問題ではないからできるわけです。
一般庶民もひどいものになると消費税を上げるなら煙草税をあげりといったものが出てきますし、喫煙者のマナーが悪いから煙草税をあげろとかも出てくる。
しかしタバコ自体についての意見は様々あってもいいと思いますが、税の目的が強権力の行使と懲罰に変わっていくことをどう見るのでしょうか?ここを考えてほしいわけです。
煙草は発売中止になるまでなくなりません。ならば煙草税を分煙などに役立てるような喫煙者にも嫌煙者にも利益となる使い方をしなければならないでしょう。この方がよほど健康のための税の使い方です。

【2012年】ツイッターつぶやき
今夜は焼売を作りました。
鶏のひき肉に玉ねぎ、長ネギそしてホタテの貝柱(干したものがなかったので刺身用)をみじん切りにして入れ、おろしショウガ・塩・コショウ・砂糖・醤油・ごま油そして米麹を入れてよく粘りが出るまでかき回します。最後につなぎに片栗粉。
焼売の皮(市販のもの)で包み、上に飾り程度のカニを乗せました。
あとは蒸すだけ。。。。。。
しかしこの蒸すのを失敗してしまいました。蒸しすぎという事もありましたが、じかに蒸鍋に入れてしまった。くっついてしまいました。クッキングペーパーなどを敷いた皿に乗せて蒸せばよかったのかな?
味は美味しかったです。。。。。。あんがい本格的な味に近かったと思うのですが、何か足りないのでしょうか?

【2013年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞朝刊の「限界にっぽん」に派遣社員に変わり出向社員が増えているという記事がありました。
これまでは雇用者数の調整弁は派遣社員などが中心でしたが、今は出向社員が調整弁になりつつあるようです。社内失業者数などの増加とも言われていましたが、その中で限定正社員制度(解雇規制を受けない正社員)の導入も言われていました。しかしいま現在は一度出向をさせて賃金「コスト」を抑えて、その後早い時期に戻らされて退職を勧奨されるといったものが増えている。
出向社員は身元もはっきりしていて基礎的な能力もあり即戦力だから派遣よりも使いやすい。しかし人員が余ればすぐに切られる。
こういった雇用制度は、団塊の世代が大量に定年を迎えて再雇用(その中には出向のようなものがあるのかもしれません)などについていますが、これもやはり1年契約ですから切りやすい労働力でしょう。
出向といっても帰りの切符がないとか、帰った後の保障もない。かといって断ることもできないし会社を辞めることもできない。
素手に正社員も大変な時代になってきました。これはある意味中間層の減少につながります。
日本は国際的な競争力に勝つために賃下げを行ってきました。その賃下げの方法が雇用制度にありましたし、その全体的な低賃金化の中で正社員も例外ではなくなり低賃金化される。
労働者全体が不安定な状態になっていきます。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
先日種まきをしましたビオラとルピナスが3つほど発芽しました。
今日は冷たい雨。。。。。
この後の天気はどうなんでしょ。。。。。
うまく育ってくれればいいのですが。
松葉ボタンの種をだいぶ集めました。赤い花が多かったのですが、少なかった黄色や白などほかの色の種を意識的に集めてみました。来年もたくさん咲いてほしい。トリニアはそろそろ種をとらないと。。。。。
涼しくなり撫子やアリッサムがまた裂きだしました。
フリージアの球根から芽が出始めてしまったので慌てて植えました。
秋も深くなっていきます。花壇の整備も忙しくなります。

【2018年】ツイッターつぶやき
大きな鉢でゼラニウムを4本ほど育てていたのですが、台風21号の風の影響で倒れてしまいました。
指し木を繰り返してもう10年以上も大切にしてきたのですが、今年になりだいぶ高く育ちそろそろまた指し木にしてと思っていた矢先でした。
調べてみたら挿し木の時期は秋でも良さそうなので緑色の茎を切って挿し木にしました。
3年ほどすると大きく育つと思います。
そういえばポーチュラカが伸びすぎてぼうぼうとなってきましたので先日指し芽をしたら1週間もしないうちにみるみる大きくなって花を咲かせています。強い植物ですなぁ。
フェアリースターも折れたところを指し芽にしたのですが、こちらは育ちが悪いです。花を咲かせ続けていますからどうにか大丈夫かな。

【2019年】ツイッターつぶやき
来年度の英語共通一次テストに民間試験の結果を活用するらしい。
民間試験の活用で格差が問題視されている。
一つは経済格差です。民間の試験を受けるわけですから費用が掛かり家計による格差が生じる。
二つ目は地域格差で、民間試験を受ける手間暇は地方に行くほど困難さが生じる。
民間試験がいくつもあるようでその中身によって不平等さが生じる。
朝日新聞朝刊に以上の格差について書かれていた。
現在でも大学入試には公立高校の勉強だけでは足りずに受験のための勉強が必要になっている。高額な塾に通えない子供たちもいるでしょう。もちろんここには地域差も出るでしょう。
人間も動物ですからこの動物的な遺伝子に違いがあるかもしれない。しかし多くは社会的な動物ですから社会的遺伝子を受け継ぐ。
同じ能力があっても、オギャァ―と生まれた時の社会的環境で差がついてしまうのは事実です。
この社会的環境をそのままにした入試制度はよくありませんね。

【2020年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
川上さんは平安貴族の生活を送る?
しかし空には火球が飛んで疫病の中。さすがの都人の川上さんもGo Toとはいかない。
都にはガス点検だから鍵を貸し手と怪しげな男が徘徊をするようになった。
都人もスーパーに買い物にいは行かねばならない。。。。。
都人の川上さんは、じゃがりこ期に入る。。。。
半沢直樹の役の多くに悪役が増えていると。。。。

【2021年】ツイッターつぶやき
我が町のホームページを時々見ますが、10歳以下の子供のコロナ感染が多くなっています。
もちろん19歳以下全体でも。
子供たちへの感染拡大がなぜなのか?
デルタ株ではほかの国でも多くの子供が感染しているようですが、子供へはまだワクチンの安全性から接種ができませんからどう子供たちを守るかが問われます。
学校の授業もはじまっていますが、そうとう感染防止策を行わないと危ないし、休校も必要かもしれません。
あとは家庭内感染ですね。新規感染者数が減少している中家庭内療養も減少しているようですが、まだ多くの人や家族が苦しんでいるでしょう。
検査体制ですらなかなか検査も受けられない実態があります。
子供たちをどう守るか、政治は本気にならないと。。。。

パソコンの調子が悪い。。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
尾身会長がコロナは普通の病気というとらえ方をはじめるにあたってロードマップを作っていくとしました。
分科会には医療の専門家の中に経済学者も入っていますから、むしろその経済学者の意見が強くなっているということでしょう。すでにもうすぐ全数把握がされなくなりますが、全数把握を行わないということは感染の実態を見ないということですから、コロナ感染防止にもつながりません。
症状が出た人でも高齢者でなければ発表されませんし、無症状者が市内を闊歩します。
ここまで放置コロナが進んできます。
この放置コロナ自体が普通の病気扱いということになります。コロナが普通の病気になるのではなくて、取り扱いを普通に行いますということです。

【2023年】ツイッターつぶやき
夜になっても室温が下がりません。
室温30℃。
でも、風が出てきて少しは涼しい風が。
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「9月15日という日」

2024年09月15日 08時09分11秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
「ハードボイルド」 「ハードラック」幻冬舎文庫
吉本 ばなな 著
どちらの作品も死んだ人を通してそこに残された人たちの経験が著されています。
「ハードボイルド」は、ある女性が不思議なまるで深い夜のような深い霧の中に住むようなそんな女性千鶴と一緒に生活をし、肉体関係を持つまでにいたっていました。その不思議な女性と別れしばらくすると火事で死んでしまう。
ある日主人公の女性はハイキングに行き、石ころが積まれた何か不思議な力を感じる祠を見る。夜になってやっと安宿にたどり着くが、そこで不思議な夜の体験をする。
夜明けを待ち遠しくなるようなそんな夜。
宿に着く前に寄ったまずいうどん屋の中では、バッグから知らない石ころが転がり、その後にそのうどん屋はボヤを出す。あの祠の石か?火事・・・・・死んでしまった千鶴との関係?
主人公の女性は、何回も千鶴の夢を見る。知っている千鶴とはなんとなく違う。そのうえ怪しい女性の訪問を受ける。宿屋で自殺した女性の幽霊。
主人公も千鶴も幽霊も不幸を背負った女性ばかり。でも千鶴は生活音の中に人間の暖かさを感じて生きていた。別れを持ち出した主人公は、千鶴がどう思っていたか心配だった。このいやな夜も千鶴の不思議な力か?しかし人の暖かさを知る千鶴は、最後の夢に出てきて、はじめに見た夢のいやな千鶴は私ではなく、今見ている夢がほんとの私という。千鶴は主人公が邪悪な祠を見たので心配になってついてきた。
うどん屋がボヤで終わったのも千鶴が助けてくれたのか?
千鶴は邪悪なものから主人公を守ったようである。
主人公は、千鶴が自分を恨んでいたのではないかと心配であったが、この夢から、千鶴が心配をしていてくれたことがわかり、二人の生活を良い思いでとしていけるような終わり方である。
「ハードラック」は、脳死をした姉を通じて、姉の婚約者の兄と主人公とのふれあいである。婚約者を残し脳死状態の姉。それもその婚約者は弱気ですぐに婚約を解消するような人間。そんな姉が横たわるベットの前で知り合う。
お互いに生命維持装置をはずす直前の姉を前にして素直にはお互いの感情を出せずにいる。
維持装置がはずされた夜、人は死ぬ前に頭の中に響くような音楽響き渡るという話から、姉の好きなユーミンの歌を二人で歌う。このとき二人の姉へのこだわりが消えていく。二人はそれぞれの道へと進むが再開を約束する。
人の死は悲しみであるが、その死んだ人が愛してくれることによって自分は守られているというようなそんな不思議な気持ちを抱く二つの作品でした。
このように霊的なあるいは不思議な力のお話としてだけではなく、死んでいくときに自分が残す人々に何を残せるか、それが邪悪(というよりも悪い心か)なものか、幸せか。それは残された人々の心へしか残せないものである。
僕は不思議なお話という面ではなく、この心のこととして何か温かいものが読後に残りました。

【2004年】
夏の疲れが出る頃です。東京はまだ残暑が残っていますが、体力を付けて頑張りたいと思います。しかし朝晩は上着が欲しくなりました。季節の変わり目、気をつけたいと思います。
それにしても夏の疲れを吹き飛ばす食べ物って何でしょ?
思うに夏の疲れだけとは限りませんが、その季節のものを食べるということかと思います。自然はうまくできているはずですし、人の体もその自然の中にあります。この季節は果物が出ますし、木の実や芋も。秋刀魚も出るし、きのこもでる。。。
そんな旬のものを食べたいです。このことは、シュンな食べ物というのはおいしいですし食欲も出ますからね。それがまた体によいのかもしれません。ダイエットも大事ですが冬に向けて脂肪を付けるのもまた自然の摂理ですからね。それには体も自然のままに適度でいいから動かさないとと思います。

【2005年】
急に涼しくなりました。
空にはどんよりと黒い雲。風も強く吹いていました。
掃除をしようとしたら、まるで吸い込まないで掃除機はうなり声を上げていました。サイクロン式なのですが、フィルタ部分に小さなビニールがくっついていて吸い取らなかったみたい。サイクロンは紙袋をつけなくていいといいますが、案外少しなことで吸い込まなくなります。
他の部分にも目詰まりがあるようで、車輪やコード巻き取りスイッチのあたりから排気の空気が漏れはじめました。なんか汚い空気を待ち散らしているみたい。。。
新しい掃除機を買わないと。。。夏は家中の窓を開けて掃除できますが、冬はそうもいかないので汚い空気を待ち散らすわけにもいきませんから。

【2006年】
黒い雲が空を流れて行きます。でも、もう秋。。。空は高い。
この時期の台風は、関東に来るはずだけど。。。。西に進んでいる。
この前、スーパーで冷酒を買ってきたが、いつもの冷酒とちと違う。。。
キャップの上に銀色の封印があり、飲んでみるとすごくまろやか。いつもの酒なのに味がすごくいい?
うまいので同じ酒を今日も買おうと思ったら、同じ銘柄でも2種類あり、銀色の封印がある酒は何と300ミリリットルで720円ぐらい。この前はすごく高い酒を買ってしまったみたいだ。(これは妻には内緒(笑))
今日は安いほうの酒を買いましたが、やはり味が違う。。。

【2007年】
天気予報が大きくはずれて晴れ。
蒸し暑さがありましたが気持ちよい残暑でした。
もう6時ともなるとだいぶ暗くなってきましたが、ちょっとした空き地の草むらにも虫(コオロギ?)の声がします。
土曜の夜。。。静かです。
ベランダの鉢植えの中でも虫の声。
残暑などといえるのもあと1週間です。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
「小児病」といっても麻疹とか子供がかかる病気といったものではなくて人の行動においての小児病です。
子供同士が喧嘩をすると初めは喧嘩の原因についての争いであるが、そのうちに感情のぶつかりが大きくなって喧嘩原因よりもその感情が表に出てくる。そうなるとどっちが悪いともとんでもないものを持ち出してぶつかり合う。「ばか!」「お前こそバカだ!」「バカ、バカ!」。。。。。。「バカといったやつがバカなんだから!」
今、いじめが問題になっているが、これも感情が先に立った陰湿な言葉や行動です。
こういった子供たちと同じようなことを大人がやればそれが「小児病」という事です。同時にもちろん大人ですからそこには思想的なものもあるわけで、この思想と感情が結び付いて単純な言動に出ることがありこれも「小児病」という事になります。
なんか、韓国にも中国にも日本にもある小児病ではないかと思います。その典型を示しているのが今の中国の反日運動に見る暴徒化のようなものです。このような暴徒化ではないまでも排外的な言動自体もまた同じでしょう。
こういった小児病的な言動は、時には政府も必要として利用する。
多くの国民はこのような言動は取らずに考えているでしょう。または無関心にそれを見ているでしょう。
なんとなくこの小児病に振り回されているのではないでしょうか。あんがいマスコミも話題性において取り上げる。
日本も韓国も中国も、ほとんどの国民は対立する必要性を持っていません。

【2013年】ツイッターつぶやき
閾値(いきち)という言葉がある。酸にアルカリを入れていくと全く性質の違う中和点がある。アルカリを量的に増やしていく段階では量的変化であるが、中和点というのは質的な変化である。
放射能の問題があるがこのような毒性のある物質が健康や命にどのような影響があるかは、この毒性のある物質が人体にどのくらい入り込むかという量的な変化の段階がある。しかしこの毒性のある物質がある点を境に急激に人体への影響が現れる点に達する。この人体への影響が出はじめるということは質的な変化なのである。
また、酸にアルカリを入れていき中和点に達する過程においてはアルカリの量だけではなくて濃度や性質といった質的な違いも出てくるだろう。有害物質の影響もその有害物質の性質や濃度のような質によるだろう。
量的変化の中に質的な状態があり、量的な変化は質的変化に転化する。
この量的変化からの質的変化への転化は、社会の動きにも表れるものである。社会に対立するものが生じて一つの矛盾として現れるとその矛盾の解決は互いに対立する両者のどちらかに決まって矛盾が解決するのではなく、質的に違うものとして矛盾は解決をされる。適切な例と言えるかどうかはわかりませんが、二大政党制の中で自民・民主という対立の矛盾は、どちらかが勝ち残ることで解決をされるのではなくて、この二大政党制とは全く違った政治によって質的に違うものとして矛盾は解決をされるということです。
自民から民主へ、そしてまた自民へという政権交代に社会の矛盾が解決されたかというと解決はされなかった。社会の矛盾はさらに混迷をしていく。自民党政権は保守色を鮮明に出しながら古い形の日本に引き戻そうとする。そして国民生活の切り下げを行っていく。この中に生活や民主主義そして平和を維持し発展させねばと考える人々が出てくる。酸とアルカリで言えば酸性がひどい社会であるがアルカリ性の人々の量的な変化も生まれる。このアルカリ性の量的変化が発展過程なのです。自民党から民主党への政権交代は一面ではこのアルカリ性の人々の量的な変化が増大したということでした。しかし民主党は自ら質的な変化を嫌って国民のための政治から離れた。そして必然的に自滅をした。しかしこの数年という時間の中にアルカリ性の人々は増えたという事実がある。ですから今必要なのはこのアルカリ性の人々の結集なのです。量的な変化の拡大なのです。
量的変化から質的変化への転化とは、発展なのです。
社会矛盾は経済に集約をされる。経済政策が国民のためなのかという点で土台なわけです。この経済政策という土台から民主主義や平和など様々な政治的な動きという上部構造が生まれます。アベノミクスや日銀の量的緩和が本当に国民生活に直結するか?直結しなければ経済の発展もデフレからの脱却もできません。そもそも出口を考えれば今の経済政策はカンフル剤でしかないわけですからすぐにへたるでしょう。アルカリ性の人々はどのような経済政策を打ち出すか。。。。ですね。

【2014年】ツイッターつぶやき
ツイッターのまとめです。
敬老の日ですねぇ。。。。国や国民一人一人が今の高齢化社会を考えねばならない時代です。何もお祝いをする日だけではない。高齢者はこれまでの日本の富を築いてきた世代です。この過去の労働によって今の日本があります。考え方はそれぞれ違いますが総体としては憲法に基づく日本社会を作った。
この高齢者が作ってきた日本の中に今の若い方々が生きている。もちろん理想の国を作ってきたわけではない。不十分さは多くあります。しかし高齢者はそれ以前の日本の不十分さや誤りを正しながら今の日本を作った。その意味で発展をさせてきた。理想の国への一つの段階を作った。
明治政府は封建制を否定をして近代国家(資本主義)を作り上げた。戦後の政府はこの明治政府の富国強兵という資本主義を否定をして戦後の日本を作った。これは日本の発展段階だった。しかし戦後の日本にもさまざまな矛盾が噴き出てきた。ここからどうさらに発展させるのか?
どう発展させるのかが本来の戦後レジームからの脱却でしょう。その戦後レジームには長く続いた自民党政権がありますし、それに対する社会党・総評ブロックそして市民運動という対立する勢力があった(55年体制として)。そして今は自民党多数の政治勢力に。
社会党総評ブロックといわれた勢力が後退をする中で自民党の多数政権が政治を握ることになりましたが、その中での矛盾の広がりで民主党政権が誕生した。これもまた一つの戦後レジームからの脱却ととらえておくべきでしょう。
しかしその民主党も「自民党化」の中で自民党と同じ保守勢力として自民党政治からの戦後レジームからの脱却を果たせなかった。そして安倍政権となり戦後レジームからの脱却は自民党の昔帰りと思われるようなこれまで築いてきた発展段階にあった日本の否定となってしまった。
この今現在という日本に若い方が社会を高齢者から引き継いでしまった。同時に現実に今の社会のかじ取りを若い方もしているのです。敬老の日といっても年寄りを形式的に敬う必要はない。戦後日本の富と社会システムを築いてきた高齢者と若い方が一体となって日本の発展とはを考える必要
高齢化社会としてこの日本を築いてきた方がいい面でも悪い面でも長生きをしているわけですが、今の若い方がこれからの日本のかじ取りをしていくうえでどのような日本の富と社会システムを作り上げた老人と話し合うのかがですね。生活の実態や社会の中でどのように扱われているかから。
高齢者が問題視されるのもそこに高齢者の自己責任や逆に世代間格差などによって恵まれているといった議論からは何もう前れません。恵まれているとして年金制度を改悪すればそれは年老いた親の子である若い人への自己責任となります。社会全体の格差社会の中においてこの自己責任は?
子供の貧困問題も同じですが、高度に発達した社会は高齢化も含めて社会システムとして解決を確立しなければ成り立ちません。自助から公助です。同時にそれは勤労国民の平等さ(もちろんみんなが貧乏になるのも平等だではない)の問題です。この二つの面は一体的に発展すべきものです。
戦後日本の発展性はここにあったのです。道半ばでしたが。より発展させるには現在としては社会民主主義の方向で見るほかはないのです。
このままでは戦後日本の富や社会システム葉を食いつぶすことになるのではないでしょうか?。。。。。連続ツイート終わり

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
9月10日に巻いたビオラの種が3つほど発芽しました。
種自体がくしゃみでもすれば吹き飛んでしまうような小さなものでしたから、発芽した目もよく見ないとわからないほど小さなものです。
この小さな芽が育ってたくさんの花を毎日咲かすのですからすごいですなぁ。
花の色はミックスの種を買ってきましたので何色になるかわからないのですが、何色が出てくるかも楽しみです。
一つのポットに3粒種をまきましたので、3つ花の芽が双葉ぐらいになったら一つ一つ分けるつもりです。
たくさん育ったらご近所にお分けしようかと思います。
あまりリストフリージアの球根からも元気な芽が出てきました。玉すだれの種もいくつか発芽しました。
冬という季節はあまり好きではないのですが、春に向かって育っていく花たちを毎日眺めていれば、また冬も楽しいのかもしれません。

【2017年】ツイッターつぶやき
また北朝鮮からミサイルが発射された。
朝起きてテレビを見たらどこのチャンネルもこのニュースばかりだった。NHKの朝の連ドラはやったが・・・・・
Jアラートの対象地域が地図になったようです。
地図になり理解しやすくなったのですが、地図になった成果違和感を感じました。
群馬や栃木、長野まで対象地域になっていましたが、地図を見ると東京、埼玉、千葉、神奈川の地域が対象外とぽかんと穴が開いているように見える。
関東甲信越まで対象地域になるならば東京なども当然対象となるでしょう。
やはり人口密集地や産業や企業の集まる大都市は混乱防止のために対象外となるのでしょうか?
短い時間とはいえ一時的に機能マヒになると大変ですからね。
しかし混乱防止ならば、それもまたおかしなもので、人口が集まる場所こそ情報が必要でしょう。
僕のように寝ぼけ眼でテレビをつけて知ったという状態は、何かあったらすでに爆死状態です。
政府は北朝鮮のミサイル危機を煽っている面があるように思います。しかし人口・産業密集地が混乱しては困る?
しかし、日本も対話は行わない状態になっていますから集団的自衛権を含めた安保により日本の危機は深まりました。しかし対話をしないで外交的交渉がないままに危機があるとして、今の日本の状態で国民は守れるのでしょうか?守れたとしても戦闘状態になれば危機は本物になります。

gooお題「好きな秋スイーツは?」
好きなスイーツと言えば・・・・・
スイーツとは言えないけど冬の肉まん(笑)、春の桜餅、夏の麩饅頭そして・・・・秋と言えば『栗きんとん』。
栗きんとんといてもお節料理に入っている栗きんとんではなくてお菓子の栗きんとんです。
木曽路の方へドライブに行き時間があると食べてお土産に。
基礎の方には栗きんとんのお菓子屋さんが多くあるようですが、お気に入りは澤田屋さん
栗の風味がそのままにほんのりとした甘みが。。。。。
あああ・・・・・また食いたくなった。
雪が降らないうちにまたドライブに行って食べたいです。
そういえば、甘党の次に辛党のお話ですが、昔、木曽路でどぶろくを買ったことがあります。家についてビンの栓を開けたらシュワっとシャンペンのよう。。。。そのどぶろくがどこで買ったのか、名前もわからないのです。一目ぼれをしてそのまま別れてしまった恋に似て、その切なさと恋しさに時々襲われます。

【2018年】ツイッターつぶやき
リーマンショックから10年が過ぎて様々なサイトでリーマンショックの総括がされている。
リーマンショックを取り上げるのは、ちょうど10年目という節目だからというだけではないでしょう。景気循環は10年単位で訪れるという説がある。たしかマルクスもそのようなことを書いていたと思う。
日本を見ても日銀がすでに2%成長を放棄して出口までは明確にしていないが量的緩和の縮小を行っている。安倍内閣もやっと出口はいつか来ると言い出した。日銀緩和とアベノミクスは経済を好転させたというが政府や日銀はいまだに道半ばという表現でしょう。経済の好転などは起きていないで巨大企業の内部留保をはじめとした利益拡大と株価においてだけの景気の拡大に過ぎない。景気の拡大が起きていない中ですでに副作用の方が大きくなっている。そして円安誘導による悪性の物価高という景気の足を引っ張る状態も深刻である。
リーマンショックから10年目の景気循環としての世界同時不況の芽が出始めているでしょう。
リーマンショック後の製造業はコンピューターと精密機械が融合したロボット化の更なる拡大となっている。製造業における労働力量(労働者人口も含め)は減少をしている。更に先進国は海外生産を行っているわけだから自国内の労働力量の減少は著しいでしょう。ここから何が起きるか?生産された商品の価値低下である。より多くの商品が生産されるがその価値量は減少する。すると企業の利潤率は低下をする。
労働者の賃金を下げ続けることで企業は利潤率を維持しようとするが、労働者の低賃金化は個人消費を低下させる。
個人消費が低下をした場合、何が起きるか?
労働者に対するローンの拡大です。昔日本で商品をかわすために夏のボーナス一括払いといった商戦があった。その後はカードの普及による消費の拡大に。現在は低金利での住宅ローンも。
金利が急速の上がれば個人破産が増加するでしょう。
銀行はまだ無理な貸し出しはしていないようですし、貸出先もなくなっている。
経済の拡大という裏側の負の連鎖。
10年の景気循環も覚悟する時期なのかも知らねい。

【2019年】ツイッターつぶやき
急に涼しくなって夏の花もだんだんと元気がなくなっていきます。
今が花も咲かり盛りですが松葉ボタンも花の数が少なくなり今は種をつけています。マリーゴールドも葉ダニが出てしまい慌てて薬をかけました。
そろそろ来年の春のために花の支度ですねぇ。。。。
今年は何を植えようかなぁ。。。。。。
いつも安い苗を買っていますから、だいたい植える花が決まってしまいマンネリ化しています。少し変わった花に挑戦しようかな。
いろいろと考えていると、忙しい日々の中での息抜きになります。

【2020年】ツイッターつぶやき
昨日、梨ジャムを作りました。
大きな梨を3個使いました。4等分して皮をむき、大き目のみじん切りぐらいに切っておきます。
これをほんの少しの水と砂糖で煮るだけです。
梨はだいぶ水分が出ますので30分から40分弱火で煮詰めていきます。
火を止めて仕上げにハチミツを入れてかき混ぜたら素早く熱いうちに瓶に詰めてふたをします。
十分冷めたら冷蔵庫へ。
水分を出すために少しだけ梨をすりおろして入れても美味しいらしいですが、今回は水を少し使ったのですりおろしの梨は入れませんでした。
今朝、ヨーグルトに入れて食べましたが、梨の粒粒感(シャリシャリ感)が残り風味もあり美味しかったです。
ずっとリンゴジャムを作って食べていたのですが、今が梨の旬ですからね。。。。。

【2021年】ツイッターつぶやき
10月からたばこが一箱40円ほど値上げになります。
値上げと言っても中身はたばこ増税の部分が大きいです。
生活に欠かせない小麦粉なども大幅値上げがされていますが、こうした値上げとたばこの値上げは質的に違うもので値上げの原因が増税です。
もうすぐ世界禁煙デーだと思いますが、2014年の世界禁煙デーで低所得層の禁煙を進めるうえで増税は有効であるとされました。禁煙運動はたばこ増税で反人道的な禁煙を進めています。
たばこ増税をすれば禁煙者が増える。しかし増税をするのですからたばこ税収は減少しないという論理が政府と禁煙運動の一致した考え方です。
増税で低所得者の強制的に禁煙をさせるという半自動的反動的な政策がまた実施されます。

【2022年】ツイッターつぶやき
最近、元気だった人に久しぶりに合ったらやたらと痩せてしまいマスクをしていると誰だかはじめはわからない状態の事も。
自分はまだ若いと思っていても久しぶりに僕と会う人から見れば僕もだいぶ変わってしまったよう見えるのでしょうね。
まぁ。老化だけではなく高齢化してくるといろいろ病気もしますからね。そうなると昔の面影もなくなってしまう。
見た目もありますが、頭の中身もだいぶ老化をしているんでしょうね。
お互いにこいつ少しボケてきたんじゃないかなと互いに思いながら話をしているのかもしれない。

【2023年】ツイッターつぶやき
対立という面では、NATOとロシア、中国との対立と見えるが、アメリカはトランプ大統領の時「分断」という言葉が使われた。NATO諸国の内政において対立が生じている。この対立は、NATO諸国の内政においての右傾化にある。右傾化している国においての右傾化は極右です。ヨーロッパも極右政党が力をつけている。
北欧のNATO諸国も。
こう見ると現在の資本主義での格差の拡大による経済矛盾に対しての不満が移民問題という象徴に現れている。資本主義諸国はこの内部矛盾が極右勢力を産み力をつけさせている。これが今の世界の中での対立である。
そこにロシアや中国が極右とは違う勢力が資本主義の矛盾に対立する勢力がある。
NATO諸国の対立は内部矛盾の対立である極右政権に苦しむでしょう。
コメント
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「9月14日という日」

2024年09月14日 08時42分27秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
(記事なし)

【2004年】
モノモライができたようで目がごろごろします。この前から少し痒いと思っていたのですが。でも大きく腫れないし変な感じです。明日までに直らないときは医者にでもと思います。めがねをしているのですが、老眼も近眼も度が合わなくなっているのか目が疲れるようになりました。度の調整もしようか。。。。
しかしめがねも安くなったとはいえ新調するのも金の余裕がないとね。。。。
夏生さんの「微笑みながら消えていく」を再読中です。きれいな写真と詩やエッセイの本です。夏生さんの写真は好きです。たぶんHPで写真を入れている方には大いに参考になると思いますよ。読み終わったら、小川洋子さんの「密やかな結晶」を読みたいと思います。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
酒酔い運転による事故や犯罪が増えているそうだ。
喫煙者を減らすためにと同じ論法で、ビール1本1500円から2000円に、自動車諸税を今の2,3倍に!そうすれば酒を飲む奴も少なくなるし、車を持つ奴も少なくなり、酒酔い運転も少なくなる。。。。酒での健康破壊や精神破壊、交通事故も少なくなり医療費が少なくなるという一石二鳥。。。
なんていうおバカな説をいう人もそろそろでてくるのでは?笑ってしまう。。。
まぁ、冗談はともかく、酒酔い運転は自分さえ気をつければやらなくてすむんだから。。。これからもやめよう。
でも、報道されている事故や事件は氷山の一角なのだろう。
酒を飲んだら乗るな!
これは、都会に住んでいるから気楽にいえるわけで、地方のように交通手段が赤字だからと削減されたり本数が少なくて車無しでは生活できない所ではね。。。
それに、昔から日本は酔っ払い天国といわれているし、酒無しではコミュニケーションができないといった社会でもある。
何があっても、人が死んだからといっても、「まぁ一杯。。。」
社会の風潮だからなァ。。。
でも、なくすにはどうすればいいんだろ?本人の自覚だけでは解決できない問題である。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
「南九州温泉めぐりといろいろ体験」
             幻冬舎文庫
             銀色 夏生  著
よい意味で「詩人銀色夏生」のエッセイではないですね。
というのも、詩人として美しい風景やひなびた温泉の様子を詩に書いて入れていません。また、出版社と一緒になった「取材」的な温泉めぐりでもない。これは先に発売になった幻冬舎の「へなちょこ探検隊1・2」でも、幻冬舎の編集者菊池さんとの旅行でしたが「取材」的なにおいがしなくて編集者との普通の旅でした。もちろん編集者の菊池さんは夏生さんにいろいろ気遣いをするのですが、夏生さんは菊池さんの味を引き出して隠れてお世話をするという編集者ではなくて旅の友としての菊池さんの人間が出ています。夏生さんの旅行記や今回の温泉めぐりも、一人の普通の女性の顔が出ている作品に仕上がっています。その意味において「詩人銀色夏生」のエッセイではない。
ですから温泉を訪れてもお休みだったり、登山は天候の加減で中止とか、そして昼職も質素に時にはどんよりしたり。
ここに見るのは普通の人が普通に旅行をするような感覚、視線での文章ですね。
しかし退屈な文章ではありません。そこはやはり銀色夏生なのです。上に書いた「へなちょこ探検隊」での幻冬舎の菊池さんの個性を引き出した文章とただの影武者のような編集者として捉えるのではない視点は銀色夏生さんの特徴でしょう。同じように今回は小学校のときの同級生「くるみちゃん」が登場。特別な言葉では語らずに「くるみちゃん」の特徴や人生を描いています。ここに今回の作品も温泉めぐりに終わらないものをかもし出しています。ここが銀色夏生なのです。
銀色夏生さんのサイン会を思い出します。きついけど澄んだ目。。。。銀色夏生さんの前に立つと、誰もが心のベールを剥ぎ取ってしまうのかな。ですから「くるみちゃん」も自分の苦労を苦労として語らずに、素直に話をする中に銀色夏生さんから元気をもらう。そして銀色夏生さんも素直に受け止めて語る。たぶん温泉めぐりという題材からするとあまりにも普段着なのでもしかしたら退屈するかもしれません。度もその日常性の中に生きる人間が見えるんですよね。それは銀色夏生という人間も。
銀色夏生さんは言う。一番高級マンションに住んでいたときは家賃が100万円以上だったと。セレブですなぁ。本に対しては、読みたい人が、興味のある人が読んでくれればいいというようなことも。こういう言葉はある意味嫌味な捉え方にも受け取れるでしょうが、銀色夏生さんが語ると素直に受け取ってしまう。だから「くるみちゃん」も笑いながら「すごいねぇ。。。」と。ただそれだけ。
ある意味銀色夏生さんの文章は俳句的ですね。普通の人と同じ視線の生活の中にピカッと光る言葉が生まれ、それが読者の胸にぐさりと。日常の中のいろいろなものを見つめる視点なのです。それは日常の中に見るはっとする一瞬を言葉にする俳句なのです。時には感動を、時には滑稽を。。。。言葉にします。
先にこの本は「詩人銀色夏生」の本ではないと書きましたが、常に詩人の目で観ることは間違いないし、写真にしろ心に焼き付けた一瞬の風景は後に詩集となるかもしれません。常に詩人の目を持ちながらまた違った視線でのエッセイなのです。詩人の目で常に見ながらも言葉は日常的。
こう書いていくと、なんだか堅苦しいような気がしますが、そこをしっかりと見ながら読むことによりこの作品の楽しさや、フフフ・・・・と笑ってしまうような面白さがわかるのではないでしょうか?ですから純粋に温泉めぐりの本、いろいろな体験というもの自体を楽しめて、この温泉に行ってみたいなぁ。。。と、読者は普段着の視線で吸収の温泉の良さを見ることになります。たぶん温泉好きの方が読んでも面白い本だと思います。
「家ができました」や「庭ができました」という作品もその家や庭の専門の方が読めばその視点での銀色夏生が見えることと思います。今回の南九州のすばらしさも。家も庭も、そして日常の風景を見る目も銀色夏生の作品なのです。
九州に行くことがあったら必ず寄ってみたい温泉が。。。。。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
菅総理が代表に再選されましたね。
結果は菅総理圧勝とのことですが、国会議員票はほぼ同数ですから、ねじれ国会も大変でしょうが、ある場合には民主党ないでも大変だと思います。勝因は地方議員と一般党員とサポーター票です。この意味で国民にわかりやすい政策を直ちに表明すべきです。もちろん「国民の生活重視」からです。
第1に雇用、第2に雇用。。。。。この面でしっかり目に見える政策が必要です。これまでの自民党政治のように企業が立ち直る中に雇用もあるといったものはやめたほうがいいです。
普天間基地問題は、将来的な軍縮として海外に移転するか縮小しながら廃止するようなものをオバマ大統領と腹を割ってお話してみては?核軍縮とリンクした通常兵器の削減を日本は提起すべきでは?
生活面では、これからは家族が食っていく上で共働きや子供たちのバイトに頼らなければならないものが増えてきます。税制面での扶養の限度額を200万円ぐらいに引き上げ、同時にパートやアルバイトの正社員並み(働く時間の自由の本来の姿)の時間給の法制化をただ一つやるだけでも違うと思います。
さてこれからどのように日本は進むのでしょうか?内需による経済対策かますますデフレが加速するか。。。。

数日留守のします。

【2011年】ツイッターつぶやき
     拝啓  川上弘美 様
東京日記を拝読させていただきました。
イグアナも食べて食べられない動物ではないと思うのですが、布団の上に乗せてイグアナの丸干しというのは珍味すぎますなぁ。
寒い時期ならイグアナも体温を上げるために日光浴ということもあるかと思いますが、東京はまだ残暑厳しい日が続いています。体温30度のイグアナですかぁ。。。。なんとなく部屋に連れ帰った時のイグアナのぬくもりを掌に感じる感触を想像してしまいます。少し冷めた焼き芋でしょうか?
団地の一室に日々過ごす奥様達、「トカゲ」を思い出します。
きっと何かいい秘密があると思います。隣の奥様の無愛想は取られては困るから。。。。
それにしても「アイドリング」にふられてご愁傷様です。
鮪の刺身をなんだかんだと理由をつけて5歳の子供に食わさないお父さんの気持ちよくわかります。。。。。。

         敬具

残暑もあと1週間ほどらしいですが、イグアナの丸干しでも食べて、いや逃げられては仕方ないですから何か精のつくものでも食べて秋らしくなる秋をお楽しみください。日が短くなり夕焼けがきれいになってきました。アイドリング君もどこかで同じ夕焼けを見ているかもしれませんね。

【2012年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞「天声人語」に中東での反米デモについて語られていた。
引き金となった「預言者ムハマドを屈辱する映像」とはどのようなものかわからないが、「偏見を通り越して、暗い憎悪が透けて見える」ものとの解釈。
以前にも牧師によるコーランを焼くという事件があったが、まさに挑発的な行為なのだろうか?中東の指導者は「挑発に乗るな」と国民に冷静さを求めているようだが、感情に火をつけられた国民が収まるかどうか。。。。。
この挑発とはまた違う視点が必要と思うが、日本と韓国、日本と中国の領土問題もよほどその解決に向けては注意が必要だろう。それぞれの国にはあることがきっかけになって大きな騒ぎになる国民の要素がある。現実に日本の尖閣諸島の国有化により中国では反日運動が広がっている。
また先の野田総理の韓国大統領への親書問題もある意味火に油を注ぐようなものになっている。
挑発的な言動は慎む、挑発に乗るなという事は大切なわけです。広い解釈として。
やはり天声人語によれば、米軍幹部の教育機関で「イスラム教徒の市民には空襲のような無差別攻撃が許される」といった言葉があったらしい。「空襲のような無差別攻撃」。。。。これは日本も経験したし原爆まで使われた。挑発行為はいつ戦争という形に進むかわからないものがある。互いに対立した国家同士でもそこにはルールというものがあり、互いの国の国民に対する侮辱や挑発行為は行わないことが大切なのです。国民の間には互いに敵対するものは何もないのです。同じ利害の中で自国での幸せを望むだけなのです。そういう国民を挑発してはいけない。

【2013年】ツイッターつぶやき
ここで言う「擬制」とは、法律関連の言葉ではなくて広義の意味での犠牲擬制です。
ある意味「神話的」的なのです(左記リンクページ参照)。そしてある意味風評的でもあるのです。
民主党政権時の野田総理による「原発事故は収束している(収束に向かっている?)」あるいは最近の安倍総理による汚染水問題についてのオリンピック選考会での「汚染水は完全の遮断(ブロック?)されている」という発言にも疑義が出ています。トリチウムという水に近い核物質の問題も出ているようでこれを取り除く具体策はまだないようです。そして事故原発の港湾は遮断されていないとも。
経済は経済の立て直しが進み、デフレからの脱却も近いように言われていますが、この景気の回復を前提とする消費増税では増税分の3%のうち2%(5兆円)を景気政策(成長戦略として)に当てるとされ始めています。結局景気回復やデフレからの脱却には遠いわけです。
社会全体にもなんとなく明るさが見えてきているといった雰囲気もあります。特にオリンピック2020年開催はそれを後押ししているようです。もちろんスポーツの祭典として純粋な意味でのオリンピック開催は明るいニュースだったわけですが、しかしこのオリンピックの成長戦略上に乗せられて経済の面が強調されています。この「明るさ」が真に国民生活へのそしてその中からの心や気持ちの安定に直結するかと言えばそうでもない。賃上げなどは具体的政策もないし話題にも上らなくなっている。
今の日本の政治はやはり「擬制」の明るさの中にあるのではないでしょうか?
この擬製の明るさが「神話的」にもなり、人々の言葉として広がることは「風評的」ですらある。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「洗濯機は縦型?ドラム型?」
我が家は縦型です。
時々コインランドリーに行ってドラム式の洗濯機に中を眺めていますが、中が見えていい指導も節水になっているような気がします。もう少し小型化してしかもたくさん洗えるドラム式が出ないかなと思っています。
縦型洗濯機と言っても昔から進化していますね。
昔は脱水機がついていなかったので、ハンドルをくるくる回して洗濯物を二つのローラーに挟んで絞っていました。脱水気が付くようになってからは2層式でした。洗濯が終わると横についている脱水機に洗濯物を写して脱水。案外これが面倒で洗濯物は絡まっているし重いし、冬は手が冷たいし。。。。。もちろんマイコン制御はついていませんから、手動でダイヤルを回し手タイマーを、洗濯、すすぎ、排水、すすぎ、脱水をしていました。
1層式が出てからは便利になりましたが、洗濯物が多いときは絡まって均一にならず、洗濯機がぶるぶると震えたり時には踊りを踊りはじめました。
今はマイコン制御の全自動で、脱水の時に踊りを踊ることもなくてうれしいです。
でも、このマイコン制御が曲者で、これが壊れただけで修理に金がかかる。2回ほど修理したら安い洗濯機なら帰るのでは?
そういえば。。。。。
発売になってすぐに消えてしまった洗濯機がありました。
洗剤が要らない洗濯機です。
眼鏡屋さんに行くと超音波のようなもので眼鏡をきれいに洗ってくれる機会がありますよね。たぶんその眼鏡洗い機を大きくしたような原理ではないかと思います。
なぜすぐに消えてしまったのか。。。。。
洗剤が要らないというのが反発を生んだのでしょうか?洗剤企業などは困りますよね?
洗剤を使わなければ節水にもなるでしょうし、何よりも川や海の合成洗剤での汚染が少なくなるでしょう。
今は技術も発展していますから、あの当時よりも洗浄力もアップした洗濯機が作れるのではないかな。。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記「ひとすじの赤。」が更新されました。
今年は暑かったですね。
熱中症の危険が言われる一方で暑さの記録更新がうきうきと報道されていました。
よく病気自慢というものを聞きますが、暑さ自慢もまた同じような心理なのかもしれません。
今年の夏も麺類をたくさん食べました。
僕も、そうめん、冷や麦、うどん、そば、ラーメンと、飽きないようにローテーションを組みました。
ひとすじの赤。。。。。。
最近は冷や麦の中にひとすじの赤や緑がなくなりましたね。。。。。
白い麺の中に数本色の入った麺が良いアクセントになります。この社会も同じ色に染まってしまう傾向がありますが、その中にひとすじの赤も必要ではないかと思います。
ひとすじの赤は頑なさ。。。。。
でもそれは彩を添えてくれます。

【2019年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記「今にも何かが生まれている。」が更新されました。
高校生の時、サッカーの試合中ボールが思いっきり顔面に当たってしまい退場したことがある。ベンチに帰ると仲間が「夕螺、鼻が曲がってるぞ!」と。びっくりしたが鏡もない。仕方ないのでどっちに曲がっているかを聞いて鼻を握ってまっすぐに直した。しかしそれ以来少しだけ鼻が曲がっていて、左の鼻の孔だけがよく詰まってしまう。
鼻の中に何かある?
鼻づまりぐらいです。
日本人はほとんどの人が曲がっているそうなので安心した。。。。。
まぁ。みんな何かしらのボールが当たっている?そんなことはないでしょうが。
川上さんも鼻が曲がっていて何かあると言われていたようですが、何もなくてよかったです。ダンスの先生からは暑さの中ドロ~ンとダンスをしていると何かが生まれる?と。。。。
「何かが生まれる」?
もしかして。。。。
男の僕にはわからない感覚の言葉かも?
次から次へと生まれる女性たちの言葉。。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
コロナ騒ぎで不要不急の外出を自粛することに慣らされてきているのかもしれない。
感染防止のために必要なことなのですが、同時に自分の生活を見直す機会にもなっているのかもしれません。
ソーシャルディスタンスも感染防止と同時に余計な人間関係を見直す機会になっているのかもしれません。
こうなると、不用無益なものが見えてくるかもしれません。
不用無益なものを避けるということはお金の支出を抑えることになります。コロナ騒動の前から経済は落ち込んでいてデフレ不況の中で苦しい生活を強いられていましたから、経済面でも不用無益なものは節約せざるを得ませんでしたから、コロナ騒動はよい機会になったのかもしれません。
いつもはいているジーパンに穴があきました。今は穴の開いたジーパンもファッションになっていますが、さすがに親父が穴の開いたジーパンもはけないので買いに行きました。たしかにコロナ感染の怖さもありますが、ずっと衣類も買っていませんでした。買わなければ買わないでどうにかなるものですから不要な支出をしないで済むことがよいように思いはじめています。
外食も必要最低限になり、家でいろいろと作る楽しさも出てきました。
生活の中でいろいろと不用無益なものだったことが見えてきます。
案外社会全体が不用無益なものを断捨離するようになってきているのかもしれません。
コロナがひと段落すればまた元の消費にある程度戻るかもしれませんが、全く同じようには戻らないような気がします。日本経済そのものが、金がまわらなくなっているのですから。
もちろん寝て食ってという生活だけではない生活の楽しみがありますから、その人にとって大切であるモノを楽しみつつ、世間が騒いでいるからといった同調したものは捨てていくかもしれません。自分の好きなものを大切にして。。。。

【2021年】ツイッターつぶやき
日本の低賃金化はこれまでも言われていましたが、ここ10年の間に低賃金化がどのように進んだかが東京新聞の記事としてありました。
2009年から2020年の間に
最低賃金以下     3.3%から 6.2%へ
最低賃金の1.1倍  7.5%から14.2%へ
最低賃金の1.2倍 13.4%から23.7%へ
最低賃金の1.3倍 19.5%から31.6%へ
これは不安定雇用者だけではなくて一部正社員の中にも起きているようです。
最近はあまり聞かなくなりましたが、依然ワーキングプアーという言葉がありました。
一生懸命に働いても生活は楽にならない。
この低賃金層の増加は絶対的な低賃金化の現れですが、低賃金層の増加は労働者の中での格差も上昇したことになるでしょう。もちろん富裕層との格差はひどいものになっていると思います。

【2022年】ツイッターつぶやき
アメリカの物価高を見て経済が好転していると勘違いをし、物価高を経済の過熱からのインフレとして見ることは逆立ちをしている。アベノミクスと日銀緩和を見ても、物価が上がることは良いことだとして原油高までも好感を持っていた。物価が上がるには経済の好転がなければならないがその材料がないにもかかわらず物価を上げること目的化してしまった。やはり逆立ちをしていたのです。
リフレ派の経済学では物価が上がらないのは貨幣量が少ないことに原因を見て量的緩和を進めた。実は消費の伸びが減少して貨幣の回転が鈍くなっているからでした。そこに大量の貨幣量が投入されれば貨幣価値が下がった悪貨が出回る。すると貨幣の回転を政策的に進めれば悪貨が大量に出回り物価高となる。商品価値は貨幣量によって決まるのではない。商品価値が一定の時に悪貨が出回ることにより高い貨幣量で表されるだけである。
アメリカは中国との経済戦争で中国の商品に高い関税をかけた。すると政府により保護された産業は、中国の高い関税をかけた商品価格まで値上げをできます。これにより商品価値を悪化により表現することが加速する。
同じ商品量を生産しなくても値上げされれば企業利益は守れる。そこにコロナによるパンデミックが起きた。商品の生産量は減少するが、これを企業は値上げによって穴埋めをする。生産量はコロナ対策の規制を解除してもそうはすぐには戻らない。企業の設備投資はそうは積極的ではないでしょう。さらに物価は上がる。
物価対策で長期金利の利上げが起きる。
庶民の消費を抑えて貯金に廻そうとするが、アメリカの場合は投資に向かう。
実体経済を伴わない投資の過熱は金融バブルの崩壊につながる。
まだ貯金や投資ができる国民ならまだよいほうで、多くの国民は物価高の中で消費を減らさざるを得なくなる。
アメリカの経済は近いうちに崩れるでしょう。
すると円安は円高に向かう。しかし、経済的運命共同体の日本は大きな打撃を受ける。

【2023年】ツイッターつぶやき
処理水海洋投棄。。。。。。。
とはいうけれど。。。。。。
家庭生活の中で汚水が出ますね。
これを野菜くずや喰いカス等をきれいに処理して処理水にする。
フライパンなどの油は洗剤を入れて処理をする。
これをバケツなどにためておいて風呂の残り湯なんかで薄めて処理をして下水道じゃない雨水の側溝に捨てる。
なんか、これと同じじゃないかな?
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「9月13日という日」

2024年09月13日 08時09分17秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
(記事なし)

【2004年】
「センセイの鞄」
        文春文庫
        川上 弘美  著
ツキコさんとセンセイの再会から別れまでの物語です。
これといって大きな出来事が起きるわけでもなく、ツキコさんとセンセイはゆっくりした時間の中で酒を飲みゆったりと話をする。
この作品は、「月と電池」から最後の「センセイの鞄」まで、季節を感じるように17のお話が続きます。そのどのお話の中でも、ツキコさんとセンセイは酒を飲み話しをする。はじめは月刊誌で1年7ヶ月の間に連載されたもののようですが、その意味では、ツキコさんとセンセイのゆったりとした時間をそれぞれの物語として独立された作品として描いたようにも感じます。しかし、物語の発展はないようなのですが、ツキコさんとセンセイの心の動きが絶妙に表現されています。この心の動きこそがこの作品の物語性といえるのかも知れません。
教師と教え子という二人が一緒に飲める楽しさ、飲み友達としてもお互いを知り始めたことによる情、寂しさの中にお互いを求める人恋しさ、嫉妬、そして愛情に気付きます。この心の動きの変化からの愛情に若いツキコさんと老いたセンセイの性が表現されます。
ツキコさんは足を怪我をして先生を必要と思う。同時に先生が風邪を引いて寝込んだ姿につき古参は先生の寂しさを思う。この中に物悲しくも人の心の温かいものを求める人恋しさを必要な人を感じます。先生たちの集まる花見でツキコさんは同級生の男に誘われる。先生は元同僚女性教師に親しげである。ここにお互いの嫉妬があります。ツキコさんは、飄々としているセンセイに対して「期待は厳禁。。。」としながらもその愛情を高めていきます。それに応えないような先生も、ツキコさんを連れて元妻の墓に行く。先生は長く墓に手を合わせる。ここに先生の気持ちは整理されて愛情をツキコさんに向けることができ、不器用に「デートしませんか」とツキコさんを誘う。
この辺の心の動きが作品全体を暖かくさせ、ゆったりした時間を読者も共有できるのではないかと思います。
ツキコさんは、花見で再会した同級生に誘われる。ツキコさんもまんざらではない。もしかしたらツキコさんはその男と幸せな結婚生活ができたかもしれない。そんな迷いがツキコさんにもあったのかもしれない。しかしその男とのキスは握手と変わりないものだった。そんなツキコさんの気持ちにぐっと来ます。愛情を確かめ合った「正式なおつきあい」(先生の言葉)は3年で終わる。愛し合っている者同士の中で、死という別れほど悲しいものはない。どんなひどい別れでも生きていればいつの日か「元気だった?」と言葉を交わすことができる可能性はある。しかし死はこの可能性は0とする。先生の遺品である先生の鞄を開けたら中は空間だけだった。。。。悲しいです。ツキコさんは心の中で先生の声を聞こうとする。悲しいです。でも、ツキコさんの心の中、そして詠み終わった読者の心の中は暖かいです。
川上さんの作品は、まだ数冊しか読んでいませんが、今まで読んだ作品と「センセイの鞄」の違いというものを感じます。
「溺レる」をはじめ、男女間の愛を描いたものがありますが、ここでは生きた人間とした男ではなく、どこか生きているのか死んでいるのかわからないもやのかかった性の対象であるというような「男」しか出てこなかったような気がいます。「センセイの鞄」でのセンセイは生きていますね。
作品全体も不思議な世界という感じがあまりしません。ツキコさんはちゃんと生きていますし、センセイも生きている。
「キノコ狩 その2」の中でツキコさんは言う。
「でも、どのひとも、ほんとうに生きているひととして認識していなかった。生きて、自分と同じように雑多な時間を過ごしているのだとは、考えていなかった。」
ツキコさん自信、先生をきれいにたたんでしまっておこうという独占欲のような表現もありますし、「干潟ー夢」では幻想的な世界が広がります」センセイはこの世界を好み時々来るといいます。そして境の世界だといいます。現実の生きている世界と死の世界や無機質な世界の境かもしれない。そこでは、ツキコさんとセンセイは永遠に湧き出るカップ酒を飲み永遠の命があるのかもしれない。しかしツキコさんは、現実の世界に帰りたいという。3年の「正式なおつきあい」の時間の中に。川上さんの今までの作品は、この永遠ともいえる無機質な時間の中に人をおいたように感じる。このようなものを上のツキコさんの言葉として表現をしていると読むのは飛躍でしょうか?

風はもう秋風です。のんびりと釣りにでも行きたくなります。この季節、場所によっては大きなキスがつれます。数は出ないのですが、てんぷらにするとアジフライのようです。また、もうじきカレーも産卵時期になると思いますが、これも近場で釣れるということです。
これから買い物にでもと思いますが、今夜は何にしようかぁ?
クリームシチューというのもいいかな。メニューが決まるまでが大変です。

【2005年】
朝の天気予報を見ていたら、東京の最高気温34度!。。。。
たしかに暑かった。。。。
異常な残暑です。
車の乗ってエンジンをかけたらガソリンがほとんでなく給油警告ランプが付いていた。たしか旅行から帰ったときはだいぶ残っていたのに。。。。?まさかいくらガソリンが値上がりをしているとは言えガソリン泥棒ではないだろう(笑)
僕が満タンに入れると息子が乗る。ハハハ・・・・
それにしてもガソリンは高くなりました。130円ほどでしょうか。
アメリカのハリケーンの影響らしいですが、どうも素人にはわかりズらいです。日本で使う原油はほとんどアラブからだと思っていたのですが、なぜアメリカからの影響が強いのか?もちろん原油価格はアメリカの消費に大きくかかわるところがあると思うのですが、この世の中わからないことが多いものです。
これから寒くなってくるし、生活全般にかかわってきそうですね。

【2006年】
外食でした。
いつものラーメン屋さん。。。なんだかスープが甘くなったかな?
隣の若い男。。。酢豚の肉を残していた。ここの酢豚は好きなのだけど、味落ちたのかな?

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
排斥。。。。この言葉が適切かどうかはわからないが、例えば、今話題になっているコーランを焼くという行為や相手国の国旗を焼くといったものはこの排斥的行為といえるのではないか?
多くが怒りを抑えきれなかったり感情が前面に出たりした場合で、理性や論理が忘れ去られた行為。または扇動などにより大衆真理が偏ったものになってしまった場合もあるかもしれない。そして自分の考えを汚く強いだけの言葉で現す真理も。
あるいは昔からある村八分や今で言う「シカト」やイジメなどもこの排斥の部類に入るのだろうか?
感情や怒りで動く言動だからそこにコミュニケーションはできない。説明したところで強い汚い言葉が返ってくるだけで、こちらの言い分は聞く耳を持たない。
気をつけてみると、こういうものは日常の中にも入り込んでいるのではないか。
例えば政治家批判が「こんな総理。。。。」とか勇ましい言葉や印象付けの言葉で表現されたり、作家が書いた作品をただ「こんなつまらないものを書いて金を取るのか」とか。ひどい場合には「死ね!」とか。また、喫煙の害を言うにも「喫煙夫が妻を肺がんで殺している」というよう涙して論文を掲載するなども。これらは中身のない批判だったり、中身を正しいと信じ込ませる手段だったりもし、強いインパクトを植え込む手段だったりもするのではないか?
中身を知らないで同じような感情や怒りを持つ人々の言動をひき出す。同時にたくさんの人々の心に暗い影を落としていく。
こういった排斥の芽は、大きくなると排外主義へとなっていく。

僕は公園にたたずんでいた
初秋の木々はなお緑が濃かった
急に風が出てきて硬い緑の葉音
空には黒い雲が一つ
陽射しが途切れてまたさっと強い光が僕を照らす
見上げると天使の梯子が降りていた
僕はそのとき思ったんだ
君の上にも天使の梯子が下りてきているね
君はその梯子に乗ってどこかへ行くだろう
天使の導きという言う羽ばたき
僕の周りの濃い緑の葉音は
君の羽ばたきの風
僕はその風の中でまたたたずむ
たたずむ心はつながっているはず
僕がたたずみ君が羽ばたいても

【2011年】ツイッターつぶやき
先日のドライブの時もそうでしたが、もうカーナビに入れてあるCDのほとんどが古い曲ばかりになってきて聞き飽きたこともありラジオをつけることが多くなりました。
聴いていて改めてラジオというのは個性のあるメディアだということです。
昔から受験生がラジオの深夜放送を聴きながら勉強するというものがありましたが、仕事や何かをしながら時々耳を傾けるだけのラジオというのは良いものですね。そして深夜放送もそうでしたが、番組やパーソナリティーとリスナーの距離が近くてそこにコミュニケーションがあります。リクエストという特殊な番組編成はテレビにはないものです。この延長線にリスナーの一言の思いや意見が出る。そしてパーソナリティーの考えが。パーソナリティーもいろいろな分野の専門家(ミュージシャンであったりしますが)ではなくてリスナーとの距離が短いです。ここにあんがい思いや意見に素直さが出るのではないでしょうか。ここがラジオの一番の好さですね。
今、原発事故問題が色々なメディアでも言われていますが、ラジオは上にも書いたように専門家ではないパーソナリティーとリスナーとの会話になります。ドライブ中などいくつかの原発事故関連の話がラジオから流れてきましたが案外それがツイッターなどで出てくる意見があった。新聞やテレビではあまり読んだり見たりしない意見も。
ラジオもネット社会になり広告収入が少なくなっているといいますが、ぜひラジオの良さを生かして頑張ってほしいともいます。

【2012年】ツイッターつぶやき
20億円もの税金で尖閣諸島を国有化し、早くも船着き場をつくるなどという案も出ている。
日本は実効支配をいっそう強めるのが目的でしょうか。同時に国民に対しての意識付けも。
これに対して中国では反日の動きがさらに強まり、民間の活動にも支障が出始めているという。日本は尖閣諸島での日中間の問題はないとしているが、結果は両国の関係を悪化させるだけでしょう。一方竹島の韓国の実効支配には日韓間の問題であるとする。ここでも日韓の関係を悪化させるものが続いている。
領土問題の解決には、先日の朝日新聞に戦争による解決か互いの国同士の対話による相互に譲る形での(中ソ間の領土問題解決)解決しかないとありましたが、今の日中間の関係の悪化は悪いほうへと動いていることは間違いないと思います。
ただ尖閣諸島の国有化は、現在のような関係においては悪い作用しかしませんが、互いの友好が(たとえば経済関係など)深まり、その中から懸案である尖閣諸島問題を互いに譲る形で解決しようとなった時は、中国はもちろん日本も国有地として国の政策としてだけで交渉は早く進むでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
原発事故での健康への影響が心配されている。同時に健康への影響はないと言われもする。しかし現実に汚染された地域には住民の皆さんが帰れなくなったり除染が進んでいるわけで、これ自体を見ても健康への影響がないとは言えないでしょう。
汚染水問題では政府が新たに470億円を支出するという。東電だけではどうにもできなくなっているということでしょう。もちろんこれは東電を生き伸ばすためでもあるが。
今後の廃炉に向けても東電だけで行うなら電力料金が上がり、国が行うなら国民の税金が使われる。
汚染水問題はオリンピック選考委員会で安倍首相が汚染水は完全に遮断されているといったことから早急に汚染水問題を解決することが国際公約のようになっている。国内の問題だけではなくて国際的な問題になってくる。もちろん事故の収束も更に国際的に目が向けられるようになるでしょう。そして今なお故郷に戻れない人々の経済的精神的な苦しみ。
事故収束へ向けての作業員の労働問題(被曝)も無視できなくなってくるのではないでしょうか。
このように健康問題でも経済問題でも労働問題でもそして国際社会の中の問題としても「原発事故はたいした事故ではない」とはいかなくなっています。
この中で開き直りというものや経済の影響への懸念を優先させる動きもである。
これだけの事故の影響がありながら経済的な理由で再稼働を要望したり、汚染水問題もその経済リスクから考えられ始める。このような論理にもやはり原発事故はたいしたことではないといったところから出てくるのでしょうか?
原発事故での爆発や放射能漏れでの被曝で死んだ人はいないと以前から言われていますが、事故で直接何人死んだかも事故の大きさを示しますが、原発事故はこのような量的な事故のとらえ方ではなくて後の落ちまでの健康被害の恐れやそのための除染、経済的な損失と国民負担の増大等々を見れば原発事故は自動車などの事故にはない質の違う事故であることは間違いないでしょう。
やはり原発事故は過酷な事故なんです。
今後の事故への対処を100%完璧に行えるわけではない。ここから汚染水問題などでそうは金をかけなくてよいのではないかといった論理につなぐことにはならないはずです。
経済は成長戦略一本になっています。すべての資産はこの成長戦略に結び付けられる。ここから経済的な面での原発事故の収束にどのくらい資金が回るでしょうか?成長戦略の中からはそれは国民負担の増加でしか解決しない。成長戦略自体が国民負担を増加させながら。

【2014年】ツイッターつぶやき
「長引く不況からの脱却を目指す政治家が直面する困難を浮き彫りにしている。政治家が打ち出す施策といえば「デフレマインド」の払しょくや景気回復への期待といったように、実体経済よりも国民心理に働きかけるものが目立つ。」(「日本人は暗い将来像、楽観的見方は44カ国で最低」より引用)
安倍政権発足時から感じていたのが国民へ「期待」を持たせようという言動だった。もしかしたら第一次安倍内閣の時も同じだったのではないかと思う。
期待だけではなくて、日本の誇りだとかといったものもそうだと思う。
また中国や韓国との対立からの日本の危機や歴史認識を作ることからのある意味愛国心の呼びかけ。その総体が戦後レジームからの脱却だったのでしょう。
それに応えて一部の国民も愛国的な言動が増えていった。
しかし日本の国民全体から見れば、この引用したサイトにあるように生活や社会から受ける意識からは楽観的にはなれないという状態になっているのだろうと思います。
賃上げへの期待を国民は膨らませましたが結果は実質賃金からすれば低下をしていった状態。本来オリンピックが決まれば50年代のように国民の心も膨らむはずでしすが楽観的な心になれない。オリンピックが開かれようとしても経済成長の夢を持つ時代と今の景気の改善が見えない時代とでは違いが出ます。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
以下、ツイッターからの転載です。
「英研究チームが分析 貧困がもたらすいびつな独裁者待望論」 (日刊ゲンダイ)。。。貧すれば鈍すではなくて、鈍すれば貧すで、鈍とは学歴ではなくて、なぜ貧困になるかという社会の仕組みがわからないだけ。ここがわかれば民主主義を理解
貧困は自己責任ではありません。かといって労働者同士で搾取しあっているからでもありません。世代間格差や男女間格差、官民格差、学歴格差がなぜ生まれたのかの理解が大切という事です。より多くの国民をいがみ合わせながら貧困のままにおいておくことが必要な人々はどういう人か?ここを「知る」こと
様々な格差がある中で例えば男女間格差は男が必要以上の贅沢するほどの賃金を得ているから女がその分我慢をさせられるという事ではないことは明白でしょう。世代格差も同じです。年寄りが贅沢するから若い人が貧困になるのではない。ここをしっかり知るべき。そうすれば格差でのいがみ合いはなくなる。
男も年寄りも貧困な人は貧困なんです。男も低賃金で働いていますね。年寄りも現役時代は低賃金だった。団結して賃上げを行わなければならない。雇用形態格差は、正社員が悪いのではない。正社員を敵にしても何の解決も生まれない。同時に正社員は非正規をないがしろにしてはいけませんね。ブーメラン。
社会の常識は、政治・企業・学校・知識文化人・有名人そしてマスコミなどなどが作り上げていって一般庶民が拡散します。その常識を一度疑ってみることが必要です。しかし、例えば歴史の事実について疑うこと自体は必要ですがそれをなかったと一言で片づけて常識化拡散することは間違いですね。
社会の常識をある程度認めなければ生活できない面があるのですが、生活をしながら疑ってみることは必要でしょう。それをやらないと貧困の原因も格差の原因も知ることができません。そしてその自己責任で貧困や格差はあるという常識から抜け出せません。
この常識から抜け出すことが社会を発展させ経済も発展させることになるのです。常識に縛られている間は新しい知識も考え方も生まれませんから発展はないのです。がんじがらめの身動きのできない中でこの新しい発想や考え方は生まれませんしつぶされますね。結局社会を悪くしていきます。
資本主義的競争とはいっても新しい発想や考え方が縛られつぶされるなら競争に負けますね。今の政治や経済理論は逆立ちをしているのです。経済の好転はインフレをもたらす。だからインフレをつくれば経済の好転となる。というへんてこな論理で社会は動く。新たな発想や考え方が社会の中でつぶされる。
労働者の生活が労働の生産物であるすべての商品やサービスを消費する。この発想や考え方を新しく作り上げなければなりません。ならば貧困や格差はなくさなければならない。すべての国民が今の社会の生産力において平均的な生活を送らねばならない。すると鈍すれば貧す・貧すれば鈍すの悪循環はなくなる

【2018年】ツイッターつぶやき
bloombergに「人生100年時代、高齢女性にはいばらの道」という記事があった。
以前高齢者の熟年離婚が増えているという事が言われていた。また女性の生き方としての専業主婦についても多くが語られている。
しかし現実として、ずっと専業主婦であって離婚をしたときの老後の生活がどうなるか?
これが深刻な問題となっているようです。
65歳以降にある程度の収入がある仕事にはつくことが難しいらしい。人手不足が言われていますが、女性に限らず高齢者の就職は低賃金のアルバイトぐらいなのかもしれません。それもあればいいほうなのかもしれません。でもいつかは働けなくなり人生は100年に。
bloombergの記事はこの実態を書いているのでしょう。
女性の活躍などと安倍政権は言っていましたが、相変わらず女性が結婚をし出産をしても働き続けられる条件は改善されていません。また安倍政権は保守的な家庭を大事にしろという方向にあります。これは両親の介護や子育てを女性が背負い込むような実態を作り出します。
こういった今現在の社会がbloombergの記事の実態を産むのでしょう。
百歳まで生きられれば幸せですね。
特に女性は百歳まで生きられる可能性が高い。
しかし百歳まで生きる生活の実態は。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
あおり運転の事件が多くなっています。
このような行為は許されるものではありません。
しかし一つ気になるのがニュースなどでの動画を見ると、高速道路など右側車線でのトラブルが多いような気がしますがどうでしょう?
高速道路の右側車線は追い越し車線ですから、のんびりといつまでも走行しているのは道交法違反です。これを徹底させる必要があるでしょう。中には右側車線に入ってから左側車線の車に並行してずっと走っている車さえあります。これを意識的に行えばこれもあおり運転でしょう。
また右側車線をずっと走り続ければ左側車線からの追い抜き(これも道交法違反ですが)を誘発して事故の原因にもなるでしょう。
右側車線をのんびりと走り続けるマイペースも知らぬ間に後続のドライバーをイライラさせます。みんな我慢してくっついているしかないですね。
我慢できなくなれば左車線に移って前方の車に追いつてから右側車線にうつる。こうして結果は左側からの追い抜きに。これしかなくなります。こうでもしないと渋滞がはじまります。
この後続車のイライラやある時には怒りが爆発して一部のドライバーがあおりになってしまうことも考えられます。
あおり運転は悪いですが、後続を走っているドライバーがイライラしていることも確かです。
最高速度で走っているんだから何が悪い?追い抜くやつが違反だろ?
でも、追い抜きをする意思もないなら、それなら左側車線をキープすべきです。
先にも書いたようにあおり運転を擁護する考えではないですが。
(ツイッターより)

【2020年】ツイッターつぶやき
鶺鴒鳴(せきれいなく)9月12日頃(七十二候
セキレイは街中でも時々見る鳥ですね。
我が家の近くでも時々見かけますが、せわしなく歩き回ってます。
街中で見かけるセキレイはハクセキレイという仲間だそうですが。
ツバメが去って、このセキレイが町に戻ってくる季節なのでしょうか。
どんな鳴き声だったかと思い調べてみたら”小鳥”でした。。。。
セキレイは「恋教え鳥」という異名を持つそうで、イザイナギ・イザナミに男女の行いを教えたそうで、生涯仲睦まじくつがいでいるそうです。
夜風が冷たく感じられるようになりました。
タオルケットでは淋しいので夏掛け布団を出しました。

【2021年】ツイッターつぶやき
コロナワクチン接種率80%のシンガポールで新規感染者数の増加に陥っているという。
規制の緩和を行ったようですが、80%の接種率でも抑え込みは無理だったようです。
日本は50%程度で、若い人の接種率もだいぶ低い。この中で日常生活の規制を緩和するようです。
11月ごろには若い人への接種が進むそうですがやはり新規感染者増を抑えることは難しいでしょう。
シンガポールの新規感染者の増加は未接種の人の感染かあるいはワクチン効果が減少する中での増加なのかで違いが出てくるでしょが、どちらにしてもワクチンだけに頼るコロナ対策は破綻しますね。

【2022年】ツイッターつぶやき
熊本のおいしそうなレンコンがありましたので買ってきました。
少し高かったのですが、辛子レンコン用でしょうか?
5ミリほどの厚さに輪切りにして、みじん切りの大葉、塩コショウ、卵の黄身、小麦粉を入れてよく練って挟みました。これを天婦羅にして醤油で食べました。揚げたてを塩でつまみ食いしたのですがこのほうがうまい。やはり揚げたてがいいですなぁ。
反省点。。。。。。
レンコンはもう少し薄いほうが良かったような。
醤油をかけるのではなく天つゆも作るべきだったか。
関東ではこれからがレンコンの旬のようです。
レンコンは、免疫力をあげて動脈硬化を防ぎ、肌や骨を丈夫にするようです。
ワクチンの後遺症予防にいいかな?

【2023年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記」が更新されました。
オートミールって、なんでしたっけ?
夢のお告げでこのオートミールクッキーを作る川上さん。
辛党の川上さんは甘いものは苦手のようですが、なぜクッキーを?
クッキーもあまり固いとうまくないのでしっとり視野した方がうまいですが、どうも柔らかすぎのよう。。。。。
「柔媚」
なんか、なまめかしいような柔らかいクッキー・・・・
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「9月12日という日」

2024年09月12日 10時48分19秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
子供達は学校でまだプールの授業があるようですが、水に浸かっても気持ちがよいだろうと思われるような陽気です。
朝のうちは風もなくて蒸し暑かったです。
先日からだがだるくて近くの医者の通院しましたが、そのとき一応肝臓機能の検査をということで採血をしました。結果では異常無しとのことでした。よかった。。。。
でもたばこの本数を聞かれ、あきれかえられてしまいました。たばこをやめるか、せめて本数を減らせと、僕にとっては無理なことを言われてしまいました。でも、体のことを考えると。。。。。
たばこと肺ガンの因果関係はあるそうですが、まったくたばこを吸わないという知り合いが肺ガンでなくなったそうです。たばこは悪いのでしょうが、それよりも車や工場からなどの排気ガスがもっと悪いのではないかと思ったりもします。
と、自分で言い訳をしながらたばこを吸っています
(^_^;)

【2004年】
昨夜はポルフェノールを多く摂取しすぎました。。。。
甘口のワインでぐいぐい飲んでしまいました。だんだん涼しくなってきましたのでビールよりワインがうまくなります。
そういえば巨砲が安くおいしくなりました。

【2005年】
会社組織でたとえれば、自民党は経営者組織で、民主党は管理職者組織といった感じです。一般社員は、二者択一でどちらがよいのか外から判断する。
今回の選挙では、この経営者組織が圧勝したわけで、会社は強固な体制が出来上がり組織としては安定した経営基盤ができたということだろう。
しかしこの組織的な安定した経営基盤というのが落とし穴になりかねない。
企業は、組織的な意味では安定した経営基盤をもとに、リストラを重ね、正社員を削減する代わりに派遣社員やアルバイトという人件費の削減を行えたわけだが、それが案外落とし穴だったわけで、デフレから脱却できずにつぶれたり会社の再建を迫られたりもし、経済的な意味での経営基盤が揺らいでいたのではと思う。その中でまさに強固な組織的経営基盤を持つワンマン的な経営者の衰退も話題になった。
生産・営業現場を見ずに、ずっと経営者的発想ばかりで社会を見ていると案外矛盾が出てくる。
郵政民営かもこの間の企業のやってきた流れの中での国家版ではと思う。
経営者組織と管理職者組織の二者択一の中に生産現場(庶民生活)はますます見えなくなるのではないかと思う。ようは経済であって、そこには外交などの枝葉があり、この経済があってこそ組織的な意味での安定的な経済基盤の行く末もあるのではないか?
自動車は、アクセルを踏んでハンドルをきれば走り出す。しかし、時にはブレーキを忘れると大変な事故につながる。このブレーキというのが、会社では生産現場の声であり従業員の生活であり、国としては庶民生活なのである。

【2006年】
肌寒いような一日でした。秋雨前線。。。。
23日は秋分。。。この日記も秋になります。
8月に入ってからひと月が早く感じます。あっという間の8月でしたが、9月も早い。。。。12月に向けて加速度がついてきましたなァ。。。。ううう
小さい店でゲバブを買おうと並んだ。肉はチキン、ビーフそしてマトン。。。と、迷うところ。前に並んでいた女の子も迷っている。ぼうっと悩んでいる。。。。お店の人が、お肉は何にしますか?と。「どれがおいしいですか?」と女の子。店の人も困ってしまったみたい。まぁ、迷う気持ちはわかるが、「好みなんだよ!」とツッコミを入れたくなった。「これはまずいです」なんて言うわけないだろ。。。!(腹がへっていると、気が荒くなる)

【2007年】
朝日新聞朝刊を見て笑ってしまった。桝添厚生労働大臣。。。。
厚生大臣としては、ご自身のお母様の介護から高齢化社会や介護問題には経験からのお気持ちがあったのでしょうが、労働大臣としては、今朝の朝刊では、ホワイトから・エグゼンプションは、「家族団らん法案」「早く帰ろう法案」だとわけのわからないことを言い出した。そして「日本は労働生産性がむちゃくちゃ低い」とも言ったらしい。これに対して「さっさと帰れるぐらいなら過労死はおきないはずだ」とツッコミを入れられて釈明をしたらしい。
桝添大臣は、こういうべきだった。
「ホワイトカラー残業禁止法案を出す」と。これならまだわかりやすい。これこそ「家族団らん法案」だろうに(笑)
要するに競争に打ち勝つためには働きなさい。その成果配分のためには残業代などは払いませんよということなのである。
ある意味桝添大臣は、マスコミに期待された部分があったと思うが、年金をネコババした社保庁職員を牢屋に入れると豪語していたが一夜明けて尻ツボミになり、ましてや年金残高の金がどう使われ、どうなくなっているのかは追求できないで期待はずれの部分が出てきたのではないかと思います。
一方では、勤労者いじめはまだやるという。。。。
こんなことを考えていたら、夕方のニュースで阿倍首相辞任。。。。
なんでも、体調不良らしい。ニュースによればゲリゲリ。。。
阿倍内閣の崩壊を体調不良からと見るのもいいが、それは言い訳を支持したものだろう。また、一連の金と政治の問題からの大臣辞任ではない。
要するに、小泉政権の改革によりぶち壊された国民生活をどうするのかという尻拭いを出来なかったというだけである。ここで小泉再登板という可能性もニュースであったが、それは、参議院選前までなら自民党のウルトラCとしての可能性もあっただろうが、格差や貧困化が表面化した参議院選の結果が出た今となってはもう国民はだまされないでしょう。。。。
もう自民党内や民主党内には、新自由主義からの脱却を考える有力者はいないのでしょうか?それは財界の反発を受けそうですが、その反発も競争の中では企業も自由はないということですから、国民生活の不安定さからのデフレ脱却がうまくいかないという面での毒饅頭は食いたくないというのが本音なのですから、強力な政府主導も求めているのかもしれない。
もう勤労国民いじめはやめましょう。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
9・11。。。。。

アメリカ軍がイラクから撤収?

9・11テロの犠牲者

イラク戦争のイラク人の犠牲者

そして軍や自爆テロの戦死

どのくらいの人間が死んだんだろ。。。。。

そしてその犠牲で両国民の未来に

何が生まれたんだろ

残ったのは両国民の中の互いへの憎しみ?

そして悲しみを受ける人たち

アメリカ時間は今?

イラク時間は今?

日本時間は今、12日午後1時に

テロも戦争も同じで

今何時かという差があるだけで

同じなんだ。。。。。人々は生きているんだ

【2011年】ツイッターつぶやき
1年半ぐらい前の1月に西伊豆の宇久須で小鯵鮨をはじめて食べたのですが、あの味が忘れられなくて車を飛ばして行ってきました。
宇久須には何軒かこの小鯵鮨が食べられるお寿司屋さん(食堂)があるそうですが、僕のお気に入りは「元祖こあじ鮨総本店包丁処 八起鮨」略して「八起鮨」(笑)ですが、この「元祖こあじ鮨総本舗」というのが大事でして、どうもこの小さなお寿司屋さんが小鯵鮨発祥の地らしいのです。カウンターに6席ぐらいそしてテーブル席が3つほどのお店です。
店内には来店した人たちのスナップ写真がたくさんありましたが、1年半前もそして今回も僕のほかは。。。。
オヤジさんがのんびりと立ち上がって鮨を握ってくれました。
普通の鮨よりもシャリも小さくて小鯵・大葉・長葱・おろしショウガが乗っています。寿司飯は柿の葉エキスと蜂蜜が入っているそうで酸っぱさはあまり感じないのですが酢は入っているのか?おかみさんが食べ方を説明してくれます。醤油皿に醤油をとるのではなくて直接鮨に垂らして食べる。これがツウというもの。。。。その醤油のたらし方まで教えてくれました(笑)こだわりの鮨ですなぁ。。。親父も愛想がないしおかみさんも醤油のたらし方まで。でも小うるさいような感じはなくて落ち着いて食べられる店ですよ。
小が10個、大が13個乗っています。
癖になるおいしい鮨です。
今年はあの原発事故がありましたからやはり鯵といっても心配でしたが、伊豆半島の西側ですし、食品の放射線量を見ても0.3ベクレル(シーベルトではない)だったか程でしたので思い切って食べました。基準値の500ベクレルには約2000個は食えますなぁ(笑)しかし食い気には弱い男です。。。。
よろしければお近くに行ったときにでもお立ち寄りください。くれぐれも「元祖こあじ鮨総本店包丁処 八起鮨」ですよ!!

【2012年】ツイッターつぶやき
野田総理による大飯原発の再稼働に対しては多くの批判があり、再稼働に賛成するにしても手続き上の問題も指摘されている。このまま同じようなやり方での再稼働はできないだろう。
そこで急ぎつくられたのが人事案に批判が多く原子力規制委員会であり、国から独立した機関として原発の再稼働を行っていく組織である。
一方、原発ゼロへの意見が国民の多数の意見として2030年度までに原発依存をゼロにするというものも無視をできない状態になっている。
この中で、政府は30年「代」に原発をゼロにすることを決定しようとしている。その中身は40年を過ぎた原発は廃炉にし新たな原発は作らない。そして再稼働は規制委員会が決めていくというものである。
もちろん規制委員会は、政府案が再稼働を認めるのだからその中で新たな安全神話をつくりだしながら再稼働を進めるだろう。
原発ゼロという国民の意見を取り上げました。そして再稼働は専門家で組織する規制委員会が安全を判断して行います。という事です。
このように原発を再稼働できる仕組みが整ったわけです。
同時に原発をゼロにしたときの電力料金の値上げキャンペーンが始まり財界はいち早く原発是尾にまで反対をする。
再稼働ができる仕組みと同時に国民意識への揺さぶりが今の現状でしょう。
その中で僕たちは何をうったえたらよいのか?
民主党案ではたしか30年までに早急にとか前倒しで原発ゼロを進めるといった言葉が入っていたと思いますが、このそう急にとか前倒しで脱原発を進めるという中身を今現在が手続き上にも問題がある再稼働を中止させるとともに、原発ゼロの状態をどう維持するかが脱原発への近道であることを基本に据える意思統一が必要でしょう。電力は足りている。今後のエネルギー政策によっては温暖化防止も改善をする、料金体系も含めた値上げの反対など今の原発ゼロを基本に克服すべき課題を据えていくことです。
結局は、以前も書きましたが、脱原発か以前からは規制は強いが再稼働をしていくかの対立なわけです。
30年までは再稼働を認める。その再稼働には規制委員会の新たな安全神話をつくりだしていくというのは原発の維持のエネルギー政策です。将来の政権がどうなるかもしれないし、いや、すでに自民党政権に戻る可能性が出てきたわけですから、その中で政府の原発ゼロの考え方も法として残るとは限りませんしどうにでも変更されうるものです。結局は原発ゼロの方向性も具体的な再稼働とゼロの考え方も買えられていき、残るのは規制委員会という安全神話組織の暴走でしょう。
脱原発もこれからが正念場でしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
市場に出回る商品の価値は生産設備などの発達による生産性の向上により一つ当たりの商品に必要な労働力量が減って下がっていきます。これは戦後の日本社会を見てもわかります。電化製品や車などを見てもわかります。より低い賃金層にも買える値段となっていきました。市場での商品の価格は物価にも影響されますが、電化製品も物価が上がることにより価格も上がっていくのですが、同時に物価に合わせて賃金もある程度上がっていきます。同時になぜ電化製品をより低賃金層も変えるような価格になるあはやはり根底に生産性の向上による電化製品の価値低下があるわけです。
市場に出る商品は少なければ価格は上がります。また独占価格にもなります。しかしこれも生産性が上がることにより同じ労働力量がより多くの商品を市場に出すわけですから価格の低下と独占価格を抑えていきます。
以上なような商品市場の作用は、経済的な法則性といってよいでしょう。
生産性の向上がより安い商品を大量に市場に流れる。これはより多くの国民がその商品を手に入れることができるようになるのですから国民生活を豊かにしていきます。ですから生産性の向上は本来は国民生活を豊かにする経済法則なのです。
しかし今の社会はこの商品価格が下落していくことを経済が落ち込むことととらえられてしまいます。どう見てもおかしなことなのですが。
なぜ経済が落ち込むととらえられてしまうのか?
「過剰生産」での企業利益の減少です。
そこで企業は設備を縮小して失業者を出し、賃金を切り下げようとする。現在はそれを途上国の安い賃金を求めて国外生産を行う。国内の失業(製造業における就労者数の減少)と賃下げ競争による賃下げです。これは当然国内の消費力を低下させて商品の「過剰生産」を加速させるでしょう。消費が弱まることによる相対的な商品過剰。

【2014年】ツイッターつぶやき
慰安婦問題等を含めて福島原発事故での吉田調書の報道に誤りがあったということで社長を含めた記者会見があった。また、今朝の紙面においてあらためて読者も含めて謝罪があった。
記事に誤りがあれば謝罪することは当たり前でしょう。しかし同時に一部に誤りがあったとしても記事すべてが誤りだったのかといえばそうではないでしょう。特に吉田調書は公開すべきという世論がありそれを独自に入手して報道したわけですし、その後他の新聞社も入手して報道した。そして今回のこともあり政府も公表に踏み切った。その調書から事故時の緊迫した事故の重大性が伝わってきていかに原発の安全性が言われていても緊迫した状態になってしまえば人の手ではどうすることもできないし最小限に食い止めるしかないことがわかる。その最小限のことを吉田所長は行ったということでしょう。
朝日新聞が謝罪をしたのはこの事故が起きてしまった後の処置についての中身の誤報だったわけですし吉田所長の長所もここにあります。誤報は正しつつ朝日新聞はそこから何を修正して問題点を指摘するかという姿勢が求められます。
科学や政治も含めて人の営みは誤りを認めて修正をする中でより正しいものを作り上げる。この方法以外しか発展はないわけです。しかし誤りがあったとしてもそれもまたその誤りの中で修正をして吉田調書や慰安婦問題をさらに取り上げていくのがその責任でしょう。
原発事故時に何があったか?
それはその当時の設備面の限界の中で行われる。津波も低いものしか想定はなくて堤防設備は不備があったといわざるを得ないし、電源消失時のバックアップなどにも足りないものがあったはずです。端的に言えば原発の安全神話という中身においてしかその設備は整えられていなかったということです。
そうすると、その中で吉田所長が何にいらだち過酷な事故の中で与えられただけの設備の中で何をしたのかという視点で調書を読むことができます。
朝日新聞だけではないですが、これまでの原発の安全神話を鵜呑みにしてきたマスコミはないでしょうか?あるいはその安全神話をもとに原発推進を報道したことはなかったでしょうか?
そこをマスコミは「誤報」として改めねばならないでしょう。
もちろんこれまでの政府の原発推進政策に誤りがなかったかの調査が必要です。
これを抜きに事故が起きてしまった時だけの吉田調書やそこからの朝日新聞の記事ノア槍を指摘するだけでは足りないのです。
慰安婦問題も同じで、朝日新聞の記事に誤り(取材不足)があったとしても戦中の日本を正当化はできないわけですから、慰安婦問題は引き続き行われるべきものとして残るでしょう。そこに朝日新聞が戦争と女性の性という大きな視点とともに慰安婦問題のどこに問題があるのかを指摘し続けるのが責任の取り方でしょう。
朝日新聞の誤報はさらに安全神話や慰安婦問題の実態の真実を求めるものに発展していくでしょう。それを朝日新聞が自覚すかどうかです。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
「人生百年時代構想会議」の第1回会合が開かれました。
安倍総理は長く総理を続ける意気込みのようです。ドイツの首相は88歳まで続けて翌年死んだようです。
ですから今後死ぬまで働けが政府の考えとなっていくのではないかと思います。
年金支給年齢引き上げで、60歳支給から65歳支給になっていきます。民間は60歳以降は定年で再就職で低賃金に抑えられますが、どうも公務員は定年延長で65歳まで働けるようになりそうです。誰が考えても定年延長の方がより豊かな60歳以降を過ごせるでしょう。官民格差は広がりますが、公務員は人生百年構想に乗って生活ができそうですが、民間はそうはいきませんね。60歳以降も若い人に交じってきつい労働を続けられるかという問題があります。
すでに65歳からさらに年金支給年齢の引き上げという話が出ていますが、たぶん、その方向で動いていくでしょう。低賃金できつい労働で死ぬまで働かされそうです。
若い世代に社会保障の恩恵をというのが今回の「人生百年時代構想会議」の中心の一つですが、その若い世代が年金支給年齢70歳、75歳になるわけです。
その若い人の社会保障の恩恵の財源とされるのが、高齢者の就労でしょう。
安部首相は100歳まで生きる意気込みですが、民間労働者はどうでしょうか?
「人生百年時代構想会議」というのは結局は国民いじめでしかないものとなるでしょう。。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
ハフィントンポストに「”みんな”って誰だ?「個の時代」の先にある第三の”みんな”」という記事があった。
この記事の中身についてはまた読み返して考えたいが、「皆は・・・・」「多くの人は・・・・・」などと案外簡単に使う言葉ですが、そういえば、どういう意味での皆か多くの人なのかははっきりとしない。ある意味主観でのものである場合が多いのではないか?
ネット時代ですから、多くの人の意見が聞けるような環境に生きているようではあるが、案外限られた世界の意見を見ているのかもしれない。例えばツイッターならば、フォローという形で自分が「みんな」を選んでいるのかもしれない。ツイッターだけではなくて多くのサイトも皆同じような状態ではないか?
ここに個が出るわけです。
しかしこの個が一面個性的に見えるのであるが、個性的なのは様々な事柄が違うだけで、流れとしては同じ方向に流れているのではないか?例えばスポーツでいえばサッカーが好き、テニスが好き、野球が好きと個性はあるが、一つの流れとして応援が楽しいとか、日本頑張れとか一つの流れが見えうのではないか?こういった流れがあってそこにはまり込むと個性はなくなってしまう。
こういったことが社会の中で政治や経済をはじめ様々なところで出ているのではないか?
会社組織などでの個はどうだろう?
この中でみんなとかと言えば一つの流れの中にいるみんなで、みんなの意見あるいは働き方と値うとやはり流れの中で判断される。
みんなの中においての個とは?
一つの流れの中においての個を主張できることが民主主義や自由なのですが、この民主主義や自由を意識できるかで「みんな」と個の位置づけも変わってくるでしょう。

昔、社会党内で自衛隊の位置づけでの論争があった。
それが「違憲合法論」です。
自衛隊は憲法からすると明らかに違憲です。
しかし同時に議会制民主主義の手続きにおいての法としては自衛隊は合法という事になります。現実に自衛隊関連の法よって自衛隊は組織され行動をしている。国会内においてもこの法に基づいて議論は行われている。
ですから違憲合法論というのは現実から見ると矛盾に富むと同時に矛盾が現実に運用されはじめているという事です。
この矛盾をどのように見るか?
10月9日に「憲法」というものを書き、そこでこの矛盾についての会社を書きました。
憲法と現実とは乖離をしています。現実は法によってつくられていると言ってもよいと思います。ですから様々な社会の現実は、憲法と方途の乖離という矛盾に満ちているといってよいでしょう。自衛隊も例外ではありません。
ここで問題となるのは、憲法に書かれていることが正しいか、だたしくないかにあります。
憲法が現実に合わないから改憲というのは非合理的で危険です。社会の悪い部分を憲法にのせてしまう危険性です。
今の改憲論理は、まさに北朝鮮の危機を煽り、そして日米の集団的自衛権の悪用のなかで、その現実を憲法の条文にしてしまおうとするものです。
今の政府も言葉条は平和国家を言います。そこには9条を認めることにもなります。しかし現実の自衛隊の行動を合理的にするために改憲をしようとする。
さて、改憲が良いのか、違憲合法論が良いのか?
悪いほうに憲法を合わせるよりも、まずは合法的に動いている自衛隊の存在から平和主義によって自衛隊を必要としない社会を作り上げる未来を選ぶか。
もちろん違憲合法論は矛盾をしています。その矛盾を9条の理念に向けてなくしていくことが問われるだけです。

【2019年】ツイッターつぶやき
なんか、小泉新大臣が育休を取るかどうかがニュースの話題になっていますが、育休は取るのが当たり前です。大臣としての職務がどうのとなれば、今の男性が育休を取れない状況を追認してしまいます。
環境省の大臣が育休を取ったとしても厚労省には関係なくて男性の育休の取得率が高まり育休が取りやすくなるかといえばそうはならないでしょう。
小泉大臣ご夫婦の問題ですからね。奥様が専業主婦をやるかどうか?これも同じ問題です。夫婦で働き続けるのかどうか?そして子供は保育園に?そうはいかなければ誰が?その費用は?

【2020年】ツイッターつぶやき
ある小売企業が1億円の資本で仕入れて、この時の売り上げを1億3000万円とすると、1年にこの1億円という資本が1回転すれば1億円の資本が残り、3000万円の利益が出る。この1億円の資本が2回転したらどうでしょう。計2億円の仕入れで6000万円の利益が出る。
極端な例ですけど、利益というのは資本の回転を速めることにあります。
6000万円の利益を得たいと思い2億円の資本を投資するのではなくて、1億円の資本を2何回転させることが大切でしょう。
社会全体の資本を何回転させるかが大切なんですが、今の日本はカネが足りないとして6000万円井利益を上げるために2億円投資することばかりを考えて今した。これでは生産性は上がりませんね。
しかしこの資本の回転をあげるには消費が必要です。
ですから上記の小売業は労働者の数や賃金をあげなくてはいけません。しかし日本は労働者を使い捨てするまで長時間働かせて賃金を下げることをしてきました。この日本型経営が日本全体で行われれば当然消費は増加しません。消費がぞ押下しないのですから2億円投資をしても売れないのですから6000万円の利益など出ません。また資本の回転も落ちていきます。
過剰生産状態で企業は安く商品などを売ろうとしますから価格の下落も必然です。利益が少なくなりますから先の小売店では5000万円しか投資しなくなるという事態も生じます。
デフレ不況です。
日本も格差の拡大が生じています。
商品やサービスは最終消費財として消費しなければなりません。
400万円が平均的な収入(賃金)とすれば、この収入の人が自動車を買うときには150万すると150万円ぐらいのものしか買えません。すると自動車の平均的な消費の平均が150万円となります。自動車会社の資本の回転をあげるにはこの150万円程度の自動車が多く売れなくてはなりません。デフレ不況の中ではこの自動車の消費が減少しますから、平均的な賃金の10倍の4000万円の賃金(収入)がある人は150万円の車を10台消費しなければならず、100倍の4億円の人は100台消費しないと自動車会社の資本の回転は落ちていきます。
金持ちは有り余った自動車を車が必要でも買えない世帯に分け与えなければならない。
一つひとつの商品をこんな形で分け与える作業はできませんから、税を通した富の再配分という形をとるしかないでしょう。しかし日本は消費税での税収に頼り、その税収をさらに止める人や企業に再配分しますから自動車会社の資本の回転は上がりませんね。日本社会全体がこんなことになる。
デフレ不況はさらに深刻となる。

【2021年】ツイッターつぶやき
東京の新規感染者数の棒グラフの山と検査数の棒グラフの山とが相似しています。
積極的疫学調査というものがあるそうですが、早い話が感染者数が増加をすれば濃厚接触者も増加しますから検査数も増加するという関係にあるのでしょう。
これでは市中感染がどのくらいアイルの蚊いるのかが把握できません。
これからもう少し新規感染者数は減少するでしょうが、それに合わせて検査数も減ってきます。ですから下げ止まりが現れてある高い新規感染者数が続くでしょう。その中で緊急事態宣言解除や何かしらの経済対策などが行われて人流が多くなれば隠れていた市中感染者が急激に感染拡大として新規感染者数は増加傾向を示すようになります。
減少してきたときこそ検査数を増加をさせて市中感染者を隔離すべきなのですがこれは行わないでしょう。
また大きな山が来て3年目に突入するでしょう。
今回はワクチン効果があるとされていますが、2回接種をしても感染する人が増加をしていますしワクチン効果も薄れ始めています。
ワクチンの不信感も出ていますが、検査をリンクさせていかないとだめです。

【2022年】ツイッターつぶやき
安倍元総理の国葬がなし崩し的に進められようとしている。
国葬そのものが憲法違反だという批判や内閣での閣議決定で国会を軽視しているとか、そもそも安倍元総理の8年間の政治姿勢や国会の民主主義の形骸化もある。その中である世論調査では国民の半数以上が反対だとされ、多くのマスコミにおいても反対が多いという結果を報道している。
このなし崩し的な民主主義の沿わない進め方がまず反動化の現れでしょう。
そしてなし崩し的に進めるにあたっても安倍元総理の政治家としての貢献からの賛成意見がほぼ見当たらない状態であり、家柄がどうの、最長の任期だとか、、、、、
この判然としない安倍元総理を讃えるというものが正当化をし、あるいは死んだ人への弔意は当たり前だといったことから、国葬に反対する人々や参列しない議員などへの批判が世論のごとくつくられている。これが反動化の現れです。
吉田茂はアメリカとの講和を行い、全面講和を否定し単独講和を強行した。この面で保守層から讃えられて時の政権が国葬に。安倍元総理は、戦後の平和主義に逸脱しないようにしてきた安保条約の解釈をアメリカとの軍事同盟にまで改悪した。保守主義の現政権が国葬に。
国葬される政治家の姿こそに反動性がある。

【2023年】ツイッターつぶやき
植民地解放闘争がソビエトの支援もあり次々と独立する国が現れた。そこでアメリカは新植民地主義として旧植民地の軍によるかいらい政権を作り、アメリカ経済に編入していった。資源などを企業が独占的に支配をしていった。
最近では移民問題が大きく取り上げられているが、新植民地支配での途上国から安い労働力を移民という形で自国に持ってくる。奴隷制の名残でもある。しかし安い労働力が国内に入ってきた場合、自国の労働者の反発が出る。失業は移民により作り出されるという不満も。そこにポピュリズムとして結びつくのが極右排外主義です。そして正統派多くの国民の支持を得るようになる。
今、先進国そしてNATO諸国はこの右傾化に悩まされている。
ウクライナ問題は、ロシアの軍事侵攻として報道されていますが、基本は新植民地主義の犠牲です。NATO諸国に結びついてマイダン革命政府。排外主義はロシア人に向けられた。
コメント
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「9月11日という日」

2024年09月11日 08時04分55秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
今日も暑い一日でした。
昨夜月を見たら丸くなってきて大きくてきれいでした。そういえば草むらでは秋の虫が鳴きはじめています。昼間はまだ蝉の声。
風は涼しくなってきたし、今がいちばん良い季節です。

【2004年】
暇なので娘とスーパーへ買い物に行ってきました。
たくさんのレジが並び、おばちゃんたちがてきぱきと「ピッ、ピッ」とレジをこなしていました。しかし、僕の番になって「ピッ、ピッ」を見ていたら、玉子や豆腐というやわらかいものを一番下に置き、その上の野菜やら重いものを乗せていく。とどめにワインのビンを入れる場所がなくなったようでどうするのかと思い見ていたらぎゅっと野菜の間にねじ込んだ。。。。。一応玉子は割れていませんでした・・・・・ハハハ
川上さんの「センセイの鞄」を読み終わりました。素晴らしい作品です。。。。
これまで読んだ作品とは少し違いがあります。みんな現実に生きている。この生きることの中の恋。ここに違いがあるような気がします。「センセイの鞄」以降の作品が変わったのか?最近の作品も読んでみたくなりました。川上さんの作品なら文庫以外でも買ってもいいかな。。。。

【2005年】
投票に行ってきました。
いつもの選挙より若い人たちの姿が目立ちました。若いカップルがいっしょに投票。。。
いいことだと思います。
今までは、「選挙」というとダサいというような意識があったのでしょうか?でも、今回、どの政治家、政党に投票したにしてもこれから4年間は自分が投票した政治家や政党に目が向くことでしょうね。
今の世の中、だんだんと政治に無関係とは行かなくなっています。
15年ほど昔の「総中流意識」といわれた時代は、無関心でも中流意識は持続できましたが、今は若い人もそうはいかなくなってきています。

【2006年】
「八月の路上に捨てる」 伊藤 たかみ  著
<2006年上半期芥川賞受賞作>
角田光代さんの作品に、「みどりの月」「かかとの下」「エコノミカル・パレス」というフリーターと呼ばれる人々の恋と生活、人間関係を描いた「フリーターもの」という作品がある。
伊藤さんは、角田さんのご主人である。
電車の吊り広告に「フリーターの純愛物語」?というような作品紹介があり、角田さんと同じフリーターを扱った作品ということで、同じ題材を男女それぞれの作家がどのように描くのかに興味があった。
角田さんの「みどりの月」は、恋人と同居することになった主人公の女性が、いざ同居をはじめてみたら、そこにはあれた生活と戸籍上に残る妻とその恋人が同居しているという作品です。この同居するもとの妻は、精神的な異常さを感じるのだが、「八月の。。。。」においても、精神的に不安定な妻が出てくる。作品の設定上の共通点はあるのではないか。
角田さんの先に書いたそれぞれの作品は、激しい恋というような際立った盛り上がりのある作品ではない。そして「八月の。。。」もある意味平凡な一日を描いた作品といえる。そこには激しい恋愛があるわけではない。この点においても作品上の共通点があのではないか。
毎日の生活をぎりぎりのところで遣り繰りをし、そのような生活を維持するのにバイトに出かける。毎日が平凡に過ぎていく。その中の恋。。。。それもやはり生活の中にぎりぎりとなっていく。角田さんの作品も、この「八月の路上に捨てる」も同じ生活を描き同じ恋を描く。この生活や恋を角田さんは女性の立場で書き、伊藤さんは男性の立場で書く。それがご夫婦となるとなおさら興味を引かれるのである。
毎日の生活をぎりぎりのところで遣り繰りをし、そのような生活を維持するのにバイトに出かける。毎日が平凡に過ぎていく。その中の恋。。。
夏である。Tシャツは汗に濡れてそして乾き塩を吹き、首筋は汗のべたべたは汗の結晶になってざらざらとする。もくもくとして働く体の中には一方的な恋の心が。相手の心は恋なのか?人の日常にある1日という時間はドラマチックではない。汗を流して働くのも心の中の恋も淡々と流れていく。一日という時間が終わったとき、汗が引いていくのと同じように恋も終わる。こんな「フリーターの純愛物語」
敦は、缶ジュースなどの自販機に缶を補給しながら集金をするアルバイトしている。その日は正社員の女性水城と廻っていた。
敦は30歳で離婚届を明日出そうとしていた。水城は明日からトラックを降りて事務の仕事に回る予定であった。水城は最後の仕事を急ぐ。ルートを廻りきる営業所の最高記録を作るために。そして「もう一つの理由」のために。
平凡で単調な仕事の中にも二人にとっては一つの区切りの日であった。
そんな一日の二人の仕事を描きながら敦の過去とが絡み合いながら物語は語られる。
敦は、脚本家を目指すが、同棲していた女性が働き敦を支えていた。そのうちに籍を入れるが妻は仕事を辞めることとなる。敦がアルバイトで働き始める。この中で働いて稼ぐ側と支えられる側の軋轢が生じる。精神的にもどうすることもできないようにもなり離婚を。ここに男女間のすれ違いがある。
水城とトラックで自販機を廻る敦は、離婚届を明日出すこと、そして水城が明日にも会えなくなる地に離れて行くという、今日という最後の日を意識している。しかし水城は。。。。ある「もう一つの理由」を最後に敦に話す。ここにまた男女間のすれ違いがある。
この今日という一日の中での心のすれ違いと、過去の中での心のすれ違いが交互に語られていく中での敦の文字では書き表さない行間というものというのか、その表現にぐっと来るものがあるのである。
文藝春秋には、芥川賞選考委員のコメントがあるが、あまり高くは評価されていないようである。たしかに技術的には低いのかもしれないが、ぽつんと一人残る敦の心になんともいえないものを感じるし、小説の設定自体に隠れる生活そのものを感じ取れるのである。
「八月の路上に捨てる」。。。敦の心は、ある意味結末としてはリセットされたはずである。30年間の敦の生活の中での心を、Tシャツは汗に濡れてそして乾き塩を吹き、首筋は汗のべたべたは汗の結晶になってざらざらとする。もくもくとして働く体の中には一方的な恋の心。。。敦は照り返しの強いアスファルトの路上に捨てたのである。
その後、敦の人生がどうなるのか。ぽつんとたたずむ塩を吹いた敦の背中を見つめてしまう読後感が残る。

【2007年】
だいぶ日が短くなりましたし、ここのところ秋雨前線が。
さっき、東京は雷雨でした。
まだ蒸し暑さはありますが、夏の終わりを知らせる雷かな?寂しいですなぁ。。。でも、スーパーで買い物をしていたら、おばあちゃんが独り言のように「いつまで蒸し蒸し暑いんだろうねぇ。。。」と。今年の夏はお年寄りにとってはきつかったと思いますから本格的な秋の訪れは待ち遠しいのかな。
23日はもう秋分です。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
スーパーに買い物に行ってきました

ミニドライブを兼ねて少し遠くの大きなスーパーです

今夜は豚カツ用豚肉でチキン南蛮のようなものに

と、思ったのですが。。。

国産の豚カツ用肉がない

コウテイ病疫の影響もあるのでしょうが。。。。

あっても高いですねぇ。。。。

そのうちに国産肉というのは高級品になり

庶民の口に入らなくなるのでしょうか

仕方ないので国産バラ肉で煮物です

とぼとぼ店内を歩いていたら

某携帯電話会社のおばちゃんが。。。。

「パソコン、もって行かない?」ぶっきらぼうに

目を合わせたら「只だよ」

真に受けたら月額5,6千円の通信料を取られる

只より高い物はない。。。。「ネットいくら?」と訊くと同時に

「いらないよ」と答えてにらみつけてやった

こんなじいちゃんばあちゃん相手の

灰色(悪徳とはいわない)商売があったっけ。。。。
          (Pm4:39)

先日も書きましたが10月から煙草の増税が行われるようです。タバコの値上げ分があるのかどうかはわかりませんが1箱100円以上の増税になります。現在1箱300円として半分の150円が税金としても60%ぐらいの増税となります。
増税の理由は、消費税率を選挙前に菅総理が言いそれが敗因の一つだったと思いますが、増税というものは国民は敏感です。でも煙草税に限ってはこの増税はすんなりと実施されるのでしょうか?それは、いろいろな団体からもあるでしょうし国民の中で喫煙(受動喫煙)=肺がんという考え方が常識として浸透してしまう中で、健康増進、肺がん防止というものからの禁煙運動の一環としての増税だからです。禁煙をする人を増やすために税金という強権(国家のです)を行使するわけです。それには非喫煙者は何も感じないか応援する。またはこのやり方に非喫煙者が疑問を持っても煙草税増税反対はいえないわけです。
このやり方が何を意味するか?
今、格差社会が問題になっていますが、喫煙者の中に大きな格差が生じるのです。強権の思惑どうり煙草をやめようかという喫煙者の声が大きくなっています。それはなぜかというと金の問題なのです。喫煙者のほとんどはといってもいいと思いますが、増税の趣旨に沿って煙草はやめようという人は少ないでしょう。金がないからあるいはきつくなるから禁煙なのであり、これは何を意味するかといえば貧富の差による格差拡大なのです。年金生活のじいちゃんは「やめる」のではなくて「吸えなくなる」のです。
禁煙運動もいいでしょう。。。。しかし増税自体が格差拡大という問題を含んでいるのならどうでしょうか?そのやり方に間違いがあるわけです。間違ってないということになると、今後の税問題も含め、格差拡大をどうとらえていくのでしょうか?
このような増税による禁煙が間違いであり、「喫煙者の夫が妻を年〇万人(千だったかな?)殺している」とまで言っているわけですからなぜ禁煙法を作らないのでしょうか?
一つの理由に煙草が裏社会に出回り資金源となるといった方便を聞いたことがありますし、昔のアメリカの禁酒法の誤りの歴史もあると聴いたことがあります。しかしこれは言い訳でしょう。普通の人は刑事罰を受けてまで煙草は吸いません(1000円の罰金を受けた方はいるかと思いますが)。格段の禁煙が実行されるはずです。しかしそれはやらない。なぜでしょうか?
喫煙で妻を殺している実態にもかかわらずに禁煙法を求める動きはほとんど訊かない。
やはり税収なんでしょうか?禁煙法を作るまで煙草=肺がんに自信がないのか?
結局格差を拡大しながら税収を得るというやり方なのでしょう。国民を分断しながら。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
以前、窓際族という差別的ないじめのようなものが公然と口から出て公然と行われた。それは中高年層へのリストラという形でやはり公然と行われた。今でいえば公務員攻撃のようなもので、高い給料をもらっているのに働かないといったような決めつけがマスコミの中にも出てきて、この高齢者の切り捨てが若い人の賃上げにつながるという幻想が広がった。同時にこの働かないのに高い給料をもらっているという若い人の中にあった偏見は、同世代の若い人たちの間にも成果主義というものが入ってきた。この中で日本型資本主義の中における賃金体系である年功序列型賃金はほころび始める。
結果としては中高年齢層のリストラや賃下げあるいは賃金引き上げの頭打ちなどが行われても若い人たちの賃金は上がらなかった。成果主義での高収入はもちろんあったがそれは一部の人たちだけであり、多くの人たちは平均査定よりも低くなる。学校の相対評価と同じで、5をもらう人を置くなら1をもらう人を置かねばならず、成果主義といっても企業の懐は痛まない。
成果主義は横並びの賃上げを忘れてしまう結果となり、春闘は急速に衰えた。
一度始まった賃下げは企業の利益を大きくするわけだからその味を占めた企業は賃下げに向かっていく。派遣労働が急速に増え、経済のグローバル化として安い賃金を求めて資本は海外に出て行き国内の産業の空洞化は進み失業が増大をしていく。この失業の増大はさらに賃下げの方向へと向かう。
しかし企業も利益確保のために安い労働力を買おうとしてその競争に走るが、国内消費は当然冷え込まざるを得ないし、年功序列型賃金での将来の安定を崩された人々は生活への不安を感じ始める。商業市場ではボーナス一括払いといったサラリーマンの懐に入るであろうボーナスを先取りするという商法が流行り、カードの普及はさらにこの先取りを日常化していく。カードローンの破たんそして個人破産の増加へと。売れない商品は値下げ競争となり、商業市場の破たんが始まる。これは当然製造業特に内需関連の企業は、さらにコストダウンを図り生き残りを考える。もちろんそこには賃下げを行う。
このような状態は輸出産業にも波及していくだろうし、金融関連企業にも影響を及ぼす。
デフレがその出口を見つけることができなくなる。しかし企業はデフレ下においても利益を上げる。しかしその利益の投資先が見つからない。そうは中国にばかり持って行けるわけでもないし。その資金に子を産ますのに手っ取り早いのが株や国際そして金融至上なのである。
サラリーマンの懐(個人消費のための)常に貨幣量が不足したデフレ傾向を広げる。一方投資先の思慕待っていく企業の資金はインフレ状態となりダブついていく。ここに新たな形としてのスタグフレーションが起きる。
国は企業が困っているとして金融政策でさらに企業に金をばらまきこれをデフレ対策とする。しかし企業は資金が余っているわけだからその金もまた国債を買ったり金融市場に回る。金融バブルの崩壊。企業の金は賃下げの中サラリーマンの懐には当然入ってこない。個人消費を伸ばすための国によるばらまきは拡大をして社会保障費の増大からも財政は悪化をしていく。
そのうちにさらに大規模な金融恐慌が起きるでしょう。
こういった今の資本主義を変えるには、先進国内から日本は地球最後の社会主義国だと揶揄されたように、そして揶揄されながらも経済大国となり、金融資産高は多く、黒字国となっているのは日本が一番上といったような、そういたものを作り上げた日本型資本主義というものをもう一度見直すべきでしょう。これは何も経済面だけではなくて、55年体制といった政策決定の一つの形でもあった緊張感と、春闘や平和維持への緊張関係もその日本型資本主義をつくっていた。
もちろん日本型といった場合、よい面だけではなくて悪い面も多いわけで、今の超保守的な動きもまた日本的なわけですが。55年体制と同じものがよみがえるかと言えばそれはないでしょう。同じようなものでもやはり発展した形での緊張関係が作られるでしょう。その一つの考え方が社会民主主義勢力の台頭以外にはないわけです。

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
「日銀総裁:首相と会談」このニュースはあまり大きくも詳しくも伝えられていない。
それだけこの会談で何が話し合われたのかが気になるところです。
もちろんその中心となるのが消費税10%への増税でしょう。政府は消費増税のために景気判断を迫られておりそれは景気回復の国民へのアピールからつくらねばならない。日銀は国債を抱えるわけですから当然国の財政安定化を望んで消費増税を歓迎する。この景気判断には政府は株価中心の考え方ですから株価維持のために年金積立金の活用をちらつかせ、実体経済では公共事業の前倒しや来年度予算での公共事業費に力を入れる。日銀はやはり景気の落ち込みには躊躇なく追加緩和を行うと期待感を市場に流す。そして消費増税での景気の落ち込みはこの金融政策でどうにかなるという期待感を流す。
日銀と政府は年金積立金の活用と更なる緩和そして消費増税で一致をして突き進みそうです。
しかしこの政府と日銀が一枚岩になって突き進むようなものに矛盾が現れないのかといえばそうではないでしょう。
日銀の緩和政策は2%のインフレを目標とする。しかしその緩和政策は一方では急激な円安をきたしてそれが政府の経済政策の中に一つの矛盾を引き起こして貿易収支の赤字化が進む。日銀が目指す2%以上の悪性の物価高が国民生活の中に現れる。それは実質賃金の低下としても現れて個人消費を落ち込ませる。当然国内産業の設備投資は落ち込む。
一枚岩が景気の落ち込みへの一枚岩になりかねない状態が出ているのではないか。かみ合わなくなった歯車をどうにかかみ合わせようとする会談だったのでしょうか?
安倍総理からは特に要望は出なかったそうですが日銀総裁からは?

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
金さえあれば人の心も買えると昔から言われていますが、確かに人の心も弱いものですから金に目がくらんで心も変わってしまうことはだれしもあるものと思います。
この金さえあれば人の心も買えるというのは、何も札束でほっぺたをペタペタされて心を売るという露骨なことには人は理性やほこりもあるのでこの露骨さに反発をするでしょう。
実は金で心を買えるというのはこのような露骨な状況で起こっているわけではないのです。
労使関係において会社と労働者の力の違いは大きいですし、自由な働き方をされているように見える方も実はその心は自由ではないことは気づいているでしょう。
このような金の力自体の関係性は案外自覚できるものですが、貧困化ということ自体が心を売ってしまうことが社会の中でお子来ています。
案外ヘイトを含めて差別を認めたり、逆に経済的差別に苦しむと世代間格差だ官民格差だと社会全体の低賃金化を進める心を持つことがある。それは社会保障のあり方にも偏見が起きることがある。強い国家の矛盾よりもワイドショー的な矛盾を探ることで自己満足をしてしまう。禁煙運動でたばこ税をもっと上げてしまえと口にはするが実は他の要因を掘り下げない。
いろいろな心の変化が生まれてしまうことがあるのです。
これままた無自覚に金で心を買われてしまうことではないでしょうか?
また、以上のことの半面として金を持つものからすれば金で人の心を変えるというやはり金により心が変えられる現状が出てしまいます。
窮乏化というのは貧困の増大と金を持つ者に同時に起きるのです。
その結果として社会は発展から後退に向かうのです。

【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「宇宙に行けるなら何したい?」
怖いけど宇宙遊泳して地球を眺めてみたい。
でも、考える以上に過酷でしょうね。たぶん自分やほかの人のおしっこなどを浄化して飲むんでしょ?
閉所恐怖症でも高所恐怖症でもあるし。高所恐怖症は高すぎて大丈夫かな?
家政への片道切符の移住計画があるそうですが、何十年も旅していかねばならないと思うと嫌ですなぁ。
外の形式もきれいでしょうが、昔流行ったスタートレックのような宇宙の度とは全然違うでしょう。何しろ地球と火星の間を旅する程度ですから見える星々の景色はずっと同じでしょう。地球から見上げる星空と同じく小さな星が見えるだけ。立ち寄る星もなし。。。。。空飛ぶ円盤に撃ち落とされたら大変。。。。
宇宙エレベーターができたらいいですね♪

以下、ツイッターより
都民ファーストと豊洲移転問題古い記事ですが、安全は?一方では室内禁煙条例が。
室内禁煙も分煙をすればいいだけのことを体についたたばこのにおい自体にも危険性を言う禁煙運動の体質を受け入れるだけの条例。一方市場の安全性の確認をそのままに移転に動く。どちらも迎合による政治屋路線です。
豊洲移転を問題にし続けて、室内分煙を促進することを問い続ける政治勢力が必要なんです。こうでもないと民主主義は守れなくなります。民主主義とは討議し、単純多数決によって決めることではない。あくまでも正しさを追い求めることです。
受動喫煙による肺がんリスクは1.3倍という研究結果が出ているようです。10万人中100人が受動喫煙の他の原因で肺癌に。受動喫煙による罹病者数は130人。しかし130人の中で100人は受動喫煙以外の原因と考えるのが科学的。受動喫煙以外の罹病者数200人。受動喫煙による罹病者30人。
そもそも肺癌の原因研究でたばこ以外の原因がはっきりと研究され発表されているのでしょうか?たばこの害になる成分は日常生活の中に存在しないのか?日常の中でその害にさらされている量と受動喫煙での量の比較は?先のツイートの30人にしても受動喫煙だけが原因とも言えなくなる。
こう見ると、受動喫煙を防止することは分煙で十分なのです。
(以下追記)
室内分煙化により1.3倍という受動喫煙リスクは更に低減されるでしょう。
受動喫煙とは同じ部屋で隣の人が喫煙した場合でしょう。
分煙化した部屋で煙草の匂いは?
オリンピックだからと言ってなにも分煙を否定する必要性はないのです。逆に日本の分煙の現状を世界に見せることも大切だと思います。そしてオリンピックでは選手たちの食事問題が発生するでしょう。
そのためには豊洲という市場の安全性を世界に見せなければなりません。農薬や放射性物質などの安全と同時に市場設備の安全は欠かせないものでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
もうずっと前ですが、コンビニに入ったら買ったものを食べられるコーナーができていてびっくりしました。イートインの走りでしょうか。でも、しばらくしたら悪臭が出ていてコバエも飛んでいました。やはりこういったものは無理なのかなとその当時は思っていました。
それが今では広い店舗あるいは新しい店舗では多くのコンビニがイートインコーナーをつくっていますね。コンビニだけではなくてスーパーや食品地下街などでも。
暑い中、車で立ち寄ったコンビニに行き煙草を買い、ついでに冷たいペットボトルや100円コーヒを買う。それをクーラーが聞いたイートインコーナーで座りながら飲む。オアシスです。
今日は車でスーパーに買い物に行ったのですが、そこにもイートインこーながありました。
買い物をしていたらちょうど昼時だったので、ついでに弁当やインスタント味噌汁を買ってイートインコーナーへ。500円で昼飯を食えました。たくさんの種類の弁当がありますから弁当屋さんよりいいかもしれません。電子レンジもありますし、ポットのお湯でインスタント味噌汁も飲める。食後はコーヒーも。。。。
家で食うには面倒で、外食は高いし。。。。
こういう時はスーパーやコンビニのイートインが一番ですなぁ。。。。。
買ってすぐに食えますから時間がないときもいいかも。
今後は、スーパーの調理場の横にイートインコーナーをつくって注文をすれば出来立てが出てくるというものができればいいですね。この場合弁当箱に詰めなくても皿でいいし、みそ汁も手作りに。
まぁ、こうなれば外食屋さんになってしまうかぁ・・・・

【2019年】ツイッターつぶやき
昨年あたりからアベノミクスという言葉が政府からもマスコミからも消えてきましたね。
今では死語というのか、触れてはならない言葉になっているのかと思います。
10月から消費増税10%がはじまりますが、ポイントとか増税分の還元ばかりが話題となっています。この状況で、アベノミクスの成果を勤労国民にも行きわたせるというものが嘘だったことがわかります。経済の好転は起きていない。
この中で政府が経済政策の成功というのなら堂々とというよりも宣伝のためにもアベノミクスという言葉を多用するでしょう。
今の経済の状況を見て見ぬふりをするにはマスコミもアベノミクスは禁句なのかもしれない。

【2020年】ツイッターつぶやき
以下、ツイッターから転載。
菅さんは消費税率を下げるどころか消費増税を言い出している。みすぼらしいコロナ対策の支出増を見ているのでしょう。しかし消費増税ではなくて、所得税(特に高額所得)や法人税の減税が続いていたのだから、この分の税率を上げるべきなんです。
消費増税はすべて社会保障にというものが反故にされています。
今後は大阪都構想に合わせるかのように行革をするのが条件だとしていますが、この行革は公務員を減らすとばかりとらえられますが、実は住民サービスの低下につながるものです。
日本経済の国際的競争力を取り戻すことを目指すのではなく、大衆課税の強化と行革という合理化を進めて労働者を状態を悪化させることにより企業利益を守ろうとしています。
失われた10年、20年をさらに。
これは失敗であることはわかりきったことなのですが、これしかできない自民党政治の限界です
たしかにこれらの政策は、アベノミクスの継続という面では合致しています。
しかしアベノミクスのこの失敗をさらに進めようとするのが菅さんの考える政策なのでしょう。
会見を含めて日本が衰弱する事の仕上げをしようとしています。
ドコモ口座の問題が発生しました。
これは、顧客の安全よりも顧客増(経済)を優先させたことが原因です。コロナ対策と似ていますね。
コロナ感染拡大防止(安全)よりも経済が優先というのが基本的な思考です。
国民の命や財産よりも企業のための国家優先思考は改憲による平和主義にも現れます。
大阪の維新との関係も深まりそうな気配ですが、10月の解散総選挙は国民一人一人の将来に大きくかかわるものとなるでしょう。
コロナ騒動のさなかに首相の突然の辞職とそれに対するあわれみ票の増加では。。。。自民党内の無責任な政局でも国民はないがしろにされています。
消費増税は「隠し公約」でしたからねぇ。。。。。
選挙では言わないで、勝てば以前から増税は申し上げていたと。
10月の選挙勝ったらの間違いでは?
そして麻生さんも言い出した。

【2021年】ツイッターつぶやき
長崎・佐世保において郵便局でのクラスターが発生をして郵便の配達が滞り始めているようです。
コロナ感染防止で政府はリモートにより出勤を減らすよう呼びかけているが、リモートで仕事ができる職種は限られている。より多くの仕事は人の手で行われておりその仕事がコロナ禍においても社会を支えている。この社会を支えている労働者に感染が広がれば社会はマヒをして経済対策も何の役に立たないでしょう。
その中で興味深い記事がある。
中国広州において清掃作業員の感染がゼロになっているという。
清掃作業員は市民のゴミの処理はもちろん、医療などで使う防護服などの最終処分を行う。その中で徹底されたコロナ感染防止が行われているようです。
作業においては医療用マスクを着用し防護服など厳重な体制を行っている。ワクチン接種率は100%す。
「5月末に広州市で感染者が確認されてからは、同月29日に清掃作業員をはじめごみ処理施設の全従業員に対してPCR検査を実施、24時間内に6万人を超える清掃作業員が検査を受けた。」
(以上参照及び引用 Jetro)
中国では杭州市だけではなく、武漢においても再度感染者が出た時には全市民の検査を行ったというニュースを記憶しています。
働く人々をコロナからどう守るか、この間だえ方が中国の強みでしょう。
日本はワクチンに頼り切った感染防止に軸足を移してしまいました。
ワクチン接種により感染防止はこれまで以上おろそかになっていくでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
七夕。
ロマンチックな行事には夢のある願い事が短冊に書かれる。幼い子供たちのお願いは微笑ましくもある。
しかし現実的なお願いも各年齢にもなっていくとでてきます。
学生たちの進学の合格とか。恋人や若い夫婦のお願いとかも。
しかし読んだ者に突き付けられるようなお願いも出てくる。
現実過ぎてあとずさり。。。。。
きのこの山20箱。。。。。
老人ともなればそのお願いもそれらしく。
子供に戻ることもあります。
しかしそこは老人は老人ですから。。。。。。
区役所から認知症検診のお知らせが来るようになった川上さん。。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
テレビニュースでイタリアのベネチアのオーバーツーリズムが問題になっているという。年間2000万人以上が音連れるのですからどこも人人人・・・・・
観光客が多すぎていろいろな問題が出てきてしまう。危機遺産指定がされそうだと。世界遺産にしておいて観光客が増え過ぎたら危機遺産指定。
日本でも最近は富士山の登山ラッシュが問題になっているし、京都でも観光客が増えすぎてバスなどの交通機関に地元市民が乗れないとか。
日本は安倍政権でインバウンド期待で観光客を呼び込みました。たしかに経済への期待が大きいと思いますが、雇用を見れば観光シーズンと閑散期での非正規雇用が増えているようです。これでは賃上げには結びつきませんね。
コメント
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「9月10日という日」

2024年09月10日 07時53分00秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
風は強いのですが、部屋の中はものすごい蒸し暑さです。掃除をしたら大汗をかいてしまいました。
用事があり車で出かけましたが、いつもならすいている時間なのに大渋滞でした。事故です。土日なども出かけるときが多いのですが、いつもどこかで事故があります。
そういえば、トラックには時速90キロで抑える速度リミッターが付いているそうですね。でも荷物を時間までに届けなくてはいけないので取り外して40キロオーバーぐらいで走っているそうです。
この社会、すべて建前の世界ですから、トラックの事故が多いので速度を90キロに抑えるという役人の考え。でも、実際のトラック運送の実体は見て見ぬふり。一応決めていれば役人は言い訳をでき、すべてトラックの運転手の個人的な責任にしておけばすむ。
世の中の決めごとというのはみんなそういう一面を持っているような気がする。

「夏の庭ーThe Friendsー」
                   (新潮文庫)
        湯本 香樹実  著
主人公の木山、親友の山下・河辺という小学6年生の少年が夏休みに経験した心温まる物語です。
ある日山下は、おばあちゃんが死んでしまい葬式に行き、死んだおばあちゃんの顔を見る。その話を木山や河辺に話をする。その中で、木山や河辺は「死んだ人を見たことがない」と。その中で3人は近くに住むおじいさんがもうじき死ぬようなウワサがあるから、見張っていればおじいさんが死んだところを見ることができるのではないかと尾行することになる。少年達の中にあるのは、死んだ後やお化けの世界怖さという子供っぽいものである。
この出だし部分を読んだとき、人の痛みや死を何とも思わない少年・少女達の犯罪を思い出し、怖さを感じました。死んだ人を見たことがない、見てみたい、という衝動から単純に死にそうなおじいさんを尾行するという単純な行動。このような衝動は、動物を虐待して殺すとか、人までも殺してそれを見るというようなものにもつながる発想ではと思い怖さを感じたのだと思います。
一方、おじいさんは、ゴミも庭にためっぱなしで、いつもテレビばかりを見て、食事もコンビニのものばかりという生活で、生きている張りもないような生活をしています。
そんなおじいさんを少年達は尾行をします。ある時その尾行を気づかれてしまう。
おじいさんは不思議さからも怒る。少年達は開き直り、河辺は「お前の死んだところを見てやる!」という。しかしそんな中にも少しづつおじいさんと少年達の中が変に親しくなる。少年達からすれば、死にそうなおじいさんという興味があるし、おじいさんからすれば、動機はどうであれ孫のような子供達とのふれあいの楽しさも出てくる。はじめは、尾行をしていたことをクラスの友人にばれてしまい言いつけてやるといわれ、その言い訳でおじいさんの手伝いをしているんだといいながら、ゴミ出しをしたり、庭の草むしりをしたりする。おじいさんはそんな子供達にすいかを食べさせたりする。
そんな関係はいつの間にか少年達の内面も変えていきおじいさんとのふれあいになっていく。おじいさんも張りのない生活をやめて洗濯や食事も作ったりするようになる。
きれいになった庭におじいさんと子供達はコスモスの種をまく。そんな中でおじいさんの昔の話を聞く。戦争で自分が生きるために村の人たちを皆殺しにし、妊婦までも殺したと。そんな経験から復員しても新妻のもとに帰れず、ずっと一人暮らしをしたと。
少年達も幸福ではなかった。木山の母親はアルコール依存症、河辺のお父さんは女をつくり離婚、山下は魚屋の家業を継ぎたいが許してもらえない。
こんな暗いおじいさんの過去や少年達の現在。この中でのふれあいが深まる。
しかし、コスモスの花が咲くころ、夏休みが終わるころ、おじいさんは死んでしまう。
このように主題は死であり、それをどのように受け止めてどう生きるかにあるかと思う。
おじいさんにとっては、死は目の前に迫っている。でもその中で少年達とのふれあいから今を生きることを学び、背負っていた過去を気持ちのうえで清算していく。子供達の手を借りて庭や家をきれいにし、身辺をきれいにしていく過程は、死出の旅立ちを準備することでもあったのか。その中で安らかに死ぬ。悪態をつく少年達ではあったが、おじいさんにとっては死ぬ寸前にありがたい友人ができたのではないかと思う。
少年達は、おじいさんの死を希望どおり見ることができた。でも、それはお化けの世界の怖さや死への恐怖恐怖だけを知りたいと思っていた少年達に、死について考えさせ、今生きていること、これからも生き続けることを考えさせ、死というものを考えることによって大人になっていく。夏休みが終わり、コスモスが咲くころ、少年達は青年に近づいていく。一回り大きくなった少年達。
木山はアルコール依存症の母親を暖かく見ることができるようになる。再婚をするという母親を河辺は暖かく受け入れる。精神面で大人になることは、人の弱さを知り、人を許し暖かく受け止めてやるということ。
おじいさんとは、こんな面で少年達のよき友人であった。
普通の人間が経験した夏休みの1ヶ月の心温まる事件。
こういう経験は僕にもあります。死というものをまじめに考えたとき、人は大人になります。体は大人でもこのような経験をしたことのない(考えたことのない)人たちは精神面で大人に成りきれず、社会の表面だけで生きていくことになると思います。

【2004年】
年に2,3回しか行かない喫茶店があります。
下町の喫茶店。頑固そうなオヤジさんがやっています。飲み物もサンドイッチなども普通の喫茶店の値段の半分以下です。頑固なオヤジが頑張っているというような喫茶店です。
出されたアイスコーヒーは、ガムシロップたっぷりの甘い、甘いコーヒーでした。それも溢れそうな大盛り。。。。ハハハ
今、こういう喫茶店がどんどん少なくなってきています。甘いコーヒーですが、年に2,3度雰囲気を味わいによっています。

【2005年】
7日には日本海に抜けた台風の影響も東京では感じられませんでしたが、その台風の風を追いかけるように東北に行ってきました。
雨や風も心配でしたが、台風は足早に抜けていったようでした。
福島、山形、新潟と、南東北を1週する形で廻ってきました。新潟はお袋の実家でして、小学生の頃は毎年行っていました。そのご実家は町のほうに出てきてしまったので、最後に行ったのは小学6年生の頃だと思います。そこで約40年ぶりに記憶をたどっていってみようかと思い遠回りですが行ってきました。
ううう。。。。ん、故郷は遠きにありて思うもの。。。
浦島太郎状態でした。
かすかに記憶に残っていたものと一致したものは、鎮守の神様だけ。
近いうちに「ぶらり旅」に書きます。
東京は暑いですね。。。。
ずっと山のほうに行っていたので暑さをなおさらきつく感じます。

台風14号が日本海に抜けていったとき、太平洋側の東北道を走り福島・山形、そして新潟を抜けてのんびりと旅行してきました。
黒い雲をずっとお供に走りましたが、雨も降らずに楽しく過ごせました。
7日は、福島の街をさらっと眺めながら白石へ。
<温麺(ウーメン)>
白石名物の素麺です。
普通の素麺より短くて乾麺も10センチほどです。ウドンや蕎麦のように暖かい汁で食べる素麺。暑かったので冷たい温麺を三色の付けダレで食べました。醤油・胡麻・胡桃。。。
麺は少しやわらかすぎでしたがおいしくいただきました。
<飯坂温泉>
福島県の最北部にある古い温泉です。
国道から温泉街に入ると、蜘蛛の巣のような細い道が縦横に走り、旅館やらお土産やさんが並んでいます。町は狭く、巨大温泉街のような賑わいはないのですが、その分落ち着いた雰囲気を残していました。
一時温泉の定義が揺らぐような偽物の温泉の話題が出ていましたが、僕の泊まったホテルは源泉を使っていたようです。熱くもなくぬるくもなく、やわらかい湯でした。
8日は国道13号を走り山形県へ。
<笹野観音・笹野一刀彫>
重厚な茅葺の本堂に圧倒されました。
駐車場から観音様に向っていたら、道の先にこの本堂があり、遠目にもその重厚さに驚きました。茅葺はだいぶ古く、その古さが歴史を感じます。
米沢市の南に位置し、市外からはずれているので、そうは観光客も来ないのではと思うのですが、こんな感動するお堂はそうはないです。
屋根には魔よけの面のようなものが四方にありました。どこかユーモラスな顔に見とれました。
観音堂の周りには、一刀彫のお店がたくさんありました。平日だったせいか開いていない店も多くあったのですが、民芸館だけはあいていたので車の安全(魔よけ)のためにキーホルダーを買いました。小さなふくろうのキーホルダーですが、荒い堀のノミの痕が残るもので、ふくろうの羽が木を削ったままにささくれ立つというのか、おもしろかったです。
<米沢市内>
2年ほど前、東北旅行のときは素通りだった米沢市内を廻りました。
地酒屋さんで利き酒。
「左利き」というおいしそうな酒があるのですが、他の酒は只で試飲できましたがこの酒は小さなお猪口1杯50円。。。。ワインのような口当たりでうまかったのですが、ううう。。。ん、高い。ちょっと手が出ませんでした。
「ぽろぽろ漬け」
山菜やレンコンなど20種類もの野菜を味噌漬けにし、それを細かく刻んだ漬物です。
しょっぱいですが、いろいろな野菜の風味が口に中に広がり、帰宅後少しづつ食べています。ご飯が進みすぎる。。。。
「米沢ラーメン」
極細縮れ麺。
スープはちょっと癖の強いイリコ出汁?醤油はタマリ醤油のようで、甘みの強いものでした。そういえば、地元の醤油工場で見た醤油には砂糖などが入っていました。独特な風味です。好き嫌いはあると思いますが、独特な味という面では「米沢ラーメン」という個性がはっきりしていたと思います。喜多方ラーメンというのが有名で食べに行ったことがありますが、どうもどこに個性があるのか味がわからなかったのですが、個性という面では米沢ラーメンでしょう。。。
このような甘い醤油というのは九州にもありましたが、刺身につけるとおいしいです。小さな醤油も買ってきました。
<県立風土記の丘考古資料館>
石器時代から縄文、弥生期、古墳時代の出土品が数多く見ることができます。
今まで多くの考古資料館を歩きましたが、模造品が多かったりしましたが、こちらの資料館は本物。
古代文化というと大和政権の中心地の関西が注目されますが、東北地方の縄文文化の奥深さに驚きます。
(蔵王>
ロープウェイに乗ろうとしたのですが、季節外れ(夏休みも終わり、秋の紅葉に向けて)のために点検中。。。どんより。
<上山温泉>
米沢市の北に位置します。米沢といえば米沢牛!
宿ではとろけるようなステーキが出ました。
9日は、山形と新潟の県境の深い山を越えて新潟へ。
ひたすら新潟県の南魚沼郡まで車を走らせました。なぜこんなに遠回り?
南魚沼郡のある町は、お袋の実家であり、小学生までは毎年夏休みになるといっていました。僕にとっては生れ落ちた地でもあり心の故郷です。
約40年ぶりに見た地は。。。。。
すっかり変わってしまいました。心の風景と一致したのは、小さな鎮守様だけ。。。。
でも、一度は帰りたかったのでよい思い出になりました。
南魚沼郡といえば、最高級のコシヒカリの産地!
農家のそうこのようなところで直販をしていたので買ってきました。新米が出るにはあと1ヶ月ほど早かったです。
ううう。。。。ん、これがコシヒカリかぁ。。。最高級の。。。。
うまくない・・・・ハハハ
うまかったら新米を注文しようと思ったのですが。
小さい子供の頃の東京に帰るとなると、「米とミチョ(味噌)」と言ってばあちゃんにねだっていたそうです。それだけ昔の米はうまかった。。。。
帰り道、水上温泉泊。
関越自動車道は、この前の地震の傷跡がまだ深く残っていました。片側1車線になっていたり、対面通行にもなっていたところもありました。家々の中にも屋根が壊れたままになっていたり、修理中だったりもしていました。

【2006年】
真夏のような暑さ。
実家まで娘と来るまで行ったのですが、陽射しも強くてクーラーもあまり利かないように感じました。
行く途中、ちょうど昼飯時になり、娘がファミレスがいいというのでカーナビに「ファミレス」というとぱっといくつかのファミレスがでてきました。イタリアンがいいと娘が言うので「そこに行く」と。便利ですなァ。。。カーナビ!
さっとハンドルを切っていざイタリアンのファミレスへ!
ところが。。。。
案内されていったところは、うどん屋だかラーメン屋だった。。。。
そういえば、我が家のカーナビの地図ソフトは、もう4,5年前のもの。新しいものは高いので更新していませんでした。
うううう。。。。。。
いくら便利な機械でもソフトが追いつかないとだめですなァ。
そこで仕方ないのでしばらく国道を直進。すると、国道から少しはずれたところにログハウス風のレストランを発見。ちょうどよくイタリアン!
車を止めて中に入ると、太い梁がしっかりとしたログハウスでした。すごく感じの良い店。。。。
混みあっていました。
僕はペペロンチーノ、娘はドリアを注文。パスタは生麺を使用とか?普通のパスタに比べて黄色みのあるパスタ。すごくおいしかったです。娘のドリアもすごくいい味!(ボリュームがあり少しもらいました)
食べ終わってからメニューを見ると、パスタだけではなくてイタリア風ハンバーグも有名らしく、他の人が食べているものを見ると、厚くてボリュームのあるハンバーグが。。。。おいしそうでした。
また実家に来るときには立ち寄ろうと思い、カーナビに登録。
帰宅してからあのレストランのホームページはないかと調べたのですがホームページはありませんでした。でも、そのレストランのある地域の情報ブログを見たら、結構地元では口コミで有名な店みたいでした。
偶然に見つけたおいしい店!こういうのは嬉しいものですね。
我が家のカーナビが古い地図ソフトだったおかげでうまいものを発見!不幸中の幸いでした。よく考えれば、ドライブとはいえ旅はこういう偶然に発見したお店などに魅力があるんですよねぇ。

【2007年】
秋刀魚。。。1匹78円でした。
毎年100円秋刀魚!と、安いと感じていたのですが、今年はそれ以上安い。今年は大量のようですね。以前聞いた友人の昔話に、港町に住んでいたが秋刀魚の季節になるとバケツ1杯100円とか言う話。これに比べれば今1匹78円ぐらいでびっくりもしていられないのかもしれません。
鰯は今年はどうなんだろ?一時鰯も高級魚の仲間入りという話しもあったけど。
子供頃は、鰯や特に秋刀魚の刺身なんかは食うったとがなかったですが、今は鮮度を保ち輸送が出来るようになったために東京でも食えます。秋刀魚の刺身はこの10年ほど前ごろからではないかな?はじめは秋刀魚を刺身で食えるということにびっくりした記憶があります。
今年の秋刀魚はよく脂ものっていますし、秋は食卓に乗る回数も増えると思います。いろいろな食べ方が出来ますからね!珍しい食べ方など、ネットで調べてみようかな?

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
朝日新聞34面に「無断で民主党員」という記事があった。
我が家のペットも投票代表選 夕螺(アハハハ・・・川柳です)
ペットまでもがサポーターに。また、党費やサポーターの会費は議員(秘書)が立て替えておいたとか。。。。。
まぁ、これはほんの一部の人たちが行ったことと信じますが、別の見方からすれば今行われている代表選の性質を見るようにも思うのです。
党員・サポーターも投票するわけですから多くの支持してくれる党員サポーターを作らねばなりません。一部であってもペーットまでが投票できる状態と会費を議員(秘書)が出す。。。。。これは数の力と金の力の典型では?代表戦は公職選挙法に縛られないので何でもありでそれが党内民主主義なら国民にとってはかまわないわけですが、この数と金の力で行われるようなものが一部にでもあるような党内民主主義なら、その党の国会運営も見えてくるのではないでしょうか?
また、一般党員やサポーターというのは地方組織です。党中央と地方組織の関係。。。。これは今代表選でも議論されている国が税金を地方に交付する仕組みである一括交付金制度の問題ともまったく無関係ではないと思うのです。民主主義という面を考えれば。一見地方に使い方を任せるということは地方分権からして民主的に見えますが、国税がどのように使われたかが見えなくなります。地方もそうは民主的ではない。もっとどろどろした利権がらみの問題があり、そこに議員もいる。ここに民主党中央と地方組織との関係という現状を見たときにその当党が内閣を組織して地方の民主主義に依拠できるのかどうかが民主主義の未成熟さを考えればいろいろと心配になります。
うう。。。ん、代表選。。。。一時中止という手もあるのでは?代表が決まるというのは総理大臣も決まるわけで、あとから続々と代表選での「無断で民主党員」のようなものやペットまでもが投票していたというのが大きくなった場合どうするんでしょ?

アメリカの牧師がコーランを焼くという

コーランを焼くという言動ができるアメリカの自由

しかしアメリカはこの自由を抑圧をして

宗教界全体の信仰の自由という自由を行使した

この新たな高い次元の自由を手に入れたのも

アメリカという国らしい自由である

自由の行使は互いをぶつけ合う

そこに本来の自由はない

嘘の自由を制限することは自由の抑圧ではない

争いや戦争をなくす。。。ここに自由がある

尖閣諸島の日本と中国のぶつかり

互いに自由をぶつけ合ってばかりでは

本当の高次の自由は互いに得られないだろう
      (Pm12:30)

サンダルを履いてスーパーに行った
陽射しが戻りまぶしい
透き通る光の粒子
高い空から降りそそぐ
空き地に雑草が生えていた
雑草の葉がさらさらと揺れる
まだ暑さを感じる陽射しでも
サンダルの足には秋の風が
さっと過ぎて今を感じた
今、何を考えているんだろ
秋の風は教えてくれない
くすっといじわるに微笑むだけ

【2011年】ツイッターつぶやき
鉢呂大臣の「死の町発言」や「放射能をつけてやる」発言で進退問題?
菅総理の辞任もわけのわからぬ辞任でしたし、松本大臣もなず?と思うような理由の辞任でした。そして今鉢呂大臣が。。。。。
野田内閣は三党合意を守る立場からの挙党一致の内閣ですが、もし鉢呂大臣が辞任するようになったなら、あまりにもねじれ国会の解消のために自党の論理を捨てることになるでしょう。
ねじれ国会で必要な法案が通らないのならその法案が正しいかを判断して国民も法案に反対のための反対を言う野党を批判するでしょう。自民党もそんなことはわかっているはずです。民主党の支持率が減ってもそうは自民党支持が伸びないのだから。
脱原発の方向性は維持しましょう!!

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
「日銀は106円台への円安進行を歓迎、国内還流に期待」日銀はこのまま円安を放置する方向なのでしょう。少なくとも2%の成長を達成したと宣言するまで。
「円安によって収益が拡大する企業が増えれば、結果としてその効果が他の企業や家計などに波及し、日本経済にとってプラスになるとの見方」(引用)
「収益が拡大する企業が増えれば」「他の企業や家計などに波及」すれば、というような「たら・れば」がこれまでの量的緩和やアベノミクスの中でどのくらい実体経済をその「たら・れば」が達成できたかといえば株価の上昇ぐらいで、今ではその中での円安が経済の足を引っ張りつつあることが言われるようになった。
特に家計は日銀も国の財政の健全化のためにと保有する国債ののためにも消費増税を支持してきたわけですが、その中で実質賃金も下がり続けているわけです。
企業も輸出産業はまだよいというぐらいで国内産業あるいは輸出産業の下請けなどは円安で苦しめられる。輸出産業自体も円安でのエネルギーや原材料の値上がりに苦しむようになるでしょう。
こう見ると円安が「日本経済にプラスになる」という結論自体も「たら・れば」の範疇を出ないでしょう。
政府も依然として「たら・れば」という期待優先を貫いている。再度アベノミクスは買いだと。。。。
実体経済を伴わない中に株価維持も企業業績を反映しないものとなる。相対的にアメリカ経済が好調となればこの中での日本の実体経済の伸び悩みは国の経済の弱さを現す現実的な円安を進めるでしょう。さらに株価維持で追加緩和も求められるかもしれない。円安が株価を引き上げることが困難になるかもしれない。
価値低下をしていく国債を海外の資金が買いたたっかもしれない。
年金積立金は株運用での株価維持のために底なしになるかもしれない。アベノミクスの買いの次は必ず売りがある。
企業資産もドル建てならば円安の中で買いとなるでしょう。特に日本は高い技術があるわけですから。
アベノミクスは買いだ!というのは下手をすれば日本売りますになってしまう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
今日はビオラの種をまきました。
勝ってきた種の袋には30粒ほどの種が入っていましたので、ポット10個に3粒づつ蒔きました。
ほんとは1粒づつ蒔くのが良いようですが、発芽率やうまく育つかどうかがわかりませんので3粒ほどでもよいかと思いました。
種は芥子粒のように小さなもので、この種一粒からあのふわっとしたビオラが育つのかと思うと植物の力というのはすごいと思います。
そういえば、夏の初めに鉢植えの植物の植え替え押したのですが、昔楽しんでいた朝顔の芽が出てきました。たぶん鉢の土の奥底にじっと耐えていたものと思います。その種が偶然に発芽する深さに出てきたのでしょう。種の力強さを感じます。そういえば化石のような古代の種も発芽するようですから、5年ほど前の種の発芽ならそうは不思議ではないのかと思いますが。
今年はそのほかにも育てていた花の種を集めてみました。
花屋さんで売っている種と違ってたぶん発芽率はだいぶ低いと思います。10粒蒔いて1,2粒でしょうか?
自然な状態では秋の初めに種ができて自然に落ちて季節が来れば発芽するのですから、土にすぐ蒔いておきました。すぐに発芽し始めた花がありますが、この冬を花がどうやって過ごすのか知るのも楽しみです。
花を育てる方法も進化していますので、花も安くなりましたね。
夏の花ももうすぐ終わりです。1年草といわれながらも冬を越す花もあるようです。ほかの鉢に移しておきたいと思います。出窓に置けば越冬できるでしょうか?
何はともあれ素人ながら楽しみが増えました。

【2017年】ツイッターつぶやき
車がすれ違うのにも注意が必要な道路同士の交差点。
その交差点からすぐのところに大きなワンボックスが停車した。
その停車する車の対向車は赤信号で止まるとき、信号の停止線で止まれば右折車や左折車が停車している車のせいで通れないので気を使って停止線のずっと前に止まって右折車などを通してあげていた。
この様子をしばらく見ていて今の社会の縮図を感じた。
社会を支える人々というのは、停止線のずっと前で信号待ちをする車なのです。
交差点の近くで車を駐車して通行を妨げている中で、社会を支える人々が交通の円滑化をしているのです。
最近政治家の政務活動費などの詐欺や悪用や目に余る使い方が問題になっていますが、結局こういう政治家が先の車に例えると交通の妨げになっている大きなワゴン車の駐車なのです。そのような政治家にも金を渡しているのが信号待ちで気を使っている人々なのです。私利私欲の政治への疑惑が高まりますが、そのような政治家が天下国家を語る。しかしよく見れば国民に寄生をしているのです。
ブラック企業やお役人。。。。
それを支えているのが普通の国民なのです。生活は苦しく毎日あくせくと働いている。。。。。
そして上の政治家や企業にすり寄っておべっかを使う人々。言葉などの暴力で支えつつ国民を圧迫している人々。。。。
そういうことはあっても結局は日本という国をどうにか支えている人々がたくさんいるという事です。

【2018年】ツイッターつぶやき
読売新聞「教育ローン『我が子のために』で老後破産」によると、国公立・私立共に30年間で授業料は2倍になったという。
子供は害額大学進学のために奨学金を当てにし、親は子供に負担をかけたくないと教育ローンなどに手を出す。大学というのは親が子育てとしてその費用を出すだけの賃金高に達していないという事です。ですからその費用をローンという形で捻出する。しかしそのローンは親の生活に重くのしかかる。住宅ローンそして車などのローン。現役時代に貯金ができない状態に。
一方子供たちは奨学金に頼るわけですが、その生活は厳しくアルバイトなどに時間を費やさざるを得ない。成績が悪ければ就職口も低賃金に。それでも卒業できれば良いほうで、中退等をすればさらに低賃金で奨学金の返済がきつくなる。時には自己破産。
賃金というのは労働力の再生産費です。
その中には子供の教育費も含まれる。
これを見ても賃金というものがいかに低く抑えられているかがわかる。

【2019年】ツイッターつぶやき
【gooブロガーさんへの50の質問】(gooブログ企画に参加)
1. お名前は?
    夕螺
2. 名前の由来は?
好きな詩人の短編集「夕方らせん」を「夕方螺旋」と漢字にして2文字いただきました。
不思議な世界。。。。。。
3. 出身地は?
生まれも育ちも東京です。
4. 心の故郷は?
新潟と奈良
5. 住みたい場所は?
関西と関東の間ぐらいで毎日温泉に入ったり、関西にも気軽にドライブに行ける所。ただし雪はやだ。。。ハハハ・・・・・わがままですなぁ。
6. 今まで行った中で一番好きな場所は?
子供の頃行った当時の新潟の山奥の風景。心の中にしか残っていないなぁ。
7. 一番好きな食べ物は?
豚汁
8. 得意料理は?
男の料理。。。。家庭料理ですけどねぇ。。。。
9. 苦手な食べ物は?
何でも食いますが、ただ一つ・・・・埼玉の胃の内容物のような食い物。
10. 趣味は?
花とドライブ(旅行)と温泉そして物思いに耽ること。
11. 特技は?
寝つきが良いこと。どこでもどんな場所でも眠れます。
12. ブログを始めた理由は?
だいぶ昔にブログの前身のような300人ほどのサイトが楽しくて。。。。
13. どんなブログにしたい?
皆さんに参加していただいている「しりとり俳句」と10年日記のように書き留める「同じ一日」を中心にカテゴリーを大切にしたいです。
14. 誰に読んでもらいたい?
よく来ていただいている方と通りすがりの方。
15. どんな人と仲良くなりたい?
孤独です。。。。。
16. このブログはいくつめ?
4つ目だったかな?
17. もう一つブログを作るとしたら何をテーマにする?
今のままで十分です。
18. その理由は?
カテゴリーを大切にすると、ほかのブログなど書いていけない。
19. ブログを書くコツはある?
13の質問に書いた「同じ一日」を10年日記のように書き溜めていると、必ず1日1回はログインしますので、記事を書くのも日課になります。
20. インターネットを始めたのは何年前?
もう、だいぶ前で忘れました。
21. ブログはPCとスマートフォンどちらで書いてる?両方?
PCです。
22. ブログにコメントをすることがある?
何かと忙しくて心にゆとりのある時に。逆に皆さんにコメントすると気持ちも楽になりますね。でも、ご無沙汰ばかりで・・・・
23. 「いいね」や「応援」のリアクションがくると嬉しい?
うれしいです!!
でも新バージョン以外のブログに「いいね」とか「応援」とかどのようにしたらよいのかわからずに失礼して帰ってきます。
24. ブログを読んでいる人に一言
誤字だらけで申し訳なく思っています。。。。
25. 記憶に残っている自分の記事はどれ?
gooブログのサービスの「去年の記事に一言」で「池浮かぶ月」というカテゴリーを書いていますが、去年の今日を思い出せます。
26. よく使うWEBサービスはなに?
ツイッターです。
27. 好きなブログは?
ぶらっと立ち寄らせていただいているブログ。
28. 暇なときは何をする?
花の手入れとか。。。。。あとは昼寝(笑)
29. 好きな天気は?
明るい曇り空。
30. その理由は?
花もきれいで、女性たちもきれいに見える(うん?ハハハハ・・・)
31. 暑いのと寒いの、どっちが好き?
やはり暑い方がいいですなぁ。。。。
32. 好きな季節は?
それぞれの季節の美しさもありますが厳しさも。
季語の言葉を楽しんでいます。
33. その理由は?
行雲流水
34. 秋といえば?
さみしさと美しさ
35. この秋に食べたいものは?
シャインマスカットが高くて食えない。。。。。
36. 一番好きな映画は?
映画は苦手です。。。。。
37. トラウマになった映画は?
無し。
38. 好きな本は?
夏目漱石など、今まで全集や出版されたほとんどの本を買った作家の本。
39. 好きなマンガは?
カムイ伝
40. 好きな音楽は?
ビートルズとスイングジャズ
41. あなた自身が思うあなたの性格を一言で!
行雲流水
42. ストレスの発散方法は?
時の流れに身を任せばいつか今は通り過ぎていく。あとは昼寝ですなぁ。。。。
43. 一番幸せを感じるのはどんな時?
花の世話をして無心になっているときや、物思いに耽っているとき。
44. 好きな言葉は?
すべては疑いえる。
食うものは借金してでも食え(夕螺家家訓)
45. 今までで一番ハマったものは?
読書と旅行(若い時にねぇ)
46. 子どものころの性格は?
引っ込み思案
47. 一番尊敬している人は?
尊敬するという心はわからないのです。でも、マルクス。
48. 座右の銘はある?
44の質問と同じ答えで、「食うものは借金してでも食え」
49. 100億円もらったら何がしたい?
次の総選挙に僕と同じ貧乏でも気持ちや考えの方を集めて出馬する。
あとはちょっぴり、温泉付きの別荘。。。。
50. お疲れさまでした!最後に一言お願いします。
gooブログ!
これからも楽しませていただきます。
そして応援します。

【2020年】ツイッターつぶやき
Go Toイートがはじまるらしい。
これはプレミアム食事券の発行のようですが、どのくらいの効果があるのか?
2018年にも商品券として案として浮上したようですが、その時に2014年の消費増税時のプレミアム商品券の効果を朝日新聞は次のように書いている。
「内閣府が昨春、商品券の利用者へのアンケートをもとに行った推計によると、「商品券があったから消費した」という金額は3391億円。ここから国が配った交付金2372億円を差し引いた1019億円が実質的な消費の押し上げ効果だとした。投じた予算の4割程度の効果だった計算だ。」
2014年や2018年当時は消費増税に伴う消費の縮小を少なくすることが目的でした。しかし今回はコロナ感染の拡大の中で行われますし、すでに消費増税10%後の消費の縮小と外国人観光客がほぼゼロの状態で行われます。Go Toトラベルも東京外しがあったものの効果としては大手旅行関係には恩恵があったものの効果は少なかったようです。プレミアム食事券も小零細のコロナた昨比にも四苦八苦しているような飲食店にはその恩恵はないでしょう。そしていくら安く食えるポイントが付くとはいえ、コロナ感染拡大が収まっていないのですからそうは国民は踊らされないでしょう。
一番困っているのは小零細の飲食店ならばそこに補助金をつけてコロナ対策を行うべきです。
また一番懸念されるのがやや感染が縮小している傾向の中でプレミアム商品券やGo Toトラベルの東京除外解除にしてもまた感染を拡大させる心配があります。
今日も東京の新規感染者が270人を超えました。
少なくとも9月の連休後まで規制を緩めないで様子を見るべきです。できればそこから2週間ですね。

【2021年】ツイッターつぶやき
サントリーの社長が45歳定年を導入して企業に頼らない姿勢が必要といったらしい。
企業が45歳以上の労働者はいらないと言っているわけではないでしょう。
これも終身雇用の廃止を言っているのだと思います。
不安定雇用が増加している中、非正規社員と正社員の差が広がっていますが、今後ますます正社員は減少していくのでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
4000円=金1グラム=プチ贅沢なディナー
これがディナーの価値とすれば
1ドル100円が安定した為替として、プチ贅沢なディナー=40ドル=金1グラムとなる。
そこでアメリカでインフレが起きて
ディナーが60ドルになったら、
金1グラム=40ドルに変化がないワケですから
ドルの価値が50%下落したことになる。
世界が為替の安定に傾いていくとドルの価値は下落していることが目に見えてくる。
この時、ドルが基軸通貨であり得なくなることが条件だが。
金1グラムを持ってアメリカに行けば4000円で食えるはず。
裏を返せば、ドル安になり円は価値低下をしていないことになる。
ロシアが金の保有量からみて金本位制に戻すという噂や天然ガス取引を元とルーブルにすることが進みそうだが、現実にルーブルの価値は上がっている。元安もあるようですが、ドルの価値低下となると元の国際的な決済が進むでしょう。当然準備はされていくでしょう。そこに円と元、円とルーブルの安定した為替ができれば。。。。
余りにもアメリカが保護主義的な為替を強要していくとアメリカ自体が危なくなる。

【2023年】ツイッターつぶやき
冬が終わり春になっても真冬のような寒さが来ることがありますが、これを寒の戻りというと思います。
この対義語として暑の戻りという言葉はないようですね。
今日は気温も上がりまた汗だくの一日でした。
シャツも着替えたりタオルハンカチも2枚。
その上西日もきつくなりましたなぁ。。。。
台風で少しはまとまった雨が降りましたので木々もイキイキしはじめましたが、やはり秋。欅の木が黄色くなり始めました。
晴れた一日ですが湿度が高い。この暑さも湿度の関係かと思います。夜になって湿度80%以上。
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「9月 9日という日」

2024年09月09日 07時59分48秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
風邪らしきものもやっと治りました。そういえば、春から夏の季節の変わり目にも同じような症状が出ていました。どうも季節の変わり目に弱いようです。
家ではほとんど暖房や冷房は使わないのですが、仕事の時となると自分の体調に合わせられませんからね。
なんだか人間の体が変になっているような来もします。子供の低体温かが進んでいるそうです。僕の子供のころ子供の平熱というと37度ぐらいだったと思うのですが。。。。夜型の生活や冷暖房にも関係しているのでしょうか?

【2004年】
水槽の中の魚たちがたいぶ高齢化して来ましたので稚魚を買ってきました。ひとつの種類だけは卵を産んで増えているのですが、他の種類は世代交換ができません。仕方ありませんね。
淡水魚にもフグのような魚がいますので買おうと思ったら、気性が激しくて他の魚とは一緒に飼えないそうです。かわいかったのですが残念!
台風はどうしたのだろ?消えうせたのかな?

【2005年】
東北旅行

【2006年】
久しぶりに車で買い物。
細い裏道を20キロぐらいで走っていたら、ものすごくでかいカラスが低空飛行で車の上を追い抜いていった。翼を広げた大きさは、まるで鷹のよう。一瞬「おおっ!」と声を上げてしまった。
そのカラスは狭い空き地方向に右旋回。
そこには猫が。。。。
カラスは猫を狙ったのか?猫につかみかかる様に着地。一瞬猫はひるんだがすぐに体制を整え反撃をして猫パンチ1発。カラスは舞いあがる。猫はジャンプをしてカラスを両手で捕まえようとした。
猫の筋肉の躍動感とカラスの見事な羽ばたき。。。。
すごいものを見せてもらった。
米上院情報委員会報告書なるものがでた。
イラクのフセイン体制は、テロ組織のアルカイダとは協力関係にあったという事実はなかったそうである。
イラク戦争の始まりは、フセイン政権の大量破壊兵器保有疑惑があったが、アルカイダとの協力関係も指摘していたようだ。この二つの戦争理由がウソだったということになる。
残るは、とってつけたようなイラクの民主化。。。。でも、これはその国の主権の問題であり、アメリカが土足で上がりこんで民間人を犠牲にしてでも作るといったものではないはず。
ブッシュ政権は、すごく強さを強調するが、その強さは、恐怖の裏返しでしかないのでは?そして国益。
自衛隊のイラクでの任務は完了したようだが、行くにしてもはっきりとした国民にわかりやすい説明がなかったし、引き上げるにしても今なぜ?という気もする。イラク復興はこれからであり、その復興のために民間人を派遣することもできない状態。
イラク戦争に協力した日本も、上の米上院情報委員会報告書に対して涼しい顔もできないのでは?

【2007年】
民主党の元代表前原さんが党の重要なポストについたようですが、僕の記憶では、小泉政権時代に小泉さんの改革路線に対して改革競争をするといったと思います。また、今回の阿倍総理の組閣にあたっては大連立の可能性から前原さんを閣内にというほうどうも聞いたように記憶しています。
最近は、自衛隊のイラク派遣についての議論や相変わらずスキャンダルの報道が多くなり、参議院選でのひとつの重要な対立軸であった格差社会の是正という視点の議論が薄れてきているようです。
前原さんが党の重要なポストに着いたということは、民主党としても小泉改革路線の誤りをあまり大きくしない方針と受け取ってしまいそうです。
保守二大政党が今後どこに流れていくんだろ?
政権をどちらがとるのかというスキャンダル抗争は続くが、国民生活をどうするということが置き去りになってしまいそう。あんがい阿倍総理の改憲という部分では大きな違いがないと見えるのですが、その意味での大連立は進むものと思えます。大きなボタンの賭け違いがなければ。。。。
もちろん改憲の議論は薄まってきましたが。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
久しぶりにバスに乗った

午後1時。。。。。。

始発のバス停に早くから並んだので座れました

座ってぼうっと外を眺めていてふと車内を見回した

お年寄りがたくさん。。。。。

僕の年齢でも洟垂れ小僧です。。。。

老老介護といった言葉がありますが

親の介護をする子も60,70に

バスの中では洟垂れ小僧ですから

人生の先輩方に席を譲らねばと

席を立とうとしたら。。。。。

「ハハハ・・・・私はまだ元気ですよ。すわってなさい♪」と

親が子に席に座らせると同じ感覚なのでしょうか

洟垂れ小僧ですからなぁ。。。。。

「うん」といって座りなおした
          (Am2:12)

10月から煙草が増税されますねぇ。。。。ううう

よくこういう時に「タバコ値上げ!!」

といった言い方がされますが

それではJTがかわいそうでして

値上げではなくて増税です

煙草の買いだめを!!といろいろなところで見たり聞いたり

せめてもの節約術ですが先立つものは金

そうは買いだめするような金もないわけでして

金があっても賞味期限が(笑)

煙草=肺がん

それをいうのは勝手ですが

そうならば早急に増税されたことですし

分煙に向けた取り組みを煙草税で行わないと!!

強制禁煙させるほどの増税もできず

税収だけは多くなるのに(まぁ、やめる人もいますが)

肺がん対策=たばこ対策=分煙はやらない

税は国の責任で徴収する

分煙は法で強制はする部分はあるが

税を使った国の責任はどうなのか?

早急に煙草税の使い方をチェックすべきでしょう

それは肺がん=煙草と主張をされる方

そして禁煙活動として煙草税増税を言う方々の

責任でもあるわけです

少しでも煙草の害を吸わない人に及ぼさないために

そういう人は言わないで、僕のような喫煙者がいうなんて

喫煙者も非喫煙者もよくなるために税金を

民主党代表選では少しづつ具体的な政策が見えてきた?
でも、中身はすべて福祉と財源というジレンマから抜け出せない上体ではないでしょうか?そこに消費税が絡んできて高福祉・高負担の高負担ばかりが国民に突きつけられているような気がします。そして地方と国の関係に金が挟まり、これがまたジレンマを大きくする。
一つだけいえること、というよりもはっきりしたことは、200兆円ぐらいの国有資産を証券化してそれを売りさばけるほどに市場には金が溢れているということである。企業や資産家の中に?
この200兆円は市場にあるが子を産まない金では市場の中に目に見えた金として現れてこないということでしょうか?この金が動くには、証券と言うことでしょう。市場に任せていれば解決できるといいますが、市場ではデフレからは脱却できないということでしょう。そこで国家の介入が必要だと。
この200兆円の金をどう生かせるようにするかは、金のある方が使うしかなく、使うにしても贅沢ということではなくて市場に金が回り物が売れるように生かすということです。
そこで考えるのが、先日も書いた給与として支払う労働力を買った場合にも消費税をかけるということだと思います。また、労働時間の短縮による雇用増。そして銀行や大企業・官庁などを中心に土用や日曜日に一斉に休むというものをあらためて社会の効率性を上げることでは?一斉に休むことから無駄がだいぶ多いです。
いろいろと考えればいいと思うのですが、市場では解決できないジレンマの中での競争にばかり依拠しないで、依拠してばかりでは解決できないので、労働時間の削減といった一斉の取り組みの中で解決するといったものが必要では?

【2011年】ツイッターつぶやき
円高、人件費、地震や津波のリスク、放射能も?色々と理由をつけては輸出産業を中心に生産の海外移転を言う。
今は地震や津波そして原発事故によりその復旧が急がねばならない状況ですが、これが企業にとってはリスクになると70年代後半からの資本輸出をはじめ現地生産の増加や安い労働力を求めた中国などの発展途上国への生産の海外移転が進められてきた中で更なる海外移転の理由となっている。中小企業もその技術の伝承を海外で行い国内の生産の省力化をはじめている。
その中で国内はさらなる産業の空洞化が危惧され、それは雇用の激減を進めて日本経済そのものの危機をもたらすといわれる。
そこでこの輸出産業を中心とした企業の国内生産をどうにか維持させようと国は必至である。法人税の減税や雇用で言えばその維持のための派遣法改悪による低賃金かと首切りのやりやすさを作った。そのほか円高対策などなど企業流出を防ぐために国家は右往左往する。それは国家による企業救済・支援という面を見せる財政や税制を中心とした政策であり、それは当然国民負担の増加に結び付く。
国民生活の安定は、自己責任や相互扶助的な形で行われる。100年は大丈夫なはずだった年金制度改革は破たんをして新たな年金制度が言われて消費増税が。このような国民の生活安定は国民同士の負担でという相互扶助的なものにすり替わっている。その上に立った国家による企業救済である。
国の企業引き留め策は国民負担で。。。。。これは引き止め貧乏に国民を引き落とす。
企業が立ち直っても多少の雇用増はあるにしても基本的にはそれが国民生活の安定には結びつかない。
すでに国は円高をメリットとした内需拡大策には為替関連の金は使わずに企業の海外企業買収を行わせようとしている。
もう、企業引き留めという幻想から国民は目覚めないとだめですなぁ。
すでに中国では日本人の賃金高をそうは高くないと見始めているようです。中国への出稼ぎもそうは遠い将来ではないと思います。中国や韓国の企業が出て行った日本企業の代わりにやってくるかもしれません。1億人の消費があるわけですから、もう少し国民が貧乏になればそういった形での雇用が生まれるかもしれません。
企業はすでに70年代から多国籍化をして今や本社すら海外にという時代です。それは企業合弁が推し進めていくことでしょう。すでに企業には国籍意識はありません。国際化の中の生き残りが最終段階に来ています。その中で日本人も国際化しなければならないでしょう。生活も意識も。変な日本人優越感は邪魔になっていきます。

高度成長期は別としても、バブル崩壊後の安定成長やマイナス成長の中では国民生活の向上や維持は国や企業にとってはコストとなる。今の日本はほとんどの国民が何かしらの賃金を受け取って生活をしている。その賃金額で国民生活の程度が決まるわけですが、この賃金高そのものが国や企業にとってはコストなのですからすなわち国民生活の程度はコストなのです。そして本音部分では労働できなくなった年寄りや職にあぶれている若い人もコストなのです。もちろんこの部分は急な生産力が必要なときは必要とされる労働力ですから軍隊で言えば予備軍でこの程度のコストは我慢をするが。
このように自国民の生活の安定や向上はコストなのですが、他の国で高度成長やあるいは大幅な賃上げが行われて国民の生活が向上した場合は歓迎されます。商品を持って行って売れるし投資はできますから。しかし、やはり自国民の賃金コストが上がってもらっては困るのです。
このように先進国の今の現状からすれば、どの国も自国民の生活の向上はコスト上避けねばなりません。
しかしそうかといって国内消費も上がってほしい。ここで自己矛盾が生じる。賃金コストは上がってもらっては困るが国内消費は上がってもらいたい。そこで国内では熾烈な生き残り競争が始まる。国民が自分が属する産業の商品をたくさん消費してもらいたいと。そしてその産業内でもわが社の商品をと。値引き競争が始まり利潤率は低下をする。するとまたコスト切り下げのために賃金を安くしようとする。だんだんと経済は先細りをしていきます。
個も国民生活の維持や向上がコストとなっている現状の矛盾です。
深刻な先進国病ですね。。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
IMFは「過去半年でG20構成国が成長促進策を講じる必要性はより高まっているとし、先進国における緩和的金融政策が「不可欠」とした。国家の生産量と生産性を上げるための構造改革の必要性も訴えた。」(ロイター)
先進国の通貨安と生産性の向上のための構造改革は何を意味するか?
日本においてもアベノミクス・量的緩和により経済政策は動いてきた。そして雇用の流動化や残業代ゼロの必要性が強調され、そしてすでに不安定雇用の増加は進んでいる。緩和的金融政策がすすめられても政治面でのアベノミクスは国民生活の安定や向上を果たせずに逆に円安による悪性の物価高を引き起こし不安定雇用は低賃金化に向かい国民生活の低下にも結び付いてしまった。経済が好転すれば賃金は上がるとされたが政府が行ったことは経済関係においての賃上げではなくて官製の賃上げであり、その恩恵は限られた勤労国民にしか及ばずに恩恵を受けた労働者も悪性の物価高で賃上げは相殺された。
IMFの提起する金融政策と構造改革が何をもたらすかを日本においてその中身が端的に示されている。
先進国の国民は途上国並みに生活の質を落とせという事であり、そこで後進国の発展と競争をしろという事になる。
先進国は政治経済において退化をしていくことを示すだろう。
これは資本主義の限界を示している。
先進国は後退をするのではなくてさらに発展をすべきなのである。それが資本主義を守ることとなるはずである。
経済矛盾が起きて政治面にもその矛盾が拡大するというのが社会法則である。日本の平和主義からの後退もその一つで先進国は経済矛盾を戦争で解決する方向にも進む危険性がある。自国民の生活の不安定化を招きながら。
経済矛盾の解決なくして政治の発展もない。
経済政策の矛盾はIMFが示す政策にある。金融政策と構造改革というものから離れて新たな経済の構築を行うしかないのである。
先進国は自国での内需の拡大を目指すべきでそこでの協調が必要でしょう。内需の拡大は国民生活の安定という事であり、そこでは経済法則に反した通貨安競争も必要ではなくなる。物価の上昇を人為的につくる必要もなくなる。物価は本来の意味においての生産性の向上(賃下げに頼らずに技術の発展によりより安くより大量に生産する)により商品価値を下げていくことである。価値低下を起こした商品は価格も安くなる。それにより賃上げではなくて商品が安くなるという意味での相対的な賃上げが行われる。
格差の是正は消費を拡大するでしょう。政治はこの格差の是正に集中しながら消費を拡大していくべきです。あらゆる商品は最終的には大衆消費財に価値移転しなければ成り立たないのです。企業の工場や機械などもそこでつくられるや異臭消費財としての商品に価値移転しなければならない。その大衆消費財としての商品は格差の是正から消費をされていく。
もう、株価で経済は動かないことが日本においても証明されている。

【2016年】ツイッターつぶやき
最近はツイッターのほうに書いていましたが、ブログがおろそかになっていましたなぁ。。。。
写真をアップしたりなど面倒なことは苦手ですし、最近は何かと野望用があり頭の中もいろいろと。。。。
かといってそのいろいろなことはブログに書いて皆さんに読んでいただくようなことでもないし。。。。
そんな中、心の中に刺さっているのが、最近の政治経済の動きです。
戦後70年戦後レジームからの脱却が言われて久しいですが、戦前戦中の反省から生まれた日本の社会ですが、どうもこの70年の間に国民が蓄えてきたものが政治的にも経済的にも貯金の切り崩しのように細る一方のような気がします。
経済の立て直しといわれていますが、日本経済が蓄えて来たものがすべてアベノミクスの「成功」のためにつぎ込まれていて細る一方のように感じています。
平和や民主主義そして自由という貯金も「積極的平和主義」といわれる間違った言葉の中身において目減りしてきています。
このようなことは日本ばかりではなくて先進国に共通する現象なのでしょうが、その流れが「普通の国」ではないです。
その中にあっても経済は発展性の流れを欲しています。戦争でリセットして経済を再構築などという悪夢ではないことは確かなのですが、先進国においての保守の自滅の中でその保守がどのような道を開こうとするのか、今は闇の中のような状態ですが模索は始まるでしょう。
経済の発展は国民生活の安定でしか達成されません。生産力は加速度的に高まって価値低下を起こした商品価格は下がります。この経済法則を生かせばより多くの国民や途上国の国民は豊かになります。一方では株などによる不労所得は必然的に低下をしていきます。この面でも格差は縮小することを経済は教えてくれているのです。
この経済の発展の流れに沿うように社会システムを構築するにはさらなる自由や民主主義による人の意志が実態化されねばなりません。その中において平和は絶対的条件です。
このようなことを今までブログで書いてきましたが、またゆっくりと書いていきたいと思います。
しかしときにはゆくりとゆったりと俳句でもひねりたいですなぁ。。。。

【2017年】ツイッターつぶやき
記事のジャンルをB級グルメとしましたが、安くてうまいという意味でのB級です。
家族で出かけて遅くなったので外食でした。
地元の町に帰ってきて、さて、何を食おうか。。。。。
久しぶりにステーキにしました。ステーキ屋さんはちょっとした喫茶店風のお店でご夫婦二人でやっています。
毎回食べるのがリブステーキ。サーロインよりもうまいですね。1600円で肉を食った!という満足感があります。肉は安い割にはやわらかくてソースもおいしい。高い店にはずっとご無沙汰ですが、ちょっとした値段のステーキ屋さんよりもおいしいかもしれない。
今日はそうでもありませんでしたが、飛び込みだと予約が入っていると断られることも。
わが町の穴場ですからあまり教えないことにしています。

【2018年】ツイッターつぶやき
ハフィントンポストにPTAやめたら、お子さんは登校班に入れてあげない問題が起きているという記事があった。
PTAに入っていないと登校班に入れないというものが感情的なものからも生まれる。ある意味子供が村八分にされるという事ですね。
そのほかにも運動会の時にテントに入れないともあるようです。
卒業式のコサージュをあげないとかも。PTAからのプレゼントのようなものもありますね。
学校で子供が大人の都合で村八分になるという事は許されませんね。
そもそもPTAというのは、強制入会ではなくて自主入会ですね。ですからPTAというのは有志が集まって全校生徒のために活動しましょう(会費の使い方も含めて)という事のはずですが、PTAに入会するのが当たり前という形ができてしまうと保護者の意識も変わってしまう。
今は保護者も働いている方が多くなっている。しかし順番でPTA役員になれば会議や行事の手伝いなどが。昔働いているお母さんが会議に出てこれないという問題がありました。これを理由に役員を断ることにもなります。するとあの人は役員をやらない人というレッテル張りが。しかし働いているお母さんから夜に会議を開いてくれれば役員できますと。しかしほかの役員のお母さんたちはこれといった理由もなく夜の会議は無理だと。
PTAの運営も含めていろいろな矛盾が出てきていますね。
かといってPTAなんていらないという意見も出るわけで、その役割についてもう一度討論する必要が出ています。

【2019年】ツイッターつぶやき
夜はロコモコ風ガーリックライス丼。。。。
ご飯はガーリックライスにしておきます。
トッピングはレタス千切り、玉ねぎスライス、トマト、カボスのような柑橘類のみじん切り、ひき肉のカレー風味味噌炒め。
適当にトッピングしてオーロラソースを少し垂らして食べるときにひき肉を混ぜながら食べます。
うん。。。。。
うまくもないしまずくもない。
食ってみてから思い出したのですが、、、、、
超半熟目玉焼きを忘れていました(笑)
半熟目玉焼きも混ぜながら食べないとねぁ。。。。ロコモコは。

【2020年】ツイッターつぶやき
アメリカの製薬会社のコロナワクチンが臨床試験で副反応が出たようで、来年1億回以上のワクチンを輸入する予定だった日本でもワクチンは期待できなくなってきました。
ロシアや中国でも本格的にワクチンを使用するようになるようですが、そのワクチンもどうなんでしょうか。
早く安全なワクチンが出来上がればよいのは当たり前ですが、以前からワクチンの使用は数年以上かかるという見方が大きかった。
無理をしたワクチン競争は多くの人々の健康を害することになりますから慎重に行ってもらいたいです。
ワクチンはもちろん100%安全というものはありません。使用に関しては個々人の体調にもよりますからワクチンの使用については個人の判断を入れなくてはいけないでしょう。
そういえば大阪ワクチンはどうなったんでしょ?

【2021年】ツイッターつぶやき
豚肉とサツマイモは相性がいいですね。
ネット上でもいろいろなレシピがあります。
大きなサツマイモを買ったので冷蔵庫にある豚バラ肉を炒めました。
ネット上でのレシピは芋を茹でてから使ったりもしていましたが、我が家は一度揚げてから使ってみました。
フライドポテト上に切って水けをふき取ってビニール袋に入れて小麦粉をまぶして高温の油でカリっと香ばしく揚げておきます。
豚肉は薄切り肉ですのでさっと炒め、そこにあげたサツマイモを入れてさっと炒めます。
味付けは砂糖、酒、みりん、醤油です。
揚げたサツマイモにたれが絡んで香ばしさも残り美味しかったです。

【2022年】ツイッターつぶやき
9月8日に岸田総理と黒田総裁が急激な円安に対して会談を行った。
為替は一気に144円から141円と急激な円高に向かった。週明けにどうなるか?
一夜明けると1円2円の円安になるような急激な円安に政府日銀が動くのではないかという憶測で為替も円高に動いたようです。
しかし、ニュースを読む限り円安の懸念は出されたが、どうするかとなれば日銀も総理も具体的なものは出されなかったようです。黒田さんは首相からは特別な指示や要望は出なかったとしています。
経済の状態から利上げによる景気の悪化は避けたいというところから政府も日銀もその責任の所在から互いに竦んでいる状態でしょうか。
日銀の責任として利上げを刺せれば政府は日銀の責任論で逃げられる。日銀総裁にしてみれば、財政再建も行わなく、これといった経済の好転を産むような政策のない政府の代わりに責任は負いたくないでしょう。
結局総理は非課税世帯に5万円の物価対策をすると、これまでと同じバラマキの「経済政策」を行うしかない。
アベノミクスや量的緩和の総括もなくだらだらと続けている矛盾は大きくなるでしょう。その中で5万円のバラマキです。
このままだらだらと緩和を続けるのも国民にとっては地獄です。しかし賃上げもなく経済的な力のない中で金利上昇による引き締めもまた国民にとっては地獄です。
国力は落ちていく。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
福島原発事故での汚染水に含まれるトリチウムについて環境相は「生物学的半減期が10日で、体内に取り込んだ場合も速やかに体外に排出され、特定の臓器に蓄積することもありません」としてその安全性を強調している。
臓器に蓄積しないから安全だということとトリチウム自体の安全性は違う。トリチウムの発がん作用は強い。
体内に入っても多くは排泄されるかもしれないが、ほんの少量でも残れば10日間は放射線を浴びることになる。トリチウムを毎日摂取することがあれば持続的に被ばくする。薄めて放出といっても30年以上垂れ流す。
トリチウムに汚染された水をシャワーで浴びるのと体内に飲んではいる事とは違うとされている。
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「9月 8日という日」

2024年09月08日 08時17分47秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
関西のほうでは30度を超える真夏日がつづいているそうですが、関東は涼しい日が続いています。
もう残暑も味わえないのでしょうか。ほんと淋しい。。。。。
秋分を待たずにもう秋です。
そういえば、ブドウやナシなど、秋の果物がたくさん安く出てきました。冷夏で高くなるかと思ったのですが、ナシなどは安いですね。
もう残暑はあきらめて秋の味覚を楽しむように、早く気持ちの入れ替えます。衣替えももうじきです。
どこかの安売り店が、深夜に薬剤師と客をテレビでつないで緊急の薬を無料で配布するサービスをはじめましたが、それに対して厚生労働省がクレームを付けているようです。しかし、もうテレビやネットをつかっての医療がはじまっているようですし、なんか厚生労働省のクレームもおかしいものです。
たしかにコンビニや安売り店で薬というのは、薬を若者に買いやすくするなど不安もありますが。。。。
医療費の自己負担分が高くなるなど、こういう行政のやり方のつけが回ってきているのだと思います。
薬、これはものすごい市場ですから、いろいろな店が売りたいというものがあると思います。しかしこのような市場主義でよいのか?
考えさせられます。

【2004年】
(記事なし)

【2005年】
東北旅行

【2006年】
スーパーまで買い物に行こうと、ぼうっと人の家の庭を眺めたりして歩いていました。すると、なんだか葉が全部亡くなっている花がありました。?。。。よく見ると、4センチほどの芋虫が10匹ほどたかっていました。気持ち悪かった。鳥肌がでてしまいました。蚕の話を聞いたとき、蚕が桑の葉を食べるときにはさくさくと音が聞こえるらしいのですが、今日の芋虫もサクサクと小気味の良い音を立てて食べていました。それにしてもすごい食欲です。昔山椒の木を植えていたときがあったのですが、そのとき大きな芋虫が山椒の葉を食べていました。タデ食う虫も好きずきといいますが、山椒の葉もアクが強いですからなァ。びっくりしました。葉が全部食われてしまいそうなので、割り箸で挟んで捨てようとしたらすごい匂い。。。。
こんなことを思い出しながらスーパーに行き、買い物をしてレジに並んだら。。。。
財布を忘れてた。。。。
買い物をした商品をカートに載せたままレジの女性に見ておいてもらって、急いで芋虫の道を引き返しました。
なんだか財布を忘れてまた家まで戻るというのは精神的にガックリきます。
2往復、その度に芋虫を見てしまった。気持ち悪いけど対見てしまう。その度に鳥肌。。。。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
台風がまた日本海へ

今の季節関東直撃なのですが。。。。

まだ夏の台風ですね。。。。

台風も災害を引き起こしますが

長年同じルートで来るべきものが来ないと

それは何か自然の網目のようなものが

ほころびているような気にもなります

雨が強くなりました

日本海の台風とはいえ東北南部にも来るわけで

東京は今までの南の海のような

気候になるのでは。。。。。伊豆七島あたりの?

被害も出るかと思います

お気をつけください
           (Am9:36)

【2011年】ツイッターつぶやき
先日ぼうっと湖でも眺めたいと思い東京からも近い河口湖に行きました。
せっかくですから何かうまいものも食いたいと思いネットでレストランを検索。
2軒よさそうなレストランを見つけたのですが、1軒は少し値段が高そうなのでやめて「yamanakatei」(山中亭)に行ってきました。山中湖ではなくて河口湖にあっても山中亭です。。。。
河口湖インターで降りて河口湖に向かう途中あたりにある緑に囲まれたレストランでした。
緑に囲まれた・・・・とはいっても山の中ではないのですが、広い道路から心細くなるような細い道を入った閑静な所にあります。免許取り立てで教習所でクランクやS字カーブが苦手な方は大変だと思います(笑)カーナビは正確な場所を教えていたのですが、この細い道をどうしても見つけられなくて2回ほど通り過ぎてしまいました。まさに隠れ家。。。。
ランチのコース料理もありましたが、今日は山中亭ランチ。ボリュームのある豚肉のソテーでした。デミグラスソースの味もしっかりしていて僕の好きな味でした。横に添えられた冬瓜やカブ・人参。。。白ワインで甘く似たものと思います。何と言いましたっけ?人参を煮て作る。。。。これもおいしかったです。
別料金です(200円)がサラダもおいしかった。
ランチには飲み物が付いてきました。紅茶の風味がよく出たアイスティーにしました。そしてデザートはつかないのですが、ホームページにあるクーポンを持って行きましたのでサービス。マンゴーのムースのロールケーキでしたがおいしかったですよ。
また行きたいと思います。
たぶん口コミの方が多いと思うのですが、テーブルの数も少ないし平日でも数組のお客がいました。休日などは予約が必要かも。
今度ディナーでもと思うのですが、真っ暗な中のクランクやS字カーブは自信がありません。。。。(笑)

【2012年】ツイッターつぶやき
朝日新聞10面に「節電支えた企業努力」という関西電力管内の記事があった。
大規模の向上などの節電は12%、商業施設など業務用11%、一般家庭9%の達成だったという。
このような中で大飯原発の再稼働がなくても電力はたりたとも他の報道では伝えられていた。
この記事の表題は「節電支えた企業努力」となっているが、中身は従業員の労働現場でもあり、商業施設などではお客としての市民であり、一般家庭ならまさに市民生活の場にいる市民の努力という事になる。たしかに企業自体も節電のための負担はあっただろうが、電力消費の節約という事は電気料金の節約という事でもあり省エネという面でのコスト削減とコスト減への社員意識の向上もあったのではないだろうか?
節電はマイナス面だけではなくてプラス面も大きいのではないか。もちろん工場などでの従業員の働き方の検証と改善は必要だろう。
当初心配された停電もなかったし計画停電もその必要はなかった。その停電でのたとえば病院などでの電力停止による事故も当然なかっただろう。節電は年を重ねるにつれて発達していくでしょう。節電意識は高まっていく。なぜ節電の発達や意識がの発達ができるのかと言えば、大きく国民生活の落ち込みがないからでしょう。言い換えれば今まで寒いくらいに冷房を利かすことや眩いほどの照明などが商業施設のサービスとなっていたとすれば節電はその意識を変化させることによってそうは大きなサービス低下にはならないという事です。
製造業が関電エリアから半数が移転を希望するとも記事には書かれていましたが、これは電力不足により企業の海外店が加速すると言われていたことと類似をした見解でしょう。電力が問題で企業が海外に生産を移すのではなくて安い労働力を求めて海外の移転することを見てもあんがい眉唾な見解でしょう。
よくわからないのが「原発が経済に与える影響やコストをどうするか」と書かれた2010年と2030年に原発がゼロになった場合の比較です。
電気料金が上がるとか、雇用が100万人減るとかいうのは最近よく聞かれます。一方GDPは30年の方が高くなり、省エネの投資額は100兆円高くなり、石油やガスの輸入額は変わらず。。。。
これをどう見たらよいのでしょうか?省エネの投資額が100兆円と言われますが、これを反対の面から見れば100兆円の省エネ産業が拡大されたり新たに生まれることを示すのではないでしょうか?そうすれば雇用者数の改善にもなりますし、温暖化ガスの削減にもつながります。
あんがい原発を維持市ながら省エネを進めるという形の方が社会的なコストは高くなるという事でしょうか?

【2013年】ツイッターつぶやき
オリンピック♪うっすらと東京オリンピックを覚えています。歳がばれますなぁ。。。。。生きていればもう一度見れますね。しかし、チケットとるの大変ですよ。
オリンピックを東京で行うこと自体は楽しみです。賛成か反対かと言えば、賛成であり反対です(笑)というのは、純粋にスポーツの祭典が東京で行われることは賛成なんです。しかし今の政治情勢のままでは国民生活の犠牲のもとに開催されざるを得ないのですから反対なわけです。
2020年に日本がどのような国になっていて開催されるのか?領土問題や中東などで紛争国として日本があるのか?息詰まるような管理社会(改憲など)として日本があるのか?華やかなオリンピックの陰に低賃金や貧困が増大しているのか?福島原発の不安を抱えたまま原発大国が復活しているのか?等々。
それとも7年という時間の流れの中で平和な日本。自由と民主主義が拡大した日本。経済的平等が拡大した日本。脱原発の日本になっているのか?あるいはその方向性を国民が認めるような入口に立っているのか?オリンピックは成功させねばなりません。しかしその時の日本に国民の責任が。
オリンピックという7年の時間の区切りができました。この時間の中に国民自らが何を求めていくのか?オリンピックと政治は切り離さなければなりません。しかしオリンピックを迎えるときに日本がどのような姿になっているかは政治です。
どのような日本の姿を見せたいか?それは自分自身がどのような国を求めるかにあります。7年間は積極性が必要ですね。国政選挙もあります。自民党政治批判は、自分がどのような社会を求めているのかという積極性の中に見なければならない時期になっています。
         (ツイッターより)
アベノミクスや今の自民党の政策に対しての期待するというのも仕方ありませんが、しかし漠然とした期待ではないでしょうか?何を期待しているのかをはっきりさせる必要があります。もちろん景気回復を期待するといったものがありますが、その景気回復により自分は何を期待しているのか?そうならばその期待の具体化を求めるべきです。たとえば賃金も上がるのではないかといった期待ならばそれを実現する政策を求めるべきでしょう。雇用を期待する。しかしその雇用がどのような形の雇用なのか?正社員化を求めるのかなど。
同時にアベノミクスなどの懐疑的なあるいは反対する立場にあるとすれば、そこから何を政治に求めるのかを対置しながら批判すべきです。しかしそこにあるのも「要求」ですね。
要求の統一が必要なんです。一般庶民の要求の統一。

【2014年】ツイッターつぶやき
ツイッターから
「4~6月期の実質GDP、年率7.1%減に下方修正」これから7-9月期を出すのですから4-6期を下方修正をしておいたほうが改善をアピールできるという面も。。。。
「谷深ければ、山高し」「GDP統計に、そうした数字のマジックが存在することは否定できない。だが、マジックはあくまでもマジックだ。それによって、実態経済が改善するわけではないし」(現代ビジネス)
7-9期の数字を上げるために公共投資。。。。一時的なばらまき効果はあるが実体経済の改善にはカンフル剤的なもの。これで7-9期の数値が上がって消費増税を強行すれば更なる大きな反動が来るでしょう。「山高ければ谷深し」いや「小さな山の割には谷深し」だろう。
4-6期をわずかな数値にしても下方修正しておけば谷が深くなる。その谷が深ければ小さな山も大きく見えてしまう心理効果。。。。かな?
もちろん下方修正をせざるを得ないほど4-6期の落ち込みは深刻だったことには変わりありませんが。数字の動かし方です。

初めに消費増税10%があるわけですからそこに経済の指標を合わせていく。これも逆立ちをしたアベノミクスの特徴の現れでしょう。ついったでも以前から名目の数値が大切だといった意見があったが、結局は名目上の数値は貨幣量で表されるがその貨幣量の価値自他が変化をするだけで実態は何も変わらない。これだけ国民生活を犠牲にしてきたアベノミクスだが、経済の成長はよくて前年並みか悪ければゼロ成長かマイナスかといったところでしょう。そこに消費増税10%が入るわけですから、政府・日銀が当てにする個人消費はまた落ちるでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
東京新聞に「GDP改定値念2.5%増、4%から下方修正」という記事がある。以下数字等太字は同サイトより引用。
実質GDPは速報値の4%から大幅に修正されて2.5%。名目でも4.6%から3%に。
速報値と改定値の落差はどこにあるのだろうか?
企業の設備投資を速報値の前期比2・4%増から0・5%増に引き下げた影響が大きい。個人消費も0・9%増から0・8%増へと小幅に下方修正された。
実質的な経済成長のためには内需では企業の設備投資や個人消費が伸びなければならない。しかし設備投資は改定値で大幅に減少をして個人消費もほぼ横ばい。政府はGDPの伸びを堅調な内需にあるとしているが、
内需は、
公共投資は5・1%増から6・0%増に上方修正
というように国の借金による公共投資というバラマキにある。そして輸出は伸び悩みGDPへの寄与度が少なくなっている。
ここから見えることは、
1、日本経済は、アベノミクスにより円安誘導による輸出の伸び、日銀の異次元緩和とマイナス金利、この失敗か  ら新たなアベノミクスとしての公共事業。
2、しかし輸出の伸びもGDP寄与度からすると効果は薄くなっている。
3、マイナス金利からの銀行の貸し出しや設備投資の増加は伸びていない。銀行はサラ金事業に。
4、結局は設備投資が伸びないという実態は不況を示しているわけですから、不況対策の公共事業の拡大。
5、完全なアベノミクスの失敗。
という事になるでしょう。
政府発表の統計の数字は良いことづくめですが、現実の経済は縮小している可能性があります。
日本経済をけん引しているとされる輸出産業も東芝に見るようにその体たらくははっきりしている。
日本企業はアベノミクスという毒饅頭により内部留保は増えて腹は膨らんでいるが、実体は生産性を上げるために労働者の犠牲を強行し、政府は公共事業のために社会保障を削減することで実際の生産性はあがっていないのかもしれない。毒饅頭でも一応は株価が上昇しているので、企業の内部留保などを守るためには毒饅頭を更に喰わなければならい。
ここに正常な経済発展の道が見えるだろうか?

【2018年】ツイッターつぶやき
北海道での震災で亡くなった方のご冥福をお祈りいたします。また被災された方にはお見舞いをも仕上げます。
まだ行方不明の方の入らっしゃいますが早い救出を願っています。
復興のためにももちろんいつもの生活を取り戻すためにも電力の必要性と大切さを改めて感じました。北海道のほぼ全域で停電となりましたが、NHKによりますと8日にはほぼ停電は解消できる見通しとのこと。早い復旧でよかったです。
しかし震災時にドミノ倒し的に停電が起きることは今後の改善問題となりますね。本州からの融通はできないのでしょうか?
これから原発に頼らない発電が問われますが、再生可能エネルギーの活用では各電力会社間の融通を速やかに行えることが問われます。
今後も節電の必要性があるようですが、早い復興と生活を取り戻せることを願っております。

【2019年】ツイッターつぶやき
台風15号が東京にも直撃しそうですなぁ。。。。
何年ぶりだろ。。。。
もしかしたら房総半島をかすめるぐらいかなとも思ったのですが、甘かったです。
東京は雨も風邪もほとんどなく風も静かです。小さい台風なので急に雨風が強まるそうですから、今の状態は嵐の前の静けさでしょうか。
それにしても暑い!
室内は夜になっても32度です。湿度も高いようで脱衣場状態でじっとしていても汗が流れます。
もっとも東京に近づくのは午前2時ごろだそうですから、一度寝てしまう都心でもと死んでもきないので台風の雨風も気づかないかも。でも心配ですからベランダは吹き飛ばされそうなものを部屋に入れたり、物干し竿をしっかりと縛りなおしました。
明日の朝は交通機関が乱れるでしょうね。

【2020年】ツイッターつぶやき
安倍総理はアベノミクスの成果としてGDPの増加を言っていましたが、日本はそのGDPに対する比率としての教育機関向けの公的支出の割合がOECD38か国中下から2番目で2.9%だそうです。
この中で、菅さんは総裁選では消費税率の引き下げに対して反対の立場を示しました。その理由として消費増税で教育の無償化も行っていると。
大衆課税である消費税の税率をあげておきながらも教育関連費はOECDの中では下から2番目です。
国民が頑張って生産性をあげGDPが伸びても国民のために使われる支出は増加をしない。
社会保障はよくて現状維持で実際は減少をしていく。
菅さんは国民の自助を最優先させる考え方を示しましたが、まさにこの自己責任の中には社会保障ではなくて自己解決となっていきます。

【2021年】ツイッターつぶやき
分科会尾身会長が緊急事態宣言解除に新基準を示した。
東京新聞によると以下のようになるようです。(以下引用)
「新規感染者数が「2週間ほど継続して安定的に下降傾向にある」ことを前提とし、新規感染者が一定程度いる状況でも解除できるように緩めた。」
「新規感染者数を考えるのは当然だが、現状では医療の逼迫度を重視するメッセージをクリアに出す必要がある」
「病床使用率と重症者病床使用率はいずれも、ステージ4(50%以上)を維持したが、25%以下をステージ4とする入院率は数値を定めず、「改善傾向にあること」に修正」
「25%以下をステージ4とする入院率は数値を定めず、「改善傾向にあること」に修正。新規感染者数も具体的な数字を示さず、大都市圏での参考として「10万人あたり50人」との目安を示した。」
今後は具体的な数字を示さずに「改善傾向にあること」「継続して減少傾向にあること」というあいまいな表現で介助するようになるのかもしれません。
これは解除の新基準だけではなくて、緊急事態宣言の発令にも現れてくるでしょう。
医療の逼迫は新規感染者の増大の中に現れる。新規感染者数が増大傾向になった時にこそ緊急事態宣言の有効性があるが、医療の逼迫が現れた後では手遅れになる可能性が大きいでしょう。
ワクチンの接種は進むでしょうが、集団免疫に移っていく。しかしワクチンは集団免疫は作らない。インドのように死ぬ人は死んで集団免疫となるかもしれない。

【2022年】ツイッターつぶやき
普通、インフレになって貨幣量が増加すればその通貨は下落する。貨幣価値はさがりますね。
ですからアメリカをはじめ最近ではEUも含め多くの国が利上げをしている。
これらの国はインフレ抑制のために利上げをするのですが、日本もアベノミクスと日銀の量的緩和により名目的には貨幣量が増加をしていることになっている。これは一面では円安誘導を目的としていた。しかし貨幣量が増えたはずだがこのことから経済が好転したかといえばそうではない。好転をするどころかどころか経済は落ち込んでいる。経済が古典をしてきたから貨幣量が増えたわけではないから貨幣は死んだ金になる。賃金はもちろん企業の設備投資にも回らないで貨幣は回転しなくなる。輸入に依拠する国ですから円安は輸入品により悪性の物価高となる。
アメリカなどの国と同じように物価高になっているわけですが、その中身は全く違うものでしょう。
同じように物価が上がっているという面だけを見れば同じインフレの様に見えますが、日本の円だけが下落をしている。貨幣価値の低下は同じように起きているはずですが、その中でも円の実力は落ちている。
結局何が起きているかといえば、日本の国力の低下でしょう。それは国民生活の中に現れ全体的に国力は落ちる。
この状態で利上げは出来合いのかもしれない。
中国とロシアはガス取引はドル市場に置かずに互いの通貨での取引を行うようになるらしい。
日本が生き残るには同じことが必要かもしれない。ドル基軸通貨の力を無くしていくから。

【2023年】ツイッターつぶやき
台風13号の進路が来頼りになり東海あたりに上陸というニュースがありましたので、ベランダを片付けたり買い物を済ませたりしていましたが、台風も熱帯低気圧になり東京はそれほどの被害はありませんでした。
しかし数日前から栃木県などは大雨が降り、今日も茨木県や千葉県に大雨がありました。
小さな台風で風も弱い雨台風でした。
台風というよりも伊豆では線状降水多ができたり異常な低気圧だったのかもしれません。
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「9月 7日という日」

2024年09月07日 11時21分19秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
昨夜、左の夕焼けを写してしばらくしたら南東の空に火星がきれいに見えました。さっそく写真に撮り写真の加工ソフトでシャープさや色調を変更したら、目に見えない星がたくさん写っていました。
様々な色の星がまるで宝石のようでした。人の目には見えないけれど、東京の空にもたくさんの星があるのですね。冬になったら天の川でも写してみます。
だいぶ日が短くなってきました。そういえばもうじき秋分ですね。なんか淋しくなります。
もう秋。。。。。
「過去記事」も秋分の日から秋バージョンにします。
湯本果樹実の「夏の庭」を読み終えました。近いうちに「読書」ページに感想を書きたいと思います。心温まる作品でした。

【2004年】
スーパーに買い物に行きレジに並んでいたら、僕の前に並んでいた奥さんが財布から7,8枚の1円玉を出して支払いの用意をしていました。しかし・・・・・2610円。1円玉が使えなくてがっくりした様子。わかるんですよね。。。。財布の中の1円玉を使いきりたい気持ち(笑)
ロシアの学校でのテロは悲惨です。
ロシアもたしか中東ではソビエト時代に苦い思いがあったと思いますが、これを見てもやはり武力での国際問題の解決はありません。アルカイーダの関与も報道されていますが、やはりテロでは何の解決にもなりません。
ロシアがアメリカのようにテロとの戦いを口実に武力侵攻するのか。。。。心配です。

【2005年】
東北旅行

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
お昼頃には台風も行ってしまいました。
我が家の被害。。。。。
・ジャスミンの鉢が倒れました。
・ベランダに置いてある物が吹き飛びそうなので、急いで雨が吹き付ける中パンツ1枚で飛び出してしまいました、しかし寒くて風邪引きそうでした。
以上。。。(笑)
でも、近くの川はだいぶ水かさが増えていて怖かったです。
各地の被害は大きかったようですが、お見舞い申し上げます。
午後からはぱっと晴れて残暑。湿度も下がったようで、吹き戻しの風が熱風のようになり、洗濯物がすぐに乾きました。

【2008年】
「この庭に 黒いミンクの話」 梨木 香歩  著
大人の女になったミケル。
北海度で借りた別荘で酒におぼれる。
絵本ですが大人のための絵本です。
「ミケルは庭を持つ。ミケルも心を閉ざす部分があるが、「からくりからくさ」に出てくる主人公蓉子や紀久、与希子という三人の女性のそれぞれの個性からくる温かみの中で心を開く。ミケルの庭は、すんでいる庭を超えて世界を自分の庭にする。
紀久の苦しみ、ミケルは愛した男神崎がマーガレットに生ませた子である。
紀久のミケルをかわいいという気持ちは自然である。しかしその心の中の奥底には無意識なこだわりが巣を作っている。ミケルが死にそうな病気になるが、その原因に紀久の行動があるかのようにうつる。紀久は苦しむ。
それを救ったのはやはり蓉子(りかさんからもらった人を暖かく包むもの)の言葉であった。
ミケルの最初に感じた三人の女性から受ける不安、それがどの女性なのか、紀久であったと思う。しかし一命を取り留めたミケルは紀久の手を握る。そして紀久はこの子にあるものを伝えようと決心をする。ここに「りかさん」の中に現れたいた言葉、人の心を移された人形には醜さとしての「アク」がある、でもそれは「昇華」されねばならない。
人間の持つ醜さという「アク」、ミケルは世界を自分の庭にしたことから、人間すべての「昇華」をミケルの中に信じたい気持ちになる。
暖かい気持ちにさせられる作品でした。」
「からくりからくさ」の後に書かれた「りかさん ミケルの庭」の続編とも言える作品ですが、その「ミケルの庭」を読んで感じたのが上の感想です。
命にかかわる病気をしたミケルの夢が「この庭に」でしょう。
子供の夢としては大人の自分は理解できないでしょう。そこにあるのはミケルの心の不安定さかもしれない。三人の女性に囲まれて育つミケルだが、その三人の女性には大人の女としての不安定さがある。不安定の中にミケルへの愛があるのだろうが、ミケルもいつの日か一人の女となる。この社会において。それはけして愛に囲まれた日々ではない。この社会において。大切にしていたミンクの襟巻きが夢の中でミケルの指をかむ。ひとつの象徴ではないかと思います。社会の。。。その中の女としての。不思議な少女は幼いミケル自身だろう。そんな二人のミケルが向かい合う不思議否世界です。少女のミケルは「この庭に」という。大人の女になった「ミケルの庭」にミンクはいると。。。。少女ミケルにはかわいいミンクの首飾り。大人になったミケルに生きたミンクが噛み付く。ものすごく心の不安定さを感じました。
「この庭に」は、病から目覚めるミケルと女性たちに終わる。
夢は夢。。。。ミケルには未来がある。
ミケルの見た夢は危うい、危うい世界に女性は生きていかねばならないが、未来はそんな女性たちが決める世界である。危うさと温かみという世界が織り成されるような世界。そんな世界にミケルの未来はある。
頭のないサーディン(いわしの缶詰)。頭がないほうが気楽だと。
大人の女になることの危うさか?少女の無垢な心。
でも、そんな少女ミケルが夢を見たのです。やはり女性の「アク」とサガなのでしょうか?救いは大人のミケルが少女ミケルに救われることなのでしょうか?
時間は過去から未来へと流れますが、その流れは多くの女性が同じ経験をする中に回転をするように流れます。
それは螺旋状に流れて同じ経験も高きところに向かうでしょう。

象徴的な難しい作品で理解するにも困難があります。
「からくりからくさ」「りかさん・ミケルの庭」と、やはり関連付けて読まねばならないことはたしかでしょう。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
民主党代表選で小沢元幹事長が打ち出した「国有資産の証券化」が話題になっている。国家財政をつくる中で先のマニフェストを実現するのに必要な財源を確保するということだと思うが、以前自民党政権で行われた国有地の売却がそうは財源作りには役に立たなかったという印象がありこれと同じではないかと感じる。また、国債の発行とどこが違うのだろうか?国債は国の信用だが、証券は国有資産の担保がある?
そもそも証券や債権は一時的に資金を得て利子を支払いながらもその金を運用して利益を出すことに目的がある。しかし今回のアンはどうなんだろう?マニフェストの一部の財源としてばら撒くことに充てられて国は運用して儲けを出すというものからはほど遠いものになり、結局は国有地売却や国債発行の二の舞になるのではないか?
200兆円ほどの証券化?
民間企業や資産家にこれほどの金があることに驚く。そしてその200兆円にどのくらいの利息をつけるのか?それとも郵貯の金を当てたり年金の積立金を運用しようというのか?そうとう注意をしなくてはならない案でしょう。
民間に200兆円もの金融資産のような証券を買う余力があるならそれをどうにか使う算段が先では?デフレ脱却も金融資産に金を使い底から利益を期待するとなると逆にデフレは加速するのではないか?
無利子国債も相続税対策のために?
年金型国債のほうがいいと思う。

【2011年】ツイッターつぶやき
東北の震災後の復興財源が議論になっている。
個の復興財源では、菅内閣は所得税と法人税の増税を充てるとした。野田内閣も基本的にはこの菅内閣の増税を踏襲するというが、法人税増税については、震災前からの方針である法人税減税を行いその後一定の増税を行うとし、15年度には減税を実施して震災前の減税路線を実施するとする。
結局は法人税については実質的な増税はなく、15年まで今の税制を維持するというだけである。
これは国民にうったえている増税とは全く違うものである。
国民は実質的な増税を行われるが企業は現状維持。。。。
企業も東北の震災では大きな打撃を受けただろうが、東北の復興ではまず企業に金が入ってくるはずである。もう少し実質的な増税に協力すべきでしょう。
これまでも企業は安い労働力を求めて海外での現地生産(資本輸出)を行ってきた。今はそれプラス円高・地震や放射能のリスクそして節電などがあるとしてこの海外移転を早めようとする。
増税は国民負担で、生産に少し支障が出れば外国に移転するぞと。。。。。そして国家財政を使った数兆円の海外企業の買収。
国民生活から切り離された企業活動や国民の負担増による企業の維持は、まったくの企業のピラミッドかです。
儲かれば復興もやるがという論理でありどうも国民にうったえている「一つになろう日本」や「東北を応援しよう」というものから企業は離れているのである。キャンペーンで「頑張ろう日本」は良いが、国を想うものはないように感じる。
もう、日本も海外からの企業進出を自由化(行いやすくする)を進める時期ですね。企業は出ていくというのですから海外にお願いしなくてはならない。雇用が生まれればいいわけです。もちろん生活は苦しくなりますが。買うものも日本製にこだわることも少なくなるでしょう。何も日本企業が海外で生産したものを輸入して買う必要もない。
国民意識の変化が求められているということです。
一番良いのはあるいは日本の将来を見れば社会民主主義化を急がねばなりません。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
昨日も書いたように生産性の向上は一つ当たりの商品の価値を低下させます。今の社会でのこの商品の価値低下が企業利益を減らして困るといったとらえ方をされていますが、商品価値の低下はより安くより多くの国民のその商品を行き渡らせます。賃金労働者から見れば同じ賃金量でより多くの商品を手に入れることができるということです。ですからこのことにより国民生活は豊かになっていくということです。いろいろな矛盾もありましたが、戦後の日本を見ればこれは純然たる事実でしょう。そして経済自体も発展しました。
経済の発展とはこういったものなのです。
ですから今のデフレと言われる商品価値の低下を悪い方向に解決するのではなくてよい方向に向けることができるはずなのです。
今現在は賃金に資金を流すこと。しかしこの中での消費の拡大は最終的には国の税収増と社会資本の整備や社会保障(所得の再配分)に向くと同時に企業の設備投資を盛んにするでしょう。その企業活動はさらに生産性の向上を行います。競争として。そして商品価値の低下が起きます。この繰り返しの中にある一定の条件次第では賃金を下げる傾向を産みます。社会保障の充実の中であるいは生活に必要な行政サービスの無料化の中に労働者が必要とする賃金量は減るでしょう。教育費は必要なく、社会保障で生命保険なども必要なく、将来への不安からの貯金も必要なく。その中では賃金量の低下もできるわけです。
そしてこのような安定した経済の中に円は強くなるでしょう。円高は国力なわけです。本来。上のような方法での賃金が低下すればその時初めて賃金コストの低下として作用します。それは競争力を高めますし、円高は輸入の条件を有利にします。相対的に企業利益は高まります。
今はグローバル化の世界ですから、このような現象は少なくとも先進国で同時におこる必要がありますが、その中身はその国々の特殊性にあります。日本型の安定した社会とは?
社会民主主義が問われていきます。

【2014年】ツイッターつぶやき
人が知りえることには限界がある。その意味において人は知ることができない。だからそこに絶対だという判断は成り立たない。また人の営みだから決まったものはない。そこに絶対性を入れれば間違いとなる。
たしかにこのような絶対性は完璧に知ることもできないし絶対的な正しい人の行動もない。
しかしこのような思考方法には大切な思考が抜けている。
それは時間の流れからの発展性である。江戸時代の人々が知ることができない事柄についてはその江戸時代の人々にとっては知りえないもので知ることはできないものだった。しかし現代人はその江戸時代の人々が知ることができなかったものを知っている。そして現代人が知ることができないものを持っていても未来の人々は知ることができるだろう。このように時間の流れの発展性を見ると知ることはできないといわれたものを知ることができたわけです。
人が知りえることには限界がある。この言葉はその人が生きている時間の中において知ることができないものだが、発展の過程で知りえるものへ変化する。人が知りえるものには限界はないとも言えるだろう。
ではなぜこの知ることができるというある意味の絶対性はどこから来るのか?
それはその時に知りえないものを知ろうとする中で生まれる法則性の発見である。
今の科学も、今は知っていないが今知っているものの法則性の中に知りたいものを発見する。もちろんその法則性の判断に間違いがあれば知ろうとする者も知ることはできない。そこでその法則性を修正しながら知ることができるというところまで到達ができる。その法則性が正しいならば時間の流れの中での発展性が知ろうとする知るべきものを知ることとなる。
絶対性はないが法則性はあるのです。
その法則性は絶対にこうなるというものではなくて人の営みなら全く同じ現象が出るのではなくて特殊性が出る中でのその中にある法則性の一致です。資本主義でも全く同じ資本主義ではなくて日本なら日本の特殊性を生みながらやはり資本主義であるという法則性のなあに位置づけられるというように。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
ラジオを聞いていたら、世界中の子供たちの中で学校に通学できない原因が貧困と紛争の結果だと言っていた。軽い気持ちで北朝鮮との軍事解決やむなしとか戦争を煽る言葉があるが、相手国の子供たちが学校に通学できなくなるのです。子供の貧困を考えるなら、平和も考えなければいけないです。(ツイッターより)
聖戦そしてテロとの戦い(正義の戦争)
テロは市民を狙います。そのテロに対する戦いもまた市民を犠牲にします。
戦争は、必ず自国を正義として相手国を悪とします。
北朝鮮による核開発とミサイル。たしかにこれは阻止しなければならないのですが、北朝鮮から見れば敵対するアメリカは核大国で先制使用も辞さない。核実験も北朝鮮は矢継ぎ早に行っています。しかしアメリカは戦後でもどのくらいの核実験を行ったでしょうか?ビキニ環礁での水爆実験では被ばくを生じております。
核拡散は大切です。しかし核大国間での核兵器削減は進まない。
市民の犠牲は悲惨です。これは日本も原爆を落とされたり空襲で肌で知っていることです。その市民の中でも子供たちの被害が大きい。戦争や紛争で生き延びても学校にも通えない。飢えや伝染病。。。。。
日本も自分の子供を守るのが精いっぱいという風潮になっています。
子供の貧困の拡大で子供の格差が広がっています。
社会は貧困の連鎖に陥っています。子供は生物学としての遺伝子とともに、豊かか貧困化という社会的遺伝子を背負わされる。
戦争や貧困(経済矛盾)は人が作り出しているものですから、必ず人がその矛盾を解決できるはずです。

【2018年】ツイッターつぶやき
昨夜テレビ番組で群馬県では茄子の蒲焼がよく食べられているとやっていました。
たしかにありますねぇ。。。。なすの蒲焼重
テレビを見ていておいしそうでしたのでつくってみました。
スーパーに行ってウナギのかば焼きは買わずに足れタレだけを買う。。。。初めてです。
なすの皮をむいてラップをしてレンジでチン。
開くように切れ目を入れて開く。
油で焦げ目が出るように両面を焼く。
蒲焼のたれをかけて出来上がり。
案外簡単にできました。
見た目もどことなくウナギで美味しかったです。
でも茄子ですなぁ。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
昨日の朝日新聞朝刊3面に「高齢者が運転辞めたら要介護可能性2倍」という記事があった。
健康な高齢者の車の運転の事でしょう。認知症などすでに罹病していたら話は別でしょうね。
調査方法は喫煙者の肺がんが何倍といったような方法であまりあてにはならないでしょうが、高齢者から車を取り上げること、高齢者が免許を返納することについてはこのブログでも賛成はしてこなかったですが、このような記事は高齢者の運転について考え直す良い機会にはなると思います。
高齢者の事故が多く取り上げられていましたが、それはテレビなどの報道によって高齢者の事故を特別に取り上げられていたにすぎません。特別に取り上げられていると社会問題のようになってしまいますね。
でも全世代において事故はあります。世代(年齢)別による事故の要因が違うだけでしょう。
車の運転は楽しみでもあり生活の足ですから、楽しみを奪われて日常の行動範囲も狭くなれば、要介護者も増えるのかもしれませんね。これは何も車の運転だけではなくて、様々なものについて言えることです。
車の運転はカネを稼ぐためでもあります。タクシーの運転手さんを見るとだいぶ高齢の方が多い。社会全体を見ても今の政治は高齢者の就労を促している。すると高齢者のドライバーも多くなるわけです。
仕事での運転と楽しみや日常生活のための運転とは違いますね。
仕事での無理は事故を引き起こしやすいでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
日常生活を送っていると、あらゆるところで人の労働によってその日常は支えられています。当たり前すぎでそのあらゆる人の労働を意識しないで過ごしています。
このあらゆる労働は社会の富やサービスなどを作り出し、その作り出した物を日常消費をしています。ここを忘れてはいけませんね。
しかしこの人の労働に寄生する人々がいる。
社会システムがひ働く人々の生活を切り下げてその富を少数の人が独占する。これは能力のある人が豊かになるとして富を独占する人が尊敬されるような変な社会になっています。しかし働く人々が作り出した富を独占するのですからそれは寄生です。政治がこの規制する人々に独占されて政治そのものが規制を当たり前にする社会システムを作っている。すると、その政治自体が社会に寄生をしていることになる。
ですから、このような社会においては貧富の格差が拡大される。日常当たり前に働いている人が貧困化してゆき、帰省する人々が豊かな生活をする。
古代社会からこのような社会システムが続いてきたのですが、今の資本主義も同じで、新自由主義は資本主義のこの仕組みを当たり前にしてしまいました。
もちろん社会はその時代時代で発展をしてきましたが、資本主義の現在も残存物が残っている。その残存物とは、階級です。
寄生する人々という階級と、当たり前に働いて貧困化する階級です。
この階級間で常にぶつかりが生じます。しかし、まだ働いているのに貧困化する階級にその自覚がありません。自覚がない以上に互いの競争して内部での階層化を招いています。
しかしだんだんと自覚されていくでしょう。
無理?
無理ではなくて実際に階級を意識した55年体制がありました。
そして自覚されないならば、資本主義は経済そのものが破綻に向かうでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
コロナ禍のため最近では調剤薬局の倒産や閉店が出ているそうです。それだけ医者にはかからなくなったのかもしれません。もちろん病院や小さな医院は患者数が減っているのでしょう。風邪をひいたときにお世話になっている内科の前を来るまで時々通りますが案外暇そうです。
僕は医者といえば年に2回ぐらい眼科へ行くぐらいで少しぐらいの風邪なら医者に行かないで民間療法で治しています。といっても食うものは食って免疫力を高めるという考え。
持病を持っている方は今でも通院しなければならないことは確かでしょうが、昔から日本の医療は薬漬け・検査漬けを言われていました。そう考えれば今医者が暇になったのは正常な状態に戻ったのかもしれません。また医療費も自己負担が多くなり年金暮らしのお年寄りも以前のように社交場のようには医者に行かなくなったこともあるでしょう。
一方ドラッグストアーの薬の売り上げはどうなんでしょ?
ドラッグストアーも最近はコンビニやスーパー化が目立ちます。こうしないと売り上げが伸びないのかもしれません。
そういえば公費による(一部自己負担)健康診断はどうなんでしょ?
やはり受けない人が増えているのかもしれません。
今の現状が国民の健康管理の後退と現れるのか、薬漬け検査漬けの改善として現れるのか。

【2022年】ツイッターつぶやき
一昨日、のっぺ汁を作ったのですが、残ってしまったので、今日かき揚げにしました。
あまりうまいというほどではないですが、揚げたてを味見をしたらまぁまぁの味。
数年前ぐらいまでは時々つくっていたのですが、テレビの旅番組だったかで乗っぺ汁が出てきたので急に食べたくなり作りました。
鶏肉、干しシイタケ、ゴボウ、ニンジン、サトイモ、大根、蒟蒻を入れました。
すべて小さめの角切りです。
鍋にごま油を入れてすべての具材を炒めます。
水を入れて出汁の素、塩、砂糖、酒、みりん、醤油で味付けです。関東は薄口醤油がないので塩を多めにして醤油は少しにしました。
あとはゴボウなど硬い野菜に火がとおたら出来上がり。
のっぺ汁とはいえ汁物の様に汁をすするわけではないので汁気はほとんどないぐらいの量です。
里芋のとろみが出てこれがまたうまい。
乗っぺ汁というのはどこの郷土料理なんでしょ?
案外いろいろな県でつくられるようですね。子供の頃おふくろが時々つくっていたので、新潟の料理かなとずっと思ってましたが。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
ジャニー北川さんからの性的被害について多く報道されている。
こうした性的被害は、これまでも女性の性的被害として問題化され裁判にもなっていたが、今回は男性で性的被害が告発されている。ジャニーズの方は、裁判となる前に法相問題になっている。補償問題が解決すれば性的被害の中身についてはうやむやになるでしょう。
しかし一方ではマスコミは自らの責任から逃げているような気がします。
ジャニーズ事務所の責任問題やエンタメ業界の問題は言うがマスコミとしての地震のことは言わない。
昔からこの性的被害については週刊誌によって告発されていましたが、大手マスコミは追及をしてこなかった。このように放置されていたことが被害を拡大したのではないか。
週刊誌の記事だからで済ませていた問題は大きいでしょう。
特に今回の性的被害は、単なる性的被害だけではなく、子供への性的虐待であるでしょうからこの点でも追及しないと世界から笑われます。日本のマスコミは。。。
コメント
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「9月 6日という日」

2024年09月06日 08時01分33秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

(2003年)
体のだるさと微熱治らず。
医者に行ってきました。胃腸が弱っているということで、薬はもらったのですが、一応念のために肝臓検査のために採血もしました。
いつもの町の医者なのですが、行きつけの医者はやはりいいですね。。。。あまりお友達にはなりたくないけど(笑)
この医者は小児科も一緒なのですが、だいぶ前診てもらっているとき、「はい・・・ア~ンしてぇ・・・」と小さな子供にいうようにいわれたのは参りました。先生も恥ずかしそうに苦笑い(笑)

【2004年】
浅間山が噴火をし、東海沖では地震。
なんか怖いですね。
台風もよく来ますし、自然の怖さを実感します。
自然は人に安らぎを与えてくれますが、恐怖も与える。
天気がはっきりしません。台風がまた日本海方面に抜けそうですが、関東もまた2,3日荒れるかもしれません。
今年の夏は猛暑でしたが、妻が「今年の夏は、ほんと短く感じた」といっていました。残暑らしさもありませんし秋を早く感じますね。

「群青の夜の羽毛布」 山本 文緒  著
さとるは、妹みつるとしつけの厳しい母親との3人暮らしか。父親はいないが幸せに暮らす母娘がいる。
しかしこの作品の冒頭には、カウンセリングを受けて話をしている男がいる。
家事を行うさとるは鉄男という恋人と出会い、家族にも紹介をすることになる。鉄男は家族に温かく迎えられる。ここにも幸せそうな母娘の姿がある。
しかしはじめの章の終わりには、紹介した鉄男をか、門限に遅れなかったことに帰ってから母親や妹に「合格?」と明るく聞くがその返事は冷たく無い。
カウンセリングを受ける謎の男、幸せそうな中にある冷たさ。読者は「あれ?」と思う。
この作品は、サスペンス調に書かれていますのであらすじなどは控えたほうがいいと思いますが、読み続けるうちに読者の「あれ?」というものが明らかになっていく。
父親がやっとの思いで購入した「家族の幸せ」の象徴とも言える家は、バスの弁も無いあえぎながら坂道を登った高台にある。さとるは、重い買い物袋を持って息を切らせながら登っていく。恋人鉄男はこの坂にたじろぎ車でないとさとるの家に訪問できない。きついこの坂道の風景は何度となく現れ、「家族の幸せ」という家に帰る人々はあえぎながら帰っていく。この風景こそがまたこの作品を象徴しているのではないか。
次第にこのあえぎの声が大きく聞こえてくる。「家族の幸せ」を守ることにそれぞれの人々はあえいでいる。本来は家族の安らぎの場である家は、あえぎながら上らなければならない所にあり、それと同じようにそれぞれの人々は、本来安らぎのあるはずの家族を守るためにあえいでいる。
それでもこの家族には幸せなときがあった。父親が運転をする車で家族で行った海。そして何よりも父親が課長に昇進をしてやっと買い求めた家。しかしどこでどう間違ってしまったのか。この幸せはもろくも崩れる。家族はお互いに依存しながら生きているが、そのことは当たり前のことである。この依存し合うことはひとつの家族への期待でもある。母親は父親への家を持つことへに依存・期待があり、頭のよい娘のへの期待がある。そしてしっかりとした職業に就くことにより「結婚をしなくてもよい女」という自分にできなかったことを娘にある意味では依存する。母親がこの自身の依存・期待を裏切られる中にヒステリックになり、家庭の中での冷たさが表れているように読める。
父親は、片道2時間の通勤の末にあえぎながら坂道を登って帰宅をする。そこには妻の優しさを求めただろう。それが男の妻への依存・期待である。悟ると恋人鉄男のせいの描写が描かれているが、この鉄男は、ある意味では若き日の父親の象徴かもしれない。鉄男は母親とも一晩を過ごしてしまうが、なぜあのようになったかがわからない。ここに男の甘えたいというようなものが見られ、父親の妻への依存・期待が見える。何も性だけではないが、安らぎをを求める。
娘は、「好きなお父さん」に依存・期待をし、優しい母親に依存・期待する。カウンセリングを受ける謎の男は言う。「でも、もっと底なしの井戸みたいな感じです。喪失感?ああ、それに近いかな」
これらのそれぞれの家族が依存・期待を裏切られていく。もちろん誰が悪いという問題ではなく歯車が狂っていくのである。この中でそれどれが疲れきっていく。
この家族は、最後に修羅場を迎える。
修羅場という最後の大きな波が引いたときに何か温かさを感じる。
この暖かさは、
「帰ろう。
 けれど、どこへ。
 どこへ帰ろうか。
 家に。家族の待つ、自分の家に。」
というさとるの言葉にある。
この言葉は、最後の修羅場を迎える前のさとるの言葉であるが、僕の読後感として残る言葉はこの言葉でした。
しかしこの帰る家に幸福が必ずあるとは読めない。未来への新たな不安を抱えたままでの一瞬の静けさかもしれない。

【2005年】
アメリカのハリケーン「カトリーナ」のニュースを関心深く見ていた。
ニュースの画面を見ていると、そこに映るのは黒人ばかりで白人はほとんど見ない。たしかにニューオリンズといえば、黒人文化のジャズを生んだ地であり、黒人が多いのもうなずけるが、これがアメリカの地であるのか?と思いながら見ていた。
1週間が過ぎてその惨状が徐々に明らかになってきているが、同時にこの災害を見る視点も情報として流れはじめている。
ニューオリンズはゼロメートル地帯であり、堤防施設が重要らしい。その補強が必要と言われながらも補強はされなかったという。理由は財政面からとも。
そして貧しい人々がたくさん居住しているらしい。
救援の遅れについては、犯罪の増加という理由もあるようだが、人種差別もあるとか。。。。
このようなことがニュースなどで流されているが、一方的な見方も強いだろうし、ある程度の事実をも反映しているだろう。その中で言えることは、アメリカの貧富の格差が拡大しており、ハリケーンのような自然災害であってもこの貧富の格差の中に被害の格差も存在するのではないかということである。
貧しい国々においての自然災害は悲惨さを示すが、豊かな国といわれる国の中においても貧しい階層の人々は悲惨な状況におかれることがあるのではないか?
こうみると、豊かさというものが何かと問われるような気がする。
豊かな国の国民あるいは市民。。。しかしこの「国民」「市民」というものの中には、貧富の差がある。その中で国は「国民のため」「市民のため」に動くのだが、場合によっては、「どの階層の国民のため」か、「どの階層の市民のため」かが問題になってくることがある。
そこに国で言えば財政という金の問題が出てくる。同時にそれは必然的に具体的な政策に現れる。
これが自然災害に対しての安全の格差拡大にも、国の中の貧富の拡大というものにもなって現れる。国民あるいは市民個人個人の競争力だけではないのである。

【2006年】
郡上八幡で買った味噌で毎日味噌汁を作っています。
今はあまり塩辛い味噌というものが少ないのですが、この味噌はかなり塩辛い。少し薄めに作って味としてはちょうどよいほどです。でも、味噌の風味が物足りないので多く入れてしまう。しかし。。。美味い。
郵送で送ってもらおうかと思ってます。
久しぶりの雨。買いものにいったら帰りに降られてしまいました。小雨だったのでそうはぬれなかったので助かりました。少し肌寒さも環いる雨。。。一雨ごとに秋が深まり、夏の残像が消えていくのでしょう。しっとりとした空気。。。気持ちが良いです。

「風に舞いあがるビニールシート」 森 絵都 著
<2006年上半期直木賞受賞作>
表題作の「風に舞いあがるビニールシート」を含め、六つの短編からなる短編集です。先に読んだ篠田説子さんの短編集「レクイエム」にあとがきにある
「作品を1作ごとに気分を変えつつ読まれ、全体のテーマを感じとっていただければ、たいへんにうれしい。」
という意味において、この作品も短編集の一つの表現方式に沿った短編集であると思う。
一つひとつの短編がテーマ的には複雑なところで絡み合いながら進むが、最後に全体的な感想の中に何か心の中に残る。この残るものもあんがい複雑である。
僕はタバコを吸う。たしかに吸わない人に迷惑をかけているかもしれない。しかし、一部の人の中には、タバコ税を上げて一箱500円や1000円にすればタバコをやめる人が多くなり禁煙につながるというような乱暴な意見を言う。嫌煙運動は否定をしないが、増税という制裁的な金による強制の言動には、狂気、病的さを感じる。
嫌煙運動は、タバコの吸える場を限っていき、分煙を進める中にも存在をするし、もっと穏やかなもののはずである。JRが駅や電車の中から灰皿をなくせないのはその理由がある。同じようにタバコ税をとっている行政は、最低限の分煙を支援しなければならないし、町の美化にも灰皿の設置は当たり前であり、その灰皿にゴミを突っ込むようなマナー違反もなくさなければならない。
こう見ると、タバコの問題は、狂気的な病的なものでの視野の狭さを捨てなくてはならない。
タバコの例は、ここでは吸うものの立場からのものだが、この狂気的な病的なものは、視野の狭さから生まれる行動であり、このようなものはあんがい多くあるものである。
この視野の狭さからの狂気・病的さを人間のマイナス部分のある一面とすれば、その対極にはプラス部分での自己犠牲や常識に縛られない美的意識的な陶酔などの行動がある。たしかに自己犠牲をバカな奴だという見方もあれば、浮世離れした美的意識を笑いもする。しかしこれは見る側の意識や見識の問題であり、対極な関係にあることは間違いないだろう。また、この狂気と自己犠牲、病的さと陶酔は、一人の人間の中に裏表として同時にあらわれることもあるが。
短編集としての「風に舞いあがるビニールシート」は、この狂気と自己犠牲、病的さと陶酔という二面性を短編集全体から表現をしたものではないかと思う。
自己犠牲と美意識への陶酔のよさを表現するだけの短編集ならば、駄作だろう。
「器を探して」の弥生は、ヒロミの作るケーキを絶賛をし、そのケーキのためには自分の人生をも犠牲にする。そのケーキを乗せる器を探す弥生は、これしかないという器を手に入れるために。。。。。恋人を裏切ることにもなる。いや、弥生には裏切るという意識すらなくなるほどに陶酔をする。この自分を犠牲にするほどの陶酔の中に狂気と病的さを同時に感じるのである。
「犬の散歩」の恵利子は、捨て犬の里親のボランティアのために昼は犬の散歩があるので働けないからと夜にスナックでのアルバイトをする。夫もいて生活面では何の不自由もないのに。捨て犬の里親のボランティアという素敵な運動に参加をするために自己犠牲の上に行うが、夜の仕事にまで行くという狂気と病的さを同時に感じるのである。
この二つの短編に見る一つの側面である狂気と病的さは、人間が物(犬は物ではないが)に支配をされていくという異常さを見る思いがあるのである。
森絵都さんは、人の持つ自己犠牲と美的意識への陶酔という素晴らしいものを直接的に描かないで、なぜもうひとつの裏返しの側面である狂気と病的さを感じるものを描いたのか。ここにこの短編集を全体的に理解をする鍵があり、駄作ではないことが読み取れるのでる。
先に、「一つひとつの短編がテーマ的には複雑なところで絡み合いながら進むが、最後に全体的な感想の中に何か心の中に残る。この残るものもあんがい複雑である」と書いたが、この複雑さがこの狂気と自己犠牲、病的さと陶酔の二面性にあるのである。
森絵都さんは、この狂気と自己犠牲、病的さと陶酔の二面性を描いた後に、人の持つこの二面性をどう解釈するのかを「守護神」「鐘の音」「ジェネレーションX」という3つの作品で描く。
「守護神」は、働く人たちが集まる二部の大学が舞台であり、働きながら学ぶ大変さの中に論文を書く時間的な余裕もない中にレポート代筆のカリスマ的女性学生「ニシナミユキ」を探し頼る祐介を描く。なかなかあえないカリスマという神秘性の中にあるニシナミユキを探す祐介に病的さを感じるのであるが、結局はニシナミユキも普通の女性であり、カリスマ学生や代筆の守護神であるという神秘性のベールはなくなる。ニシナミユキから、レポートを自分で書き上げてと渡される守護神としての人形は、ニシナミユキが仕事上で失敗をしてまったく売れなくて倉庫に眠るキャラクター人形だったのである。ここに狂気と病的さが消えうせる。
「鐘の音」では、慈悲。。。。この慈悲という魂を抜いた仏像はただの彫刻である。仏像の修理をする潔は彫刻の美としての慈悲を見るが、心の慈悲を忘れている。ここに錯覚があり、狂気と病的さがある。潔が病的なほどに陶酔しきって修理をした仏像は後年、信じていた不空羂索ではなかったと知り、人を狂気的にも病的にまで心を支配する恋と同じだったと潔は思う。潔という一人の人間の人生の時間の流れの中に狂気と病的さが消えうせる。
この人生の時間の流れの中に狂気と病的さが消えうせるというものが、「ジェネレーションX」という短編に継がれるのか。
入社時は、「新人類」という呼び名で呼ばれた健一。健一の上司は団塊の世代。団塊の世代が消え去ろうとしている今、新人類の健一の世代が中心になろうとしている。そしてまた健一の世代が今風の若者に接するのである。「今の若い者は。。。」という嘆きは世代を超えて共通している。
健一が取り扱った商品に苦情が来て、その商品の発売元若い社員根津とお客のところに謝りに行くという一日を描く。
「今の若い者は。。。」という苦言の裏には、自分を越えていく若い人の成長を見ることでもあり、自分の世代にないものを発見することでもある。健一は根津の今風のノリにはっとする。
このような一つの世代が消えてまた新たな世代が現れる中に、社会の中にはその新しい世代の若さからの純粋さというものが伝わるのではないか。それに気づいたとき、古い世代は自分の今を見直す。
若さからの純粋さといったものも古い世代から見れば一種の狂気でもあり病的さにも見える。自分の理解を超えているものであるから。しかし、この侠気や病的として見えるものも世代を超えて消え去っている。
狂気と自己犠牲、病的さと陶酔という二面性。。。
この作品の読後感の複雑さは、この二面性を分離して見てしまうと、読後感に引っ掛かりが残ってしまい、この短編集全体の主題が薄れてしまう。短編集全体が描くものは、この二面性を常に人は持つということである。
問題なのは、狂気や病的なものから冷静さを取り戻すことであり、この冷静さから自己犠牲と陶酔というものをもう一度見ることにある。
里佳の夫アメリカ人のエドは言う。
すさまじい風にビニールシートは舞いあがる。いくら押さえようとしても強い風は吹きすさぶと。
表題作「風に舞いあがるビニールシート」は、紛争地域で難民を救う国連難民高等弁務官事務所に働く里佳とエドの二人を描くが、戦争という風は亡くならずに難民はその風に吹き飛ばされてさまよう。エドは犠牲となって死ぬ。里佳は「普通の」女性だった。エドの活動と自己犠牲、夫婦の犠牲を理解できなかった。里佳は理屈ではわかるが、1年に1週間や10日ぐらいしか日本に帰らないエドの自己犠牲を。
いくら自己(自国)の正当性を美辞麗句に並べた戦争でも、それは狂気と病的な世界であり、一般庶民が犠牲となったり難民となる。その狂気と病的さに対してエドのようなビニールシートを押さえる自己犠牲がある。このような人間の持つ狂気と自己犠牲、病的さと陶酔という二面性は、常に社会の中に様々な形として現れる。様々な部分で冷静さのなくなった凶器と病的さは、一方においてはその矛盾から生まれる弊害を抑えようとするほかの人間の自己犠牲を産んでしまう。
こう書くと誤解をされそうだが、国連難民高等弁務官事務所などというものはないほうが良いのである。里佳は言う。
「やはりこの国は平和でいい、平和ボケ万歳だ、望むところだ、」(中略)「彼らがその下に敷いたビニールシートをしっかりと大地に留め、荒ぶる風に抗い続けますようにーー。」
                    (313ページから引用)
人間は、一人ひとりの中にも狂気と自己犠牲、病的さと陶酔という二面性を持ち、その一人ひとりの人間が集まってできた社会や国家の中にも狂気と自己犠牲、病的さと陶酔という二面性を持つ。この二面性をそのままにしていれば、矛盾はなくならない。狂気と病的さは、誰でもが持つが、それは良い意味での自己犠牲と陶酔に昇華されなくてはならない。その昇華される過程に自己犠牲などという矛盾も、必要性のないものはなくなっていくのである。
その中に生きているのは、里佳を「普通の」女性と書いたが短編集全体にでてくる普通の人間達なのである。そして読者も。。。。
その普通の人間が狂気と病的さを離れてどう冷静に考えるかである

【2007年】
午前中は雨もなく風もなくて助かりましたが、午後から荒れてきました。
明日の午前中いっぱいは暴風圏の中みたいです。こんなに強い台風の直撃は久しぶりな気がします。
子供の頃は、東京にも大きな台風が毎年のようにやってきたのですが、今はあまり上陸しません。台風の過ぎた後、急に秋めいてくるあの寂しさ。。。子供の頃から嫌いでした。9月も下旬になり秋も本格的になると秋も受け入れて楽しみますが。。。。
今夜は、肉じゃがとタラの唐揚のトマトソースがけ。
肉じゃがも久しぶりです。夏の暑い日にはあまり食べたくないですからね。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
僕が一番好きで頭から離れない夏生さんのイラストがあります。
「つりわベイビイズ」(角川文庫)の76・77ページにあるイラストなのですが、僕は密かに「銀色夏生観音」と名付けて崇拝をいたしております。
僕が金のある寺の住職ならば、小さな仏像を作りひっそりとした自然の森のような場所にやはり小さなお堂を建てて日夜お経を上げます。
お経は「夕方らせん」の中の「夕方らせんに住む人々」を漢文に約し音読みでお経にするでしょう。。。。
観音様は愛の女神。でもその女神は恋を成就してあげるといったような現世利益ではなく、悲しみと孤独にある愛は心を一つ高いところに導いてくれるという小乗的教えとなるでしょう。
愛されないことは悲しく孤独である。
しかし、愛することガできなことはもっと悲しく孤独である。
愛とは何か。。。。その深さは果てもないほどに。
でも、そんなに堅苦しいものではなくてハハハ・・・・と笑えるような心。
仏像の天蓋にはイラストにある桃のような饅頭をちりばめ、女神はヤカンをぶら下げる。。。。。
でもそれがまた悲しみと孤独を教えてくれる。
訪れる女性たち(もちろん男もですが)は恋がかなわなくても心にあたたかい愛を感じる喜びを感じつつお土産店で桃のような饅頭を買って帰る(笑)饅頭を食ってこれでいいんじゃないかなと涙する。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
VOICEという出版社から夏生さんの2冊の新刊が出ました。
     「ECTON×銀色夏生」
     「こころのこぶた」
の2冊です。
エクトンについては全くの未知の世界です。夏生さんの「つれづれノート」には、昔から占いの話がよく出ていましたし占い師「ミラさん」との本もあります。また最近では外国でのサイキック、チャネリングを経験されたものもあります。
その中で今年、リチャード・ラビンという方に「降りる」?エクトンという肉体を持ったことのない宇宙的広がりを持つ意識体、「体}、物理的な姿を持たない存在という意味においての意識体です。そのエクトンとのセッションを1冊の本にしたものです。
エクトンは肉体を持ったことの意識体だが肉体を持つ人々に愛や優しさを伝える存在。。。。夏生さんに何を伝えたのでしょうか?いや、夏生さんの場合は昔から占いなどを「信じて」鵜呑みをするような方ではなく、ご自分のその時の意識を確かめるような再確認するような形で受取り行動に移すことに役立てていました。ですから今回のエクトンとのセッションもこれまで書いてきた愛についてとかそういう生き方についての夏生さんとエクトンとの対談的な本ではないでしょうか。
エクトンは不可思議な世界ですが、結局は人の言葉で人が生きる世界を語るのですから神が出てくる宗教世界でない限り現実的な言葉として受け止めることができるのではないでしょうか?
人の生き方についての一つの世界が「こころのこぶた」なのかもしれません。
50枚のトランプ状のこぶたのイラストと言葉。その言葉を解説した本。夏生さんの一つの精神世界でしょう。
大切にしたい本です。

【2012年】ツイッターつぶやき
以前、「お客様は神様です」という三波春夫さんの言葉が嫌いだということを書いたことがあります。
今朝の朝日新聞13面「耕論」にこの「お客様は神様です」という言葉のとらえ方について書かれてありました。
お客様は神様だという中身について誤解をしているのではないかと三波春夫さんの長女美夕紀さんの言葉も載っていました。お客様のために格安のホテルをと頑張っているホテル関係者の方はコンセプトに合わない場合はほかのホテルをと勧めると。お客とサービスを提供している側が互いに「ありがとう」と言える関係を言う大学の先生。
企業も企業利益を犯すようなお客には毅然とした態度をとるのでしょうが、しかし現場でのその企業の従業員とお客との関係となるとどうでしょうか?やはりそこにはお客様は神様ですという金(利益)を挟んだ人間関係が作られているのではないでしょうか。
「お客とサービスを提供している側が互いに「ありがとう」と言える関係」。。。。この人と人との心の接点がおろそかになっているのではないでしょうか。

消費増税が決まりましたが、この消費増税は社会保障に当てると言われます。ふつうこう言われればこれまでの実績の予算プラス消費増税分を合わせた額が新たな社会保障関連予算になると思ってしまいます。
たとえばこれまでの社会保障関連予算が仮に10兆円あって、新たに消費増税分として5兆円増えたならその年から社会保障関連予算は15兆円になると。。。。。こうなれば確かに社会保障は充実されるでしょう。
しかしこれまでも消費税は社会保障費の目的税というように言われてきましたが、一向に社会保障は充実された実感もなく、逆に破たんが言われたり福祉の切り捨てが言われます。
今回の消費増税も決して社会保障の充実にはつながらないようです。
子ども手当という新たな社会保障(福祉?)も言われますが、児童手当に毛が生えたようなもので、この財源の一部は扶養による減税分をなくすことで生まれるものですし、消費増税分から回されるのは微々たるものでしょう。そして「消費増税は社会保障に当てられる」というのは、社会保障予算に国の借金があるからこの借金を減らすという意味で、例えば上の例で言えば10兆円の予算のうち5兆円が国の借金で補っていると決めつけられて社会保障予算はそのままの10兆円となるという事ではないでしょうか。ですから消費増税は国の借金を減らす目的でもあると言われ、将来的には10%でも足りないと言われるわけです。
百歩譲って消費税分が国の借金を減らすというならまだいいのですが、社会保障費としての借金分を公共事業に回すという事が言われています。結局は社会保障の充実は行われずに国の借金も減らずに公共事業が増える。イコール消費増税は公共事業予算となります。
これではこれまで言われていた若い人の不安を軽くするという事は無理でしょう。若い人の負担を減らすのは消費増税ではなくて例えば年金支給の減額などとなっていくでしょう。すでに生活保護費の認定が厳しくなったり需給での事務的な手続き(家族の年収などの調査など)が需給をしにくくなるのではないかと心配が出ています。減額もされそうです。
開いた口も塞げないペテンにかかったようなものです。

【2013年】ツイッターつぶやき
商品の価値はその時代の生産性によって決まる。機械化やロボットというもので商品がより多く生産されるならその商品の価値は下がる。この商品価値が基準となり経済は動く。
生産性は日々向上して商品の価値を下げ続けるわけですが、それは市場での価格も規定するわけです。商品価格も下がっていく。
企業利益は一つの商品価値、市場においては価格が下がれば同じ商品量を生産しているなら利潤は低下するでしょう。おなじ利潤を維持するには、たとえば商品価値が10%下がったなら10%多くの商品を市場で売らねばならない。しかし企業にしてみれば10%多く商品を売っているのになぜもうけは同じなんだとなる。ましてや市場でその商品量が過剰なとき10%の商品が過剰となればもうけが少なくなると感じる。
この商品の過剰は市場から見た見た目の過剰であり、その商品を消費する側に貨幣量が足りなくてそのためにその消費を購入できないならばその商品は本来過剰ではないということになる。
このギャップを大きくするのが賃金をコストとみなして賃下げを行うという経済法則に反した企業自ら作り出すものである。商品が売れないなら企業間競争は値下げ競争となりさらに儲けの幅を狭くしていくだろう。このことによる商品の市場における価格の下落傾向がデフレ圧力となる。生産性が極度に発達した社会においてのデフレとはこのような傾向を示すのではないか?
これは貨幣量総体が不足しているように市場では見えてくる。
中央銀行は貨幣量を増やせばこのデフレを克服できると勘違いをする。社会の金融市場は高度化していて増やされた貨幣はその金融市場に流れる。それが例えば株価に出たときには企業は利益が上がりデフレがなくなったと勘違いをする。しかし現実の商品量の流れに何の変化もないし思ったように商品価格は上がらない。貨幣価値の低下による輸入材の値上がりによる商品価格の値上がりに物価上昇という幻想を見る。ここから企業は抜け出すことができなくなるのである。量的緩和という金融政策の出口は見えなくなる。更なる貨幣量の増加。
この矛盾はデフレからの脱却を表面的な商品価格の変化として見たり、貨幣量の増加という中での貨幣価値を忘れた物価としてしか見ないところにある。
今必要なのは貨幣量ではなくて貨幣の回転なのである。もちろん貨幣の回転も金融市場で流れていれば回転数が高まっていると見えるだろうが、あるいは富裕層での消費の拡大に貨幣の回転を見ることもできるだろうが、それは本来の貨幣の回転ではない。貨幣の回転にはその方向が重要なわけです。特に労働賃金や社会的弱者の方向に貨幣が回転しなくては本来の回転の意義がなくなってしまう。労働賃金などに貨幣が回転するならば商店やスーパーなど大衆消費財を販売する商業などに貨幣は回転する。それらは商品を製造する製造業へ回転する。この中で税として特に消費税が必要というならばその消費税として国に貨幣は回転する。このの税収は社会資本の整備となりあるいは社会保障の拡充により企業にまた回転するだろう。
結論は、貨幣量の問題だけではなくて貨幣の回転とその方向なのである。

【2014年】ツイッターつぶやき
初めに断わっておきますが、ここでの生産性の向上というのは労働者の賃金や下請けや孫請けの単価を切り下げるというものではありません。これまでの日本は賃金をコスト面から見て賃下げを行えば企業利益が出るのだからその面で賃下げは生産性を上げると考えていたのではないかと思う。それは安い労働力を求めて海外に進出すつというのも同じでしょう。
しかしこのような方法は本来の生産性の向上ではない。
労働力も資本主義社会では一つの商品となる。その商品を労働者は元が取れないくらいに買いたたかれるというのは経済法則にも反するわけですから。
生産性の向上とは、より少ない労働力量(労働時間)でより多くの商品を生産することです。
労働時間については同じ労働時間でも労働の密度や強度で労働力の消費量が違うわけですから過度の労働密度や強度は賃下げと同じですから、賃下げというものを本来の生産性向上はしてはならないということですからここでも過度の労働はさせてはならないということで社会的な平均的な労働力の支出とします。ですからブラック企業などといわれる企業は経済法則に反する企業となります。
ですからここでもブラック企業といわれるような反社会的な企業ではなくて健全な企業活動を行っている企業での資産性の向上を見ます。もちろん日本も国外もこのある程度歴史的に発展した段階としての健全な企業により経済は成り立っているのです。
生産性の向上はより少ない労働力量(労働時間)でより多くの商品を生産しますからその生産力によって一般国民にも多くの商品が行き渡って豊かにしていきます。これは今までの資本主義の発達の中で実際に起こったことです。ではなぜより多くの商品が一般国民にも行き渡るのでしょうか。資本主義は商品経済ですから商品をより多く一般国民が買うことができなければその大量の商品は行き渡りません。ですからある経済法則によって行き渡る必然性があるとみるのが自然でしょう。その経済法則というのは、少ない労働力でより多くの商品が生産されるのですからその商品は価値が低下をするということです。価値は価格に反映されますから商品価格も下ります。商品価格が下がれば当然その商品を買うことができる一般国民も増えていきますからそこから大量の商品が一般国民に行き渡るのです。
このように生産性の向上の一つの面が一般国民の生活を向上させるということになります。この生活の向上は何も物質的な豊かさだけではなくてより少ない労働時間で同じ商品量を制sンできるということでもありますから労働時間の短縮にもつながります。これも資本主義の歴史の中に見える事実でしょう。
一方での生産性の向上のもう一つの側面は、商品価値が下がるのですから企業は同じ商品量を生産していては利潤が低下していってしまいます。そこで常に拡大再生産を行わねばなりません。ですから今の日本も成長戦略と言いますしGDPの生産面が問題となる。しかし生産性の向上が競争するすべての産業内の企業で一般化されていくと商品は爆発的な勢いで市場にあふれますから過剰生産となる。そこでは拡大再生産は難しくなる。企業利益は減少をする。
先進国では第一の面と第二の面が互いにぶつかり合うことになり、それが一つの矛盾として現れる。
そこで先に触れた様な賃下げやブラック企業などというものも現れる。
資本主義というのはもともと企業利益のための経済組織ですからこの矛盾解決を企業利益の維持に向けます。それが経済指標にもなってしまいます。
一方では労働者は商品が市場に有り余るほどあるのだから分け前をよこせとなる。
経済矛盾は階層(階級)矛盾となる。
これが資本主義と社会主義の対立になるわけですが、実際は資本主義も福祉国家という形態をとりましたし、社会主義も今の中国を見てもソビエトを見ても資本主義的要素を多分に残しながらの経済です。資本主義も社会主義も国家が前面に出て経済を左右するしかないわけです。その中間的な位置に社会民主主義があります。
資本主義も発展すれば社会民主主義的にならざるを得ませんし、社会主義も完全な商品経済をなくすといったような共産主義経済となるには無理があって現実は社会民主主義的な経済です。社会主義が負けたが資本主義も負けつつあるといわれることもありますが、そこには社会民主主義が残るのではないでしょうか?
そこで先の生産性向上の二つの側面の矛盾は一定程度解決をしていくでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「自分を色に例えると何色?」
昔から、あまり存在感もなかったというのか、気配がなかったというのか。。。。。
子供の頃、家の中で普通に立っていても急にお袋が横にいる僕に気付いて「びっくりしたぁ。そこにいたの?」と。
もしかしたら無色透明なのかも(笑)
よく考えれば、人は生まれたときには無色透明ですよね。そこからいろいろな色に染まっていく。
一つの色に染まってしまうと融通の利かないことになります。
無色透明でありながら内面に様々な色を持っているというのが理想かな。。。。。

ルピナスとビオラの種をまきました。
くしゃみをすれば吹き飛んでしまうようなビオラの種。注意深くポットに蒔いたのですが、どのポットまで蒔いたのか。。。。。見てもわかりませんなぁ。
ビオラは去年も種から育てましたが、どうもうまく育たないものがありました。今年はうまくいくかな。。。。
ルピナスは初めてです。
ストックに似た花ですね。香りはどうなんでしょ?
今年は急に秋が深まって涼しくなってしまいました。
どうも秋晴れの日がない。
さて、11月下旬ぐらいには鉢に移せるでしょうか?
春から夏の花は、異常な日照不足もありましたがどうにかたくさん花をつけてくれました。でも、トリニアの葉が細くなってしまいました。あと1か月ぐらい花を見せてくれるかな。。。。
松葉ボタンとトリニアの種を集めています。

【2018年】ツイッターつぶやき
朝日新聞1面と34面に家族などから救急隊員に心肺蘇生を望まない旨をつげらることが多くなっているようです。
救急隊員もその対応に苦慮しているようで、対応のマニュアルもほとんどないそうです。
末期がんの方が心肺停止になった。。。。
その時家族が心肺蘇生を望まないと言って救急車を呼ばなかったらどうなるか?
もちろん支度ならば自分の家で死なせてあげようという気持ちはわかりますし、かかりつけの医者が飛んできて死亡を確認してもらえれば良いのですが、今はそうはいきません。
救急隊員はどうでしょうか?心肺蘇生を行わないというのも医療行為でしょうし、死なないように処置をして病院まで運ぶことが使命でしょう。救急隊員に心肺蘇生を行わなくてもよいというのは決めてはいけませんね。
あくまでも心肺蘇生をするか延命処置をつづけるかはやはり医者の判断と家族の考え方でしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
内閣改造がありそうですね。
なぜ今改造なのかわかりませんが、一つは外務大臣の交代でしょう。
ある意味更迭に近いかもしれない。
先の中国においての日韓外相会談も失敗に終わったのではないでしょうか?
外務大臣の発言で記憶に残るのは、外相の専用機が欲しいぐらい。。。。。
今の自公内閣の右傾化路線においては外相も日本の保守層の立場を貫かねばならないというのはわかります。ですから最近の日韓の摩擦は外相の責任というわけではなくて今の保守層の外交姿勢に問題があるのかと思います。しかしその中でも外相としては落としどころを内閣の中で提起できるようでなければならないでしょう。たしか、脱原発では一定の発言をしていたと思います。
安倍内閣自体の外交も保守の姿勢から韓国、中国、ロシアとの領土問題も進展がありませんし、北朝鮮との首脳会談もいまだに開くことがで来ません。目立つのは「積極的平和主義」という力による外交です。その力もアメリカにすり寄ってですから、さらに外交は複雑化します。
アメリカも保護主義(保守主義)と国際政治に対する力の政治にイランでも北朝鮮でも外交の成果が見えません。イランの核合意ではアメリカが孤立するかもしれません。
このアメリカに同じ手法で日本は外交政策を進める。しかし日本には歴史問題がいつまでも残り続けているという特殊紙があるのです。アメリカに追随したとしてもやはり日本の独自性は試されるのです。

【2020年】ツイッターつぶやき
今、政府のコロナ対策の流れは、もちろん経済にあるがその経済のために感染者扱いを蔑ろにする方向にあるようです。
ネット上でも若い人は感染しても重症化せずに死亡も少ないことからコロナは風邪のようなもんだとして軽視する意見が出ている。
高齢者は感染すると重症化する確率が高いので外出等は自粛しろと。
しかし自粛しろと言われても高齢者施設や病院等での感染は増えているし。高齢者の雇用は増加をして社会に出ないわけにはいかない実態もある。
結局若い人が感染すれば高齢者の感染も増加するでしょう。
若い人も風邪のようなもんだと言われて無症状や症状が抑えられれば社会に出ていく。何も遊びに出ていくだけではなくて仕事をするために会社にもいく。
しかし会社でクラスターが発生をすれば一時的であっても自宅待機ぐらいにはなる。
経済の立て直しを優先すべきとして感染者を蔑ろにすれば結局は感染拡大で経済活動も縮小するでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
東京もそして首都圏の3県も新規感染者数が下がってきている。
この中で緊急事態宣言は延長されるようです。
これまでは新規感染者数が減少してくると緊急事態宣言を解除したりまん延防止に切り替えたりしていましたが今回は延長ということですから良いと思います。しかし減少してきたとはいえまだ高い数字ですから宣言を解除できる状態ではないことも確かです。
また注目すべきはどのくらいの数字で下げ止まりになるかということです。
今回新規感染者数が減少した理由はどこにあるのか?
これは緊急事態宣言を出していたからというわけでもなさそうです。
ワクチンにより高齢者の感染者数が表面上では減少したし、検査体制も積極的疫学調査の中身も変わりましたがこういう影響もあるでしょう。
デルタ株という感染力が高いウイルスで重症者数も増加をして医療崩壊が言われ、若い人や子供にまでその感染が広がったことに国民自身の警戒感が出たためかもしれません。また夏休み中のオリンピックも終わり人の移動の活発化も抑えられてきているのかもしれません。
こう見ると今回宣言が延長されたとしても宣言自体の効果がどれほどかはわかりません。
でも減少したときにこそ検査の充実はやりやすいですから検査数を増やすべきですね。
しかし一方ではワクチンパスポートがデジタル化だけに発行する動きがあります。海外への渡航に限らず国内での活用もあり得るようです。
もちろん経済対策で行われるのですから、デジタル化といえば若い人が中心となるでしょう。まだ若い人の接種率は低いですから感染の広がりにつながる可能性は高いです。またこういったアプリで成功した例もない。。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
一夜明けると1円ほど円が安くなっている。
先週の週末だったか、つい数日前についに140円が近いかと書いたのですが。
円安も加速していますね。
アメリカの大幅な利上げがあるかと報道されただけで円は下がっていく。
日本は未だに日銀は出口には向かえない。
しかしアメリカもインフレと利上げのいたちごっこが続きますから、国民生活への影響は拡大していきます。利上げによる経済への影響はデフレ圧力となるでしょうが、その前に国民の消費を減らしていくでしょう。供給の過剰と見えるのは消費の縮小の裏側です。供給が足りずにインフレになっていると言われますが、供給が減らされインフレの抑制というのは経済の縮小です。
アメリカ経済は突如として急降下するかもしれませんね。
EUや日本の悪性の物価高とは質の違う経済矛盾かもしれません。

【2023年】ツイッターつぶやき
学校給食等の営業を行うHOYUが破産手続きに入ったらしい。
関東から関西四国の学校給食が止まったらしい。
倒産理由は、食材の価格上昇と値上げをできない実態があったらしい。
円安と海外のインフレにより食材の輸入に頼るわけですから値上げをするか質を落とすことでしか対応ができないのですが、相手が自治体ですからそうは大きな値上げ申請もできず、ただでさえ質が低下している給食をさらに質を落とすわけには自治体もいかない。自治体は予算化は急にはできないし給食に金をかけるわけにもいかず保護者への負担も今の経済状態では行えない。
何となく現在の日本経済を見る思いです。
昔は、給食のおばさんがいて給食室で給食を作っていましたが、経費削減のために外注化をした。もちろん外注化により予算削減ができるからですが、その予算削減をした契約でHOYUも請け負っていたのでしょうが、請け負う価格では赤字に。
子育て支援だとか言っていますが、食べる物さえままならない教育実態になってきました。
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