猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

はじめてのお菓子

2006年02月05日 01時51分25秒 | ルーツ
子供の頃。
「はじめてのお菓子」
という本が我が家にあった。

当時私は10歳くらい。
まだ、オーブンもそれほど普及しておらず、あっても「天火」と呼ばれる時代。
自宅でケーキを焼くというのが私の夢だった。
しかし、実際は小さなガスコンロがあるだけで、その頃はたぶんそれが普通だったから、ことさらにどうしてもケーキが焼きたい!と、わがままを言える状況でもない。
そして、そんなこんなのうちに母が突然いなくなってしまい、ますますケーキを焼くどころの騒ぎではない状態になり、私がお年玉で買ったその本は、しばらく陽の目を見ることはなかった。
今までも書いてきたが、父と、妹の食事を作るのが私の仕事となって、当時小学5年生ほどだったこともあり、最初はそれをこなすだけで精一杯で.....。

けれど.....
そんな中でも、お菓子作りの本は、私の心を引き続きときめかせていた。
それまで見たことも、もちろん食べたこともない色とりどりのお菓子の写真が、私の心を憧れでいっぱいにした。
道具も、お金も、知識もあまりなかったけれど、何とかそれを作れないかと、始終考えていた。
そして。
散々本を眺め、色々吟味した結果、数々の写真の中に、道具も材料も少なくて済むミントゼリーのレシピを見つけ、私はそれを作ってみようと決めた。

当時、確か私は夕食の予算として、毎日父から¥1500のお金を受け取っていた。
その中には、酒乱で頭のおかしい祖父が毎日必ず食べる刺身の予算も含まれていて、それが確か¥500ほどはしたから(昔ってこういったものが割高だったよね)、残りでその日の夕食の材料を買い、やりくりをしなければならなかった。
余裕があるとは決して思えない状況だ。
大人となった今なら、上手くやりくりも出来ようが、当時は小学生だし、買出しに行くスーパーだって、それほどない時代。
でも.....
どうしてもミントゼリーが作ってみたかった私は、その予算の中から少しずつへそくりをし、ついにそれを作る機会を得たのである。

その頃。
私が住んでいた場所から自転車で10分ほどの距離に、珍しい輸入食材を取り扱うスーパーが出来たばかりだった。
そこには、私が見たこともない、箱や瓶が美しく、ところ狭しと並べられており、それはそれは夢のような光景が広がっていて.....。
中でも、小さなリキュールボトルの並べられた棚にいたっては、キラキラと輝く色とりどりの液体が詰められた小瓶が、あたかも宝石か魔法の薬のように、妖しい光を放って、私を釘付けにしたものだ。
そして。
そこで初めてミントリキュールなるものを目にしていたからこそ、私は「はじめてのお菓子」からミントゼリーを選んだのだと思う。
おそらく、それを買い求めた私は夢見るような足どりで、家路を辿ったことだろう。
初めて作ったミントゼリーは大成功だった。
その後も、ことあるごとに私は、妹と、親戚の家から週末だけ帰ってくる弟と一緒に食べるための、コーヒーゼリーやらババロアやらを、へそくりで捻出した費用で作り続けた。
母親が突然消えてしまった生活は、それは寂しかったけれど、実は子供は子供で、子供なりに自分で楽しみを見つけていたのだな~と思う。
そして、今でも妹が言ってくれる、
「あの頃はすごく楽しかったよ」
という言葉こそが、私の色々な後悔とか、妹や弟に抱いている、充分なことがしてやれなかったという申し訳ない気持ちを救ってくれている。

そうだ。
私だって、あの頃はきっと楽しかったのだ。

しかし。
このミントゼリーには、実は大人になってからの後日談がある。
これは妹がその胸にずっと秘めていて、数年前にしてくれた思い出話なのだが.....

その、小学生だったある日の事。
いつものようにミントゼリーを作ろうとした私は、肝心のミントリキュールを切らせていたのを思い出し、妹にそれを買って来てくれるよう、お金を渡して頼んだらしい。
「らしい」というのは、当の私がその日のことを覚えておらず、妹の話によるからなのだが、私が彼女に渡したお金はどうやらミントリキュールを買うのに数円足らず、商品を持ってレジに行った彼女は、店員さんに言われて初めてそれを知り、困るやら恥ずかしいやらで途方に暮れてしまったのだそうだ。
で、この話はここがミソなのだが、彼女がその時一番に考えたのは、
「これを買って帰らなきゃ、erimaちゃんに怒られる!」
だったのだそうだ(笑)
まだ10歳にも満たない妹を買い物に行かせたあげく、そんな事を思わせるなど、なんとも酷い姉だが、結局、その足りない数円は、小さな子供が困っているのを見て、心を痛めた女性の店員さんがこっそり出してくれ、妹は無事にミントリキュールを私に渡すことが出来たのだそうだ。

しかし.....
それから数十年後、大人になってから聞いた、その話を思い出すたび、私は、大人になるまでずっとそれを私に秘密にしていた妹の心の内を思い、涙が出てきて仕方がないのである。
そして、小さな私の妹に、親切にしてくれたレジの女性への感謝の気持ちと。

.....ありがとう。


果たして。
今ではオーブンも各家庭にあり、我が家もご多聞に、漏れず。
あんなに憧れたケーキ作りも、今は思いのままだ。
しかし、妹が今でも言うように、
「あの、はじめてのおかしの本。表紙の写真から大きさまで、今でも忘れないよ~」
は、私の心でもあり、あれがあったからこそ、子供ながらも、寂しく心細い状況を楽しみに転じることが出来たのだと思う。
そして、その心は私たちの中に今でも息づいていて、だからこそ我が家の面々は、いつも逞しく笑顔なのかもしれない。

一冊の本と小さなエメラルド色のボトルがくれたものは.....
今も私たちの胸に息づいている。
宝石みたいなミントゼリーがふるふる揺れるさまも。
綺麗だったな。