ついつい見てしまう、美容整形番組「ビューティーコロシアム」
それまで
「ブスと罵られ辛い」
と泣きべそをかいていた女性が、自信溢れる笑顔で登場するさまは、見ていて嬉しく楽しいものだ。
しかし、美容整形だけが女性の姿形を変えるものだとは、私は考えていない。
気持ちの持ち方、日々の過ごしかた、生き方こそが人の顔を作るのだ。
先日。
オーディションでこう聞かれた。
「その二重は、整形しているの?」
モデルなんかをしていると、こんなことを聞かれることがしょちゅうある。
また、以前にも書いたが、ただ道を歩いていて、そう言われたこともある(笑)
私は自分の顔を愛しているから、決して整形などはしていないが、始めからこの顔を愛していたわけではない。
そこまでくるには結構長い道のりがあったのである。
小学校低学年の頃。
泣き虫でおとなしく、暗い顔をしていた私は、男の子達に格好のいじめの標的にされた。
そしていじめられては泣き、鼻水を垂らし、余計にいじめられては泣いて帰るということの繰り返しだった。
私のあごには今も3センチほどの傷が残っているが、これはこの頃、コンパスの針で引っかかれついたものである。
また、母が家を出てゆく少し前、5年生くらいの時には、クラスメートの女子に、
「青白目だぬき」なんてあだ名をつけられた。
少食で顔色も悪く、やせ細って陰気な私には、どうにもぴったりのあだ名だった。
いつも半ズボンにボサボサの髪。
同級生の女の子達がしだいに体の丸みを増し、色気を漂わし始めても、私はまったく自分が女の子である意識も持たず、野原でキャッチボールに明け暮れたり、本を貪り読むだけの、まるで子供だった。
性格こそ、母が家を出て行ったことによって、強気に、前向きになっては行ったが、女親がいなくなったことでますます身支度には構わず、無法状態。
誰かが父に言う、
「綺麗な娘さんだねー」
の言葉も、子供ながら、完全にお世辞だと、覚めた気持ちで聞いていた。
しかし。
中学生になって、少し事情が変わってきた。
男の子達の視線がどうも自分に向けられていることに、ある日初めて気づいたのだ。
また、継母の嫉妬も私に何かを気付かせた。
彼女は何かと言えば、
「あたしだって若ければ、あんたになんか負けはしない」
と言い、私がおしゃれをすることを大変に嫌がったが、自分が女の子であることに気づいた私を止めることはすでに出来なかった。
私は、自分に注がれる視線に戸惑い、恐れながらも、次第に自分の容姿に自信を持つようになり、高校に上がった頃には、
「綺麗な子」
と言ってもらえることに快楽を感じていた。
しかしそうなると、また違った問題も出てくる。
その、自分が女の子であることに気づいた頃から、同性から謂れのない罵りをも受けるようになったのだ。
歩いているだけで
「ブ~ス!」
「気持ち悪いんだよ!」
本当に色んなことを言われた。
そして、そう言われれば言われるほど私は挑発的になり、派手に着飾り、男の子と遊び、傲慢な女になっていった。
「ブス?ふん、どっちが。」
そう思いながら。
今思えば、本当にその頃の私は嫌な子で、見ているほうも腹がたっただろう。
しかし、あれが間違いだったとも私は思っていない。
謂れのない罵りに対抗するには、強くなることが必要だったし、必要以上におしゃれをし、鏡を見、見た目を磨くことは自信をさらに持つためにも必要だった。
そして自信を持ったがために、私が明るく社交的になっていったのだと思えば、あの勘違いの日々も、そう無駄ではなかっただろう。
高校を卒業した私は1年働いて、その後専門学校へ行くと、色んな経緯でモデルの仕事に足を突っ込んだ。
私の手元には。
今でもその時の写真がある。
事務所の面接で撮られた、まるっきり素顔の、若い私。
目には力がなく、自信なさげな表情。
口角は下がり、輪郭もぼやけた感じだ。
あんなに自信を持っていたはずの容姿が、行くところへ行けば大したことがないのだと知って、私はぺっちゃんこに潰れた。
しかし、それでも私は負けたくなかった。
TVを見るときも鏡を前に置き、笑顔を研究し、自分の欠点を研究した。
貰ったお金はほぼ着るものに費やし、メイクをしては落とし、また違ったメイクをし、と、自分の顔を飽きもせず眺めた。
生き生きと笑い、堂々と振舞うモデル達を真似ようと、積極的に話をし、仲良くなった。
仕事を重ねるたびに私の顔は変わってゆき、目には力が宿り、口角は上がり、輪郭にも締りが出ていった。
あの、初めて事務所で撮った写真から二年後。
パンフレットには、どこもいじっていないのに、まったく違う顔の私がいた。
そして.....
はるかな時間が流れ、すっかりおばさんとなった私だが、あの頃とはまた違った理由で自分の顔を愛している。
目じりの笑い皺は私が自分の顔でもっとも愛するところだし、今ではまん丸な顔も、なかなかに気に入っている。
人の顔は生き方、気持ちで変わるもの。
穏やかな顔になった自分を鏡で見て、今改めて私はそう思うのだ。
しかし。
だからといって私は決して美容整形否定論者ではない。
整形をして、それが自信につながり、より人生を楽しく生きていけるというなら、それもまたいいのではないかと思うのだ。
人生はたった一度しかない。
女に生まれることにも、男に生まれることにも意味がある。
若いときは若さを、歳をとったらその歳月を愛すればいい。
これをもし若い女の子が読んでくれているなら、私はこう言いたい。
存分におしゃれをし、恋をしたほうがいいよ。
座るときはぴちっと膝をあわせ、常に見られていることを意識しなさい。
あなたの靴音が他人に不快感を与えていないか意識しなさい。
洗面台に落ちている髪の毛を拾い、下着のラインに気を配り、マニキュアが剥げていないかチェックをしましょう。
食べるときに肘を突いていない?
いつも笑顔を心がけてる?
「ありがとう」「ごめんなさい」
を素直に言える?
あごをあげて、まっすぐ前を見て歩くこと。
でも決して、過ぎてゆく景色を見逃さないで。
顔は毎日変わってゆくもの。
そして目の輝きも。
私は決して整形否定論者ではないけれど.....
<綺麗>はすぐそこに落ちている。
いや実は。
これは、今の自分に言い聞かせていることでもあるんだけどねー(笑)
それまで
「ブスと罵られ辛い」
と泣きべそをかいていた女性が、自信溢れる笑顔で登場するさまは、見ていて嬉しく楽しいものだ。
しかし、美容整形だけが女性の姿形を変えるものだとは、私は考えていない。
気持ちの持ち方、日々の過ごしかた、生き方こそが人の顔を作るのだ。
先日。
オーディションでこう聞かれた。
「その二重は、整形しているの?」
モデルなんかをしていると、こんなことを聞かれることがしょちゅうある。
また、以前にも書いたが、ただ道を歩いていて、そう言われたこともある(笑)
私は自分の顔を愛しているから、決して整形などはしていないが、始めからこの顔を愛していたわけではない。
そこまでくるには結構長い道のりがあったのである。
小学校低学年の頃。
泣き虫でおとなしく、暗い顔をしていた私は、男の子達に格好のいじめの標的にされた。
そしていじめられては泣き、鼻水を垂らし、余計にいじめられては泣いて帰るということの繰り返しだった。
私のあごには今も3センチほどの傷が残っているが、これはこの頃、コンパスの針で引っかかれついたものである。
また、母が家を出てゆく少し前、5年生くらいの時には、クラスメートの女子に、
「青白目だぬき」なんてあだ名をつけられた。
少食で顔色も悪く、やせ細って陰気な私には、どうにもぴったりのあだ名だった。
いつも半ズボンにボサボサの髪。
同級生の女の子達がしだいに体の丸みを増し、色気を漂わし始めても、私はまったく自分が女の子である意識も持たず、野原でキャッチボールに明け暮れたり、本を貪り読むだけの、まるで子供だった。
性格こそ、母が家を出て行ったことによって、強気に、前向きになっては行ったが、女親がいなくなったことでますます身支度には構わず、無法状態。
誰かが父に言う、
「綺麗な娘さんだねー」
の言葉も、子供ながら、完全にお世辞だと、覚めた気持ちで聞いていた。
しかし。
中学生になって、少し事情が変わってきた。
男の子達の視線がどうも自分に向けられていることに、ある日初めて気づいたのだ。
また、継母の嫉妬も私に何かを気付かせた。
彼女は何かと言えば、
「あたしだって若ければ、あんたになんか負けはしない」
と言い、私がおしゃれをすることを大変に嫌がったが、自分が女の子であることに気づいた私を止めることはすでに出来なかった。
私は、自分に注がれる視線に戸惑い、恐れながらも、次第に自分の容姿に自信を持つようになり、高校に上がった頃には、
「綺麗な子」
と言ってもらえることに快楽を感じていた。
しかしそうなると、また違った問題も出てくる。
その、自分が女の子であることに気づいた頃から、同性から謂れのない罵りをも受けるようになったのだ。
歩いているだけで
「ブ~ス!」
「気持ち悪いんだよ!」
本当に色んなことを言われた。
そして、そう言われれば言われるほど私は挑発的になり、派手に着飾り、男の子と遊び、傲慢な女になっていった。
「ブス?ふん、どっちが。」
そう思いながら。
今思えば、本当にその頃の私は嫌な子で、見ているほうも腹がたっただろう。
しかし、あれが間違いだったとも私は思っていない。
謂れのない罵りに対抗するには、強くなることが必要だったし、必要以上におしゃれをし、鏡を見、見た目を磨くことは自信をさらに持つためにも必要だった。
そして自信を持ったがために、私が明るく社交的になっていったのだと思えば、あの勘違いの日々も、そう無駄ではなかっただろう。
高校を卒業した私は1年働いて、その後専門学校へ行くと、色んな経緯でモデルの仕事に足を突っ込んだ。
私の手元には。
今でもその時の写真がある。
事務所の面接で撮られた、まるっきり素顔の、若い私。
目には力がなく、自信なさげな表情。
口角は下がり、輪郭もぼやけた感じだ。
あんなに自信を持っていたはずの容姿が、行くところへ行けば大したことがないのだと知って、私はぺっちゃんこに潰れた。
しかし、それでも私は負けたくなかった。
TVを見るときも鏡を前に置き、笑顔を研究し、自分の欠点を研究した。
貰ったお金はほぼ着るものに費やし、メイクをしては落とし、また違ったメイクをし、と、自分の顔を飽きもせず眺めた。
生き生きと笑い、堂々と振舞うモデル達を真似ようと、積極的に話をし、仲良くなった。
仕事を重ねるたびに私の顔は変わってゆき、目には力が宿り、口角は上がり、輪郭にも締りが出ていった。
あの、初めて事務所で撮った写真から二年後。
パンフレットには、どこもいじっていないのに、まったく違う顔の私がいた。
そして.....
はるかな時間が流れ、すっかりおばさんとなった私だが、あの頃とはまた違った理由で自分の顔を愛している。
目じりの笑い皺は私が自分の顔でもっとも愛するところだし、今ではまん丸な顔も、なかなかに気に入っている。
人の顔は生き方、気持ちで変わるもの。
穏やかな顔になった自分を鏡で見て、今改めて私はそう思うのだ。
しかし。
だからといって私は決して美容整形否定論者ではない。
整形をして、それが自信につながり、より人生を楽しく生きていけるというなら、それもまたいいのではないかと思うのだ。
人生はたった一度しかない。
女に生まれることにも、男に生まれることにも意味がある。
若いときは若さを、歳をとったらその歳月を愛すればいい。
これをもし若い女の子が読んでくれているなら、私はこう言いたい。
存分におしゃれをし、恋をしたほうがいいよ。
座るときはぴちっと膝をあわせ、常に見られていることを意識しなさい。
あなたの靴音が他人に不快感を与えていないか意識しなさい。
洗面台に落ちている髪の毛を拾い、下着のラインに気を配り、マニキュアが剥げていないかチェックをしましょう。
食べるときに肘を突いていない?
いつも笑顔を心がけてる?
「ありがとう」「ごめんなさい」
を素直に言える?
あごをあげて、まっすぐ前を見て歩くこと。
でも決して、過ぎてゆく景色を見逃さないで。
顔は毎日変わってゆくもの。
そして目の輝きも。
私は決して整形否定論者ではないけれど.....
<綺麗>はすぐそこに落ちている。
いや実は。
これは、今の自分に言い聞かせていることでもあるんだけどねー(笑)