月曜の朝、ちびくんが旅立ち、私も、ゴンザも、ちゃあこもまだ現実を生きていないような気がします。
私には、なぜちびくんの姿が家の中にないのかがわからず、手は自然と、彼がいつも陣取っていたそこここに伸びてゆく。
ゴンザはちびくんがおさめられた骨壷を呆然と抱き、眠って目が覚めるたび、
「胸に穴が開いてしまった」
と言っては泣くばかりです。
ちびくんがとても悪くなってから、一日のほとんどを、私の背中ばかり見つめ続けたちゃあこは、今もとても静かで、眠ってばかり。
時折思い出したようにおにいちゃんの姿を探し求めて、狭い家の中を歩いて回っています。
「思い出をありがとう」とか
「精一杯愛したから」とか、
ちびくんのためにも美しく言いたいけれど、
彼を失った心はどこへ進んでいいかわからず、私たちの目はどこを見つめればいいのか、部屋の中をさまようばかり。
人間は本当に悲しいと、泣くのではなく、咆えるのだということを、ぶっちゃんの死、父の死以来、またあらためて知りました。
私の腕の中で、旅立っていったちびくん。
ゴンザの手に撫でられ、旅立っていったちびくん。
どれだけ苦しかったか。
「闘病」と称して、毎日針で刺され、輸液で3倍もの太さにパンパンに膨れ上がった腕。
毎日薬を飲み込まされ、度重なる治療で薬の匂いしかしなくなった体臭。
全盛期には6.5キロあった体重も、最後には2キロまでに落ちていました。
あんなに嫌がったのに、強制的に食べものを口に押し込み、一番安心できる家すらも奪ってしまった私。
「生きていて欲しいから」
「ちびくんが一生懸命生きているのだから」
と、し続けたことの意味を、私はこれから一生かけて、考え、後悔するでしょう。
けれど。
もし、今までしてきたことをしていなかったならば、私はまた違う後悔をしていた。
「あの時輸液を受けさせていれば」
「あの時、無理矢理にでも食べさせていれば」
愛する者を失って、後悔がないことなど、きっとないのですね。
思えば、この部屋に住むことを決めたのも、ちびくんやちゃあこが体調を崩した時にすぐに対処出来る、「階下が犬猫病院だから」ということからでした。
ぶっちゃんの時にしてあげられなかったことを、ちびくんやちゃあこにはしてあげたくて、そう決めたのでした。
狭くて、とても古い部屋だけど、ここには幸せが満ち溢れていた。
私がちびくんと過ごした17年と9ヶ月7日。
特に、冗談ながらも、
「ちびくんと、ちゃあこと4人で暮らせるなら、別にホームレスになってもいいね」
と、ゴンザと言い合い、過ごしてきたこの6年は、私の人生において、間違いなく一番幸せなときでした。
ちびくんとちゃあこがくれた幸せ。
ちびくんがくれたたくさんのもの。
皆さん。
感傷に過ぎたこんなログを、どうか許してください。
皆さんにこれだけ応援して頂いたのだから、こんなことをいまさら言っては申し訳ないとわかってはいるのです。
ちびくんは、とても手のかからない、寡黙な子でした。
私の人生の約半分を共に過ごしてくれた、かけがえのないパートナーでした。
ちびくんを送る儀式を終えて、彼の小さな骨壷を抱いて外へ出ると、そこには小雪がちらついていました。
「大事に、愛されていた猫ちゃんほど、綺麗に骨が残るんですよ」
儀式を取り仕切ってくれた男性はそう言いましたが、私にとっては、私がどれだけちびくんを愛したとか、一生懸命看病したとか、そんなことはどうでもいいことで、大切なのは、ちびくん自身が幸せだったかどうかなのだということを、痛いほど、思い知らされました。
体中に穴があくほど。
けれど、ちびくんの小さな亡骸は、とても美しいしっかりした骨となって、死してなお、私たちを悲しませまいと気遣ってくれているようでした。
今頃。
ちびくんの魂は、共に生まれ、先にいってしまったぶっちゃんと再び会えて喜んでいるでしょうか。
彼らが仲睦まじく共に暮らした11年間、そうであったように、ちびくんがぶっちゃんを3回舐めて100回舐め返してもらう、という、ちゃっかりした毛繕いをしてもらっている頃でしょうか。
ちびくんはとても、毛繕いの苦手な不器用な男でした。
皆さん。
本当に好き勝手書いてごめんなさい。
そして、あたたかな、心優しいメッセージをありがとう。
ちびくんが旅立ってから、いえ、ここまで、皆さんのメッセージにどれだけ慰めていただいたことでしょう。
私たちがまた、笑顔で暮らせる日までは、もう少し時間がかかるかもしれませんが.....。
必ず。
ちびくんが暮らした、明るく楽しいおちゃらけ一家に戻ります。
彼はきっと、いつもソファの定位置にいると思うから.....。
皆さん。
今までちびくんを応援し続けて下さって本当にありがとうございました。
どうか、すべての猫ちゃんやワンちゃんにあたたかな光が降り注ぎますよう。
そして、皆さんのご家族が、いつも幸せで満ち足りていますように。
10ヶ月前。
このblogを始めたきっかけも、ちびくんがくれたものでした。
私には、なぜちびくんの姿が家の中にないのかがわからず、手は自然と、彼がいつも陣取っていたそこここに伸びてゆく。
ゴンザはちびくんがおさめられた骨壷を呆然と抱き、眠って目が覚めるたび、
「胸に穴が開いてしまった」
と言っては泣くばかりです。
ちびくんがとても悪くなってから、一日のほとんどを、私の背中ばかり見つめ続けたちゃあこは、今もとても静かで、眠ってばかり。
時折思い出したようにおにいちゃんの姿を探し求めて、狭い家の中を歩いて回っています。
「思い出をありがとう」とか
「精一杯愛したから」とか、
ちびくんのためにも美しく言いたいけれど、
彼を失った心はどこへ進んでいいかわからず、私たちの目はどこを見つめればいいのか、部屋の中をさまようばかり。
人間は本当に悲しいと、泣くのではなく、咆えるのだということを、ぶっちゃんの死、父の死以来、またあらためて知りました。
私の腕の中で、旅立っていったちびくん。
ゴンザの手に撫でられ、旅立っていったちびくん。
どれだけ苦しかったか。
「闘病」と称して、毎日針で刺され、輸液で3倍もの太さにパンパンに膨れ上がった腕。
毎日薬を飲み込まされ、度重なる治療で薬の匂いしかしなくなった体臭。
全盛期には6.5キロあった体重も、最後には2キロまでに落ちていました。
あんなに嫌がったのに、強制的に食べものを口に押し込み、一番安心できる家すらも奪ってしまった私。
「生きていて欲しいから」
「ちびくんが一生懸命生きているのだから」
と、し続けたことの意味を、私はこれから一生かけて、考え、後悔するでしょう。
けれど。
もし、今までしてきたことをしていなかったならば、私はまた違う後悔をしていた。
「あの時輸液を受けさせていれば」
「あの時、無理矢理にでも食べさせていれば」
愛する者を失って、後悔がないことなど、きっとないのですね。
思えば、この部屋に住むことを決めたのも、ちびくんやちゃあこが体調を崩した時にすぐに対処出来る、「階下が犬猫病院だから」ということからでした。
ぶっちゃんの時にしてあげられなかったことを、ちびくんやちゃあこにはしてあげたくて、そう決めたのでした。
狭くて、とても古い部屋だけど、ここには幸せが満ち溢れていた。
私がちびくんと過ごした17年と9ヶ月7日。
特に、冗談ながらも、
「ちびくんと、ちゃあこと4人で暮らせるなら、別にホームレスになってもいいね」
と、ゴンザと言い合い、過ごしてきたこの6年は、私の人生において、間違いなく一番幸せなときでした。
ちびくんとちゃあこがくれた幸せ。
ちびくんがくれたたくさんのもの。
皆さん。
感傷に過ぎたこんなログを、どうか許してください。
皆さんにこれだけ応援して頂いたのだから、こんなことをいまさら言っては申し訳ないとわかってはいるのです。
ちびくんは、とても手のかからない、寡黙な子でした。
私の人生の約半分を共に過ごしてくれた、かけがえのないパートナーでした。
ちびくんを送る儀式を終えて、彼の小さな骨壷を抱いて外へ出ると、そこには小雪がちらついていました。
「大事に、愛されていた猫ちゃんほど、綺麗に骨が残るんですよ」
儀式を取り仕切ってくれた男性はそう言いましたが、私にとっては、私がどれだけちびくんを愛したとか、一生懸命看病したとか、そんなことはどうでもいいことで、大切なのは、ちびくん自身が幸せだったかどうかなのだということを、痛いほど、思い知らされました。
体中に穴があくほど。
けれど、ちびくんの小さな亡骸は、とても美しいしっかりした骨となって、死してなお、私たちを悲しませまいと気遣ってくれているようでした。
今頃。
ちびくんの魂は、共に生まれ、先にいってしまったぶっちゃんと再び会えて喜んでいるでしょうか。
彼らが仲睦まじく共に暮らした11年間、そうであったように、ちびくんがぶっちゃんを3回舐めて100回舐め返してもらう、という、ちゃっかりした毛繕いをしてもらっている頃でしょうか。
ちびくんはとても、毛繕いの苦手な不器用な男でした。
皆さん。
本当に好き勝手書いてごめんなさい。
そして、あたたかな、心優しいメッセージをありがとう。
ちびくんが旅立ってから、いえ、ここまで、皆さんのメッセージにどれだけ慰めていただいたことでしょう。
私たちがまた、笑顔で暮らせる日までは、もう少し時間がかかるかもしれませんが.....。
必ず。
ちびくんが暮らした、明るく楽しいおちゃらけ一家に戻ります。
彼はきっと、いつもソファの定位置にいると思うから.....。
皆さん。
今までちびくんを応援し続けて下さって本当にありがとうございました。
どうか、すべての猫ちゃんやワンちゃんにあたたかな光が降り注ぎますよう。
そして、皆さんのご家族が、いつも幸せで満ち足りていますように。
10ヶ月前。
このblogを始めたきっかけも、ちびくんがくれたものでした。