昼間、報道番組を見ていたら。
『長男が次男を無断で、自分の別れた妻(この兄弟の母親)に会わせたことに腹をたてた父親が、この長男を刺す』という、なんともやるせないニュースが流れていた。
特に、父親と母親の離婚により、彼らの身勝手な言い分で散々八つ当たりをされた経験を持つ私としては、どうにも腹が立って仕方のない事件だ。
この事件を引き起こした父親がそこまでの憎しみを.....
我が子へぶつけなければならなかった理由とはなんだろう?
この男と、別れた妻(兄弟の母親)の間に、離婚に至るまでどんな経緯があったかは知らないが、たとえどんな事情があるにせよ、その妻は兄弟にとっては母親であることに間違いないのだし、自分がその妻を憎んでいるからと言って、兄弟が母親に会う機会を奪う権利など、この父親にはない。
かくいう私も、子供の頃、離婚した両親の様々な事情と(当時はどんな事情か詳しく知らされてなかったが)憎みあいによって、母親に会うことを父に禁じられていたが、やはり妹と共にこっそり母に会ったことがばれたときには、私は父親に嫌というほど散々に殴られ(妹は殴られずに済んだが)、そのことを人から伝え聞いた母は、そんなことになるなら二度と我が子には会うまいと一度は決心したと、後に本人から聞かされたものだ。
そして、だからこそ、この手のニュースを耳にすると、私の心は激しく痛み.....
『大人たち』の勝手な事情に巻き込まれる子供たちの不幸を思い、過敏に反応せずにはいられない。
この刺された長男は命は落とさずに済んだようだけれど、彼が今後背負って行く悲しみは.....
いったいどれほどのものだろう?
また、自分が母親に会わせてもらったことで、兄が実の父親に刺される羽目になってしまった次男の悲しみは.....?
我が子が、自分に会ったせいで刺されてしまった、母親の悲しみも。
この父親は、自分の勝手な感情だけで、実の子を傷つけ、家族みんなの心までずたずたにしたのだ。
そりゃあ夫婦はもともと他人だから、感情が行き違い、共に暮らせなくなれば、離婚をするのも勝手だろう。
しかし、自分達の感情を子供にぶつけるのも、別れた伴侶への憎しみをそこに投影するのも大きな間違いだ。
例えば私の両親なら、
「お前の母親がこういうことをしたから俺はこうなってしまった」
「お前らの父親のせいで私はこうなった」
こんな風によく言っていたが、今になって思えば、
『お前の母親が』『お前らの父親が』という前に、それは自分達が互いに選んで、子供まで生した、かつては好きだった相手ではなかったのかと言いたい。
そして、もしその相手を責めたいのなら、それは本人に向かって言うべきで、子供に対してぶつけるべきものでは決してないだろう。
本人に向かっては堂々と言えないことを、『子供だから言いやすい』
(これは本人達は否定するだろうが、絶対に確かだ)
『子供だからよくわかるまい』と、そこにぶつけるのは大きな間違いであるだけでなく、立派な暴力だ。
『お前の母親が』『お前の父親が』という言い方をされた私が、どんな気持ちでいたか。
子供にとって、親を責められるというのは、自分を責められるのと一緒だから、そのたびに『お前が悪いのだ』と言われている気持ちになって、とっても悲しかったのをよく覚えている。
そして確かに彼らは、私が悲しそうにしているのを知っていながら、自分の溜飲をさげるためにそう言っていたフシがあるのだ。
まあ、今さらそのことを責める気も私にはないが、彼らのその内面に渦巻いた黒い感情と同じものが、二度と世の中の同じような子供たちを責めたてないでくれるように望む。
私は以前、子供は逃げ方を知らないと言った。
小さな子供なら、たとえ自分の親が鬼畜でも、その親に対して『お父さん』『お母さん』という呼び方しか知らない、とも。
だから、せめて.....
子供たちが逃げられる年齢になるまで。
親がどんな人間かときちんと自分で判断し、捨てられる年齢になるまで。
親となった人間には最低限のルールを守って欲しいし、周囲の大人にも、それが守られるような環境を作っていって欲しい。
夫婦が別れるのも憎みあうのも、大いに勝手だが。
子供はどんな時にも親を求め、彼らにとっては父親は永遠に父親、母親は永遠に母親なのである。
この、刺された長男の心に.....
いつか平安が取り戻される日がやってきますように。