猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

『アマデウス』   - たぶん、人生でもっとも好きな映画 -

2009年01月25日 19時10分24秒 | 映画

 

もう何度見ただろう。
これは確か廉価版のDVDを買ったものだが、
ビデオ二巻組の時代にも何度か借りてきては見たものだ。

 

私は音楽にはまったく詳しくないから、
ただ自分が好きなものを、好きなときに聴くだけの生活だが。

それでも、クラッシックの作曲家って、すごいと思う。

専門用語は知らないから、どう言えばいいのかわからないが、
それでも、膨大な音を組み合わせて、なおかつ、
その音で人々の目の前に、ありありと情景を描き出すって、
もう神の業なのではないかと。

 

こちらも神の業・旧岩崎邸暖炉。
モザイクタイルとかって、作る人の脳はどうなってるんだろう?
ああ、そういえば幕末から明治にかけて日本に来た外国人は、
その暖房設備の未発達から、
「日本には寒さをまともにしのげる場所がない」と言って嘆いたそうだが.....
だとしたら、そういった意味でも、ここは夢のような場所だったろうなぁ(笑)

 

彼らがそれをどう作り出すのか。

凡人には想像もつかないけれど、
モーツァルトなんかは、もう、自分の頭の中で最初から音が出来あがってて、
それを楽譜に写すだけだったと聞いたことがあるから、
やはり、それは神の領域と言っていいのだろう。

 

こちら旧岩崎邸の裏玄関(っていうのかな?)。
ステンドグラスとかもそうだけど、『組み合わせる』ってすごいよね。
やっぱり、『最初から出来てる』のかなぁ。

 

彼については、サヴァンだという説もあるが、
もし、それが本当だとすると、、
なるほど、頭の中で見えていたものを再現して人に見せてあげるという、
まるで、本を読みあげるような感覚だったのかもしれない。

 

技術的にもすごいし。
こちらは床。

 

我々凡人は、彼らに出会えてはじめて、
神の裳裾に触れるチャンスをもらうのだろう。

または、もし、天才的な受け手が現れたなら........

その恩恵にあずかるチャンスも。

『アマデウス』はそんな映画だ。

 

絨毯で少し隠れてるのが惜しい。
旧岩崎邸玄関・モザイクタイル。

 

衝撃的な冒頭から、ラストまで、膨大な音が合わさるように、
また、ひとつひとつを紐解くように、ミロシュ・フォアマンはそれを作る。

(映画の元となっているのはピーター・シェファーの戯曲『アマデウス』で、
 この映画の脚本もシェファー自身が書いている)

音楽から人物像を読み取り、
そして、読み取ったものをこれほどリアルに描いたものは、
それが事実かどうかは別として、他にはないのじゃないかと思う。

 

いきなりですが(笑)
料理もまた組み合わせが生み出す妙だよねぇ。
こちら、焼きカレー。

 

特にラスト、サリエリがモーツァルトを『知る』シーンは、
もう、完璧としかいいようがない。

(いや、ラストが完璧ということは、はじめから完璧だからこそなんだけど)

音が組み合わさるように、すべてが組み合わさり、
観る側も、たたみかけるように、
サリエリの、絶望的な羨望に引きずり込まれる。

そりゃ、殺すしかないわなと思うくらいに。

(誤解を招かぬよう言っておくが、私は殺人を肯定するわけでも、
 サリエリ犯人説を信じているわけでもない。
 ただ、それが真実だったら、それぐらいの絶望だったろうという意味)

 

シンプルなものが組み合わさって、美味しくなるのか?
はたまたそれは最初から複雑なのか......
って、ただのナムルに何を言ってるのか私は(笑)

 

あの映画を何度も見たくなるのは、
それが、音楽と同じだからだ。

ああ、私にもっと語彙や知識があるなら、
その素晴らしさを表現したいのに。

未見という方、ぜひ!

 

上って降りて~、上って降りて~(←意味不明)。
ちなみにこちら、旧岩崎邸階段。
(ここは実際には上り下り出来ません)
理屈で『よく出来ている』というのは簡単だが、
それを万人に感じさせるって、やっぱ神の業。
『アマデウス』も岩崎邸も。