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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

障害者差別をなくす大きな一歩に

2012-10-09 21:47:13 | 

 ※MLよりの転載情報です(拡散希望)

 

共生社会地域フォーラムの概要について

 1 フォーラム名: 共生社会地域フォーラム

   テーマ: 障害のある人もない人も共に生きる社会の実現を目指して

           - 「障害を理由とする差別の禁止に関する法制」に向けた取組について-

 2 主  催:  内閣府

   事務局:  「共生社会地域フォーラム」運営事務局

 3 目  的: 障害を理由とする差別の禁止に関する法制の制定等に向けて、障害者政策委員会差別禁止部           会でまとめられた意見に基づき、幅広い国民の意見を聞き、当該法制の制定に活かすことを目的として共生社会地域フォーラムを開催する。

 4 開催日及び会場:

A 平成24年10月14日(日) (参加申込受付締切日:10月8日()

広島県 広島国際会議場 国際会議ホール「ヒマワリ」

B 平成24年10月27日(土) (参加申込受付締切日:10月21日()

   滋賀県 ピアザ淡海 滋賀県立大学県民交流センター 「ピアザホール」

C 平成24年11月3日(土)   (参加申込受付締切日:10月28日()

      栃木県 とちぎ健康の森 とちぎ生きがいづくりセンター 「講堂」 

     D 平成24年11月11日(日) (参加申込受付締切日:11月4日()

      岐阜県 ふれあい福寿会館(県民ふれあい会館) 「302大会議室」

         E 平成24年11月24日(土) (参加申込受付締切日:11月18日()

      北海道 札幌コンベンションセンター 「中ホール」                  

     F 平成24年12月23日(日) (参加申込受付締切日:12月16日()

      福岡県 クローバープラザ 「クローバーホール」

 

5 参加者:  一般(無料)(各会場250名程度を予定)

 6 次 第(予定):   13:00       開会

                13:00~14:10 主催者挨拶、基調講演

                14:10~14:30 休憩

                 14:30~16:00 指定発言、部会意見に対する質疑応答

                16:00       閉会

 7 申込方法: 内閣府障害者施策担当HP(http://www8.cao.go.jp/shougai/contents.html

10以降開設予定)から、又は、別添申込用紙に記載された「共生社会地域フォーラム」運営事務局宛にE-mailもしくはFAXにより各地域フォーラムの参加申込受付締切日を確認の上、お申込み下さい。

障害を理由とする差別を禁止する法制に関する意見募集について

1.平成22年11月より障がい者制度改革推進会議(本年7月からは障害者政策委員会)の下に置かれた差別禁止部会において有識者等に御議論をいただき、本年9月、「『障害を理由とする差別の禁止に関する法制』についての差別禁止部会の意見」(以下「部会意見」という。)が取りまとめられました。今後、部会意見に示された考え方を尊重しつつ、更に幅広い国民の皆様の御意見を踏まえて法案化作業を進めるため、障害を理由とする差別を禁止する法制に関して、国民の皆様からの御意見を募集いたします。

2.募集する意見障害を理由とする差別を禁止する法制について
  http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/seisaku_iinkai/index.html掲載

3.意見募集期間平成24年10月5日(金)から平成24年11月5日(月)まで

4.意見提出要領御意見は、郵送、FAXまたは送信用フォームでお送り下さい。
 御意見には、氏名または団体名(団体の場合は担当者名も記入)、性別、職業、住所、
 電話番号を御記入下さい。これらは、必要に応じて、御意見のより具体的な内容を確認
 させていただく場合などのために記入をお願いするものです。

 5.意見提出先内閣府障害者施策担当 あて
・[インターネット上の意見募集フォーム] http://www8.cao.go.jp/shougai/sabekin_iken.html(締切日必着)
・[郵送] 〒100-8970 東京都千代田区霞が関3-1-1 中央合同庁舎4号館(締切日当日消印有効)
・[FAX] 03-3581-1495 (締切日必着)


6.注意事項?提出いただく意見は、日本語に限ります。

御意見を提出する場合は、以下のとおり記載をお願いします。(様式任意)

・部会の意見書に対するコメントではなく、差別禁止法制定に関する意見を求めています。

・まず、差別を禁止すべき分野をはっきり書いて下さい。つまり「教育」
・そして、就学相談で、こんなことを言われた! 親の付き添いを強要されている!

授業や行事に参加させてもらえなかった!等、具体的な体験を書いてください。
具体例一つについて書きます。つまり二つあれば別々に2回のコメントを出す。五つあれば5回のコメントを出してください。文は長くなくていいのです。

・最後に、だからこそ、「差別禁止法の制定を望みます!」「法律を作ってください」

等、法制定を望む一言を書いて送ってください。

・パブコメ結果をテーマごとに集計するので、数が必要です。教育の部分で差別禁止法制定を望む声が多くあることを伝えていきましょう。

 

■タイトル:障害を理由とする差別を禁止する法制に関する意見
■氏名(法人の場合は、法人名及び連絡担当者名)
■意見(理由も含め1,000文字以内) ■年齢  ■性別  ■所属等
・郵送の場合、封筒表面に「障害を理由とする差別を禁止する法制に関する意見」と朱書きしてく  ださい。

 

 

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 「希望のバス」と大阪教育基本条例案

2012-10-09 21:10:49 | 

  11月10日、韓進重工業影島造船所85号クレーンからキムジンスク労組指導員が生還した。整理解雇撤回を要求し高空籠城に入って以来、実に309日が経過していた。労使間の合意が成立したことにより彼女はクレーンを降りた。そして彼女は、「今日からが新しい始まりで、出発だ」と、さらなる闘いの意志を明らかにした。闘いはなおも続く。

 私は彼女の闘いと希望のバスの運動を『世界』10月号で知った。言うなれば一企業の整理解雇撤回の運動に、なぜこれほどまでの市民が集まるのか。「希望のバス」とは一体何か、それを知りたいと思った。

 大阪では、新勤評、君が代起立強制条例、そして現在府議会で審議に付されたままW選のため宙ぶらりん状態にある教育基本条例案。教員生活もあとわずかという今頃になって信じられないような教育支配政策が立て続けに打ち出されていた。遠因にあるのは、すべてを市場に委ねようとする新自由主義経済とそれを支える新国家主義。いつの世も権力を持つ者にとっては、教育政策こそが要であるに違いない。権利や平等、平和の概念は教育から葬り去らねばならないのだろう。非人間的な労働現場でも従順に働く労働者をつくりだすためには競争原理と愛国心の教育を必要としているのだ。生きていく力は黙って耐える力だと言わんばかりの教育政策だ。こんな教育では人は生きてはいけない。それなのに、その危機意識をなかなか市民と共有できないでいた。教育基本条例案は決して教員の問題ではなく大阪府民の問題であるはずなのに…。そんな苛立ちのなかで知ったのが韓国の「希望のバス」の運動だった。第5次希望のバスの案内に私は即日参加を決めた。 

 10月7日、韓進重工業ヨンド造船所85号クレーンに籠城するキムジンスク労組指導員と、彼女を応援するために「希望のバス」に乗ってやって来る市民たちと出会うため、私は「希望のエアプレーン」に乗った。集会前日、私たち一行4人は85号クレーン前に行き、夜空高く大きく手を振るキムジンスクさんと出会った。孤独にも見える闘いは、しかし彼女一人の闘いではない。縦軸には、20年以上にわたる韓進重工業労働運動の歴史があり、そして横軸には「希望のバス」で駆けつけた多くの市民の存在があった。8日の集会に集まった多くの人々。言葉は通じないが、彼ら彼女らにとってはそれぞれの生活の延長上に集会がありデモがあるように私には見えた。車椅子での参加者も大勢いた。高校生いや中学生と思えるような若い人もいた。子連れで参加している人もむろんいた。集会は実に楽しかった。塩花をあしらったおそろいのバンダナを身につけ、老若男女が入り乱れ、歌ありダンスあり、おしゃべりを楽しみあうというものだった。運動の主体はまぎれもなく参加者ひとり一人だった。

 しかし、この夜クレーン前のキムジンスクのところに行くことはできなかった。1万の警察官が行く手を阻んでいたからだ。国家と資本は希望のバスの運動を怖れていたのだ。事態の収拾のため、ついに韓進重工業労使合意は実現した。しかし、闘いは終わったわけではない。キムジンスク労組指導員が言うように闘いはなおも続く。「希望のバス」の運動は新しい時代の「市民革命」になるかもしれない。そして確かな希望を受け取った私は、教育基本条例案が成立すれば大阪の学校はどうなるのか、府民と共有しつつ新たな運動を創っていきたいと考えている。

※『世界』2012.1月号「読者談話室」に投稿掲載された元原稿です。

 

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長野県中川村村長曽我逸郎様へ

2012-10-09 18:17:09 | 

9/21の朝日新聞オピニオン欄のインタビュー記事を見て、早速メールしています。というのは、村長なり市長なりの立場でありながら、はっきり自分の主張をされていることが、今の日本ですごいなと思うからです。ほんとは当たり前のことだと思いますが、右に倣えの日本で勇気ある発言・行動だと思います。「天皇に戦争責任はあると思う」と述べられた本島等長崎市長と同じく大きな勇気をもらいました。日本がやった侵略戦争への反省から生まれた日本国憲法で高く掲げた理想を追究していくような「誇りを持つ国」にしていきたいという思いは、まったく同じです。また、釈尊を引用されての考え方も共感しています。僕も梅原猛さんや瀬戸内寂聴さんの本を読んで、仏教にひかれているところがあります。

 僕は3月まで大阪府T市の小学校の教員でした。一人の人間としても、国としても、正しいことを行い、間違ったことは改めていくのが、人間としての生き方であり国のあり方だと考えてきました。子どもたちにも「何が正しくて何が間違っているか、しっかり考えて発言したり行動したりするように」と言ってきました。そういう考えから6年生の担任の時は、社会の歴史の中で日本のやった侵略戦争についても学習してきました。そして、広島への修学旅行にも連れて行きました。

 また、戦前・戦争中の先輩教師がただひたすら国の命令に従って、天皇制教育の下、皇国民の錬成と称して数多の教え子を戦場に送り出した痛苦の反省に立って、戦後の先輩教師が掲げた「教え子を戦場に送るな」のスローガンも僕の頭に深くありました。と言っても、日常的に何かの闘いに加わっていたわけでもありませんが、学校現場では毎年の卒業式に『日の丸』『君が代』が持ち込まれてくることには絶対反対でした。というのは、『日の丸」は侵略戦争の旗であり、『君が代』は天皇をたたえる歌であり、戦前の天皇制教育の中で教育勅語、ご真影、修身などとあわせ、日本の侵略戦争のなかで、『日の丸』『君が代』は、その大きな道具として使われました。

 1945年敗戦と共に、ドイツやイタリアと同じく、天皇と天皇制とともに『日の丸』『君が代』も捨て去られるべきだったのです。それが、1950年代から学校に再び持ちこまれ、1999年の国旗国歌法以後、大阪府の教育現場にも卒・入学式に登場してきました。僕は、それ以来、『日の丸』『君が代』には反対ですの意志を込めて、『君が代』が流れると静かに座ってきました。

 しかし、昨年6月、橋下大阪府知事の下で「国旗国歌起立斉唱条例」が通り、その意を受けたT市教委が、他の大阪府の市町村はどこも出していないにもかかわらず、T市だけ、それも僕の組合の4名にだけ、「卒業式の『君が代』で起立斉唱せよ」という高槻市始まって以来の職務命令を出して来ました。職務命令が出たからといって、また、校長が「法律に従うのが教育公務員だ」と言っても、『君が代』で立って歌うことは、自分が子どもたちに言ってきたこと、すなわち、「何が正しくて何が間違っているか考えて発言・行動するように」と言ってきたことと矛盾します。自分が言ってきたことを自分で裏切ることになります。これだけは、教師としても、人間としてもできません。というわけで、卒業式では昨年までと同じく、、『君が代』の時、静かに座りました。

 すると、戒告処分でした。そして、再任用に合格していたにもかかわらず、そのことを理由として、『君が代』で50秒座ったことで「勤務実績が良好でない」とされ、再任用を取り消されました。僕は、3月までT市の小学校に12年間勤務していましたが、そのうち7年間は「希望の杜」施設内学級というところにいました。その施設は情緒障害児短期治療施設と言われ、虐待やネグレクトにあった子どもたちが入所してくる施設です。親や生まれ育った環境によって学習する機会や生きる希望を奪われた子どもたちに自立して生きていってほしいと思ってやってきました。その子どもたちに、あと何年か、かかわりたいと再任用の希望をだしていましたが、それも夢まぼろしと消えました。

 どちらかというと、めんどくさいことにはなりたくないと思っていたのですが、しかし、今の時代の中で、特に、大阪では橋下の登場以来、命令で教育も何もすべてやろうという中で、『君が代』で座ったということで、処分と再任用取消という、このことにものすごい怒りが、今もあります。それで、今、大阪府人事委員会に不服申し立てをしています。

 長々と自分のこと、自分の気持ちを書きました。村長さんとは歩んできた人生、また、『日の丸』『君が代』に対する考え方など、ちがうところもたくさんあるようには思います。が、日本はどうあるべきか、憲法の理想を実現したい思いなど共感するところもたくさんあります。村長さんが言われるように、いろんな意見を表明し、それを議論しあいながら、日本の進むべき道をみんなで模索できるような、そういう「空気」にしたいと僕も思います。

 あまり、知らない人やところにメールしたことがないのですが、今日の新聞を見て「まじめに考えて村長をやっておられる人がいるんや。それも堂々と」と思ってうれしくなりメールさせていただきました。今回の朝日新聞の記事で、本島長崎市長の時みたいに、右翼や何かが騒ぎ立てるかもしれません。僕は一教師でしたが、公職にあると大変だと思います。が、ともにそういう力には負けないでがんばりたいと思います。(Y)

*『国旗に一礼しない長野県中川村村長さん』のインタビュー記事を読んで送ったメールを掲載しました。
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とりとめもなく、

2012-10-09 12:59:55 | 学校現場から
学校には、いろんな教師がおり、また生徒もいろんな生徒がいます。保護者だってそうですよね。あたりまえと言えばあたりまえのことですが、学校というところではこれがなかなかあたりまえのこととして通用しないんですよ ね。

特に、児童・生徒に対しては、「ひとつの基準」で計りがちです。教員にもっと余裕のあった頃は、それでも、まだ一人ひとりとの関わりはできていたのかもしれませんが、しかし、こう忙しく、「成果」を求められるようになると、人と人とがかかわる最低限の交流さえどこかに吹っ飛び、若い教員が一生懸命「仕事」をすればするほど、熱意はわかるのだけれど、この教員にとっては、生徒は自分の教育の対象物であり成果物であるのだろうなぁと時折恐ろしくさえ感じるときもあります。

学校で、児童生徒、保護者、教員それぞれ立場が違うゆえ、また、その上それぞれが違う個性や考えの持ち主なのですから、ひとくちに「教育」と言っても、出発点からして困難性を抱えていると言えます。

しかし、だからこそ教育は常に万人にとってある種の課題にもなるのだとも思われます。誤解を恐れずに言えば、
人と人が、立場の違う人と人が、考えの違う人と人が、ある種真剣に向かい合うわけですから、ある意味最も人間らしい営みであり、おもしろいともいえます。

何がおもしろいのと、お叱りを受けるかもしれませんね。そういう私も、日々そんな余裕はないのですけれど。

ただ、最初からいろんな人間がいることが当 たり前なのですから、おおいに主張しあい、おおいにぶつかり合い、
そこから折り合いをつけていく作業こそが広い意味での「教育」なのかもしれません。そして、そんななかから
通じ合う場面が生まれればこんなうれしいことはありません。

恐れるのは、最近の学校にその余裕がなくなってきたこことです。何事も合理的に効率的に「片づける」ことが
教員に求められるようになって来ています。教員評価、競争と自己責任による教育改革の負の影響がすでに
表れているような気がします。

世間でもそうですが、学校というところも「多数者 」本位で価値判断が行われ、場合によっては「少数者」は排除され差別さえまかり通るところがあります。

なんだか、つれづれにキーボードを叩いていると、暗い話ばかり、しかも発展性のない話ばかりになりそうで恐縮ですが、しかし、そういう現状は現状として認識したうえで、親ならば親の立場から、教員の立場を深慮しつつ主張していく、そういった「対話」がやはり道を開いていくのだと思っています。

私も、学校というところで「少数者」、いや、学校ばかりでなく、たとえば運動の場においても「少数者」かもしれません。しかし、「多数者」の軍門にくだるのでもなく、「少数者」として諦めるわけでもなく、主張、相手の立場を尊重しつつ主張し続けようと思っています。

言葉でいうほど「対話」とは簡単なものではないと承知しつつ、しかし、「対話」をしなければ道は拓かれていかないと自戒しつつ全く違う立場や考えの人と対話を模索していきたいと思っています。

(上記は、あるMLに投稿したものです)
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