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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

One for All! All for one! 7

2012-10-31 22:20:25 | 渡部通信

※渡部さんからのメールを転載します。

 

・「都教委包囲首都圏ネットワーク」・「新芽ML」の渡部です。

 
本日(10月31日)、
石原都知事は任期2年半を残し辞職した。
 
10月25日、
辞任の意思と「石原新党」を表明した際、
政界を含め世論も全体としては冷ややかな反応だった。
田中真紀子(衆院議員)氏は「格好悪い暴走老人」と切って捨てた。
 
10月30日、
<たちあがれ日本>が党会合を開き新党への移行を決定した際、
石原氏は、田中氏の言葉がかなりこたえたと見え、
田中氏を罵倒するわけでもなく、
自ら自嘲気味に「暴走老人です」と挨拶した。
これはすでに自ら「白旗」を上げたようなものである。
 
本日の正式辞職の後、
石原氏がもっとも頼りにしていると思われた橋下大阪市長は、
「グループになると難しい。石原さん個人とは一緒にやりたい」
と述べ、「石原新党」とは一線を画した。
 
「暴走老人」と自嘲するような人間を
まともに相手にする人はそういないであろう。
 
今回の石原氏の都知事辞任について、
(主に都庁内で読まれている)『都政新報』(2012、10、30)には、

「知事の辞任で都教委職員の声」(九つ)が載っている。

以下にその中からいくつかを紹介する。(他は見出しのみ)

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タイミングに驚き

 このタイミングでの辞任のニュースには驚いた。

 夏に佐藤副知事を後退させたのは何だったのか。

 7人目の参与にしても16日に就任したばかりだ。

 最近は新しいアイデアも出ず、4期目の知事ブリの時、

 興味のないテーマだと寝ていたらしいと聞く。

 出馬理由について辞任記者会見で

 「都民のためにもっと役立つ仕事をしようとしている」と発言したが、本当か。

 尖閣問題は都政にしてみれば厄介なテーマ。

 問題があることに気付かない裸の王様だった。

 基金の使い道は政権交代後の政府が決めるべきと語ったが、

 何に使うべきか方向性さえ示さず、

 尖閣が国有化されたからといっても都政を放り出したと言わざるを得ない。

                             (出先部長)

いつでも良かった? (略)

 

前半はアピール (略)

 

石原ファミリーは

  (一部紹介)

 辞任は都民にとってプラス。

 国のために授業に取り組むことはあっても、

 地域政策ができていないうえ、人事はお友達人事ばかりだったからだ。

 特別秘書や参与といった石原ファミリーが都庁から完全に去るのか。

 それとも何らかの形で影響力を残していくのか。注目している。

                        (出先部長)

都議会も再編? (略)

 

中庸得た都政に (略)

 

招致活動の行方は

(一部紹介)

20年オリンピック・パラリンピックの招致活動はどうなるのか。

新知事次第だけに懸念もある。(本庁課長)

 

指名は猪瀬氏だが

 後継に猪瀬副知事が指名されたシナリオは十分予想できたが、

 今までの流れからいって、自公が猪瀬氏を発てるとは思えない。

 選挙では他に余程有力な候補がいない限り、猪瀬知事誕生は現実味を帯びてくる。

 だが、パフォーマンスの人で既成政党や職員の信頼も決して高いとは言えない。

 新知事次第では、政策形成や予算編成の過程で大きなあつれきが生じ、

 都民生活に影響が及ぶ可能性もある。

 だが、うまくいけば、都政が動き出すチャンス。

 行政は石原都知事が嫌っていたコンティニュイティー(継続性)が大事だ。

 我々役人が賢くなり、様々な政策を発信する努力が求められる。

                         (出先課長)

イメージダウンに

 4選直後から「遅くとも五輪開催都市が決まれば辞任」と割り切っていたので、

 任期途中での辞任には驚かないが、

 あれだけ五輪誘致で国を批判して

 競技団体や経済界の支援を取り付けておきながら、

 無責任に放り出した。

 「震災復興の象徴」として五輪誘致する立候補都市の顔として、

 海外からのイメージダウンは避けられない。

 猪瀬知事誕生になり確率が高そうだが、仮にそうなれば、

 これまで以上に副知事や局長の立ち位置は難しくなり、

 結果として都庁マインドの低下は避けられない。

 本来なすべきことのために自分の志を貫こうとすれば、

 佐藤副知事更迭のような事態が繰り返されることが懸念される。

                          (本庁部長)

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以上から明らかなように、

石原辞任に対する批判は都庁内部からも多い。

 

石原は、<オリンピック招致><尖閣問題><築地市場問題>など

をぶち上げたあげく、いずれも中途半端なまま(むしろ問題を深刻化させ)

全く無責任にも逃げるように辞職したのである。

 

ところで、このメールの主要テーマの

「日の丸・君が代」強制について言えば、

「10・23通達」を出させ、大量処分を強行し、

「数年たったら全国がみんな真似する」とまで豪語した

石原が辞めたことは、私たちに有利に働くと思われる。

 

何と言ってもこの春の入学式でたった一人の

不起立者になった田中さんはその後も屈せず元気な一方、

石原は「格好悪い暴走老人」などとバカにされながら、

それに反論も出来ずに辞職したのである。

しかも石原はアジアを始め世界の世論からも叩かれつつあり、

彼の前途は五里霧中なのである。

内心「こんなはずじゃなかった」と思っていることだろう。

 

まさに「格好悪い暴走老人」であり、

彼がジタバタすればするほど悲喜劇的でさえある。

 

ワハハハハハ。

 
 
「河原井さん・根津さんらの『君が代』解雇をさせない会」が
以下のような<学習会>を開きます。
---------------------------------------------------
 『尖閣・竹島問題から見る「日の丸・君が代」強制問題』
 
   お話 : 高嶋伸欣さん(琉球大学名誉教授)
 
 <日時> 2012年11月17日(土) 13時30分開会
 <場所> 東京・中野商工会館 大会議室
 <資料代> 500円
 
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この「One for All ! All for one !」のメールは、
この春の東京都の入学式でたった一人の被処分者になった
田中聡史さんの闘いを支援し、処分を食い止めるためのものです。
当日は私も上京し、<学習会>に参加したいと思っています。
是非、多くの皆さんの参加をお願いします。
 
なお、「河原井さん・根津さんらの『君が代』解雇をさせない会」では、
9月21日の「朝日新聞」でも大きく紹介された
≪国旗に一礼しない村長≫(長野県中川村村長・曽我逸郎)さん
迎えて、<2013年1月26日(土)午後、(場所未定)>
集会を開くことになりました。
 
 
************************************************
「都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス

「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ  

http://homepage3.nifty.com/hinokimi

  
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加害の歴史から学ぶこと

2012-10-31 19:24:03 | 当該から

※AIBO「ええじゃないか大阪」のイベントの一つ、「戦争とファシズム展」(第七藝術劇場)で、『人間の条件』が上映されるそうです。

この映画を観たのは、もう30年以上前のことです。昼食と夕食の二食分を用意して映画館に行った記憶があります。全作通して観ましたが、ちっとも疲れなかったのは若かったばかりではなく、この映画の素晴らしさゆえであったろうと思います。

1996年、大阪府立学校在日外国人教育研究会主催「韓国研修旅行」に参加しました。その「報告集」で、私は映画『人間の条件』に触れました。当時の文章を掲載します。加害の歴史に目を閉ざそうとする人たちは、ずっと、歴史を歪めようとしてきたのではないでしょうか。辻谷博子

 

加害の歴史から学ぶこと  1996年8月

空路わずか2時間の旅で韓国に到着―私にとって4度目の韓国だった。今回の旅行は、今までの旅と違い、禹長春の墓、沙也可の里、霊山など日朝に歴史の中で掘り起こされつつある地を訪れ、そして辛先生から直に話を伺うことができ、改めて考えさせられるところが大きかった。その土地に立ち、縁の方々の話に耳を傾け、それだけで何というか歴史の大きなうねりの中にある人の姿を垣間見る思いがした。もっともっと日本と朝鮮のことを知りたいと言うのが旅の実感である。

それにしても、独立記念館の第3展示室(日帝侵略館)が工事中ということで閉鎖されていたのは残念だった。そう思いながら、閉館中のその建物を横目で見つつ歩いていると、それが日本の国会議員の発言によって起こった事態であるとの説明が耳に入って来た。どういう形で圧力をかけたかおおよその見当はつく。3年前であったか、ソウルからかなり遠く離れた独立記念館を何人かの仲間たちと訪れた。展示の仕方はそれぞれ工夫されていて、第3展示館では、10センチぐらいのガラスのすき間から覗き込むようにして中を見ると、かつて日本人が行った残虐な行為の再現像がそこにあった。強烈な印象を受けた。私は日本人として言いようのない感情を抱いた。おそらく、これを見た多くの日本人と同じように。実際、韓国を訪れると、自分が日本人であることをある種の辛さの中で意識せざるを得ない場面に何度か出くわす。しかし、それは日本人、いや人間にとって必要なことではないだろうか。人間がどんな恐ろしいことをしでかすか―そういう要素が自らの中にもあることを知っておくことは必要なことではないだろうか。

大学時代、『人間の条件』という映画を観た。その時の印象は今も私の中に残っている。50年代前半の生まれである私は、同じ世代の多くの人たちと同じように、戦争のためにどれほど父母の世代が悲惨な目にあってきたか、原爆がどれほど残虐に人の命を奪ったか―いわば被害者の側面から戦争を告発する教育は受けて来た。「戦争」とは殺され、傷つけられるものであった。けれども、その映画の主人公は、強い良心と反戦的な思想を持っていたにもかかわらず、ラストシーンでは、まんじゅうを売る中国人に剣を振りかざし命を奪っていく。日本の戦争加害をテーマとした映画ではなかったが、戦争という大きな渦の中で人間がどんなにひどい目に遭うかではなく、どんなにむごいことでもやってしまうということが、そのときの私には恐ろしかった。それは、小・中・高校で習って来た戦争教材にはないものであった。そして、そのときに感じた怖さは今も私の中にある。

遠いヨーロッパで起こったナチスに手によるホロコーストではなく、私たちの父母の世代が犯した日本人の加害の歴史を知ることは確かに快いものではない、辛いものである。しかし、そこから人間は学ぶことができるはずだ。戦争における加害の事実を知ることは国を越え人間にとって必要なことではないか。昨年アメリカではスミソニアン博物館が計画した原爆投下の展示が政治家の圧力によって中止された。そして、今年4月1日開館した長崎原爆資料館では展示される予定であった南京大虐殺の写真が市議の圧力によって外されたと聞く。「過去に目を閉ざすものは未来に対して盲目になる」ヴァイツゼッカーの演説を、ぜひとも、加害の歴史から目を背けようとする人たちに聞かせたいものである。

そして私が携わる教育においては、過去の歴史に目を閉ざすことなく見据えていきたいと思う。

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