※司法の役割は教育の自由侵害を止めることー近藤順一さん「君が代」裁判における冒頭本人陳述をご本人の承諾のもとに掲載します。「教育の自由」が、怒涛のごとき荒波に侵害されようとしている大阪における私たちの闘いに多くの示唆を与えてくださっています。
二審、高裁審理に当たって
2012年10月9日 第1審原告 近藤順一
高裁審理に当たって、2つのことを述べます。
まず、司法の役割として、教育の自由侵害を止める問題です。
本件事案の不起立・不斉唱は、教育課程の特別活動・学校行事<儀式的行事>の実施中に発生したものであります。「10・23通達」・八王子市通達・職務命令により、国旗(日の丸)に正対起立し国歌(君が代)を斉唱することが処分を構えて強制されました。それに対して、私の不起立・不斉唱行為は、旭川学テ最高裁大法廷判決のいう生徒の学習権保障のために、制限された教授の自由に基づく職務権限内の校務でした。その根拠は憲法23条、26条にあります。
国旗(日の丸)、国歌(君が代)は大いに議論すべき問題です。生徒にも自由な論議を通して公正な判断力を養い、自らどう対処するかを考えさせる必要があります。圧倒的多数が外国人生徒である夜間中学では特に慎重に対応しなければならなかったのです。自由な論議をする場として卒業式はふさわしくありません。私は毎年の卒業式要綱案を審議する職員会議で、式次第から「国歌斉唱」を削除することを提案してきました。職務命令が発せられた下で私の不起立・不斉唱は、極めて原則的、抑制的、初歩的なものです。強制された教員が多様性を否定し一律起立・斉唱を受忍すれば正しい教育はできません。私は大声を出したわけではありません。何か書いたものを示したわけでもありません。「立たないこと、歌わないこと」を指導したわけではありません。最高裁裁判官が言う「示威的な拒否行動」や第1審被告が言う「確信的な拒否」ではありません。ただ、自分の行動で多様性を示し生徒が考えるきっかけを示しただけです。それは、思想良心の形成過程にある生徒はもちろん、すでに成人である生徒にも重要だと考えました。
これまでも4つの累積加重処分事案を併合して一括審理、判決をお願いしてきました。それは一貫した教育実践が「服務事故」とされた教育侵害、教員弾圧を明らかにするためです。一審判決は「国の教育統制機能」を示していますが、教授の自由が侵害されたことは無視しています。最高裁がいまだに独自に語っていない教育の自由について当裁判所が憲法判断を下し、今なお学校現場で進行している強制・処分そして不当な「服務事故再発防止研修」を止める役割を果たすことを希望します。
二つ目は、正確な事実審理を行うことについてです。
都側の控訴理由書には、地裁審理では取りあげなかった事実が並べられています。例えば、卒業式における副校長による「現認」の言動と私の対応が示されています。この場面こそ具体的な教育活動への介入・支配が進行したことを示しています。副校長は、卒業式が進行している最中、わざわざ私のそばに来て「起立・斉唱」を強制しました。これは副校長が独自に判断したことでしょうか。校長の職務命令があったのでしょうか、通達との関係はどうだったのでしょうか。さらに、副校長の隣には、名前も身分も明らかにされない人物が付いていました。教職員の間では、“副校長の「現認」を「現認」する八王子市教委の担当官”だという噂が流れていました。これもぜひ明確にしなければならなりません。卒業式は、第1審被告・都教委が言うように「大きく紊乱されていた」のでしょうか。ぜひとも、副校長と私の証人尋問を実現してほしいと思います。