グループZAZA

「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

レイバーフェスOSAKA~「ZAZAで行こう!」~

2012-12-10 19:53:25 | 

※とっても嬉しいニュースです。

日の丸君が代強制反対を一緒に闘って来た新美益子さんが、ついに映像作家デビューです。

10.21のTネット結成集会のもようを「ZAZAで行こう!」(3分ビデオ)にまとめてくださいました。

昨日の「レイバーフェスタOSAKA」には、私も参加しましたが、

新美さんの作品は言うまでもなく、他の作品も3分に凝縮された見応えのあるものばかりでした。

レイバーネット日本のHPより転載します。

 

関西の女性パワーを示した上質の3分ビデオ

~第9回「レイバーフェスタOSAKA」~

 

 12月9日、エル大阪南館で、「レイバーフェスタ2012OSAKA」がひらかれた。

 今年はベテランの小崎くに子さんが、初めてフェスタの司会を担当した。観客の雰囲気を読みながら、しだいに会場の雰囲気を盛り上げていく巧みな司会だった。

 最初の上映作品は、韓国の韓進造船所の集団解雇に反対してクレーンに籠城したキム・ジンシクさんとその支援の運動を描いたドキュメンタリー「塩花の木々~希望のバスに乗る」。冒頭、キムさんの携帯電話を使っての撮影と語りは素晴らしく、韓国の労働運動の連帯力の強さを感じさせる作品だ。

 続いて東京の3分間ビデオ17本が一挙に上映された。観客のアンケートによると「予告編・犬と猫と人間と2~動物たちの大震災」が一番好評だった。母親が不登校の我が子を携帯電話で撮った「家族の風景」も母親とこどもの微妙な距離が映像に表現され、上位にランクされた。

 昼休みをはさんで関西の3分間ビデオが上映された。10本の作品のうち、女性の制作作品が7本を占め、関西の女性パワーを示し、しかも現代をとらえる上質の作品が多かった。小泉友理子さん制作の「関西レインボーパレード2012」は、多様なセクシュアリティを持ったパレード参加者にインタビューするもの、質問と回答がともに明るく、爽やかな雰囲気をつくり出していた。

「ZAZAで行こう!」は、君が代に起立をしなかった教員に対する処分に反対するネットワーク、ZAZAの集会を取材したもの。大阪では刺青調査や君が代斉唱時の唇審査など、基本的人権を奪う異常な事態が進行しているだけに、タイムリーな作品になり、観客の投票でも上位にランクされた。ちなみに制作者の新美益子さんは、今回レイバーフェスタのビデオ制作講座に参加し、初めてビデオカメラを買ってこの作品を作った。

 但馬けいこさんの「岩国は負けない!」、陣内恒治さんの「オスプレイ配備反対!沖縄普天間基地前そして高江と辺野古」は危険な米軍ヘリ、オスプレイの配備に反対する運動を記録したもので、今後、反基地集会で上映されることを期待したい。

 後半は、陽斗(ハルト)のオリジナルソングのライブ。昨年突然会社を解雇され、希望をなくしたが、歌うことで救われたと語りながら、「面接」や「ワラッテナイテ」など、自身の経験を素直に歌にした弾き語りだった。

 最後は長編ドキュメンタリー、我謝京子監督の「311:ここに生きる-In The Moment-」。東北の震災から立ち上がろうとする女性たちのパワフルな活動に驚嘆させられる。阪神淡路大震災で母を亡くした少女の17年後の姿も希望を与えてくれる。各地でもっと上映してほしい作品だ。

 映像の内容の充実に比べて、今回は参加者が少ないのが残念だ。衆議院の選挙運動と重って来られない人が多く、参加者は70名に留まった。

 集まったアンケートは好意的で、励ましの声が多かった。

★「Face Bookで流されましたか? 宣伝をもっとやったらいいのに」
★「日頃のマスコミで見ることができない、いい作品がたくさんあって感動しました」
★「映像の力って大きいな、、、と自分でも撮ってみたくなりました」
★「ここには良心がある。それも『行動する良心』が!」

                 (文責 小山帥人)

 

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基本的人権という原理を否定(ブログAfternoon Cafeより)

2012-12-10 14:54:07 | 憲法

※引き続き、引き続き、秋原葉月さんのブログAfternoon Cafeから掲載させていただきました。

http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1096.html

 

2012年版自民党憲法改正案批判~(3)基本的人権の尊重

引き続き2012年版自民党憲法改正案批判です。今回は三つの基本原理の最後、基本的人権の尊重です。
ここで一番の注目は「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」に書き換えられた事だと思います(2005年度版からそう)。
自民党は9条改正と並んでこれだけはどうしても譲れないんじゃないでしょうか。

<自民党憲法改正草案に反対する意見書(自由法曹団)>
http://www.jlaf.jp/menu/pdf/2012/120823_01.pdf

第4 基本的人権の制限と統治機構の全面的改変

1 基本的人権の大幅な制限

(1)公益・公の秩序による広範な人権制限

現行憲法は、「公共の福祉」による人権制約が存することを定める(12
条後段、13条後段、22条1項、29条2項)。これは、人権相互の矛盾
・衝突を調整する原理
と解されている。したがって、社会公共の利益という
ような抽象的な価値を根拠に人権を制約することは許されず、その制約が許
される程度も、人権の性質に応じて厳格な審査基準や緩やかな審査基準で判
断される。
これに対し、自民党草案は、「公共の福祉」をいずれも「公益及び
公の秩序」
に置き換える(草案12条後段、草案13条後段、草案29条2項)。
「公共の福祉」とは異なり、抽象的な価値を根拠に人権を制限することが許
されることになり、明治憲法下の法律の留保と同じ結果となりかねない。

(2)表現の自由・政治活動の規制

とりわけ表現の自由については、わざわざ「公益及び公の秩序を害するこ
とを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認
められない。」(草案21条2項)と規定する念の入れようであり、草案の
狙いが国民の知る権利や言論・政治活動の規制にあることが明らかである

さらに政党を法律で規制する(草案64条の2)。「政党法」は、戦後の
日本において、体制批判政党や少数政党を排除するために、支配勢力による
制定策動が繰り返されてきた。例えば、中曽根内閣のもとで1983年5月
に登場した自民党「政党法要綱」(吉村試案)では、①体制変革を目指す政
党の否定、②政党承認要件として一定割合以上の得票又は35人以上の国会
議員、有権者10万人以上の連署が必要、③政党の出版物の提出義務、④政
党助成金、⑤規制違反に対する処罰を内容としていた。草案の狙いが、自民
党草案が狙う国家体制を批判する勢力の排除にあることは明らかである


(3)社会権の切捨て

公務員の労働基本権について法律で全部又は一部を制限することを明記し
て公務労働者の労働運動を抑圧する(草案28条2項)。
また、財政の健全性を特に規定して(草案83条2項)、これを口実とし
た社会保障費削減・生存権の切捨てに道を開くものとなっている。

(4)人権保障とは異質な「家族」規定

自民党草案は、家族の尊重と相互扶助義務を原則とする(草案24条1項)。
個人の尊重(現行憲法13条前段)を確保しようとする人権保障制度とは全
く異質のものである
。この規定は、1つには、戦前の「家」による国民生活
統制の復活を狙うものである。もう1つには、最近の生活保護バッシングと
扶養義務者の扶養を強制しようとする動きに見られるように、国の生存権保
障を後退させて家族に責任を押し付ける狙いを持つものである。

(5)他党派の改憲案

立ち上がれ日本「大綱案」は、「国の安全」「公の秩序」「国民の健康また
は道徳その他の公共の利益」を人権制約原理とすること、政党を規制対象と
位置づけること、家族の価値を人権規定に置くこと、財政収支均衡規定を置
くとしている点において、自民党草案と全く同じといえる。
みんなの党「考え方」も、政党規定を新設するとしている。

(6)基本的人権の否定

各党の改憲案とも、表現の自由を中心として基本的人権を公益の名のも
とに大幅に制限するものであって、法律によっても侵されない基本的人権、
という原理を否定するものである


(引用ここまで・強調は私)



自民党は、世界の歴史が市民革命以降確立してきた天賦人権思想を否定しています

人は生まれながらにして自由平等であり、人権は国家によっても不当に奪うことは出来ないというのが天賦人権思想です。
これと逆の思想が、市民革命以前の中世封建時代や戦前の日本です。
戦前の国民は、統治権を総攬する現人神である天皇に仕える「臣民」であり、大日本帝国憲法は皇国史観とは相容れない天賦人権思想を歯牙にもかけませんでした。
「臣民の権利」は国家が恩恵として与えた物にすぎず、その権利はいくらでも法律で制限することが出来たのです。

大日本帝国憲法を見てみましょう。
第二章で臣民権利義務が定められています(ちなみにこの章では先に臣民の義務が定められていてその後で権利が定められているところが帝国憲法の性質を表していますね)

第22条日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ居住及移転ノ自由ヲ有ス
第25条日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外其ノ許諾ナクシテ住所ニ侵入セラレ及捜索セラルヽコトナシ
第26条日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外信書ノ秘密ヲ侵サルヽコトナシ
第28条日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
第29条日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス


このように、国民は法律が許容した範囲内でしか種々の権利が認められませんでした(これを法律の留保と言います)臣民の権利は立法によっていかようにも制限することが出来ました。
治安維持法、国家総動員法等々の治安立法で、国民の自由、とりわけ思想信条の自由や表現の自由はゼロの状態になり、天皇や政府や軍部を批判しようものなら激しく弾圧され、殺されることも珍しくありませんでした。

改正案は「公益及び公の秩序に反しない限り」人権は尊重される、としています。これは国や公共の利益、安寧秩序に反しない範囲内で人権を認める、ということで、国や公共の利益、公の秩序とされるものが常に個人の人権より優先されてしまいます。国家が帝国憲法の「法律の留保」と同様、国家が好きなだけ人権制限を行えます。
ですから「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に替えたのは天賦人権思想の否定なのです。恐ろしいですね。

天賦人権思想は近代憲法の本質であり根本規範ですからこれを否定することは不可能で、もし強行するならばそれはクーデターに匹敵すると思います。

このありえないような暴挙は改正案を手がけた人物が先走ったのでしょうか?
例えばこちらに改正案を手がけたと言われる西田昌司氏に関するこんなツイート


片山さつき氏のツイート

しかしこれは西田氏や片山氏の個人的見解ではなく、驚く無かれ、自分党の公式見解なのです。
自民党の日本国憲法改正案Q&A(pdfファイル)にこうあります。

Q2 今回の「日本国憲法改正案」のポイントや議論の経緯について、説明してください

答 今回の草案では、日本にふさわしい憲法改正草案とするため、まず、翻訳口調の言い回しや天賦人権説に基づく規定振りを全面的に見直しました。


もしこれがドイツならば自民党はたちまち非合法組織との認定が下されるでしょう
こんな政党が公党として存在でき、しかも次期選挙で第一党になりそうだという現実を私はなんと言っていいのか・・・やはり「日本終了のお知らせ」と言うしかない気がします。

改正案12条を見てみると「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し」という文言があります。よく耳にする、人権の性質を全く理解できていない噴飯物の常套句です。
権利と義務はバーターではありません。
人権は人間である以上アプリオリに備わっているもの、何かと引き替えにお上から与えてもらう賜物ではないのです。
日本という国は人権についていまだに基本的な正しい理解ができないおバカであると憲法で宣言してるようなものですね。
この文言からは「納税や勤労の義務を果たせないホームレスや生活保護受給者に人権などない」という昨今のトンデモな考えに容易に行き着きます。

また、13条を見てみると、現憲法13条は「すべて国民は、個人として尊重される。」とされていますが改正案では「人として尊重される。」になっています。
「個人として尊重」「人として尊重」
一文字だけの小さな違いですが、「個人として尊重される」というのは個人主義思想を表す定型句なのです。
一人一人みな違っていていいのだし、ありのままを尊重されるべきだという個人主義思想(個人主義と利己主義は違う)は天賦人権思想とは切っても切り離せません。
しかし、国家>個人、集団>個人、と全体主義的な指向のある自民党は個人主義思想はお気に召さないのでしょう。「人としての尊厳」という表現に変えることによって、個人主義思想を捨て、これからは集団>個人という考え方で逝きます、という意思表示をしているのだと思います。

個々の条文について水島朝穂教授が細かく突っ込んでいらっしゃいますので拝借して一つ一つ見ていきたいともいます。引用先はこちらになります(全文はリンク先でどうぞ)。
また、こちらのサイトで条文を見比べながらお読みくださるとわかりやすいかと思います。

<14条 法の下の平等>

 次に、14条の「法の下の平等」の差別列挙事由にある、人種、信条、性別、社会的身分または門地の5つに、「障害の有無」を新たに付け加えたことである。この点はどう評価すべきだろうか。英国の障害者差別禁止法理に詳しい杉山有沙氏(早大院社学研究科)によれば、単なる「障害」ならまだしも、ここで「障害の有無」としたことには疑問がある。障害には、(1)障害者が本人で負う不利(身体的、知的、精神的機能障害による障害)と、(2)社会的責任で生じる不利(社会から生ずる障害)の二種類があるが、国家が差別禁止の脈絡で緩和・解消を求められるのは(2)の場面に限定される。(1)については社会福祉による支援の問題となる。それゆえ、「憲法改正草案」の「障害の有無」という表現は、この両者の区別を曖昧にするものであり、しかも、14条にいう「人種」や「信条」などの差別列挙事由とは次元を異にし、同列に並べるのは妥当ではないということになる。



<15条 外国人参政権>

外国人の参政権については、これを国と地方のすべての段階で排除すべく、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とする15条1項を、「主権を有する国民の権利」と書き換え、同3項の「成年者による普通選挙」も「日本国籍を有する成年者による普通選挙」に変更するとともに、地方自治体の住民による首長・議員の直接選挙の規定(93条2項)まで、「地方自治体の住民であって日本国籍を有する者が直接選挙する」と改めている。外国人の地方参政権を憲法レヴェルで完全に遮断する狙いが見て取れよう。



<18条「奴隷的拘束j削除>については前エントリ-に書きました。

<20条 政教分離原則>

 政教分離原則(20条)の相対化を定着させる意図も明確である。「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りではない」として、国と地方公共団体の宗教的活動の制限を緩和しようとしている。最高裁の津地鎮祭訴訟判決以来の「目的・効果基準」も、かかる改正が行われるならば不要となるだろう。



<21条 表現の自由>

 「憲法改正草案」では権利の相対化も著しく、特に憲法21条の表現の自由については、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」については禁止される。政府批判や「公」のベールに包まれた問題の批判や暴露もあるだろうが、憲法に「公益」「公の秩序」が入れられれば、政府の恣意的解釈の余地は広がり、表現の自由はますますやせ細ったものになっていくだろう。



<22条 居住、移転、職業選択の自由> 

「公共の福祉」概念をもともと含む憲法の2カ条について、まず22条の「居住、移転、職業選択の自由」については「公共の福祉」を削除する一方、29条の財産権制限については、「公共の福祉」の代わりに「公益及び公の秩序」を入れた。「公共の福祉」と異なり、「公益」「公秩序」と言えば解釈の余地はなく、制限側にとってハードルは著しく低くなる。



<24条>

 憲法24条の家族のありようについても、婚姻の成立が「両性の合意のみ」を条件としていたのに、「のみ」を削除する一方、「家族は、互いに助け合わなければならない」という形で、国家が家族の内部のありように介入する余地を認めている。



<新設25条の2~25条の4>

 国の環境保全の責務(25条の2)は、すでに法律にも規定されている緩い責務規定のコピペとも言える意味のないものになっている。加えて、自民党「新憲法草案」にはなかった「国民と協力して」の一文を挿入することにより、国家の責務がさらに相対化されている。

 国家の介入のチャンネルを拡大する機能を果たすのは、在外国民の保護の規定である(25条の3)。在外国民の保護は昔から外務省の仕事である(外務省設置法4条9号)。外国の「緊急事態」の際の邦人保護を憲法に書き込む必要はない。

犯罪被害者の「人権」という規定(25条の4)も入った。「新憲法草案」の方では犯罪被害者の「権利」としていたのに、今回は「犯罪被害者の人権」というミスリードをしている。そもそも憲法の刑事手続上の人権は「加害者の人権」ではない。刑事手続上の人権は、強力な国家権力から個人を守るために存在するのであって、たまたま犯罪の疑いをかけられたすべての個人が対象となる。そこに「被害者の人権」という言葉が入ることは、この仕組みに混乱をもたらす。被害者の権利は、関連法律を充実させて、しっかり保障していくことが大切なのである。


新しい人権条項を設けることは意味がありません。全て現行憲法で保障済みだからです。
これは「人権に配慮してますよ」とポーズでしかないように思います。

<36条 拷問と残虐刑の禁止>
 

拷問と残虐刑の禁止(36条)については、「絶対にこれを禁ずる」から、単なる「禁止する」に後退させている。テロや人質事件に際して、やむを得ず拷問も行うことを想定していると言えよう。


「絶対に」という文言が入れられたのは、戦前の激しい弾圧で拷問死もあったことへの強い反省です。
それでも拷問に近いような取り調べで冤罪がいくつもおきました。

<28条 公務員の労働基本権>

 憲法28条は、団結権、団体交渉権、団体行動権(争議権)のいわゆる労働3権を保障しているが、今回の改憲草案は、第2項を新たにおこして、「公務員については、…法律の定めるところにより、前項に規定する権利(団結権など労働3権)の全部又は一部を制限することができる」としている。これは、公務員の労働3権について、「全部制限」を含む状況に置くことを意味する。


公務員にももっと労働基本権を認めるべきであるという国連の委員会の改善勧告にわざわざ逆行する規定です。


「人権尊重原理」は国民主権原理や平和主義原理の礎ともなる原理中の原理です。
憲法改正というとつい9条ばかりに目がいきがちになりますが、「(大)日本(帝国)を 取り戻す」のにこの人権原理否定は要の役割を果たすと思います。
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国防軍の全面展開によって、戦争をする国家へ転換(ブログAfeternoon Cafeより)

2012-12-10 14:45:19 | 憲法

※引き続き、秋原葉月さんのブログAfternoon Cafeから掲載させていただきました。

http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1096.html

2012年版自民党憲法改正案批判~(2)平和主義 

2012年版自民党憲法改正案批判の続きです。今回は三つの基本原理のうちの平和主義に関してです。
9条は自民党2005年版の案よりも更にパワーアップされています。文言を見比べてみましょう。

現行憲法

第二章 戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



2005年版

第2章 安全保障

第9条 (平和主義)
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 第9条の2(自衛軍)
① 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。
② 自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
③ 自衛軍は、第1項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
④ 前2項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。



2012年版

第二章 安全保障

(平和主義)
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。

② 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

(国防軍)
第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
② 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
③ 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
④ 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
⑤ 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。

(領土等の保全等)
第九条の三 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。



2012年版では2005年版の「自衛軍」が「国防軍」に変えられています。「自衛」の色合いを薄め軍隊色をより濃くしています。

2005年版は現行憲法の9条2項(これが戦争放棄を特徴付けていた条項でした)を削除しましたが、2012年版はそのうえで新たな9条2項「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。」と加えています。

更に2005年版に設けられた9条の2の4項で秘密保持を謳い、5項で新たに軍事裁判所を設置する規定を設け、領土紛争を想定した9条の3を新設しています。
では自由法曹団の意見書を読んでみましょう

<自民党憲法改正草案に反対する意見書(自由法曹団)>
http://www.jlaf.jp/menu/pdf/2012/120823_01.pdf

第3 戦争をする国への転換

1 侵略戦争に対する反省を投げ捨てる

現行憲法は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうに
することを決意し」ている(前文1段)。先の侵略戦争が、政府の行為によっ
て引き起こされたものであること、それによって国内外に多くの犠牲を強いた
ことを深く反省している。
これに対し、自民党草案は、「先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越
え」(草案前文2段)としている。侵略戦争を引き起こした責任の所在を覆い
隠し、「惨禍」を「荒廃」に置き換えて自然災害と同列に置くことによって、
日本軍が行ってきたアジアでの加害行為や大空襲・原爆などによる犠牲そのも
のから目を背けるものとなっている。侵略戦争に対する反省を投げ捨てている
のである。


2 平和的生存権の否定

現行憲法は、「日本国民は、恒久の平和を念願し…平和を愛する諸国民の公
正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とし、
さらに「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存
する権利を有することを確認する。」(前文2段)として、平和的生存権を明
記する。そして、かかる規定は裁判規範性をも獲得するに至っている(長沼ナ
イキ訴訟札幌地裁判決、イラク派兵違憲訴訟名古屋高裁判決など)。
これに対し、自民党草案には、この規定は全部削除されており、平和的生存
権を否定する
ものと言わざるを得ない。

3 「戦争の放棄」の放棄

現行憲法第2章が「戦争の放棄」としているものが、自民党草案では「安全
保障」に変えられている。ここでいう「安全」とは、「国…の安全」(草案9
条の2第1項)及び「国際社会の…安全」であり、集団的自衛権の行使や国際
協力名下の海外派兵を念頭に置いているものである
。現行憲法が、戦争放棄に
よって全世界の国民の平和的生存権を実現しようとするものとは、その制度も
目的も根本的に変えてしまうものである。


4 国防軍の創設

自民党草案は、現行憲法の戦力不保持規定(9条2項)を削除し、国防軍を
創設する(草案9条の2第1項)。国防軍は、自衛権の枠を超えて「国の平和
と独立並びに国及び国民の安全を確保するため」に保持されるものとしており、
集団的自衛権の行使を容認するものである
国防軍は、第1項に規定する任務を遂行するための活動のほか、「国際社会
の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」すなわち多国
籍軍などへの海外派兵
、「公の秩序を維持し、国民の生命若しくは自由を守る
ための活動」すなわち治安出動や国民監視も任務とされる(同条3項)。「国
民の生命若しくは自由を守るための活動」には、在外国民の保護(草案25条
の3)を理由とする単独での海外派兵をも含むものと解される。
そして、国防軍の機密に関する事項を法律で定めるとして(同条4項)、
密保護法制の制定を憲法上の前提として、国民の知る権利、表現の自由に対す
る広範な制限を容認する

また、国防軍の機密に関する罪などの裁判を行うため、軍法会議に類似する
国防軍の審判所
を置くとされている(同条5項前段)。通常裁判所への上訴権
を保障する(同項後段)としているものの、通常裁判所の審理の対象が法令適
用に限定されることも考えられ、そうなれば、実質的な権利保障は無いに等し
い。国防軍の機密に関する罪は、国民の知る権利と対立するものであるから、
軍人・軍属個人の問題に留まらず、国民の知る権利をも侵害するものとなる。

5 他党派の改憲案

立ち上がれ日本「大綱案」は、自衛軍の保持を明確に定めるとし、さらに集
団的自衛の固有の権利を定めるとしている。みんなの党「考え方」も、「国際
平和に貢献し、我が国を防衛するため、自衛権のあり方を明確化」するとして
おり、軍隊保持を目指していることは明らかである。維新の会も、「日米同盟
を機軸」「憲法9条についての国民投票」を掲げ、橋下徹大阪市長が9条を敵
視する発言を繰り返していることからすれば、やはり軍隊保持を目指している
ことは明らかである。

6 恒久平和主義の否定

各党の改憲案では、平和主義の内実は全く語られない。かえって、侵略戦争
の反省を投げ捨て、平和的生存権を否定し、国防軍の全面展開によって、恒久
平和主義を否定して戦争をする国家へ転換するものである。

(引用ここまで・強調は私)



アメリカからは解釈改憲でも明文改憲でも、とにかく集団的自衛権を認めるようずっと圧力をかけられていました。
また、安倍氏のように大日本帝国万歳的な政治家は軍隊が大好きですし、そこまで行かなくても勇ましい軍隊を持ちたい欲求に駆られる政治家は大勢います。
けれど現行憲法はどう解釈しようが集団的自衛権は100%不可能なのです(それをなかなか理解できない政治家が多くて困るのですが・・)
ですから平和主義を放棄し9条を改正して「交戦できる軍隊」を持てる新憲法は彼らには悲願なのです。

たとえ自衛隊が軍になったって日本が戦前みたいに戦争をふっかけるわけがないではないか、ただ単に国を守る体制をしっかり整えるだけだ、などと思っているなら、そんな考えはお花畑だったことをじきに思い知らされるでしょう。

さすがに昔のような侵略戦争を日本が仕掛けるとは私だって思いません。もうそんなのは時代遅れですから。
この改正の主目的は武力行使できる軍隊を持ち、集団的自衛権認めて「アメリカ様に付き従ってアメリカの戦争に参加できるようにすること」です。
つまり、イラク・アフガニスタン戦争のようなアメリカが仕掛けた戦争に日本も共に参戦して、否応なく人殺しをさせられる、あるいは殺される、ということです。
「国防軍」は目的も性質もこれまでの「自衛隊」とは明らかに異なっています。

<新・9条2項について>
どうしてこれを新設したのでしょうか
これまでも政府は新9条2項のようなことを言ってきました。
「たとえ9条があっても国に固有の自衛権まで否定するものではない(但しこの自衛権は9条下では正当防衛の要件を満たす「個別的自衛権」のみというのが論理的帰結)。そのための最低限度の武力の保持、行使は許される」
というのが自衛隊は合憲とする政府見解です。
即ち必要最低限の武力保持は合憲だと言うために、政府は新9条2項みたいに「固有の自衛権はある」と言ってきたわけです。
改正案で武力の保持を禁じた現行憲法の9条2項を削除し正面から軍隊を持つことを定めた以上、武力の保持は当然肯定されるわけですから、これまでのように、個別的自衛権のための最低限の武力保持は合憲だと言いたくて「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。」などど言う必要は全くありません。
ですから、改正9条2項は、集団的自衛権を認める目的で設けられたのだと言えます。

<9条の2、3項について>
国防軍の目的は自衛隊とはちがって「自衛」に限定されません。自衛とは関係のない国際貢献という名の海外派兵(そこでの武力行使も可)や、公の秩序の維持も国防軍の目的です。

現在、自衛隊の情報保全隊が行っている平和運動に参加する市民、共産党や社民党の議員、労働組合員、自治体幹部、新聞記者等々の違法な情報収集の差し止めを求める裁判が行われています。
http://blog.canpan.info/kanshi/
しかし自民党改正案では公の秩序の維持という目的を遂行するため、軍によるこのような情報収集、国民監視も合憲とされる可能性は非常に大きいでしょう。
なぜなら、国民のプライバシーという人権は「公益及び公の秩序」(改正案12条、13条)の名の下に、大日本国憲法下のような制限が可能となるからです(私はこの改正案12条、13条はこの壊憲案の重要事項だと思います)
憲兵政治の復活も夢じゃないかも。

<9条の2、4項について>
9条の2、4項は「国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める」と規定しており、何を秘密と指定できるかを完全に法律に丸投げしています。国のフリーハンドで「公益及び公の秩序」という名目をつけて、知る権利をいくらでも制限できてしまいます。
しかし国民が国家の政治過程に参加する(=民主主義)ためには情報公開は必須であり、「知る権利」は民主主義を実現するのに欠かせない権利です。
それが国によって好き放題制限できるこの規定は、民主主義を確実に破壊すると言わざるを得ません。

現憲法下では秘密保全法は憲法が保障する国民の「知る権利」を侵害する憲法違反の法律だと言えるでしょう。
しかし改正案では秘密保全法は違憲どころか、その存在を憲法が想定してしまっているのです(つまり当然合憲
)。
秘密保全法、コンピューター監視法、私的違法ダウンロード刑罰化、軍事利用を可能に改変された原子力基本法、宇宙機構法、共謀罪(これはまだですが)、これまでじわじわと周到に準備されてきたこれらの治安立法が一気にその本性を現すときがくるでしょう。

<9条の2、5項について>
現行憲法は特別裁判所の設置を禁じています。これにより戦前のような軍法会議や皇室裁判所は禁じられます。
改正案も特別裁判所の設置は禁止しています。
しかし通常の裁判所の系列に属する下級裁判所ならば特別裁判所に当たらないので、通常裁判所への上訴権を保障している以上、5項の軍事裁判所は特別裁判所に当たらない、と言いたいのでしょう。
しかし現行の刑事訴訟法とは別の特別な訴訟法が設けられてしまえば、意見書にもあるとおり、被告人の実質的な権利保障は無いに等しくなってしまい、特別裁判所設置を禁じた意味がなくなります。
それに秘密保全に関する裁判であればそもそも何が秘密に当たるかを示されることすらないので、罪刑法定主義に反し適正手続保障もおよそ不可能になることも付け加えておきます。

<9条の3について>
本条が定めている領空、領海侵犯は、これまでも海上保安庁や自衛隊が対処してきたことであって、ことさら条文を設ける必要は無いはずです。なのに何故わざわざ新設するのでしょう。尖閣諸島や竹島を意識したナショナリズムを煽るような規定ですね。
そして何故わざわざ「国民と協力して」という文言を入れたのでしょうか。
尖閣諸島や竹島に関してどのような意見を持つかは個人の自由のはずですが、それに関わらず、国民は「尖閣、竹島死守」に協力させられそうな文言です。戦前の治安維持法と並ぶ悪法「国家総動員法」が目の前にちらつきます。

そして、この文言は徴兵制の根拠になりそうな予感です。
自民党が徴兵制を敷きたがってるのは、現憲法18条「第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。」という文言を削除したことからも伺えます。
80年代にも徴兵制が検討されたことがあったそうですが、その際問題になったのは9条ではなく、18条の「奴隷的拘束」に当たるのではないか、だったそうです。
しかしさすがに身体の拘束からの自由そのものを削除するのはまずいと考えたのでしょう、仕方なく「何人も、その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない。 」という全く意味不明な条文を設けるはめになったのだと推測されます(「社会的又は経済的関係において身体を拘束されない」って、どういうこと?さっぱりわかりません)
言い換えれば、自民党は、「徴兵制は奴隷的拘束に当たる」と認識しているということです。


自衛隊は違憲だと言われながらもずっと存在し続けてきたのだから、その存在を合憲なものとして憲法上認知してもいいじゃないか、という意見を以前よく聞きました。もしかしたら「国防軍」に賛成するという30何%の人もその程度のつもりしかない人が多いのかもしれません。
しかし以上で見てきたとおり、自民党の「国防軍」は、もうこれまでの自衛隊とは全く性質が違うこと、そして私たちの様々な権利を脅かし、民主主義の根本を脅かすことを認識しなくていけません。
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自民党の壊憲案は国家転覆にも等しい(ブログAfternoon Cafeより)

2012-12-10 14:18:47 | 憲法

※いつも有益な情報を提供してくださる秋原葉月さんのブログAfternoon Cafeから掲載させていただきました。

http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1096.html

2012年版自民党憲法改正案批判~(1)国民主権

自民党の安倍総裁は、改憲を今回の選挙の争点に持って来たがってるようです。
しかし、現在、憲法を改正しなければならない事情など何もありません。
むしろ憲法に定めてある精神的自由権や、生存権(原発事故被害者、被災者の問題、生活保護の問題)、社会権(労働基本権、ブラック企業の問題)が侵害されまくっている状態。
なので今求められているのは憲法改正などではなく、憲法の精神に沿って憲法を実現することです。
ですから、自民党やみんなの党や日本王政復古党が選挙の争点に改憲を出してくることがそもそも大間違いなのだ、ということを再度強調しておきたいと思います。

憲法は変える必要がないというだけではなく、今だからこそ変えてはいけない

それでもごり押ししたくて仕方がない自民党の憲法改正案を見ておきましょう。

何度か書いてきたことですが、もう一度確認しておきましょう。
憲法は、改正できるといっても無限に改正できるわけではありません、限界があります。
「改正」とは憲法としての同一性を保つ範囲内で変更がなされることです。
憲法の基本原理、生命的部分を否定するような変更は憲法として同一性を失わせ、憲法が自分で自分を否定することになるので、もはや「改正」ではなく「破壊」なのです。


では、日本国憲法の基本原理、生命的部分は何でしょうか。
言わずと知れた「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」です。

自民の改憲案を何故「壊憲」と書くかというと、この基本原理三つともを否定する内容となっているからです。
憲法がどういうときに破壊されるのかと言えば、革命やクーデタ-、国家転覆ですね。
つまり、自民党の壊憲案は国家転覆にも等しいのです。

ちなみに、自民党の改憲案と現行憲法を比較したサイトがありますので、こちらを是非参照してみてください。。
●『日本国憲法改正草案』がヤバすぎだ、と話題に・・・
http://www.geocities.jp/le_grand_concierge2/_geo_contents_/JaakuAmerika2/Jiminkenpo2012.htm
こちらで2005年版と2012年版の比較も出来ます。

まず、憲法前文は、天皇を頂点とした戦前の国家観家族観を彷彿とさせる書き出しになっています。
そして戦前のファシズムへの反省からこの憲法が生まれたことを綺麗に削除。「幾多の大災害を乗り越えて発展し」の自画自賛はショックドクトリン政策を思うと偽善的ですらあります。
「活力ある経済活動で国を成長」も今の搾取、格差社会の現状からすれば、タダの守銭奴国の匂いしかしてきません。

憲法の最高法規性と基本的人権の普遍性を謳った97条を丸ごと削除に至っては、人類が勝ち取ってきた崇高な人権尊重の理念に対する憎悪と敵意すら感じます。
また基本的人権に対する制約が「公共の福祉」から「公益及び公の秩序」に変わったのは看過できません。これでは国やマジョリティの名の下にいくらでも人権制限でき、大日本帝国憲法の「臣民の権利は法律の定める範囲内で認める」というのと実質変わらなくなります。(基本的人権の尊重原理の否定)

「国民主権」という文言はアリバイ作りのようにいれてるものの、天皇を元首と仰ぎ日の丸君が代の規定をセットでもってくる価値観からして、国民主権など単に選挙権があると言う意味だけの「お飾り」に過ぎなくなります(国民主権の否定)。

そもそも憲法は国家権力を縛るために国民が国家に突きつけるもの。
それなのに国旗国歌の規定をいれたり国民に遵守義務を課したりするのは、近代民主主義国家の原則である立憲主義すらわかっていないという超低脳ぶり。はっきりいって世界に恥をさらしています。

前文からファシズム、戦争への反省を削除して平和主義が消え、ためらいなく軍隊創設を謳っています(平和主義の否定)

ざっと見ても、言語道断です。

これらの批判は自民党の改憲案2005年版でもしましたが、2012年はこれより更にぶち壊しっぷりがパワーアップされています。こんな近代民主主義国家の憲法とは呼べない恥ずべきシロモノを堂々と出してこれるトンデモ政党がおそらく次期政権与党になろうとは、なんといっていいか言葉が見つかりません。

自民党のこの選挙でのキャッチフレーズは「日本を、とり戻す」だそうですが、私には「大日本帝国を、とり戻す」と言ってるようにしか聞こえないです。

この三つの基本原理の破壊ぶりを、自由法曹団が体系的に批判した意見書が出ていますので、お借りしましょう。基本原理ごとにエントリ-を三回に分けてじっくり読んでいきたいと思います。
今回は国民主権に関してです。

<自民党憲法改正草案に反対する意見書(自由法曹団)>

http://www.jlaf.jp/menu/pdf/2012/120823_01.pdf

(引用開始)
第2 国民の服属を強いる天皇制へ

1 天皇の君主化

自民党草案は、「日本国は…天皇を戴く国家」(草案前文1段)であるとし
て、天皇を国民の上に君臨する存在とする。
そして、天皇を元首であるとして(草案1条)、国家を代表する権能を与え
ている。一応、天皇は国政に関する権能を有しない(草案5条)とはされてい
る。しかし、元首とは、実質的に国家を代表する者と考えられてきたものであ
り、現行憲法下では内閣総理大臣と解するのが通説である。そうすると、天皇
の元首化は、天皇の権能拡大に道を開くものであることは明らかである。国事
行為について必要とされるのは、「助言と承認」ではなく、「進言」(目上の者
に対して意見を申し述べること)とされており(草案6条4項)、文言上は、
内閣の意向に反しても国事行為が可能であるかのようである。さらに、現行憲
法に規定されていない公的行為(草案6条5項)を正面から認める。公的行為
には「その他の公的な行為」が含まれて何ら限定がないし、公的行為には内閣
の「進言」による歯止めすらない。天皇の行為は無限に拡大し得ることになる。
自民党は、「大日本帝国憲法4条にも規定があり、問題はないということで
多数の意見を採用して元首を規定することとした」(礒崎議員HP中の「憲法
改正草案解説(2)」)と、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬」する存在で
あった明治憲法への回帰をあからさまに述べている。
現行憲法では天皇・摂政は憲法尊重擁護義務(99条)を負うが、憲法制定
権者である国民はこれを負わない。ところが、自民党草案では、逆に国民が憲
法尊重義務を負い、天皇・摂政は憲法尊重擁護義務を外されている(草案10
2条)。天皇が国民の上に君臨する存在である以上、天皇は憲法に縛られず、
国民が憲法に縛られることとなるのである。

2 日の丸・君が代を憲法上制定

自民党草案は、国旗は日章旗、国歌は君が代であると憲法上で規定する(草
案3条1項)。「第1章天皇」で規定しているのは、日の丸・君が代が天皇
制国家を象徴するものであることを、彼らが自認していることを示す。
そして、国民には、日の丸・君が代の尊重義務が課される(草案3条2項)。
日の丸・君が代の強制は思想・良心の自由(現行憲法19条)を侵害するもの
であるが、自民党草案の下では、憲法自身が認める例外として、日の丸掲揚・
敬礼や君が代斉唱の国民への強制のおそれがある。

3 元号を憲法上制定

自民党草案では、元号についても憲法上で規定され、しかも皇位の継承があ
ったときに制定するものとされている(草案4条)。元号は、天子の在位期間
を基準とした在位紀年法に由来し、天子が空間と共に時(世)を支配するとい
う思想に基づいているものであり、国民主権原理に相反するものである。憲法
上の制度とすることで、元号の使用が国民に強制されるおそれが強い。

4 他党派の改憲案

立ち上がれ日本「大綱案」、みんなの党「考え方」のいずれも、天皇を日本
国の元首とすること、国旗を日章旗、国歌を君が代とすることを憲法上明記す
るとしている。維新の会は、改憲課題としては明示していないが、首相公選制
について天皇制との整合性を議論しており天皇の元首化を念頭に置いているこ
と、現に条例により日の丸・君が代の強制を行っていることからすれば、改憲
案の課題に格上げされることもあり得る。

5 国民主権原理の否定

各党の改憲案は、天皇を国民の上に君臨する存在とするものであり、国民に
天皇制への服属を強いるものであって、国民主権原理を否定するのものにほか
ならない。

(引用ここまで ※2012年8月に出された意見書なので、たちあがれ日本は現在は日本維新の会です。)



少々付け足すと、「公的行為」を付け加えたことで、違憲性が争われている天皇の「お言葉」も何の問題も無くなりますね。


現在も天皇一族は現人神のごとく畏れ多い高貴な雲上人として遇されており、戦前からの連続性を感じずにはいられません。この破格な扱いはヨーロッパの王室とは全く異なります。
しかし、近代民主主義の精神は、人は誰もが人間として平等であり、封建主義時代のような身分制のような思考を否定するところから始まります。
不条理な畏れ、特別扱い、尊敬を無条件に強い、それを、条理以前に受け入れひれふす精神構造のどこに真に民主主義的な精神が育つのでしょうか。
現在天皇は戦前のように政治的権力はもっていませんが、だからこそこういう不合理な精神構造を浸透させやすくするのに一役買っているのでしょう。

ましてや今度の壊憲案では元首と定め、天皇の象徴である日の丸君が代を憲法で制定し、「天皇の御世」を意識させる元号を憲法で定め、フリーハンドの「公的行為」を天皇にみとめるのですから、いつ不敬罪が復活してもおかしくないような空気になり、民主主義的メンタリティが失われること請け合いです。

国民主権とは名実共に国民が主人公でなければいけません。
天皇に政治権限がないんだからそれで文句は無かろう、という問題ではないのです。

現憲法では天皇は国民の総意に基づく象徴、としか規定されていません。
これは言ってみれば、ただの象徴に過ぎず、元首や君主のような存在ではない、ということです。
この「象徴」でさえ国民主権とや平等規定との整合性に苦労するのに、元首が天皇家に限って世襲されるのでは益々国民主権と平等規定と相容れなくなります。

政治的権限に有無に関わりなく、国民の上に天皇が君臨するようでは、国民主権という憲法の基本原理は否定されていると言えるでしょう。


こちらも併せてお読みください

村野瀬玲奈の秘書課広報室
自民党の「日本国憲法改正草案」は国民主権と基本的人権を実質的に制約縮小することを目指す
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3943.html



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『日本国憲法改正草案』がヤバすぎだ、と話題に…

2012-12-10 14:04:39 | 憲法

※ブログ『日本国憲法草案』がヤバすぎだ、と話題に…』を是非ご覧ください。

http://www.geocities.jp/le_grand_concierge2/_geo_contents_/JaakuAmerika2/Jiminkenpo2012.htm

衆議院選挙を前にして、巷で第一与党とおおいに予想されている自民党はどうやら本気で国民支配を企んでいるようです。

国民を守るはずの憲法からの180度大回転が起こるやもしれません。

ブログより、最初の部分を紹介します。

この後、現行憲法との対照表が掲載されています。

 

『日本国憲法改正草案』がヤバすぎだ、と話題に・・・

基本的人権・第十一条とは別の、第十章最高法規にある第九十七条を削除、
  なんでこれを削除する必要があるのか
  また、集団的自衛権の行使が可能だと、大胆にも、第九条二項に捻じ込んできた。
     「自衛権の発動を妨げるものではない」、と。

無茶しよるわ・・。
少なくとも、国民に不安を与える内容を含んでいては、憲法としてマズイだろう。
Q&Aにも、また直接タッチした作成者の解説を読んでみても、特に主要な条文について、どうしても改正しなければならない明確な理由が見当たらない。この憲法の先になにか目的がある・・、そう思われても仕方がない状況を生んでいる。
( 2005年版 では恐る恐るといった風情だったが、この版は思い切りケツ捲ってきた。)
2012.12.7 2012.12.3 2012.11.23初版

自民党 日本国憲法改正草案対照表 2012版

【 ご挨拶 】
このページは、自民党が公開している憲法改正案対照表 seisaku-109.pdf を html 化し、縦書きから横書きに変換して読みやすくしたものです。内容はそのままです。
ただ、普段の生活の中で、法律などに接することが少ないと思われる多くの人々が、独特の言い回しの法律条文に抵抗なく近寄っていただくにはどうしたらいいかと考え、朱色で強調したり青色文字でコメントを付加しました。

管理人の私もただの素人です。
が、素人の感覚で条文を表現できないものかとアレコレ考えてみました。素人の独断と偏見ですから間違っているところもあるかもしれませんが、その条文に気付いていただけるとしたら、このページをアップした甲斐があります。

「おや?この条文にはなんかありそうだ、もっと調べよう」
「管理人はヘンテコなコメントを付けているがホントはこうなんじゃないか」・・・などなど。
ちょっとしたきっかけで関心が生まれ、興味をもっていただけたましたら望外の喜びです。

このページの冒頭のところもそうですが、表現が不遜であったり、不適切であるところもあると思います。なんとか本質に迫ろうということであえて卑近な言葉を使っておりまして、お気を悪くされている人もみえるかもしれませんが、ご勘弁頂けましたら幸いです。
その代わりといってはなんですが、気分転換をしていただくにはちょうどいいブログなどをご紹介したいと思います。各条文について丁寧に解説くださっています。同じ条文でも違った見方をされているところもあり、新たな視点があることに気付かされます。要はこのページをネタにして大いに議論したり考えたり知識などを深めていただくことが大事だと考えています。 現に、ツイッターやブログ、フェースブックなどで考察や議論がされています。
順にご紹介していきます。

◇ 『Brave Old World at はてな』 「『日本国憲法改正草案』がヤバすぎだ、と話題に・・・」についてです --> こちら
   こちらは140文字制限があるツイート、丁寧とはいかないにしても多彩な議論がある- Togetter↓
◇ 自民党が公式に国民の基本的人権を否定し、さらに改憲案で日本国憲法第18条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」を削除してしまいました --> こちら
◇ 『Afternoon Cafe』 「2012年版自民党憲法改正案批判~(1)国民主権」 --> こちら
◇ 『Afternoon Cafe』 「2012年版自民党憲法改正案批判~(2)平和主義」 --> こちら

管理人
【 業務連絡 】
ページを軽くするために、2つに分離しました。
後半部分、自民党新憲法草案全文(2005年10月28日発表)版は、--> こちら です。

※ 要約版をつくりました。 --> こちら
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