※衆議院総選挙を前にして、もう一度考えてほしい。
なぜ、「君が代」が学校に強制されるのか?
なぜ、橋下徹(日本維新の会代表代行)は、条例化までして教員に「君が代」起立斉唱を義務づけたのか?
なぜ、格差拡大社会と言われている今、「愛国心」が求められのか?
国旗・国歌は再び利用されようとしているのではないか?
学ぶこともままならず、仕事もなく、生活に目途がつかない若者たちを戦争に駆り立てることはないか?
かつて、教育はどのような役割を果たしたか?
なぜ、私たちが、敢えて条例や命令に背いてまで、「君が代」斉唱時不起立であるのか?
ブログ LiveInPeace☆9+25より転載します。
NHK特番「君が代条例の波紋」--「この強制を見過ごせばかならず次は子どもたちへの強制がはじまる」
NHK特番「君が代条例の波紋」(8月15日放送)
一ヶ月前の番組ですが、動画がアップされているので紹介します。「日の丸・君が代」問題は来年の卒業式に向け再び大問題になります。この番組は、教員の自尊心をズタズタにし、教育現場を陰鬱な雰囲気にする、「日の丸・君が代」押しつけの異常さをあぶり出していると思います。大阪府立和泉高校中原校長の腹黒さも際だっていました。
http://www.youtube.com/watch?v=WYJxNiarN3o
登場する「君が代」不起立処分を受けた女性教員等の気持ちは、
「この強制を見過ごせばかならず次は子どもたちへの強制がはじまる」
に集約されるのではないかと思います。
そしてこの番組を見ると、必ず子どもたちに押しつけられてしまうということがわかります。
まず冒頭での異様さです。卒業式当日、府教育委員会が全校長に次々に電話をかけて不起立者がいなかったかを確認しています。
“不起立者はでなかった?それはいい卒業式だったんですね”というような応答が行われます。--不起立者を撲滅するのが至上命題の卒業式。教育委員会、校長を通じた恐ろしい締め付けが起こっていることが分かります。
それと注目は、和泉高校の中原校長が卒業式での口元チェックの後、入学式に向けて職員会議で提案する場面。
○中原和泉高校校長の職員会議での発言
「卒業式・入学式はあくまで生徒を気持ちよく送り出したり迎え入れたりする場であって、教員が自分の歴史観をアピールする場ではありません。
どうしても歴史的な教訓とかを教えたいというのであれば、特別授業で、有志の生徒を対象に、そして反対説もバランスよく盛り込んでいくと。自分の説ばかりを一時間も二時間も言って、反対意見もいれないというのはバランスが悪いと思いますので。そういう形で場を提供していくことが解決策ではないかと思います。
だから、きたるしあさっての入学式では、みなさんきちんと立って歌って温かく生徒を歓迎したいということで行きたい、行って下さい。」
--これに対して教職員が静まりかえります。中原校長が、「じゃあ和泉高校としてはそういう方向でやっていくということでよろしいですかね。もう続かないですよ」と念を押すと、言いにくそうにとなりの先生が手を挙げて発言します。
○K先生(社会科)
「条例で決まったものでわれわれは従わなければならないと、思想信条の内面の問題は別だというお話だったと思います。校長先生の論理は明快かなと思います。
ただ国に対する思いとか国旗国歌に対する思いはそれぞれあって、国旗国歌に肯定的な方、少し否定的な感情をお持ちの方、中立の方とかいろいろおられます。
あえてこういうものが出されて、多くの方は、従うという形でやると思いますが、中にはすごくいろんな思いをもってその場でどうしようかなという方もきっとおられると思います。
私自身もいろんな思いがあるんですが、こういうことで、学校のいろんな仕事の中の一コマだけ取り出されて処分とかなるのもイヤなんで、ある意味従うということになると思うんですが、いろいろな思いの人がいるということは受け止めて欲しいと思います。
校長先生とわれわれの間の信頼関係を回復するというか、そういうチェック等のことはやめていただいて、ある意味お互いの信頼関係の中で和泉高校のイメージを回復していただきたいと、そんなことを考えています。
--中原校長は先ほどまでは穏和な感じでしゃべっていたのに、これを聞いたとたん顔色を変え、上からK先生を見下し威圧的にしゃべり出します。
○中原校長
「今先生からお話がありましたが、僕は別にこれでもともと信頼関係が損なわれたとは思っていません。
決められたルールを守っていかなければならないというのは当然のことで。チェックをしてくれるなというんですけれども、それは教育委員会に言ってもらわなければならないことですし、もっと言えば府民に対して言うべきであって。
いろいろ考えたんですが、それは教育委員会が言っているように、確認はもう2、3秒の話で、皆さんが立って歌っている姿を確認するということで、時間的にはもう短くなりますしね。そういうことでやっていこうと思っている。
先生、もし気持ちがあるのでしたら、生徒に、「君が代」の負の側面があるとしたら、われわれの中でああだこうだというのではなく・・・ 校長が先生の気持ちを分かったって、子供たちになんのメリットもないわけで、それをちゃんと伝えることの方が大事で、それを校長と一部の職員とか、教育委員会とか議会とか、そういうところで対立するんじゃなくて、その思いをきちんと事実に基づいて資料をあわせて反対説も踏まえて、なぜ一部の先生がそう思うのかということを伝えることの方が教育観としては僕は大事だと思います。
だから、先生も是非それに参加していただいて、社会の先生ですしね、そういう形で教育を続けるということが、「君が代」に対しての教育機関としての正しい向き合い方だと思います。
--そして最後は、上からK先生をにらみつけ「それでいいですね」。K先生は苦笑いで、誰も何も言えなくなり職員会議は終了。
和泉高校は、一人の不起立者も出さずに入学式は「無事」終了。
○最後、中原校長にK先生が呼ばれて会話。
中原校長「特別授業、やってくれますね。」
K先生「両論を説明するというより、僕の悩みなどを生徒に伝えていいですか」
K先生がどういう人なのかは分かりませんが、明らかに「君が代」断固反対という感じではなく、口元チェックという異常な押しつけに我慢がならず、意を決して発言したという感じでした。
そして「教員と校長の信頼関係が崩れた」と感じています。
見た目では、中原校長よりも10歳くらい年配のベテラン教員。その教員に対して中原校長の威圧的で「僕への反論は許さない」「僕は権力者だ」という態度。
中原校長は、有無を言わさず「君が代」を強制した上で、「代替措置」として特別授業を要求し、それさえ中原氏の思い通りにやらせようとしているのです。しかも許し難いことに、君が代斉唱チェックの責任を教育委員会や府民に押しつけているのです。
中原校長は問題を教員の歴史観をアピールする場があるかどうかにすり替えています。自らの教育理念から「日の丸・君が代」を拒否しする教職員が多数いるということ。他ならぬ卒業式・入学式で「日の丸・君が代」を強制されるのはイヤだと感じているということ、ましてや口元チェックを不愉快だと感じていること。
中原校長は卒業式での口元チェックのあと、3月13日に自らのブログに以下のように書いています。
※読売新聞の記事について
http://ameblo.jp/nakahara-toru/entry-11191251489.html
“3名のうち、2名が「歌っていました」、1名が「歌いませんでした」と答えました。いずれの教員との対話も円滑に進み、反抗的な言動を見せた人もおらず、一定の思想に基づく主張を展開した人もいませんでした。2名の教員は「次回の入学式では誤解されないようきちんと歌います」と答えていますし、1名の教員も「いままでずっと歌って来なくてもよかったので、つい・・・次回からはちゃんと歌います。すみません。」との明快な答えをもらっています。”
このわずか三週間後に行われた職員会議で教員から異論が出、「校長と教員の信頼関係が崩れている」との訴えがあった訳ですから、口元チェックと事情聴取がいかに独りよがりで、教育現場に抑圧的な雰囲気をもたらしているかがわかります。
ついでに・・・番組では和泉高校の社会見学として「戦争体験のフィールドワーク」と「自衛隊の体験入隊で国防の意義を語らせる」が紹介されていましたが、明らかに戦争の悲惨さと「国防の重要性」という二つのものをしているというのではなく、「戦争を防ぐために自衛隊の意義をすり込む」というようなとても受け入れられない内容だったと思います。
※平和と国防を考える(中原ブログ)
http://ameblo.jp/nakahara-toru/entry-11327332007.html
(ハンマー)