※時折、市民の方から、「君が代」不起立よりも、もっと私たちにとって切実な問題があるのですが…と言わることがあります。私は府立高校で教員をして38年目になります。これまでも学校はいろんな問題を内外に抱えていましたが、今ほど、生徒にとっても保護者にとっても、そして教員にとっても、首をかしげざるを得ない、そしてそれゆえ考えなければならない問題が山積していたことはなかったのではないかと思えます。今回は、現場の一教員として授業アンケートの問題について思うところを述べてみます。ご覧いただければ幸いです。辻谷博子
私たちグループZAZAは「君が代」不起立処分は不当とし、人事委員会に不服申立を行っています。
しかし、学校で起こっている問題は卒・入学式の問題ばかりではないことは言うまでもありません。
いま、大阪府・市で維新の会が主導して制定した「教育基本条例」のもと、深刻な問題が起こっています。
それは、授業アンケートです。
橋下市長らは、「保護者にも責任をもってもらう」と、来年度からの本格実施に向けて小学校・中学校で授業アンケートの試行を開始しました。
突然のアンケートは十分な説明さえもなく、いきなり教員の授業を評価してくれとの依頼にとまどっている保護者も少なくはありません。
また、この授業アンケートは、まったく不可解な過程をもって教員評価につながることも明らかになってきました。
つまり、教育委員会が考えている本格実施の案によると、生徒や保護者の評価を参考にして校長が教員を評価します。
具体的に言うならば、生徒や保護者が、いかに授業について不満であることを述べても、校長による大逆転は起こり得るのです。
その逆も起こり得ます。どんなに生徒や保護者が満足のいく授業であることを述べても、校長はその教員に最低評価を下すこともできるのです。
しかし、生徒・保護者・府民に対して、教育委員会をはじめ行政は、授業評価に生徒や保護者の声を反映させたとアピールだけはできるわけです。
いや、それどころか、 橋下市長らの狙いは教育について保護者や家庭に責任を負わせることにあるようです。
下記に橋下市長がツイッターで発信した主張を転載します。【参考資料①】
では、なぜ、橋下市長らが教育の保護者責任にこだわるかと言えば、その理由は大きく2点あるように思います。
ひとつは、授業評価を「アリバイ」に使い(先ほども述べましたが、授業評価は必ずしも教員評価に反映しません)、これまえ以上の「最低評価」の教員を
意図的に作り出し、免職への道筋をつけることです。すでに維新の会は教育公務員の非公務員化を政策として名言しています。橋下市長自らもツイッタ
ーによりそのことを主張しています。【参考資料②】
しかし、いくらなんでもこれは一朝一夕にできることではありません。
公務員の大量免職すなわち首切りは社会に多大な影響を与えますし、
たんに公務員だけの問題ではなく雇用状況にも計り知れない負の打撃を与えることは言うまでもありません。
教育公務員の首切りを徐々に徐々に市民・府民に慣らしていき、
そして、その首切りは生徒や保護者の授業評価にかかわった責任のうえに断行されるわけです。
授業評価が、教員の給与査定につながるばかりではなく、場合によっては「首切り」につながることは、ほとんどの生徒や保護者には知られていません。
さて、もうひとつの理由ですが、思い出してください。
本年5月、大阪維新の会は「家庭教育支援条例案」なるものを公表しました。
あまりにもお粗末な、そしてなにより障害者差別につながる内容でありましたので、提案には至りませんでしたが、
おそらくいずれ、少し化粧を施して見栄えをよくしたうえで提案してくることjは間違いないでしょう。
政治の狙いは教育基本条例にも表れていますが、教育支配によって為政者に都合のいい人間を作り出すことです。
ならば、維新の会が学校教育のみならず家庭教育を通しても、と考えるのは、ある意味当然の帰結です。
あまりの批判に維新の会自らが提案することはできなかった「家庭教育支援条例案」は、日本法曹団の大前治さんのブログから全文を紹介します。
またそれを受けて逐条批判されている松永英明さんのブログもあわせて紹介します。【参考資料③】
生徒・保護者による授業評価は、一見したところ、教育にその主体である生徒の意見を反映させる点で評価される方もおれらるやもしれません。
しかし、「教育は強制そのもの」と終始公言してはばからない橋下市長が生徒の意見を教育に反映させるとはとても考えられません。
生徒・保護者による授業評価の目的はこれまで見てきたように、それを盾として教員に最下位評価をつけることにあるように思われます。
その上、保護者責任を明確にすることで、今後、家庭教育に政治の介入をしやすくすることも視野に入れての制度化ではないでしょうか。
その時、市議会、府議会、あるいは国会に提案される「家庭教育支援」法は事実上の「家庭教育支配」法になっていることでしょう。
橋下市長はことごとく「政治による決定」を言います。では、維新の会主導の政治による決定の先にどんな社会が待っているか。
これまでの橋下市長の言動で明らかです。競争原理と自己責任論により、人間同士の信頼関係はことごとく失われていきます。
教育の世界で最もたっとばれるべき「信頼」」をまずは教育の場から葬り去ろうというのが橋下教育改革の本質であると思えてなりません。
授業は生徒と教員が共に創る共同の営みです。そのとき必要なことは信頼関係に基づく「対話」しかありません。
現在、試行として行われている授業アンケートは、授業を、学校を、教育を高めていくものとは、とても思えません。
今、必要なことは、生徒、保護者、教員が来年度から本格実施が言われている授業アンケートの問題について忌憚なき意見を交わすことだと思います。
【参考資料①】
2012年8月25日橋下徹ツイッター