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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」のちがい

2012-12-13 22:42:57 | 憲法

※秋原葉月さんのブログ「Afternoon Cafe」より転載させていただきました。

基本的人権の尊重は、民主主義社会において最も尊ばれる原理であるはずですが、大阪の教育では、すでに「人権尊重」軽視の流れができつつあるようです。12月11日大阪市教育委員会議では、教職員人事異動について、本人の希望尊重から校長の意向尊重へ大きく転換する方向へ議論が進んでおり、その議論のなかで、(人事異動)基本方針の2項が「豊かな心を育む、人権尊重」の2つになっている、先生方に、(方針に)学力がなくて人権が重要という誤解を生じかねない心配と言う意見が出たとのこと。今後の大阪の人権教育に影響を与えないか心配されるところです。

 

「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」のちがい

自民党の改憲案は、天皇を君主と崇めるような国民主権否定も、軍隊を持ち集団的自衛権を認める9条破壊も言語道断ですが、
 
私が最も許されないと考えているのが、天賦人権思想を否定した人権条項の改変です。

憲法の三大原理「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」はそれぞれ密接な関係にあります。
まず、憲法の根底にあるのが「個人の尊重」「個人の尊厳」です
(壊憲案が「個人として尊重される」を「人として尊重される」に改変したことを思い出して下さい)
個人の尊重、個人の尊厳に基づき、人は生まれながらにして基本的人権を持っておりそれは何ものによっても侵害されない、という基本的人権の尊重の原理が導かれます。

そして個々人の人権を守るならば国家が人間の命を奪うような真似は絶対にしてはいけない、という決意の表れが戦争放棄という平和主義の原理なのです。

また、国民の人権は封建的な君主主権によって侵害されてきた歴史を鑑み、国民一人一人の人権が守られるためには国民が名実共に主人公である国民主権の原理が必須であることが導かれます。

こうしてみると、三大原理のなかでも、最も原理的なものは「基本的人権の尊重」と言うことができると思います。

自民党はその原理中の原理である「基本的人権の尊重」を根本から覆しました。
だから私は人権思想を否定した改変をもっとも重く見ているのです。

さて、長い前振りになってしまって恐縮なのですが、ここからが本題。
わかりやすいように現行憲法13条と改正案13条を上げておきます
現第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする
 
改正第十三条
全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない

こちらで自民党が「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に変えたことがいかに暴挙であるかを書きました。
しかし今読み返してみると「公共の福祉」とはどう言ったものかの説明は、記事内で引用した自由法曹団の意見書の「権相互の矛盾・衝突を調整する原理」という一言だけでした。
なので「公共の福祉」は「公益及び公の秩序」と具体的にどう違うのかがわかりにくかったかもしれませんね。
これではさすがに不親切だったかな、と思いましたので、「公共の福祉」とはどういうものかについてのエントリ-を、予定を変更して追加することにしました。

そこで憲法の先生でもいらっしゃる徳岡弁護士の「公共の福祉」に関する論述をお持ち帰りしましょう
(なんと、長い前振りの後の本題が全部他力本願!というツッコミは無しにして下さい。汗)

◆Everyone says I love you !

総選挙の争点7 安倍自民党の改憲案なら基本的人権の保障は明治憲法に逆戻りする

(引用開始)
では、国民が自由及び権利を公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う、とはどういうことか。

 この「公共の福祉」というのは、公のために個人は我慢しろ、ということではありません。公共の福祉は人々のそれぞれの人権同士の「調整原理」と解釈されています。つまり、基本的人権というのはもともと他人の人権を侵害しない中身になっているという意味なんです。これを、憲法学では人権の「内在的制約」と言います。もともと、人権の中にある制約と言うことですね。

 当然のことながら、国の基本法である憲法は、人が社会を作って他人と共存しなければ生きていけないことを前提として規定されています。だから、どの人も他の人とともに生きているのですから、ある人の人権というものは他の人の人権と両立する内容を持って存在し、その限りで保障されていると考えているのです。

たとえば、有名な「表現の自由」は最も重要な基本的人権の一つですが、他人の名誉権やプライバシー権は侵害しないという内在的制約があるのです。そういう形を持った人権なのです。他人の人権を侵害したらそれは権利の濫用です。

 これが、現行憲法12条の言う「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」という意味です。もちろん、実際には、どういう人に対するどの程度の表現なら許されるのかは非常に難しい問題ですから、学説や判例が何十年も積み重ねられ、ある人権の行使がどういう場合に他人の人権を侵害し、「公共の福祉」に反するかどうかの基準が作られてきています。
(引用ここまで)



人々のそれぞれの人権同士の「調整原理」といっても、その人権の性質や、その人権と相対立する人権や利益の性質によって制限の基準が異なってくるのです。例えば精神的自由権と財産権では、精神的自由権の方が制限の基準がより厳しくなります。全ての人権に共通する基準はどのようなものかを簡単に一言では説明できません。
なのでその人権間の調整原理のことを指し示す一種の技術的な法律用語として「公共の福祉」という言葉が使われているのです。

公共の福祉、とだけ聞くと「公益及び公の秩序」とどう違うのかよく分からないとおもいますが、憲法で使われる「公共の福祉」というのは、このような特別な意味をもった専門的な法律用語なのです。

ということが分かりますと、現行憲法の「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」とは全然別物であり、自民の壊憲がいかに酷い暴挙かがご理解いただけるのではないかと思います。

ところで、私は、あくまで今度の選挙で主な争点になるべきは、脱原発、普天間基地問題、TPP、消費税増税、ショックドクトリンではない復興対策、などだと考えています。政権交代時に私は取りかかるべき火急の問題として雇用やセイフティネットなどの貧困対策を取り上げましたが、それも三年間ほったらかしのままですから、争点にしたいです。

国民生活に直結する問題はこのように山積みで、本当なら憲法改正など今回の選挙の争点になる余地はありません。なぜなら憲法を改正しなければならない差し迫った必要性など、どこにもないからです。
ですが、自民党が「酷い」という言葉でも言い表せないほどの酷い改憲案を次期国会提出しようと勢い込んでいるため、選挙前に憲法改正を批判せざるをえなくなりました。

そして、なんと。
改憲案を出した自民、王政復古党(維新)、みんなの党以外にも、民主党、公明党、そして東京新聞が「脱原発で国民的に結集できる真の第三極」という持ち上げ方までした日本未来の党までが、改憲に賛成、ということが分かりました。

◆赤旗

憲法「改正」に賛成
公明・87% 未来・過半数 自、維、み・ほぼ100%
「毎日」アンケート

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-12-09/2012120901_03_1.html

「毎日」8日付の衆院選候補者アンケートで、民主、自民、公明、維新、未来、みんなの各党が憲法「改正」に賛成していることが鮮明になりました。

 自民が「集団的自衛権の行使」と「国防軍創設」を政権公約に掲げて改憲をあおるなか、「9条を守れ」の願いを託せる日本共産党の議席の値打ちを浮き彫りにしています。

 アンケートでは、自民、維新、みんなは、ほぼ全候補者が改憲に賛成。公明党は「集団的自衛権行使」などに距離を置くかのような言動をしていますが、87%の候補者が改憲に賛成。民主、未来も半数を超えています。

 核武装については「検討」「保有」と答えたのが維新で77%、自民で38%にものぼっています。

 日本共産党は、明文・解釈改憲も許さず、平和的・民主的条項の全面実施こそ必要だと主張しています。

 米軍普天間基地の移設先についても、民主、自民、公明の過半数の候補者が「辺野古」と回答。維新、みんなも約8割が「辺野古」と回答しており、米軍いいなりでも共通しています。

 原発では、公明94%、自民85%、維新70%、民主67%の候補者が「新基準を満たせば再稼働すべきだ」と回答。しかし、原発に絶対安全といえる基準などなく、原発に固執する無責任な姿勢が問われます。


社民、共産以外は全部改憲賛成に回ったのです。
これがどれほど危険なことかおわかりいただけるでしょうか?

党によってどこまで変えるつもりか若干差はあるでしょうが、いずれの党の案も、最低限でも正式に自衛隊を憲法上の存在とし、集団的自衛権を認める改憲案にはなるでしょう。

繰り返しになりますが、集団的自衛権を認めることは正当防衛としての自衛を越えることになり、憲法の三大原理のひとつである「平和主義」を破壊することになります。
それは論理的にいって憲法96条が「改正」として許容している範囲を超えているのです。

憲法が許容している「改正」とは、あくまで憲法の三大原理を否定しない範囲内での変更です。
 
しかし、三大原理を否定した変更を憲法は許してはいません。
憲法が許さない改変を、社民、共産以外の政党がこぞって賛成するという状態は、はっきりいって、この国の政界は正気の沙汰ではありません。



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