立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

上海の虹口区(8)魯迅故居その4・・・JingShangの上海生活

2008年02月27日 | JingShang君からの上海レポート
 故居から入り口方向を撮ったものです。左手の建物が南向きで小さいながらも魯迅故居と同様の門を構えており、右手の建物は裏口に当たりますので、ここは勝手口が小路に面してあります。ここから覗くと台所が見えたりします。

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上海の虹口区(7)魯迅故居その3・・・JingShangの上海生活

2008年02月27日 | JingShang君からの上海レポート
 魯迅故居のブロック入り口です。この写真右手のブロックが魯迅故居の管理事務所になっており、民家ではありません。それ以外は全部普通の人が住んでいます。魯迅故居は鍵がかかっており、隣の管理事務所(隣家1軒分を事務所にしています)に声をかけると、1階に数人の係員がおり、ここで入場料8元支払うと、中年のおばさんと老年の守衛が出てきて、魯迅故居のドアを開けてくれました。客は他に誰もいなかったので私専属の案内(監視)です。

 故居は写真撮影不可でした。おばさんだけでなく、守衛までついてきたのにはびっくりしましたが、不心得者がいるのかもしれません。1階はリビング、ダイニング&キッチンです。2階がバスルームと魯迅のベッドルーム兼書斎です。机は建物の前の窓に向けてあります。3階は彼の息子の部屋でした。ここは、1951年に原状回復され、一般に開放されたとのことです。

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上海の虹口区(6)魯迅故居その2・・・JingShangの上海生活

2008年02月27日 | JingShang君からの上海レポート
 これがその門を潜った所から撮ったものです。このアパートは縦割り長屋のように、間口は狭いが1階から3階までが1軒のブロックになっています。写真突き当たりに魯迅故居の説明板が見えます。突き当たり右手から2軒目が魯迅故居です。

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上海の虹口区(5)魯迅故居その1・・・JingShangの上海生活

2008年02月27日 | JingShang君からの上海レポート
 魯迅故居は虹口の山陰路にあります。魯迅公園からすぐ近くです。上海の道路名は、戦後(共産党風に言うと解放後)、中国の他の都市の名がつくように改められました。しかし、私は、山陰路は日本の山陰から、即ち戦前の名前がそのまま残っているような気がします。確証はありませんが、解放の後の地名変更のどさくさにそのまま残ったのではないでしょうか。因みに虹口には横浜路もあります。

 魯迅は、1933年4月11日から1936年10月19日に逝去するまで、山陰路に住みました。彼がここで亡くなったことを前から知っていました。故居前を車で通りかかったことはあるのですが、入ったことは無かったので、一度見て見たかった所です。

 山陰路は南北に走る道路で、魯迅故居は山陰路の西側にあります。写真は山陰路から見た魯迅故居を含む小路の入り口です。このような3階建てのアパートの1ブロックにあります。このようなアパートは、この山陰路の、北に向かって左側(西側)は、このようなアパートが続き、「大陸新邨」と呼ばれています。魯迅故居は、その1つの小路の門を潜って、右手奥から2軒目です。魯迅故居と手前の隣のブロックが故居管理事務所になっている以外、他のブロックは現在も一般の居住者が普通に暮らしています。

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夜になって雪

2008年02月27日 | Zenblog
 昨夜、気温がかなり下がっていると思って外を見たら、雪になっていました。北陸の春は、まだ遠いなあと思いました。今朝、庭が少し白くなっていて、かなり寒いです。

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風雨強く、寒い。寒そうな山

2008年02月27日 | Zenblog
 昨日は風雨の強く、寒い一日でした。でも、立山は全貌は見えないものの、雪の下半身が寒々とした風情で見えていました。これを、立山の晩冬の風景と言うのでしょうか。

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