1月30日に浙江省三門県に行き1月31日上海に戻りました。行きは動車組に乗りました。上海→杭州→寧波までは既存の鉄道を走ります。寧波からは新線(元々既存線はない?)で、山間部をトンネル、高架で繋ぐ鉄道を最高250Kmで走ります。詳しくは後日お伝えします。
さて、今日はホ田ビ州島の紹介です。媽祖は諸説ありますが、宋代の林黙(りんもく)と言う実在の女性であるという説が中国のインターネット検索サイトの百度百科に出ています。
林黙は宋代に地方官僚の6番目の娘としてうまれ、若くして通常の人ではない才能を見いだされ、神として信仰されていたようで、特に岩礁の多い付近の海上交通や気象について信仰を集めていたとのことです。
28歳の死後も人の信仰を集め、土着信仰と相まって福建、広東、台湾に広がったようです。特に台湾の1/3は媽祖信仰をしていると言われています。
林黙は幼い頃、言葉を発しなかったので林黙と名付けられてと言われていますが、ビ州島の生まれなので、ビ州島には媽祖廟を始め媽祖に関する施設が多くあります。
写真は、ビ州島の東海岸から北の方をみたものです。写真奥に建築物が遠く見えます。
画像(または標題)をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひとにクリックを!
さて、今日はホ田ビ州島の紹介です。媽祖は諸説ありますが、宋代の林黙(りんもく)と言う実在の女性であるという説が中国のインターネット検索サイトの百度百科に出ています。
林黙は宋代に地方官僚の6番目の娘としてうまれ、若くして通常の人ではない才能を見いだされ、神として信仰されていたようで、特に岩礁の多い付近の海上交通や気象について信仰を集めていたとのことです。
28歳の死後も人の信仰を集め、土着信仰と相まって福建、広東、台湾に広がったようです。特に台湾の1/3は媽祖信仰をしていると言われています。
林黙は幼い頃、言葉を発しなかったので林黙と名付けられてと言われていますが、ビ州島の生まれなので、ビ州島には媽祖廟を始め媽祖に関する施設が多くあります。
写真は、ビ州島の東海岸から北の方をみたものです。写真奥に建築物が遠く見えます。
画像(または標題)をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひとにクリックを!