先程まで、女子パシュート決勝を見ていて、最後のどんでん返しに喫驚していますが、結果としてはよくやったと思い返しています。大したものです。
さて、武漢の話に戻ります。武漢では写真を多く撮り、パソコンに入れて保存した筈ですが、最近ハードディスクを探しても見つかりません。随分探したのですが、どうも何かの処理で消してしまったようです。
それで今回は、中国語のインターネットで採取する画像を少し集めた他は、日本語インターネットの「熱帯魚さんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/にある武漢に関する旅行記を開き、そこに添付してある写真を利用させて頂きました。写真は拝借したものですが、私も実際に見たものに限り拝借しました。これから断りの無い写真は全部この熱帯魚さんから拝借したものです。
この地図は昨日と同じく中国語インターネットで採取した地図で、武昌地区の長江大橋のたもと付近を示します。この地図に出ている武漢長江大橋のお話からします。この橋は中国で第二番目に揚子江に架けられた橋で、一階が鉄道、二階が道路の併用橋です。ソ連の技術ですが、建設途中で中ソ対立により、ソ連が引きあげ、中国が「自力更生」で作り上げたという橋です。尤も第一橋の南京大橋が既に完成していた筈で、それをモデルにすればよい筈だったと思いますが。
地図に戻って、東(右手)から鉄道と道路が同じ方向に統一して大橋に向いますが、この鉄道と道路が統一する地点を頂点にした三角形の地域があります。ここは丘になっていて、その上に黄鶴楼という建物があります。この大橋のある地点の揚子江は手前に黄鶴楼の丘陵、向こう側に晴川閣という建物がある丘陵があり、川幅が多少狭くなっていること、このような丘陵があって水面から高い位置が確保できることから橋の建設地点となったようです。
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この地図は昨日と同じく中国語インターネットで採取した地図で、武昌地区の長江大橋のたもと付近を示します。この地図に出ている武漢長江大橋のお話からします。この橋は中国で第二番目に揚子江に架けられた橋で、一階が鉄道、二階が道路の併用橋です。ソ連の技術ですが、建設途中で中ソ対立により、ソ連が引きあげ、中国が「自力更生」で作り上げたという橋です。尤も第一橋の南京大橋が既に完成していた筈で、それをモデルにすればよい筈だったと思いますが。
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