魯迅故居は虹口の山陰路にあります。魯迅公園からすぐ近くです。上海の道路名は、戦後(共産党風に言うと解放後)、中国の他の都市の名がつくように改められました。しかし、私は、山陰路は日本の山陰から、即ち戦前の名前がそのまま残っているような気がします。確証はありませんが、解放の後の地名変更のどさくさにそのまま残ったのではないでしょうか。因みに虹口には横浜路もあります。
魯迅は、1933年4月11日から1936年10月19日に逝去するまで、山陰路に住みました。彼がここで亡くなったことを前から知っていました。故居前を車で通りかかったことはあるのですが、入ったことは無かったので、一度見て見たかった所です。
山陰路は南北に走る道路で、魯迅故居は山陰路の西側にあります。写真は山陰路から見た魯迅故居を含む小路の入り口です。このような3階建てのアパートの1ブロックにあります。このようなアパートは、この山陰路の、北に向かって左側(西側)は、このようなアパートが続き、「大陸新邨」と呼ばれています。魯迅故居は、その1つの小路の門を潜って、右手奥から2軒目です。魯迅故居と手前の隣のブロックが故居管理事務所になっている以外、他のブロックは現在も一般の居住者が普通に暮らしています。
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魯迅は、1933年4月11日から1936年10月19日に逝去するまで、山陰路に住みました。彼がここで亡くなったことを前から知っていました。故居前を車で通りかかったことはあるのですが、入ったことは無かったので、一度見て見たかった所です。
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