不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

La Civilizzazione

2004-05-20 23:50:26 | 日記・エッセイ・コラム
FirenzeDoraさんのところに「覇気がない・・・?」
という記事がありました。
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文明。
人類はこの世に生を受けてから、
常に何かを開発して文明なるものを築いてきたわけです。
文明は我々の生活を豊かにし、
おそらく想像をはるかに超えるほどの利便性をもたらしたのでしょう。

しかしいつの間にかそれに縛られて、
我々自身が動物的な本能の赴くままに
生き難くなっているのも事実。
羞恥心であったり、世間体であったり
人によって欲望を妨げているものはさまざまでしょうけど。
そしてありとあらゆる障害を押しのけて
本能のままに生きようとすると、
どうしても文明で彩られた社会から外れてしまう。

比較的自由に生きることを許された私であっても
どこかでやっぱり何かに支配されていると感じることはあるし、
まるっきりそういう「タガ」が外れてしまうのも
人間としてどうよと思うこともあるわけで。
その辺りが長年培われた「常識」であったりするんでしょうけど。

文明が発達すると
これまで存在しなかった問題が俄かに表に晒されるようになります。
たとえば、
その昔、癌なんて病気は癌だなんて認識されず、
ただ不治の病ですまされていただろうし
それはエイズに関しても狂牛病に関しても同じこと。
発達した文明が一旦それを「病気」と認識してしまったがゆえに
我々はそれを恐れるようになるし、
それと「闘う」ことを余儀なくされるわけです。
もちろん人類のためになる医療技術の開発が進んでいるわけで
それを否定するわけではないけれど、
文明の裏側っていうのもあるわけですよ。

と考えてくると人間って文明が発達したせいで
弱くなった部分がないのかしらということころに行き着くわけです。
何かに守られていないとやっていけないというか。
そんな文明による無菌状態のなかにどっぷり浸かっていては
覇気もなくなろうという気もするのですよ。

だからって文明無くして今の生活は考えられないし、
私は絶対未開の地なんかで暮らせないし、
自由を謳歌しようなんていったって
野生の動物のような暮らしを望んでいるわけじゃなし。

難しいのね、人生も。