不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

La memoria dei Maestri

2004-05-28 02:46:10 | 日記・エッセイ・コラム
たまに日本の実家から電話がかかってきます。
実際は日本→イタリアよりもイタリア→日本のほうが
あの手この手で通話料が安くなるので
私のほうが定期的に電話するべきなのですが
たまに忙しさにかまけて電話をサボると向こうからかかってきます。
用があるときだけ。

今回の用件は諸々の必要事項の伝達。
そしてある人についてのお話。

うちの実家は伊豆の田舎町で
カクテルバーなどを気ままに営んでおり
そこにはいろんなお客さんが夜な夜な出没してくるわけです。

たまに私の知り合いが来たりします。
私の苗字がその辺りでは珍しいこともあって
すぐに私の実家だとばれてしまうのです。
(いや、ばれてもいいのだが)

そこで、昨日は誰が来たのか。

母「あんたさ、あんたが中学3年のときに
  一年生をうけもってた鈴木先生って知っている?」
私「いや、そんな鈴木先生って、どこにでもいそうな苗字だわね。
  しかもうちの担任でないのに、
  なぜそんなことを一般常識のように覚えていると??」
母「いや、ソフト部の顧問だったらしいよ。あんたが中学3年のとき。」
私「(しばし考えて思い出す)おおぉ、いたなぁ。
  でも私の中ではそんなに記憶残ってないよ。
  だって3年生で引退までの3ヶ月かそこら
  面倒見てもらっただけだし。
  で、何でそんなこと急に?」
母「お店に来てくれてね、入ってくるなりトイレに行って
  トイレからでてきたら、おもむろに
  オマタさんのお母様ですねって言われたのよ。
  こっちは知らない人なのに。」
私「まぁ、よくあることじゃん。
  何でかしらないけど、
  うちはその辺りで有名な一家なのだよ・・・。」
母「あぁ、まぁ。
  で、一緒に来たお客さんが常連さんだったから、
  こっそり聞いたら、
  中学のソフトボール部のときの顧問だったって。」
私「ほう。」
母「で、名前もわかったし、色々鈴木先生と話したよ。
  あんたは意地の強い子だったってさ。
  なんだかすごく印象に残っているみたいだったよ。」
私「それはそれで、私も生意気な中学生だったから
  印象に残っているのかもしれないけど、
  それにしたってどうしてママとマスターを見て
  私の両親だってわかるわけ?」
母「どこかであったのかしらねぇ?」
私「引退試合見に来たんだっけ、ママ?」
母「行ったよ。あんた肩に痛み止めの注射なんか打っても
  それでも引退試合は投げるって言うから心配で。」
私「あぁ、あれって心配で見に来てくれてたの。
  晴れ舞台だからかと思ってた。
  まぁそれはいいとして鈴木先生に会っているとしたら
  たぶんそのとき一回くらいじゃない?」
母「そうよねぇ。すごいねぇ、先生の記憶力って。」
私「ねぇ、本当に感心するよねぇ。」

というぐあい。
昔の恩師や先生たちが飲みに来ることがあるのですが、
皆さんよく色々覚えています。
教師生涯で一体何人の子供を見るのかわかりませんが、
どれくらい覚えているものなんでしょうねぇ。

私は子供の頃、
自分が大人だったら腹立たしく感じるようなくそがきでした(笑)。
生意気で偉そうな口きいて、
なんにでも反発する、手に負えないがきでしたの。
だから諸先生方は苦々しくもしくは憎憎しく思って
非常に強烈な印象で覚えてもらっているのかもしれませんが。
その父兄まで覚えていらっしゃるとは驚きです。

こういう話がこれまでもいくらでもあってびっくりしていたのですが、
これって普通のことなんでしょうか。
先生の記憶力分析してみたいです。