不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

La dificolta'

2004-05-21 14:14:42 | 日記・エッセイ・コラム
ココロに小さなしあわせを
「言葉がでない時」にトラックバックします。

海外で暮らすって考えたときに
やはりコミュニケーションツールとしての言語は必要。
でもこれが目的ではなくて、あくまで手段・ツールなわけで
あまり固執する必要はないのですが。

9年もいればさすがに日常生活やちょっとしたトラブルでは
困らないくらいのイタリア語ができるようになりますが、
来た当初は辛かった・・・。
とりわけ私は例外的にヘレンケラー状態が長かったのです。
読み書きは相当できて、相手の言っていることもわかるのに
1年半にも及ぶ長い間、自分の伝えたいことが伝えられずに
イタリア人には「こいつは自分の意見のない奴」と
冷たい目で見られたことも何度もありました。
それがある日、ぱぁっと世界が開けて、
突然喋るようになっちゃったんですけどね。
子供と同じなのかも。
溜め込んでいた単語がある日突然
堰を切ったように口をついて出るようになるみたいな・・・。

神様に触発されて
12歳の頃にイタリアに行くことを心に決めた私は
何の疑いもなくイタリア語を習得するために
若かりし頃を費やしたわけです。
イタリア語に辿り着くまでの手段として
つまり大学に入るために、英語がなくてはいけなかったので
英語も人一倍学んだはずなのに、
イタリア語を入れたとたんに脳みそから追い出されていき、
今ではとても「英語ができます」なんていえない状況に。

先日もたまたま英語で話さなくてはならない状況になったとき、
すごく単純なフレーズ、出てこない・・・。
「私はフィレンツェで駅の近くに住んでいます」たったこれだけ。
なのに・・・、
I live in Florence e vicino alla staione.
後半はみごとにイタリア語じゃないか・・・。
まぁね、だいたいにしてこういう感じです。
英語だろうとフランス語だろうと、
頑張ってフレーズを叩き込んで喋ろうと思っても
とにかく途中からイタリア語になってしまう。

不思議なことに日本語にはならないわけですよ。途中から。
却って途中から日本語にしようと思うとやたら難しい。
それは母国語と後に習得した言語との大きな差なんでしょうね。
私の脳みその中では
日本語はちゃんと一つの箱の中に納まっていて
他の情報と交じり合うことはないけれど、
外国語はどうも一つの大きな箱の中で同居していて
その中でイタリア語占める比率が高くなって
他の言語を追いやっているので、
探し出すのに時間がかかる。

そして日本とイタリアという二つの違う文化の中で
発達してきた言葉の間には深い溝もあり
単純に置き換えられない言葉やニュアンスがたくさんあるのです。
だからイタリア語で話すとき、
自分の感情を十分に表現できないって
地団駄踏んじゃう時だってあるんです。
日本語だったらこういう感じなのにぃって。
その逆も然りですが。


そして、なんでだかわからないけど、
さっきまで使っていた単語が突然思い出せなくなったりすることも。
あ、これは外国語だから云々ではなく
タダの記憶喪失、ボケの始まりかも?(笑)


La spesa

2004-05-21 00:49:29 | 日記・エッセイ・コラム
ハヤトさんの「くらぶアミーゴblog」の
「食い物の○○は○○だ」にトラックバック

かつて3人の共同生活をしていた頃、
他の二人に比べて異様に暇だった私は
3人分のお買い物して食事を作るのを生きがいとしておりました。
日本では調理人だった父に反発して(ではないけど)
偏食も手伝ってほとんど料理をしないで暮らしていたのに、
イタリアに来たとたん「食い物」に目覚めたのか
(とはいっても極度の偏食は治ったわけではない)
料理をすることが楽しくて仕方がなかった日々。

誰か(同居人)に食べてもらうという目標・目的があったから
なおさら楽しくて仕方なかったのだけど、
今思えば、肉・魚を食べない私の作るものは
野菜ばっかりの料理で
健康的ではあったかもしれないけれど、パンチもなく
同居人としてはありがた迷惑だったかもしれないのだけど・・・。
本人は非常に満足しておりました。

そして、3年ほど前からほぼ一人の暮らしが始まると
今までの「食事を作る喜び」を喪失。
自分のために作る料理が非常に物悲しいものに思えて
あまりきちんとしたものをつくらなくなって久しい。

それでもたまに「これじゃいかん」と思って
急に張り切って買い物をして料理をしたりするのです。
が、
一人分って作るの難しいのね。
だからついつい2日分や3日分出来上がってしまう。
そして、それを冷蔵庫の中に入れたまま忘れる。
どうして忘れるのかというのは本人にも謎ですが
一日のうち冷蔵庫を一回も開けないことがよくあるので、
忘れるのです・・・。

そして何かに夢中になると私はまず食べることを忘れる。
これは恐るべき習性。
昔から食べ損ねることがやたらに多いのです。
最近も相変わらずで
ブログなんかにはまっていると「食べ忘れる」頻度はかなり高い。

よって食べ忘れ続けると
いくら冷蔵庫の中とはいえ、何日も放置されて
かつては食べ物であった物体は
徐々にこの世のものではなくなっていきます。
溶けたり、悪臭を放ったり。(ひえぇ…)
で、私は潔く(食い物に執着がなさ過ぎる!)捨ててしまいます。
(「もったいないオバケ」にいつか復讐されるのです・・・。)

今も冷蔵庫の中には好物のソラマメが
なぜか2キロも!眠っています。
これはキッシュにしてやろうと
先日チーズと一緒に買い込んだもの。
さぁ、いつ本当にキッシュになるのやら・・・。