不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Lo spirito nelle parole

2004-05-26 01:28:36 | 日記・エッセイ・コラム
ハヤトさんの「くらぶアミーゴblog」の
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先日のモデナからの帰り道、
車の中での話題に「ありがとうの力」というのがありました。

ご存知の方も多いと思いますが、
まったく同じ条件のお水を用意して
それぞれ同型のボトルに入れ
片方のボトルにだけは「ありがとう」と書き込み
一定期間を経過してからそれぞれのボトルの水を比べると
格段に味の差が出るし、
もっといえば結晶の形が違っているという話。

これを他の言語における「ありがとう」という単語同士で比べてみても
日本語の「ありがとう」を書き込んだ水が
一番キレイな結晶であり、おいしいのだそうです。
ということは、世界で一番素敵な言葉なのですね。
「ありがとう」

私は「言霊」というものを信じています。
言葉のもつ力は我々が想像しているよりも
はるかに強力で計り知れないものだと思います。
そのわりには時々そういうことを忘れて、
怒り狂ったりして相手を傷つけてしまうほどの
ひどい言葉を口にしてしまうこともあります。
そんな時、そのままで放置しておくと
必ず自分の身によからぬことが降りかかるのです。
たとえ、ひどい言葉を口にしてしまっても
そのあとで、反省して「ごめんなさい」
もしくは「気づかせてくれてありがとう」という類の言葉で
フォローしてやると、
不思議といい方向に物事は進んでいくのです。

車中の話では
日本人はへりくだって自分の子供を
「できの悪い子で」とか言ったりするけれど
それは子供の成長にはマイナスでしかないという話も出ました。
たとえ本心からそう思っていなくても
言葉にしてしまった瞬間にマイナスのパワーが
子供の上に降り注がれてしまうのです。
それでは素敵な人間には育てません。
この話を聞いてから
それはワンコでもネコでも同じだなぁと思って、
ビリーとチッチーノに接するときにも
言葉には気をつけるようにしています。
ふざけて「おばかちん」とか「おでぶちん」とか
頻繁に言っていたのですが
それでは本当にそう育ってしまうではないかと、今更ながらに反省。
今は「おりこうねぇ」「賢いねぇ」攻撃を続けています(笑)。

それから
ちょっと前には友人との話のなかで
「愛着のなくなったものは失くしやすい」というテーマもありました。
そう思うと、私の手元から離れていった「モノ」たちは
やはり私の愛情が薄れたものだったのかなぁと
なんとはなく思い当たる節がありました。
言葉の通じない「モノ」であっても
自分の手元までやってきたのは、きっと何かのめぐり合わせ。
縁なんですよね。
だからこそ、言葉をかけて大事にすれば
いつまでも長持ちするし、失くすこともないはず。


こういうことを信じますか?


くらぶアミーゴblogのハヤトさんも
『そういうのにはややヒステリックに
「理論的にありえない」と叫ぶ人々がいますが、
その姿がコミカルでおかしいときがあります』とコメントしているように
確かに理論的にも科学的にも証明のできないことかもしれませんが
そういうことは確かにあると肌で感じている人は多いと思います。
それに、そういうことを信じられることで
自分がいくつも違った視点をもつことができるんですよね。
だから私はオバケも幽霊もUFOも火星人も
その他諸々否定しません。
だってそういう存在があると思ったほうが
違った世界の展開を想像できるから。


そして「ありがとう」のひとことでお水がおいしくなるのなら
早速やってみようじゃないかと思った私。
これからはお水にも「ありがとう」と話しかけちゃいますよ。