こころの染織

ひと針ひと針心を繕います。
第7章・・空色の種を探す旅・・・私とルナと一緒に空色の種を探すのどかな旅に出ませんか~♪

薬莱山麓の虹色

2017-09-28 11:43:27 | 風の通り道

アメリカン・ブルーです。



母との別れから、早いもので、もう10日が過ぎていました。
言いようのない虚脱感が抜けず・・・



前記事には、皆さまからたくさんのお悔やみと励ましのコメントを頂きました。
また、メール、ライン、電話、お手紙・・・
本当にありがとうございます。



母は、私が生きている間、私の記憶の中でずっと生き続け、
折々、私を慰めたり、立ち止まらせたり、
涙させたり、笑わせたり・・・・
きっと、そうしてそこに居るのだろうと想い始めました。









夫は、葬儀から帰った翌日・・・会社の運動会に参加して、
その次の日は、植樹祭に石巻へ。
その後も、会議や送別会等々、何処にそのエネルギーを持っているのかと思いつつ、
今日は、定期検診でいつもの病院ツアーで休みを返上しています。


生きている時間って、その使い方によって、
単色から虹色・・・そして、生み出される新色へと大胆に変わってゆくのかもしれません。









父の初七日には、東根から月山へ登りました。
天国に近い場所から、大きな声で叫んでみました。
花が好きだった母のために、
安らかな丘から、祈りを・・・・そう思い立って、
薬莱山麓のふるるの丘へ行きました。



赤いサルビアは少し見頃が過ぎておりましたが、
この素晴らしい景色に気持ちが慰められる想いでした。












夫は、木陰でこの景色をゆっくり見ているから・・・
そう言って、教会のそばの大きな木の下に腰を下ろし、
ずっと、ルナと一緒に待っていてくれました。
望遠でのぞくと、多くの人達に声をかけられて、喜んでいるルナの姿が見えました。












私は、ひとりで「ふるるの丘」を隅から隅まで回って、
5000歩以上の歩数で、久しぶりの良い運動だったようです。
その年の誕生日に超広角レンズを買ってもらって、
北海道・美瑛の「四季彩の丘」を訪ねた日を思い出します。
とても比べ物にはならないスケールではありますが、
ここも十二分に描くものは一緒で、
受け取る空気や色の美しさは何度訪れても飽きることはありません。









キバナコスモスが秋色を強くして、
元気になって!!
そうおしゃべりな黄色が大勢で語りかけます。


昨日から、ずっと休んでいた「ラジオ体操」もようやく始めました。
今日は、本降りの雨で出来そうにありませんが、
明日からは、息子とともちゃんが、
「短い時間だけれど手伝えることがあれば・・・」
そう言って、玄関前の草取りをしていってくれました。
そのせっかく綺麗にしてくれた続きをしたいなぁ~と思っています。


虹色のひとつひとつは、
家族だったり友人だったり、
お世話になっている多くの人達から受け取った「光」なのだろうと思う今日です。



      




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母を偲ぶ秋色

2017-09-22 21:16:48 | あかりの灯る空色の家

アメリカン・ブルーです。 




母は、ここが山といわれた日から、
山を越え、次の山も越え、その先の山も越えて、
ここの景色が良いかな・・・

そこに流れる安らかな川を、向うへ渡って行ったかのように想います。


ご報告が大変遅れましたが、
去る9月18日、その生涯を終えました。
享年88歳でした。
皆さまには折々ご心配を頂きまして、ありがとうございました。







盛岡はいまナナカマドの赤い実が青い空に映えておりました。
「ナナカマド」と言えば、
三浦綾子の小説には欠かせない北国に生息する木ですが、
母からもよくその名前を聞いたものです。
樺太の壮絶な冬景色の中にも、その木は負けることなくあったのでしょうか・・・



母は、昭和5年に「樺太」・・・
今でいうところのサハリンで生まれました。
家は、材木や毛皮を扱う仕事で、裕福な暮らしだったようで、
ひとりひとりに「ねえや」と呼ばれる、お手伝いさんが付いていたそうです。
6人兄妹の下から2番目・・・
一番長生きしたのが母でした。



戦争がそんな母の生活を一変させて、
15歳で樺太から引揚船に乗って、北海道の留萌へ辿り着いた時には、
3艘だった船の前も後ろも爆撃され、自分が乗った船だけになっていたと・・・
しけで揺れる船の真っ暗な船底の想いは、長く母を苦しめたようでした。


ある日、私が母に、
「人生、戻れるなら何歳まで戻りたい?」
そう尋ねると、母は「40歳くらいかな~」そう答えました。
当時、私は14歳まで戻りたいと思っていたので、
その答えは理解しがたかったのですが、
近年、私ももしかしたら、同じように答えるような気がします。


私は大学へ入った年(母・44歳)から家を離れましたので、
母にも小さな自由が生まれ、
その頃から始めた煎茶道に邁進して、
苦しかった前半の人生を新しい色に染め替えていたのでしょう。
茶道協会から「荷葉」と言う名前を頂いておりました。
「荷」と言う漢字は、ハスのことで、蓮の葉と同じ意味になるそうです。
その二文字が入った戒名にも、母の半生が映されていると思いました。


父を見送って4年・・・
期せずして二人は同じ歳で旅立ちました。
姉は、母がたくさんの山を越えている間、ずっと、
懐かしい顔の故人たちが毎晩夢に総出演だったと話します。
私は、どういう訳か、そういう夢をほとんど見ない人で、
その代わりに、父も母も亡くなる前日にやって来て、
父は私がパソコンに向かっていたテーブルの向う側に座り、
もともと無口な人だったのでただしばらく佇んで、
母は、「ルナが傍に来た?」と思ったほど温かく私の身体に寄り添いました。


遠く離れた娘に、会いに来た両親でした。
別れは辛いものですね。
また、母親との別れは・・・・想像を超えて重いものでした。
何かの折に、母の思い出話を書かせていただきながら、
それを供養にしつつ、過ごしてゆきたいと思います。







季節は彼岸花の頃・・・
その秋色に母を偲ぶ年月になりそうです。




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コスモスと穏やかな時

2017-09-14 21:29:59 | 風の通り道

アメリカン・ブルーです。


夏らしさがの記憶が少なかった今年ですが、
このところの暑さはやはり「残暑」と言うのでしょうか・・・
仕舞いかけた半袖も中途半端にまた出番が増えて、
それでも、風にそよぐコスモスは季節を詩っているようです。

ご心配をおかけしている私の母のことですが、
実は、8月末には2~3日が山と言われて危篤状況だったのですが、
息子達と盛岡へ行った頃から、とても落ち着いた状態になって、
姉から、
「連日穏やかに過ごしているので、
あなたも普段通り自分の生活を送って良いから・・・」
そう言われておりました。









昨日は、夫が休みだったので、
「盛岡へ行こうか?」
そう言ってくれましたが、せっかく免許が復活したのだし、
夫にも休みの日らしい時間を戻してやらないと身体には良くない・・・と思い、
久しぶりにルナを連れてゆったりとした時間を探しに出かけました。













河川沿いに咲くコスモスがとても自然で癒されました。

その中に入って行こうとする私の周りには、
良く解釈すれば、大歓迎のトンボやバッタが飛び交って、
こっちも綺麗よ!と道案内されるような気持ちでした。









コスモスに誘われて、何かを忘れるような・・・


しばし、夢中になって、草むらを歩き回っていると、
いつしかルナがこっちも楽しいよ!!って、迎えに来ていました。









よく見ると、何やら身体が湿っているような・・・・


もしや??








この夏、一度も泳がせてやらなかったことが、
夫にとっては「ルナの楽しみを果たせなかった」心残りで、
出来ればこの暑かった日に水辺を探していたのかもしれません。

ルナも相変わらず水を見たら制御不能に陥って、
何のためらいもなく、まっしぐらにそこへと進んで行く始末(笑)



























アタシ ダイマンゾクデス  


ルナの顔がそう言っているように見えませんか?








ここはまさに風の通り道・・・

最近思うことは、
「現状維持」であればそれがベスト・・・


小さな秋が深まってゆくような年代になってきました。
だからこそ、コスモスはより繊細で心もとない魅力を感じるし、
ルナのびしょぬれの水遊び姿が愛おしく思え、
この穏やかな時間がゆっくりと続きますようにと願わずにはいられません。






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「11日」

2017-09-11 23:55:28 | あかりの灯る空色の家

アメリカン・ブルーです。


今日は、「11日」で、震災から6年半・・・
県内では、月命日に今でも行方不明者の捜索活動が行われています。
そんなニュースを聞きながら、
9月の中旬を迎えつつあることを改めて認識していました。


9月と言えば、夫の会社も秋の異動シーズンで、
私達も東根や秋田への転勤はどちらも9月でしたね。
春の転勤は明るいものですが、北へ向かう秋の転勤は心の準備が必要です(笑)


今回、夫の周辺でも人事異動があって、
直属上司が変わり、本日「11日」付で新しい方が着任されました。
身体の都合による転勤困難で仙台に戻って1年半・・・・
夫の事情をとても良く理解してくださった前上司だったので、とても感謝しております。
本日新しく着任された方とも、ステップ1からの日々になると思いますが、
様々なことでご理解を頂ければ・・・と願っています。


そんな中、一番心配をしていたのが、
今度の上司は車の運転をされない方だという情報で・・・
近隣出張や巡回に本来なら夫が運転してゆくのが職務のひとつでもあるのですが、
なにぶん「運転免許停止中」・・・いかがなものか?
そんな心配をしつつ、迎えた「11日」でした。





心配は、色々あれど・・・
世の中には何か「守られている!!」
そう感じる瞬間があるものです。


お隣のティディ君が夕方の散歩の帰りに庭に寄ってくれました。
庭で2匹が「11日」のワンワンデー(笑)
ルナとの時間と、母の心配をしてくれて、
1時間ほど一緒に過ごしてもらいました。
家の中へ戻ると、
夫から、電話の着信やラインがあったようで・・・あれれ?

「今、運転免許センターから運転許可の電話がありました。」

えっ??  







8月に新たな診断書を出すように免許課から電話が来たので、
大学病院へ申請・提出して、2週間ほどが経ったでしょうか・・・
このまま、12月末までと思っていたのですが、
診断書に書かれていた経過・現状が良好と判断されたのでしょうか?
夫のバス通勤が本日で終了になったようです。
明日から、また、車の通勤も可能になり、
ドライブ好きな夫の生活の質の改善にも繋がりそうです。
「11日」の連絡はあまりにもタイムリーで、
病気が治ったような気持ちにすらなりました。
ICD植え込みの患者にとっても、
生活のクオリティを下げずに、
現状を生かした日々へ戻れる配慮に嬉しさが溢れました。





ルナのこの場所での朝の見送りも終了のようです。

ご心配いただいていましたが、
無理をし過ぎないように気を付けながら、
早めに返して貰った免許証、大事にしたいと思います。


たぶん、夫よりも私の方が喜んでいるような気がしますけれど・・・(笑)



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願い

2017-09-09 18:16:35 | あかりの灯る空色の家

アメリカン・ブルーです。


夏の長雨のせい?で、
庭の芝生がすっかり伸びたままになっていました。
気になっていいたものの、手着かずでしたが、
今日、ホームセンターへ行って、芝用の手軽な刈込ばさみを買ってきました。
思い立った時にやった方が良いかと、
すぐに庭へ出て、慣れない手つきながら十分すっきりすることができ、
いざ動き始めると些細なことだったかと思うわけです。


芝刈りと言っても、範囲は狭いのですが、
意外に重労働だと思いました。
30分もすると腰が限界で、「本日これまで!」


その間に、隣の中学校は、文化祭でもやっていたのか・・・
合唱曲が流れたり、ブラスバンドの演奏も聞こえて、
ちょうど良い心のリフレッシュにもなったような気がします。






そんな庭に、ミニバラが咲きだしました。
秋の方が、少し淡いながらもピンクが強いような気がします。


木曜日も盛岡へ行って来ました。
夫とルナも一緒でした。
5時間ほど母の傍らで過ごしました。
その場所から立ち上がるタイミングが計れなく・・・


帰りは夜になって、どしゃ降りの中の帰宅になりました。








8月22日に姉から母の容体が思わしくないとの連絡を受けて、
様子を見守りながらも3度目の盛岡行きとなりました。

その間に、いろいろ想うところ、今まで考えが及ばなかったことなど、
人間の尊厳と言うか・・・
答えが出せない部分にもぶつかりました。

息子夫婦を呼び寄せるか、
ずっと悩んでいましたが、先ほど電話をしました。
今夜、仙台まで来て、明日、盛岡へ一緒に行こうと思っています。
あまりにも小さくなってしまった母ですが、
一番可愛がっていた孫に会わせてやりたいと思います。







母の顔が、この花のように、
優しくふんわりとしてくれれば・・・・

それだけを願いつつ。。。

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