時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

家庭用ゲーム機がなかった時代

2023年04月29日 | 懐かしい系、あれこれ

 

 

家庭用ゲーム機の元祖といえば、やはり任天堂のファミリーコンピューターであろう。

少なくても、このファミコンが全世代に家庭用据え置き型ゲーム機を普及させた立役者であることは間違いないと思う。

 

ファミコンが発売されたのは1983年だったらしい。

任天堂では、ファミコンの前にゲーム&ウォッチという携帯ゲーム機で人気を博しており、それであげた収益でファミコンの開発に踏み切ったらしい。

そうしたら、あれよあれよの大ブレイク。

人気ソフトが次々にでたのも大きかっただろう。

 

私がファミコンを入手したのはいつごろだっただろう。少なくても発売されてすぐではなかった。

幼い子供が遊ぶもの・・・・そんなイメージもあったような気がする。

 

ただ、スーパーマリオやドラゴンクエストというゲームが大人気を博しているということだけは知識としては知っていた。内容のほうはよく知らないまま。

 

私は元々ゲームセンターにはあまり行かないほうだった。

当時の音楽系の知り合いたちの何人かはゲームセンターにはよく行ってたし、中にはゲーセンでバイトしてる奴もいたぐらいだ。

 

そんな私がファミコンを入手したのには、大きなきっかけがあった。

当時の音楽仲間と、箱根に住む友人O君の家に遊びにいき、そのまま泊ることになった。

前日は多分酒でも飲んでいたのだと思うが、翌日起きてO君の家でウダウダしてたら、O君はファミコンを取り出して私たちに勧めた。

「面白いからやってみ」と言って。

 

O君の家にあったソフトで私らが遊んだのは「ファミリースタジアム」という野球ゲームと、スーパースターフォースというシューティングゲーム。

やってみたら、泥のようにハマってしまった。

もう面白くて。

ゲーセンと違い、ゲームオーバーになって再戦してもお金がかからない。

この時私は思った。私がゲーセンにあまりハマらなかったのは、再プレイごとにお金がかかるからだった・・・と。それに気付いた。

 

このファミコンなら、課金の心配はない。

何度でも遊べる。

何度でもやり直せる。

 

すっかりハマってしまった。

O君の家には、私を含めて計3人で遊びに行ったのだが、私以外の他の2人もハマってしまっていた。

 

結局、O君の家から帰る途中、私は新宿の家電店に立ち寄り、その場でファミコン本体とソフト2本を買いこんで帰宅してしまった。

 

子供の玩具みたいに思っていたのに、一度遊んでみたらこのザマ(笑)。

それ以来、家では常に何かのゲームソフトを遊んでる生活になってしまった。

時には、面白くてやめられなくて、翌日の仕事が辛いのを覚悟しながら、明け方まで遊んでしまったりもしたし、なにより仕事から帰宅するとすぐにファミコンをたちあげる習慣がついてしまった。

 

その後、世の中はますますファミコン人気が過熱し、やがては新しいハードも出てきて、すっかりビデオゲームは日本人の生活の中に定着した。

 

大人でもハマったのだから、子供の間でも人気爆発。

子供同士が遊ぶ場合の、かっこうの遊具にもなった。

 

 

ファミコンが切り開いたビデオゲーム時代。

だが、世の中には、ファミコンが登場する前の時代というものも当然のことながらあった。

 

まだ家庭用ゲーム機がなかった時代、子供たちはどうしていたのだろう。

なにをして遊んでいたのだろう。

例えば私はどうだったろう。

そのへん、ちょっと考えてみた。

 

まず、ゲームというものは元々あった。だが、ファミコン以前の家庭用ゲームといえば、ボードゲームが主流だった。

バンカース、モノポリー、人生ゲームなどなど。

だがボードゲームというのはひとりでは遊べない。まあ、遊ぼうと思えば遊べるのだが、ひとりでやっても面白くない。

やはりボードゲームというのは対戦相手がいないと。

そのためには友人を家に呼んだり、友人の家に遊びに行かないといけない。

 

だが、友人にだって都合はあるし、つきあえないことだってあるだろう。また、雨でも降っていたら家から出たくない。

そんな時は家で1人遊びするしかなくなる。

まあ、兄弟でもいれば一緒に遊ぶことができるかもしれないが、中には一人っ子だっているわけだし。

1人遊びにはボードゲームは向かない。

 

なので、当時もしファミコンというものがあったなら、当時の子供たちの遊び方はかわっていたかもしれない。

当時の子供たちは、誰かの家でボードゲームを遊ぶこともあれば、外で遊ぶことも多かった。缶けり、探検ごっこ、ローラースケート、その他。

外で遊ぶことが占める割合は大きかったと思う。

だがファミコンがあったら、当時の子供たちだって、インドアで遊ぶことがもっと多くなったかもしれない。

もっとも私の場合は、当時はマンガ家志望だったので、家でひたすらオリジナル漫画を描いていたりしたのだが。それも私にとっては十分に「遊び」だった。

 

なんにせよ、ファミコンは子供たちの遊び場を外から屋内をメインに変えてしまったといえる。

そんな気はする。

 

その一方で、家庭用ゲーム機がある今の子供たちには、もっと外で遊ぶ楽しさも味わってもらいたい気はする。

 

もっとも・・・都心で暮らす子供たちとしては、外で遊べるような場所が昔ほどはなかったりするしなあ。

そのへんの、環境変化も大きいのだろう。

外で遊ぶことを奨励し、外で怪我したりしたら、それはそれで昔よりも大ごと扱いされるように思うし。

何かの事件に巻き込まれることを危惧する親もいるだろうし、他人に迷惑でもかけたらそれはそれで昔よりも大ごとになるかもしれない。例えば誰かの敷地内に忍び込んだり。

まあ、それは昔もあったのだが、昔はそのへんは子供に対してはもっとおおらかだったように思う。

でも今は・・・??

 

価値観や、人々の気質も変わっているしね。

 

 

とりあえず、子供のメイン遊び場を外から室内に変えたのは家庭用ゲーム機だった。

 

家庭用ゲーム機の登場は、子供の遊び場というものに革命を起こしたと思う。

それだけは確かだろう。

 

 

 

 

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 立ち位置はどちら側? | トップ | 変わりゆく時代の中で  by ... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (キャプテンゼロ)
2023-04-29 21:32:28
家庭用ゲーム機が、なかった時代の子供の遊びというと
ボードゲームの人生ゲーム、ダイヤモンドゲーム、野球盤などで
友人たちと遊んだものです。
あと、挟み将棋や五目並べなんかもやったね。
小学校3年のころ、自転車を買ってもらったので
隣の町まで、遠乗りして遊んだものです
電車やバスを使わず、自分の脚力だけで他の町へ
行けた達成感が、大きかったです。

確かに家庭用ゲーム機の登場は、子供や大人の遊びにおいて
革命的な出来事でした。
幸か不幸かボクは家庭用ゲーム機に、どハマりすることは、
なかったけど、ゲーム内の仮想現実世界でのミッションを、
攻略することで得られる大いなる達成感が、魅力なのでしょう。
将来は、Chat GPTのような高度なAIを内蔵した
ゲーム機の登場が、楽しみです。
Unknown (だんぞう)
2023-04-30 15:05:51
そうでした、そうでした!
野球盤もありましたよね。大好きでした。
よく遊んでました。

人生ゲームなんて、自分でも作ってみたいとおもいました。
ルーレットでプレイヤーが停まるマスに、自分ならこんな内容を入れたい‥みたいな。

例えば、「女の子にふられたのでショックでルーレット回しを2回休み」‥みたいな。

将棋では、軍人将棋なるものもあったような気がします。

自転車での、そこそこの遠出もありました。
あれは冒険心をくすぐられたものです。

家庭用ゲーム機の成功が、今日の携帯アプリや通信ゲームの礎になってる気はします。
その意味では、家庭用ゲーム機が、その後の未来に果たした影響は、半端なく大きいと思えます。

AIが今後どれくらい賢くなっていくのかには、興味や期待もありますが、怖さも感じています。
AIには、よくも悪くも感情はないですから、なおさら。

コメントを投稿

懐かしい系、あれこれ」カテゴリの最新記事