時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

風魔一族の謎 (風魔の忍者とは?)

2024年05月17日 | 漫画・アニメ、そして特撮

忍者といえば、伊賀忍者と甲賀忍者が有名で、忍者の里としては伊賀と甲賀は代名詞的存在であろう。

試しに、貴方が、「忍者の里はどこ?」と聞かれたら、まずは伊賀と甲賀が出てくるのではないだろうか。

確かに伊賀と甲賀は忍者の里としてあまりに有名。

だが、戦国時代、忍者がいたのは伊賀と甲賀だけではない。

武田信玄の配下にもいたし、上杉謙信の配下にもいた。毛利元就や伊達政宗や真田昌幸の配下にもいたし、ある意味全国各地にそういう役割の存在はいたのだろう。

その呼ばれ方も様々で、「軒猿」「乱破」「透破」「しのび」「間者」その他多数。地域によって呼ばれ方も様々だったようだ。「忍者」と言う呼ばれ方をするようになったのは、意外にも大正時代以後らしい。

大正時代に発行されて人気を博してた立川文庫で「忍者」という名称が使われて一般化するようになったらしい。

立川文庫のラインナップの中で最も人気があったのは猿飛佐助や霧隠才蔵の物語だったので、その影響もあったのだろう。猿飛も霧隠も忍者だったからね。

忍者が活躍していた実際の戦国時代には、「忍者」という呼ばれ方はなかったそうな。

 

ともあれ、戦国時代には各大名が情報収集のために、後の世に忍者と呼ばれるようになる間者を使っていたということは確か。

だが伊賀忍者と甲賀忍者に比べたら、他の忍者の里は知名度は落ちるかもしれない。

でも、あえて伊賀と甲賀に次ぐ知名度の忍者といえば、どこの忍者だろう?

 

私は、伊賀衆と甲賀衆の次に知名度があるのは、風魔の忍者ではないかと思っている。

あくまでも私にとっては・・である。

風魔忍者は、小田原の北条家に仕えていた忍者で、風魔小太郎が頭領の忍び集団である。

伊賀や甲賀の忍者は、各地に散り、各地の大名に雇われた。

だが風魔は、北条家という決まった主に仕えていた。そのへんは、風魔が伊賀・甲賀の忍者とは違っていた点であろう。伊賀や甲賀の忍者は、各地に散って、その能力により各地の大名に雇われていたのだ。

風魔一族の頭領・風魔小太郎は、近年ではかなり知名度が上がってきている。それはゲームなどの影響もあるかもしれない。

例えば「信長の野望」」「ファイナルファンタジー」。

「信長の野望」では風魔小太郎が出てきた。

ファイナルファンタジーで出てきたのは「ふうましゅりけん」で、相当強力な武器だった。

近年のアニメ「NARUTO」にも風魔の概念は出てきているようだし。

こう考えると、風魔はけっこう浸透してきていると思える。

 

ちなみに資料や文献によると、風魔小太郎は「身長七尺ニ寸(約二・二メートル)の大男で、筋骨隆々、眼はさかさまに裂け、口も両方に大きく裂けて四つの牙が出ていた。 頭は福禄寿のように高く、鼻も高く、声を出せば五〇町(約五・五キロ)先まで聞こえ、低く乾いた幽かな声も出した。」とのこと、

これかホントなら、ほとんど化け物のような人物ではないか。まあ、記述には誇張もあっただろう。

だが、常人ではない、異相の人物ではあったのだろう。華奢なヤサ男だったら、私としては拍子抜けしてしまうかもしれない(笑)。

 

 

ちなみに、北条家はやがて秀吉によって滅ぼされてしまうのだが、北条家滅亡後は主を失った風魔一族は、その後関東に散って盗賊と化し、幕府によって捕獲され、滅ぼされてしまったというのが通説だ。

とはいえ、風魔には小田原の他に茨城県坂東市に実はもうひとつの拠点があり、そこの逆井城に風魔小太郎の子である風魔孫右衛門を頭領とする風魔集団300人が詰めていたらしい。また、一族は柏市逆井(さかさい)の集落で暮らしていたという話もある。

つまり、風魔一族は風魔小太郎率いる小田原を拠点とする忍びたちと、小太郎の息子である風魔孫右衛門が率いる坂東市逆井を拠点とした忍びたちの2派あったという話。

だが、風魔孫右衛門が率いた逆井の風魔一族はほとんど世間では今では知られてないだろう。

やはり風魔一族というと、世間的には風魔小太郎が率いた小田原の風魔一族のイメージが強い。

 

風魔忍者は残されている文献があまりに少なくて、それゆえ謎の集団になっているのだが、風魔忍者の中で名前が残っているのは、小田原風魔の頭領である風魔小太郎、茨城の逆井の頭領だった風魔孫右衛門、そして小太郎の指南を受けた二曲輪 猪助(「にぐるわいすけ」、もしくは「ふたくるわいすけ」)くらいしか私は知らない。

ちなみに二曲輪 猪助は韋駄天ともいうべき俊足の持ち主で、どんな俊足の敵に追いかけられても捕まらず、無事に帰還していたという逸話が残っている、伝説の忍者。まあ、名前が残ってるくらいだから、相当な実力者だったのだろう。

元々、忍者というのは、その職務上秘密であることが求められていた。だから実在した忍者たちに関しての詳しい情報は驚くほど少ない。そんな中にあっても、名前や逸話たけでも残っている忍者は、余程その忍者が能力も特技も並外れていたのだろう。

 

 

私が風魔忍者に魅力を感じるのは、風魔という名前のせいはある。

だって・・風魔。風の魔。魔の風。いかにもミステリアスで魅力的ではないだろうか。響きも良いし、なにやらカッコイイ。

風魔に魅力を感じる人は、同じような思いを持つ人は多いのではないか。

 

 

ちなみに私が風魔忍者の存在を知ったのは、幼年時代に見たアニメであった。

当時、放送されていた忍者アニメ「風のフジ丸」が、そうである。

 

 

主人公のフジ丸は、風魔の忍者であった。その作品で初めて私は風魔忍者の存在を知った。

あ、ちなみに風魔の忍者は、戦国時代には正確には忍者とは呼ばれず「乱破」と呼ばれていたのだが、まあここでは置いておいて。

風魔は響きがカッコよすぎなのて、当初は架空の流派だと思ってたが、後になって調べてみたら、実在の流派であることがわかり、更に興味を持った。

しかも北条といえば神奈川を中心に一時は関東広域に勢力をのばしていた(だからこそ、坂東市にも風魔の一族がいいたのだろう)。伊賀や甲賀と違って、東京にとっては身近。

そんなこともあって、東京在住の私としては親近感を持った。

なんだ。東京の近くにも有名な忍者の里があるじゃないかと思って。

ということは、風魔が仕えた北条の城があった小田原にも、伊賀や甲賀のような忍者屋敷や忍者博物館みたいなものがあるのでは?と思った。

だが、当時調べてみた時は、小田原近辺には忍者博物館や忍者屋敷みたいなものは見当たらなかった。

風魔忍者に関する資料や文献や史跡があまりに無さすぎたからだろう。

まさに謎の一族として、ピンポイントなものが残されてなかったのだろう。

何だ、もったいない・・などと思ったものだった。

だが、近年の風魔忍者の知名度アップにより、小田原には「NINJA舘」なる施設が2019年にできたらしい。

せっかく風魔忍者の知名度が上がってきてるのだから、小田原としては観光に使わない手はない。

実際の風魔忍者が使っていたものが展示されてるわけではないのだろうが(だいいち、そういうものが残されていたら、とっくに資料館などに展示されてると思うし).、とりあえず風魔忍者目当てで小田原に来た人には楽しめる施設になってるのかもしれない。

 

古い忍者漫画では、風魔は伊賀・甲賀に継ぐ第3の忍者として扱われていたこともあった。

今後の風魔一族は、世間一般的に伊賀・甲賀・風魔として伊賀や甲賀と並び称される存在として定着していくのだろうか。

個人的には、そうであってくれると嬉しいし楽しいのだが。

やはり、風魔という名称の響きはミステリアスで魅力あるもの。

もっとも、詳しいことはわかっていない「謎の一族」として伝えられていくのも、それはそれで後世の人の想像力を刺激してくれるし、魅力あるのだが。

謎の一族というイメージも、それはそれで悪くないしね。

 

とりあえず、風魔一族が本拠地としていた場所が特定され、なおかつ風魔一族か使っていた忍具や術などが見つかって資料館などに展示されてほしいものだが、あまりにも情報がなさすぎて、難しいのかなあ。

ちなみに風魔小太郎は風間小太郎(かざまこたろう)と表記されることもあったようだ。

風間は「かざま」とも呼べるが「ふうま」とも読めるしね。

 

資料では以下のような記述もある。↓

「小田原の西方、箱根道を扼(ヤク)す、神奈川県足柄郡下郡風祭に近い、風間(カザマ)谷(風間(カサマ)村)に住みつき、地名をそのまま、風間一族とよばれた。」

「一党は相模(神奈川県)足柄下郡風祭(小田原市)に近いところに「風間(カザマ)」という山間の村があり、その谷に住んでいた。歴代の頭目は“小太郎”を称し、鬼のような残虐さから、通称を風魔小太郎といった。出自は不明だが、一説には大陸から移住してきた騎馬集団ともいう。」

「相模国足柄下郡風祭(カザマツリ)に近い風間谷(カザマダニ)に居住したため、風魔(フウマ)忍者ともいわれる。」

 

 

そういえば、箱根湯本駅の近くに「風祭」という駅は今もあるよね。

その駅の近くに風魔一族の居住地はあったのかもしれない。

まあ、そう考えると歴史ロマンは、ある。

風魔忍者資料館を設置するなら、そのへんに設置すると「それっぽい」かも。

 

ただ、私は小田原駅や箱根湯本駅には行って降りたことはあるが、今のところ風祭駅で降りたことは・・ない。

 

とりあえず、風魔には伊賀・甲賀に並ぶ第3の忍者集団の代名詞になっていってほしいと私は思っている。

伊賀、甲賀、そして風魔として。

 

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 家電の寿命 | トップ | 気らくなものさ  bY かま... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (捨丸)
2024-05-17 22:58:08
風魔一族で思い出すのは、隠密剣士の敵役でしょうかね。
あ、それとみんな大好き!「花の慶次(一夢庵風流記)」でおなじみの隆慶一郎先生の「吉原御免状」に登場する庄司甚内。
確か江戸の遊廓吉原を創った実在の人物だそうですが、謎の多い人で、まだ家康存命の頃に江戸を騒がせた大盗賊団の首領だったとか、風磨小太郎の腹心の配下だったとか・・・。

宮本武蔵に育てられた主人公がひょんな事から吉原の遊郭の居候となり、家康が陣内に与えたという「御免状」を巡って裏柳生などと繰り広げる壮絶な争奪戦が描かれた剣豪小説です。お勧めです、ぜひご一読を!
Unknown (だんぞう)
2024-05-18 08:36:39
隠密剣士は、昔復刻ビデオテープを買った覚えがあります。
中古でかなり安く売られてたので、衝動買い。
内容はもう忘れてますが、そうですか風魔が出てたんですね。

吉原御免状は読んだことありません。
庄司甚内の名前はどこかで耳にした気もしますが、よく覚えてません。
風魔は北条家滅亡後に盗賊となって江戸を騒がせた人もいましたから、小太郎の配下だったのかもしれませんね。

機会があれば読んでみたいてす。
武蔵に育てられたというと、武蔵の養子の宮本伊織のことかと思いましたたが、伊織とは別の人物なのですね。

コメントを投稿

漫画・アニメ、そして特撮」カテゴリの最新記事