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この冬最高の冷え込みでしたね

2011年01月31日 | 田舎生活の衣食住
 今朝は寒かったですね。なにせ、一部の水道管が凍って、昼過ぎまで水が出ませんでした。よって洗濯も昼過ぎ。どうやら家の北側を通っている水道管が凍り付いたようで、台所やトイレの水洗は無事だったのが幸い。こんなことはここ数年間で初めてで、という事は、ここ数年で一番寒かった。ってこと。
 靴下を履いた指先も痛いくらい冷たかった。それでも6時前には起きてしまい、炬燵で暖を取って過ごしました。
 
 さて、わたくし、新年早々風邪を引き、これが近年まれに見るすさまじさで、鼻のかみすぎで、こめかみから、歯茎まで痛いわ、鼻水は止まらないばかりか、鼻血まで出る始末。
 引き始めは、呼吸も苦しく笑おうものなら、息が詰まる状態でした。これは、気管支炎だったかも知れません。嫌な寝汗かいたりともう最悪の体調で、予定丸つぶれ。3週間経ってようやく治りかけています。
 もうねー、苦しくて、涙がこぼれたくらい(笑)。なにせ風邪を引くってこと事態が4年振りくらいなので、苦しさに慣れていないってこともありましたが…。いやー、健康のありがたさを改めて実感しました。

 台所に立つのも辛いくらいで、ビタミンC入りのソフトドリンクをガバガバ飲んでました。病気をして食欲が無くなるのも初めてだったのですが、不思議な事に、どうにもトーストが食べたくてたまらなくなり、バターとリンゴジャムをこってり塗ってかじってました。それと、年間2個くらいしか食べない柑橘類を無性に食べたくなったには、体が欲していたのでしょう。

 少し回復してからは納豆と煮魚が食べたくなり、どっぷり田舎のお惣菜の毎日です。でも、それが体に一番いいのかも知れないですね。

 ほとんど、毎日何もできなかったので家の中での雑務がたっぷりありますが、こう寒いとついつい、なまくらを決め込んでいます。
 

日用雑貨

2011年01月27日 | 今時の上海2010
 ここ数年で大分値上がりした日用品。トイレットペーパーなんか、日本の方が安いくらいで、3年前のほぼ2倍の値段。化粧品は元々高かったが、スキンケア(化粧水)なども値上がりし、「Mもときよし」の方が断然お得。
 しかし、愛煙家には何とも羨ましいのが煙草。こちらに「中南海」は「マイルドセブン」に似ているとかで日本人に人気を博している。だがその人気を気に入らないのが上海。どうもこちらは北京の煙草だとかで、「上海の煙草を買え」とコンビニなどでは品切れ。煙草専門店でも品切れ店続出で、手に入り難くなっている。
 そんなら、上海の煙草は? と言えば、中国ブランドはどれもキツくて、一度で喉を痛めそうなものばかりなのだ。
 だけど、1箱60円前後ってのは嬉しいね。もっと高価な物でも140円くらい。煙草なんてそんなものなんだよ。だからほとんど税金さ。
 禁煙の人よりどれだけ多く税金払っていると思ってるんだ。それなのに、「あそこですうな」、「ここですうな」って、肩身狭い思いさせられてさ。
 分煙は賛成。こっちも気を使うからね。だが、単に「すうな」じゃなくて、すえる場所を設けろよって話さね。そのくらい軽いでしょ、毎日の愛煙家の煙草税を用いれば。東京ドームくらいすぐなんじゃないの?
 で、ふと思ったけど、この税金って何に使われてるだろう? 

薬ガイド

2011年01月25日 | 今時の上海2010
 よく使用した薬一覧。
 一押しはニキビの塗り薬。これ1個で1.5元と格安に関わらず、効き目は絶大。
 そして、近代化される上海で、思いもかけずに鼻炎勃発。何種類か試して、効いたのがこちら。風邪薬は日本製と比べると効き目は弱い。が、薬局でまず勧められるのは、漢方。それを押しのけて買う理由は、「安いから」。
 しかし、用途に合わせて各種あるので、心配は無用です。
 ただ、ほとんどの薬局で、すぐに店員がやってくるので、自由に選ぶ事は不可能。「見せて」と告げて店員を阻止しよう。なにせ、「なんでこの規模にこれだけ多くの人が必要か」ってなくらいに店員が居るのが通常。皆さん、暇を持て余しているのです。

C級グルメ2

2011年01月25日 | 今時の上海2010
 今回は飲み物。日本と比べたらとにかく安い。ペットボトル入り200ccコーラが5元。ヨーグルトは、日本にもあるサラサラのドリンクタイプ。濃厚ドロドロのドリンクタイプ。カップ入りの食べるタイプ。ヤクルトタイプと種類も豊富。因に200cc入りのドロドロ飲むタイプ10元前後が大のお気に入りで、朝食代わりにこれ1本。お腹も膨れ、便秘知らずです。
 アロエ入り、イチゴ入りなどから麦芽などなど、味も選べますが、悲しいかな甘くない物はありません。
 そして生活必需品の水。たいていの家は大容量で配達してもらっているが、自分は4ℓを購入。毎日汗をかきながら持って帰ってました。
 特に上海の水は味も色も飲めた物じゃなく、歯を磨くために口に含むだけでいやーな味がするので水は買うものといった観念は否めません。
 それでも水道水を飲んでいましたが、コーヒーやお茶さえも不味いため、買う事にしました。
 途中気が付いたのは、ローカルの古い集合住宅には水の自動販売機があり、ペットボトル持参で5ℓ1元と安価。

C級グルメ

2011年01月22日 | 今時の上海2010
 中国(香港を含む)は信じられないくらいにインスタント麺の需要が高い。特に瘢痕なんぞは、朝メニューになぜか皿にもられたインスタントラーメンがあるくらいだ。
 しかし、ローカル麺はどれもこれも香辛料臭い、鶏味、牛肉味がほとんど。長い間には確実に飽きのくる味だ。
 そこで、探しまくった結果、お勧めは、「出前一丁」の袋麺の日本(地名)シリーズや、カップ麺は海鮮味。
 ほとんどが3~5元程度でお手軽なスナック。
 そして中華圏ならではなのが、インスタントのおかゆ。お湯を注いですぐに味付きおかゆの出来上がり。軽く済ませたい朝には持ってこい。
 カップのインスタント味噌汁もコンビニで売られているが、味は日本の味噌汁とはほど遠いが、「頑張っている」感は支持したいものだ。
 そうそう、日本のインスタント麺も売られているが、恐ろしく高価で、「これだったら軽く外食できちゃう」。こんな高いカップ麺、「いつ、どこで、だれが必要としているのだろうか?」。買っている人も見た事ないや!
 因に日本で流行っている塩焼きそばや塩ラーメンは人気がないようで、商品かされていませんでした。
 要は、香辛料たっぷりの胸焼けしそうなくらいに油ゴテゴテ味が主流ってことです。

気ままにお城巡り9 和歌山城

2011年01月19日 | 国内の名所・旧跡
 徳川御三家のひとつ。紀州・和歌山城。駅から大通りを真っ直ぐ行ったところにこつ然と現れる、お堀。やはり徳川さんは天下安泰になってからの城なので、山城や要塞的要素は必要ないのだろう。
 現在、見学するにはアクセス的に便利である。
 ただ、一目見た時、「これが御三家?」と思ったくらい小さな城址なのだが、それはほとんどが都市開発やら何やらで失われたからで、当時の権勢は庭園から忍ぶ事が出来る。
 幕末、坂本龍馬にいろは丸事件で大金をぼったくられたことくらで、これといって紀州藩に関する知識はないのだが、五代将軍・吉宗から、将軍を一番排出したのも紀州。

気ままにお城巡り8 会津若松城

2011年01月18日 | 国内の名所・旧跡
 言わずと知れた、保科正之(先の元高遠城城主)から続く松平家のお城。有名になったのは戊辰戦争ですね。
 戦国時代は伊達政宗、上杉景勝、蒲生氏郷など切れ者の殿様が収めたことからも、その重要性が解ろうと言うもの。かの有名な白虎隊もここでのお話。
 ただ、現在では、市民全員が白虎隊の子孫みたいな顔してますが、実際に戊辰戦争で戦ったのは士族のみで、町人や農民はむしろ、新政府軍に味方したらしいです。底辺の人間は新しい政治に期待を寄せるのは今も昔も同じというところでしょうね。
 しかし、会津の悲劇は、日本の近代化において避けては通れません。
 現在の天守閣は復元ですが、中に展示されている戊辰戦争や白虎隊関係の資料を前にすると目頭が熱くなります。
 多くの方が誤解しているのは白虎隊は全員自刃したと思っていること。白虎隊は身分に応じて何班もあり、自刃したのは士中二番隊です。ほかの隊で戦死した人も飯盛山に葬られています。
 そして、戦いに際し、入場した新撰組関係の展示品などもあります。次回機会があれば、会津の方が新撰組をどう思っているか知りたいところ。

気ままにお城巡り7 江戸城

2011年01月17日 | 国内の名所・旧跡
 最期はやはり将軍様のお膝元・江戸城です。無料で開放された都会のど真ん中の公園です。で「松の廊下」址などの看板がありますが、実際に建物がないのは寂しいですね。
 お堀や門からもその壮大さは忍ばれます。
 余談ですが、自分が退出したのが「平川門」。別名「不浄門」だそうで、先の絵島もここから大奥を追放されています。なぜに、また、よりにもよって? 自分が…。
 確かにほかの門のように出入りが平たんではなく、険しい階段を上り下りして、見劣りする門ではありました。そこがまた、手つかずの感じを残しています。
 

気ままにお城巡り6 宇都宮城

2011年01月17日 | 国内の名所・旧跡
 信州から一気に北関東に入り、あの新撰組副長・土方歳三が2日で新政府軍から奪い取った「宇都宮城址」へ。こちらは近年、見張り台などが建造されていますが、もはや城址公園として、市民の方の憩いの場になっています。特に見所はありませんが、「新撰組がここでも戦ったのか」といった視線で見ると、町も新鮮に写ります。

気ままにお城巡り5 高島城

2011年01月17日 | 国内の名所・旧跡
 「浮き城」の異名に心引かれ、思わず途中下車。こちらも駅から歩ける範囲で、復元天守閣は小さく、全体の規模も小さいのですが、昔はこの城から諏訪湖まで水で繋がっていたと聞くとロマンを感じます。
 こちらの城もあまり馴染みはないのですが、なんと元禄年間の大事件「赤穂浪士の討ち入り」で奇襲を受けた吉良方の頭首・吉良義周(吉良上野介の孫)が奇襲されて家督失ったばかりか、なぜか罰せられ、流されて幽閉されたのがこの城です。義周は不自由な日常の中で早世してしまいます。
 お城には必ず、こんな悲しい話がありますよね。

気ままにお城巡り4 松本城

2011年01月17日 | 国内の名所・旧跡
 気ままに巡るお城も「松本城」ともなれば襟を正します。これまでは、ほかに環境客の姿もほとんどなく、勝手に歩けましたが、これだけメジャーなお城になれば、天守閣までの階段は順番待ち。あちこちで人と接触するのも致し方ないこと。
 以前は「深志城」と呼ばれていましたが、通称はその外観から「烏城」です。黒塗りの木の天守閣は戦国時代の様式ですね。
 内堀に囲まれ、二つの天守閣を持つ立派なお城です。
 何よりびっくりしたのが、あまり知られてはいませんが一時、上杉景勝が入場したといった史実でした。城内の展示物で知りましたが、戦国武将で景勝が一番好きな自分は、勝手にご縁を感じ入りました。
 町中にあることから観光にも便利。

気ままにお城巡り3 高遠城

2011年01月17日 | 国内の名所・旧跡
 名古屋から長距離バスで一気に信州へ。その音から是非とも訪れたかった「高遠城」へ。見頃は桜の季節なので、それ以外は無料で開放された公園。
 ただし、残念ながら、天守も建物も現存せず、お花見ツアーで有名なあの橋と門があるのみです。
 ですが、小高い山の斜面を利用しての縄張りは、復元されれば見事なことを伺わせます。敷地内にはこちらは保存された藩校が当時の姿で現存。
 このお城は、徳川二代将軍・秀正のご烙印であり三代・家光の弟。後の会津若松城主となる、保科正之が養子となり養育をされた所。保科家の後は内藤家が城主となりますが、大奥最大のスキャンダルとされる、江戸中期の「江島生島事件」の大奥年寄りの絵島が流され実に四十年近くも幽閉されたのがこの高遠の地です。
 現在も「江島囲み屋敷」は、博物館庭で展示されています。幕府から下された厳しい条件なども一読できます。因に大奥での絵島は罪人として流されてから江島と改名しています。
 なんとも、悲しい話ではありますが、近隣の寺や山間の民家など、派手さはありませんが風光明媚な土地です。
 戦国時代は、武田勝頼も入場しました。勝頼の母(信玄の側室)諏訪姫の墓所も近くにあります。

気ままにお城巡り2 浜松城

2011年01月17日 | 国内の名所・旧跡
 東海道新幹線を浜松で降りて、ローカル線で十五分程の公園内にある小さなお城が、「出世城」の異名を持つ「浜松城」。こちらは歴代城主が出世したことで知られますが、中でも徳川家康がその筆頭。武田の軍勢に押され馬上で脱糞しながら、逃げ込みながらも、門を開けて篝火を焚いて昼寝したといった大物振りを表す逸話もあります。
 見事な作戦で武田軍は撤退。九死に一生を得た訳ですね。その後の家康の活躍は周知の事実。
 要塞でも山城でもなく、本当に町にポツンとあるありふれたお城ですが、どんな器も頭首の頭脳を持ってすれば使いこなせるといったところでしょうか?