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先生ってやつは! 理不尽也

2011年02月28日 | 田舎生活の衣食住
 ふと思い出したこれまでの教師陣。
 未だに、「あんた教育者以前に人としてどうなのだろう」ってな輩が数人はいた。
 まず、小学3年生の時の担任のおばちゃん先生。あだ名は「黒出っ歯」。当時、40代だろうか、いやもしかしたら未だ30代だったかも知れない。ただ中年太りのコロコロした体系はどう見てもおばちゃん。
 その頃、クラスで、手帳サイズのノートに、ストーリー漫画を描くのが流行っており、出来上がっては見せっこをしていたのだが、ある日、授業中にその一冊を没収された。
 そりゃあ、授業中に描いていた自分が悪い。それは分かっている。没収されても仕方ない。
 だが、その教師。なんと休み時間に教室の自分の机で読み出し、後ろにはほかの生徒が鈴なりでみんなで呼んでいた。読み終わったら返してくれたが、幼心に、「デリカシーのない人(当時はデリカシーなんて言葉は知らなかったが)だ」と思い、以後その教師は私の中では存在しないものになった。
 1年間の担任だったがその今教師の思い出は見事にそれしかないのだ。
 中学2年生の時の担任。あだ名は「ボケ」。誰もがすぐに分かるくらいボケた顔をしていた。そのボケは顔だけでなく性格も愚図ではっきりしない上に依怙贔屓この上なく、生徒の自主性に任されている、クラスの委員や係などを決める時も、自分の嫌いな生徒が指名されると、指名した生徒に、「○○んのどこがいいんだ」といちゃもんをつけ、却下させ、お気に入りの生徒にしか役付けはしない。
 授業中も、席順に指名していきながら、嫌いな生徒の順番になると、「はい、一人抜かして継ぎ」と授業にも参加させない。これって、権力を笠に着た典型的ないじめ。
 この教師の思い出は、クラスのほとんど(3人は残った)での授業ボイコット。その後、教師に「依怙贔屓するな」。「全員の前で言えないで個人を呼びつけてスパイみたいなこつるな」など言ったが改まらず。
 しかし、昔は教師に取っていい時代だった。生徒は教師には逆らえなかったのだから。すでにじじいだったので、定年はもちろん今現在存命か否かも分からないが、今時の生徒だったら、完全にバットで殴られるか、ナイフで刺されるか、PTAの力で懲戒解雇だと思うほど、人間としておかしな人だった。
 高校3年生の時の世界史の教師。あだ名は「白菜」。試験で赤点だった生徒に放課後、追試をやると言い出した。どうせ当日は教室に残るのだから、誰が赤点かなど明らかだ。試験で赤点だった生徒に放課後、追試をやる。これだけでことは済むのに、ご丁寧に赤点を取った生徒の人格まで否定しておきながら、他の人に分からないようにと、席順まで調べたりして、前から順番にわら半紙を配り、追試の生徒のわら半紙にのみA4いっぱいに赤のボールペンでコメントを描いていた。裏返しで配って誰かが断定できないようにしてあるといいながら、筆圧が強いものだから、裏から透けて一目瞭然。
 何だったのだろうあの気配り。
 そんな人たちが公務員として、また教育者として生きられた時代はとても平和で幸せだったことだろう。因に校内暴力もいじめもこの時代はまだなかった。

おでんと鰹のたたき

2011年02月24日 | 田舎生活の衣食住
 おでんと言っても、大根、タコ、ゆで卵があれば十分なので、おでん風煮物が正しいかも知れない。今回は、大根、ゆで卵、豚コマ、はんぺん。
 手前は鰹のたたき。冊で買って来て、下ろしたニンニクとショウガを薬味にしてみた。これで200円弱。
 元々汁物が好きで、お膳には欠かせなく、具沢山の汁物があれば後は漬け物とご飯で十分。なので、味噌汁、お吸い物、スープ、シチューなど、色々バリエイションを変えていたが、どうやら、ここしばらくは、味噌汁の右に出るもの無しといった具合に味覚が定まってきた。
 中でも、ツブツブの残る麹味噌もしくは田舎味噌が好きだが、たまには、甘い白味噌。そして年に数度は赤味噌も恋しくなる。
 玄米を通販で購入し出し(スーパーで買うより俄然美味しい)、納豆で食べるようにしている、格なる上は、日本各地の美味しい味噌と漬け物を極め、粗食でありながら贅沢な食卓にしようかと考え中。

マイブームの「わさび塩」

2011年02月24日 | 田舎生活の衣食住
 空港の売店で見付けた、何でも賞を受賞したというお偉い塩。これが最近のマイブーム。天ぷらも、魚も、肉も、野菜もこれでいただく。
 そもそもは、風邪で寝込んだ時、台所に立つのがきつかったので、ちょっと料理しては塩だけで食べていた名残。その時は喉を酷くやられていたので味覚もなかったが、今では美味しくいただける。しかし、唐辛子の辛さに慣れた舌にはちょっと物足りないかな?

寒椿

2011年02月24日 | 田舎生活の衣食住
 以前は見事に和風の(日本庭園ってほどでもない)庭だったが、面倒が見切れず、草花、木々を止め、家庭菜園へと耕してしまったが、それでも幾らかの草花は残り、毎年季節に応じて花を咲かせてくれる。
 現座も寒椿が。
 やはり四季の花は、その気候に応じた美しさで、いいものだと、自身が年を重ねるに連れ感じ入るようになった。
 大分温かくなったが、春まではまだもう少し。
 早く桜の季節になって欲しいもの。だが、もはや始まってしまった花粉の季節。朝からくしゃみと鼻水…これはいただけない。
 写真は庭に出ると寒いので室内から撮ったため、花が裏側だった。

クロネコヤマトとの終わりなき抗争

2011年02月21日 | 田舎生活の衣食住
 何かクロネコヤマトのバカっぷりを書いて来た。空港からのスーツケースが7年以上経っても届かない。車から降りずに住所を探さず、明日出発の航空券を送り先に勝手に返してしまう。玄関まで来ずに、門柱に引っ掛けて帰る。受け取りはいらないのか? ほかもろもろ…。 
 折り返すの電話がきた試しもない。いくら言っても馬の耳に念仏なので、本社に直接苦情を言ったらようやく動き出す田舎の支店。
 で、誤まりの言葉が、「どうもすいやせんっしたーーー」。ってお前は十代の若者改め馬鹿者かってくらいに軽い。
 因に同じ条件でも佐川と郵政局は届いている。

 で、そんなトラブルから送り主に「こちらの電話番号(携帯と家)、両隣の家の名前を必ず書いてください。そうすればどんな馬鹿でもわかるでしょうから」と指定している。
 にも関わらず、「家が見当たらない」と電話してきやがった。詳しく説明して届いたが、配達の係の顔がまた違う。まあ、三カ月同じ顔が続けがいい方だ。
 ただ、あれだけ問題があり、本社から注意があったのだから、申し送りとかお前らが見る地図に書き込んでおけ。と言いたい。都心でもあるまいに、限られた田舎だ。申し送りしておけば問題ないだろうに。
 しかし、言っても無駄なので、こちらからは絶対にクロネコは使わないが、世間的には一般的で送られて来てしまう。ある送り主は、「もし、受取人の電話番号がなくても、送り主にまず連絡するものだけど、それもないのか?」ろか、「そこは山の中か島なのか?」とか呆れる始末。
 一言言っておくと、この土地の風潮として、知らない事分からない事は出来ないで済ませるのだ。役所ももちろん、なので、いっつも喧嘩になる。
 で、失敗や自分のミスできまづくなれば、こちらが客でもお仕舞い。
 責任感がなく、無知な上に強情ときている。
 ある他府県の知人曰く、「そこって中国みたいだね」。
 確かに。

バッタビル

2011年02月20日 | 今時の上海2010
 はい。お土産物屋さんが一堂に介した3階建ての「珍珠商場」ビル。だが、そこはお国柄、各種ブランド物のバッタもんが売られています。でも高いので、地元の人は近寄らないけど。
 昔は静安寺裏にあった露店街が安い衣料品が手に入るメッカだったが、クリーン化の一環として消滅。そうねえ、南京西路裏や、七浦路(広過ぎて目が回る)、お勧めは、豫園の南東の老街。
 
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DVD天国

2011年02月20日 | 今時の上海2010
 上海はDVD天国。これは中国のほかの都市と比べても群を抜いている。
 中国、香港、韓国、欧米…の映画もテレビドラマも何でもそろう。もちろん、日本の映画、ドラマの需要も高く、ドラマなら、最終回放送終了後早ければ翌日に店頭に並ぶ。映画は少し送れるが、それでも映画自体の正規版の背回る頃にはこちらも。
 値段も格安で映画1本15元、ドラマワンクール分で40~80元。DVD1枚に2話収録され、1枚15元と考えればいいだろう。流通価格は一致していないので、各店舗により差はある。
 そして、もっと安く買いたいのなら、夜店(通りのあちこちに露天がでる)。ドラマワンクール2枚組で10元。親しくなると7元売ってくれるぞ。また、最近では、日本のバラエティも豊富になった。
 露天の場合は当たり外れがあり時には観られない物もあるが、この値段ならそこはご愛嬌。
 ただ最近は取り締まりが厳しくなり、店舗では奥の隠し部屋に日本のDVDコーナーを設けたりしているので、時間の問題か?
 露天も、周期的に警察が大型トラックで回収。泣き叫んで阻止するおばさんなんかも見かけるが、翌々日には平常営業してるあたりがいかにも中国。袖の下なのか、形式的なんものなのか…。
 いたちごっことなったこの商売。深せんなんかでは、買う側が自前の外付けハードを持参して、そこにデータを移して販売している。
 因に、最近流行の韓国物や米国物は日本語吹き替え版まで売ってます。
 もちろん違法なので日本持ち込みは厳禁。

 

無料貸し出し自転車

2011年02月20日 | 今時の上海2010
 何が驚いたかって、この自転車。これは区が提供する無料自転車。各区で設置されており、使い放題。
 借りるには、管理事務所中国人ならにIDを提示してカードを貰う。そのカードをロックされているキーにかざせばホルダーから自転車がはずれるってわけ。駐輪場もあちこちにあるので、止めるときは反対に自転車を設置してから、カーででロック。同じ区内なら乗り捨ても可能。
 で、我々外国人はと言うと、パスポートと、居留届け(警察署に申請。これは中国に住むには必須)、大家さんと交わした賃貸証明書のコピーを提出すれば借りられる。
 自転車の故障、パンクも指定の修理屋さんで無料で行ってくれるので、これは是非、我が国でも取り入れて欲しいけど、自転車社会が根付いた上海ならではなのだろうか?
 自転車でなくても、税金はこういった風に有効利用して欲しいものだ。

電脳ビル

2011年02月20日 | 今時の上海2010
 徐家汇の駅構内から直結の電脳ビルは、このジャラルミンの丸い玉が目印。ハイテクだねー。この中に、コンピュータ、デジカメ、携帯電話などなど、OA専門店がぎっちりつまっている。
 秋葉原のようにいくつものビルを歩かなくてもフロア別にコンピュータの階、デジカメの階と別れ、メーカー別に出店しているので、便利。
 因にこの辺り、クリスマスシーズンは、ライトアップされたツリーがあちこちにお目見えする。

こちらはアートな地下鉄連絡通路

2011年02月20日 | 今時の上海2010
 上海一お洒落な町•徐家汇。連絡通路はなんと虹のトンネル。凄いよ。ライトが赤や青、緑黄色に変わり、大型モニターでは宣伝パネル。
 そいういえば、中国人のTV好きは筋金入りで、香港では公共バス、地下鉄、同ホーム、エレベータの前、全てにモニターが設置され、ほとんどCMだが、時にはアメリカ版のどっきりなんかも放映してた。
 上海も、そこまで進んでいました。

ここまで進化した上海の地下鉄

2011年02月20日 | 今時の上海2010
 3年程前までは3路線しかなかった地下筒が、今や地下鉄網と呼ぶに相応しく、地下鉄路線図も広告入りで無料配布されており、見てみると東京メトロのようだ。
 「このわずかな期間で上海よ、よくやった」。
 しかも構内も「凄く綺麗」で、安全ロックの扉があり、列車のドアが開いてからでないと開かないシステム。改札はもちろんカード式のオート。
 そうです。まんま香港です。
 改札を通る前には赤外線(写真下右の方)に通し荷物をチェックするといった面倒臭さもあるけれど。そう、飛行機の手荷物検査と同じ奴。これも駅によってで、言われない限りは通さないけど、それでももんだいなかった。
 未だ切符(全てカード式)の自動販売機が使えない中国人は多数居れど、なぜか、一から切符を買ってあげるこtになった中国人が、乗車するまで「これでいいのかとしつこく聞いて来て、降りる駅まで数えて教えたこともあれど、終電が異常に早く、10号線は7時半に終わってしまえど、路線別の乗り換えが実に不便で、もの凄く歩いたり、昔からあった路線と新規路線が繋がっておらず、一度外に出るため、切符(カード)を二重で買う羽目になれど、ここまでの進歩はお見事。
 一番の驚きは、地下鉄駅構内にジュースやお菓子の自動販売機が設置してあること。日本以外のアジア圏では治安の悪さで自動販売機などほとんど見かけなかった(壊されて盗まれちゃうからね)日々を遠く感じましたね。
 しかし、北京に地下鉄では、未だ1元は札しか流通していないのに、作ってしまった1元コインの公衆トイレ。そのままなのでしょうか?
 因に、上海は町中や駅構内にも公衆トイレが出来ており、結構綺麗で無料です。以前のようなドア無しトイレはもう風化です。

雪景色

2011年02月09日 | 田舎生活の衣食住
 今朝は6時半になっても辺りが薄暗く、冷えると思っていたら、一面雪景色。「こりゃあ寒いわ」。しかし、単に寒いだけと違って雪って、寒くてもそれなりに許せるのが不思議だ。
 昨年は上海で吹雪があったが、今年には初。

 さて、話は変わるが、私が好きなブログが4つある。今ではカリスマ主婦としてメディアでも引っ張りだこのママさんのお料理物。そして、田舎暮らしのおじいさんが地域の事や菜園の様子などを、鮮やかな景色と共に提供している物。一人暮らしの男性の毎日のお弁当。日本各地のお城をペットと共に回って紹介している物。この4つ。実は、最後のお城巡りのアドレスが分からなくなってしまい、探しています。ご存じの方はお知らせください。

 その中でも大好きなのが、カリスマ主婦。毎日の献立は美味しそうで、レシピも大分参考にさせていただいている。お子さんも本当に可愛くて、他人の子であってもその成長振りが楽しみでならないくらいだ。癒される瞬間でもある。が、最近あまりお子さんが登場しなくなり寂しくて、なぜだろうと調べたところ、「んまー、何を考えているのだか」の悪口言い合いサイトがあった。嫌なら見なきゃいいものを、勝手に見ておいて言いたい放題で、一文の得にもならないのに正直、「ご苦労様」。人間の浅ましさに悲しくなった。見ず知らずの自分が嫌な気持ちになるくらいの内容なので、書かれたご本人の心情は察するに余ある。
 これって要するに妬み以外の何者でもない。
 羨む→嫉妬→妬み→逆恨みの方程式知ってますか?
 自分は、人に対して妬んだり、嫉妬したりということの記憶がない。例えば、顔やスタイルの美麗な人に対して「いいなー」とは思うが、だからと言ってその人に対して、悪い感情を抱いたり、陥れようとしたことはない。同じく、頭脳明晰な人、思い通りの人生を送っている人、他人に好かれる人などなど、自分より優れた人に対しても同様である。なので、妬むという感情が全く理解できないのだが、世間には自分をさておいて、思い通りに行かないことや、自分より優れた部分のある人に対して、妬んだり嫉妬したりという人がいることを最近痛い程感じている。

 例を挙げると、世間の多くの人は海外という響きに異常に敏感だということ。以前エステに通っていたことがあるが、そこの月刊の広報誌に「試術中、隣の部屋から海外旅行の自慢話が聞こえて来ると不愉快だ」といった投書があった。その時は、「なぜ? 海外旅行がなぜいけない」くらいにしか感じていなかったが、どうやらこれは妬みらしい。
 海外旅行に行って来た人が土産を渡しながら旅行話をするのを妬ましく思っている人もいるらしく、これも実際に耳にした。かくいう自分もすでに十数年の海外生活。帰国すれば、「外国で遊んで来て」との罵詈雑言を親類から浴びせられる。「遊んでいる所を見たのかい」と言いたいが、これも自分では手の届かない嫉妬なのだと相手にしないようにしている。
 思い出したが、もうかなり古い話になるが、まだ日本で働いていた頃、土日、祝日もないくらいに多忙な職場だったため、普段はプライベートはほとんどなく、だが、代休を取って年に数回はアメリカに出かけていた。それが自分の唯一の趣味、気晴らしだったのだが、ある日、当時の友人がかなり酔って電話を掛けて来て、「なんでそんなに外国ばかり行きたいのか。私は一度も行きたいと思ったことがない」と言い放たれた。その時は理解できず、「趣味だから」とか「好きだから」と答えたように記憶しているが、数年後、「これが妬みか」と分かったものだ。行きたくないから行かない。だったらそれでいいものをわざわざ口に出して言いたいくらいに羨ましかったのだろう。

 ほかにも、職場などでは、もっと多くの嫉妬や妬みの材料が転がっており、怖いものだ。そして、相手が何に対して妬んでいるかが分からないのがもっと怖い。「あれっ? 思い違いかな」くらいのことから始まって、気が付くと、「これ嫌がらせだ」と徐々にエスカレートしていく。

 これらのことは日本人の国民性の現れだ。誰もが足並みを揃えていないと駄目。「みんな一緒」でないといけないのだ。これは、私の大嫌いな、「私たち」と複数形でしか意見を言えない常に同じような女同士でつるんでいて単独行動ができない、(敢えて言います)馬鹿女の習性。
 それが、女だけではなく、近年増えている玉無し男にかかると、もっと酷い嫉妬になり、嫉妬が妬みから逆恨みそして職場の場合はいじめにも発展するから怖い。

 嫉妬に狂うくらいなら、嫉妬しないでいいように自分も同じ事やもっと凄い事すればいいのに。それができるくらいの人なら嫉妬はしないか?


 

イカ大根

2011年02月08日 | 田舎生活の衣食住
 「イカが好き」。かき揚げもいいし、炒めてもいい。今日は大根と一緒に炊き上げましょう。
 スライスしたショウガを数片一緒に煮込むのがポイント。ショウガの香りが、イカと大根を引き立てます。砂糖と醤油の甘辛味はどんな食材にも合う日本人のソウルフードってところでしょうか。
 イカ一杯98円、大根1本100円。

炊飯器でふかし芋とライスクッカー・クッキング

2011年02月08日 | 田舎生活の衣食住
 「焼き芋が食べたい」。しかし、自宅でどうやって作るのか? 調べていたら、なんと炊飯器で焼き芋の食感のホカホカになるって。で、さっそく、レシピ通りに(水入れるだけの簡単クッキング)で、水100ccに大きめのサツマイモを入れてスイッチオン。
 できました。水を少なめにすればより焼き芋に似た食感になるだろう、ホカホカのふかし芋。
 これはいい。サツマイモはこれで(1本)50円。

 思い出したのが、香港に初めて住んだ時の事。香港のワンルーム単身用アパート(主に古い唐楼)にキッチンはないのです。これは大家さんが家を汚されるのを嫌うためと香港は外食文化のため特にキッチンがなくても困らないという説があります。
 私の住んだ唐楼も、小さな気持ちばかりの流しとその横にほんのわずかなステンレスのスペースがあるだけ。もちろん、IHヒーターも一つ口のガスコンロもありゃしない。電子レンジなんか夢のまた夢。
 そこで購入したのが、オーソドックスな(保温能無し)三号炊きの炊飯器。
 これ一つで2年間自炊したものです。
 炊飯器の内釜と同じ大きさのステンレスのボールを一つ買って、ご飯を焚いた後、ボールをセットして、汁物作ったり、野菜を炒めたり、煮物や煮魚と実に多用しました。
 時間はかかりますが、結構炊飯器だけでも何とかなるものです。特に鍋料理の時は重宝でした。テーブルの真ん中に置いて、ぐつぐつ煮込みながら食べる。
 炊飯器なので、ある程度熱が加わるとスイッチが自動で切れてしまうので、スイッチに重しを乗せて。
 
 香港では足の長いステンレスの鍋敷きがあちこちで売られていますが、「何に使うのだ」思っていたら、なんと、ローカルは、ご飯を炊きながらその中に鍋敷きを入れてその上に皿を乗せ、おかずを一緒に作るのだそうです。一度の加熱で蒸し料理ができるという合理性。


たらの芽の天ぷら

2011年02月08日 | 田舎生活の衣食住
 昨年の覚えていますか? 春先になって探しまわったたらの芽。どうやら旬は今頃のようでした。昨年は遅かったのね。
 という訳で1年越しのたらの芽の天ぷらです。
 でもどこかに絶対自生してる筈なんだけどなー。
 最近はまっている山葵塩で食べました。癖がなくて美味しいですよ。