昨日、病院の前で乗用車に乗った方から、
「病院はどこか、駐車場はどこか」と尋ねられた。
ナンバーを見ると宮城とあった。ああ、避難している方たちなんだと・・・
震災後の報道で胸揺さぶられた映像。
NHKニュース
中学校の卒業式で答辞を読んだ少年。
号泣と言っていい。涙を流しながらの姿は、胸につきささり胸を打った。
立派だったと頭なでたいくらい。こんな少年がいたことを忘れないでいよう。
同じく卒業。
一軒一軒卒業生の家を訪問して、手渡していた30代の男性小学校教師。
卒業式がものすごく大事だと実感した(言葉は違う)と。
目を真っ赤にして唇を震わせながら語ったこの重い重い気持ちは、彼を豊かな教師にしてくれるに違いない。
おはよう日本
雪降る被災地をお経を唱えながら祈り歩く若い僧侶の姿。
意味のないことかもしれない、
無力感を感じる、
それでも自分ができることをせずにはいられない、と。
裸足に草鞋ばきで、荒涼とした被災地を一心に祈り歩く姿に頭垂れるしかない。なんとも神々しいものを見た気がした。
今日の新聞
曽野綾子さんのインタビュー記事。
私は、随筆などで、曽野さんがあまりにも正論をきっぱり言い切るので、「そうは言っても曽野さん」という気がしてあまり好きではなかった。
でも、今日の記事は、最初の1文字から最後の1文字まで本当に共感した。
曽野さんは、
国家がすべて何とかしてくれると考えるのは違う。
めいめいが自分で考え、行動する癖を身に着けることだ。
それは他人の痛みを部分的に負うことでもある。
被災地の支援も国家に頼るのでなく、「痛い」と感じるくらい自らお金を出すことだ。
とおっしゃる。
そして、最後に、アウグスティヌスを引用して、
この世にあるもの、起こることには意味があるということだ。
今回の事態から何を学ぶか。一人一人が考えることだ。
部分抜粋だから、曽野さんの意は全て伝わっていないとは思うが、私も考えていかねばと思った。
少なくとも、忘れないようにしなければ、と自分を戒めた。
たまには立ち止まって物を考えよ自分!とはっぱをかけるわけです、はい。