まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

2016-03-30 08:10:20 | くらし

私は、収納場所に物が詰まっていると自分まで息苦しくなる。
押入れ然り、戸棚然り、本棚然り。
スカスカがいいけれど、そこまでいかなくても収納率7分目以下にはしたい。それでも多いと感じる。
だからそのためにはどうしたらいいかを考えるのは、もう趣味のようなもの。

実家なんて両親のいろいろが詰まっているから始末し甲斐があろうというもの。
母がまだそこそこ元気な時から帰るたびに「これはどうする、あれは捨てていいか」と詰め寄るので、
終いに母は「私が死んでから好きなようにしてくれ!」と言い放ったわ。ほんと、そうよね、今ならわかるその気もち。

で、今までだってフリーマーケットに出せるものはすべてアサチャンに預けて出品してもらい、
アルバムだってスクラップブックだって色あせた本だって収集ごみにゴミに出せるものは出し、
父の新しい下着は夫に母の洋服は私に、それぞれ着られるものは譲り受けて着ていた。
それなりに片付いてはいたのよ。天袋の中なんて見ないことにしたりして。

そんなだったから、昨日も書いたけれど、もうこれ以上はいいわ、の気持ちだったのね。
それが・・・というわけで。

そして、押入れの中に今まで開けたことのない柳行李ひとつ。
廊下にほっぽり投げている柳行李と合わせてこいつも持ってってもらおうと開いて見たら。
いやいや驚いたのなんの。
父の着物の類が入っているでないの。

母の着物が箪笥にあることは承知していいたけれど父の着物があったなんて。えっ!よ。
けっこう上等そうな着物、これ私用にリフォームしてもらおうかな、なんて。
そのあと1枚2枚と出して行ったら、紋付が。あらま、これはいらんわね、なんてゴミ袋に。

と、その下から、羽織と袴がでてきた。これにはさすがに私もぐっと胸に詰まるものがあった。
折りたたんであった袴を広げてハンガーにかけてしばし眺めてみていた。
誰が父に持たせたのだろう。
貧しい農家だった父の実家にそんな余裕はなかったかもしれない。
まだ母の実家の方が、長女(母)の結婚だからと夫になる父のために紋付羽織袴の一式を用意することができたかもしれない。
いずれにせよ、結婚に際しての家の想いがひしひしと伝わってきて、ちょっと感傷的になったりした。
で、出てきた着物は全部部屋にぶら下げて横浜に帰って来た。始末はゆっくり考える。

母も私の結婚のとき2,3枚着物を作ってくれたが、私は要らない要らないそんなもの要らないという可愛げのない子だったので、
それ以上無理押ししてこなかった。親の心子知らずもいいところ、今ならわかる。
私は娘に何もしてあげていない。

コメント (2)
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