まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

ピサの思い出はボディランゲージ

2018-01-09 09:11:32 | 旅行

年賀状でもう1枚海外旅行の写真が。
知り合いの若いお嬢さん。
ピサの斜塔と横で両手を斜め前に出し支えているポーズ。そう、こんな感じ。
「ベタなやつですね」って書き添えてあって、ほんと。

 (写真は全部フイルムの時代でした)

それにしても、とこの頃つくづく思う。
旅行でも何でもできる時って限られているのね。

私の場合、何しろひとりっ子だから老いていく両親の面倒をみるのは否が応でも私しかいない。
その覚悟は充分にあったわ。だれにも頼れないもの。
となると、私の自由になる時間は両親が自立している今この時しかない、と定年を数年残し早々に退職した。
子供たちも独立し、私の仕事もそれなりに自分で満足し、「もういいんじゃない」と脳内で言う声もしたからね。

で、残る数年は1年に1回の海外旅行。
行くたびに「もう今年が最後よ」と言い続けて。そのたびに嫌がられて。
でもほんとに最後が来たのよ、60歳で。父が最初の発作を起こし、母が延々と続く意識不明の寝たきり生活になって。
そして佐渡生活を送るうちにパスポートが切れ、年をとって海外旅行に行く気力体力が薄れ、ね。

ああ、あの時行っててよかったなってしみじみ。楽しかったわ横浜友と3人の珍道中。
2003年、3人旅は初めて。イタリアよイタリア。
で1日の自由行動。どこに行こうかなとなって選んだのがピサへの小旅行。
シエナとどちらにしようか散々迷ったけれど、娘と1度行っていて抜ける青空が素晴らしかったからとピサに決めた。

そうと決めたら、欲深い私は1度も行ってない場所を訪れたいと、城壁の街ルッカに立ち寄ってからピサねと提案。
フィレンツェの駅で切符を買う。ルッカ回りピサ行き。

「うーん、ルッカまでいったいいくつの駅があるんだろう」不安になった私。
窓口のオジサンに「ルッカ!」と言って、その後は指で山を作って駅の数(のつもり)を指し示すポーズ。
ワン、ツー、スリー・・・
オジサン、おーと言ったけれど分かっていただけたのかしら、
オジサンも山のポーズ取ってワンツースリー、なんか適当な返事だったような気がするわ。
ともあれ無事にルッカの駅に降りた。

城壁の街ルッカ この壁がぐるりと街を取り囲んでいるの。

どこかの屋上から見るルッカの街

で、駅前でランチをし、いよいよピサへ。ピサは終点だから寝ていても大丈夫、安心安心。
そして、ピサ駅に着いた。案内に張り切る私。
なんか地下道みたいなところを通って、恋人ふうなふたりが足を絡みつかせて抱き合っているのなんか見て、
さすがイタリア!なんて笑っていたのよ。

でもでもそのころの私は、ピサ駅のこんなところ通ったかしらと不安になりかけていた。
地上のホームに出てみると記憶と全然違う景色。
「こんなところ知らなーい!見たことない!娘と来たときは違っていた!ここはどこかしら」
とパニクル私。
ふたりに帰れないかもしれない、どうしよう、と訴えるもなんとかしないといけない。

とそこへ救世主が現れた。太ったオジサンよ。
オジサンつかまえてたったひとつ知ってたイタリア語「ドベ?(あっこれも言ったかどうか分からん)」
その後は両手を天に突き上げ斜めに傾げるポーズをとる。

ああ、ありがとう。
オジサンすぐに分かってくれて俺について来いの仕草。
はいはいはいと三人してオジサンについてホームの端っこから出た。

おーーーー!そうよ、ちょっと向うにこの景色が広がっていた。
グラッツィエ!

その後は心おきなくピサを楽しんだことはいうまでもありません。
いやあ、帰りはアルノ川沿いの道を歩いて記憶通りのピサ駅に着いたからよかったわ。
それにしても二人はよく私についてきてくれたわね。
そんな珍道中も遠い昔。はいそういうことです。

 

コメント (4)
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