まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

受け入れること『ライオンのおやつ』小川糸著

2020-03-10 09:16:11 | 

私が子供のころ食べていた「おやつ」は何だったろうか?
干し柿や焼き栗、ふかし芋はおやつに入るのだろうか。
思い出そうとしても、今でいうおやつはなかったような気がする。
そもそもおやつという感覚がなかったのかもしれない。
おやつにまつわる甘いものの記憶は。
たった1回クリスマスの朝、枕元にあった薄い板チョコ。
母がお通夜の時にもらってくるお饅頭。このいくらいだった。貧しかったのね。

「人生の最後に食べたいおやつは何ですか?」
おやつはその人の人生が浮かび上がってくる。

若くして余命を告げられた主人公の雫は、
瀬戸内の島のホスピスで残りの日々を過ごすことを決め、穏やかな景色のなか、
本当にしたかったことを考える。 

入居してくる人に、ホスピスを運営するマドンナは、
毎週日曜の午後3時からこのホスピスでお茶会が開かれる。
ゲストの皆は、もう一度食べたい思い出のおやつをリクエストすることができる。
できれば具体的に、どんな味だったか、どんな形だったか、どんな場面で食べたのか、
思い出をありのままに書いていただければ、と話す。

そんな意図を持ったおやつの時間。
小説では6人の人のそれぞれのおやつリクエストが紹介される。



雫さんが入居して初めてのお茶会。
アワトリス氏 コンビニのロールケーキをリクエスト。

台湾菓子の「豆花(トウファ)」タケオさんのリクエスト。
貧しかった台湾での生活の中でお母さんが作ってくれたおやつ。
タケオさんは、じーっと、まるで懐かしい無声映画を見るような目で、
豆花を見つめていた。それだけで食べない。

二回目のおやつ「カヌレ」それはフランスに古くから伝わる洋菓子。
銀行員をやめコーヒー屋になったマスターのリクエスト。
学生最後の貧乏旅行でパリのカフェで食べたカヌレ。
「望みは捨てるな、希望を持ち続けろ」とはっぱをかけてくれたカヌレは、
自分の人生にとっての一番星みたいな存在だと。
残念ながらマスターはカヌレを食べることができなかった。

百ちゃん、百ちゃんは自分ではリクエストをしなかった。
イルカの調教師になりたいという夢を書いていた。その前は大工さんになりたいと。
百ちゃんの代わりにお母さんがリクエストを書いた。
アップルパイが食べたいと。

最後に百ちゃんに会わせてもらう雫さん。
壁に「生きる」のお習字が張ってある。生きることをあきらめていない百ちゃん。
雫さんは呼びかける。
「百ちゃん、天国に行ったら一緒に遊ぼうね。私も、すぐに行くからね。
また会おうね。約束だよ」
なるようにしかならない。百ちゃんの人生も、私の人生も。
その通りかもしれないけれど、なんて悲しい現実なのだろう。

「ライオンは動物界の百獣の王だからもう敵に襲われる心配はない。
安心して食べたり、寝たり、すればいいってこと」
『ライオンのおやつ』のタイトルの意味はここにあったのね。

マドンナが部屋を出てから、私は声を張り上げて泣いた。
「私はまだライオンになんんかなりたくない。百獣の王にならなくていいから、
生きたいよ。もっともっと長生きしたいよ。まだ、死にたくなんかないんだってば!」
雫さんの本音がほとばしり出て、そばにいたら抱きしめてあげたくなる。

次の週のおやつの時間。一度だけ母が自分のために作ってくれた牡丹餅。
厨房を取り仕切っている狩野姉妹の姉シマさんのリクエスト。
牡丹餅のことは何も知らなかったけれど、姉のリクエストを作った妹の舞さん。
今日のおやつに時間によって、二人の何かが救われた。
シマさんは妹に対する嫉妬心と、舞さんは姉に対しての無知と。

そしてまた、日曜日のおやつの時間。今度こそ。雫さんのリクエスト。
小学校の二年か三年のときのこと。父の誕生日に初めて一人でお菓子作りに挑戦する。
選んだのはミルクレープ。人生で初めて自分で作ったお菓子。

それに何よりも嬉しかったのは、父が喜んでくれたことです。
あのミルクレープを、旅立つ前に、もう一度食べたいです。

お父さん、六花(ろっか)そしてお母さんが違う妹、がミルクレープを食べている。
雫さんはもう食べることができない。
何気ない日常の間にキラキラした甘い思い出が挟み込まれていて、
それはまさしく私の人生を象徴するように思えた。
このタイミングで旅立ってもいいのかもしれない。
私にはもう、心残りはひとつもない。
振り返ると、なんて味わい深い人生だったのだろう。
私はこの人生で、酸いも甘いも経験した。
きっと、私の人生は、生きることのままならなさを学ぶためにあったのかもしれない。


奇跡的に参加することができた次のおやつの時間。
作詞家の先生のリクエスト「レーズンサンド」
雫さんにとって最後に参加したおやつの時間。

「なにか」を受け入れる。なにかとは、
運命であったり、家族であったり、誰かだったり、過去だったり、そして自分だったり。
なにかを受け入れることは容易にできることではないだろう。
主人公雫さんも、残された日々をマドンナや犬の六花、タヒチくんとレモン島
と呼ばれるホスピスのある島で過ごすうちに、時に激しく格闘しもがきながら、
やがて淡々とすべてを受け入れていく。

―食べて、生きて、この世から旅立つ。
すべての人にいつか訪れることをあたたかく描き出す、今が愛おしくなる物語。―

小川糸さんのこの本、しみじみとじんわりと柔らかい気持ちになって。
私が書店員さんだったらこの1冊を本屋大賞に推すわ、きっと。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする