まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

静子さん、75歳 『静子の日常』 井上荒野著

2020-07-28 09:09:20 | 

井上荒野さんの作品3作目。これがいちばんよかった。

夫が亡くなった後独り暮らしだった静子さん、息子一家が新居を構えるのに合わせて
自宅を売り払い、それを持参金として息子家族のもとにやってきた。
嫁の薫子さん、孫のるか、息子愛一郎。息子家族との日常生活が始まった。

フィットネスクラブに通う静子さん、クラブのあちらこちらに張り出される注意書きに
「ばかみたいだわね」と呟いて。広辞苑で「ばか」と言う言葉を調べる。
注意書きの小さな張り紙。そこに小さな黄色い付箋。付箋には細い毛筆の字で「ばか?」

夫の十三さんは筋金入りの下戸だった。
それに合わせて静子さんも一滴のお酒も飲まなかった。
それは夫にではなくて、自分への忠誠として。
妻でいる間は、飲まない、と決めていた静子さん。
十三さんの通夜の後、五十年ぶりにビールを飲んだ。手ずからコップに注いで。
十三さんの死とともに、十三さんの妻をやめる決心をしていたから。その儀式。

静子さんは息子夫婦の子育てには一切口を挟まない。
人が決めたことについてはそうでもないが、自分が決めたことはぜったい守る。
それは静子さんの信条である。

と言う具合で、なかなかの個性の持ち主の静子さん。
静子さんのこと、好きなようなそうでもないような。

見合い結婚だった静子さんは夫を愛そうと努めた。
定年になった夫がそれに気づきはじめたようなので、
「それはあなたの気のせいですよ」と思わせるためにいっそう努めはじめた静子さん。
そのことにひどく疲れて、十三さんが死んだときは、正直言ってほっとした静子さん。
ほっとしたのに今頃になって(どうして死んじゃったんですか)などと思うことがある。
不思議だなと。不思議なのは心か、それとも過ぎていく時間か、
あるいは生きていくことだろうか?

ここらへんの微妙な静子さんの心の揺れは、まだ私には分からない。

静子さんは昔の想い人大五郎さんに会いに施設へ行った。
「私、あなたを愛していません。そう言いに来たの」そう告白しに。
ある日、大五郎さんから青いクレヨンで書いた「くるな」の葉書が届いた。
それを読んだ後、和服を着てフィットネスクラブに行き泳ぎ出した静子さん。
泳ぎながら泣いた。嗚咽をこらえて「ばか」と呟いた。

あの道はどこに通じているのだろう。静子さんは行ってみたいと思う。
「行ってみればいいじゃないか」亡くなったご主人の十三さんは言ったものだ。
行ってみればそれがたんなるつまらない道だということがわかるんだから、と。
随分がっかりさせられたものだったが―でも、いつか行ってみましょう、
と思った静子さん。

家族の章が間に挟まれて書かれている。
出会い系サイトにはまっていた息子の愛一郎さん。
仕事でいろいろと悩みがある嫁の薫子さん。
青春真っただ中のあれこれがある高校生の孫るかちゃん。

適度な距離感を持っての家族の日常。
家族全員それぞれの小さな屈託を抱えていながらも、
日々を大過なく過ごしていく知恵を持っている人たち。

肩肘張らなくて読むことができ、あっという間に読み終わる。
読み終わった後は温かく清々しい気持ちになる。

コメント (2)
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