まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

途中下車の思い出 「越後丘陵公園」

2021-06-20 08:55:43 | 自然・風景

父の日の今日は父の命日。
2011年6月20日早朝、97歳で亡くなった。それから10年。
それまで父の病室に泊まり込んでいて、その日も
「父さん、朝ごはん食べてくるからね、待っててね」と意識なく眠っている父に声をかけ、
タソガレ場所で海を眺め、チャリンコギコギコこいで、家に帰ったら病院からの電話だった。
まったく、私が留守するのを見計らったようにさっさとひとりで逝った。

母が脳出血で倒れた時、父は92歳。何でも自分のことはできたが食事の支度だけは
無理だった。ひとり娘の私が世話をするのは自明のこと。
夫には申し訳なかったが、あなたとはまだまだこれから時間があるけれど、
両親とは限られているからと妙な理屈で佐渡の実家に住んで父との生活が始まった。
私は月に1回、横浜の自宅に帰る。最初の頃は3泊4日。
父が朝電話のベルを3回鳴らして切って無事を知らせ、夕方私が電話をかける約束。
そのうち民間の介護施設ができて、1週間ショートステイができるようになった。
もうもうどんなに安心したことか。
父の荷物の中には必ずワンカップのお酒が6本。許してくれた施設には感謝感謝よ。
「父さん、お酒はだめだと言われたらどうする?」とからかうと「暴れる」だって。
大笑いしたわ。
今朝、自宅の遺影の前には、息子が父の日にと送ってきたお酒を夫が供え、
私は、父が愛飲していたお酒はこちらでは売っていないから八海山の小瓶を供えた。

そんな横浜の自宅と佐渡の実家との往復生活は、父亡きあとも入れて7年間。
行き帰りには必ずといっていいほどどこかに立ち寄った。美術館、公園庭園・・・
行きはさあこれからと気合を入れ、帰りはほっと一息つくために。リセット。

「越後丘陵公園」もそのひとつ、2012年13年6月と2回立ち寄っている。
もちろん広大な丘に広がるバラを見るために。
父が亡くなった後だ、アクセスが悪いから父の帰宅時間には間に合わなかったのね。
母に会いに行くだけだから、最終のカーフェリーに間に合えばよかったんだ。

今見ると、写真のへたくそなこと。広々とした風景を見ていただくのみです。
今思うと、60代前半だからできたこと。70代の今はとてもじゃないが・・・できません。

コメント
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