佐渡の概要地図です。船が着岸する両津が中心に。
今の時期なら一日に5往復しています。船内がじゅうたん敷きなことに驚いて「難民船」みたいだといった人も。
手前の建物だけは昭和20年代の頃と全く変わりありません。雰囲気もそのままです。
両津から海岸線を北に行ったところのです。遠くの海が両津湾。
上の写真の田んぼの横の道を下ると、川の河口に出ます。遠くの山並みは小佐渡山脈。船から見るのとは景色がだいぶ違うことに、私もびっくり。
こうやって並べて見ると、ずいぶん寂しい場所ばかりね。
病気ネタばかりで暗くなっちゃいますね。こらえ性のない私なので、あちこちに撒き散らさないと。仕方ないとお付き合いくださいませ。品格出ている?
それにしても横浜は暖かい。桜は散っているんだ。残念です。
土曜日佐渡に緊急上陸したときは、白木蓮が満開。桜は3分咲きといってところだったかしら。新潟は5分咲きくらい。
佐渡や新潟では入学式に桜はセットじゃあないのね、改めて実感した次第で・・・
散歩していたときに撮った写真を見てお口直しをしてください。
ご存知ふきのとう
これもお馴染み
ヒメオドリコソウ。本当にダンスしているみたいで
崖に咲いていました
同じ崖でもこちらは下のほうに。是非花の名前を知りたいのですが・・・
新潟の病院近くの家の生垣です。お見事!
我が庭の一角。アプリコットカラーがちょうどいい具合に。よくぞ咲いていたと愛でています。
続いているようで。
どうも眠いのに、明らかに睡眠不足なのに、眠れません。そして、体もピンピン動くのよ。変ね。
入院した金曜日は、看護師さんが2時間おきに傷口の具合を見に来てくださる、出血したので処置も。2回目の出血はシーツまでも汚した。尾篭な話で申し訳ありませんが、父はおしっこを尿瓶で処理。その後始末でそれでまた目が冴える。簡易ベッドの私は一睡もできませんでした。うん。
土曜日の朝6時のカーフェリーで一度佐渡に。だって思い起こしたら入院仕度だけ、火の始末だけ、戸締りだけしてきて、後はほったらかしだったのです。ゴミだしどうしようかな?風呂の水は?茹でたもやしがそのままだった!カーテンを閉め忘れたetc・・・ああ、気になる。
9時近くに家に着くや否や、頭はフル回転だったわ。体は今までにない素早さで動いたわ。我ながらすごい、感心する。やればできるじゃん、の心境。
しかも、偶然、親戚が用事で訪ねてくる、一つ一つ説明していかに大変だったかをせこく強調する。お隣さんもどうだった?と聞きに来る。
それから、返却日間近の本を図書館に返しに行く。母の介護施設に、様子を見に行く。このときは、自転車が大活躍。
風呂に入る、髪の毛を洗う、洗濯機を回す。入院時に足りなかったものを用意する。疲れました。よくやったと自分を見直して。
カーテン閉めて、12時半の船で新潟に折り返しました。高速船にしようかと思ったけれど、体を伸ばせるのは、カーフェリーしかないと考え直し、ビールを飲んで横になったわけよ。いつもならここで間違いなく睡魔が襲うのに、眠れませーーーん。あきらめて週刊誌を読んで。
さすがに、土曜日は8時ごろから爆睡ですよ。なアーーんも覚えていません。5時まで。起きたら前のベッドのおじさんに
アンタのお父さんのいびき、すごいねぇーーと、軽く抗議されて平謝り。
その洗礼を私は日曜日にしっかり受けました。いやぁーーすごい。ここまでとは思わなかった。蹴飛ばしたくなった、揺さぶりたくなった!!!それが夜12時ごろまで。その後?今度はトイレ通い。ほら年寄りだからね。何しろベッドとベッドの隙間に50センチくらいのベッドで寝ているのだから。父がトイレに行くたびに、点滴スタンドがゴツンゴツン当たるわけですよ。あれほど夜は尿瓶でしてね、と言っておいたのに
うとうとしたと思ったらそういうわけで、明け方まで3回も行かれては眠れませんっつうの!
月曜日はどうしたか?隣の窓際のベッドが空いたから窓とベッドの間に避難しました。もしかして空いたベッドに寝たんじゃないの?と思った方、ゆめゆめいませんよね。おかげさまで切れ切れに4時間くらい眠れました。
昨夜は、寝てやる、と意気込んだためか、12時過ぎてもダメ、で、朝は5時には目が覚めてしまった。
それにしても同室の人、付き添いのお母さんに『ご主人ですか?』と聞かれたのには、唖然を通り越して憮然
一連の出来事の中でこんな悲しいことはない
3回も乗りました、1日の内で・・・結構すごいことだと思いません?
家から病院まで。
病院から佐渡汽船両津港まで。
佐渡汽船新潟港から新潟の病院まで。
救急車友が、父が肺炎で去年の6月に入院したとき、
「あんたぁ、これからさ、これでもかこれでもかということが起きるわよ。」と予言してくれたことがそっくり実現したわけで・・・
6日金曜日の早朝、父が「右足が痛い、夜中からずっと痛くなった。」というのです。見ると脛から足先までが青白く血が通っている様子が見えません。そして冷たい。でも、その時点では何が起きているのか分らず、ま、様子を見ようと二人して構えていました。でも、そのうち、痺れるような感じがするというので、これはダメだ、何かが起きていると思い
「とうさん、救急車呼ぶよ、仕度して。」と渋っている父を追いたて、私も着替えました。救急車の音で、またもやお隣さんが飛び出てきてくれて。
7時過ぎだったでしょうか、病院に着くなり緊急診察、検査。結果は、
「佐渡では血管外科がありませんから、新潟に行ってください、病室が空いているかどうかの結果が分ったら、すぐ出発します。」と宣告されました。8時半頃、病室が空いていることが分り、それからがあれよあれよという出来事でした。全く何がなんだか分りません。
「9時半のジェットフォイルに乗るからね、できるだけ早く準備して!」
そう言われたって、と思いつつ家に走って帰り、父の入院バッグ(これは準備してある)、私の泊まりこみ用意を持って自転車に乗りましたよ。お隣さんに後は頼むねと、お願いして。
9時頃には病院に着いたでしょうか、すぐさま救急車を依頼して、両津港に。父はストレッチャーに乗ったまま、船室へ。医師も看護師さんも付いていてくれることがどんなに心強かったことか。船内で、様子をしっかりチェックしてくれてましたから。1時間があっという間に経って、新潟港には頼もしくも救急車が待っていてくれました。
設備の整った新潟の病院で診察の結果、父は、右足のひざの動脈の血管が詰まって、脛から下に血が流れていない状態でした。
担当医師はラグビーの平尾選手のような感じの人。
「だから、ここが詰まっているんだよ、血が流れねーんだ。いちかばちかカテーテルを入れてこの血を吸い上げて、成功すれば御の字だろ。やってみる価値はあるだろから、ま、前向きに考えて。だから今すぐやるんだってば、やんなきゃ他に回るかもしんねえだろ。手術室が開いたらすぐやるよ。」
というような意味のことをやくざ口調で言うわけですよ。(そのつもりで言ってください。)ははーー、よろしくお願いします、というしかないでしょ。ね。40分の短い時間の手術で無事成功。その血の塊を見せていただきましたが、魚の血がぴったり!これが悪さの原因か、としみじみ眺めたわけです。
そんなこんなで父は順調に回復し、日曜日には退院することができます。病院という一番安心できるところにいる間に、私は横浜に帰ってきました。だって、6人部屋のベッドとベッドの隙間に4日間も寝ていたら倒れてしまいます。今夜は久しぶりに風呂に入って、広いベッドで寝られます。うれしくなってしまう。
それにしても、救急車って酔うわね。発見しました。