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まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

佐渡

2007-04-12 21:18:10 | Weblog
最初にお断りね。私の行動範囲内なので、ごく限られています。


佐渡の概要地図です。船が着岸する両津が中心に。


今の時期なら一日に5往復しています。船内がじゅうたん敷きなことに驚いて「難民船」みたいだといった人も。


手前の建物だけは昭和20年代の頃と全く変わりありません。雰囲気もそのままです。


両津から海岸線を北に行ったところのです。遠くの海が両津湾。


上の写真の田んぼの横の道を下ると、川の河口に出ます。遠くの山並みは小佐渡山脈。船から見るのとは景色がだいぶ違うことに、私もびっくり。

こうやって並べて見ると、ずいぶん寂しい場所ばかりね。

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病室の人2

2007-04-12 10:29:56 | Weblog
ざっくばらんなおじさんは外泊中で、私たちが入室したときはいなかった。
おじいさん、何の病気かね、と声をかけてきたので、私も浅はかにもついいつもの調子で、
「泌尿器科って札がありますけれど、どうなさいました?」と聞いてしまった。
女の人にはないものだよ。手術したけれどとれなくてね。ま、悪くならないようにしただけさ。この点滴が合わなくて、吐き気がして食欲がないよ。
ここの部屋は隣もガンだよ、な。
といとも簡単に隣のベッド、チョイうるさ型おじさんに話しかけている。
「あれま、私、周りにいないものだからつい軽く聞いて・」
いいのいいの、俺気にしていない。どうなるものでもないから。
と心底明るくいってくれるから助かった。でも、やはり簡単に病名は聞いてはいけないことだと深く反省する。
おじさんは、また戻ってくるよ、と退院して行った。

で、うるさ型おじさん、俺、腎臓ガン。痛くてね、座薬で抑えているんだ、6時間おきに入れてるよ。とその割りに平気そう。
私はこのおじさんにも、つい気軽に、というやつをやってしまった。
「もうどのくらい入院しているんですか?」
100日越えたかな
「わあ、もう飽き飽きですね。」
飽き飽きってもんじゃない、長いよ、出たり入ったりだけれどな。
つい、いつもの口調で言うところが思慮が足りない。浅はか、おばか。
恥ずかしいでしょ!と突っ込まなくてはならないよね。

で、このおじさん、いい人だ、といおうか、面白い人生を歩んできていると、私は思う。おじさんも、俺は幸せだと言ってるものね。

若い頃は、どんなにいい男だったろうと想像させる風貌で、80才前後の方にしては、背もすらっと高い。姿勢もいい。
フレンチレストランを出していたそうな
パリ、リヨン、ニースと、フランスで修行したそうで
もちろん東京でも
福田首相のときにパーティを仕切ったとか浅丘ルリ子ノ妹の披露宴の料理を作ったとか
料理は、奥が深いよおーが口癖で

そして、24、5のお孫さんが洗濯物を持ってきて
「おじいちゃん、アメリケーソースの(これでいいんだっけ?)作り方教えて。」と、メモを出しているの。
「材料は、・・・エストラゴン・・・・ブーケガルニもいるよ。」
「なにそれ?」とかお孫さんは聞いている。
「作り方は、、、、、、えびを漉して、、、、2時間くらい煮込んで、、、」
「えーーーっ、そんなに時間かかるの?」
孫とこんな会話が交わせるおじいさん、ちょっとうらやましい。

俺も月曜日に退院しよう、秋田に行って来るよ、釣りしよう
まだまだ勉強しなくては、娘の方がフランス語も英語もぺらぺらだもんなと、どこまでもポジティブ。

やっぱり、病室はいろいろなことを考えさせてくれる。
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病室の人1

2007-04-12 09:49:29 | Weblog
しつこいとは思うのですけれど、もうちょっと書きたいのです。ご勘弁のほどを・・・

父のように新入りの病人及び付添い人は、1日2日は先客の皆さんに様子見される。私ももちろん様子見する。目をなるべくあわさないようにする。カーテンを引き回してバリアを作る。これって結構鉄則かもしれない。

で、そろそろ・・・ね。
お父さんのいびきすごいねと言ったチョイうるさ型の人
ざっくばらんそうなおじさん
隣のベッドの新高校1年生の男子
この4人が412号室の住人というわけ。

この高校1年の男子は、入学式の日に手術と相成ったそうで、本当に運が悪い、といおうか不安でいっぱいだっただろうなと想像する。人生真っ暗な気分だといっても大げさでないだろう、と思う、といたく同情する。
この高校君がね、ちょっとしたものだったわよ。
手術後のおしっこをべっどで○○んを使って出すことを断固拒否する。
ま、1,2度は看護師さんもあきらめて戻っていくのだが、そろそろお腹が膨らんできているらしく、説得にかかった。でも、トイレに行くと頑張る。
そんなことはできないの、傷口が開いたらそれで命を落とすでしょ
おしっこの毒が体中を回ってしまうよ
明日になればトイレに行けるんだから
私たち外に出ているから、それならいい?
先生呼ぶよ、男の先生だから、大丈夫でしょ とかなんとか必死。

高校生よ、そりゃあは恥ずかしいことは分るよ、そんなもんじゃ出るものも出ないよね、ましてやそういう年頃だもんね。と私も一応の理解は示す。
でもな、この先もっともっと恥ずかしいことはあるぞ、そんなもん、えいやっってやれ!!ちょっと我慢すればいいんだから。夜の夜中に病室中大騒ぎさせるんじゃない!看護師さんやDrの手を煩わせるんじゃない!!とだんだん怒ってくる。聞いているのも悪くて、その後は部屋を出たからどうなったか知らない。
そして、翌日からも怒りはますます増大することに
君、看護師さんや先生が挨拶したら挨拶を返すのが礼儀でしょ!
本当は君からご挨拶だよ!退院するときは、病衣くらいたたんでおきなさい!布団くらい整えておくの。そういうことをしないことの方がずっと恥ずかしいでしょ。
お母さん、息子にやらせなさい。あなたもそのままにして部屋を出て行くことはないでしょ。と、このおとなしい私の突っ込みはどんどん激しさを増し、怒りで憤死するところでした。

長くなったので一回投稿します。
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お口直しに

2007-04-11 21:42:58 | Weblog

病気ネタばかりで暗くなっちゃいますね。こらえ性のない私なので、あちこちに撒き散らさないと。仕方ないとお付き合いくださいませ。品格出ている?

それにしても横浜は暖かい。桜は散っているんだ。残念です。
土曜日佐渡に緊急上陸したときは、白木蓮が満開。桜は3分咲きといってところだったかしら。新潟は5分咲きくらい。
佐渡や新潟では入学式に桜はセットじゃあないのね、改めて実感した次第で・・・

散歩していたときに撮った写真を見てお口直しをしてください。
ご存知ふきのとう

これもお馴染み

ヒメオドリコソウ。本当にダンスしているみたいで

崖に咲いていました

同じ崖でもこちらは下のほうに。是非花の名前を知りたいのですが・・・

 新潟の病院近くの家の生垣です。お見事!

我が庭の一角。アプリコットカラーがちょうどいい具合に。よくぞ咲いていたと愛でています。

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やっぱり

2007-04-11 14:24:49 | Weblog
ダメだわ。朝はあんな大口たたいたのに、暖かくなるにつれて、目も頭もぼんやり。行く気満々だったスポーツジムも取り止め。代わりといってなんですが、退会届を出してきました。(泣く泣くよ)

で、母は3月29日に介護施設に入所できました。300倍もの狭き門をくぐって。

施設から突然「入所できますよ」のお知らせをもらったときは、自分たちで申込用紙を提出していながら、あまりの早さに気持ちが追いつかず、夜、少しばかり考え込んでしまいました。近くの病院に転院してから1ヶ月も経っていないのですもの。300人待ちと聞かされたときは、すっかりあきらめていたのですから。
それがそれが・・・・
翌日、施設の人が説明してくれて、中を案内してくれて、やっと安心しました、といおうか区切りがつきました。

それでも、書類を提出に行った役所の福祉課の人に、
「なんだか変な気持ちで。自分たちの望んだことなのにね、気持ちが追いついていかないのよ。長く待っている人たちにも申し訳ない気持ちです。」と訴える始末。本当に人間が未熟だわね。我慢ができない。
やさしい福祉課の人は、「分ります、その気持ち。入れるって電話もらったら断った人もいたのよ。」と、慰めてくれました。

というわけで、母は施設の住人になりました、このたびの騒動を見越したように。母の世話は全く要らなくなりましたから。どこまでも子供孝行な母です。そんなわけで、安心して父の看護に当たっているというわけです。



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ハイテンションが

2007-04-11 09:47:42 | Weblog

続いているようで。
どうも眠いのに、明らかに睡眠不足なのに、眠れません。そして、体もピンピン動くのよ。変ね。

入院した金曜日は、看護師さんが2時間おきに傷口の具合を見に来てくださる、出血したので処置も。2回目の出血はシーツまでも汚した。尾篭な話で申し訳ありませんが、父はおしっこを尿瓶で処理。その後始末でそれでまた目が冴える。簡易ベッドの私は一睡もできませんでした。うん。

土曜日の朝6時のカーフェリーで一度佐渡に。だって思い起こしたら入院仕度だけ、火の始末だけ、戸締りだけしてきて、後はほったらかしだったのです。ゴミだしどうしようかな?風呂の水は?茹でたもやしがそのままだった!カーテンを閉め忘れたetc・・・ああ、気になる。
9時近くに家に着くや否や、頭はフル回転だったわ。体は今までにない素早さで動いたわ。我ながらすごい、感心する。やればできるじゃん、の心境。
しかも、偶然、親戚が用事で訪ねてくる、一つ一つ説明していかに大変だったかをせこく強調する。お隣さんもどうだった?と聞きに来る。
それから、返却日間近の本を図書館に返しに行く。母の介護施設に、様子を見に行く。このときは、自転車が大活躍。
風呂に入る、髪の毛を洗う、洗濯機を回す。入院時に足りなかったものを用意する。疲れました。よくやったと自分を見直して。
カーテン閉めて、12時半の船で新潟に折り返しました。高速船にしようかと思ったけれど、体を伸ばせるのは、カーフェリーしかないと考え直し、ビールを飲んで横になったわけよ。いつもならここで間違いなく睡魔が襲うのに、眠れませーーーん。あきらめて週刊誌を読んで。

さすがに、土曜日は8時ごろから爆睡ですよ。なアーーんも覚えていません。5時まで。起きたら前のベッドのおじさんに
アンタのお父さんのいびき、すごいねぇーーと、軽く抗議されて平謝り。
その洗礼を私は日曜日にしっかり受けました。いやぁーーすごい。ここまでとは思わなかった。蹴飛ばしたくなった、揺さぶりたくなった!!!それが夜12時ごろまで。その後?今度はトイレ通い。ほら年寄りだからね。何しろベッドとベッドの隙間に50センチくらいのベッドで寝ているのだから。父がトイレに行くたびに、点滴スタンドがゴツンゴツン当たるわけですよ。あれほど夜は尿瓶でしてね、と言っておいたのに
うとうとしたと思ったらそういうわけで、明け方まで3回も行かれては眠れませんっつうの!

月曜日はどうしたか?隣の窓際のベッドが空いたから窓とベッドの間に避難しました。もしかして空いたベッドに寝たんじゃないの?と思った方、ゆめゆめいませんよね。おかげさまで切れ切れに4時間くらい眠れました。

昨夜は、寝てやる、と意気込んだためか、12時過ぎてもダメ、で、朝は5時には目が覚めてしまった。
それにしても同室の人、付き添いのお母さんに『ご主人ですか?』と聞かれたのには、唖然を通り越して憮然
一連の出来事の中でこんな悲しいことはない

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救急車に

2007-04-10 20:58:51 | Weblog

3回も乗りました、1日の内で・・・結構すごいことだと思いません?
家から病院まで。
病院から佐渡汽船両津港まで。
佐渡汽船新潟港から新潟の病院まで。

救急車友が、父が肺炎で去年の6月に入院したとき、
「あんたぁ、これからさ、これでもかこれでもかということが起きるわよ。」と予言してくれたことがそっくり実現したわけで・・・

6日金曜日の早朝、父が「右足が痛い、夜中からずっと痛くなった。」というのです。見ると脛から足先までが青白く血が通っている様子が見えません。そして冷たい。でも、その時点では何が起きているのか分らず、ま、様子を見ようと二人して構えていました。でも、そのうち、痺れるような感じがするというので、これはダメだ、何かが起きていると思い
「とうさん、救急車呼ぶよ、仕度して。」と渋っている父を追いたて、私も着替えました。救急車の音で、またもやお隣さんが飛び出てきてくれて。

7時過ぎだったでしょうか、病院に着くなり緊急診察、検査。結果は、
「佐渡では血管外科がありませんから、新潟に行ってください、病室が空いているかどうかの結果が分ったら、すぐ出発します。」と宣告されました。8時半頃、病室が空いていることが分り、それからがあれよあれよという出来事でした。全く何がなんだか分りません。
「9時半のジェットフォイルに乗るからね、できるだけ早く準備して!」
そう言われたって、と思いつつ家に走って帰り、父の入院バッグ(これは準備してある)、私の泊まりこみ用意を持って自転車に乗りましたよ。お隣さんに後は頼むねと、お願いして。

9時頃には病院に着いたでしょうか、すぐさま救急車を依頼して、両津港に。父はストレッチャーに乗ったまま、船室へ。医師も看護師さんも付いていてくれることがどんなに心強かったことか。船内で、様子をしっかりチェックしてくれてましたから。1時間があっという間に経って、新潟港には頼もしくも救急車が待っていてくれました。
設備の整った新潟の病院で診察の結果、父は、右足のひざの動脈の血管が詰まって、脛から下に血が流れていない状態でした。

担当医師はラグビーの平尾選手のような感じの人。
「だから、ここが詰まっているんだよ、血が流れねーんだ。いちかばちかカテーテルを入れてこの血を吸い上げて、成功すれば御の字だろ。やってみる価値はあるだろから、ま、前向きに考えて。だから今すぐやるんだってば、やんなきゃ他に回るかもしんねえだろ。手術室が開いたらすぐやるよ。」
というような意味のことをやくざ口調で言うわけですよ。(そのつもりで言ってください。)ははーー、よろしくお願いします、というしかないでしょ。ね。40分の短い時間の手術で無事成功。その血の塊を見せていただきましたが、魚の血がぴったり!これが悪さの原因か、としみじみ眺めたわけです。

そんなこんなで父は順調に回復し、日曜日には退院することができます。病院という一番安心できるところにいる間に、私は横浜に帰ってきました。だって、6人部屋のベッドとベッドの隙間に4日間も寝ていたら倒れてしまいます。今夜は久しぶりに風呂に入って、広いベッドで寝られます。うれしくなってしまう。

それにしても、救急車って酔うわね。発見しました。

 

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心配になったの

2007-04-01 13:43:25 | Weblog
昨夜は眠れないくらい。(うそうそ、大げさ)ちょっとタイトルのことは後回し、忘れるから。

♪たんたらたったたぁ~たぁ~♪たんたらたったたあ~↑ 今朝もラジオ「音楽の泉」のテーマ音楽を聴きました。続けて「音楽の泉」というナレーションも。

3月に横浜に帰ったとき、いつもの3人で集まった折に、このテーマ音楽の後、すぐにスイッチを切ってしまうという話をするつもりだったのよ。そして私が如何に音楽に興味が持てないかという話に続けようと思った途端、年上友が反応したの。「えっ、まだその番組やってるの?」って。やってるやってるって二人でハミングしたわ。
で、私が「昼の憩いって番組覚えてる?あそこでさ、○○農事特派委員からのお便りです。ってまだのんびりやってるよ。」というと、またもや二人で、 ♪たーあーたらたららら~とハミングして盛り上がるのよ。
今度は年上彼女が「歌の明星って言う歌謡番組があったよね、」と。「うんあったあった、♪輝きよ輝きよ~とかいうんじゃない?」とか言ってまたもや盛り上がる。年下友は、なにそれぇーーーーってな感じで、冷たく二人を見ているわけよ。
「あなたさ、白黒テレビをカラーで見る方法知ってる?」と聞くと???
「テレビにカバーもかけてたんだよ、コブラン折みたいな分厚い布でさ、下に、ほらあの人(年上友よ)のセーターのよれみたいなのがさ、ひらひらついていたんだ、知ってる?」もちろん????

私たち3人の年の差は8歳。年上友が3歳、年下友が5歳違う。 3歳の開きはそうでもないが、5歳の違いってずいぶん大きいのね。

で、心配ごと。このブログをちゃんとログアウトしたかなってこと。まいっちゃう。
記憶するにはカメラみたいに目に写しているから、頭にインプットしないから、曖昧になってしまうのよ。だから、今日急いで来たわけ。(なんだ、と思われているだろうなあ)
今日の佐渡は、黄砂のためか山がまったく見えません。いやな感じの天気です。
佐渡の桜は、やっとつぼみの先がピンクがかって来たというくらいです。ではまた
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