電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

菅谷昭『新版 チェルノブイリ診療記~福島原発事故への黙示』を読む

2011年11月16日 06時01分27秒 | -ノンフィクション
旅の空で読む本を探していた時に、書店の棚の中で、『新版 チェルノブイリ診療記』という文庫本をみつけました。著者は菅谷昭さんといい、信州大学医学部の助教授であった40代にベラルーシ共和国に渡り、チェルノブイリ原発事故被災地で、子どもを中心として甲状腺ガンの治療にあたった人だそうです。現職は、2004年から松本市長とのことで、異色の経歴を持つ政治家と言えましょう。本来であれば、時の流れの中で埋もれるはずだった著作が、副題のように「福島原発事故への黙示」として内部被曝の警鐘を鳴らす役割を担うべく復活したことになり、なんという歴史の不幸かと嘆かずにはいられません。



本書の構成は次のとおりです。

新版に寄せて 福島とチェルノブイリ
はじめに ベラルーシの夕陽
一、決意 私が医者になった理由/チェルノブイリとの出会い/汚染地域での甲状腺検診/ミンスク行きの決断
二、ベラルーシの汚染現場 厳寒の街/切れないメス、壊れた手術台/ベルトコンベアー式の手術/ガン・センターの医師たち/健気に生きる子どもたち
三、事故10年目の春 激増した小児甲状腺ガン/日本の報道者/「チェルノブイリは四番目の問題さ」/ナターシャとの再会
四、不思議の国ベラルーシ 一時帰国で考えたこと/突然の手術中止/あせりは禁物/観光旅行ではわからないこと/国立バレエ・オペラ劇場にて
五、外科医の日常 日本の医療支援/恐怖の金曜日/患者からのキス/日本からの訪問者
六、人々の闘い 青年医師ヴィクターの悩み/ナースたちの願い/アリョーナの涙、リョーバの我慢/悲しみを抱えた家族
七、希望 ゴメリ再訪/ベラルーシで感じた生/濡れ落ち葉にならないためのリハーサル/たくましい女たち
おわりに ベラルーシよ、一日も早く立ち直れ
新版あとがき
解説 池上彰

目次の次に、チェルノブイリ原発事故によるセシウム137の放射能汚染地図が掲載されています。これによれば、ウクライナ共和国のチェルノブイリの周辺はもちろんですが、ベラルーシ共和国にも、ロールシャッハテストのように、蝶が羽を広げたような模様の形で、高濃度の汚染が広がっています。その濃度は、37kBq/m^2というもので、1平方メートルあたり、1秒間に37,000個の放射性セシウムが崩壊し、γ線やβ線を出している、というものです。この広がりを見ると、国土の面積のかなりの部分が汚染地域となっており、人々の日々の営みに、見えない影を落としていることがわかります。

こういう鳥の目のような全体的な視野からはわかりにくい、医師や看護師、患者や家族など、人々の生活の現実が描かれます。経済不振が医療の現場にどのようなしわよせを及ぼしているのか、検診や治療を受ける子どもたちの健気さや、甲状腺を摘出し、生涯にわたって薬を飲みつづけなければならない運命を甘受することを思うと、心が痛みます。首に大きな傷痕が残る手術によって影響を受ける恋愛や結婚期を迎えるであろう少年少女たちのその後は、レベル7の事故の現実の姿です。

ヒロシマで救援に当たった私の父がそうであったように、被曝したらその時点で終わりなのではありません。被曝者としての長い人生が待っています。治療や病気との闘いは辛いものですが、一人一人の生活には生きる喜びがあります。自分の責任ではなく、不幸にして放射線障害や病気を発症した時に、適時に適切な医療を受けられ、生活の喜びを享受して生を全うしたいものです。その意味で、福島の原発事故の影響調査が確実に行われ、原発周辺地域で被曝を余儀なくされた子どもたちが、不幸にして甲状腺障害などを発症した時に、わが国の優れた医療が安心して受けられるよう、医療と保険システムが健全に維持されることを願ってやみません。


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