徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

柳川から柳川へ帰る人

2016-11-15 20:18:13 | 文芸
 今年の3月頃だったか、わが家の近くを歩いていると、スクーターにまたがったオジサンが近づいてきて、「柳川に帰るにはどう行ったらいいですか?」と。かなり年季が入ってそうなスクーターを見ながら「エ!これで?」と言うと、「そうです!」とおっしゃる。3号線は危ないなと思い、208号線に抜ける県道を教えた。礼を言って去って行くオジサンを見ながら、ふと、ここも柳川だったことを思い出し、あのオジサンに教えてやればよかったなと・・・。
 実はわが家のあたりはその昔、柳川丁と呼ばれていた。加藤清正公が、関ヶ原の戦で西軍について敗れた柳河立花藩の家臣団を預かって住まわせたので柳川小路と呼ばれるようになり、明治以降、柳川丁と呼ばれるようになった。今ではわずかにバス停「京町柳川」にその名残りを残すのみとなったが、この町で生まれ、小さい頃から祖母や父から「柳川丁」と聞き馴染んでいた僕にとっては、福岡県の柳川にもとても親しみを感じる。


熊本市京町2丁目には柳川丁の記念プレートが


水郷柳川名物川下り


北原白秋生家のサゲモン




 柳川と言えば北原白秋。白秋の詩集「思ひ出」には、少年時代を過ごした水郷柳川を、廃市(廃れた町)と言い、街を掘り巡らした水路やたった一つ残った遊女屋懐月楼や古い白壁など、故郷の水郷の町の廃れゆく姿とそこで暮らす人々の哀感を、愛情を込めた眼差しで描き出している。
 花童が踊る「水辺立秋」は、この詩集の中から「柳河」、「立秋」、「水路」などをモチーフとして、白秋の詩の世界を表現している。白秋の詩集を読んだ上でこの「水辺立秋」を聴くといっそう味わい深い。