徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

淫楽のはなし。

2023-06-14 19:55:37 | 古典芸能
 津々堂さんのブログ「津々堂のたわごと日録」に江戸前期の熊本藩士・山崎半彌が著した「歳序雑話」に書かれた祇園社(現在の北岡神社)の「祇園会(ぎおんえ)」のことが紹介されていた。かつてこの祭は旧暦6月14日に行われていた。今年の暦に変換すると7月31日に当たるらしい。
 この「歳序雑話」については以前僕もブログに取り上げたことがあるが、祇園社の下を流れる坪井川には遊舟が浮かべられ、舟上では酒食とともに音曲を楽しむ風景が描かれている。その中で気になったのが「倡瞽ハ淫楽ノ器ヲ鳴シ、淫風ノ歌ヲ謳ウ」という一節。これは「盲人の音楽家がみだらな楽器を演奏し、みだらな歌を唄う」という意味に解釈できるが、「みだらな音楽:淫楽」という表現が気になった。山崎半彌という藩士は陽明学にも明るかった識者と伝えられるので、江戸前期の儒者熊沢蕃山の著書「集義和書」(1676年頃)を読んでいたと考えられる。その「集義和書」の中に「天下の人心、正楽なき時は、必ず淫楽(インガク)をこるものなり」という一節がある。ここでいう「正楽」とは雅楽や武家の式楽である「謡曲」などを指し、「淫楽」とはいわゆる民俗楽を指したものらしい。山崎はこの「淫楽」という言葉を引用したと考えられる。つまり武家社会と百姓・町人との厳然たる差別を表した言葉ということだろう。


その昔、祇園会で倡瞽が淫楽を奏でた坪井川・一駄橋付近(宗禅寺より)

 「淫楽」とされた「古浄瑠璃」の一つ「外記節」は江戸後期に廃れていたが、十代杵屋六左衛門が「外記節」を長唄に取り入れ、「外記猿」などの新しい長唄を創った。

2015.12.23 花童あやの卒業公演より

サマータイム随想

2023-06-12 22:55:28 | 音楽芸能
 ニューオリンズ・ジャズ・ハウンズのライブ演奏「Summertime」で田村麻紀子の饒舌なクラリネットを聞きながら、二つの「Summertime」を思い浮かべていた。一つはこの曲の作曲者ジョージ・ガーシュウィンのオペラをもとにした映画「ポギーとベス」の中で歌われる「Summertime」。僕が中学か高1の頃に見たのだが、その少し前に見た映画「カルメン」と混同してよく間違える。こちらはビゼー作曲のオペラ「カルメン」をもとにしているのだが、実はこの2本の映画、いずれもオットー・プレミンジャー監督作品で、オール黒人キャスト、しかもヒロインを務めたのはどちらもドロシー・ダンドリッジという紛らわしさなのだ。
 そしてもう一つの「Summertime」は映画のタイトルで邦題を「旅情」という。デヴィッド・リーン監督の名作で個人的にはオールタイムベスト3に入れたいくらい好きな作品。
 いずれも忘れられない思い出の名曲そして名作である。




映画「ポギーとベス」


映画「旅情(Summertime)」

荷物にならない伊勢土産

2023-06-11 20:11:37 | 伝統芸能
 今朝の日テレ「シューイチ」では「日本のおみやげ文化」について取り上げていた。そして「おみやげ文化」が始まったのは江戸時代中期から後期にかけて起きた「お伊勢参り」ブームによるものだと解説していた。
 「お伊勢講」によってやって来た参詣者にとって、村に残った人たちへ手ぶらで帰るわけにもいかなかったのだろう。しかし、鉄道が敷かれた明治以降はともかく、江戸時代の移動手段は専ら徒歩。たとえば熊本から「お伊勢参り」へ行くには片道だけでひと月を要する。保存がきかない食べ物は持って帰れないし、乏しい予算では買えるものも限られていただろう。そこで「伊勢暦」などとともに「荷物にならない伊勢土産」としてが喜ばれたのが「伊勢音頭」。伊勢に滞在している間に宿や花街で聞き覚えた「伊勢音頭」を故郷へ持ち帰るのである。こうして「伊勢音頭」は日本全国に伝播し、祝い歌・祭り歌・踊り歌・座興歌・宴席歌・労作歌などとして様々な形に変化しながら唄い継がれた。


歌川広重「伊勢参宮 宮川の渡し」

 この「荷物にならない伊勢土産」である「伊勢音頭」をモチーフに、本條秀太郎さんが俚奏楽として創作したのがこの「俚奏楽 伊勢土産」。

2020.2.2 くまもと森都心プラザホール 第55回熊本県邦楽協会演奏会
三味線・唄 本條秀美
  三味線 本條秀咲・蒲原サヤ子・松本美恵子・高木テイ子・平田三枝子
      立石松子・渡辺幸子・麻生美子・前田璃奈
    唄 原田靖子・斉藤省子


 「伊勢音頭」は数多の民謡の中でも人気が高く、下の映像もアクセス数は常に上位にランクされる。

2012.5.26 熊本城本丸御殿 春の宴
振付:中村花誠
立方:ザ・わらべ
地方:(唄)本條秀美
  (三味線)本條秀美社中
  (囃 子)中村花誠と花と誠の会

平安時代の熊本(2)

2023-06-10 19:02:25 | 歴史
 昨年熊本市で行われた「第4回アジア・太平洋水サミット」では、オンラインで参加された天皇陛下が、後撰和歌集における檜垣媼の歌「年ふれば我が黒髪も白河のみづはくむまで老いにけるかな」を引用して熊本の人と水の関係を象徴的に説明される記念講演がありました。
 第2回は、平安時代の閨秀歌人としてその名が伝わる檜垣の話です。

 檜垣は才色兼備の婦人であったようである。若い頃から、当時西国の首都であった筑前大宰府あたりに行っており、後さらに京都へ上って紳搢の間にも立ち交っていたらしく、「檜垣の御」などとも呼ばれて相当の敬意を払われ、近親などには当代知名の紳士淑女もあったようである。その清原元輔と相知ったのはいつ頃のことか不明であるけれども、おそらく檜垣が大宰府あたりにいた頃からのことであろうと思われる。こうして晩年、肥後に帰って白川のほとりに住んでいた彼女は、その旧知の歌人元輔の来任によって互いに旧交を温めることとなり、国司の官邸にも家庭的に出入することを許されて、ともに閑雅な趣味的生活を楽しんだようである。
 元輔の肥後における任期は当時の制度に従えば満四箇年であった。こうして彼が任期満ちてまさに都へ帰ろうとすると、檜垣は甚だ惜別の情にたえない。「もう一度どうです。京都へ一緒に上ろうじゃないですか」などと元輔に言われても、盛りもいたく過ぎ果てた婦女の身では、今さらそういう自信も希望もない。ただ在りし日の夢を偲び、今日の別れを永遠の思い出にするばかりである。

 白川の底の水ひて塵立たむ時にぞ君を思ひ忘れむ

この和歌の詞書(ことばがき)― 小序 ― は次のようである。
 清原の元輔の守、任はてて京へのぼりしに、門出のところに呼びて、はじめ筑前(一本筑後)の守なりしに程もなくこの国に来て再びあひ見つるに、今はわれも人も老いたり。また筑紫のかたに来べきにあらず。いざかし京へなど戯るに、妻の周防の命婦、物などかづけて今かく言ふと、思ひも出でじものをといひたるに。
 白川の――
いかにも文がうまく歌も才気煥発の趣きがある。こういうところが彼女の得意な一面であったらしい。しかし彼女の他の一面には、頻りに青春の盛り過ぎたことを嘆じ、一身の衰境に入ったのをはかなむ感情がその作物の上に現れている。彼女をめぐる小さい世界 ― 例えば近親旧知の身の上 ― などにも人生の寂しい姿がしばしば描かれている。思うに機知に富み理性に勝った彼女には、こうした自他の運命がまざまざと心境の上に映ずるのをどうともなし得なかったであろう。この点において、一巻の「檜垣家集」は単にそれが平安朝時代における文学的の作品として、多大の興味を有するにとどまらず、また当時の才人 ― 女性詩人 ― を中心として展開せられた一篇の人生詩 ― または時代詩 ― とも見ることができよう。(続く)


檜垣が結んだ草庵が寺歴の始まりと伝えられる蓮台寺(熊本市西区蓮台寺2)


蓮台寺の檜垣の塔


蓮台寺の桧垣の像

想像力が欠けている

2023-06-09 19:10:38 | ニュース
 マイナンバーカードについては以前から不信感を持っていたのでずっと交付申請手続きをしていなかったが、健康保険証と一体化されるという話やマイナポイントをみすみす放棄するのもどうかと思い、先月オンラインで申請手続きをした。その後、交付通知書が郵送されてきたが、ちょうどその頃からマイナカードに関する様々な問題が発覚したため、いまだ受取りには行っていない。
 今日、熊日新聞に「想像力が欠けている」と題するコラムが掲載された。まさに僕が感じていたことが述べられている。オンライン申請をした時、今年101歳になった母親の分も一緒に申請した。しかし、添付した顔写真が二度にわたってハネられた。後ろに余計なものが写っているという理由だった。幸い僕の母は家の中だったら歩けるので何とか撮影場所を探して撮り直した。その時思った。寝たきりの人やサポートする家族がいない人も大勢いるはずだがどうするんだろうと。そしてマイナカードを受領できたとしてもその後には様々な問題が待ち受けているのではないか。コラムの記者は国や行政に「想像力が欠けている」と表現しているが、はたしてそうだろうか。見切り発車したマイナカードを何が何でも走らせるために「見て見ぬふり」をしているのではないか。「誰一人取り残されない、人にやさしいデジタル化」などという美辞麗句が虚しく響く。

平安時代の熊本(1)

2023-06-08 19:35:14 | 歴史
 熊本の歴史について加藤氏時代以前となると、なかなかわれわれの耳目に触れることが少ない。
 そこで平安時代の熊本について、昭和7年に出版された「熊本市史」の中から数回に分けて転載してみたい。
 出版から既に90年以上が経ち、歴史的評価も微妙に変化していることも含め興味深い。

▼第1回
 大化の改新(645年 - 650年)以来、国郡の制度が布かれて、国には国司の任命があり、奈良朝時代には既に道君首名(みちのきみのおびとな)などの名長官があって、千載の遺芳をこの国土に伝えているが、平安朝時代における数多の国司の中でも特に有名で、あまねく後人に仰がれているものが少なくない。中にも紀夏井(きのなつい)と藤原保昌(ふじわらのやすまさ)と清原元輔(きよはらのもとすけ)などは最も人口に膾炙し、特に後の二国司はいろいろ熊本市においても遺蹟をとどめているので多く記憶せられている。その中、紀夏井は清和天皇の貞観七年に肥後守となり、翌八年に弟の罪過によって土佐国に流されたが非常に人格が高潔で徳行に篤く、しかも手腕も才芸もあり、当代まれに見る良二千石であったらしい。その流されて国境を出て行く時には、肥後の人民が道を遮り嘆き悲しむことあたかも父母をうしなうがごとくであったという。次に藤原保昌は懸社北岡神社 ー旧称祇園宮 ーをはじめ、肥後国内諸所の社寺を創建したという伝説があるが、必ずしも創建でなくても造営または再興のものもあるであろうし、とにかく敬虔の念に厚かった人であったに違いない。その肥後守受領は従来久しく疑問とせられていたが、この頃一條天皇の寛弘二年八月であるということが明らかになった。最後に清原元輔はかの「後撰集」の選者、いわゆる「梨壷の五人」の随一としてその名を謡われているが、また、かの平安朝文壇の鬼才清少納言の父としても有名な人である。その肥後守としてこの地に下向したのは、華山天皇の寛和二年 ー 元輔七十九歳の頃 ー であったらしく、当時、その愛嬢清少納言は、後に一條天皇の中宮とならせられる定子の君に宮仕えする以前であったにかかわらずどうしていたものか ― 京師に留守居でもしていたものか ― 元輔はその妻なる周防命婦と二人、老躯を提げて肥後に下向して来たようである。彼のこの地における地方長官としての事業は何らの伝わるものがない。けれども歌人としての彼は、この地に多少の業績を遺し、特に肥後が有する唯一の平安朝時代の歌人檜垣との交遊によって頗る興趣ゆたかな二三の物語を今日に伝えている。(続く)


清原神社(北岡神社の飛地境内)


清原神社の祠に納められている座像四体

「6.26水害」から70年!

2023-06-07 17:00:37 | 歴史
 昭和28年(1953)の「6.26水害」からやがて70年となる。熊本県内だけでも563名の死者・行方不明者を出す大災害は、当時小学2年生だった僕にとって未だに強烈な思い出となっている。わが家は高台なので浸水の恐れはなかったが、裏庭の崖崩れの危険にさらされた。6月26日朝の熊本市内のまるで海のような光景は今でも鮮明に覚えている。新坂の上から眺める坪井から子飼方面は、あちこちに屋根の部分だけが水面から顔をのぞかせ、その上に救助を待つ人々の姿が見え、川舟が何艘か行き交っていた。そして水が引いた後は夏の暑い太陽が照りつけ、残された汚泥が強烈な悪臭を発した。わが家には家を失った知人一家が避難してきて、ただでさえ狭い家で窮屈な生活が1ヶ月ほど続いた。
 10年前、「6.26水害から60年」のブログ記事を書いた時、熊本にも再び大災害がしのびよっているような気がするという趣旨の記事を書いたが、その3年後、熊本地震に見舞われた。下の3枚の写真を見比べていると大災害に襲われるたびに立ち直ってきた熊本の歴史に感慨を覚える。


1953年6月、水害直後の「通町筋電停」付近


60年後。2013年6月の「通町筋電停」付近


70年後。2023年6月、今日の「通町筋電停」付近

この時季聴きたい曲

2023-06-05 20:03:59 | 音楽芸能
 先月29日に熊本も梅雨入り宣言があり、まとまった雨が降った日もあったものの、この数日晴れた日が続き、梅雨はどこへ行ったのという感じだが、どうやら明日から本格的な梅雨になるらしい。
 いよいよ鬱陶しい季節に入るが、こんな時は好きな音楽を聴くのが一番。今日選んだのは ザ・ビーチボーイズの「サーファー・ガール」とダン・フォーゲルバーグの「Rhythm Of The Rain」。
 ザ・ビーチボーイズのサーフ・ロックもいいが僕は「サーファー・ガール」のメロウなサウンドがたまらない。「Rhythm Of The Rain」はザ・カスケーズの「悲しき雨音」のカバーだが、ダン・フォーゲルバーグのR&Bサウンドがここちよい。







参詣の道すがら

2023-06-04 20:49:53 | 
 今月1日に恒例の「朔日詣り」に行けなかったので、今日、朝から歩いて藤崎八旛宮へ向かった。新坂から観音坂下へ出て東へ直進、八雲通りを進むといういつものコースを進んだ。途中、路傍にオシロイバナが咲いているのが目についた。オシロイバナは秋の花で毎年たしか7月中旬頃から咲き始めていたはずなんだが。今年はやはり開花が早まったのかな。



 藤崎宮北の交差点で、信号待ちしていると、小さなリュックを背負って信号待ちしていた年配のご婦人が「暑いですね~」と声を掛けてきた。当たり障りのない気候の話をした後、「お散歩ですか?」とたずねてみた。「ハイ!毎朝熊本城まで歩いています」と自慢げにおっしゃる。多分僕より10歳くらい下だと思うが、この年代の女性は元気だなぁと思うことがよくある。世間話をしながら交差点を渡ったところで別れた。



 藤崎宮の参詣者は少なかった。拝殿の中で一組何かのお祓いをしていたが、拝殿前は赤ちゃんのお宮参りの家族が一組いるくらいだった。
 お詣りを済ませた後、古書の掘り出し物でも出てないかと久しぶりに上通の舒文堂に向かった。上通並木坂で先日の雑居ビル殺人事件現場の前を通った。ビル入口に花束が山と積まれていた。遠目から手を合わせて足早に通り過ぎた。早い犯人逮捕が望まれる。


 特に今必要とする本もなかったので帰路につく。帰りは並木坂から上林の通りへ入った。宗岳寺の前を通りかかった時、ふと森鴎外のことを思い出した。「小倉日記」によれば、明治32年9月に熊本を訪れた森鴎外は、宗岳寺で井沢蟠龍子(国学者)の墓を参った後、熊本城内を通って本妙寺へ向かったと記されている。人力車も使っていないようだし、軍医でもあった鴎外は健脚だったことが窺える。

揃うた 揃うたよ 踊り子が揃うた

2023-06-03 16:36:41 | 音楽芸能
 ラフカディオ・ハーンが五高教師時代に書いた「知られぬ日本の面影」を読み進めている。5月24日に投稿した「古泉の宿とハーンの夢」に書いたように和訳版ではよくわからない箇所がいくつかあるので、今日、英語版を図書館から借りて来て、必要に応じ対照しながら読むことにした。
 ハーンが初めて松江へ向かう途中、伯耆上市の宿に泊まる場面がある。そこで初めて遭遇した盆踊りの風景が描かれているのだが、その中に盆踊りで唄われる歌詞が紹介されている。
(英語版)
  Sorota swoimashita odorikoga sorota,
  Soroikite, Kita hare yukata.
(和訳版)
  揃ふた、揃ひました、踊り子が揃ふた、
  揃ひ着て来た、晴れ浴衣。

 この唄が何という曲名なのかわからないが、歌詞は明らかに「潮来音頭」や「潮来甚句」などで唄われる

  「揃うた揃うたよ 踊り子が揃うた 秋の出穂より よく揃うた ションガイー」

という歌詞をアレンジしたものと思われる。
 実はこの歌詞は、以前取り上げた「伊勢音頭」に由来する「目出度目出度の 若松様よ 枝も栄えて 葉も茂る」と同じように、各地の民謡の中に取り入れられている。はたして「潮来音頭」を起源とする唄なのかどうかは調べる必要があるが、ハーンが日本へやって来て初めて聞いた民謡がおそらくこれだったのではないかと思うととても興味深いものがある。


日本舞踊の表情

2023-06-02 21:48:33 | 音楽芸能
 YouTubeチャンネルを見ていただいている「メ・ロメロ」さんから面白いコメントをいただきました。「桧垣水汲をどり」での城北高校ダンス部の皆さんの踊りと、日頃の花童の踊りについてお感じになったことで、内容は

――女子高校生たちが皆笑顔で踊っているのが好感持てます。花童のときと演出のコンセプトが異なるのでしょうか。花童でも楽しい曲のときは笑顔で踊ればと、おせっかいな思いが少し沸きました。花誠先生スミマセン。――

 というものです。

 僕がこれまで中村花誠先生からお聞きしたことも含め、知り得る限りのことをお答えすると、基本的に日本舞踊は無表情であること。所作や動きなど一つ一つに意味があり、体全体で表現するものであり、「顔で踊ってはいけない」ともいわれているそうです。日本舞踊とは狭義には歌舞伎舞踊のことで、元をたどれば四百年前に出雲阿国が始めた「かぶき踊り」が起源といわれますが、阿国の「かぶき踊り」は能をもとにしているから無表情だという説もあるそうです。
 下の二つの映像はともに中村花誠先生の振付です。「桧垣水汲をどり」は「2013くまもとお城まつり」の一環として行われた「くまもとをどり2013」のプログラムの一つで、二の丸広場の大舞台で披露されるはずだったレビュー色の強い演目です。城北高校ダンス部を起用したねらいもそこにあったと思います。比較する意味でザ・わらべの「春は嬉しや」を掲載してみました。たしかにことさら表情をつくってはいませんが、けっして無表情という感じはしません。花誠先生の演出も能面のようにというわけではないようです。ご理解いただけますでしょうか。