雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

ジェットスキー世界戦略ー2 昔話ー23

2007-01-21 06:48:32 | ジェットスキー&KAZE
「ジェットスキー開発ー2」

先日、1984年に突如としてJS440/550が計画の3倍も売れたというお話をした。

ジェットスキーはもともと発動機事業部が開発したエンジンを使っていて、単車のエンジンとは関係が無かったのだが、突如25000台も売れて一挙に脚光を浴びたのである。

単車の開発陣が、独自の新商品を開発すべく開発NO183、158の2機種が候補にあがった。

NO183はKX250ベースの300ccエンジンを搭載したJS300.これはバイクで言えば小型の底辺層(初心者、女性)を狙った需要創造のためのエントリー型のジェットスキー。
NO158は新650エンジン搭載の二人乗りジェットスキー、X-2。

と85年2月15日の開発計画書に記述されている。
2機種とも開発され上市されたが、JS300は散々な失敗作に終わってしまうのである。

当時の単車事業部にはエンジンの専門家は沢山いたのだが、水の世界は始めての経験で、ジェットスキーにちゃんと乗れる人も居なかった。
発動機事業部にJJSBAでレースをやっているのがいると聞いて、何とか単車に貰おうと同期の藤川さんに頼み込んで、私の担当の企画に来てもらったのが、福井昇君である。

日本のジェットスキーの業界では、殆どの人が知っている、
ジェットスキープラザ明石の福井君である

バイクの感覚では、「初心者は小さいものから」は常識である。
需要を拡げるためには小さいものも開発して初心者や女性の導入を図ろうというコンセプトに、誰も何の疑いも持たなかった。

開発テスト段階で、福井君も参加したのだが、彼が乗っても「突如ひっくりかえる」というのである。
然し、彼の所属は企画部門で商品評価専門の品証部門ではなかったので、彼の意見は通らないまま商品化されたのである。

ところが水と陸とは大違いで、水の上に浮いているものは大きいモノほど安定し、小さいと不安定であるということが、はっきりと認識されたのは、JS300が発売されてからだった。

考えてみると、素人でも解る当然の理屈であるが、永年二輪の常識のなかで育った判断力が邪魔をした。今思えば不思議な話だが現実に商品化されたのである。
ウソみたいなホントの話である。

こんな失敗もあったが、新しい商品も開発し、企画部門では、武本さんやオーストラリアから帰ってジェットスキーに専念してくれた鶴谷さんと福井君、藤田君などがアメリカ以外の日本やヨーロッパ、豪州などの市場も開拓し、世界展開を図っていったのである。


その後、福井君はちゃんとしたテストをやるべく品証部に転籍し、更に独立開業して、今ジェットスキープラザ明石の社長さんである。

発動機に貰いにいかなかったら、彼はどんな人生を歩んだであろうか。
人の人生は、本当にひょんなことで、ひょんなことになるものである。

今でも時々家に遊びに来てくれる。J/Sは勿論、四輪も好きだし、二輪にも興味がある面白い男である。
昨日、店のHPでアドレスを探して、はじめて彼にメールを打ったら、直ぐ返事が来た。前回のジェットスキーのブログを見て、懐かしいと言う。これはもっと懐かしい筈である。
コメント
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