雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

安良岡健君のこと

2007-01-22 06:28:03 | M/Cレース
安良岡健君とカワサキが契約した当初は、まだロードレースは本格参入していなかったので、もっぱらモトクロスでの出場であった。

カワサキコンバットを三橋実とともにマネージしていたが、若手の選手たちの面倒見が非常によく人望が厚かった。
星野一義は健さんに手紙を出してコンバットに入ったとも言われている。当時どちらかと言えば、やんちゃなライダーが多かった中で、紳士と言える人柄だった。
東京の世田谷のお宅には何度か泊めて貰ったりしたこともある。
ライダーを止めてからも、商売の関係もあり何度かお付き合いがあった。
東北のころ、若手のライダーだった加藤君をレースに派遣してくれたりした。


そんな健さんだったが、カワサキではロードレース、特にGPレーサーの開発に尽力して貰った。
まだ、125ccのGPマシンがスズカで2分50秒が切れない頃からだったので、大変だったと思う。

私は契約だけ担当し、運営は技術部だったので余り詳しい内容は解らないのだが。

タイムが上がらないのは、マシンなのかライダーなのか、上手くいかない時によくある議論である。
そんな時期、健さんの契約問題が出たことがある。

その時、猛烈に私に意見を言ってくれたのは金谷秀夫だった
スズカから二人で帰る車の中で、
「いつ、壊れるか解らない危ない車の時代からテストさしといて、それはない。」というのである。
名神のA1のテストでミッションが焼き付いて、危なかった経験のある金谷の話は非常に説得力があった。

無理やり契約だけは、継続したのである。

66年FISCOの日本GPではじめてGPに出場したのだが、シモンズや谷口よりも安良岡がカワサキのライダーの中で一番の成績(7位)であったことは、私自身本当によかったと思っている。

昔のライダーたちが一同に会しOB会をやったのは88年末のことだから、もうあれから20年になろうとしている。
安良岡も星野、岡部、梅津、特に東の連中とはそれ以来会っていない。元気にしているのだろうか。
コメント (2)
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