雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

硫黄島からの手紙

2007-01-26 06:39:05 | 発想$感想
「硫黄島からの手紙」を観に行った。
確かにいい映画ではあったが、上映時間の半分ほど映画とは関係があるのだが、別のことを考えていた。
はじめての経験である。

映画の最初のほうで、「1944年」という年号が出た。昭和19年である。私は小学校6年生、今の韓国の首都ソウルにいた。
戦時中ではあったが、内地と違って空襲も無く、食糧難や疎開もなかった。

戦時中とはいえ、何不自由のない普通の生活であったが、戦果については詳しく教えられた。
小学校5年からは軍事教練めいたものもあった。
然し、戦況が思わしくなくなった44年頃から、大本営発表も何となく怪しくなっていくのである。

その中で、アッツ島の玉砕サイパン島の悲劇までは知っていたが、硫黄島については全然知らなかった。

どのあたりにあるのだろう。今、日本なのか。それすらも知らなかった。
信じられないと思うが、当時シンガポールは昭南島と呼ばれていた。
映画を観ながらそんなことが脳裏をかすめ、次から次に当時のことが思い出された。

戦場で伯父を失い、空襲で叔母を失った。
学徒動員で出陣する先輩たちを駅に何人も見送った。

戦後、1945年に引き揚げてきて、伯父に空襲の話を何度も何度も聞かされた。映画の中の、特に飛行機からの機銃掃射は伯父の話そのままだった。伯父を思い出し、空襲で死んだ叔母を思った。


そんな中で映画は進行した。映画も観ていたが、そんな戦時中のことばかりがが思い出されて、映画に集中できなかった。

映画に出てくる手紙のシーンも、満足に届かないかも知れない、本当に書きたいことも検閲があって書けない。
それに比べて、今は自由にブログなどで世界に同時に、自分の意見や思いを発信できる。
そんな平和は本当にありがたく、幸せなことだとずっと映画を観ながら思ったりしていた。

帰宅してから、いろいろと調べた。申し訳ないが、硫黄島が東京都であることをはじめて知った。


こんな沢山の人たちの犠牲の上に、今の平和があるのである。大切に守りたい。
コメント
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