雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

昭和と紀元と西暦と

2009-05-03 04:39:29 | 発想$感想
『日本史と日本地理が面白いほどわかる!』という本を買ってきて、読んでいる。
500円ほどで『歴史の謎研究会』が出している、気楽に読めるものである。

自分の記憶が確かなのかどうか解らぬが、どうも学校で日本史を習った記憶がないのである。
そんなことはないと思われるかも知れぬが、
大体日本史などはいつの時期に習うのだろうか?

小学校の時代は大東亜戦争中で日本の神話や万世一系の天皇と言うようなことはいっぱい聞いたようなことはあるし、教育勅語などは暗記していた。少なくとも小学校では日本史は習わなかった。

紀元2600年が昭和16年で盛大にお祝いなどしたのは覚えている。
(これ昭和15年の間違いだったのを宮崎さんがコメントで教えて頂きました。紀元の年数の4で割り切れる年はうるう年、昭和の年数に1を足して割り切れる年がうるう年と習いましたので、間違いなく昭和15年です。)
終戦の年、中学1年生であったが、ソウルから引き揚げてきて、翌年もう一度中学1年生から行きなおした。

旧制中学の最後の年で、途中から高校制度が出来たりして中学は併設中学などと呼ばれていたのである。
その併設中学で日本史の授業は多分なかったと思う。
英語や数学は結構レベルが高くて難しかったが、日本史はなかった。
私は中学校まではよく勉強していたと自分でも思っているので、記憶は間違いないと思う。

当時は、戦時中の日本史の教科書など体制が変わってしまって、使い物にならなかったのではないだろうか。


今でこそ年号は西暦が普通のように使われているが、1970年代には昭和の年号しか世の中では通用しなかったのだと思う。
この本を読んでみても、すべて西暦で日本史が語られている。
それが当然の、西暦が普通の時代になったのである。
 
昭和50年、1975年ごろの実話だが、
ある民事の裁判で、カワサキの海外に行っていた社員が証人で出廷し、年次を西暦で話すものだから、裁判長以下みんな理解できずにいちいち「それは昭和何年ですか」ととチェックしながら裁判が進められたぐらいである。



解りやすく書いてあって、結構面白かった。
大体、解ったのでもう一度年号をチェックしながら読み直してみたい。

紀元2600年という私たちの小学校での年号で言えば、今年西暦2009年は紀元2669年と言うことになる。
確か神武天皇からスタートしているのである。
縄文などと言う言葉は、私は学校では聞いたことがなかったのである。

私と同じ年代の人は、ほかの県では、どうだったのだろうか。


昨日から地理を読み出している。
これも結構面白い。
100年前、日本で一番人口が多かったのは東京ではなくて新潟県だったとか。
ちなみに新潟県の人口は166万人、以下兵庫、愛知と続いている。
最も少ないのは北海道で30万人だったという。

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コメント (6)
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