雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

米国大統領からの電報

2008-09-17 04:23:29 | カワサキ単車の昔話
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川重のOB会相信会で、年一回発行される会報 『相信』 が今年も送られてきた。
いろんな記事があるのだが、
昨年はその中から、田崎さんが書かれた『カワサキワールド』物語をご紹介した。

今年は高橋鉄郎さんが、 『思いがけない米国大統領からの電報』 と題して一文を寄稿されている。


非常にカワサキらしいいい話である。
そのときのアメリカ工場の責任者は、一緒にレースをやった故安藤吉郎さんである。(吉には人べんがつくのだが、探せない)

私より2年ほど先輩だが、山本隆、金谷秀夫、星野一義などを擁した創成期のレース監督である。
無茶苦茶厳しかったが、反面無茶苦茶優しかった。
この話も、安藤さんのそんな優しさが、もたらした安藤さんらしい話のように思うのである。

『カワサキのMXを確固たらしめた』中心人物なのである。


そんなことで、以下高橋さんの文章の概略をご紹介する。



『思い起こせばもう27年前の話である。
カワサキのモーターサイクル事業にとって、何といっても一番重要なマーケットは米国市場である。

ところが1980年代に入ってこのマーケットが急激に冷え込み始めた。
失業率は平均13%と日本ではとても考えられないような数字であった。
シニア優先策を取る米国にあって、レイオフは若者から始まる。
顧客の多くを占める若者の失業の増加はモーターサイクル市場を直撃し、需要は急速に落ち込んでいった。

米国におけるカワサキも販売会社、工場とも在庫は山積し、その経営は正に気息奄々たる状況であった。
工場では第一段階として100名以上のレイオフ、更に週3日操業というやや荒っぽい処理をしたが、まだ充分といえなかった。

「日本人はこの会社が倒産しても日本の工場に帰れるが、われわれはそのまま失業だ」というような不安、不平不満が従業員の中に広がってきたので、われわれは「今後生産調整のためにこれ以上レイオフは一切しない」と宣言した。
だからといって、生産を増やすことは勿論できず、工場のあったリンカーン市と相談して、余剰人員を市に無償で提供し市側で使って貰うことにした。

市のほうも予算の関係で、ペンデイングになっていた作業を進めることが出来て大喜びで、
時の市長が全米の女性市長会の会長であったことから、
当時の大統領であったロナルド、レーガン氏の聞くところとなって、リンカーン工場の責任者であった安藤さんのもとに、お褒めの電報を送ってくれたのである。

レーガンがリンカーン工場の取った処置に大変心を打たれ、これこそがプライベート企業と、その地方のコミユニテイとの関係において理想的なもので、全米で見習って欲しいと望んでいる。』

Mr Ando
I want to commend you for takinng the initiative in developing a partnership between the Kawasaki Moror Corporation and the City of Lincoln
---で始まっている電報のコピーが載っている。

『当時、全従業員350人にも及ばなかった工場が、今は2500名を抱えた大工場に成長したことを聞き、正に隔世の感を禁じ得ない。』


と高橋さんの一文は結ばれいる。
当時、高橋さんが全米を見ておられた。
現場の責任者として工場が安藤さん、販売が田崎さんだった。
みんな創成期のレースチームの仲間たちである。

電報の日付は81-10-21とある。
カワサキが一番苦しかった時代である。
そんな危機的状況を乗り越えて今のカワサキがある。


ちなみに、日本の自動車工業会のメーカーの中で、アメリカにいち早く工場進出したのは、ホンダでもトヨタでもない。カワサキなのである。
1974年に設立、工場稼動したのは1975年のことである。

こんなことをリンカーンのあるネブラスカ州も忘れていないのだろう。
リンカーンを訪れるkawasakiの人たちに、HONORARY NEBRASUKA CITIZENの盾を贈ってくれている。
89.20.OCT ネブラスカガバナーのサイン入りの、私が頂いた盾は今も直ぐヨコにある。
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三木のブログたち

2008-09-16 08:23:32 | みっきぃふるさとふれあい公園
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『三木のブログたち、最高です』

最近、本当にそう思っています。
毎朝、お気に入りの三木のブログたちをチェックするのは楽しみです。
三木の情報は、これで殆ど解ります。

情報発信力も昨今は急上昇で、アクセス数のトータルは間違いなく、三木市のホームページを超えています。
ひょっとしたら、その2倍くらいあるかも知れません。


(今朝のブログdeみっきぃの中の写真から)

さるとるさんが、『三木のブログのホームページ』などとどこかで言っていましたが、
どんなイメージなのでしょうか? 何かできればいいですね。

もっと他にもあるのかも知れませんが、私が知っている、ご紹介したい三木のブログを間違っているかも知れませんが、スタートされている順に並べてみます。

はばカフェin三木 (2005年)

えみこな奮闘記 (2006年)
この雑感日記

HERBAL YOGA 研究所(2007年)
exciteの雑感日記 
ブログdeみっきぃ  
まちづくり部(長)のあれこれ日記
市民ふれあい部長が送ります、今新しい風
僕は一生三木にいます
三木市議米田和彦議員徒然日記
大西ひできの方丈記
オンブズマン三木
さるとるファイト!
もて木みち子オレンジニュースブログ版
どうぶつのつぶや記

このまちに住みたい (2008年)

並べてみると、昨年に一挙に増えています。
どのブログのデビューもよく覚えています。

薮本さんのブログは、2007年2月にスタートされたのですが、
途中で休んでおられます。
こんなに盛り上がってきたのに、再開されたらどうかと思っています。
何も仰らないから、批判が出るので発言されたら、応援者に変わると思います。
是非、ご一考を。


このほかにも、BUG IN MIKI の主催者のまっちゃんのブログ
スパイシー八木さんのブログ
ひょこむのトモダチでカワサキのZ1オタクと自称する、カバン屋さんのホームページの右のほうは、カバンとは関係のないカワサキの情報満載です。
日本共産党のホームページも情報いっぱいです。
こんなブログの情報もあります。
このほかに、ひょこむのなかのブログもあります。


こうしてみると、三木の情報発信力も相当なものになりました。
たった、一つのブログでも、毎日或いは継続して発信されるのが、強みです。
紙の広報などと違ってタイムリーです。

そして何よりも、それぞれのブログが、いろんな形で繋がっているのがいいと思っています。
是非。 今後も新しい方の参加があれば、いいですね。


結構時間掛かりましたが、自分のためにいい整理が出来ました。
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敬老の日に思うこと

2008-09-16 04:18:47 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
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昨日はなぜ休日かと思ったら、敬老の日だったのである。

まあ言えば、我が家の日みたいなものである。
明治42年生まれ99歳の母をはじめ、年寄り家庭である。
柴犬のLoveまでが、御年14歳だから、敬老に値する年齢である。

私は、今年75歳、後期高齢者の仲間入りをした。
クルマにはもみじマークか、落ち葉マークを貼っている。
昨日、スーパーに買い物に行ったら、敬老の日の特別サービスで、5%の特別サービスがあった。


押しも押されもせぬ、高齢者の家庭である。

何も威張れるものははないが、今のところ健康なのがいい。
何だかんだというが、最後は健康が第一である。

人生の中で、地位や肩書きもその一瞬は悪くはないが、今は大して役にも立たない。
金もあるほうがいいのだろうが、持って死ねないのだから、元気なうちにとも思うが、別に使いたいものもなくなってくるから不思議である。

最近、家で一番金に気前のいいのは、99歳のおばあちゃんである。
我が家でただ一人、敬老の日のお祝いを市から2万円も頂いたが、全部私に小遣いにと渡してくれた。
いつまで経っても、子供扱いである。


敬老の日で、自分が敬って貰う立場であることは解るが、全然そんな気がしない。
自分より年上の人を敬う日ぐらいにしか思わない。

現実に、至って元気である。
私自身は、65歳であった10年前と殆ど変わっていないというか、比較してみるとこんな具合である。
ホントかと思われるかも知れないが、ホントである。
還暦をお迎えの団塊の世代は多いらしいが、まだまだ人生今からです。
大丈夫です。頑張って下さい。


まず、10年前よりも、明らかに進歩しているもの、
そんなのあるかと、思われるだろうが、それがあるのである。
順不動に羅列してみる。

体の柔らかさ  筋力  ゴルフのショット 
パソコンやネットの知識 写真の知識  
バラの知識 囲碁 
血圧他体調

考えてみると、自由な時間が出来て、好きなことを好きなようにやっている。
日に1時間はストレッチをする。通っていた整骨医に奨められてやり始めて5年にはなる。何歳になっても鍛えれば筋肉は付くし、その筋肉は柔らかくなる。
相撲取りのようには行かぬが、真似事は出来るくらいの柔らかさで、自分の若いころよりは数段柔らかい。
現役のころやっておけばよかったと思う。ゴルフのショットがいいのは道具と柔らかさのお陰である。

パソコンは触りだして4年目である。
現役のときは、見向きもしなかった。ネットやブログやSNSやカメラのお陰で、生活が変わった。

ストレスがなくなったからか、体調は至っていい。
血圧もいい。特に血液検査はその体型からは考えられないと医者が言うほどいい。
70歳以上が受けねばならぬ運転免許の事前講習での、反応や俊敏性などの審査では、35~50歳の若い部類にコンピューターが判別してくれた。



年寄りらしく10年前から、間違いなく退歩したもの、
これも当然ある。

物忘れ
目     
ゴルフのスコア
収入  

物忘れは人並みに悪くなった。突如として忘れ、突如思い出す。
一番衰えを実感するのは目である。
1.2と普通の視力はいいのだが、動態視力は全然である。0.6と半分になってしまう。
ゴルフのショットは最高にいいのだが、スコアはダメである。アプローチとパットが全然である。
どうも技術よりは心構えのような気がする。

60歳代のゴルフの目標スコアは、
ショット50以下パッと32以下で計82以下が目標だった。
今の実績は、ショット50以下は意外に大丈夫なのだが、パットが40以上になったりして、90以上叩いてしまうことが多いのである。
脳外科の先生に、『ゴルフはいいですよ。ただパッとはあまり真剣にやらないほうがいいかも知れない』この忠告が効いているような気がする。

でも、これはまだ希望があると思っている。
あと5年で、どんなことになるのか、想像できないが、もし今の体の柔軟性が保てたら、今ではとても不可能だと思われる 『ゴルフのエイジシュート』を
『80歳になったら挑戦する』と宣言したいと思っているのだが、無理かな?


とこんな太平楽なことを言っている、ネアカな性格がいいと思っている。
これでも68歳のとき、札幌で頭にきて怒ったら、突如『くもまっか』になった。
生死の境を彷徨ったが、手術も何もせずに元通り以上になった。

所詮、人間『運』かも知れない。ひっくり返った場所が良かった。
いい病院と、いい先生にもめぐり会えた、これは『運』だと思っている。

なるようにしかならない。 そんな風に思って生きている。



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MCFAJ第10回全日本モトクロス、朝霧高原

2008-09-15 04:20:19 | カワサキ単車の昔話
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1週間ほど前の話だが、9月のはじめに山本隆君がブログを更新した。

昔々のMCFAJ華やかであったころの全日本の話などがその内容であった。

彼のブログをずっとフォローし続けていたのだが、
このときの写真などはB-8Mの初号機ということなので、私のレース担当前のことだし、じっと眺めてだけいたのである。


私が初めてナマでモトクロスレースを見たのは、
この写真のころから1年後の山本隆君がはじめて全国レベルの大会で優勝した1964年第10回MCFAJ朝霧高原でのモトクロスなのである。
勿論カワサキにとってもはじめての、優勝であったのである。

そのことは、次のブログにとあったので、次回からはまたフォローしようと思っていたのである。


ところが、このブログのコメントで、既に前哨戦は始まっていて、私の名前も出てくるし、私が覚えていないことまで出ているのである。
そのやり取りは、こんな風である。



『このころはまだレースに関係してなかったと思います。朝霧のオープン優勝は見ました。
| rfuruya1 | 2008/09/07 5:05 AM | 』


とだけ、簡単にコメントをしたのである。
それが9月7日、今年の全日本モトクロス第8戦、名阪での近畿大会の当日である。
このVIP招待パスも大阪の古川さんに送って頂いていたのだが、すっかり忘れていたのである。
上の簡単な私のコメントに対し、山本君はこんな風にコメントを返してくれている。


『rfuruyaさん。
今日は名阪の全日MX近畿大会です、私は欠かさず観戦に行ってたのですが、今回同行者がいなくてとうとう欠席してしまいました。
今回の思い出の名場面!シリーズですが、仰るとおりカワサキも私も「MCFAJ全日本MX」初挑戦の朝霧高原は、MX界の荒法師 荒井市次さんを無名に近い私が最終ラップに劇的に抜き初優勝を飾った記念すべし大会です。
超マデイーコンデションのせいも有りゴールチェッカーが私にウイニングチェッカーを振らなかったおまけ付きのレースでした。
rfuruyaさん達の周回記録が大きくモノを言った事も覚えています。
| 60おじさん! | 2008/09/07 3:06 PM |                』



実は昨日まで、このコメントを見ていなかったのである。
コメントを書かれた日は、9月7日。レース当日である。
春の名阪スポーツランド全日本第1戦は、山本君と一緒に出かけたのである。
多分、彼は私から声が掛かると思っていたに違いない。
悪いことをしたなと思っている。

それはそれとして、レースを初めて見た私は、山本が優勝したのは覚えているが、その相手が荒井市次君だなんてことは、全然覚えていない。
チームの一員としての参加だったから、周回数のチェックやサインボードを出す手伝いをしたのだろうが、それもよく覚えていない。

確かに泥んこのレースだったが、チェッカー旗が振られずに、私たちの取った記録がものをいったなどは、皆目覚えていないのである。
ところが、このやり取りを見て、山本隆のファン代表みたいな、RM250さんが、こんなコメントを送っている。



『ドラマがありますね。
荒井さんと60おじさん!は因縁の関係だったのですね。
rfuruyaさんの周回記録に助けられた?
いろんなものが繋がっていて実に面白いですね。
この3人全ての方に面識があるのもブログの繋がりのおかげです。
面白いですね。
この秋の”ON ANY SANDA”(10/12開催予定)でまた60おじさん!の勇姿が見れるのを楽しみにしています。
私も今回は出走する積りでいます。
| RM250 | 2008/09/10 9:47 PM |              』




三木のアシックスパークであった、ON ANY SANDA で、昨年荒井市次君と山本隆君がバトルを繰り広げた。
そのときの様子を 『ヴィンテージな走り、荒井市次、山本隆』とブログをアップしているが、
RM250さんとは、そのときに初めてお会いした。
その、荒井市次君も最近帰らぬ人となってしまった。
そんな3人と面識のあることを、ブログの繋がりと言っているのだが、

実は、昨日私はRM250さんにコメントで教えて貰って、縦長に写した写真がヨコに寝転んでいる形から、ちゃんと立って収めることが出来るようになったのである。


ブログの繋がりは、いろんな形で繋がるものだと思っている。

山本君には、『秋の名阪にご一緒できなかったお詫び』と、
RM250さんには、『写真が回転できたお礼』の積りでこのブログアップしました。
古川君、折角招待状送っていただいたのに、スミマセンでした。


ちょうど1週間たって、60おじさんブログを更新した。
今度はホンダs600の話である。

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三条市and三木市、その後

2008-09-14 04:42:53 | みっきぃふるさとふれあい公園
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三条市長の国定さんが三木市にお出でになってからもう1ヶ月である。

夏の甲子園に新潟県央工(三条市)の応援に来られて、その足で三木まで来ていただいたのである。

不思議なご縁で、半日を一緒に過ごさせて頂いた。
その後、三条と三木はいろんな意味で急接近である。

三条市長日記にはたびたび三木のことが登場したり、三木のブログたちの間でも三条が話題に上がったりしている。
新潟のケンオードットコムには、三条のことも三木のことも取り上げられたりした。

昨日の三条市長日記は『ときめき新潟国体』と題されて、国体施設のことに触れておられるのだが
それに関連して、さるとるさんのブログと一緒に私のブログもリンクして頂いた。
お心遣い有難うございます。またアクセスが大きく飛躍します。




ホントにたまたまだが昨日のブログには、三木市の施設のこととその感想を漏らされた、三条の国定さんのことに触れているのである。
確かに、三木のいろんな施設は素晴らしい。
その負担で、今ちょっと苦しいこともあるのだが、先人が残された資産はそれを上手に利用することで十分お釣りが来るはずである。

三条市は国体で馬術競技を担当されるのだが、『三木ホースランドパーク』の施設は、うらやましいと思われて当然である。
ローバーさんが、第1号に上げられるように『三木の宝』だと思う。

上の写真は、『なぜホースランドパークが三木に来たのか?』
熱心に担当者から説明を聞かれている国定さんである。
あと2人が『熱血漢、丸坊主クンとさるとるクン』です。

などと、私はブログで触れているだけなのだが。



9月28日に行われる 『越後三条鍛冶まつり』 には、
三木のJCの「熱血漢丸坊主」くんと三木市職員の「さるとる」くんらがクルマで陸路新潟までお邪魔しようと計画している。

それを三条国定市長大歓迎の姿勢なのである。
「さるとる」くんのブログには、これだけではなしに、新潟行きのことが熱っぽく何度も語られている。
それに国定さんがコメントで応じられている。

これは、特筆ものである。

普通どこでも、市と市、市長と市長の提携、連携が普通である。
市長と一般市役所職員、JCメンバーでは、『格が違う』 と直ぐ日本では言われそうである。

『そう言われない国定さん』に大拍手である。

これが、どのように発展するかはまだ解らない。
秋には、三木でも「金物祭り」が行われる。

今までは、三木の金物以外の展示即売など、『実績はない』
『実績のないこと』はやらないという、昔流の考え方か、
『市長でも、一般の市民大歓迎』の新しい時代の流れの姿勢か。



どんな風に、進展するのか興味を持って見つめている。
私は、当然『新しい時代にそった「異地点間連携」に大賛成』である。

こんな話になった、もともとは武雄市の樋渡さんでした。
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Wikipediaからいろいろと

2008-09-13 04:45:28 | みっきぃふるさとふれあい公園
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人の発想の過程は面白い。
シリトリのようにどんどん膨らんだり繋がったりしていくのである。

昨日、三木の市役所の前の広場であった、『食づくりの会の感謝祭』には行けなかったのだが、

『あそこの広場はいいな』
『少し贅沢かも知れぬが、あの広さの余裕がいい』
『あれだけ広い空間や周辺のいい環境を持っている市役所は他にないのでは』

先日、三条の市長の国定さんが、
『三木はどこもここもいろんな投資を市以外の県などがしてくれていていいですね。』
『市役所の庁舎は、あれは立派ですね。だけど金要ったでしょうね』
など言われていた。
確かに、あの庁舎や周辺設備は、防災公園やホースランドと違って三木市自体の投資のはずである。


『確かにその通りだが、どなたの時代に、いつ出来たのだったかな』と
久しぶりに、『三木市Wikipedia』 を調べてみたのである。
1993年7月13日、大原義治市長の時代に完成している。


そんな私の思考の過程を、『三木市Wikipedia』と題して、
昨日のexciteのブログに書いたのだが、
今朝、『三木市Wikipedia』を検索してみたら、既にもう昨日のブログが載っていた。

ご承知のように、これは誰でも参加できる百科事典である。
書き込みが間違っていたりしたら、どんどん修正されたり、加筆されたりして内容が整ってゆくのである。

然しどんな人たちがインプットするのだろうか?
三木市のデーターなど市が持っているデーターも、もっと入れたらいいのにと以前から思っていたら、
霞ヶ関の官僚たちも、都合のいいことを書き込んでいるようである。
当然、企業なども広報の一環としてどんどん利用すべきだと思っている。

例えば、ホンダとカワサキを比較したら、その差歴然である。
カンのいいところは、企業が率先して手をつけるのでは?と思ってたりしている。


そういう意味では、
現在の段階では、三木市も先頭を走っているわけではないが、いい線を走っている。
三木市がやっているとは思えないが、ローバーさんのようにカンのいい人が、やっているのではと思ったりしている。
結果的に、隣の小野市とは比較にならぬいい水準だし、武雄や三条にも負けていない。

市で言えば仙台市』などは、全国でも頭抜けている。市などが直接、噛んでいるのだろうか?
2年前までは、三木も仙台と肩を並べていたのに、今はもう置いて行かれてしまった。
兵庫県では姫路市が進んでいる。
ひょこむも姫路は圧倒的だし、ネット社会では数歩リードである。
姫路城Wikipediaは、その記述は最高との評価がある。確かに凄い。


三木に関係のあるものを具体的に調べてみると、

三木山総合公園
三木鉄道
伽耶院
三木ホースランドパーク
などは勿論載っている。

当然載ってしかるべきと思われるビーンズドームや三木総合防災公園は編集中である。
FMみっきぃ、BUG IN MIKI、みっきぃバスなども今編集中である。


暇に任せて、終日こんななこと考えていた。
考えるのは直ぐだが、調べるのは結構時間が掛かるモノである。
勿論、Wikipediaに書き込むには、もっと時間が掛かる。

それなのにそれをやっている人も居るのである。








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三木です、神戸ではありません

2008-09-12 05:16:08 | みっきぃふるさとふれあい公園
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昨日、『めちゃ×2いけてるッ! 秋のスペシャル』 が行われた、ビーンズドームは、
神戸の端から1キロしか離れていないが、
神戸ではなくて、三木総合防災公園のなか、間違いなく三木市の中に位置している。

この番組は、実は見たことはないのだが、若い人には人気があるようだ。
先日まで夏休みで遊びに来ていたアメリカの孫から電話が入った。
『めちゃ×2いけてるッ、観に行ったん。岡村テニス上手かった?』
昨日書いた別のブログを見ての電話である。

道理で、ビーンズドームのあの観覧席が埋まるほどの人たちが集まったのである。
あの立派なコートで、杉山愛さんと、松岡修造に2週間コーチをいけたと言う岡村クンがテニスの試合をする、そのテレビ収録だったのである。

(写真はブログdeみっきぃから、借りてきました)


提携都市の武雄市が『がばいばあちゃん』で売り出したので、その向こうを張ったわけでもないであろうが、
三木市のホームページの公式ブログの『ブログdeみっきぃ』も

その一
そのニ
その三
と3回も連続してアップ紹介する熱の入れようであった。

三木を応援する市民のブログたちも、
結構熱を入れた応援をしたのである。

『その三』にあるように、テレビの収録当日は、
広報広聴課のJJさんや、議員の大西ひできさんなど、

『日本一美しい三木をめざす』のぼり旗を立てたり、
これも日本一を狙っている『関西国際大学野球部』のうちわを配ったり、
『金物鷲のカナちゃん』登場させたり、

三木市をPRすべく一生懸命努力していたのである。
お陰で「金物鷲のカナちゃん」は司会者の目に留まって、そのトークの中には登場したりしたのだが、
残念ながら 『三木』という言葉は聴かれなかったのである。



それどころか、
最後のほうでは、場所の紹介をこともあろうに、『神戸』 と言われてしまったのである。
司会者の方も悪気があったのではないことはよく解っています。

多分、東京の方でしょうから、三木の名前などご存じなかったのかも知れません。
三木も神戸もよく解らぬまま『神戸と言うほうが通りがいい』と思われたに違いありません。


私も、よく現役のころ、『どこにお住まいですか?』 と聞かれて、
『三木』の説明が難しいので、『廣野ゴルフ場の直ぐ前に住んでいます』とよく答えたものです。


然し、今では意外に三木に関心も出来て、『三木のイメージの向上』にもと頑張ったりしていますので、
昨日は、三木市役所の、JJさんが多分間違いなく読むであろう、

exciteにこんなブログをアップしました。
アメリカの孫はそれを読んでの電話です。


フジテレビは公共のテレビです。
公共のテレビがその番組で間違った情報を流してはいけません。
十分修正したり編集したりする期間も余裕もあるはずです。

カメラもいっぱい来ていました。
松岡修造ばかりを専門に追っかけるカメラもあったようです。
ひょっとしたら、金物鷲のカナちゃんもどこかに写っているはずです。
ちゃんと説明したら、使ってくれるかも知れません。
金物鷲って、ホンモノはこんなに立派な世界的なものなのですから。

三木市も少なくとも公式のホームページを使って応援もしたのですから、
フジテレビさんも『それ相応の礼儀でそれに応えるべきだ』とマジにそう思っています。
そんなことで、昨日の続きを書いているのです。

みなさんは『ビーンズドームのあるのは決して神戸ではなくて三木だ』と
覚えて頂ければ、十分なのですが、

ひょっとして、フジテレビの関係者が、このブログ見つけてくれませんかね?


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楠見幸信

2008-09-11 04:28:28 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
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「楠見幸信」と言ってお解かりになる方はもう少なくなってしまったであろう。

私の母は、99歳まだ健在である。
楠見幸信はその兄だから、もし生きていたら100歳をゆうに越す年齢である。

昭和6年、と言えばまだ私が生まれる前だが、、
その年の日米対抗野球には、あのベーブルースがチームの一員でやってきている。
それを迎え撃った全日本の1番センターを打っていたのが楠見幸信である。
結構有名で、ファンも多かったようである。

東京6大学の最盛期、慶応は宮武、山下、水原、早稲田は伊達、三原など。
慶応黄金時代のメンバーだった。

当時の早慶戦のラジオの実況放送はレコード盤になったりしていた、これは伯父が持っていて戦前のことだが子供の頃に実際に聞いたことがある。
センター前のライナーを突っ込んで後逸した早慶戦の有名な話であるらしい。
『名手楠見だから突っ込んだ』とか確かアナウンサーはそんなことを言っていた。

そのファン層も派手で、歌舞伎の尾上菊五郎宅に下宿していたとか。
当時、既に野球の遠征でアメリカに船で渡ったとか。
プロ野球もない時代だったので、当時最高の人気スポーツで、人気スターであったようである。
全日本のメンバーは全国のファン投票で選ばれた中から更に選考委員が選んだようである。

戦後、国鉄スワローズがプロ球団を立ち上げた時には、多分、東京鉄道チームにいた関係だろうが、初代の総監督に就任した。

当時、渋谷に住んでいて、東京出張時などよく泊めて貰ったものである。
『今度入った金田というピッチャーはいい』とか、
まだ、立教の学生だったが、『長島はいいよ』などと言っていたのを思い出す。



ブログをはじめてから、検索で遊んでいると、
「昭和初期の野球界」なる一文を見つけ、その中に日米野球のメンバーの記述などもあったものだから、自分の記録のために、
exciteのブログのほうに、そっと更新しておいたのである。


伯父には二人の娘さんがいて、泊めて貰っていたころはまだ学生さんだった。
よく知っている。
当然結婚はしているのだが、その旦那さんは知らないのである。

その旦那さんから、昨日、突然そのブログにコメントが入ったのである。
びっくりした。
改めてブログの繋がりというか、
どこまで繋がるか解らない可能性に驚いたのである。

つい先日も、学校の後輩から突然旧い明石のことでコメントが入った。
明石高校の野球のことを書いたブログである。

亡くなられた『小野田滋郎さん』(フィリッピンの小野田中尉の弟さん)のことでも、突然コメントを頂いたりした。
それも、小野田さんに目をかけておられた高野行彦さんの息子さんからである。
『お父様には私もお世話になりました』と書いたら驚いておられた。

『世の中狭い』とは昔からよく言われたが、今はもう『近所付き合い』のようになってきている。
ネット社会の凄さであると思う。


『昭和初期の野球界』こんなに詳しい人もいるのです。
その中に登場する選手たちの中で、山下実さんには中学校の時にコーチを受けました。
前川八郎さんには高校の時に目をかけて頂きました。何故かなと思っていましたが、伯父とチームメートであったからかも知れません。
そんな旧い人たちを知っているだけ、私も年寄りだと言うことでしょう。
コメント (3)
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gooのブログ、3年目に

2008-09-10 04:17:18 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
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暇に任せてでもないのだが、今7つほどのブログをほぼ毎日更新している。

それぞれに一応のコンセプトも持たせているし、私なりのマーーケッテングの要素も含まれている。
それぞれがそれなりの役割分担を持っていて、全体で一つの世界を造っていると、自分で勝手に決めて得心をしている。

最近は、幾つかのブログは転写したりもするので、そんなに負担にはなったりしないが、ブログが生活の一部にはなっている。

まあ、言えば他の方のブログに比して、
7つをみんな『雑感日記』のネーミングで、全部で一つの『雑感日記』ということで『差別化』できていると思っているのである。


(初めてgooに貼った写真である。Tomももういなくなって、今はLoveだけになってしまった)


そんな私のブログの中で、
この 『gooのブログ』 が間違いなく中心だし、gooを中心に回っていると言っていい。

このgooだけは、必ず前日に記事を仕上げておいて、翌朝朝一番に『投稿』のボタンを押す。
これで1日がスタートするのである。

そのgooのブログが、今日から3年目に突入する。
ブログをはじめたのは、2006年9月9日である。
私にとって、初めてのブログであった。
2年を経過して先週の日曜日までに、
延べ195605人の方が、546844ページのブログを読んで頂いた。

考えられないような数字である。
7つ合わせると、100万ページを超えて読んで頂いたのではないかと思っている。

こんな数も、大きな要素だが、ブログのお陰でいろんな方と出会えたし、旧い方たちとも旧交を温められた。
ただ、書いてコメントを交わしているだけではなくて、『何か新しいこと』が現実に実現していくのが、面白い。


(どこ竹の竹とんぼを飛ばそう会、東京、名古屋、神戸、加古川の人たちが三木の人たちと)

Yahooはgooより遅れて5日目、2006年9月14日のスタートである。
これは1年前の9月だが、殆ど写真だけの利用をしている。

exciteは、2007年1月24日。

これは、武雄の方たちのブログが殆どexciteだったので、どんなものかと思ったのである。
確かに、他とは違ったいい機能をもっている。


FC2には、こんなことでスタートしている。
はてなダイヤリーもやっていたが、これはどうも合わなくて途中で止めた。
途中で止めたのは、ライブドアーもそうである。

こんなことで、基本的には好奇心から、いろんなものに手を出している。
諦めも結構早いが、基本にするものは、意外に辛抱強く続けることが出来る。
gooをもし止めることがあれば、それはブログを止めるときだと思っている。

何に、一番気に入っているかと言えば、その『アクセス解析機能』である。
これは、今までに10以上のブログとお付き合いをしたが、他の追随を許さないレベルである。
自分のブログのマーケッテングが出来ることが気に入っている。


(ミニSLフェアin神戸フルーツフラワーパークで、全国の鉄道マニアが集まって。
次回は、神戸メリケンパークで、神戸海洋博物館、カワサキワールドとコラボで、11月15、16日に行います)

そんなことで、3年目に入ります。
よろしく、お願いをしたいと思っています。
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先週末の行動とその動機づけ

2008-09-09 04:32:30 | みっきぃふるさとふれあい公園
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先週末は、三木のいろんなところでいろんなものを観て来た。
結構忙しかったが、何か充実していて良かったと自分なりに思っている。

まず土曜日は、こんなところに。

そして、日曜日はこうだった。



なぜ急にと思うのだが、考えてみると 『その動機づけ』 をしてくれたのは、
「週末は大忙し」と三木のイベントを紹介してくれた、このブログである。

「全部はとても行けません」、とあったので 『ちょっと幾つか行ってみるか』と出かけてみたのである。

『動機づけ、モチベーション』とはよく聞くが、そんなに意識をしたこともなかった。
調べてみたら、こんな風に書いてあった。
なかなか、難しいものである。「単なるきっかけ」ぐらいにしか思っていなかったが。


それはともかく、こんな2日間を楽しく過ごしたのである。

更に、その続きがあって、そんな予定を「ひょこむ」のブログに書いたのだが、
そのブログの『金物古式鍛錬』に東京の「zosanさん」がコメントをくれたのである

これが二番目の『動機づけ』である。

それまでは、ブログに書いているように、
なでしこリーグのサッカーは行こうと思っていたが、『古式鍛錬』はどうしようかと迷っていたのである。
zosanさんのコメントがそんな私の背中を押してくれて、
その動画を調べたり、
一度ちょっとだけ観たことはあるのだが、『ちゃんと観てみよう』と出かけたのである。


古式鍛錬、毎月第一日曜日の朝、金物美術館のヨコで行われている。
写真も撮ってきたので、ご覧になってください。

三木城跡の金物神社の境内、こんな大きな木もあるこんな場所で行われている。


こんな風に格好からして本格的である。


作業工程をちょっと尋ねたら、「あちらにあります」紙にでも書いてあるのかと思ったら、こんな風に解りやすく現物つきである。
そしてその通りの手順で作業は進められている。
小刀の製作である。伸ばして二つに切るので一度に二つできる。


ちょっと解りにくい場所なのに、見学者も結構いて、このおばさんたちは神戸から来られたとか。
このほかにも、日大の美術専攻の学生さんもいて、何かレポートを出すとかで熱心に写真を撮っていた。
小野高、野球部出身19歳、三木の青山にお住まいとか。
直ぐ仲良くなって、いろんな話をした。
ひょっとしてこのブログ見てくれるかも知れない。


三木小刀部会、職人とあった。
小刀以外に何かあるのだろうか? それは聞き漏らした。


こんな週末でした。
結構楽しかった。

そんな『動機づけ』をしてくれた、
ブログdeみっきぃの『JJさん』 と 東京の『zosanさん』に感謝である。






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2枚の名刺、山本富雄、山本一太

2008-09-08 04:16:08 | カワサキ単車の昔話

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会社を引退する時、二つのケースに膨大な名刺が残っていた。
私は、結構整理はいいほうである。
名刺も整理された形でケースに収まっていたのである。

どうしようか迷ったのだが、結局全部処分してしまった。
2枚だけを残して。
その2枚が、山本富雄さんと山本一太さんである。

どうしても残しておきたかったのは、あるプロジェクトに関係があったのである。
結局陽の目は見なかったが、ある意味私の会社生活で一番一生懸命になった最後のプロジェクトであったからだと思う。
極端に言うと、唯一実現できなかったプロジェクトであったからかも知れない。
その思い出だけは、何とか残しておきたかったのである。


90年代に入って私の会社生活の最後の時期、
7年間ほど関東地区に二輪車ののユーザーたちが自由に走れるサーキットを造ろうと頑張っていた時期がある。
益子町のサーキットがダメになって、その後出てきた話が、松井田町でのサーキット話であった。

この話は、先方から飛び込んできた。
松井田町は、軽井沢からの碓氷峠のすぐ下の、夏、軽井沢に行く人たちが大勢車で通る有名な峠の茶屋で賑わった町である。
長野オリンピックの開幕にあわせて、東京からの高速道路が計画されていた。
これが出来ると松井田は誰も通らなくなってしまう。
何か町に人が集まるものをと言う町の危機感が、サーキット話に繋がったのである。

場所は軽井沢からの峠道を下りてきた途中から直ぐヨコの、松井田町の町有林を提供しようという町役場の町長さん以下大賛成のプロジェクトであった。
場所も条件も、地元の要請にむしろ乗るという形で進めることが出来た最高のプロジェクトであった。

この話に応援して頂いたのが、この土地の出身の元農林大臣、当時は自民党副幹事長という肩書きの山本富雄さん、山本一太さんのお父さんである。
地元の松井田町の活性化のためにということであったし、一度だけ議員会館でご挨拶したときに頂いた名刺である。
若いころは国体のスキー選手であったという山本さんの印象は政治家には珍しいスポーツ選手のようなすっきりしたものであった。

プロジェクトは上手く進んでいたのだが、
『イヌワシがいるかも知れない』という野鳥の会からの一言で、その調査だけに3年の月日がかかり、とうとう私のほうが時間切れになってしまったのである。
ほぼ、6年の月日が過ぎていた。

立地も良かった。軽井沢は直ぐヨコである。
関東からも、意外に東海からも近かった。
二輪のユーザーたちがツーリング途中に立ち寄るには最高の立地であった。
川重内の審議も許可も既に取れていたし、本当に残念だったのである。

その間、急に山本富雄さんがお亡くなりになって、その後を継がれたのが山本一太さんである。
急遽ニューヨークの国連から戻られて、参議院議員になられた直後、これも議員会館の事務所でお会いした。
初々しかったのをよく覚えている。


その山本一太さんが、今回自民党の総裁選挙に立候補するかも知れないという。
山本一太さんの名刺の裏には、7-12-14と書かれている。
多分平成7年12月、もう10年も前である。

確か、参議院当選直後であったように思う。
10年も立てば総裁への立候補も可能なのである。
もし、当選でもしたら、この名刺も値打ちが出るのだが。

そんな懐かしい名刺のことを、つい思い出した。
ホンダさんの茂木のサーキットが建設中であったそんな時期であった。
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自民党総裁選で思うこと

2008-09-07 04:32:30 | 政治
10日告知の自民党総裁選、これは本当に一国の総理を選ぶという選挙かなと思うような様相になってきた。

はじめの段階で、石原のぶてるの名前が出始めたころは、そんな若手も面白いかなとびっくりもしたし、いいかなと思ったりもした。
その後数日で、一体何人の人が候補者として出るのかと思われるような状況になってきたのである。

ただ単に名前が売れればいいと思っているのでは、
自分の地元での選挙運動と間違っているのでは、
ないかと思ったりする。

今、石原のぶてるはと言われると、
当初の新鮮さも薄れて、やはりまだ経験不足かなと思ってしまうから不思議である。
実際の選挙では、立候補の数だけ票は割れるのだと思うが、
ヨコで観ている限りでは、これだとやはり『麻生太郎さんがいい』 と思うようになってきた。



然し幾ら思ってみたところで、どうしようもないのである。
手の届かぬところで行われている選挙である。

ところで、総裁選挙にMUST条件の20人の推薦人だが、そんなに難しいものなのであろうか。
20人ぐらいなら直ぐ集まると思うのだが、選挙でその人に投票するのとその人の推薦人になるのとでは、持つ意味が全然違うのかも知れない。

その人が当選した場合は、いろんな意味でいいんだろうが、逆の場合は不利になることもあるのだろう。
国政だ、天下国家だと大きなことを言ってはいるが、
結局は自分自身が可愛いのでは、と思ってしまいたくもなる。
派閥単位の選挙が影を潜めたので余計にそのあたりが微妙なのだろう。

昔の大派閥の大物が、いち早く小派閥の麻生さんの応援の立場を鮮明にしたりしている。
こんな人たちや、今回立候補している大勢の人は逆に正直なのかも知れぬ。

小泉さんにしても、森さんや山崎さんなど、いわゆる大物というか影響力のある人たちは、そろってだんまりである。
政界という世界はそれだけ難しいのだろう。

小泉さんではないが、『まさか』の坂のある世界である。
とても、普通一般の人たちでは、想像できない世界なんだろうと思う。


問題は、その後の解散総選挙である。
そのために、今の自民党の総裁選挙の状況が、いい結果をもたらすのか、その逆なのか?
少なくとも、話関心だけは集めている。

『次期自民党総裁の支持率』 は果たして、どうなるのだろうか?
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学力順位で思うこと

2008-09-06 07:26:22 | 大阪維新の会、橋下徹氏
昨夜はタイガースがまた負けムードだったし、
途中から 『第28回高校生クイズ』 なる番組を観ていた。

東海や開成、灘などのエリート高から3人の代表が出てクイズを争う番組だが、
考えられないほどの知識というか、アタマのよさである。
すべての問題が私などのレベルでは、、最後まで問題を読んでも答えられないのに、最初の部分だけで答えてしまうのである。
アタマも記憶力もいいが、カンもいい。

こういうのを学力というのだろうか? びっくりしてしまった。
ちなみに7000校の頂点に立ったのは、愛知の東海高で東京開成を下しての優勝だった。


こんな世界でも、順位をつければトップもあるし、最下位も当然出るのである。

全国学力調査で2年続けて下位だった大阪府の成績に、橋下さんが頭にきて、
市町村ごとの調査結果の公表を要請したようだ。
教育委員会には直接介入は出来ないのだが、知事の言うのも解らぬでもない。
当初は、反対しいた教育委員会側も、若干態度も変わってきたようである。

公表するのにどんな問題があるのだろう。
当然1番から最下位はあるのである。
現状の順位は結果として受け入れて、現状を改善する努力こそが肝要であると思う。

こんな知事の要請に、先日市長になったばかりの、箕面市長の倉田さんが応えている。
その通りだと思う。 正論だと思うので、是非ご一読をお奨めする。
その一部だけ抜粋すると、
『倉田哲郎は、実際に子どもたちと身近に接し、教育を実効的に担っているのは、府教育委員会よりも、むしろ、市町村単位の教育委員会だと感じています。
したがって、市町村単位の教育委員会の本気度・緊張感を高めていくことが、教育力の向上に直結すると考えます。
そのためには、「大阪府が全国と比較してどうか?」よりも、「箕面市が、全国や大阪府と比較してどうか?」ということを、自他ともに認識することの方が効果的です。』


兵庫県はどうなんだろう?
ちょっと調べてみたが、よく解らなかった。
倉田さんの仰るように、仮に兵庫県の順位が解ったとしても、あまり意味はない。
三木市がどうだとなると、興味、関心も湧く。

不祥事があって、その処分も発表された三木市の教育委員会だが、
三木市の教育水準はどうなんだろうか?
そんなに悪くないのではと、勝手に思ったりしている。

まず難しいと思うが、自主的に三木市の水準を、発表してみてはと思う。
先日は、飲酒運転で三木の名を汚したが、本職の教育ではちゃんとしていると言えればいいのだが。

こんなことは、知事が言わぬと、自主的には無理なのでしょうか?


教育委員会は、教育に携わっている世の指導的立場にある組織機関であるはずだが、
三木市に限らず、大分県でも大変なことである。
その汚名挽回のためにも、
箕面市に続いて自主的に本来の教育に熱心であることの証明に、熱心な市町村の教育委員会が追随しないものかと思ったりしている。
コメント (6)
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大相撲

2008-09-06 04:46:15 | 発想$感想
『相撲は日本の国技である』 そう思っている人はどれくらい入るのだろうか?

仮に、そう思ったとしても、本当に相撲に興味がある人はどれくらいなのだろう。
もしNHKが相撲中継をしなかったら、どこかの放送局がテレビ放映をするだろうか?
もし、今外国人力士がいなかったら、もっと相撲人気は上がるのだろうか?

まったく個人的なことだが、
ずっと昔、もっと世の中が相撲人気で沸いたころから、相撲にはあまり関心がなかったし、スポーツとは思えなかった。
何度か入場券を頂いて、実際の大相撲も見せて貰ったが、あまり感動もしなかった。
どうもテンポが遅すぎて、スポーツ観戦とは程遠いと思ってしまうのである。

今は、朝青龍を筆頭に外国人力士中心の相撲界だが、
これら外国人力士が一般の相撲の関心を支えているように思うのである。
これを快くなく思っている人たちがいることも、確かなようだが、今は外国人力士抜きで相撲が成り立つとも思えない。

そんなところに、今回の大麻騒動である。
マスコミを先頭に大騒ぎだが、よく読んでみると単に疑いがあったということのようである。
もう一度ちゃんとした検査をしないと解らない段階での騒ぎである。

対象になったのがロシヤ人の兄弟力士ということで、こんな騒ぎになったような気もする。
ちょっと行き過ぎかなと思う。
もし、本検査でシロだったら、どんな対応をするのだろう。


大相撲とわざわざ相撲の上に『大』に字をつけて大げさだが、
相撲界の仕来りなどは、どう見ても時代から離れてしまっている。
相撲審議会のメンバーなどどのようにして決まるのか解らないが、
少なくとも開かれた組織のようには思えない。

ドーピング問題は、世界のスポーツ界では常識になったのだが、
その検査方法と、今回のそれとはまったく違ったものなのであろうか。
もしそうなら、そんな簡易検査のようなものをすること自体が問題である。

相撲に関心の有無には関係なく、物事の対応は常識的でみんなが納得できるものでなくてはならない。
今回の問題は、まだ結論は出ていないが、マスコミの対応などもちょっと行き過ぎ興味本位過ぎるように思えるのである。

個人的には、相撲も一般のスポーツの世界にもっと近づいて貰いたいものである。

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パンダネット

2008-09-05 04:41:18 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
『パンダネット』 ってご存知ですか?

世界最大の、囲碁のネットシステムです。

私のここ2,3年の生活の中で、ブログとパンダネットは完全に「生活の一部」になってしまっています。

毎日、3,4局は必ず打っています。
別にそんなに強くはありません。
へぼ碁の域を脱していません、
今、2950勝2950敗ぐらいですから、もう6000局も誰かと打ったことになります。

このシステムはよく出来ています、
いつでも好きなときに、世界の誰とでも対局することが出来ます。
対局の種類も、持ち時間設定も好きなように選択できますし、
勝ち負けの目数計算も、勝率もそれによる段位や級も自動的にシステムがやってくれます。

私の場合、勝ち負けが同数になれば、大体 『初段』です。
今まで一番いいときは『二段』一番ダメなときは『2級』でした。
段位は10段まであるのですが、最近はホントのプロ棋士が参加してきて、少しレベルが高くなったような気がします。

1ヶ月2500円ほど払っておけば、何局打ってもOKです。


私は高校生のころ碁を始めて、一時碁席に通うほど熱中した時期もありましたが、
初段の人と打てるようになって止めました。
それ以上は、より熱心に専門にやらぬと腕は上がらぬことが解りました。

布石から中盤までの、構想段階が好きで、多分ここまでは自信もあるのですが、そこから先の「よせ」などは、「詰め碁」などと同じく考えるのが細かくて面倒ですから殆ど考えたりしません。
碁にも性格が出てしまいます。

性格といえば、アメリカの方の碁は何となく型にはまらず自由な発想で好きです。
日本人が殆どですが、世界各国の人と打てます。



今時、囲碁など若い人は、と思って調べてみると意外なことに、
10代未満9%、10代22%、20代24%、30代15%と若い人たちで70%を越すのには、びっくりしました。

囲碁の印象は、
面白い、楽しめる、解らない、かなり自由だ、育て発想が豊か、こどもの時がいいなどと出ていました。

私自身は、何の変哲もない石が、打ち方によっていろんな風に機能する。
周りとの連携。
前に打った石を如何に上手く利用するかなどが、気に入っているところです。

相手が目の前にいないのも、表情などが見えなくていい。
あまり落胆されたり、カリカリされたりすると、どうもそれを見ながら碁やマージャンをするのは、好きではありません。
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