雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

Tom の一周忌

2008-11-15 04:10:40 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
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この写真は、初めてブログに貼付することが出来た写真である。

昨年の正月、孫と四苦八苦しながらやっと貼り付けに成功した。


丁度、Tom & Love 13歳の頃である。
2007年初春、気持ちよさそうにソファーで寝ている。
13年前の5月、最初にLoveが来て、3,4日遅れて、Tom が我が家にやってきた。

それからずっと家族の一員として一緒に過ごしてきた。
少しTomのほうが神経質であった。
毎朝と午後からの散歩をずっと欠かしたことがない。

二匹がいたので生活にリズムが出来たし、規律正しく早起きが出来た。
夫婦や、孫たちとの会話もTomLoveの話題を通じてのものが多かった。

2年目ごろに、2匹の間に仔犬が生まれた。

娘の結婚式以来、我が家で写真屋さんで撮って貰った唯一の高価な写真がこれである。

このうちの1匹は横浜の石塚君のところに、もう1匹は近くにいる。
あとの1匹は犬屋さんに引き取られた。
この3匹の仔犬たちを生んだとき、Loveは誰にも教えて貰わなかったのに、その子育てぶりは、見事で甲斐甲斐しかった。
Tomはただヨコでうろうろしていただけであった。



去年の夏、Tomはちょっと左目がおかしくなったが、まだ元気であった。
夏休みにアメリカから戻ってきた孫との写真である。
夏が過ぎて、急に元気がなくなった。
秋に入ると歩きにくくなったのに、それでも散歩はせがんだ。
だんだんと歩くのも難しくなったのに、それでも散歩に車に乗せて連れて行った。

そんなTomがいなくなって、1年である。
Loveはまだ元気だが、もう15歳に近い老犬である。
それでも、毎朝6時には散歩に連れて行くのが、日課である。


いろんな想い出がある。
何匹か、犬と一緒の生活を送ったが、13年は一番永かった。
犬もだんだんと長寿になっている。
Tomの一周忌に、何となく書き残しておきたかった。



コメント (8)
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北海道 トムラウシ温泉

2008-11-14 04:31:01 | 北海道&建機
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北海道はサラリーマンの最後の2年間、札幌でお世話になった。

北海道にほんの短い間だが、住めて良かったと思っている。
2年の間に、あちこちと行った積りだが、ほんのちょっとしか解っていないのである。
自分では、西も東も、北も南も行ったつもりだし、事実行ったのだが。


先週、ふとしたことで、こんなブログに出会ったのである。

北海道をこよなく愛し、北海道の温泉を殆ど制覇したと仰る『温泉マン』さんのブログを見て、
北海道の奥の深さがよく解った。
本当に素晴らしいところいっぱいである。

このブログ、実はこんなところから出会ったのである。
増毛の国稀の酒『鬼ころし』の記述に、三木の酒米『山田錦』のことなどもあって、引用させて頂いたし、コメントも頂いたのである。


じっくり、ブログを見せていただいて、本当にビックリしている。
いろんな、地域紹介のブログはあるが、こんなに徹底して、詳細に、広範囲に纏まっているものは珍しい。
これは貴重な資料である。

このブログ,2006年6月のスタートである。
そして、温泉第1号の紹介が、『トムラウシ温泉』である。
これはビックリしたし、嬉しかった。
2年間北海道にいてあちこちの温泉に行ったのだが、一番印象に残っている温泉を一つ上げるとすれば『トムラウシ』である。

こんな風に紹介されている。
『山間の林道をひたすら走る、「こんな所に温泉があるのかな?」、不安に
なっても、戻ってはいけません。 大自然の中にひっそりと、十勝の秘湯・
トムラウシ温泉が貴方のお越しをお待ちしています。』

本当にその通りである。大雪山の山懐、川の直ぐヨコに一軒だけ、遠かったが行ってよかったと思っている。


そんなことで、自分だけで観ているのはもったいないので、ご紹介しているのである。
内地の人がツアーなどで行っても、とても解らぬ北海道のよさがあちこちが紹介されている。
私なども殆どが知らないところである。
ただ、写真など見ると、北海道の雰囲気がよく出ている、北海道はそんなところだったと懐かしく思い出している。


ここは私も何度も行った、結構詳しく知っているという『羊蹄山の湧き水』の記事を見つけた。

家内とも行ったし、倶知安(くっちゃん)には支店もあったので独りでも行った。息子の家族も連れて行った。
その頃は、ブログも勿論、パソコンも写真も、何にもやっていなかったので、
思い出だけしか残っていない。

別名蝦夷富士と呼ばれる『羊蹄山』どの方向から見ても美しかった。
湧き水はあちこちに信じられないように湧いていた。

そんな湧き水の里をこんな風に紹介されている。

他にもどこか思い出の場所があるに違いない。
もうなかなか、実際に足を運ぶことは難しいので、ブログの中の旅を続けてみたい。
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言論の自由

2008-11-13 04:34:10 | 発想$感想
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言論の自由がある、日本はいい国である。
こんな、ブログで勝手なことを書いても大丈夫である。
ただ、田母神さんはそれを論文で発表したばっかりに、更迭され国会で参考人招致ということになった。


この一つの問題に対して、朝日新聞は『言論の自由のはきちがえ』と言う社説で非難している。

文民統制の主役としての政治の動きがあまりにも鈍い。麻生政権としての明確な態度を示さねばならない。麻生首相の認識が聞きたい。
と言っている。その通りだと思うが、こんなことを明確に言ったら、多分大騒ぎになって収拾がつかなくなるのである。


一方、産経新聞はその『主張』でこんな風に言っている。

主張】田母神氏招致 本質的議論聞きたかった

田母神氏の発言はあらかじめ制限され、質疑は懲戒処分とせずに退職させた防衛省の責任に集中した。安全保障政策や歴史観をめぐる自衛隊トップの発言がどれだけ許容されるのか、論文内容のどこが政府見解や村山富市内閣の「村山談話」に抵触し、不適切かといった議論は素通りした。
本質を避ける政治の態度が、憲法論や安保政策のひずみを生んできたのではないか。
 委員会の冒頭、北沢俊美参院外交防衛委員長は「参考人が個人的見解を表明する場ではない」と指摘し、質問に対する簡潔な答弁だけを認める方針を示した。
このような委員会運営となった背景には、田母神氏に持論を展開する場を与えたくない与野党共通の思惑もあったとされる。


どうも日本の『言論の自由』には本音で話される部分が少な過ぎるような気がしてならない。

新聞も、評論家も、議会も、与党も、野党もみんな自分の都合のいいことだけを言って、本質のホンネの話は避けたがるのである。

昨日の国会中継楽しみにしていたのに、中継されなかった。
誰がどのように判断し、決定したのか?
仮に、中継されていたとしても、議論される範囲はあらかじめ狭められていて、
本質の本来国会が議論すべき内容には触れられないように、仕組まれてしまうのである。

その程度の『言論の自由』である。
これなど見ていると、戦前の『言論統制』とあまり変わらないのではと言えば言いすぎだろうか。
子供であったから、そんなに詳しく解っていないが、
横文字の禁止とか、「ドレミファソラシド」が「はにほへといは」であったり、
国の方針に反対はダメは、『村山談話に反対はダメ』みたいなものである。

みんなそのときの、その人たちの立場で、都合のいい『言論の自由』にしてしまっている。
『ブレーンストーミング』の法則のように人の言ったことは否定しないにはなっていないのである。
むしろ、『言葉尻』は厳しく追求される。
井戸さんの発言は問題だが、『言葉狩り』と和歌山知事は弁護した。
確かにそんな雰囲気はある。


基本的に、この手の議論に、自分の国である『日本』に対する愛情が乏しすぎる。
日本は昔からいい国であった。
戦前のいろんな風習もいいものがいっぱいあった。
何もかにもひっくるめて、戦前はダメ、あの時は『侵略国』と言うのではなくて、
『若し仮に5分5分』なら、日本に味方するスタンスであって欲しい。

その逆の人たちが、『知識人』であった時代が長すぎたのだと思っている。
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海を渡った『がばいばあちゃん』

2008-11-12 04:24:07 | 樋渡啓祐さんのこと
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この夏、奥田村長と樋渡市長というこのブログをアップした。

和歌山県の北山村、人口500人ほどの小さな村だが、自らブログエンジン 『村ぶろ』を立ち上げたりして、頑張っている。そこの村長さんが奥田さんである。
そんな奥田村長が、ヤフーのシンポジュームで講演なさるそうである。
竹中平蔵さんが基調講演をされるような立派なシンポジュームのようである。
そのシンポジュームで樋渡市長も講演されるとか。

こんな情報を北山村の『いけやん』がわざわざ知らせてくれたのである。
それは、8月14日のことであった。

夏休みで、アメリカから、孫たちが遊びに来ていた頃である。



今朝の『武雄市長物語』 この話なのである。
ブログの中に、こんなリンクが貼ってある。

その中に、こんな風に紹介されている。
*全国地方公共団体インターネット・シンポジウム2008*が11月12日(水)に開催されます。

講師
竹中平蔵氏
題目は、「これからの日本経済と改革の行方」です。
【パネリスト】
藤倉 肇氏(北海道夕張市長)
石津 賢治氏(埼玉県北本市長)
奥田 貢氏(和歌山県北山村長)
樋渡 啓祐氏(佐賀県武雄市長)

上記の4名様に加えて、弊社horidamonも合わせて計5名がパネリストの皆様です。

こんな全国区のパネリストの有名人のお二人と何となく関係があるのは嬉しいことである。



そんな樋渡さんが、以前三木に来られたときに、お土産に頂いた、
『がばいばあちゃん』の黄色いTシャツは、今カリフォルニアで人気だとか?

『どこに行ったら買えるのか?』 と聞かれたりするそうである。
この夏休みに三木に遊びに来ていたときに、一番下の孫が気に入って、取られてしまったのである。
がばいばあちゃん、海を渡った』のである。

こんな写真を、娘が自慢げに送ってきた。
それをまた、『おじん』が自慢したいのである。




表彰された、そのときも着ていたと言うものだから、
『何の表彰か?』と聞いたら、こんな答えである

『えーーっとですね、これは毎月なんかしらいいことした子とか勉強頑張った子に送られる「Award」というもので、てっちゃんは「Respectfulness」っていうなんだかよくわからない賞です。
まぁ簡単にいうと先生の言うことよく聞いておりこうにしてた・・・みたいな感じでしょうか・・・。

ちなみに何年か前に真也は「sense of humor」で力也は「kindness」という賞をもらってました。
これは「すごくおもしろい子」、「親切な子」ということでしょうか・・・。

アメリカはなにかしら褒めることが好きなのでなんにでもこじつけて仰々しく表彰式なんかしてくれたりします。
人前に出ることに慣れさす意味もあるんだと思います。』

何のことはない、誰でもいつか順番に貰えるような賞である。
一番下の孫、大きいですが小学校2年生です。
アメリカ人の子供たちの中でも結構大きいですね。



上の写真では、よく解らないのですが、
こんな、『がばいばあちゃんの言葉』が書かれているシャツなんです。
これは夏休みに着ていた時の写真です。




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西武4勝3敗、日本一おめでとう

2008-11-11 04:30:01 | スポーツ
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今年のプロ野球の日本一、頂上を極めたのは西武ライオンズであった。

一昨日には、まだどちらが優勝するのか解らなかった。
その3勝目をモノにした立役者、岸はWBCに選ばれるだろうか?
が一番の関心事であった。

岸などというピッチャーを実は知らなかった。
先日の完投完封の投球を見て、これは本当に凄いと思った。
球が速いとかと言うのではなくて、所謂ピッチャーが投げるボールである。
それを『キレのある』球というのだろうが、本当にピッチャらしいと思った。

西武が優勝するかどうかは別にして、WBCの投手陣の中に加えたいなあと素人としてそう思った。
WBCの投手人はどんなメンバーになるのだろう。
松坂は別にしてもあとはなかなか難しい。前回の北京には岩隈でも漏れたのだから。

原監督の脳裏には、『岸にやられた』という想いは強いに違いないのである。
シリーズMVPがそれを証明しているのである。



昨日は、こんなブログをアップした。

どちらを特に応援するでもなかったが、
どちらかと言えば、西武であった。
そんな人たちは多かったのでは、と思っている。

そんな想いはなぜだろうと思いながら、書いている。

産経から抜粋した記事のなかで、一番印象に残ったのは、

 巨人の李承●(=火へんに華)ひとりの年俸(推定6億5000万円)が、西武のスタメン野手の年俸合計とほぼ同じ。

というくだりである。
確かに李はいい選手だが、西武のスタメン全員と一緒の年俸と言われると、これはどうかなと思うのである。


日本のプロ野球の経営構造ももう新聞社や電鉄の親会社の意向ではなくて、真にファンを真正面から見た、12球団のトータル経営を骨子のものに変えていかなくてはと思うのである。
その点サッカーのJリーグのほうが、数歩リードしていると思う。
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RENY MARTIN と 鬼ころし

2008-11-10 04:15:17 | 発想$感想
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先週の土曜日、野球部のOB会があった。
世の中、この手のOB会の衰退などが噂されるなかで、
この近年とみに若手OBの出席率も上がって、年々盛会になっている珍しい会である。

前会長の太田さんの時代から、総会だけをやる形式から母校のグランドでソフトボールなどもやってその後総会と言う形に変えてからである。
更に、新会長の原田君になってから、ソフトボールのほかに本格的な硬球での現役対抗戦をやるようになって、俄然若手のOBの参加も増えてきた。

そんな企画のよさもあるのだが、会長の人柄によるところも多いのだと思っている。
大体、人柄で人を褒める場合は、『温厚である』様な場合が殆どだが、
原田君、(彼は私より5つほど後輩だし、川重でも同じ事業部という関係である)の場合はその逆で『少々柄も口も悪いが、からっとしていて気持ちがいい』

そんな、堅苦しさのないところが、後輩たちにも受けるのであろう。

最近の野球部の会計報告を見て感じるのは、昔と様変わりで、学校からの補助は少なく運営費の中に占めるOBの援助金も100万円にもなって、OB会なしにはその運営も出来ないのである。

そんな意味でも、このOB総会の持つ意味は大きくて、会費は1万円である。
そして、そのほかに遠方で出席できないOBからのオークションの品物なども多数出品されるのである。
総会のあとの懇親会もオークションのせりに結構時間が掛かるのだが、集まる金額も相当なもので昨夜も20万円を越えたのである。

いろんなものが、出品される。
酒やビール券、商品券、ゴルフクラブ、ホテル、温泉の宿泊券、カワサキのジャンパーなど多彩である。

温泉のペアの宿泊券などは、貴重だが値も張る、昨夜は原田君が落として、新婚旅行にまだ行っていないという若手のOBに寄贈していた。そんなところが原田らしいよさである。

私など、なかなかそんなことは出来ないのだが、
今年は、これも原田君が出品をしたREMY MARTINを1万円で買ってきた。

時価3万円とか。酒の相場などあまり詳しくないのだが、大儲けである。



ただ、いつもいつも、儲けているわけではなくて、
昨年は北海道留萌の直ぐしたの日本最北の酒造と言われる増毛の酒『鬼ころし』
時価1300円を5000円で買ってきた。

この国稀には行ったこともあるので、懐かしかったのと、
北海道から毎年この会に遠路はるばる来てくれる松浦誠君の持参品だったからである。
彼は今年もこの酒と数々の北海道の珍味を持っての出席であった。

だんだんと、年を食って、
この会の出席者で数えても、上から4番目になってしまった。
野球部の部長さんの先生のお年を伺うと、息子と同じ昭和38年生まれである。



そんなことで、毎年閉めの挨拶だけが役目みたいなものである。
今年は、そのときの目線で、若い人たちの席を写して来た。
やはり、若い人たちはいい。一緒にいるだけで仲間になったような気がして、元気をもらえるように思えたりするのである。


先に書いたブログ

当日の写真である。

ご存知の方も多いと思うが原田紀男会長の写真もある。
会長だが背広など着ていないのがいい。
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KAZE 20周年

2008-11-09 04:23:37 | カワサキワールド
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いま、このブログの読者の方たちで、
KAZE と言って説明不要でお解かり頂ける方が、どれくらいなのだろうか?

多分、半分以上の方はお解かり頂けるのではと思いながらパソコンに向かっている。

KAZE
Kawasaki Amuzing Zone for Evrybody の頭文字をとってKAZE である。

20年前、当時の二輪業界はホンダもスズキもヤマハもみんなユーザークラブに熱心であった。
KAZEも、その前身のカワサキグッドライダースクラブのカワサキ親派の2000人からそのスタートを切ったのである。

やる以上は一番をめざして、ユーザー対象の専門のソフト会社を立ち上げ、
会員カードもJCBと組んで本格的なものとして望んだ。
2年後には5万人の会員を擁し、業界でも圧倒的な地位を築いたのである。

20年前、私もまだ55才、このプロジェクトを動かしてくれたのは、南君を中心に、森、古石、渡部、西川、吉田君などみんなまだ40代のみんな現役ぱりぱりの実力派であった。
この時期、一番精力的に前向きに動いた時期だったかも知れない。



この20周年の記念パーテーを東京と神戸でKAZE会員の皆さんとともに祝うそうである。


思い返してみると、
KAZEに取り組むの前の2年間は、SPA直入のサーキット建設に故岩崎君と掛かりきりであった。
更に、その前の2,3年はアメリカ以外の世界の市場にジェットスキーの導入を期して、鶴谷、藤田、福井君らと世界中を走り回っていた。

日本でも、始めて販売するジェットスキーをボート屋さんらに頼らずに、
独自の専門販売網を立ち上げ、JJSBAのレース協会を設立して、遊びやレースの仕組み造りに奔走していた。
専門の販売網だからこそ、レース運営もその展開も出来たのだと思っている。

20年以上も経って、SPA直入もJJSBAも、
そしてKAZEも、他の3メーカーは撤退してしまったが、いまだに独り健在なのは嬉しいことである。

バイクやジェットスキーなど持っていなくても、会員になれるシステムのお陰で、私も今なお現役のKAZE会員でおられるのである。
そんなことで、KAZEの機関紙も送られてくるのだが、
何かのお役にと、たまにこんなブログを発信しているのである。

これは、ジェットスキーのレースなど、想像も出来ない方たちへのexciteのブログである。
写真いっぱいだから、初めてでもイメージは湧くと思う。
水のスポーツはこのように見た目にもかっこいいのである。
世界にも通用する女性ライダーがいるのも、特徴である。

そして、これはモータサイクル。
そして、ジェットスキーの写真を機関紙から集めたものである。

元の九州営業所、この土地の購入新社屋の建設には、前田祐作君が尽力してくれた。
青野格さんが本部長、でカワ販社長をされていたときである。

30年経って、新しく直営プラザとしてオープンした。
もうそんな時代になったか、と言うのが実感である。


30年経っても、こんな遊び癖は今も直らずに、来週の土日はカワサキワールドと組んで、
ジェットスキーの国内専門店第1号の福井昇君や、今カワサキの技術本部の要人古橋君らと、
『ミニ鉄道フェスタin 神戸メリケンパーク』を開催することになっている。
こんな感じのイベントです。

近くの方は是非おでかけ下さい。

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前空幕僚長国会参考人招致

2008-11-08 04:35:37 | 政治
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一躍有名になった前航空幕僚長の国会への参考人招致が11日に行われるようである。
問題は大きくなったが、ここまでくればもう少し突っ込んだ議論になればいいと思っている。

先日来見るようになった産経新聞は、多くの紙面を割いて詳細にこの問題を追っかけていて、
国会の参考人招致には積極的に応じたい』と語っているご本人との対談を詳細に報じている。

「日本が今まで相手の言い分にできるだけあわせて、相手がいえば、ちょっと譲歩してやろうとやってきた結果が、だんだん良くなっているかというとそうではないんではないかと。やはり国際社会の中で日本がきちんと主張していくことが、やはり長期的にみたら日本の国益にかなうことではないかな、と思います」

--政府の歴史認識が誤っていると思うか
「私は検証してしかるべきだと思います」

 --自分の考えが偏っているという風には思わないか
「私はさほど偏っているとは思っておりません」

-政府の見解とはあるいみ政治の決定ではないか
「それは、政治が決めたんですが、その村山談話なるものが、私は論文の中ではまったく触れていませんが、本当に検証されて、日本国民がみな納得できるものなのかは疑問があります」


この問題の端緒となった、田母神俊雄氏の論文にどんなことが書かれていたのか。
これについても論文要旨としてこのように紹介されている



日本の総理大臣はずっと自由民主党の総裁がその座を占めてきた。
その永い歴史の中で、ホンの一瞬、社会党の村山さんが総理の座についたのである。
そのとき語った個人の見解を『村山談話』として、その後の政府も正規に追認したのだと思う。

間違いなくそれは、『政府見解』として認められてはいるのだが、
それは『正規に検証されるべき』と言う意見をお持ちの方は、田母神さん以外にも
多いのだと思う。
私もそれに近い考え方である。
今の閣僚の中にも、自民党の中には沢山、ひょっとしたら民主党の中にもおられるのかも知れない。

そんな状況だから、今回の田母神さんの処分も、あれくらいのものになってしまったのだはないだろうか。
防衛大臣もハマコウさんの息子さんにしては歯切れが悪すぎると思ってしまう。

参考人招致の席上で、田母神さんが自説を曲げるとはとても思えない。
これは思想、考え方の問題であって、汚職などとは異質の問題である。
確かに、政府は困るであろうが、どんな結末になるのだろうか?

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16歳女子高生プロ野球へ

2008-11-07 04:38:33 | スポーツ
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プロ野球は日本シリーズ真っ盛りだが、一方で野球の底辺を拡げることで期待されている関西独立リーグが来春開幕の予定である。
選手選考も終わってこの16日にはドラフト会議が開かれるそうである。

石毛さんが四国でリーグを立ち上げたのが、いつだったのか?
九州や裏日本にも広がって、今度は関西が大阪、和歌山、神戸そして明石の4球団でスタートするようである。

こんな底辺から、上を目指す選手が普通になって欲しいものである。
明石という、かって高校時代にずっと練習に励んだ球場にこんな明石市が応援するチームが生まれるのは喜ばしいことである。

いろんなニュースがある中で、こんなニュースを見つけた。


写真の通り、16歳の女子高校生である。

◆吉田 えりさん
1992年1月17日、神奈川県川崎市生まれ、16歳。
身長155センチ、体重50キロ。右投右打。
小学2年から野球を始め、中川西中では野球部で正一塁手。
川崎北高に進学後は、硬式野球のクラブチームで活躍中。

関西独立リーグの合同トライアウトが神戸サブ球場で行われ、2次審査を通過の81人が参加し、女子高生吉田えりさんが、シート打撃に登板し、1回を無安打無失点の快投を披露。
神戸、大阪の両球団が16日のドラフトでの指名方針を固めたというのである。

神戸9クルーズ・中田良弘監督、元阪神も「男でもあれだけ揺れる球は投げられない」とほれ込むと、
大阪ゴールドビリケーンズ・石毛博史投手コーチ、元巨人も「ナックルとストレートが同じフォームなのがいい」と高い評価だという。

現在、横浜市内に住む現役女子高生だが、「漫画で読んだ水原勇気みたいになりたい」と目を輝かせた『少女の夢は現実になりつつある』といい話である。


最近の女子スポーツは、サッカーでもゴルフでも男以上の高い水準である。
野球はまだあまりいないが、ソフトボールは世界一である。
吉田さん、写真で見る限り、ちゃんとピッチャらしい綺麗なフォームである。

どのくらい活躍するのか、ちょっと頑張れば話題になり集客力に繋がるだろう。
神戸に入って欲しい。
是非、ナマデ投げるところを見たいものである。

 
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Yes We can !

2008-11-06 08:17:08 | 政治
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アメリカの大統領がオバマになった。

アメリカもブッシュは行き詰っていた。
どのように変わるのかはよく解らないが、変わることは間違いない。

永い選挙戦であった。
幾ら説明を受けてもよくその仕組みは解らない。
あれだけ大勢の人が集まって、華々しい選挙戦を繰り広げ、膨大な選挙資金を捻出した戦いなのだが、
結果は350票で大勝利である。

仕組みはわからぬが、日本の選挙と違って活気があって面白い。
選挙演説など聴いていると、いかにもかっこいい。
英語と言うのは響きがいい。
意味が解らなくても、聞いていると素晴らしいことを言っているように感じてしまう。

子供の頃から討論や自己主張で鍛えられるからかも知れぬが、
誰のスピーチも、日本人の政治家などと違って迫力がある。
訴える内容も、想いが明確でいい。

Yes We can. 簡潔だが、響きがいい。

日本もこんな政治家が、いつになったら現れるのだろうか?

日本の総選挙は遠のいてしまったが、
自民党ももう行き詰っている。
民主党も小沢さんでは、古いように思えてならない。
自民党も民主党ももっと若手が出てこなければ、イメージがダメである。

地方行政の分野では、若手がいっぱい出ているのに、
中央政界はいまだに『年功序列』である。


とても Yes We can. などとは言えないのである。
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マグネットホスピタル

2008-11-06 04:21:14 | みっきぃふるさとふれあい公園
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全国各地の市民病院など公立病院の経営問題が浮上している。
私の住んでいる町三木市もご他聞に漏れず、市民病院の経営悪化から『財政危機宣言』を発表したのは、9月28日のことであった。

ところが、昨日は一転、統合市民病院を小野に建設することで、神戸大学、三木市、小野市が合意したと伝えられている。

神戸新聞などは紙面トップで伝えたが、その内容が一番詳しかったのは、議員の活動報告ブログであった。
そんな内容については、昨日ブログにアップした。



私は始めて聞いた言葉だが、
『マグネットホスピタル』について幾つかのブログがあった。
その中の一つだがこんな風に述べておられる。

「マグネットホスピタル」は、ご存知のとおり、
「患者・医師を引き付けて離さない、魅力ある病院」のことです。
と言われている。

『患者、医師をひきつけて放さない磁石のような病院』が出来れば万々歳である。
今は、『医師不足』が一番の問題であろうから、医者が集まれば自然に患者は集まってくるのかも知れない。

どのようにすれば医師が集まるのか?
それは責任もって神戸大学が考えるということのようである。


『病院のことで一番ネックになっているのは、医師の派遣である。診療スタッフについては、神戸大学は、派遣について明確に責任を持つことになっているのか?』
という議員の質問に対して、市当局は

『全国でもまれな提案であると受け止めている。
大学側から統合病院を建ててほしいという申し出であり、20診療科目を確保し医学部を卒業されるドクターの総合的な研修拠点病院を作りたいという大学側からの提案であるので病院を維持できる医師は、派遣できるものと考えている。』
と答えている。

推測するに
新病院については神戸大学系列の中核拠点病院として位置づけるためには、

診療科目は20科、
病床数は400床、
の病院を両市の負担で建設したら、
診療スタッフとして医師が80~100人程度(現状の三木・小野では71人)、看護師は400人(現状の三木・小野では331人)
は大丈夫集まるという計画のようである。

診療科目20科は、現在の三木市と小野市両病院の診療科目に産科を加えたもので、循環器・脳卒中・消化器・糖尿病・周産期と特化したセンター機能を持ち合わせたいとしている。

病床数は、一般病床350床、ICUーCCU(循環器集中治療室)10床、HCU(重症室)20床、開放型病床10床、人間ドック10床の50床を加えた400床を考えている。

医師数は、現状の人数に加えマグネットホスピタルとして整備することで研修医・勤務医が集まる。


そして、このような病院を作ることで、一番問題の三木市の『財政危機宣言』が回避されるか否かである。
これも少なくとも、市当局の見通しでは、現在持っている計画よりは数段よくなる見通しと言っている。
ただ、解決したわけではなく、今後更なる検討が必要である。

今まで、病院統合が纏まらなかったのは、建設地を三木、小野がそれぞれ主張したからだけではないだろうが、それも一つの問題点であったようである。
三木市は現在でも、小野の2倍もの病床数を持っている。また加古川の新病院も三木のすぐ近くに出来る。
医療の偏在化を避けるためにも、これは小野で当然と思っていた。

今回、三木市が折れて話が纏まったのだとすれば、それはまともな判断である。


夢物語ではなくて、
『患者、医師をひきつけて放さない魅力ある「マグネットホスピタル」』
が出来ることに大いに期待したいのである。



 

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産経新聞

2008-11-05 04:30:41 | 発想$感想
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朝日が左だとすれば、産経が右だというのが定説である。

私は朝日を50年以上読んでいるが、別に朝日の左よりの思想に同調しているわけではなくて、ただ習慣的にそうなっているだけである。
ひょっとしたら、産経の思想に近いのかも知れぬが、産経新聞の紙面などあまり見たこともない。
現役の頃、東京への出張の飛行機の中で見たぐらいである。



今回、航空幕僚長の更迭問題があって、朝日の社説の内容に納得がいかず、産経ならこの問題、どんな捉え方をするのだろうと、ネット上で調べてみたのである。

産経新聞を詳細に見たのは始めてである。
勿論、インターネットで見ただけだが、
当然のようにこの航空幕僚長問題は詳しく記事に書かれている。

記事の中味や論調にも興味があったが、
一番印象に残ったのは、『記事の文中のリンク』である。

あちこちにリンクがあって、それを拾っていくとキリがないくらいである。
『歴史認識』からはそのWikipediaも出てきたし、
どこからそこにたどり着いたのか忘れてしまったが、
以前に田母神俊雄氏が東京大学で講演をしたときの記事などもあって面白かった。



別に政治問題に限ったことではなくて、
先日のツアー初優勝の石川遼君に関する裏話

原WBC首脳陣の陣容など
スポーツの話題も詳しくて面白かった。


大阪の橋下日記もあるようだし、『お気に入り』に入れて、ちょっと見てみようと思っている。
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石川遼君、優勝おめでとう

2008-11-04 04:32:13 | スポーツ
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石川遼君プロ転向後のツアー初優勝である。
ご本人もほっとしたであろう、優勝会見のあの涙が印象的であった。


初めて彼のドライバーのスイングを見たとき、
『まさにスポーツ選手のスイング』と思ったのをよく覚えている。
杉原輝雄などの昔のキャデイ上がりのプロ選手などとはまったく異質のスイングだと思った。

タイガーウッズを見たときも、同じような感想を持ったが、
石川遼のほうがスイングに美しさがあるように思えたのである。

フロックのような優勝のあと、高校生でプロ転向をした。
少々落ち目の男子ゴルフ界の救世主のようにマスコミに取り上げられ、世の関心を一身に集めた。
スポンサーも超一流企業がついて、噂されるその金額は、ツアー賞金などアテにしなくても大丈夫と言うような破格の水準であった。


プロゴルフの世界は、他のプロスポーツに比べてもより明確に、実力がハッキリするスポーツである。
前半、ずっと予選落ちが続いたときは、周囲の目、特にプロゴルファーの彼を見る目は厳しかったことは容易に想像できる。

東廣野でのトーナメントも観に行ったが、予選通過が難しそうで、2日目に石川遼目当ての『オバちゃん』たちが群がったりした。
練習場などでも彼の動きに対する『どよめき』など異様で、これを見る先輩選手たちの心情もよく理解できた。

そんな雰囲気の中で、よく耐えてよく練習したのだろう。
先日の日本オープン2位に続いての優勝である。
本当にほっとしたのがよく解る。

ABCゴルフ場でABCが実況放送を担当したトーナメントでの優勝である。
スターについている、そんなめぐり合わせのようなツキというか、運勢も感じられる。
将来の目標は、『マスターズでの優勝』という。
そんな不遜とも思える目標も、この3週間を見ていると、ひょっとしたらひょっとするかも知れないと思えたりする。

そんな17歳、前途有望な17歳である。
石川遼君、優勝おめでとう。
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航空幕僚長更迭に関連して

2008-11-03 04:30:22 | 発想$感想
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航空幕僚長の更迭があった。
政府見解と異なる意見であるということである。

これに対する、朝日と読売と産経の社説や主張を抜粋してみた。
読売の社説がまともであろう。
しかし、海外で少年時代を過ごしていたものの心情としては、産経に頑張って欲しいと思うのもホンネである。

朝日は、中国人や韓国人の気持ちは理解できても、当時海外で過ごし多くの犠牲を払った先人の日本人の心の痛みなど全然解っていないような気がしてならない。
そんな先人たちは『侵略のために』外地に出かけたのではない。



朝鮮を『ふるさと』と思う人もまだいるのである。
当時の朝鮮、こんな風であった。


戦前の日本の植民地統治とか侵略とか言われるが、
確かにそんな面もあったのは確かだろうと思う。

そんな日本の朝鮮や満州国の侵略の時代に、その頃は日本であった海外で過ごした人たちもだんだんと少なくなってきているだろう。

私は昭和20年8月終戦のとき中学1年生であった。
今の韓国、ソウル当時の呼び名は『京城』であった。
覚えているわけではないが、1歳のとき朝鮮大田に行き、小学校1年生からは京城で育った。
『ふるさとは?』と聞かれたら、『京城』と応えたくなる。

大東亜戦争、そう呼ばれていた、が始まったのが小学校2年生のときであったから、大体のことはよく覚えている。
当時は、そこは日本であった。みんながまさしく標準語の日本語を話し日本を『内地』と呼んでいた。
それが日本の侵略の結果だと言えばその通りだが、日本人の住む町と韓国人の住む町は違っていた。
日本人の住んでいる地区は、当時の内地の家々に比べても随分と広く立派であった。
そんな、個人の住宅だけではなくて、京城の町自体が立派であったし、道路も素晴らしかった。
当時、神戸の市電が日本で一番と言われていたが、それよりも綺麗な市電が走っていた。
三越も神戸の三越よりも大きかった。


それは、日本の植民地政策、侵略の結果であったといえば、その通りであろうが、
一般の当時の民間人にそんな意識があったとは思えない。
戦争の結果、一般の民間の人たちは、そこに築いた全財産を何の補償もなく放置して、引き揚げてきたのである。
所謂、南鮮はましであった。北鮮や満州では帰ることさえ叶わぬ人たちもいたのである。
そんな、犠牲をあまり文句も言わずに黙って受け入れてきている。

何事も、100%悪かったということは、世の中には存在しないものである。
外地に日本人が残した、鉄道や電力や街そのものも、個人の住宅もみんな無償供与である。
中国や韓国に対しても幾らかの貢献はあったと思って当然だと思っている。


そんな私だが、昭和20年8月15日の午後、『終戦の勅諭』の直後のソウルの町の様子が一変したのは、
そこに朝鮮の人たちの長年の積もる想いを見たと感じた。

ソウル市内の市電は韓国旗を持った人たちの歓喜のお祭り電車の様相に一変し、日本人など、とても電車に乗せて貰えなかったのである。
中学校から、家まで歩いて帰ったのをよく覚えている。

そんな時代を経験したのは貴重だと思っているし多くの海外の人たちの犠牲も仕方がないのだと思ってはいるが、
一方的に悪く言われるのはどうしても納得できないのである。
少年時代の純な思い出まで悪く言われているような気がしてしまう。
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忍者の伊藤さん

2008-11-02 09:26:49 | カワサキ単車の昔話
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一昨日の晩、寝ていたら電話が鳴った。

『伊藤です。西明石で荒木と細谷とで飲んでます。』
電話があるのは、いつも飲み屋からである。
酒が入ると、昔を思って懐かしくなるのか、電話をかける気になるらしい。

伊藤さんは、大阪のバイク屋、忍者の伊藤さんである
こんなに立派なホームページのお店になった。
初めてお会いしたのは、昭和45年末(1970)店の場所は一緒だが小さな小さなお店だった。
40年ばかり前のことである。
ご縁があって、ずっとお付き合いが続いている。

今でも毎年水ナスなど欠かさず、送ってくれる。
電話でも、『今度はかにを送ります』と言ってくれた。
釣りきちだから、自分で釣るのだろうか?

伊藤さんに気に入って貰うのは、なかなか大変である。
荒木、細谷はどうもお気に入りらしい。この前の電話のときも細谷君は一緒だった。
『うるさいのである』
ちゃんとご自分の独特の考えを持っていて、絶対に曲げないところがある。

40年前に、『これからは認証工場の資格を取るべきだ』と言ったら、苦労してその資格を取ったのだが、『認証を持っているところも、ないところも、扱いが一緒だ』と随分と文句を言われたものである。


当時は、大阪で特約店制度をスタートさせようとしていた時期で、船場モータースの岡田さんや伊藤さんには、カワサキの一員のような形でお世話になった。
一緒にこの制度を創りあげた仲間のような気がしている。
販売店の人たちと夜の12時ごろまで営業所で会議などしたものである。

そんな時、船場さんの息子さん(多分今の社長さん)のところに、岡崎のヤマハオートセンターの杉浦さんのところから、バイク販売のDMが入った。
当時は、まだDMも珍しかったし、販売のテリトリー制がよく言われていた。
『これはテリトリー侵害だ。文句を言ってきてほしい。』と船場さんに言われて、
初めてYACの杉浦さんのところに文句を言いに行ったのである。

今は300店舗に近く、750億円の売り上げを誇るレッドバロンも当時は岡崎の1店舗のみの時代であった。

杉浦さん曰く、
『こんな岡崎の片田舎で、安全運転コースも持ち、認証工場の資格もちゃんと取って、一生懸命売ろうとして、大学を卒業した人たちにDMを売って販路を開こうと努力している。』と言われて、『なるほど』と思ったのである。

『解った』と言って帰ってきたのが、杉浦さんとの初対面であった。
彼も『うるさい』ことにかけては『超一流』であったが、その後もずっと気があって、いろんなお付き合いがあったのである。

伊藤さんに、『認証工場を』と言ったのは、杉浦さんの話を聞いたからなのだが、
これは多分、伊藤さんには話していない。
当時でも、二輪車は世界一の商品だったから、それに見合うちゃんとした販売網で売るべきだと思ったからである。

懐かしい伊藤さんの独特の声と話しぶりを聞いて、ふと認証工場のことや船場さん、杉浦さんのことを思い出した。

みんな『うるさい人』ばかりであった。
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