雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

姫路バラ園、5月15日

2009-05-16 04:41:18 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
5月15日、ちょっと早いのかも知れぬが、姫路バラ園に行ってきた。

いろんなバラ園にいって見たが、今のところここが一番である。
そんなに広くもない。
場所もなかなかわかりにくい。

だけど、バラの種類も中の雰囲気もいい。
何よりも手入れがよくて、一つ一つのバラが元気である。



バラ園もいろいろあって、公園風のバラ園では同じ種類のバラをたくさん植えているところが多いが、ここは1本1本が見事である。



川の流れも景色もなかなかいい。
市川の清流から上手に水を汲み取ってばらを育てているのである。
毎年行っているので、店の人とも顔なじみである。

行けば必ず何本か買って帰る。
今日はコーヒーオベーション、とニコルそれにつるバラのロイヤルサンセット。
みんな人気のバラである。
バラの名前はみんなかっこいいのだが、覚えるのに大変である。



もう何日か時期が早くて、蕾のものも多かったが、その分花が確りしていた。
ただ綺麗というのではなくて、バラを育てているものにとってはなかなか勉強になるバラ園なのである。


こんな写真を撮ってきた。

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カバン屋さんのブログ

2009-05-15 04:02:56 | NPO The Good Times
今朝のブログは、カバン屋さんのひょこむのブログをそのまま無断借用します。

カバン屋さんのブログは、ひょこむでは外部公開にはなっていませんので、単にリンクしたのでは、出るのかどうか、解りません。
今朝のブログの内容は、カバン屋さんのよさや想いがいっぱい出ています。

それで、そのまま転写します。

なぜカワサキのZオタクのカバン屋さんが、カバン屋さんになったのか?
でも、今でもカワサキに賭ける情熱は昔のままです。

今度のNPOでは、理事さんで、事務局長で、おまけに事務所も無料で提供して頂いています。私のパソコンの先生でもあります。

その「NPO.The Good Times 」のスタートも、もう間近です。
昨日は、会員カードが出来上がって、我が家に送られてきました。
こんなカバン屋さんと組んでスタートするNPO です。

まあ、ご覧になってみてください。





こんにちは!



いや~、昨日は忙しい1日でございました♪



特に長男&その野球仲間をゾロゾロ引率しての「ドライブインながさわ」!



他所様の子供なので、何かと気い使うったら・・・・もうヘトヘトでした。



さて、カバン屋の商売の調子でございますが・・・、



最近良く「福の神さま」が、お店に寄って下さる影響か・・・、



おかげさまで、新入荷以来・・・1日4.5個のペースでおカバンが売れてます♪



同時に入荷しましたバイク達も、近所のバイク屋さん軍団の活躍により、



ハイペースで全国へ旅立っております。



何もかもが、本当にありがたい事でございます♪



唯一の悩みは、「店主カバン屋のモチベーション低下」のみで、ございます(笑)



そんな時は、自分のHP内にある「RIMOWAとの出会い」を読み返します。
http://www.seaz.jp/hpgen/HPB/entries/8.html

(※文中に出てくるHさんは、ひょこまーの「タイスケさん」です♪)



早いもので、今から6年前に書いた、HP内のコラムなのですが・・・、



ひょんな事から、RIMOWAを知り、RIMOWAのカバンを輸入するに至り、



カバンの事など、全く知らなかった私が、カバン屋になっていった時の・・・



熱い想い・・と言えば少し大げさですが、もっとピュアな私がソコに居ます♪



当時、RIMOWAを知っている日本人は、ほんの少し・・・・、



並行輸入している業者も、ほんの2~3社だったような気がします。



それが、今や芸能人の旅番組には、RIMOWAが良く出てくるし・・・、



母親のゲートボールチームのメンバーもお揃いのRIMOWAで遠征♪ 等など、



急速に、とってもメジャーな旅行用スーツケースになりました。



おかげさまで、カバン屋の輸入販売するRIMOWAの数も右肩上がり・・・



それは、単純に商売として見れば、とっても嬉しい事なのですが・・・



逆に、どんどんとメジャーになっていくRIMOWAを見て、少し寂しい気持ちになったりもします。



この訳ワカラン(笑)感情は、昔どっかで経験したな?って思い返して見ますと、



ちょうどカワサキのZ1/Z2が、忘れ去られた過去の名車から・・・・旧車ブームに乗って



どんどんメジャーになっていった時に感じた想いと似ています。。。



やっぱり、カバン屋は、基本的にマイナーなモノが好きなのかも知れませんね~。。。



まあ、そんなこんなを思いながらも、今でもRIMOWAとカワサキZ1/Z2が大好きです♪



遠い目をしながら、物思いにふける余裕もございませんので・・・、



引き続き、頑張ってカバンを、売って、売って、売りまくりまーす♪



でも、そろそろ、どっかへ旅行に行きたいよーーーーーーっ!!






これ、カバン屋さんの会員カードです。
申請した役員名簿の順番にカードを割り当てることにしています。

「NO. 0008」 末広がりの8番です。
また、カバンも、Zも どんどん売れることでしょう。

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ちょっと書きにくいが

2009-05-14 04:05:19 | 発想$感想
世界で問題となっているインフルエンザ。

日本でのこの種の対応は、非常に徹底していて、世界的に見ても高い水準で実行されているのだと思う。
このような種類の問題解決の対応はある意味日本の得意分野ではある。


昨日だったか、カルフォルニアにいる娘からほかの件で電話があって、インフルエンザのことも話になった。
こんなブログもアップした。




厚生省など担当部門はみんな一生懸命なので、ちょっと書きにくいのだが、
昨日の段階でも少々度が過ぎていると思っていた。

今朝の新聞で、徳島県の教育委員会が小学校の大阪、奈良、京都方面への修学旅行を中止したとの記事が出ている。
『過剰反応』という批判も出ているが、間違いなく過剰反応である。
『事なかれ主義』の典型みたいなものである。

メキシコやアメリカなどへの旅行中止なら、常識として解るのだが、
徳島から近畿に行くのに、何を持って危ないと判断をしたのか?
いたずらに、不安だけをあおる行為としか思えないのである。
なでしこジャパンがアメリカ遠征を中止したというのはまだわかるが、
こんな過剰対応をする教育委員会など『何を考えているのか?』と思ってしまう。


昨日のブログにも書いたが、
アメリカで『インフルエンザ免疫パーティー』が開かれているとか。
いかにもアメリカらしいユニークな発想だが、もしこんなことをしたら日本ではどんなことになるのだろうか。

面白い発想だが、『これはいい』とは、ちょっと日本では書きにくいのである。
然し、そんな国も世界には存在するのである。
徳島の教育委員会なら、どんな風に論評するのだろうか?

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かわい子ちゃんが紹介してくれた赤穂のめがね屋さん

2009-05-13 04:09:39 | NPO The Good Times
ひょこむのトモダチ「かわい子ちゃん」さんのこんな紹介文で、
赤穂のめがね屋さんが新しく参加された。ハンドルネーム「もくじき」さんである。
「かわい子ちゃん」もハンドルネームだが、赤穂のこんな商店街の会長さんなのである

『商店街の会員さんの もくじき さんを紹介します。
赤穂の同じ商店街でメガネ屋さんをされている方で、発想力や実行力のある方です。
ちょっと、お話をされると止まらないのが、さるとるさんの『おもしろい!』にあたります。なので、NPOの事もやっていただけると思います。』


早速、トモダチになった。
こんなメッセージが直ぐ戻ってきた。

『「かわい子ちゃん」さんからご紹介頂きましたもくじきです。どうぞ宜しくお願いします。
>高校は明石です。
もしかしして、県立明石高等学校の卒業生でしょうか?
もしそうでしたら、私は後輩になります。
カワサキワールドのブログもお持ちのようですが、川崎重工にお勤めされていたのでしょうか?
もしそうでしたら、私の父と伯父も川重の兵庫の造船所に勤めておりました。』

明石高校の後輩でもある。川重にも関係がある。
これは大丈夫イケル、ご縁もあると思って、このブログを勝手にアップしているのである。


紹介者の『かわい子ちゃん』さんがまずNPO The Good Times への関心大なのである。
先日お会いしたときに、オピニオンリーダーになれるような仲間をとお話したら、
ちゃんと覚えておられて、赤穂で今セットしていますとのメッセージも頂いた。
その一番目の仲間の眼鏡屋さんなのである。

昨日、この1年を振り返ってこんなブログをアップしたのだが、
物事はやりたい人と組んでどんどん引っ張ればいいのである。
こんなホームページもお持ちである。


やりたい人を見抜くカンみたいなものは、勿論要る。
それを確かめることも必要である。
まあいろいろあるが、大丈夫と信じた場合は一直線に走ることだと思っている。


このNPO、今三木とカワサキでスタートしようとしている。
大きく分けて、
三木でも緑ヶ丘、吉川、市役所グループ。いろんな施設やグループや自治会や行政。
カワサキも、明石と東京、バイクとジェットスキーと鉄道車両、レースやツーリング、いろいろとある。
みなそれぞれに面白い。
それに赤穂が加わりそうである。神戸フルーツフラワーパークも仲間になるかも知れない。

まさに『異種、異質、異地域』 なのである。

これをスムースに繋ぎ、それぞれにグッドタイムなときを演出できる仕組みを作るのは、
人のアタマ、柔軟性、発想力、創造力だと思っている。
そんなことが出来るNPO法人The Good Timesでありたいと願っている。


地域の活性化で「商店街」は面白いテーマである。
勿論、緑ヶ丘にも加古川の寺家町にも商店街はあるのだが、今のところのノリは、赤穂のほうが数歩リードである。

一番、乗っているのはどこか、体はひとつだから、あっちもこっちもと思っていたら遅れてしまう。
走れそうなところとまず組むべきである。

かわい子ちゃんと、そして彼女の紹介の「もくじき」さんと組んでみるかと思っているのだが。
かわい子ちゃん、いかがですか?

お互い熱っぽさもあるし、毎月定例のJCの会合もあるし、もう少し乗れば赤穂に出かけてもいいし、と思っている。

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ブログの読者解析と意外な読者

2009-05-12 04:14:39 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
毎朝一番に見るのがアクセス解析である。

gooのアクセス解析は一つ一つが結構詳しくて何となく読者層がわかるような気もするのである。

閲覧数と訪問者数は0時から24時間、1時間ごとにわかるようになっている。
閲覧数では、いつもある時間200ページに近い数字が並んだりする。多分どなたかが集中して1時間近く読み続けて頂いているのだと思っている。

私のブログは普通前日に書いていて、朝起きたら直ぐアップするのだがそんな関係もあるのだろう。訪問者数は朝の4時、5時台がいつも多いのである。

ページごとのアクセス数は上位20位までが表示されるが、当然当日のものがトップに来る。後はばらばらだが、多分検索やリンクなどとの関連なのだろう。

アクセスURLは、どこから何からアクセスがあったかが解って興味ぶかい。
毎日必ずアクセスしてくれる常連さんたちも直ぐ解る。
これも上位20位までが並ぶのである。

検索ワードは、
これはいろいろである。人の名前なども多いが社名などもある。
いろいろと広範囲に書いているからかも知れない。




そんなことで何となく読者の想定をしているのだが、
この週末意外なお二人の方から読んでますよと先方から告げられた。

ひとりは慶睦会でお会いした永田倉平さんである。
もう50年も前の私が二輪の営業に移ったころからの、営業の先輩である。
お話を聞いていると、毎日見ていただいているようである。

通称『くらへいさん』で通っている永田さんとは、私のはじめて飛行機経験のとき、ご一緒だった。多分永田さんも飛行機は初めてではなかったかと思う。
もう故人になられた当時の上司苧野さんと3人での羽田から札幌行きだったのだが、
苧野さんに『君ら先に羽田に行っといてくれるか』と言われて、先に空港に行って待っていた。何もせずにただ待っていたのである。
先に行って、いい席をちゃんと取らねばいけなかったようである。
あとで来られた苧野さんに『何をしとったんや』と怒られたのを覚えている。

飛行機に乗るなど、普通のことではなかったもう50年近くも前の時代の話である。
そんな先輩の『くらへいさん』が読んでいてくださる。
多分80歳は超えている。『パソコンが出来るんだ』とビックリした。


もうおひとりは、先日の鉄道模型の走行会の道具をJJさんと一緒に届けた、
神戸フルーツフラワーパークの課長さん、ひょこむのハンドルネーム『ごわすさん』である。
昨年のイベントからのお付き合いである。ハーレーに乗っておられる。
長身でかっこよくて、とても行政のお役人には見えない。
昨年のミニSLからのお付き合いなのだが、これも先方から、
『ちょくちょく雑感日記読んでます』NPOをつくることも、その他私の動きをご存知のようである。

NPOの団体会員のほうを是非お願いしたくて、その説明メモを持っていっていたのだが、先方から話を切り出して頂いて助かった。
書類だけお渡しして、『ではまた』とお別れした。
5月末、神戸フルーツフラワーパークでミニSLと鉄道模型の二つのイベントが昨年に続いて行われる。
そのときに、また続きをと思っている。

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異種、異質な異地域間の連携を

2009-05-11 07:17:11 | NPO The Good Times
5月3,4日グリーンピア三木で、昨日、一昨日はよかたんの山田錦の館で鉄道模型が走りました。

「異種、異質な組織」が「それぞれの資源や特性」を持ち寄り「対等の立場」で連携しイベントなど共同運営を行うのにSNSなどネットの仕組みは非常に適しています。

これは今設立中のNPO The Good Times の設立趣旨書の中にある文章ですが、
まさしくそんなイベントでした。



神戸新聞の三木版ですが、こんなに大きく報道されました。



鉄道模型を走らせてくれたのは、『川重鉄道研究同好会』の神戸や明石のメンバーです。

場所を提供して頂いたのは、グリーンピア三木、よかたんの山田錦の館、
そしてこの次は5月末に昨年に続いて、神戸フルーツフラワーパークで開催されます。

よかわ鉄分十分会のみなさんが鉄道車両の写真の展示で協力です。
北条鉄道や神戸電鉄も出店を出してくれました。

この催しを手伝ってくれたり応援をしてくれたのは、三木やよかわの方々です。
特に三木市役所の職員のひょこむのメンバーが中心でした。
ひょこむのメンバーと言えば、鉄道模型の中心のこばちゃん@鉄LOVE さんもぼけちんさんもそうですし、
机の運搬などいろいろ手伝ってくれた吉川青年部の油吉さんもひょこむのメンバーです。
油吉さんとkawakkyさんは今度のNPOの理事さんもお願いしています。
ひょこまーたちはお客さんでも沢山来てくれました。

こんなイベントで、鉄道研究同好会のみなさんが意外に苦労しているのが道具の運搬や保管です。
レンタカーなどを借りていつもはやっているようですが、今回のイベントはグリーンピア三木の営業支配人さんが自らよかたんまで運んでくれましたし、テーブルのシーツもホテルのベッドカバーを貸していただきました。
次の神戸フルーツフラワーパークへは役所の広報担当のJJさんが運んでくれました。
神戸フルーツフラワーセンターは5月末までその道具の保管もやって下さいます。
快く引き受けて頂いた神戸フルーツフラワーセンターの課長さんも実はひょこむのトモダチです。みんなある意味仲間なのです。

これもみんな昨年からの活動の輪が自然に広がっていますし、お互い信頼関係で繋がっています。



グリーンピアの時には北条鉄道さんが店を出されて、加西市役所の経営戦略課の方が来ていました。
よかわ鉄分十分会のメンバーには三田市役所の方もいます。
神戸フルーツフラワーセンターの課長さんは神戸市役所の方です。
行政はタテ型の典型で行政間の連携などあまり見られませんが、こんな風に自然に連携できるのは、それを繋いでいるのが民間だから自然に連携できるのだと思っています。

日本は同種の連合が一般的ですが、なかなか上手く機能しません。
例えば、ゴルフ場などの協会も団体を作ってみても、ある意味ライバルですからなかなか真の連携は出来ません。
若しやるなら『異地域』間なら、例え同種でも機能するのにと思います。

異種、異質、異地域間の連携が上手く行くのは、基本的にお互い競合関係がないのでメリットだけが目立つからだと思います。
こんな日頃関係のない組織や人々を対等の立場で繋ぐのは、SNSやネット社会は非常に適しています。

この1年、そんな仮説をたてて、そんなコンセプトでの連携を個人的に実験してきましたがまず大丈夫です。
1年経って、私の周りには約100人もの私が招待したひょこまーと200人のトモダチが出来ました。

7月からは、NPO The Good Times で法人としての活動を開始したいrと思っています。
NPOの理事さん12名、アドバイザー5名、そして現在の応援者などみんなひょこむのメンバーです。
いろんな立場の方達ばかりですが、趣旨に賛同される『共感ネットワーキング』の活動を目指します。


余談ですが、このイベント主催者が居るようでいません。
多分、行政などの正規の組織が入ると事故のあったときの責任は?などとの議論が直ぐ出るのだと思います。
お金も殆ど掛かりません。
私はみんなを繋いだだけですが、若し責任をと言われるような事態になったら、責任者かなぐらいの認識はありました。
そういう意味でも個人よりはNPOのほうが世の中に通用するのでは思っています。

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続、慶睦会

2009-05-11 04:09:40 | カワサキワールド
昨日も慶睦会のことに触れたが、
これはカワサキモータースジャパンと言う会社のOB会なのである。

一般にOB会というのは、卒業した時、或いは定年退職したときそこに所属していた人の集まりで、途中で居なくなった人はその資格がないのが普通なのだと思うが、
この慶睦会はその構成メンバーの大半が中途退社の人たちの集まりなのである。

この会社はれっきとした川崎重工業の100%子会社なのだが、
その起源は川崎明発工業である。
それに名門メグロの人たちがジョインし更に当時の川崎航空機の人たちが出向したりした。

更にその後は各地域の代理店が直営化されたりして地方の代理店の従業員達も参加したりした。
まあいえば、アメリカ合衆国のような会社なのである。
その後何年かして、この会社の定期採用も始まったりした。

そんなことで、この慶睦会の参加資格は、『1日でもこの会社に在籍した実績があればいい』のである。
今販売店の人たちも、かって同じ窯の飯を食った人たちの集まりだから、後エラク成った人も当時はそんなに偉くはなかったのである。
その頃の職位のままの、お付き合いと言うか話が出来るのでいい雰囲気なのである。

昨日、ご紹介した元川崎重工業の副社長の高橋さんは、かって若い頃、生産現場からこの会社の営業部門に一度出向されたのである。
はじめての営業経験で殆ど何もお解かりにならなかったので、もっぱら指南役は故岩崎茂樹君が勤めて、私などもお手伝いをした。

ずっと後にこの会社の社長も兼務されたので、その二つの、むしろ若い頃の資格での参加なのである。
元川重の副社長だからと参加者が話をするのを遠慮したりする雰囲気は皆無である。



私はこの会社に3度出向して、延べ23年ほどお世話になった。
この会社で身につけたノウハウや経験を持って、川崎重工業に3度出向したというほうが当たっているかも知れない。

この慶睦会は発足16年になるのだが、会が設立されたときは私の3度目の出向時で、当時のOBの方々とこの会のスタートの企画を手伝ったりした。
初代の会長の田中さん、苧野さん、清水屋さん、足立さんなどこの会の設立発起人の方々もみんな故人になってしまわれた。

今は、昨年度から関西慶睦会の会長、副会長さんもぐっと若返って、OBなのに新進気鋭と言うとおかしいかも知れぬが、この会社の定期採用1期生、2期生の富永、山田君が勤めてくれている。


でも、正直今後どうなるのかと思ったりもする。
今後、このOB会に加わる人たちは、この会社の定期採用者で定年で退職された人たちばかりである。
新しく加わる人たちは昔のOBたちのことを殆ど知らないだろう。
その辺のところはなかなか今後難しいと思っている。

3度も出向して長くお世話になったので、私などは出席者全員がわかるのである。
多分、そんな方は居ないと思う。
そういう意味でも、私の戸籍は川崎重工業ではなくてカワサキモータースジャパンなのかも知れない。

戸籍はともかく、
身についた私そのモノは、ほとんどがこの会社やそのグループから学んだものである。


そんな慶睦会の東京地区の会合は6月12日だとか。
ここには神田岩本町に事務所があった1960年ごろの明発、メグロの懐かしい先輩達や独立した販売店の連中が大勢集まる。

昨年は何年ぶりかで出席したのだが、今年はどうしようかと思っている。

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慶睦会とNPO

2009-05-10 04:07:03 | NPO The Good Times
昨日はカワサキモータースジャパンのOB会、16回目の関西地区の慶睦会が開催された。
「K mutumikai」と読む。

昔の仲間達の集まりは楽しい。
最近は外で人にお会いしても、大概は年で負けることは滅多にないのだが、この会合では4~5人の先輩達がおられる。
会社やグループの生い立ちから、川重籍、販社籍、などいろいろだが、普通一般のOB会と違って会員になる資格は1日でもこの会社に在籍すればいい。

だから販売店でも入会の権利ありである。
そんなことで結構楽しい会である。

約40名ほどの参加であった。


総会後パーティーに入る前の記念写真である。
顔をちゃんとご覧になりたい方はこちらをどうぞ。クリックすれば更に大きくなります。)

実は、この写真と一緒に私のカメラでも1枚撮って貰った。
いつも、記念写真を撮るのだが、送られてくるのは何週間後である。

写真を撮ってくれた、総務のグループ長の金子豊君に、
『写真を送ってくるのがいつになるのか解らない。そんなことでは、現代のスピードについていけてないよ。』とからかったのである。

会が終わって帰る時に、この写真が出席者に1枚づつ配られたのにはビックリした。
販社はこれくらいのスピードがあって当然である。
金子豊君の即座のスピード対応に拍手である。
それをスキャンして、ご披露しているのである。

私のカメラで撮ったものは必要なくなったので、別のこの写真を。



左から
元川崎重工業副社長で、私や田崎さんの上司であった高橋鉄郎さん。
続いて関西慶睦会の現会長富永君、この会社の定期採用1期生である。
田崎さんがKMC社長で、KMCも単車事業も危機だった時期に国内販社から海外販社に逆出向した企画の逸材である。
そして私、一番右が現KMJ社長の河野君である。


実は、昨日のの慶睦会には私はもう一つ、別の目的があった。
6月末に設立するNPO法人、The Good Times の相談役にと高橋鉄郎さんにお願いしら即答でOKだったのだが、
その概要並びに基本コンセプトをちゃんとご説明しておきたかったのである。
高橋さん用にレポートを纏めて、お会いして直ぐ報告説明をしたのである。
昔の企画時代に戻ったような心境であった。

富永君にも1部お渡しをした。
私がしょっちゅうこのブログで使っている『共感ネットワーキング』と言う言葉は、富永君が作ってくれたフレーズなのである。
このコンセプトは現役時代やりかけたが、時間切れになってしまったのである。

もう一つ
『Kawasaki, Let the Good Times roll.』 という今世界中のKawasakiで使われている基本理念は、
旧く1970年アメリカのKMCで発表され、当時全米で話題になったものだが、その後長く使われずに放置されていた。
これを再び使ったのは、ゼファーで絶好調だった時期の国内市場なのである。
そして、これを世界のコンセプトに決定されたのは、
当時の事業本部長兼KMJ社長の高橋鉄郎さんなのである。

今回、NPOのネーミングをThe Good Times と決めたのも、
高橋さんには是非相談役としてジョイン頂きたかったのも、そんな想いからなのである。


中締めの挨拶で、
ちょっとだけNPOにも触れたのだが、出席者の中にもこのブログを読んでおられると言う先輩の永田倉平さんなどもいらっしゃるので、少し補足の積りで書いている。


今年はNPOで理事にもなってくれている、この世界では有名人平井さん(thiraiさん)も、いっちゃんもいて、賑やかないい会であった。
また来年が楽しみである。

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ミツバチ不足

2009-05-09 04:15:29 | 発想$感想
ミツバチ不足の話題があちこちで聞かれる。

今までミツバチや昆虫達が花の受精で果実の生育に役立っているということぐらいは知っていた。
また、ただ蜂蜜を得るためにミツバチを飼っているのだと思っていた。
それくらいの知識しかなくて、ミツバチが少なくなって、農家がピンチなどと言うのは全然想定の範囲外の出来事であった。



『ミツバチ不足 』と検索するだけでこんなに情報が集まるのである。

『ミツバチ』だけで検索してもミツバチ不足のニュースがいっぱいである。

あちこち拾い読みしてみたが、ずっと昔からちゃんと人々はミツバチ対策をしてきているのである。
自然に勝手にミツバチも増えるのかと思ったらそうでもない。
どこかに天然のミツバチが病原菌などを持って害になるなどとの記述もあった。

世の中には知らないことも多いものである。
ミツバチがいなくなって大変と言うのはこんな出来事がない限り、解らなかっただろうし覚えたりしなかったと思う。

情報はいっぱいあるのだが、いろいろ詳しくて専門的で難しい。
これなどは解りやすいので、ご紹介してみよう。



■ シルルの疑問Q&A
[ミツバチ不足 なぜ困るの?]


ーいま全国のいろいろな地域でミツバチが足りなくなっているけれど、不足するとどうして困るの?

農作物の受粉に影響が出るからです。
飼育されているミツバチは花のみつを集めることだけが仕事ではありません。果物や野菜を栽培するビニールハウスや果樹園で受粉を手伝う仕事があります。
農家はミツバチを借りたり買ったりして確保できなければ人の手で受粉しなければならず、高齢の農家や規模の大きい農家ほど困るのです。

—不足の原因は?

日本は主にオーストラリアから女王バチを輸入し、国内で働きバチを増やしてきました。
しかし、ハチ特有の病気の流行でオーストラリアからの輸入が2007年10月からストップ。さらに昨年夏ごろに働きバチの大量死が発生し、ミツバチが足りない状態に陥ってしまいました。

—他の国から輸入はできないの?

伝染病を予防するため、ミツバチの輸入は規制されています。
日本が輸入できるのはオーストラリア、イタリア、ロシア、ニュージーランド、スロベニア、米国・ハワイ州だけ。
この中で輸入の多くはオーストラリアに頼っていたので、不足をすぐに補うのは簡単ではありません。

—日本でミツバチが不足している地域は?

農林水産省が今月10日に発表した調査結果では、山形(サクランボ)、栃木(ナシ)、静岡(イチゴ)、岡山(イチゴ)、鹿児島(メロン)など計21都県でした。
作物別で多かったのはイチゴが10都県、スイカが5県ありました。
その後、ミツバチを貸したり、別のハチを使ったりしましたが、21日に発表した調査結果ではまだ鳥取(スイカ、メロン)や茨城(メロン、スイカ、ナス)など7県で不足していました。

—秋田県はどうなの?

県内では5月から果物の受粉作業が本格的に始まります。県農畜産振興課によると、いまのところ不足の心配はないそうです。

—でも、このまま女王バチの輸入がストップしていると困るよね?

農林水産省は別種類のハチを使った受粉の指導や、足りている地域から不足している地域に貸し出す仕組みづくりをしています。
それでも、このままミツバチの不足が続くとハチの貸し出し料金が高くなったり、果物や野菜の出荷量が減ったりして価格が上がる可能性があります。
農林水産省は日本向けの輸出を希望しているアルゼンチンとの協議を進め、問題を解決しようとしているのです。


このほかにもいっぱい情報はありますので、詳しく勉強されたい方は、
『ミツバチ不足』 『ミツバチ』 のリンクをどうぞ。

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今年のプロ野球

2009-05-08 03:49:03 | スポーツ
昨年の日本シリーズ、西武ー巨人で大活躍の岸を見て、
WBCに選ばれるだろうか?とこんなブログをアップした。
その岸は、当然ながら候補には選ばれたのだが、最後には落選してしまった。

ところがである。
今年のプロ野球不思議なぐらい、WBC落選組が大活躍である。

岸などその筆頭なのである。
西武のピッチャーの中で抜群の成績である。
昨日などあるラジオで『最近は投げる人が少なくなったというカーブ』を投げるピッチャーと言うことで岸の名前が挙げられていた。
引き合いに出されていたのは、あの江川卓である。

選ばれなかったから発奮して好調なのではないだろうが、
選ばれなかったけど好調な人がもうひとりいる。
楽天の野村監督である。
予想に反して、今パシフィックのトップを走っている。
監督生活も今年が最後と言われているが、最後まで頑張ってほしいと思っている。



今年のプロ野球が始まったが、
どうもWBCに出場した選手達の調子がもう一つである。

イチローも開幕に間に合わなかったし、
松坂も、城島も岩田もオリックスの誰だったか若いエースも、
あまり試合には出なかったのだが、藤川までも休んでしまった。

プロ野球選手にとってみてあの春の時期は、ひとりひとりが自分に合わせて、自分なりの調整をする時期なのかも知れぬ。
あの時期殆ど試合にも出なかった金本は絶好調だし、
お声も掛からなかったが、選ばれなかった坂本はいいし、選ばれた亀井はもう一つである。

大体、勝ったり負けたりしながら100試合以上戦って順位を決めるプロ野球。
登板するピッチャーでチームの実力が変わってしまう野球と言うチームスポーツで、1戦も落とせないトーナメント方式が合っていないのかも知れない。

日の丸を背負って戦う、選手達のプレッシャーやストレスは大変なものだろう。

アメリカの大リーグの当事者達がやきもきするのも、解らぬではない。
彼らはWBCに勝つために選手に高い高い契約金を払っているわけではない。
そんな選手が故障しても、誰もその補償はしてくれないのである。


プロ野球が開幕して1ヶ月、
開幕には間に合わなかったが、いつになく4月が好成績だったイチローはまずまずだが、
WBCのMVP松坂が早く本来の投球を見せて欲しいものである。

日本国民はみんな大喜びであったWBCだが、問題があるのも事実である。


ちなみにWBCといえば、『WBCの屈辱胸に無傷9S、林昌勇鉄の守護神』と今朝の新聞の見出し、WBCの決勝イチローに打たれた韓国を代表するストッパーは、絶好調である。
阪神は2-1で負けてしまった。

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端午の節句に男の子の夢を

2009-05-07 03:40:29 | みっきぃふるさとふれあい公園
5月5日端午の節句であった。
男の子の節句に、男の子の他愛のない夢を一つ。

先日、何になりたいという子供達の夢の記事があった。
男の子は野球の選手がずっと一番のようである。

76歳だが男の子には違いない。
ずっと夢は持って生きてきたが、不思議なことに何故か、何になりたいとは子供の頃から一度も思ったことはない。
ただ、『何をしたい』と言う夢みたいなものは、若い頃からずっと持ち続けている。
今でもいっぱい『やりたいという夢はある』


その中の一つ、
5月、端午の節句の鯉のぼりに引っ掛けて、この数年ずっと思い続けている夢をひとつ、まあ聞いてください。

年寄りだがまぎれもない男の子の夢を。





『三木の美嚢川に、鯉をいっぱい泳がせたい』

何人かの人に言ったこともある。
『美嚢川プロジェクト』と名づけて市長メールで提案したこともある。


なぜ、そんなことを。
いろいろと理由はあるのだが、
まず、私自身が鯉が好きだからである。家でもずっと飼っている。

鯉は100年生きるという。
川などでは放流するだけで維持費は一切掛からない。
年々立派に育つ。餌を与え続けたら馴れて、群れを成して寄ってくる。
伊勢神宮の五十鈴川の清流に泳ぐ鯉、小学校の頃見つめた印象は今でもはっきり覚えている。

鯉、日本の人たちが作り上げた文化である。
熱帯魚のように同じ紋様ではない。1匹1匹が違うのである。
金物と言う旧い伝統文化を創り上げてきた三木のまちに、よく似合う日本的な生き物である。

美嚢川、支流を含めると三木全体がかかわりを持つ三木全体に広がる川である。
町の中も住宅街も、田んぼの中も流れている。
この流域での参加は、三木全体のプロジェクトとして育つ可能性がある。

美嚢川には桜の木もいっぱい植えられているが、残念ながら春だけである。
鯉は1年中見られるのである。
札幌などでは冬の間は寒さに耐えられずにどこかに移して冬を越させるのである。

札幌、高山、岡山などなど鯉を観光に使っているところは多いが、三木のその立地は、ドンとダムに始まって流域全体の環境も抜群である。
美嚢川のスケールは全国的に見ても最右翼、実現すればそのスケールは、間違いなく日本一である。
『日本一美しいまちをめざす三木』に似合うプロジェクトだと思っている。


そんな自然環境と流域全体に散在する小学校の子供達が魚や生き物たちとの関わりを持つのはいいことだと思う。
例えば5月の5日、こどもの日にあちこちの流域で、鯉の稚魚を子供達の手で放流する。
その鯉たちは子供達の人生とともに生きるはずである。

鯉の稚魚など、そんなに高いものではない。
沿道の植木などよりずっと安いし、その後の維持費が掛からないのが一番である。

三木の自然環境は、この周辺でも抜群にいい。
蛍も飛んでいる環境だし、もっと積極的に自然を利用しさわやかな
『三木のイメージ』を造りあげたらいいと思う。

毎年毎年継続することで、そして鯉それ自体が育って目玉になる。
子供達が放流すること自体はニュースになる。
三木全体でやれば口コミにもなる。


実は5月5日には、三木市役所は市役所前でこんな鯉に関するイベントをやっているのである。

市役所の玄関のヨコの池には何故か鯉が数匹飼われている。
全然関係がないわけではない。
もっと結び付けていけば、大きな観光話題になると、ほんとに信じている、
『10万匹の錦鯉が群れ泳ぐ美嚢川』、『76歳の男の子の夢なのである。』


さるとるさん、『鯉と蛍』忘れないで下さいね。
鯉や蛍は、まだ私の引き出しに球根で眠っているのですが、
いつの日にか、
例えば、
NPO The Good Times が立派に育ったら、是非やってみたいプロジェクトの一つなのです。
観光振興課が動けばもっといいと、思っています。

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橋本関雪と橋本海関

2009-05-06 04:14:28 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
昨日の大西宏さんブログ、『お城が背景の赤煉瓦美術館 』と題してこんな記述があった。

『美術館そのものに観る価値があるように感じます。
ちょうど、姫路の地にゆかりのある大正、昭和にかけて活躍した日本画家橋本関雪の回顧展をやっていました。
橋本関雪といえば、京都の哲学の道に30年の歳月をかけて創り上げた「白沙村荘」もありますね。』


橋本関雪、小学校の子供の頃に家でよく『関雪さん』の絵が掛かっていた。
明石の伯父の家にもいろいろあったように思う。

絵も字も趣味であった父が、
『書は海関先生に、絵は橋本関雪に習った』と自慢していたのを思い出す。
どの程度どんな風に習ったのかは不明だが、『何となくエライ先生なのだ』と子供心に思っていた。

明石の遠い親戚に当たるなどとも言っていた。
ソウルの家にあった絵はすべて置いてきたし、明石の伯父の家にあった絵は戦災で焼けてしまって1枚も残っていない。


大西宏さんのブログにリンクしてある、橋本関雪の解説にはこんな風に書いてある。


橋本関雪
1883(明治16)~1945(昭和20)

神戸市郊外の坂本村(現神戸市中央区)に生まれる。本名関一。父海関は明石藩の儒者であった。12歳の時、四条派の片岡公曠に学び、その後京都に出て竹内栖鳳の「竹杖会」に入門。初期文展で活躍、大正5年から3年連続特選、大正8年からは帝展の中心画家として活躍した。昭和9年帝室技芸員、翌年帝国美術院会員となる。多数の著作があるほか、古美術研究家としても知られている。諸派の画風に学びながら深い教養に根ざした格調高い作品を残した。水墨の動物画に卓越した筆技を見せている。


父より16歳年上である。
神戸で生まれているのである。
橋本海関さんのお墓は、明石の長寿院にあるのだが、関雪さんの墓はない。

長寿院は明石藩主松平家の菩提寺である。明石天文科学館の直ぐ下のお寺である。



先日、墓参りに行ったときにたまたま撮ってきた写真である。
こんなブログに使うとは夢にも思わなかった。
『橋本海関先生之墓』という文字は、橋本関雪の書だと伯父が教えてくれた。
書も達筆である。


京都の
白沙村荘橋本関雪記念館
には一度だけトモダチといったことがある。


『橋本関雪と橋本海関』、会ったことも話したこともないのだが、
伯父と父の話の中にはよく出てきた名前で懐かしかった。



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鉄道マニアたちとの協働イベント

2009-05-05 04:00:50 | NPO The Good Times
今週、来週とわが町三木で鉄道車両が走る。

『三木で鉄道模型を走らそう会』というコミユニテイを立ち上げて、その開催を企画したのは今年の1月のことである。
こばちゃん@鉄LOVEさんたち、川重鉄道研究同好会の人たちが協力してくれることにはなったのだが、果たしてできるかどうか、場所を提供してくれるところがあるのかないのか?

まあやってみるかとスタートしたのである。
いつものように、思ったときはスタートである。
カンに頼って、『ダメもと』で大丈夫だろうとやってしまうのだが、そのカンが結構当たるのである。




場所をどこに決めるのか?
一番の課題だったのだが、本音で言うとグリーンピアなら幾らか関係があるので大丈夫だと思っていた。
直ぐ役所のさるとるさんが動いてくれて、JJさんも仲介してくれて、
よかたん山田錦の館で5月9,10日の開催が決まった。
あまり客が集まり過ぎても駐車場の関係があるので連休のゴールデンウイークの開催を避けたのである。

上手く話しは繋がるもので、そのあとミニSLさんやグリーンピアのほうから5月3,4日にミニSLをやるので鉄道模型も同時開催でやりませんかというお話があって、2月の緑ヶ丘での予行演習の日に、こばちゃんに繋いで、今回の開催になったのである。


このイベントのいいところは、
参画するすべての人が楽しみ且やりたいことが出来るのである。
参加するみんながハッピーなのがいい。

鉄道模型やミニSLを持ち込んで運転してくれるマニアたちは、自分たちが一番車両を走らせたいのである。
広い場所で沢山の人たちの前で走らせる、そのこと自体が楽しいのである。
子供たちがそれを観て喜び、乗って喜ぶのがまた嬉しいのである。

場所を提供する側は、人が集まること自体がいいことだし、メリットはいっぱいなのである。
だからその協力体制も非常にいい。
マニアたちが負担になる資材や道具の運搬や保管、こんなのはお手の物だから気軽に手伝ってくれるのである。

今回もグリーンピア三木が山田錦の館へ、そして次の開催場所の神戸フルーツフラワーセンターまで運んでくれることになっている。

全然別のところからも協賛者が現れる。
常連になっているのが加西市の北条鉄道である。
今回は、神戸電鉄も店を出している。
山田錦の館では、『よかわ鉄分十分会の写真展』も同時開催である。




私などは単に繋いでいるだけで、JJさんは広報をしてくれるし、マスコミにも繋いでくれる。

それぞれの役割を自然にこなしているだけで、特に予算などは発生しないのである。
異種、異質、異地域の人たちが、やりたいことで自然に繋がる。
『繋がることで』更に大きく立派なものに育っていく。
そんな手伝いみたいなことをこの1年やってきたが、今度は一緒にやってきた仲間たちと、NPOで更に組織的に拡げてみたいと思っている。

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昨日の朝、 さくら公園で

2009-05-04 03:52:35 | みっきぃふるさとふれあい公園
5月、ゴールデンウイーク真っ盛りである。

朝、いつものように「さくら公園」と私が勝手に名づけている近所の公園に犬と一緒に散歩にでかけた。
16歳の愛犬LOVE、昨年夫のTOMは亡くしたが、今は1匹だけになったLOVEとの散歩は毎朝の日課になっている。



つい先日までこんなに綺麗な花を咲かせていたボタン桜も、今はすっかり緑の若葉の季節である。

4月17日のexciteのブログで、こんなことを書いている。
このさくら36年前にみんなと一緒に苗を植えた、そんなさくらなのである。

おばさんがひとり、さくらの葉っぱを取っている。



文字通りさくら餅を作るそうである。
いつも新聞配達をしてくれる顔見知りのおばさんである。

少し話をした。
そんなに作るの? というほど葉っぱを取っている。
ただ、取っているのではなしに、形のいいもの、大きいものを選んでいるそうである。

新しい若い枝の葉っぱは大きくて綺麗だとか、そんなおばさんの講釈を聞いていた。
確かにそのようである。

そんなことで枝を選んで更に葉っぱを選んでいるのである。



何事もいろいろと奥は深いものである。
たかが、さくらの葉っぱではなくて、拘りのさくら餅を作るのだと言っていた。
ソメイヨシノの葉っぱは小さくて使えないそうである。

『さくら餅、作ったら持って行ってあげる』と言って頂いた。
楽しみに待つことにしよう。


それにしても、さくらの若葉があんなに形がよくて緑が綺麗だということ、
この年になるまで知らなかった。
自然の恵みは本当に美しいものである。

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昭和と紀元と西暦と

2009-05-03 04:39:29 | 発想$感想
『日本史と日本地理が面白いほどわかる!』という本を買ってきて、読んでいる。
500円ほどで『歴史の謎研究会』が出している、気楽に読めるものである。

自分の記憶が確かなのかどうか解らぬが、どうも学校で日本史を習った記憶がないのである。
そんなことはないと思われるかも知れぬが、
大体日本史などはいつの時期に習うのだろうか?

小学校の時代は大東亜戦争中で日本の神話や万世一系の天皇と言うようなことはいっぱい聞いたようなことはあるし、教育勅語などは暗記していた。少なくとも小学校では日本史は習わなかった。

紀元2600年が昭和16年で盛大にお祝いなどしたのは覚えている。
(これ昭和15年の間違いだったのを宮崎さんがコメントで教えて頂きました。紀元の年数の4で割り切れる年はうるう年、昭和の年数に1を足して割り切れる年がうるう年と習いましたので、間違いなく昭和15年です。)
終戦の年、中学1年生であったが、ソウルから引き揚げてきて、翌年もう一度中学1年生から行きなおした。

旧制中学の最後の年で、途中から高校制度が出来たりして中学は併設中学などと呼ばれていたのである。
その併設中学で日本史の授業は多分なかったと思う。
英語や数学は結構レベルが高くて難しかったが、日本史はなかった。
私は中学校まではよく勉強していたと自分でも思っているので、記憶は間違いないと思う。

当時は、戦時中の日本史の教科書など体制が変わってしまって、使い物にならなかったのではないだろうか。


今でこそ年号は西暦が普通のように使われているが、1970年代には昭和の年号しか世の中では通用しなかったのだと思う。
この本を読んでみても、すべて西暦で日本史が語られている。
それが当然の、西暦が普通の時代になったのである。
 
昭和50年、1975年ごろの実話だが、
ある民事の裁判で、カワサキの海外に行っていた社員が証人で出廷し、年次を西暦で話すものだから、裁判長以下みんな理解できずにいちいち「それは昭和何年ですか」ととチェックしながら裁判が進められたぐらいである。



解りやすく書いてあって、結構面白かった。
大体、解ったのでもう一度年号をチェックしながら読み直してみたい。

紀元2600年という私たちの小学校での年号で言えば、今年西暦2009年は紀元2669年と言うことになる。
確か神武天皇からスタートしているのである。
縄文などと言う言葉は、私は学校では聞いたことがなかったのである。

私と同じ年代の人は、ほかの県では、どうだったのだろうか。


昨日から地理を読み出している。
これも結構面白い。
100年前、日本で一番人口が多かったのは東京ではなくて新潟県だったとか。
ちなみに新潟県の人口は166万人、以下兵庫、愛知と続いている。
最も少ないのは北海道で30万人だったという。

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