下は娘の家の近くの神田川
また具に 神田川を地図でなぞってみた
出発点は 言わずと知れた井の頭池
小学生のころよく遊びにつれて行ってもらったり
ボート漕ぎを教わったところだ
そこから下って明大の裏を抜け
井の頭街道とぶつかるあたり
小学生のころ 飼っていたチルというワンコとお散歩
遊んだ 和泉田んぼという野っぱらを流れていた小川が
神田川だったとこの間気が付いて
興奮したら 娘が うちの近く流れているよ
と かなちゃんとのお散歩コースでもあるらしい
さらに下って
!!高田馬場あたり
戦争末期空襲が襲って来てた頃住んでたのは神田川の傍じゃないか!
さらに下ったら
江戸川橋のあたりの水路 あれが神田川とは知らなかった
高校生のころ
絵が描けるようになりたかったら画塾に行け!と言われ
高校二年生3学期だけ通ったすいどーばた洋画会って
今のすいどーばたの前身
水道って神田川のことだったのか!
高校三年生になってから変わって通った
絵のお教室はまさに裏に神田川が流れている
なんとなくお堀だと思ってたけど
お堀兼用か?
これはこの間歩いた蔵前に行く途中見た神田川
ここをもう少し東に行くと隅田川と合流する
川を渡って ちょっと行ったあたりが 父母の育ったところで
その近くで私は生まれたのだ
私は江戸っ子下町っこか?と思ってたが
隅田川を渡ると もう川向うと言って
田舎扱いというのはよくあった
でも両国あたりは御府内だったので江戸のうちだったようだけど
川向うという蔑称は むしろ非江戸っ子の言い分という説もある
江戸っ子下町っこって結局は何代かさかのぼると地方から出てきた人々
長屋などで暮らす
貧しい町民たちのことだ
私も何代か前は富山から出てきている
で 例えば長屋で暮らすような人々は互いに助け合ったり支えあったりしないと暮らせない
それで
下町っこはおせっかい焼きが多いそうだ
で 差別なんかしてたら話にならない
お高くなんか留まってたら 下町暮らしはやっていけない
だから差別的ではないそうだ
私は 母と暮らしてた時 差別を忌み嫌う性分だったのは
そういう教育をしっかり受けて来たんだな
と思ってたけど
そうか
母さんは 典型的下町っこ
私は出しゃばりで
つい口数が多く 前に出ちゃう
これも 反省しても直らない
下町っこの血だというのを最近知った
それでうんとハブんちょされちゃうが
この出しゃばりも下町っこの特徴みたいだ
何しろ井戸端会議が文化の地区 階層の出自だからで
両国は芥川龍之介の育った町でもあるけど
芥川家は江戸城のお数寄屋坊主のおうちで
そもそも下町にそうした文化を広める役割もあったみたいで
父たちも若いころ 孫たちと同じ
バンド組んで音楽やってたって
なんかとっても今の若者に通じるものもある