アドラー心理学続きます。
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怒りはねつ造された感情である
そんな!!感情が作られるなんて!
それもニセモノの感情だなんて、そりゃないよ。
しかし、例えば、ケンカしている母娘がいて
そこに1本の電話がかかってくる。
電話に出た母は、相手に愛想よく対応し
電話が終わるとまた娘に怒鳴る。
母は、怒りの感情を自由に出し入れしている。
ここでは、怒りは娘を怒鳴って
言うことを聞かせるという目的のために使われている。
そうなの?出し入れできるの?
そういえば、すごく悲しい時、いったん悲しみを引っ込めて
明るく対応することってできるだろうか?
楽しいい時もいったん感情を引っ込めることができるだろうか?
大体、そうする必要がないものね~。
社会悪に対する理論的な怒りとは区別している。
「怒りに駆られて」というのはウソってこと?
そういえば、ある人に
すぐキレたり、怒鳴ったりする人は実は弱い人で
弱さを見せまいと先に攻撃してくると聞いたことがある。
攻撃は最大の防御なりっていうことか。
ここにも人生の真実があった。
本当は、みんなわかっているのかもしれないな~。
そこに、「フロイトの原因論」のような
「あなたは悪くない、過去のせいです」と
言ってもらえれば楽だものね。
カウンセリングのほとんどがこのようにして
なぐさめるものであると書かれています。
でもね~、過去になにも障害の無かった人って
いるんだろうか?
アドラーはフロイトと同じ世代に心理学を研究して
フロイトと袂を分かったそうです。
アドラーは世界3大心理学の一つでありながら
日本ではドラマチックなフロイトが人気があり
ほとんど無名だったそうです。
もし、「怒りの感情」が湧きあがってきたら
私は、この怒りをもって何をしようとしているのか と
考えたら案外「私ってバカなの?」ということになるんだろうな。