スミロンのビーチにて
騒々しい年越し
大晦日、夕方の街中は凄い人です。
バスターミナルには今日まで仕事をして街に帰ってきた人と、これから帰る人の群れが入り交じってごった返しています。
南のバヤワンへ向かうバスには屋根までびっしり人が乗っていました。
また、バイスからやってきたバスは、年越しの為に戻ってきた人の土産や荷物が屋根まで満載でした。
町中のスーパーや市場では年越しの食べ物を作るための買い出しの人があふれかえっていて、スーパーの入り口では入場制限をする程でした。
町中のスーパーや市場では年越しの食べ物を作るための買い出しの人があふれかえっていて、スーパーの入り口では入場制限をする程でした。
買い物カゴの中身はみな似たような物です。
メインのごちそうがスパゲッティーなのか、スパゲッティーの材料が飛ぶように売れていました。
何故スパゲッティーで年越しなのかを連れのフィリピン人に尋ねましたがその理由は知りませんでした。
私の勝手な推測では、この街に結構多い華僑の影響で年越しに長い食べ物を食べる習慣がかたちを変えて根付いたと、そんな所では無いかと思います。
何故スパゲッティーで年越しなのかを連れのフィリピン人に尋ねましたがその理由は知りませんでした。
私の勝手な推測では、この街に結構多い華僑の影響で年越しに長い食べ物を食べる習慣がかたちを変えて根付いたと、そんな所では無いかと思います。
もう一つ、この街の年越しに欠かせない食べ物がピーナッツで造るお菓子です。
フィリピンではどこででも見かける一袋2ぺソのハッピーピーナッツを油で揚げます。
たぶん塩抜きだと思いますが、それを空煎りして油を飛ばし、中華鍋にピーナッツを入れた上からコンデンスミルクをたっぷり注ぎます。
弱火で焦げ付かせないようにかき混ぜぜ、スプーンの動きが重くなる頃にはキツネ色のピーナッツキャラメルになって出来上がりです。
それを皿に広げて、固まってから食べます。
それを皿に広げて、固まってから食べます。
恐ろしく甘いのですがピーナッツのほんのりとした塩味が、うまいかも知れない、と思わせる味でした。
もちろん、レチョンバボイも準備しますし、コーラやスプライトもたくさん買い込みます。
買い物を終えて車に戻る途中の道にはたくさん露店の花火屋がいます。
ロケット花火、爆竹、ファイブスーター爆竹と、どこも同じ花火を売っています。
私も爆竹を2000発、ロケット花火200本、ファイブスター100発を買い込みました。
ファイブスターは花火屋のおやじに、慣れないと本当に危険だと念を押されたのですが子供の頃から2B弾で慣れている自分は軽い気持ちで買い込んだのでした。
しかし、いざ爆発させてみるとその破壊力に恐れをなし着火はフィリピン人にお任せしました。
物凄い量の花火を買い込んだのには訳があります。
同行したフィリピンが来年の運の良さは今晩の花火の量で決まる、などと言うのでそんな事なら奮発せねば・・・となったのであります。
もっとも、爆竹は200発が一連なので、2000発と言っても10回分でしかないのですが。
さて、スパゲッティーとピーナッツキャラメルとレチョンで腹ごしらえをして、ラムコークなど飲みながら時を待ちました。
気の早い若者が時折散発的にパーン、パーンとロケット花火を上げはじめますが本番は11時頃からです。
満を持して 11時ごろ、ビールのケース24本入りを持ち出しロケット花火の発射台をこしらえ、蚊取り線香を棒にくくり着け着火の棒を作ります。
私の家は国道に面しているので、家の真ん前から真上に向かって発射し、燃えカスが道路に落ちるように打ち上げていました。
私の家は国道に面しているので、家の真ん前から真上に向かって発射し、燃えカスが道路に落ちるように打ち上げていました。
また爆竹は車の切れるのを見計らって道路にぶん投げます。
ファイブスターは聞きしに勝る大音響を発するしとても危険なので手に持っての着火はやめました。
200発のロケットは意外と早く無くなり、後50発位かなと言う所で、アクシデントが発生しました。
打ち上げている内に風向きが変わり、向かいの家の屋根や庭に着弾するようになっていたのですが、私はお構い無しに連発で打ち上げていました。
すると向いの家では「これは戦争だ」と言ったかどうかは知りませんが、とにかく応戦よろしく撃ち返してきたのでした。向こうも弾薬は豊富らしく、20発ひとまとめ位の勢いで撃ってきます。
これはこれで楽しかったので急遽300発を買い足しに走って応戦しました。
その後、新年を祝うイベントは道路に舞台を移し、車やらバイクやで空き缶を引きずり回して音をたてて走リ回ったり、鉄パイプを引きずって火花を散らしたりと、深夜まで思い思いにパフォーマンスを楽しむのでした。
翌日は街中が休み状態で静かでした。
正月でも関係ないのはダイビング屋とホテルくらいで街中はレストランもデパートも休みでした。
しかし、2日には学校も普通に始まり、街はもう新年のお祝気分はありません。
街中にはまだクリスマスツリーがありましたが、それは単に忘れられているだけなのかもしれませんね。
・・・ではまた。
では、また。
(2002年 1月2日に書きました)