いや、色んなところで酒落斎さんに出会うので国内には相当な酒落斎がいるものと思われます。
大概は投稿欄のペンネームとかですが、これから言う洒落臭いは別線でありまして、心の中で呟くしゃらくさい、なのであります。
さて、私の趣味と言いますか癖と申しますか、まずなんであれ半ば無意識に本を買っちまうのであります。
で、思いつきと反射神経で買った本をまずは積ん読わけですが、目につくところに置きっ放しの本を目にするたびに訴えかけられ仕方なく手にしては乱読し、本には気の毒するわけであります。
で、ずいぶん前、俳句にのめり込む姿勢が見えた頃、いくつかの本を買ったわけであります。
いやいや、本屋で買うのならパラパラでも中身に目を通しますが何分にもAmazonでしかも大半は中古ですからタイトルだけで買うのであります。
で、俳句の本でドーしても先に進めなくなった本が一冊あるんですが本日、少し時間が空いたので再度挑戦しようとしたわけであります。
いや、もはや三ヶ月も放ってあるので頭から読み返し始めたんですが、はじめにーこの本を読む人に、の一行目を読んで即座に思ったのが「沙羅クセェ」でありました。
まっ、便所の落書き以下で訪れる人もほとんどいないブログですし元々罵詈雑言というタイトルで始めているので本音を書いても営業妨害にはならないと思うんでキビシク書く所存であります。
この本の二行目であります・・・わずか五ヶ月の間に、0から出発して、まずまずの俳句が作れるようになってもらおう、というのである。
この本を手にして読み始めた時には感じなかった傲慢さを強烈に感じ、この後読み進めなくなった理由の伏線は既に冒頭からあったのかと思ったわけであります。
で、続く行は・・・無謀であり、俳句を恐れぬ仕業というほかはない。
となるわけですが、教える本人が無謀というのであるならば教わる方は腰が引け逃げるしか無いんだが、と私ゃ思った次第であります。
余談ですが、私ゃスポーツ系のイントラをやっていた経験でいうと、教わる方は大概は何かカニか心配しているわけであります。
で、教える方は難しいことをどんだけ簡単に思わせるかが勝負でしてのっけから生徒を驚かしてドーすんだ、と思うんですが種目が違うんでまっ、いいでしょう。
で、この後の行は如何に俳句は奥深いものであるかを、私に言わせると大仰な描写でどれ程大それたことをしようとしているかを綴っているのであります。
初めて紐解いた時にはなぜか引っかかりを感じることなく読んだのに今は何故敵意むき出しなのか、少しだけ心当たりがあるには有るのです、が、それは内緒です。
で、ちゃんと読むとそれなりに筋の通ることを書いているのはわかるんですが、どーにも全体的に感じる高飛車な物言いと言いますか、どーも著者は読み手を驚かす言葉と表現が好きなのかと取れるところが鼻につくのであります。
そろそろ本の著者とタイトルを暴露しますと、藤田湘子著 20週俳句入門 であります。
いや、この本をポチった時の決め手は帯に書かれた釣り文句でありました。
「俳句のイロハ、教えます!」20週で確実に俳句が作れます!の言葉に釣られたのであります。
その背景には自分の焦りがあったのでありますが、そっか、この本を手にしたら20週で俳句が作れるのか、と促成栽培好きな自分は惹かれたのでありました。
いや、あなた、俳句ってのは言うは易し作るのは難し、ましてや読んで理解なんてのは夢の世界かと言うほどに奥が深いとかじゃ無く、下手するとあれ、禅問答と同類と私ゃ思うほどであります。
なので溺れる者は藁をも掴んじまう心でこの本を買ったのでありました。
さて、随所にしゃらくさい匂いを嗅ぎならら読み進むと極め付けに出会うわけであります。
あれです、私がどーにも行き詰まりこの本の先を読めなくなったのは僅か26ページ目の一言でありました。
高浜虚子の句が四つ載ってまして作者名とともに諳誦しないと先に進むことはまかり為らぬ、と書かれているのであります。
私ゃバカでは無いと思うけれども暗記は苦手分野でしてこんなものを四つも正確に覚えるなんて無理・・・しかもその価値が見出せないのでここで気持ちが折れた次第であります。
ドーなんですかね、著者はまさか真に受ける人がいるとは思わずに軽く書いたものか、それとも本気で情熱を突っ込んだ結果の言葉か、自分には計りかねるところであります。
で、瑣末なことなんですがとても気になるのが諳誦の文字であります。
いや、あんしょうと読むの、自分は容易いんですが、戸惑うや風雅に読み仮名がふられているのに諳誦には無いっての、どっちが出会い難い漢字かといえば日常では諳誦の方が読まないと思うんですけど、まっ、いいでしょう。
遠山に日の当たりたる枯野かな
桐一葉日当たりながら落ちにけり
一つ根に離れ浮く葉や春の水
鎌倉を驚かしたる余寒あり
以上の四句なんですが、何故これなのかは自分なりに納得しているんであります。
そして、なるほど、そう言うことかと初学者なりにニンマリしたわけであります。
いや、著者がたった26ページまでに込めた思いは「自分のために」「自分の俳句を作る」がすべてのようでして、ホントーのことを言うとこれには激しく納得しているんであります。
選者や他者を意識して妙にひしゃげた句を捻り出すよりは川柳風味でも俳句紛いでも己に正直に思い立った気持ちを表現するのが良かろうと自分も思っているのであります。
しかし、言うは易しひねるは難し・・・私の俳句の道はミミズの足跡のように遅々として進まぬのであります。
あれです、読みかけの本を題材に難癖をつけてみたんですが書かれていることは多分全部本当ことと思うんであります。
それほど俳句ってのは嘘の許されないと言いますか、厳しい文芸なんだと思うんであります。
嗚呼、誰が考えたのか五七五・・・究極の字数は地獄から湧いたものでありましょうか、なんちゃって。
いや、この本の著者は既に作句をしていないんであります。
2005年にはあっちの世界に逝かれたとのことでして今頃文句を言っても聞いてもらえないのであります。
あれです、著者もこの世にいない事だし、禁を破って暗誦はナニし、一気に読み切ってやろうじゃ無いかぃ、と思いつつ、風呂が沸いちまいましたので、んじゃ。