じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

酒は涙か溜池か

2021-03-16 19:24:30 | 日々の雑感
いや、溜池は違いますね、溜池はアレでした、ため池や蛙飛び込む水の音、でしたっけね?
へっ? それも違う? まっ、いいでしょう。

あなた様は酒での失敗ってありますか?
私ゃ結構有るんですが、何分にもそん時は大概酔っ払ってまして記憶にないことの方が多いんであります。

なので酒が絡んだ大失敗ってのは私的には大して苦にしていないんですが、なまじ酔った勢いって時の失敗は記憶の端に引っかかっているんで後々我が心を苛むのでありました。

これね、自分も随分前から酒に関して世間は甘いなと思っているところであります。

はじめに断っときますが私ゃ酒は大好きでして365日欠かさず呑む方であります。
しかし、50歳を境に飲み方を変えたわけで、酔うためにだけ呑むのはやめまして、味わって呑む酒に角度を変えた次第であります。

ここ、なんと無く大切なところかと思うんですが、若かりし頃は様々な圧力に晒され、酒に逃げ道を作らないと生きていくのが辛かった、なんてことを思うわけであります。

で、なんと申しましょうか、酒はなんであれ常に美化されるものであり、自分の田舎じゃ「気狂い水」とさえ呼ばれる代物なのに社会はこれを崇め奉る風潮があると思うのであります。

あれです、清めに酒をとか契りに酒をってことで神事と結びつくのも酒を持ち上げちまう遠因と思うわけですが、如何でありましょうか?

まっ、記事の中身は宅飲みからアル中って話しが肝のようで、突っ込んでいるのは、マスコミは酒のメーカーからCMを貰っているんで忖度し、酒の害やらと関連するニュースは流さない、と語っているようであります。

が、この記事をちゃんと最後まで読むと、酒好きの戯言であることがしっかりと書かれているのがわかります。

今回の総務省接待事件でも問題になったが、やはりアルコールには人間関係を円滑にする効果がある。
また、日本はカウンセリングの文化が根付いていない代わりに、ガード下の飲み屋のようなところで酒を飲みながら仲間と愚痴がこぼせることで、ずいぶんメンタルが救われているはずだ。
会食禁止、仲間と飲むのが禁止では、年間5万人も殺す物質を許す根拠がなくなってしまう。
アルコール飲料の業者が、テレビの最大スポンサーの業種だということもあって、テレビに出ている連中が忖度しきっていて、コロナで人の命が大事と言われながら、この物質が我が物顔で売られている現実に違和感を覚えずにはいられなかった。
もちろん、私もワイン好きだが、だからこそ会食や仲間との飲酒が目の敵にされている現実のほうが問題にすべきだと思えてならないのだ。

ちょっと長い引用で恐縮ですが上記の部分に筆者の想いの全てが詰まっているので引っ張りました。

いや、要するに外で酒を飲ませろ、と、そこなんでしょ、肝は。

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酒落斎

2021-03-16 15:53:51 | 日々の雑感
いや、色んなところで酒落斎さんに出会うので国内には相当な酒落斎がいるものと思われます。

大概は投稿欄のペンネームとかですが、これから言う洒落臭いは別線でありまして、心の中で呟くしゃらくさい、なのであります。

さて、私の趣味と言いますか癖と申しますか、まずなんであれ半ば無意識に本を買っちまうのであります。

で、思いつきと反射神経で買った本をまずは積ん読わけですが、目につくところに置きっ放しの本を目にするたびに訴えかけられ仕方なく手にしては乱読し、本には気の毒するわけであります。

で、ずいぶん前、俳句にのめり込む姿勢が見えた頃、いくつかの本を買ったわけであります。

いやいや、本屋で買うのならパラパラでも中身に目を通しますが何分にもAmazonでしかも大半は中古ですからタイトルだけで買うのであります。

で、俳句の本でドーしても先に進めなくなった本が一冊あるんですが本日、少し時間が空いたので再度挑戦しようとしたわけであります。

いや、もはや三ヶ月も放ってあるので頭から読み返し始めたんですが、はじめにーこの本を読む人に、の一行目を読んで即座に思ったのが「沙羅クセェ」でありました。

まっ、便所の落書き以下で訪れる人もほとんどいないブログですし元々罵詈雑言というタイトルで始めているので本音を書いても営業妨害にはならないと思うんでキビシク書く所存であります。

この本の二行目であります・・・わずか五ヶ月の間に、0から出発して、まずまずの俳句が作れるようになってもらおう、というのである。

この本を手にして読み始めた時には感じなかった傲慢さを強烈に感じ、この後読み進めなくなった理由の伏線は既に冒頭からあったのかと思ったわけであります。

で、続く行は・・・無謀であり、俳句を恐れぬ仕業というほかはない。
となるわけですが、教える本人が無謀というのであるならば教わる方は腰が引け逃げるしか無いんだが、と私ゃ思った次第であります。

余談ですが、私ゃスポーツ系のイントラをやっていた経験でいうと、教わる方は大概は何かカニか心配しているわけであります。
で、教える方は難しいことをどんだけ簡単に思わせるかが勝負でしてのっけから生徒を驚かしてドーすんだ、と思うんですが種目が違うんでまっ、いいでしょう。

で、この後の行は如何に俳句は奥深いものであるかを、私に言わせると大仰な描写でどれ程大それたことをしようとしているかを綴っているのであります。

初めて紐解いた時にはなぜか引っかかりを感じることなく読んだのに今は何故敵意むき出しなのか、少しだけ心当たりがあるには有るのです、が、それは内緒です。

で、ちゃんと読むとそれなりに筋の通ることを書いているのはわかるんですが、どーにも全体的に感じる高飛車な物言いと言いますか、どーも著者は読み手を驚かす言葉と表現が好きなのかと取れるところが鼻につくのであります。

そろそろ本の著者とタイトルを暴露しますと、藤田湘子著 20週俳句入門 であります。

いや、この本をポチった時の決め手は帯に書かれた釣り文句でありました。
「俳句のイロハ、教えます!」20週で確実に俳句が作れます!の言葉に釣られたのであります。

その背景には自分の焦りがあったのでありますが、そっか、この本を手にしたら20週で俳句が作れるのか、と促成栽培好きな自分は惹かれたのでありました。

いや、あなた、俳句ってのは言うは易し作るのは難し、ましてや読んで理解なんてのは夢の世界かと言うほどに奥が深いとかじゃ無く、下手するとあれ、禅問答と同類と私ゃ思うほどであります。

なので溺れる者は藁をも掴んじまう心でこの本を買ったのでありました。

さて、随所にしゃらくさい匂いを嗅ぎならら読み進むと極め付けに出会うわけであります。

あれです、私がどーにも行き詰まりこの本の先を読めなくなったのは僅か26ページ目の一言でありました。

高浜虚子の句が四つ載ってまして作者名とともに諳誦しないと先に進むことはまかり為らぬ、と書かれているのであります。

私ゃバカでは無いと思うけれども暗記は苦手分野でしてこんなものを四つも正確に覚えるなんて無理・・・しかもその価値が見出せないのでここで気持ちが折れた次第であります。

ドーなんですかね、著者はまさか真に受ける人がいるとは思わずに軽く書いたものか、それとも本気で情熱を突っ込んだ結果の言葉か、自分には計りかねるところであります。

で、瑣末なことなんですがとても気になるのが諳誦の文字であります。
いや、あんしょうと読むの、自分は容易いんですが、戸惑うや風雅に読み仮名がふられているのに諳誦には無いっての、どっちが出会い難い漢字かといえば日常では諳誦の方が読まないと思うんですけど、まっ、いいでしょう。

遠山に日の当たりたる枯野かな
桐一葉日当たりながら落ちにけり
一つ根に離れ浮く葉や春の水
鎌倉を驚かしたる余寒あり

以上の四句なんですが、何故これなのかは自分なりに納得しているんであります。
そして、なるほど、そう言うことかと初学者なりにニンマリしたわけであります。

いや、著者がたった26ページまでに込めた思いは「自分のために」「自分の俳句を作る」がすべてのようでして、ホントーのことを言うとこれには激しく納得しているんであります。

選者や他者を意識して妙にひしゃげた句を捻り出すよりは川柳風味でも俳句紛いでも己に正直に思い立った気持ちを表現するのが良かろうと自分も思っているのであります。

しかし、言うは易しひねるは難し・・・私の俳句の道はミミズの足跡のように遅々として進まぬのであります。

あれです、読みかけの本を題材に難癖をつけてみたんですが書かれていることは多分全部本当ことと思うんであります。
それほど俳句ってのは嘘の許されないと言いますか、厳しい文芸なんだと思うんであります。

嗚呼、誰が考えたのか五七五・・・究極の字数は地獄から湧いたものでありましょうか、なんちゃって。

いや、この本の著者は既に作句をしていないんであります。
2005年にはあっちの世界に逝かれたとのことでして今頃文句を言っても聞いてもらえないのであります。

あれです、著者もこの世にいない事だし、禁を破って暗誦はナニし、一気に読み切ってやろうじゃ無いかぃ、と思いつつ、風呂が沸いちまいましたので、んじゃ。




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観にツーリング

2021-03-16 13:52:18 | 日々の雑感
いや、誤字では無いのですよ。
なんなら、味にツーリングでも良いんですけど。

しかしてその実態は、やっぱしミニツーリングでありました。

今日はバイトが休みなんでスキーに行くかバイクにするか迷ったんですが、車検を受けタイヤを交換してからほとんど乗ってないMT-07を転がすべく怪しい空模様の下走り出した次第であります。

で、出かける前には幾つかの行き先候補が有ったんですが走り出すと思ったよりも肌寒い風に意気消沈でして遠出はダメだなとなった次第であります。

そんなわけで取り敢えず宮城インターから高速に乗り「仙台一周コース」に入ったわけであります。

いや、タイヤが新品の時はワックスやらが付いていて滑ると言われているので少し慎重に走ったんですがそんな気配も無さそうなのでいつもの走りに戻しました。

と、言うことは、追い越し車線の狼となって疾走するのが常でありましたが今年度からは心を入れ替え安全運転を旨としたので走行車線を普通に走ったわけであります。

で、途中で工事渋滞などありまして頻繁なクラッチ操作を強いられ、停車と低速走行の繰り返しで難儀し堪忍袋の尾が切れた自分は一瞬アクセル全開でグワーンと飛び出したんですがバックミラーに映る黒い点が迫って来るのを察知し走行車線に戻ったわけであります。

すると、程なくして黒いアウディーがバビューンと吹っ飛んで行った後を覆面が追っていたのでありました。
まっ、自分はその後のアウディーを見かける前に別線に入ったので顛末はわかりませんが恐らく一発免停は免れないところと思います。

で、そんな事があって再度心を新たに持ち直し安全運転で一周を終え泉で高速を降りた次第であります。

さて、時刻は11時・・・家に戻って昼飯にするかワインディングでのタイヤテストを兼ねて定義山に行き蕎麦でも食うか、思案したわけですが脳みそが答えを出すのを待たずに身体が勝手にハンドルを決めていたのでありました。

天ぷらせいろ 1680円

で、家から真っ直ぐ来れば20分程度で辿り着く定義山に高速道路と一般道を100キロ以上も走り一時間半かけて辿り着いたわけであります。

いや、見飽きた風景と言いますか、我が家の裏庭的場所なのに延々と走って来たからかとても新鮮で、いつもの蕎麦屋の蕎麦さえもなんだか観光地で食べている感じでとても美味く感じたのであります。

余談ですがここの蕎麦は蕎麦のつゆなどつけずに素で啜った方が風味を感じるのであります。
なので自分は最初の方を素で食べ、次にそばつゆと薬味でいただき、最後に温かい蕎麦湯を足したそばつゆに入れて食し三通り味わうのであります。

さらに余談ですが、ドーやって保存しているのか不明ですが舞茸の天ぷらがとても美味く、間違いなく天然物だと私ゃ睨んでいるのであります。

土産物屋も半分以上が閉まっていた

で、昼飯を食ったらさっさと帰っちまっても良かったんですが、なんだか旅心と申しますか、そんな気分に浸りたくなり定規如来の山道に出て観た次第であります。

いや、閑散としているのは平日だからでありましようか、それとも、でありますが、まっ、いいでしょう。

道端には高校を卒業し次の学校へ入学前の暇そうな子供らが一串100円の玉こんにゃくを齧りつつ日向ぼっこなどしていました。

お寺の庭の雪吊りを見るのが好きです

威厳がありそうですが昭和の作です

山の風景で一番寂しいのが残雪の頃と思うんですが定義山も今が一番色を感じない時期であります。

いや、雪が消え新芽が萌える前と言うのは自然の全てが眠っている感じで動きが無く、なんと申しましょうか、溜の姿とでも申しますか、自分は芽吹き前の力が感じられ好きな時期であります、なんちゃって。

世界一当たる 恋のおみくじ

いや、世界に比べるおみくじが存在するのかがまず疑問なんですが手作り感を感じる素朴なおみくじが人通りの少ない影の道のさらに脇の軒下にあったのであります。

ところで、神社のおみくじとお寺のおみくじに違いがあるのはご存知でしたか?
簡単に言うとお寺のおみくじは漢文で神社のには和歌が入っているんでありますが、まっ、いいでしょう。

と、言う事で、なんだかんだで150キロほど走ったんですが行った先は裏庭的場所だったと言うミニツーリングでありました。


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