ツーリングは三日目ですが初日はフェリーに乗っていただけなので実質二日目であります。
和歌山県の太地町に宿を取ったので熊野古道で有名な大門坂とその先の那智の滝に行くために少し戻った次第であります。
四月二十一日水曜日 天気 快晴。
そーか、結構歩くのだなと覚悟を決めた
熊野古道 大門坂
と、いう事で大門坂手前の無料駐車場にバイクを置き全行程を歩くことにしたわけです。
いや、一番上のお寺や那智の滝まで車で上がれるし駐車場もあるんですがここはひとつ下から歩いて熊野古道を満喫したいと思った次第であります。
おお、雰囲気は満点ですなぁ、と
ジジイ 66歳176㎝ 夫婦杉樹齢 800年 39m
自分は古い神社仏閣や史蹟に行って大木があると安心するわけであります。
大木は修復や移植は不可能でして存在自体が歴史を物語っているからであります。
大門坂の夫婦杉は対で立っていまして、樹齢は800年、樹高が39メートル、幹周りは8メートルを超す超が付く巨木であります。
私ゃこの杉に出会えただけで満足でありましたが取り敢えず那智の滝も見ておかなくてはと登り続けた次第であります。
登ること40分 那智山青岸渡寺に着いた
口伝では仁徳天皇云々とかなり古い話が出るんですが現存するお堂は豊臣秀吉が再建したものだそうで天台宗のお寺であります。
なんと申しましょうか、そこそこ古い建物なのにお堂の中まで土足で入らせ、しかも無料というのに驚きました。
なので中で売っている極太のろうそくを千円で買い求め「家内安全」と慎ましい願いを書いて納めて来た次第であります。
神社に巫女さん いいですねぇ〜
お寺の隣は熊野那智大社であります。
ここの御神木も見事なものでして、秀吉の時代をずっと遡ることが容易に伺えるわけであります。
で、明治のあの頃まで寺と神社は神仏習合で一体であったものが分離されたものだそうであります。
で、結構な石段を登ってお参りするわけですが参道にはお土産の店が幾つかあるわけです。
朝に登って行く時、そこの一軒のばあさんに「そこの兄さん、この戸を開けてもらえ無いかね」と声を掛けられ年寄りには重い戸を開けたわけであります。
その折、土産に飴を買えと勧められましたがこれから参拝するので後で、と言って立ち去ったのであります。
すると帰り道、婆さんは覚えていたようで「兄さん、帰り道じゃから飴買わんと」と引き止められちまったわけであります。
帰りにと言って逃げた手前仕方がないので一袋200円の那智勝浦名物というかち割り飴を買うことにしたんですが小銭が無く千円札を一枚出した次第であります。
すると婆さんはお釣りの勘定が出来ない風で、なんぼかいなぁ〜と言うのであります。
自分は大きな声で「婆さん800円だがな」と言うんですが、婆さんは尚も「なんぼかなぁ」を連発したあげく、釣りはこれしか無いので見合うだけ飴を取ってくれ、と200円を手渡したのであります。
で、婆さんは「もう100歳過ぎだから計算はできない」と言いつつ千円はしっかりと仕舞い込むのでこれは確信犯だなと睨み「ばあさん、それなら大正生まれだな」と言うと「いやいや昭和だ」と言う始末であります。
そっかぁ、やっぱしボケてるのは違いないんだが商売のコツは本能なので忘れないのかと思い諦め、欲しく無い飴を四つ手にしたわけであります。
で、そんなやり取りに時間を取られたのでさっさと立ち去ろうとすると婆さんが「ゆっくりしていけ、そこに座布団もあるし」と勧めるわけです。
私ゃ何やら少し尿漏れ臭のする婆さんと長話をする気も無かったので「んじゃね、ばあさん」と言うと「兄さんは気持ちが良い人だからこれ」と言ってい見るからに売れ残りのフクロウの置物をひとつ寄こしたのであります。
あいやぁ、売れ残りとはいえ申し訳ないと思い要らないと言ったんですがどーしても持って行けと手渡されたので有り難くいただき石段を下った、と言う、妙な縁で土産を買った話があったわけであります。
那智の滝は一度降りてさらに歩きます
なんだか遠いなぁ・・・もう見えたから良しとするかとも思いましたが気持ちとは裏腹に足は止まらず滝を目指した次第であります。
それにしても天下に名高い那智の滝が閑散としているのはやっぱしコロナの影響なんだろうな、でして沿道の土産物屋も半分は閉まっている感じでありました。
日本三大名瀑 那智の滝
あれです、滝を間近に見るのは有料でして一番近くで見られる境内の お滝拝所舞台に行くには木戸銭を300円納めなければなりません。
しかし、実感としては無料区域との差はあまり感じず、まっ、そう言うことであります。
さて、この辺りの観光は2時間で切り上げる予定でしたから10時半までに戻らなければなりません。
なので我が地元の秋保大滝も負けてないとの感想を胸に大門坂を急ぎ足で下った次第であります。
大門坂駐車場出発 10時30分
目指すは「串本」であります。
串本の名を初めて知ったのは昭和の終わり頃でありました。
自分がスキューバーダイビングにのめり込み会社務めの傍に土日はダイビング屋で働いていた頃であります。
沖縄や奄美では無く和歌山県の串本に石サンゴの群生がある、と言う話が出たからであります。
一度は潜って見たかった串本ですが今回は匂いを嗅ぐだけでありました。
道の駅「くしもと橋高岩」からの眺め
串本の道の駅「くしもと橋高岩」に着いたのが11時20分・・・昼飯時であるな、と言うことでまずは何か食べようとしたんですが目に入るのはソフトクリームだけであります。
うーん、それでは仕方がないと目指したのが「樫野埼灯台」であります。
トルコの軍艦 エルトゥールル号の碑
あいやぁ・・・トルコと日本の友好の元、エルトゥールル号遭難の地はここであったか、と感激しつつ目指すは樫野埼灯台であります。
あれです、ここも平素は賑わう場所なんでありましょうが燈台までの道はコロナの影響で土産屋、飲食店とも閉まっていました。
樫野埼灯台旧官舎(現役ではない)
明治3年竣工、日本最古の石造り灯台官舎であります。
この灯台は徳川幕府が江戸条約を結んだことにより、欧米列強に建てさせられた8箇所のうちの一つであります。
私ゃ灯台好きでして多くの灯台を見て来ましたがこれは格別に味わい深いものでありました。
さて、もうとっくに昼を過ぎたのにまだ飯が食えていませんで、向かったのは潮岬灯台であります。
樫野埼灯台は紀伊大島にあり潮岬へはくしもと大橋を渡っていきます。
この橋が珍しく、海を渡る直線の橋の先にループ橋があってぐるぐる回りながら登るのであります。
潮岬灯台 見学料300円
いや、潮岬といえば台風が来れば話題になるところでして噂だけは予々伺っていたわけですが、正直に言いますと、敷地が狭いせいか意外と外見の迫力に欠ける灯台でありました。
しかし、日本国にある登れる灯台16の一つで、登って見ると地球が丸いことが実感できる眺めは素晴らしいものであります。
さて、もはや午後一時過ぎ、いよいよ腹が減りまして普段は避けて通る観光施設「潮岬観光タワー」に入ったわけであります。
まっ、細かい説明は省きますが空腹でも食べきれなかったマグロの天丼に悔いを残し次の目的地「南紀白浜」に向かったのであります。
南紀白浜の名勝 三段壁
いや、どーも那智の滝あたりからの景勝地とは相性が良くないと言いますか、わざわざ足を止める必要はなかったと自分は思うのであります。
なんと申しましょうか、地形的な面白さと言うのはバイクや車で乗り付けてハイ見ました、では感動が薄いと自分は思うわけで、ここの場合だと岩手県の北山崎展望台が勝っているかな、なんて思ったりするわけです。
序でに言うと、修学旅行の中学生が大勢いたのもなんだかなぁ〜と思った一因でありましょう。
と、言うことで、次に目指したのは「日本のエーゲ海 白崎海岸」でありました。
エーゲ海を知らないのでなんとも
いや、この前の三段壁と白崎海岸は昨夜の宿の主人のお勧めなのであります。
が、自分とはだいぶ趣味が違う感じでして少し相性が良くなかったようであります。
たしかに、若い男女が手を握りながら「そこ、足元危ないから」なんて男が言うと、わけのわかった女は「あっ」と言ってよろけて抱きつく、なんて状況を期待するには良い場所と思いましたが黄昏迫る時刻にジジイが一人で観光するべきところでは無いな、と思った次第であります。
次の目的地は今夜の宿の和歌山市の温泉付きビジネスホテルであります。
白崎海岸からはナビで40キロ、1時間と出ているんですが、来るときに高速を降りてから狭い道を結構走ったので戻るのも時間を食うな予想した次第であります。
案の定、高速に乗るまでの下道が渋滞でナビが示す到着時刻もズンズンと伸びるわけです。
で、やっとの事で阪和自動車道に乗ったは良いんですが海南の高速出口がトンネルを出てすぐでしてGPSの電波を拾っていなかったナビは反応せず乗り過ごしたわけであります。
いや参ったな、で次のインターで降りて逆戻りなどしていたらなんだかんだで1時間20分も掛かっちまいまして精神的に疲れました。
本日の走行距離 260キロ 給油9.2ℓ 1435円
本日の歩行距離 18900歩
明日は大阪城へ つづく
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